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2021年1月

2021年1月31日 (日)

楽団練習。

外はうららかに晴れて、絶好のお遊び日よりというのに、わざわざサンポートにお集まりいただき楽団の練習となった今日、ご挨拶にと顔を出した。何度もちぇちの公演に参加して下さっている馴染みのお顔ばかり。当然ながら真剣な面差しで譜面台とにらめっこ。緊張感漂う中で、しばし音のシャワーを浴びながら贅沢な時間を過ごした。やはり弦の音色は良いなあ。陶然としていると鋭くも豊かなフルートの響き。全体をまとめているのはピアノだ。ずっと指揮をされていたT会長はかなりお疲れのご様子が見て取れた。大学の入試関連のお仕事もある中でのこれはかなりきついものだったろうと想像できる。

練習終わりにマスクのまま暫くぶりの無事の確認ご挨拶。それさえも長くは出来ず、早々に解散。、、、なんだか寂しい。

しかし、こうして楽団練習に付き合うと、公演が現実のものとなった感が高まる。どのような形になるにせよ、実現したいもの。

 

それにしても今日は春のような陽気だった。道すがら公園で沢山の子供達が遊んでいたが、うちの孫べえはどうしたんだろう?今日は音沙汰なし。昨日はあっちの家族と一緒に輿田寺参り。パラパラと人が出ていたが、密になるほどでは無い。頑張って上まで上ったが、空気が澄んでいて気持ちが良かった。帰りにカフェに立ち寄り、少々くつろぐ。なかなか良い一日だった。「黙食」を実践して、喋るときはマスクを励行。まあ、慣れるとそれほど不自由でも無いか。家族といっても、常に一緒に暮らしているわけではないから用心している。途中近くの友人Kが合流したが、お互い気をつけながら、短い交流を楽しんでサイナラ。その店自体が全く密ではなく、非常に気配りが行き届いている。これからはこういう切り替えの早いお店が生き残っていくんだろうなあ。

 

うっかりお風呂の暖房を入れ忘れ、長湯している間に「麒麟がくる」が終わっていた。残念。

 

2021年1月27日 (水)

故障。

人間がいつ故障するかとビクビクして暮らしていたら、わが家のボイラーが先に壊れた。お湯が使えないというのはこの時期とっても困る。早速業者に依頼して明日取り替えてもらうことに。経年劣化が著しく、調べれば設置以来20年以上経過しているとのこと。これだけとってもやっぱり人間の方が長持ちするなあと感慨深い。

給湯器の本体設置場所が一坪ほどあり、そこに使わない食器棚が鎮座している。これは当時部品を買ってきて自分でその場で組み立てたもの。頑丈にしてあって、我ながらよくこんなもの作ったもんだと感心するやら呆れるやら。まだ若かったということだ。中を最期に見たのがいつか思い出せない。明日の作業で持ち帰ってくれるというから有り難い。早速明日の朝は断捨離だ。何が出てくるやら、、、。

 

ちぇちのメンバーが今度の楽曲の音取り用にCDを焼いてくれわが家にポスティングしてくれた。早速聴いてみるとかなりの優れもの。これは細かい音のチェックにとても有り難い。みんなこれで勉強しておさらい程度に集まってやれればこれが一番良い。毎日一定の数の感染者が出ているし、あんまり頻繁に集まるのもねえ。。。。

と思っていると、千葉の友人から電話。髙松の人数を言ってビクビク物よと言うと鼻でせせら笑われた。千葉の数とならそりゃあ比較にならないが、、、。彼女はテニスもやれず友達とのランチも行けず、美術館や図書館も道中が怖いと言い、全く引き籠もりの生活らしい。暇で暇で、どっか行きた~い!と叫ぶ。一昨年一緒に東京の友人と3人で箱根に行ったのを思いだし、良くぞ行ってたもんねえ、と慨嘆。いつになったら自由が戻るのか、、、落ち着いて髙松に行けるのを楽しみにしてるわね、と電話は切れた。やれやれ。

 

 

2021年1月26日 (火)

ちぇち練。

本日もご無事な会長はじめピアニスト共々元気なメンバーと練習。まあ、会長の繊細な聴力!どんな些細なブレも許さないレッスン。重唱になってしまっている合唱部分が、人数が少ない分一人一人がクリアに聞こえるのだが、でも会長のこの細かさはなかなか付いていくのが大変だ。僅かなずれも容赦なく注意される。ま、こうした練習の積み重ねで、自然に覚えていくのもあるから、勿論これで良いのだが、、、、う~む。時短になっている練習時間のおかげで、曲数が沢山出来ないというつらさがある。まだ時間はあるが、、、。

オリンピックじゃないが、ホントに出来るの?という疑念の中で進めている訳だが、FBの情報だと、アチコチでコンサートは開催されつつあるようだ。8月のH先生のコンサートも入場者50名に限定するらしいし、今の時点でワクチンがどのくらい安心に繋がるのかみんな疑心暗鬼な訳だ。

遅い夕食を食べながらニュースを見ていると、総理の答弁がかなり怪しい。「声がかすれているだけで、喉が痛いだけで、大丈夫です。」というご本人の答えは甚だ怪しい。もし我々のなかでこういう人がいたら、例えば今日なんかもお帰りいただく。そういう訳にいかない立場なのだろうが、あの弱々しい答弁を聞いていると心細さが増す。わが夫より7歳もお若いが、自由人の夫とはかなり元気度が違う様な気がしている。こっちは今日もプールに行った後、早めの夕食を指令して、夜の会議に出かけた程だ。そういえばバイデン大統領がわが夫と同じ年齢だった。こないだ冗談で、お父さん同じ年らしいから内でも大統領と呼ぼうかしら?と言うと、「じゃあ奥様はファーストレディ?」と切り返してきた。勿論速攻でイエスと答えた!アハ。馬鹿な夫婦。

 

先日からオーディブルで「望み」というほんの朗読を聞いていて、今日漸くその長い作品を聞き終えた。とても内容の濃い、丁寧な心理描写に舌を巻いた。ナレーションもとても上手い女性だった。このシステムがあるので、老後は安心だ。、、、老後、、、やることがありすぎて忙しいくらいなもんだ。現代の恩恵を受け続けつつあの世に向かって歩いて行くのだ。

おお、午前1時だ。ね~ましょ!

2021年1月25日 (月)

雨の日のお出かけ。

今年、夏の終わりにH先生の追悼公演としてのコンサートが企画されている。そこで少々お手伝いさせていただく事になり、主役のお二人とH先生宅で打ち合わせ。雨のそぼ降る中を、Mさんを乗せてH先生の思い出話をしつつのドライブ。といっても、内容はH先生とOさんの急死についてのものになる。共にそのショックから冷めないでいるわけだ。語っても語りきれない想いが募る。

出迎えていただいたH先生の奥様は、幾分お痩せになったかに見えるが、以前同様変わらずお元気で、少し落ち着いてこられているのが分かる。時が何よりの薬なのだろう。H先生がご健在の時はお二人で出迎えていただいたのを思い出しつつ靴を脱ぐ。

本当に久しぶりにお訪ねしたが、全く依然と変わらず、そこにいるはずの方がいないという空しさだけが漂う。素晴らしいチーズケーキを焼いてくださっていて、いつもなら賑やかにそれにナイフを入れる先生の仕草が思い出される。

しばらく打ち合わせをしたあと、先生が危篤になった瞬間を、スマホで偶然聞くことになった話を初めてしたが、奥様はきょとんとされている。それもそのはず、あの日はそれどころでは無かっただろうし、ご自身が間違い電話をかけたことすら記憶に無い訳だから。そして、あれから随分と時間が流れた。今思っても、あれは、H先生が私に何かを告げようとしたとしか思えない。世にも不思議な物語だったのだ。

帰り道をいつまでも手を振って送って下さるのに頭を下げながら、矢張りお二人でいつもそうして下さっていたのを思い出さずにはいられない。

「少しお元気そうで良かったですねえ。」と二人で話しながら帰る道中、いつもと違う道を帰ったばかりに迷子になりつつ遠回り。それでも違う風景を楽しみながらで、雨に湿った色とりどりの木々は美しかった。二人で話したのは、奥様がピアニストで良かった、というもの。きっとこれからも音楽と共に生きて行かれるだろう。あの大きなお屋敷にピアノが響いているのを想像するだに麗しい思いに駆られる。

玄関に七夕の笹がまだ置かれたあって、「みんなが平和でありますように  せいじ」と短冊がかかっていた。先生が話す言葉を奥様が書いたそうな。本当に、今を予見するかのような言葉。

コロナ禍にあっても、希望を持って過ごさなくては。。。合掌。

2021年1月19日 (火)

歌いました。

今宵はちぇち。実は昼間の練習日のみ参加のつもりだったが、T先生が入試監督?のためお休み。で、ピアニストに頼りっぱなしは悪いというので、老体を奮い立たせて出かけたわけだ。

わずか9人の練習。部屋一杯に拡がって兎に角密を避けた。マスクに消毒は当たり前。入館時には自動検温も受ける。

その上でではあったが、二時間足らずの練習はケッコウ充実していたと思うがどうだろう?今回の作品はこれまでの中でもかなり難しい部類に入る。音取りをしている内に発声がおろそかになる。それを意識して今日はたっぷり発声練習から入る。ピアノに向かっていると、後ろから鼓膜を押すような声が聞こえてきて、おお久しぶりにこの声を聴くな~と嬉しかった。マスクをしていても、響く声はちゃんと聞こえるものだ。良い声を聴くと元気が出る。

という訳で、熱の籠もった練習ながら和気藹々、楽しいものだった。。。何事も起きないことを願いながらではあったが。。。

 

帰宅してからビールをグビリグビリやっていると、お嬢から電話。指導を仰ぎたい先輩諸氏に送ったDVDに色々反応が届いているようだ。こうして母親に話しながら自分の思考回路を整理している訳だ。ま、こういうお相手も必要だろう。歌というのは、誰かに聴いて貰って初めて完成する。その意味で、コンサートは成長するのに必要不可欠なものだ。そして、客観性が最も重要な要素だ。自分には分かってない事が多い。、、、喋りながらつくずく親子だなあ~と思う。わが母も歌が大好きで、よく老人ホームの慰問に出かけていた事を思い出す。DNAまさしく。

2021年1月17日 (日)

願い。

今日は俳優座の観劇。「北へんろ」というタイトルで、死後の話だと理解出来るまで時間がかかったが、分かってしまうと全てが納得という内容だった。最後の最後に工事現場から、骸骨と布団にくるまった遺体が出てきて、それを大声で仲間に告げるという陰の声で終わる。だから、想像だが、そこまでの全ての流れはその遺体の人の妄想の世界を描いたものかも知れない。2時間20分の殆ど全ての時間が、死者達の会話というのも変わった内容だった。簡単にいうと、「これまでに戦争や災害があり、命を失った人は大勢いる。その人達の行き場の無い魂たちがたまたま集まり、彼らを受け入れることを生業としている宿屋の主夫婦の元で、一人二人と成仏していく、、、、」という話。福島を舞台にしているが、四国遍路の男性が遍路姿で一番新しい客として登場する。

基本的にこの手の話は好きじゃ無い。どうも死後があるとは思えないからだが、そういう人にも人間の生き様や、後悔先に立たずという苦しさは理解出来るような内容になってはいる。

そして、全てが終わったあと、出演者達が全員横一列になって深々と頭を下げる。内一人が代表でご挨拶。「このご時世、こうして呼んでいただいて、芝居をさせてもらえたことをお一人お一人に心から感謝申し上げたい。」という内容だった。芝居の内容の作り出した空気もあったが、これには思わず涙した。隣で見ていたちぇちのメンバーのNさんもその隣のわが娘も他の多くの人々もすすり泣いた。そして、強く大きな拍手で幕となった。本当に。彼らの苦悩は想像にあまりある。

まさか、こんな時代になるとは!

 

芝居に限らない。多くの人間が創り上げてきた芸術文化の息吹を消してはいけない。なんとか守らなくては。、、、こうした想いを今日は会場一杯の人たちと共有した。

2021年1月15日 (金)

女性たち。

ようやく公演の台本に着手。なんとかプロットは出来たが、さあ、これから一仕事あるなあ。

ここんとこ、YouTubeにお嬢の画像をアップするお仕事で本業以外殆ど忙殺されている。「新しい世界にチャレンジですねえ」とわが家のIT師匠は優しいメールをくれるが、見慣れない文字のオンパレードにかなり嫌気がさしてきている。これで出来たか?とほくそ笑んでいると、ベシッとほっぺたをたたかれるがごとく、「出来てない!」というお叱りメールが届く。曰く、「私は子育てと仕事と歌のお勉強で手一杯なのっ!そんなに器用じゃ無いのよっ!」と相変わらずの強気発言に負けている。それというのも、こういう作業が嫌いじゃ無いというまあ、自分のサガみたいなもんが続けさせているわけだ。で、こういうのをやっているおかげで、ちぇちのあれこれも出来るという、、、まあ、なんともかんとも、H先生とOさん亡き後しょうが無い運命だ。そちら方面には部類の強さを誇っていたお二人だ。その一部でも引き継がなくては回らない。

ま、人間がやることだから、しかもこれだけ普及していることなんだから、全く出来ないということもないだろう。

しかし、パソコンに向かう時間が増えているせいか、やたら本を手に取る時間も増えている。前に購入した短歌のB女史のインタビューを本にしたものは、読み返してみるとなかなかに面白い。朝日歌壇の選者でもある勿論大々先輩ではあるが、一応生きてきた年代が知っている時代のこともあり、あの安保闘争の潰えたあとの人々の動向なども分かり興味深いものがある。昔、歌会というものがどう開かれていたのかという下りでは、女性は一切沈黙していた、というのが面白い。今のわれわれの歌会では、むしろ女性の方が発言が多いように思う。これほどの歌人でさえ、そういう時代を経験しているのだ。女性故の立ち位置というか、評価が如実に語られて面白い。対談相手の男性は6年前でも私より大分お兄さんだが、率直な問いかけが気持ちが良い。色んな事が、先人の女性達の力で平等になってきたことを思う。実際の社会では、まだまだ男女の格差はあると思うが、昔の暗黒時代よりは明らかに良くなってきてはいる。ま、女性大臣が極端に少ない日本という土壌では、平等になるなんていうのはほぼ無理かも知れない。と思ったり。。。旧かなと新かなについても触れていて、過去に出版した物は直そうとは思わないが、今は、積極的に口語も取り入れているとのこと。意外にも高校生あたりが文語を会話や文章に取り入れている点も面白がっていた。矢張り大物の思想か。

ある新聞を読んでいて、昨年娘の舞台に飛び入りで参加してくれたアコーデイオン奏者のK女史の記事が出ていて懐かしかった。あの舞台を最後に生の演奏会が悉く無くなり、思わぬ勉強の時間になったという。そしてCDも発売にこぎ着けたし、悲観ばかりもしていないという。たくましい人だ。実物もかなり魅力的な人で、、、、いやあ、素敵な女性が一杯いるなあ。

2021年1月14日 (木)

今一番欲しいもの=安心。

とうとう母親ともテレビ電話で話すしかできなくなった。どこやらの老人施設が今大変なことになっているらしい余波だろう。なんだか元気がない母だったのが気がかりではある。今朝の来店客から、106歳のおばあちゃんが元気だという話を聞いたところだが、、、、どうなることやら。

NHKスペシャルで怖い話が連発されていて、そのすべてが人間の行いの結果起きた地球温暖化のせいだというお話。それは、自分の周辺の人々もすべての人が思っていることだ。問題は、じゃあ、何をどうすればよいのか?ということだが、今や個人の力ではどうしようもないところまで来ているが、でも、その個人が考えることやとる行動も大切な要素になっているのも事実だ。アメリカの新大統領に大きな期待がかかる。世界のリーダーシップをとり、一致団結して解決に向かってほしい。往生際の悪いトランプさんがやってきたアメリカファーストからヒューマンファーストに何とか頑張ってほしいものだ。

しかし、テレビ放送を聞いていると面白い言葉が飛び交っている。今日は、「水際対策じゃなく、これじゃあ水浸しだ!」なかなかうまいこと言う。経済優先が生んだ結果のこのもろもろの顛末。ほんと、頼りなーいと思ってる人が多いはずだ。後手後手に回る政策にいろんな人が怒りの声を上げているが、首相のお疲れモードもわからないではない。正直あんまりあのお方のお顔を見たくない。

世界は欲しいものであふれている、、、少しこの番組を見たが、外国はますます遠くなってきたな~。

2021年1月 7日 (木)

さぶっ!!!

一日中テレビが「注意喚起」を叫んでいる。遂に日本もここまで来たか!という数字になりつつある。勿論アメリカやヨーロッパほどでは無いにしても、この急激な増え方はなんだろう?そして、そこまで心配してなかった香川もじわりじわり増えてきた。ニュースがその手の話題ばかりなので、なんだか毎日熱を測らずにはいられない。計るたんびに低体温を思い知らされているだけだが、、、。

先日の歌会を考えるとホント良く出来たもんだと思う。ギリギリだったかな~?来月も出来ることを祈りたい。

引きこもりの特産物として、DVDをダビングするという作業が捗り、お嬢の要求通りの枚数完成した。こっちは夢の中でまで考えていて、あれをもっとこんな風に出来ないか?と思っていたが、解決法が夢の中で見つかり朝起きてそのまま実行。すると完璧!この達成感は凄い。まあ、こうして出来なかったことが出来るというのが一つのやり甲斐になっている。娘はこっちはさっぱり駄目で、どうやら息子の方に近いらしいこの性格。次は何が降ってくるのか?と

スッキリした気分でいると、東京に転居したちぇちのメンバーだったY女史から電話。ながながとお喋りしたことだ。彼女の父上とこっちが同い年らしく、その方はじめ周辺には誰一人感染者がいないらしい。電車や職場に近い渋谷とかがとても混んでいて、それが怖い、という話だった。もし公演時に収まっていたら観に行きたいと言ってくれたが、、、どうなることやら。

別な友人から政府への怒りラインメールが入ってくる。もどかしい想いは多くの人が持っていることだろう。

そうこうしていると、今日は昼過ぎからわが家に居座る孫べえを仕事帰りに娘が迎えに来る。今日は七草がゆの日だと念を押されていて、勿論作っておいたらさっさとお食べ遊ばし、ついでに鍋やらお刺身をつついて「じゃ、帰る。明日学校だから。」と食い逃げ。

しかし、電気炊飯ジャーでつくるお粥は簡単で良いなあ。1合で4人分の分量が出来てしまう。七草を覚えさせようという企みはあっけなく崩れ、「三年生の時テストで出るからって覚えたけど、今全部忘れた。」と孫はのたまう。それって、おみっちゃんの言い訳に似てるじゃん!?もう子供の教育は出来ないなあ。

2021年1月 5日 (火)

脳は使うほど良い?ってホント?

元旦の初笑いの御利益もあるような無いような、、、。今日から仕事始めの母親の命令で、孫べえが父親に連れられてやってくる。早速宿題かと思いきや、ipadに夢中。先にやった方が良いよ、と声をかけても、「みっちゃんは甘いから良いの。」ときた。そりゃあまあ、責任は親ほどは感じてないが。。。昼前からおなか空いたを連発。肉うどんを多めに作ったらお代わりして、まあ遂に背がこっちと同じになった訳で、伸び盛りはこんなもんだろう。母親が帰る前には宿題をさせようとあの手この手。といっても、「ほら、お母さんがもうすぐ帰るよ。」というのが一番の薬。一番怖いらしい。自分の子育てを考えても、それほど子供達に怖がられた記憶は無い。一体娘はどうしてこうなったのか?摩訶不思議。

で、母の施設に行った娘がテレビ電話をしてくる。孫べえの顔を久しぶりに見せたかったのだ。孫効果、ってあるようだからこれからもこういうチャンスを作ろうと思っている。

で、こっちは昨日から慣れないパソコン作業で長時間頭を悩ませている。まあ、なんとかかんとか目的は果たせたが、ホントダウンロードしたアプリが全部英語だったのには参った。これを肝心な部分は辞書を引きながらの作業で、まじ大変。性格が大雑把なため、適当に読み飛ばしてやってみたら偶然出来たってなもんだ。これって、こないだの孫べえのやったことと変わらないじゃん!?孫は漢字を読み飛ばし、こっちは難解な英語を読み飛ばし、結局出来てしまう、って、これは遺伝?笑うしか無い。プププ。

さ、明日は新年歌会。こっちは流石に読み飛ばす訳にはいかない。隅から隅までしっかり読まないと。又脳みそを使う日になりそうだ。ふ~っ。

2021年1月 2日 (土)

正月二日目。

太陽が毎日遠慮がちに出たり引っ込んだり。。。雪は無いが、寒さはかなりのもの。首をすくめて暮らしている。

読書好きのTさんから借りていた「ライオンのおやつ」をゆっくりと年を越しながら読んだ。ある意味著者の理想だろうか?人間の死に際がこうあって欲しいという思いが伝わってきて、友人達の逝くときもこうだったかと読みながら思いを馳せた。この作者にファンが多いというのもなるほどと思う。だれしも必ず通る道が、安心と平和で彩られていたいのは当たり前の想いだ。この本はそういう願いを凝縮した、無さそうであるかもしれないという希望が読後に生まれる不思議な本だった。本を読んでいるのだが、ず~っと水彩画を見ているような気分にさせてくれる。

元旦は、さぬき雑煮を娘親子と4人で食べる。何故か孫べえは讃岐雑煮が大好きで、しっかりあん餅入りをお代わりする。父親は全く駄目で、実家では澄まし汁に鰤が入る形だったとか。白味噌自体が駄目な上に、あんこなんてとんでもない。しかも、青のり!ひえ~ってなもんだ。やっぱり幼少期の舌は永遠だ。そのせいで来なかった訳では無く、仕事が深夜に及び帰宅は3時だったというから爆睡状態。無理も無い。ま、元気で生きていればそれで良い。夕べはテレビ電話で水戸と娘達との3者会談。受験生二人を抱えて大変な嫁りんも加わり、一時楽しんだ。

昼間は母の施設に年始の挨拶。30分の面談も、特別室で仕切り付き。勿論熱も測り手洗いマスクの上だ。「まるで刑務所の面会室みたいねえ~」と言いながら、でもこうして合わせてもらえてラッキーだ。丁度、母は書き初めの時で、「長寿」と墨で黒々と書いている。最年長の書いた字は御利益がありそうです、と添え書き付きで写真が母の顔共々早速インスタにアップされた。

夜は夫婦ですき焼きをつつき、テレビの、「一流芸能人格付け番組」を見ては大笑いの初笑い。この番組は大好き。自信たっぷりな人ほど、失敗してしまう。そのギャップに大笑いだ。とてもよく出来た番組だと思う。「ガクト」というミュージシャン?は最初から一度も外してないと言うが、余程の集中力とセンスの持ち主なんだろう。

笑う門には福来る。ってね。

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