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2021年3月

2021年3月29日 (月)

ちぇち練。と愚痴。

相変わらずの密を回避の会場で、本日は会長も不在。一回の練習でみんなに一つは持ち帰って貰おうと、色々実験をしてみた。そしてその効果が顕著に表れて非常に満足。だから声は面白い。やり方でこうも違うものになる。ああこれが、コロナ下でなければどんなに良いだろうと思いつつではあったが。。。

いつもより早めに切り上げて休憩は無しとした。色んな意味でこれが良いと判断したからだ。髙松も変異種が出回っているようだし、気をつけるに越したことは無い。やれやれ。

 

昼間、婿殿にある力仕事をお願いしたが、ササッとやってくれて、夫と話したことだ。「若いって、良いよねえ~。」昨日なんかワインのコルクを開けるのに、木で出来た物で無く、堅い合成もので出来た栓だったため、開けるのに一苦労。オープナーでやったは良いが、ネジネジの部分が栓の中に残ったまんま引きちぎれてしまい、ますます開けにくく成ってしまった。必死で格闘したが以前と違って力が全く無くなっている。腿に瓶を挟んでやろうとすると、腿の部分が痛くて使い物にならない。ワイン煮をするためのもので、これが無くては話にならない。お嬢に電話して、「ちょっと来て開けてくれない?」と言うとけんもほろろ。「てこの原理でなんとかすれば!?」だと!!そんなことくらいとっくに分かってるわよと捨て台詞を吐いて再度チャレンジ。大きなスパナ?を持ってきて、栓をぎゅっと挟み、何度かチャレンジしてどうにか開いた。。。。そうまでして作った牛肉の赤ワイン煮込み。作り置きして出かけたら、ニャンと、「あの肉さえ固かった!」と言う。4つ切りくらいにしてくれたら良かった。なんぞと言う。そんなの自分でおやりになれば?と言っても、やって欲しいとあくまでも言う。一体なんなの?私は乳母?看護師?メイド?ってなもんだ。もう知らん!虫っ!いや、無視っ!

人生は面白い。

息子がどうしても今のうちに祖母に会っておきたいと、施設に直接談判して、来た直後にPCR検査して陰性ならOKと返事を貰って恐る恐る帰省した。空港からレンタカーで検査病院へ。誰にも接触せず結果が陰性と分かってからやってきた。聞けばナント高額な検査料金!それを聞いて思わず変な助成金より、こっちにお金を出せば良かったんじゃない?と今更ながらお上に文句を言ってみたり、、、。そして息子はすぐに施設に移動、長々と喋ってきた。わが母とこの子は所謂「初孫」の関係だ。母も若く一番元気な時で、しっかり面倒をみてくれていた。その恩恵を忘れること無く常に気にしていて、時々はテレビ電話もしていたが、喋れる内にどうしても会いたいとなったわけだ。

昨日は息子一人で会いに行き、今日はこちらも付いていったが、驚くことに母はこの息子の新築祝いで水戸に行ったときのことを鮮明に覚えていて、庭の木々や近辺の様子を懐かしく思いだし、もう一回行きたいとのたまう。そのために頑張るとも。白鳥の来る川の流れる公園が目の前に開けていて、確かに母の好みの場所だろうとは思うが。「孫効果」で奇跡が起きるのだろうか?食べられなくなって相当時間が経ったが、何を見ても要らないと言う。かろうじてアイスクリームを少々、ビタミン剤を少々、、、。無理はしない。

救いは、母が自分の人生が楽しかった、面白かったと繰り返すことだ。訪ねて最初の言葉は必ず「夢を見ていた」。何の夢?と言うと、昔話だ。栗林公園に父親が先導して家族親類が花見に繰り出し、芸者さんまで参加してどんちゃん騒ぎする派手な花見だったと言う。料理が上手だったその祖父は玄人はだしの腕前で色んなものを料理して持って行ったそうだ。この話は以前から度々聞かされていたが、この所桜の花を持っていったりすると、すぐこの話になる。母が独身のころの話だから80年以上前のことだ。そして言う。「私の人生は面白かった。」台湾では戦火の中、山の上で見張りに父が立ちお風呂に入ったこととか、当時は何もかもが大変だったと思うが、今や面白い思い出になっているのだ。そして焼け野が原の髙松に帰ってきてからのあれこれ。父の仕事の関係で転勤に次ぐ転勤も、知らない土地の事がよく分かって面白かったと。16年の長い間父の介護をしながらも、色々楽しいことがあった、と言う。、、、そう思える母の人生は素晴らしい。

その母の思考回路の遺伝子は確かに受け継いだと自分でも思う。どんなことも角度を変えてみれば楽しいし、面白いと思える。

今宵は観劇だった。「罠」という翻訳物で、あの小田島雄志先生のご子息が翻訳とあったが、とっても面白い内容で引き込まれた。娘の運転での帰り道、やっぱり時々はこういう時間が無いとねええ、と話し合った。会場一杯の人たちがあの時間コロナのコの字も思わずに集中していた。そして終わった途端の感動を拍手で精一杯に表現する。やっぱり舞台は良いよねえ、と。

母に異変があればすぐに電話が入ることになっていて、だからこそのお出かけだ。こういうとき、スマホさまさまだ。

 

2021年3月25日 (木)

揺れる思い。

いよいよ今日から聖火リレーが始まった。とニュースで見ている。不自然な作り笑いに満ち満ちた会場に見えたのは私だけ?一番気になったのは走る人たちが全てマスクなしという点だ。な~ぜ?と素朴な疑問が残る。先日プロ野球界の大御所二人が横並びで間に透明なアクリルボードを挟んでの厳重体制。が、二人ともノーマスクで、座高が高くアクリル板の上に顔が出ていたとのことで二人とも感染。こういう例もある時期に、この対策で良かった?不思議だな~。

色んな有名人が次々と辞退を申し出ているらしいが、その人達も悩んだ上でのことだろう。

今日来店客と話したが、「参加することに意義あり」だったオリンピックがいつの間にか商業ベースにのっかり、アスリートたちは上に上にとどこまでも上昇志向。それをあおる国や国民。この辺で原点に戻るのはいかがなものか?と言うとそのネガティブ思想はけしからん、となるんだろうなあ。

多くの国が、富める国も貧しい国も、戦争最中の国々も、一旦スポーツを中心に集まり、平和について考えよう、というオリンピックなら、私は好きだ。そこからどんどん逸脱しているようにしか見えないこのスポーツの祭典は、この先、我が国で是非にと手を上げる国がなくなるのでは無いか?何事も利用せずにはおかない人間の性というならそれも仕方ないのかもしれないが。。。ふ~っ。

 

今日は非常に多忙だった。仕事もあったしレッスンもして、その上、いよいよコンサートの準備に入った娘が孫べえを放り込んだ。でもって夕飯は実家でと猫なで声。ハイハイと返事してから、冷蔵庫の中を整理することにした。夫婦ふたりだとどうしても色々残るからだが、その意味ではとても良かったわけだ。ありったけの野菜を入れて具だくさんの味噌汁もしたし、買い置きしていた肉の塊を電気鍋で簡単調理。萎れかかったゴボウを煮て、お客様からいただいた新鮮キャベツやブロッコリーをボイルして肉の付け合わせに。無類の刺身好きの孫べえの為に、買い置きの冷凍鰹のたたきを出す。、、、そうやって準備していると娘が泣きながらやってきた。帰りにおばあちゃん所へ行ったら、別れの言葉ばっかり、、、と言う。ま、それも仕方が無い。むしろ、そういう思いが聞けるだけ幸せだろう。

そのうち夫が帰り、久しぶりに一緒に夕飯。ま、これも良いか。

2021年3月21日 (日)

不安の中の練習。

個人的には1週とんだだけだが、なんか久しぶり感が大きい練習日。これまた全く久しぶりのテノールA氏ご登場である。早口言葉のような歌詞で、もごもご言うのがおかしくて、皆ガマンしきれず大笑い。勿論器用なお方だから、本番までにはキッチリ仕上げてくるだろうが、案外このままの方が面白いかも、なんてね。

お葬式の人や、病気の人も居て、密になりようがない練習室。それでも、歌は良い物だと思う。今日はいよいよチラシのプランを指示したが、 ワクチンが全員に行き渡るのは7月の本番には間に合わないかもねえ。色んな場合を想定して進めては居るが、出来るなら従来型でやりたいものだ。

本当に、まさかの事態だ。乗り越えられるかどうかの不安の中で進めているのはストレスが半端ない。

 

母は一進一退を繰り返していて、一番驚くのは、大体40分の見舞いが限界で、時計を見ているわけでも無いのに、その頃が来るとあれこれ言ってはもう帰れと言う。「施設の人に迷惑だから。」とか、「旦那のためにご飯を。。。」とか、「ちびさんの為に早く帰ったら?」とかとかとか。特例措置で、施設は自由にしてくれているが、そこが昔人間だし、きっとしんどいのが本音だろうが、そう言われたら無理にとは言わず帰宅している。で、果たして、自分だったらどうだろうと思ってしまう。そんなことお構いなしではないかと。やっぱり大正時代の人間と昭和生まれの違いかもと。

 

全てを受け入れることの意味を、今日も考えている。

2021年3月19日 (金)

いい話。

久しぶりに仕事をしてああ疲れたと腰を下ろした途端友人Kからの電話。こちらの体調を心配してくれてのことだ。ご主人を亡くしたばかりだというのに、この気の使いよう。。。。で、内容はと言うと、ようやく人と話していて涙が出るようになった、という。少しずつ寂しさも実感を伴ってきたようだ。まるで夢の中を浮遊しているような感じだったようだが、少しずつ現実が見えてきたということらしい。しばらく、これに耐えていかなくてはいけないと、自分を納得させている。全ての事務的なことは4人の息子さん達がやってくれていて、時々ポカンと時間が出来るそうな。そうなると、急に寂しさが募ってきてスマホの短縮番号1番を押してみると、ご子息が出て、いぶかしがられたと言う。間違えただけだと笑って返事したが、本当はこの呼びかけに夫が何か返事をくれるのでは?なんてあり得ないことをふと思ったという。おお、あの人にして、こうなのか!?と感動してしまった。彼女が川柳をやっているのを知っているから、川柳にすれば良いのが出来るんじゃ無い?と言うと、それは無理そうと初めて弱々しい答え。まあ、まだまだ無理というのが本当だろう。それは分かる。

何があっても、時は流れる。

日曜日のちぇち練はどうやら行けそうだ。

2021年3月16日 (火)

生かされている。

今宵、施設が久しぶりに母との夜の面会を許可してくれた。一日一組だというので、一番乗りでお願いして実現した。すっかり弱ってはいたが、我々夫婦とわが娘を見て、その上水戸の家族とテレビ電話もして、持って行ったソフトクリームを美味しいと食べ、しばらく笑ったり喋ったりしていると段々元気になってきた。ちゃんと内容も間違わず話せているし、認識力にそれほど衰えも無い。疲れさせてはいけないと気がかりながら時間を過ごしお互い明るく手を振って別れたことだ。施設の方は全く食べなくて困っているんです、と話してくれたが、多分こうして家族と話しながらだと、食べられるのかも知れないなあ。どうなることやら。

昼間は、わが家の録画用デッキが壊れたので、婿殿と一緒に買いに行く。その前に夫の主張で自分にとってはおよそ10年ぶりくらいにG屋敷に行く。FBで行った人のコメントが出ていたので、興味もあった。以前行った時は和服姿の女性が接客してくれたが、今日は洋風接客ファッションの男性だった。ランチが沢山ありすぎて、この食事は夕飯まで引きずった。さりとて夕飯を作らないわけにも行かず、、、、。それはともかく、その部屋の壁紙に沢山の書が貼り付けられている。以前の様にゆったりとしていないのもあり、ざっと目を通すとそこに、完全には読めない短歌と添え書きがあった。流麗な筆文字はさっぱり読めず、写真に収めて師匠に解読して貰うこととした。早速ラインで、「青風ひろば」に投稿。それというのも、そこに「文明」という歌人の名前が書かれてあったからだ。文明といえば、アララギを代表するお名前。我らにも無縁なお方では無い。結果が楽しみではある。

買い物に付き合って帰宅すると、早速若者がちゃちゃっとセッティングしてくれる。ありがたやありがたや~。年寄りは何度も同じ事を聞いて、覚えようとするがその場では無理。取りあえず最低限の事を習って婿殿を解放。やれやれ。

ここまでで相当疲れ切った。夕飯まで休もうと自室に引きこもる。暫くするととあるお方からタイミング良く、叱咤激励のお電話。10歳も年上のお方からのお言葉は身にしみた。この自分の不調が、精神的なものもあると自分では踏んでいる。だからこういう励ましは本当に有り難い。

 

母を見舞ったが、実はこの行為そのものも、自分を生かしてくれていると気付く。兎に角、生かされている、な~。

2021年3月14日 (日)

不調不調不調。

どうしたことか。良くなったと思ったのは勘違いで、全く元の木阿弥の体調不良。ベッドからラインやメールを打っているが、Kさんにしばらく連絡してないのでと、楽しい動画共々ラインしたら、2回目にライン電話がかかってきた。この日の朝、ご主人が亡くなられたというのだ。なんとなく何かあったのではないかと不安に思っていたのが的中したわけだ。彼女に他からの電話もあってすぐに会話は終えたが、しばらく茫然。人の命とはかくもはかない。今思い出すのはかくしゃくとした動きや話し方、器の大きな人物の持つ大様な笑顔。流石に一代で会社を興し長く経営されてきた人だと思ったことだ。とてもおしゃれな方で、家に居てもシャキッとした服装でいつお目にかかってもダンディだった。その様子を陰で茶化す楽しい奥様と良いコンビだった。読書好きの奥様のことを、逆にご主人は尊敬混じりの揶揄を飛ばしていたようだし、、、要するに羨ましいご夫婦だった。しかし、どんな仲良しご夫婦にもいつかは別れが訪れる。一緒にシェイクスピアを勉強していた奥様には、かねてから覚悟がある様ではあったが、幾分でもそれが役立っていると良いなあ、と思う。

わが母も、どうやら大分怪しくなってきた。娘が家族でテレビ電話をしたら、喋りにくそうにしながらも、「がんばる~」と手を振ったようだ。頑張りたくて頑張るならこれ以上のことはないが、これまでホントによく頑張ってくれた母を思うと、無理しなくて良いよ、と心の中では言っている。出来るだけ生きて欲しいと思う気持ちと、静かに苦しまず穏やかにその時を迎えてくれれば、と思う気持ちに矛盾は無いつもりだ。奇跡が起きて、再び外出が出来るようになれば櫻を見に連れて行きたい。好きなアイスクリームを食べながら昔話も良いだろう。

何事にも限界がある。

2021年3月12日 (金)

十年目。

日本人に限らないだろうが、こうして事件や災害や事故から何年目と、区切りを付けて呼ぶのは個人的にはあまり好きでは無い。誕生日では無いのだから。が、そう思う一方で、かくほど左様に忘れっぽいのが人間で、ゆえに記憶のために数えるのかも知れない,とも思う。

置き薬なるものをわが家ではおいているが、今日はそのセールスが「イチョウの葉エキス入りドリンク」というものを持ってきた。テレビなんぞでもしきりに宣伝されているから知ってるが、ホイホイ買う気にもなれず、お断りしたところだ。まあ、でも、記憶力の衰えは感じている日々だ。いつかそれにお世話になる日が来るんだろうか?

それはともかく、日本中を震え上がらせたあの大地震と大津波と原発事故。これは忘れようと思っても忘れられるもんじゃない。この10年、忘れたような顔していても、それによって国中が疲弊してきたし、それにコロナが追い打ちをかけているわけだ。何かしら大切なものが日本という国からさらわれてしまった、という思いがずっとしているのは私だけだろうか?そんな中でも、一人一人が何とか気力を奮い立たせて生きている。けなげにも一応生きている。どれほどの人が未来を信じているのか、なるべく未来は見ないように生きている人も多くなったような気もしている。

こういう時代に、生きる支えになってくれるのが、長い歴史で作り上げた芸術文化文学ではないだろうか。たまに出会うとか電話とかでみんなが口にする言葉は、「以前のように、いろんなものを楽しみたい。」という意味のことだ。人は他人が何か言ったりしたりするのを見るのが好きなんだ、とはある人物の言葉だが、確かに。だからコンサートや舞台芸術映画映像などが成立している。

今朝はOさんのレッスンだったが、こんな時代、ともすれば消極的になる気力を奮い立たせて、今年冬には三度目のシャンソンリサイタルをやる。あまり年齢が違わないはずだが、彼女の気力にはいつもながら感動させられる。できるだけお手伝いさせてもらおうと思っているが、ある意味でこれは我々二人にとっての戦いでもある。やりたいと思っても実現までいかない人が多い中、彼女は立派だ。

 

十年目に遺骨が上がったというニュースを聞いたなあ。

 

2021年3月 9日 (火)

時。

大人になってから、時の流れが遅いと感じたことは無かったように思う。一気にここまで走ってきたという感じか。勿論生来のなまけものの自分のこと。そうはいってももう一人の自分が、「もしそれがホントだったら、もっとましな事が成せたんじゃない?」と言う。ホントにそうだし、ここ一週間寝込んでいて、多少の後ろめたさもありつつ、ばかみたいにのらりくらり。娘のおすすめの「ゲームオブスローン」という映画を次から次へと見続けた。この映画は、シェイクスピアが描いたことをそのまま見せてくれていて、実は自分にとって新しさはない。娘は興奮状態で、はまってしまっているといい、色々感想を言ってくる。同じ物を見て、互いに感想を言い合う楽しさがあるのだろう。それにしても長い物語。韓流ドラマも長いらしいが、それ以上かも。一番驚くのは、色んな映画で既に知っている元々身体の小さい男優が、これまで見たことのない素晴らしい男優として大人の演技を見せてくれていること。随所にその身体の外見についての誹謗中傷が人々の言葉として出てくるのだが、そこに作品として真剣に向き合っている描き方はこれまでにないもの。この人はSF映画なんかにはなくては成らない存在だったが、そうではなくて本来の大人の人間としてしっかり描かれている。すっかりファンになってしまった。毎年受賞しているらしいがそうだろう。

ま、この作品がヒットしているには十分頷ける要素があり、多分最後まで見るような気がしている。沢山の魅力的な人物が登場し、それぞれの過去現在未来が面白く描かれている。エログロナンセンス的な極端なシーンも多く、思わず目を背けたくなる残虐なシーンも多いのだが、従って娘も子供には見せてないようだが、人間の持つ美醜を余すことなく描いているといえるだろう。タイトルさながら、王冠を巡るあれこれはゲームそのもの。

とまあ、こういう風に最低限の主婦の仕事をしつつ、ぼ~っと生きていて、流石に明日あたりから正常に戻ろうかと考えている。母が今日退院したと弟の方から聞かされ、又テレビ電話でもと思っているが、自分の現状を報告したらきっと叱られることだろう。しっかりしなさい、と。

とにかく無理が全くきかなくなった。ちょいとやり過ぎるとすぐこれだ。

コロナでなくて良かったが、、、、やれやれ。

2021年3月 2日 (火)

一通の封書。

契約している保険会社から薄い封筒が届いた。時期でもないし、一体なんのお知らせかと開封してみる。そこには、驚く内容が印刷されてあった。うちの担当者の女性が逝去したが、今後とも弊社をよろしく、というものだった。この女性はとても誠実な人で、まめに健康伺いをしてくれたり、毎年直筆の賀状や暑中見舞いをくれていた。誕生日も会社のシステムかも知れないが、必ず丁寧なはがきをくれていた。この私よりお若い人だった。何の病気かは分からないが、急なことだった。この薄い封筒をないよりまし、と見るべきかもしれないが、なんだか薄ら寒い気分だ。年に一度会うか会わないかの人だったが、ご冥福を祈りたい。

 

夕べ遅くにやっていたテレビ放送に、興味深いものがあった。一つは被災地福島の現状で、もう一つはアートフラワーデザイナーの男性にかかわるもの。

前者は元東電の社員だったという男性三人のその後、のようなこと。想像でしか無かったが、矢張り彼らも心を痛めて、罪悪感にさいなまれていたというのがよく分かった。東電の社員だというとなぐられるんじゃないかとビクビクしていた、と言う。まあ、そういう人は東電の中に何人いたかは知らないが、多少なりとも同じ感情を持ち合わせながらあの当時を生きていたのではないだろうか?加害者でありながら被害者でもあるわけだ。いまもって、その感情の呪縛から逃れられてはいないだろうが、時間は経った。が、原発の問題は拡大するばかりで、一向に解決に向かっていないのを、国はどう考えているんだろうか?溜まった汚染水を溶かして海に放流するのに30年かかるという。そうしている内に別の問題が起きる可能性もある。

別の番組の中に登場した普通のおじさんが言っていた。「便利というものを手に入れると、必ず何かを手放さなくてはならなくなる。」と。確かそれはプラスチックゴミの問題の深刻さがとり上げられたものだと思うが、地球が今本当に大変なことになってきている。生活そのものを一人一人が見直さなくてはならないのだろう。

 

もう一つの花屋さんの取材も良かった。施設の母親に花を贈る70代とおぼしき男性が、受け取って喜ぶ母親の動画を見て涙するの図は美しかった。二人で築いたイチゴ農園を夫の病気で一人守る女性が、月に一度帰宅する夫を迎える様子にも感動したが、その女性が自分のために瓶詰めのアートフラワーを買い、ガラスの中で美しく朽ちていく様子を自分に重ねて眺めるというのに惹かれた。で、今日早速自分で瓶を購入してやってみた。写メを送ると娘から拍手を貰ったが、これはなかなか良い感じ。

 

いろんな生き方があるなあ。

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