外は晴れても、、、。
夕食の準備中、チラチラ見ていたテレビだが、311で家族を亡くし、夫も亡くした85歳の女性が1000首の短歌を残していたという内容だった。殆どが息子と夫の事で、この人にとって作詠が生きる支えだったことがよく分かる。他にも日記をノートに残していたという下りでは、わが夫がお母さんもやれば?と言うのだが、この頃手が震えるのが段々進行していて、長文を書くのが難しい。こうしてキーボードを打ってはいるが間違いも多くなり、何度も打ち直している状態だ。
歌人B女史の「寂しさが歌の源だから」という「寂しさ」が正しく今日の主役の女性の短歌だった。
自分自身この「寂しさ」については、ず~っと考えているが、人はみんな寂しいのだろうと思う。どんな人も生きている限り寂しさに付き纏われているのではないか。家族がいようが、親友がいようが、仕事があろうが無かろうが、豊かだろうが貧乏だろうが、地位があろうが無かろうが、、、、みんなおしなべて寂しいのだろうと思う。
若い頃はそれらがベールで被われていて、まるで未来にピンク色の素敵な何かがあるような気がしていたが、そのベールが一枚一枚剥がれていく内に、現実が見えてきて、それと同時に寂しさの本質も見え始めたように思う。
たまたま昼間のテレビで学生時代にスポーツで怪我をして、四肢の麻痺を持った人がお二人それぞれ精神科の医師として生きておられるというのが紹介されていた。その内のお一人の母上が介護しながら寂しい笑顔で恥ずかしそうに映っておられたが、先立つだろうご自分の未来ご子息の未来を思っておられるようだった。今を懸命に生きて、結果も素晴らしいものが出ても、やがてくるその時を思わずにはいられないのだろう。その意味でも平等に人間は寂しい生きものだ。
福島のその女性の歌に、いつも寂しくて涙するが、時に笑いのある涙も、、、というのがあったが、納得。
そういえば、その番組の後、チャンネルを回してある映画を20分ほど見たが、高倉健、渡瀬なんとか、夏目雅子、、、みんな亡くなった人ばかり。いやはやいやはや。。。