十年目。
日本人に限らないだろうが、こうして事件や災害や事故から何年目と、区切りを付けて呼ぶのは個人的にはあまり好きでは無い。誕生日では無いのだから。が、そう思う一方で、かくほど左様に忘れっぽいのが人間で、ゆえに記憶のために数えるのかも知れない,とも思う。
置き薬なるものをわが家ではおいているが、今日はそのセールスが「イチョウの葉エキス入りドリンク」というものを持ってきた。テレビなんぞでもしきりに宣伝されているから知ってるが、ホイホイ買う気にもなれず、お断りしたところだ。まあ、でも、記憶力の衰えは感じている日々だ。いつかそれにお世話になる日が来るんだろうか?
それはともかく、日本中を震え上がらせたあの大地震と大津波と原発事故。これは忘れようと思っても忘れられるもんじゃない。この10年、忘れたような顔していても、それによって国中が疲弊してきたし、それにコロナが追い打ちをかけているわけだ。何かしら大切なものが日本という国からさらわれてしまった、という思いがずっとしているのは私だけだろうか?そんな中でも、一人一人が何とか気力を奮い立たせて生きている。けなげにも一応生きている。どれほどの人が未来を信じているのか、なるべく未来は見ないように生きている人も多くなったような気もしている。
こういう時代に、生きる支えになってくれるのが、長い歴史で作り上げた芸術文化文学ではないだろうか。たまに出会うとか電話とかでみんなが口にする言葉は、「以前のように、いろんなものを楽しみたい。」という意味のことだ。人は他人が何か言ったりしたりするのを見るのが好きなんだ、とはある人物の言葉だが、確かに。だからコンサートや舞台芸術映画映像などが成立している。
今朝はOさんのレッスンだったが、こんな時代、ともすれば消極的になる気力を奮い立たせて、今年冬には三度目のシャンソンリサイタルをやる。あまり年齢が違わないはずだが、彼女の気力にはいつもながら感動させられる。できるだけお手伝いさせてもらおうと思っているが、ある意味でこれは我々二人にとっての戦いでもある。やりたいと思っても実現までいかない人が多い中、彼女は立派だ。
十年目に遺骨が上がったというニュースを聞いたなあ。