雨の中の引きこもり。
本日はマンションに朝も早くから行き、孫べえのお守り。といっても、全く使い物にならない身体。お昼のお弁当を買いに出かけた以外はほぼほぼソファで寝ていた。やっぱり調子がイマイチ。夕方帰宅して夫に言うと、やっぱり軽く病気になってるんだろう、と言う。そうかも知れないと思えるほどの具合の悪さ。二回目の方が強く出るというから嫌だなあ、と三週間後を思っている。ただ、テレビニュースで一回の接種でも家族に移す確率はうんと低いという研究結果が出たとのこと。やれやれ。少々の具合の悪さくらいは辛抱辛抱。
にしても香川も増えているなあ。変異種の強い感染力にはホントに気分が萎える。ちぇちの練習さえ不安になる。
でもオリンピックはやるんだ。呆れるほかない。
こうした中、短歌の歌会はリモートで行われる。が、どうも参加者が増えない。食べず嫌いのところが多々あると思うが、ネットに弱い人も確かに多い。ただ、一度分かってしまえばそれほど難しくはないし、会話も100点満点ではないにしても、ある程度は成立する。何もやらないよりはずっと良いと思える。自分自身は師匠に申し訳ないがそれほど短歌にのめり込んでいるわけではない。が、先日の母の死の前後、深夜に多くの歌を詠んだ。この行為は思った以上の慰めになったし、文字にすることで思考の整理がつき、客観的に自分を見つめることも出来た。感情に流されず、冷静になれた。こうした場合声に出す歌はこうは行かない。まずは声が出ない。その意味で、短歌に巡りあったことは救いになっている。今更ながら、こんな自分を短歌の世界に引きずり込んでくれたことに感謝だ。駄作しか出来なかろうが、師匠の手を煩わそうが、諦めずに手を放さずに導いてくれている。
この粘り強さがちぇちには欠けている。過去、止めたいと言う人を何が何でもと引き留めたこともないし、やりたい人でやろうという姿勢でやってきたら、尻貧状態。矢張り外部からの働きかけがないと難しいのかも知れない。オペラは難しい。だからこその面白さも大きいのだが、見るとやるでは大違い。足を踏み入れても継続はなかなかに難しいのだ。が、一年延びた今、出来るだけ多くの人に参加してもらえるものにしたいと思っている。コロナが落ち着いたら、可能性のある人たちには片っ端から声をかけようと思っている。
上手く実現出来ますように。。。