一つの学び。
ちぇちの練習もあと2回で今年が終わる予定だが、この感染状況で、またぞろコミセンが使用不可とかならなければ良いが。。。ソーシャルディスタンス取り過ぎの参加人数だが、それでも声はデカいのを出すもんねえ。どっかプレッシャーがかかってるなあ。こんな状況でホントに良いものが出来るのか?試行錯誤の日々だ。
今日は内科のいつものお薬をもらいに病院へ。予め電話して混み具合を聞いてから出かけたが、ま、その方が良いだろう。特にこの病院は人気があって、一時期はもの凄い人で待合があふれかえっていた。流石に今年は双方が気をつけていて、以前の様なことは無い。待合室も改装して倍になった。しかし、調剤薬局の方が混んでいて、以前娘は外で待っていたのを思い出し、そうしたいくらいだった。3ヶ月分の薬をいただいて、次はこんなに神経使わなくても良くなってるかなあ?と思いつつ帰る。
毎日毎日コロナの数字をテレビ画面で見るのが日課になっていて、見ないと落ち着かない。まずは東京だ。そして香川の数字と全国の最多県。で、こういうの見てると影響されるのかつい自分の熱をはかって鏡で喉の状態を見る。何でも無いとなるとホッとしている。実際誰が感染していてもおかしくないのだから。自分もいつかPCR検査を受ける日が来るんだろうか?と心のどっかで思っている。、、、こういうのがストレスになってる。
で、このストレス解消に孫べえの為に登録したNETFLIXでイギリスのエリザベス女王の伝記ドラマを観る。この作品はとてもよく出来ていると思うが、まずは王族のプライベートのことをこんなにも赤裸々に描けるものだと、そちらに感心してしまう。日本では考えられないことだろう。
この作品から学ぶことは意外にも多い。結局はどんな世界の人であろうと人間関係が全て。皇族といえども人間。夫婦、家族、友人間の問題は同じだ。勿論庶民とは違う悩みがあるが、庶民にも別な悩みがある。そういう前提でこの作品を見ると、如何にエリザベス女王が忍耐と共に成長した女性かが分かる。当然その伴侶たるフィリップ殿下という人も忍耐に次ぐ忍耐が、彼の結婚生活だ。救いはこの殿下の人柄であり、この結婚を全うしようとする強い意志から来る人生哲学だ。彼がある時言う。「夫婦は長く暮らしていく内に、互いに相手のことに詳しくなる。それは自分より自分のことをよく知る存在となる。」、、、これはこの人達のように互いに愛し合い、共に苦難に立ち向かっている人だからとても自然な言葉に聞こえる。ただ、生まれ変わってもこんな立場の人にはなりたくないなあ。自由がないにも程がある。
過去に、王室の事が世界中の話題になった時、女王の対応に軽々しく何かを言ったこともあったように記憶するが、このドラマを観たら、とてもそんなことは言えなくなる。一つの物事に対するとき、迷いに迷い、側近にも相談し、勿論夫婦間でも話し合い、それでも最後の結論は女王が出さなくてはならない。自分の発した言葉で物事が大きく流れを変えるのは、心地良い事よりも恐れ多く苦悩に彩られることの方が多いのだ。こうした特異な存在はイギリスの長い歴史の中で培われてきたものだ。父王の突然の死によって、思いも寄らないポジションに立たされたうら若き女性の「ねばならない」という重圧が、どれほどのものだったか。想像にあまりある。
時折ニュースなどで見る、あの女王ご夫妻の不思議な関係性が、今、ようやく私の胃の腑に落ちた。ネットニュースには、99歳のフィリップ殿下と94歳の女王が並んで写真に収まっていた。
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