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2021年4月

2021年4月29日 (木)

雨の中の引きこもり。

本日はマンションに朝も早くから行き、孫べえのお守り。といっても、全く使い物にならない身体。お昼のお弁当を買いに出かけた以外はほぼほぼソファで寝ていた。やっぱり調子がイマイチ。夕方帰宅して夫に言うと、やっぱり軽く病気になってるんだろう、と言う。そうかも知れないと思えるほどの具合の悪さ。二回目の方が強く出るというから嫌だなあ、と三週間後を思っている。ただ、テレビニュースで一回の接種でも家族に移す確率はうんと低いという研究結果が出たとのこと。やれやれ。少々の具合の悪さくらいは辛抱辛抱。

にしても香川も増えているなあ。変異種の強い感染力にはホントに気分が萎える。ちぇちの練習さえ不安になる。

でもオリンピックはやるんだ。呆れるほかない。

こうした中、短歌の歌会はリモートで行われる。が、どうも参加者が増えない。食べず嫌いのところが多々あると思うが、ネットに弱い人も確かに多い。ただ、一度分かってしまえばそれほど難しくはないし、会話も100点満点ではないにしても、ある程度は成立する。何もやらないよりはずっと良いと思える。自分自身は師匠に申し訳ないがそれほど短歌にのめり込んでいるわけではない。が、先日の母の死の前後、深夜に多くの歌を詠んだ。この行為は思った以上の慰めになったし、文字にすることで思考の整理がつき、客観的に自分を見つめることも出来た。感情に流されず、冷静になれた。こうした場合声に出す歌はこうは行かない。まずは声が出ない。その意味で、短歌に巡りあったことは救いになっている。今更ながら、こんな自分を短歌の世界に引きずり込んでくれたことに感謝だ。駄作しか出来なかろうが、師匠の手を煩わそうが、諦めずに手を放さずに導いてくれている。

この粘り強さがちぇちには欠けている。過去、止めたいと言う人を何が何でもと引き留めたこともないし、やりたい人でやろうという姿勢でやってきたら、尻貧状態。矢張り外部からの働きかけがないと難しいのかも知れない。オペラは難しい。だからこその面白さも大きいのだが、見るとやるでは大違い。足を踏み入れても継続はなかなかに難しいのだ。が、一年延びた今、出来るだけ多くの人に参加してもらえるものにしたいと思っている。コロナが落ち着いたら、可能性のある人たちには片っ端から声をかけようと思っている。

上手く実現出来ますように。。。

2021年4月28日 (水)

じわり。

知人に羨ましがられながら、本日初めてのワクチン接種。午後一で受けてその後なんともないような気になっていたが夜になって37度の発熱。いつもが低いので、これはやっぱり熱があるという感じ。

とっとと寝ようと早くから布団に入って正解かも。

が、短歌の出詠をすっかり忘れていて、慌てて今提出。やれやれ。

どうぞ何事も起きませんように、と願うばかりだ。今日一緒に受けた人10人ばかりは全員女性。待合室に居て思ったのが、全員75歳以上だということ。実際の年齢は分からないが、90過ぎて付き添いの人が一緒という人も二組ほど。全員が黒いズボン?申し合わせたようなベージュかグレーの上着。おお、歳をとるとはこういうことかと、改めて自分の年齢を考えた。今日の自分は、黄色が基調の半袖柄物Tシャツに芥子色のカーディガン。下は白に近いベージュのガウチョパンツ。これは目立ったようで、最初から最後までじろじろと見られた。そういえば最近買った布製の靴も若者が好むようなもの。勿論娘のおすすめだったが、高齢者には違和感があるようだった。まいっか。先日読んだ、内舘牧子氏の「どうせ死ぬんだから」に習って、マイペースを貫くことにした。

私って素直。ん?

2021年4月27日 (火)

ぼ~っと生きてるな~と思う日々。

毎日何かしら用事があって、身体と頭は動かしているが、その自分と別な自分が平行して動いている奇妙な感覚にとらわれている。涙はまぶたの奥で常に流れている感じがあるが、それが外に出ることはない。娘の話を聞いても同じようなことを言うから、近しい人を亡くした多くの人がこういう経験をしているんだろうと思う。「母をどこかに連れだそう」とか「母の施設に行かなくちゃ」とか毎日思っていたのが、もうその必要がなくなったんだということに思い至り急に空しい思いにとらわれる事もしばしばだ。

折も折、ある女性から長いお手紙を頂いた。彼女も最近母上を亡くされている。年齢は大分違うが母と子の関係性はよく似ている。但し彼女はたった一人でずっと見守り続けていて、その様子にこちらが励まされていたものだ。時間に勝る薬はないの例え通り、彼女は既に前向きに歩み始めている。この手紙には様々な角度からの励ましの言葉が書き連ねられている。彼女自身、母親の死によって成長したことの証だろう。有り難くその言葉一つ一つを受け取った。中でも、その母上の言葉として、「人が見ていないところで頑張る役目を担いなさい。」と書かれてあって、母上が素晴らしい方だったことが分かる。

本当に有り難いことにこうして日々助けられて生きているな~。

 

世の中はコロナ騒動で混迷の一途を辿っているように見えるが、どうなっていくんだろうか。他県ほどではないにしても、変異種も出回ってきているし安心は出来ない。、、、と感染者が少ない地域に住んでいる人間の不安を余所に、考えられない行動を爆発感染地域の人たちが繰り広げているらしいのが理解出来ない。いくらストレスが溜まっていると言っても、結果を思えば原因を作らないようにするのが常識だろうに。人間てホントに弱いな~。

2021年4月24日 (土)

森林浴に生き返る。

婿殿の休暇の都合で、今日は筍掘りに出かけた。孫べえも連れて、総勢6名だ。婿殿のマンションの住民は仲が良くて、時々家族でランチ会などもしていると言い、かねてから筍掘りもお誘いしていたのだ。

婿殿の運転でぼんやり外を見ながら彼の述懐を聞いている。「ホント、髙松は天国ですねえ。」矢張りあのまま東京在住だったら、今頃こんなこと考えられなかっただろうというわけだ。一頻りコロナ談義をやっている内に20分ほどで目的地に着く。「こんだけ近いところに山があるんですもんねえ。」そう言いながら彼はキビキビと準備にかかる。実は今日で3回目となる筍掘り。すっかりベテランの雰囲気を身に纏っている。

自分はどうかというと、最初から掘る気は毛頭ない。日頃の運動不足を解消するために来たのだ。枯葉を踏みしだきながら上に下にと登ったり降りたり。同行の四十代のKさんが、日頃使わない筋肉を使ってる気がします、と笑っていたが、確かに初めてだと相当きついはずだ。子供達は大はしゃぎで次々と発見しては奇声を上げる。と言っても昨年よりは相当少ない。今年はどうやら裏年らしい。

2時間ほどもやっておなかが空いたという子供の声でお弁当に。ウグイスの鳴く声を聴きつつ折からの涼しい風に吹かれながら今日は参加出来なかった娘のお弁当を食べる。したたか食べたり飲んだりしたらもう満足で、今度は帰り道の藤尾神社に行こうとなる。先日娘と母を偲ぼうと行った時は藤の花が満開で美しかったが、ここ数日でかなり散ってしまっている。上まで行きますか?と聞かれちょっと迷ったが、途中で引き返しても良いかと一緒に登り始める。どうしたことか、案外大丈夫で登りも下りもみんなのペースに劣らないで歩けた。これは後が大変かも、と笑い合いながら解散。子供達はかえってからも一緒に遊ぼうと早くも約束が出来ている。

娘にあく抜きを頼まれて持ち帰り、帰りにスーパーで聞いてみると糠は売ってないけど、少しで良いなら上げます、と言われ有り難く貰ってかえっる。でもって早速やっつけてちょいと横になったら1時間はゆうに眠っていた。で、夕飯を済ませ、今日は早いお風呂でとっとと寝ることとした。明日起きるのが怖いな~~。

2021年4月21日 (水)

行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。。。

朝に死に、夕べに生まるる習ひ、ただ水の泡にぞ似たりける。。。全く。一喜一憂しつつ暮らしているものの、いつかその泡の様に自分も消えてしまう。そして自分一人がこの世から消えても、何も変わることなく時は過ぎ、人々は生き、世の中は進み、地球は自転する。当たり前の事を実感する日々だ。

母が亡くなって自分が少し変化しているのを感じる。父を亡くした時とは何かが違う。毎日これまでと同じように起きて家事や仕事をし、子供や孫との交流もある。ちぇちも一昨日の楽団との合同練習には出かけた。が、急激な疲労感に襲われて、途中で退席させて頂く。

何というか、身体の芯の疲労という名の塊が時々悪さをする。それは頭痛だったり腹痛だったり肩こりだったり、体中の関節という関節が悲鳴を上げることもある。、、しかしまあ、外から見れば、以前と変わらない自分の姿が見えているだろう。ある意味長く頑張っていたタガが外れたのかもしれない。今日見舞ってくれた人が、「しばらくはググッと来るけどそのうちね。」と慰めてくれたが、その方も家族のために頑張っている状況らしい。私ごときにかくも優しい方もいてくれて、つくづく有り難い。先日はタクシーで駆けつけてくださった方がいて、夫と一緒でなければ大泣きしたかも知れない。そういう風に泣けてないのもしんどい原因かも知れない。

いやそれより何より、自分自身が高齢になっている証拠だ。若くしてご両親を亡くした人も多く、羨ましいとまで言われるが、その反面自分が歳をとっているので、若いときとは違うしんどさがある。とも言える。人生が分かってきている年齢で、親の死を迎えるのは自分のこともありきついのだ。

そして、矢張り人は経験しないと分からないことが多い。

こうして鬱々と暮らしていてちぇちの公演の台本に戻れないでいるが、公演が一年延びた。これだけ先になると有り難い。盛り込むことを妄想し始めているが、これを形に出来るようになるだろう。

にしてもコロナは拡がる一方だ。自分自身のワクチン接種は1週間後だが、その3週間後の二回目が終わらない限りなかなか安心は出来そうにない。香川で良かったと思っているが、子供や孫、甥や姪は緊急事態宣言の対象地区とその周辺になる。関東には友人も多く、どうぞ感染しないでと祈るような気持ちでいる。

にしても、裏腹な好天気。「春なのに~~~」

2021年4月13日 (火)

今日の雨は寂しい。

今日は一人温泉。身体の芯が固まってしまっていて、睡眠だけではどうしようも無いほど。ここ数日の不規則かつ激務が老体に堪えている。風が強弱を付けて雨と競演しているかのように木々を揺らしているのを窓越しに眺めて、ゆったりと湯につかる。このあとマッサージも岩盤浴も使ってなんとか楽になった。

昨日の母の葬儀はまるで母の人生感の象徴のように空が晴れ渡っていたことを思い出す。兎に角最少人数での葬儀。一日一家族だけの葬祭場は、出来て間が無い今風なシンプルでデラックスな造り。娘親子と三人だけで前夜お泊まりして、アルバムを見たり思い出話をしたり。。。眠りたいと思ってビールを飲んだら久しぶりだったため急激な睡魔に襲われる。母とお別れをしたいとやってきた友人Mが娘と話している声は聞こえたが、全く起きられず寝てしまった。夜中に起きてしばし母に話しかけたり、、、又寝たり。娘はもっと沢山起きていたようだが、実は一番寝てなかったのが4年生の孫べえだった。幸い大型テレビがあり、YouTubeが見られたのもあって、孫べえは退屈はしなかったようだ。母には嬉しいお通夜だったかも知れない。

人の死をこんなにきっちり見たのはわが人生で初めてのこと。勿論娘もそうで、互いに精神面で助け合いながらだった。母に手を引かれた記憶はあるが、今回その全てよりも沢山母と手を握り合った。手を取ると「あんたの手は温いな~」と強い力で握りしめながら必ず言う。こっちに熱があるのかと心配になるほど言われたが、食べなくなってからの母の手は冷たくなるばかりだった。こっちの体力が持たないと施設にお泊まりは娘に任せたが、異変があれば知らせてくる約束。だから自宅に待機していても落ち着かない。たった二晩でそれも終わらせた母。朝方、娘が様子を知らせてきて飛んでいったが、まだ耳は聞こえていた。話しかけると頷くのも次第に少なくなりやがて下顎呼吸になりいよいよ近いことを知る。朝6時半に完全に呼吸が止まり、そこから怒濤のように様々なことが過ぎていった。翌日の午後には葬儀だったというのも、色んな意味で残された人に好都合だった。この二日間が快晴だったのも良かった。

そして今日も晴れていて、弟夫婦と施設の片付けに。職員の人たちが次々と出てきて挨拶をしてくれ思いがけず色んな言葉をかけて下さる。「私たちも勉強になりました。」「お母さんと居られた時間がとても楽しかったです。」「最後までユーモアで返してくれて!」口々に有り難うございましたと、こちらの言うべき言葉をかけてくださる。家族のように接してくれてマニュアル通りでは無い親身な対応をしてくれたと、改めて思う。コロナ禍でも、特別に家族の出入りを許して頂き、毎日訪問させて貰ったことは感謝に堪えない。トップをはじめ皆さんが、人間にとって一番大切なものは何かをしっかり分かってお仕事されていると思う。インスタにも母の写真をアップしてくれていて、実は今回の遺影に使わせて頂いたのだ。母のにこやかな良い表情を上手く撮ってくれていた。本当に有り難い。

勿論しばらくは思い出してはぐっとくるだろうが、母との別れに悔いは無い。いやゼロではないが、互いにやるべき事をやったことに満足だ。

ここ何年か次々と大切な人をなくしてきた。そのたんびに「人間は死ぬんだ」と肝に銘じている。母の骨の説明を聞きながら孫べえに言ったもんだ。「ね、どんな偉い人も、どんな美人もみんなこうなるのよ。これをよく覚えといてね。」と。もう少ししたらハムレットを読ませよう。今回のことは、彼にとっては良い体験になるだろう。

2021年4月 4日 (日)

ゲリラ豪雨?

毎日二本の道を歩いているような奇妙な感覚。一本は日常のいつもの生活。もう一本は母の容体に揺れる生活。こんなに食べないでも人は生きていけるのだと、妙に感心している。今日は約1年ぶりに孫べえが対面したらしい。手を取って、「なんでも諦めずに頑張りなさい。」と言うべきことを言ったらしい。言われた孫べえは、あまりのばあばの変わりように衝撃を受けたらしいが、きっとこの記憶は残るだろう。

午前中にわが夫と訪問したときは、身の置き所が無いようなしんどさを訴えていたが、持って行ったソフトクリームを少し食べ、水を少し飲んで、色々話している内に落ち着いてきた。夫が先に帰り、しばらく色んな話をしたがとてもはっきりしていて、覚醒の感があったのは不思議だった。

朝早く友人Kからラインが入っていて、「声が聴きたい」とあったのが気がかりで電話しても出なかったのが、母の部屋に居るときに彼女からかかってきた。丁度母に彼女のことも話している時だったので、そのまま側で話を続けたが、まるで子守歌を聴くように聞きながら母は眠り続けた。音があるのは良いのかも知れない。従って遠慮無く笑ったり喋ったりしたが、彼女もまだご主人の死を現実的には受け止め切れてないようだ。「三年かかるそうよ。」と言うと、「こないだ8年かかると聞いたところよ。」と言う。ま、人によって色々だろうなあ。

人は生まれたら死ななくてはいけない。なんという理不尽な!な~んてね。なにも人に限らない。花も生物も虫たちも、生きとし生けるものは全て同じ宿命を背負って存在しているのが当たり前。咲いた花は散り、熟れた実は落ちる。そこにこそ美があると、先人達は言う。そうだろうと私も思う。その命が果てるまでの短い間を、健気に生きる他ないのが我々だ。わかっちゃいるけど、、、、す~だららったすいすい。ってね。

今日の午後は義妹を乗せて綾川までお歌の練習に行く。H先生の仏前にお花を買って行ったが、ご自宅の周辺はチューリップが色とりどりに咲き誇っていて、まるで花屋敷のようになっていた。そういえばH先生がお元気な頃ご夫妻で球根を植えておられたことを思い出す。帰りにはご自宅の畑で採れた蕗の立派なのを沢山頂いて、帰宅早々大仕事!年のせいか、こうした季節の食材がとても嬉しい。ホントに美味しかった!

マスクを付けたままの練習で、歌いにくい様子ながら女性二重唱、義妹とNさんガンバッテ仕上げた。が、なかなか難しいしそもそも音楽はこれで終わりというのがない世界だ。ま、これから何度か通うことになりそうだ。

音楽と言えば、母の枕元にCDラジカセを置いた。母のお気に入りの「マチネの終わりに」のギター楽曲をかけるためだ。このCDは確か20曲ほども入っていたかと思うが、苦しそうにしていても、これを聞くと落ち着き段々深い眠りに入っていけるようだ。なので、ずっとリピートしてかけ続けている。これと同じ経験を父の入院時にもしたことがある。父の場合は元々クラシックが好きで、中でも「タイスの瞑想曲・アヴェマリア」がお気に入りだったので、それが入っているCDを病室に持ちこんで一日中聞かせた。すると危篤と言われた父が徐々に復活し、程なく退院したということがある。これは偶然の符合とは思えない。矢張り音楽には力があると思うのだ。今日訪問したH先生宅に一人暮らす奥様も、ピアノに癒やされていらっしゃるようだし、その昔、知人が失恋して悲嘆に暮れる日々に自分がピアニストで本当に良かったと告白してくれたのを思い出す。

宇宙人が地球から持ち帰りたいのは音楽らしいからねえ~。

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