« 2020年9月 | トップページ | 2020年11月 »

2020年10月

2020年10月29日 (木)

心が寒い。

ようやく自分の城完成。が、これからが大変だ。広くない部屋を如何に居心地良く過ごせるようにするかという難題に取り組まなくてはならない。そしてわが城と言いつつ、この部屋は無菌状態にしてあり、アレルギー親子が泊まれるように全てを整えている。将来に備えてという思いもある。ま、何が起きるか分からない未来の為だ。しかしこの手の片付けは殊の外疲れる。断捨離もやりつつだから、選別から始めなくては。あんまり寒くなくて作業が捗るが、とにかく急がないようで急ぐ。カーテンを付け、ベッドを入れて、エアコンや照明の試運転をして、机をセットすると部屋らしくなった。傑作だったのは、よく考えないで購入したシーリングライトが、まるでラブホにありそうな、各色が次々と変わって行くタイプのもので、面白くてあれこれ遊んでみる。意外と緑やブルーの照明が落ち着く。多分あまり使うことはないだろうが、、、、。

娘と二人で母を訪ねると元気で居てくれてホントに嬉しい。しばらく話していると担当の若いお姉さんがおしゃべりにやって来る。お子さんが吹奏楽をやってるので、音楽の話なんかで会話が弾む。そこにマッサージの方が来てくれて、施術を始めたのを潮に引き揚げたが、30分の面会時間は過ぎたかも知れない。他の施設では一切面会できないところも多いと聞くが、ここは家族との面会は重視してくれている。ホント、別の病気になられては元も子もない。

テレビでは国会の寒々しい論戦とも呼べない論戦がスタートしたと報じている。大統領選を前に分裂した国民がおのおの銃を準備して暴動に備えているというこれまた寒々しいアメリカのニュース。フランスがまたしても2週間で44万人の感染者を出し、ロックダウンだという、またまた寒過ぎるニュースが流れる。

地球が凍りそうだ。

 

2020年10月26日 (月)

祈り。

かねてから無宗教を自分のモットーとしてきたが、それでも対象のない祈りは存在すると思っている。それは人間がなにかしら大いなるものの下に謙虚であろうとする現れだと思う。

そして今日はその祈りがなんとか届いて欲しいと切に願っている。

友人であり、ちぇちのメンバーでもあるOさんが、心筋梗塞の為、現在集中治療室に居ると知らされたためだ。敬虔な信者ならこういうとき自信を持って祈ることが出来るのかも知れないが、あいにく自分にはそういう対象がない。それでも何かに祈らずには居られない。倒れて3日経っていると言うことは、本人が頑張っているのだろうと思う。どうか復活して欲しい。なんとしても復活して欲しい理由が幾つもある。彼の優しい笑顔が目に焼き付いている。又あの笑顔が見られますように。。。。

 

2020年10月22日 (木)

モラルとお買い物。、

「凍て道をバランスとりつつ歩むごとモラル乱るる世を行く吾は」F・S

この短歌の意味するように、ホントに嫌なことがありすぎる。教師がセクハラで裁判になったり、それに類した事件が後を絶たない。仮にも教師だ。こないだのNHKの特集には、父親のセクハラを顔を出して訴えた女性がいたが、逃げようが無い家庭の中でそんなことが起きているのだ。いやしくも父親だ。

勿論この歌はもっと多岐にわたることを意味しているとは思うが、大きな事から小さなことまで一体どうして?と思うことが多い。そんな世の中で足下をしっかり地に着けて滑らないように自分を律していくことが大切だろう。物事を自分の目で心でしっかりと捉えて行かなくてはと思う。

 

わが家のリフォームは着々と進み、熱心な大工さんたちの手で見違えるようになってきた。たった一部屋だが、多くの人が関わるものだ。医師と同じで、完全な分業システム。それぞれ餅は餅屋。専門があるということだ。

予定時間通りに終了して解散するのを見送って、急ぎ夫の為に夕食を整え、迎えに来た娘の車でエアコンの物色に出かける。2軒目で出会いがあり即決。閉店間際に飛び込みだったが、丁寧に対応してもらえて、丁度タイミングは良くて色々プレゼントをゲット。上機嫌で帰宅したものだ。担当者は若いが気持ちの良い人だった。過度なサービスも無く、自然体で良かった。誠実さが感じられた。

実は最初はネットで購入を考えていて、実物を目で確認出来れば良かったのだが、矢張り人間同士の会話の方が勝るな~。多少の価格の差は生じても、信頼とか、刹那的ではあっても心の交流のようなものが生まれる。結局買い物とは、その品物だけでなく、人から人へと何かしらの目に見えないものが移されていくものだ。ネットで購入というのは全くそれが無いわけで、とても無機質。だからそればっかりじゃやってられないのが、人間てものだと思うがどうだろう?

人を幸せにするのは、「無駄」に見えるものだ。と思った夜のお出かけだった。

2020年10月21日 (水)

字を書く。

今日は大工さん達が懸命に作業している音を聴きながら下で何かと棚上げしていたやるべき事をやることに。ユーパックを二つ持って行けないので取りに来て貰うのもその一つ。

一つは息子の家族宛に約1ヶ月かかって色々ため込んだものを箱詰め。手紙も色々書いて同梱。さあ喜んで貰えるかどうか。嫁りんに手紙を書くのも久しぶりだ。あちらからは暫く前に「お母様へ」という長文が届いている。丁寧に子供たち家族の日常がかかれてあり、こちらに気遣いもしてくれて出来た嫁だ。ということはそのお返しなので~、しっかり書かなくてはと意気込んだが、途中でやっぱり手が震えてかけなくなる。前回の荷物には長女に作った短歌を一首付けたので今度は長男にと頑張ったが、素早くやらないと手の震えが収まらない。なんとか筆で書いて送ってから文法間違いではないか?と気になり始めた。文法にお強い方にお聞きして送り直しかも~。

もう一つの荷物は婿殿のおばあちゃんにあたる人の短歌の歌集の感想にこちらの機関誌と本を同梱したのだが、これまた文章が困ったちゃんだ。以前いただいた短歌付きのお便りも達筆で、お返事がしんどかったのを思い出す。ええい、ままよと書いては見たが、情けない筆致。この手の震えはとことん調べて貰ったが原因が分からないまま。分からない病気って沢山在るんだよね。仕方なく、そのいきさつを言い訳に乱筆のまま。

この方の短歌がすこぶる良い。自分は詠めなくとも人の歌の善し悪しはある程度まで分かるようにはなってきている。この方のは本当に素晴らしい。表現力に若さがあり、94歳とは思えない。しかし、加齢の寂しさは十分盛り込んである。こんな風な薫り高い歌が詠めるようになりたいものだが、、、。ま、まだこの方まで20年あるか。な~んてね。もっと早くから親交を深めておくべきだった。現在は施設におられ、家族とも面回できない状況らしい。きっとお寂しいだろうな~。

で、これだけで疲れた上に、木くずの掃除が又大変。夫は二階で寝るから、ちゃんとしておかなくては家中がゴミだらけになる。こっちは母のために用意してあった一階ののベッドに寝ているが、、、。

今回依頼したのは昔から何かとお世話になっている人ばかり。しかし、皆さん随分お歳を召され、二階の上がり降りが大変そう。その中の一人が言う。こんなに仕事がなくなって、もう辞めるほかないかとも思うんです。。。。だろうねえ。たまにあっても、うちみたいなちょい仕事で、大した収入にもならないだろう。色んな人が大変な世の中だ。

しかし、大工さんたちの仕事ぶりを下で聞いていると、本当に仕事が好きなんだな~と思う。休憩以外はホントに黙々とやってくれている。時々は真剣な伝達会話も聞こえるが、あとはのこぎりやなんかの音ばかりだ。

さあ、いつまでかかるんだろう?

2020年10月19日 (月)

登山日より?

依然と同じような多忙さが戻ってきているが、ここにグチグチと書いた長文が何かのタッチミスであっという間に消えて意気消沈。復旧できるかどうかあれこれやっている内に時間が経ち断念の憂き目。書く元気もなくなるわいな~。自分のせいだが、、、。

昨日は三婆を寒くなる前に連れ出そうとなり、スケジュールを合わせ娘と一緒にランチ。まずは下の妹が分からず、「あれだ~れ?」という母のお言葉から始まり、車の中に乗り込んでいた叔母二人がお喋りのすえ、「まあ、姉さん、乗っていたの?」という摩訶不思議な会話が続き先が危ぶまれたが、まあ半年以上会って無ければお互い風貌も変わっていて無理もないかとも思いつつ、、、。ではあった。

約2時間の会食はなんとかなんとか楽しく進行し、お二人は娘がお送りし、こっちは母を予約していた病院へと運ぶことに。100歳、98歳、90歳というトリオ。これが最後かも知れないと思いながらのことではあった。みんな自分で食べて、用心して車椅子だった母以外は自力で歩ける。素晴らしい姉妹だ。昔の金さん銀さんが随分もてはやされたのはそう昔のお話では無いと思うが、隔世の感があるなあ。なんせ100歳以上が8万人とか。凄い時代になったもんだ。

 

で、本日は孫べえの運動の為という名目のドライブ。女体山をず~っと車で上がったが、最後のところは歩いて展望台まで行かなくてはならない。さあ行けるか?と思いながらゆっくりと坂道を上って行く。昔の印象より随分細い山道だ。なんとか頂上に着いて、中学生の頃そこで写真をとった岩場の先端に行こうとして娘に強く止められた。かなり抵抗したがどうしても駄目と言い張られ、すごすごと引き返す。特別高所恐怖症の娘は自分も行かない。一人だったら行ってたのにと悔しい思いで降り始めたらちょいと高さを踏み誤って片膝を岩にぶつけてしまう。なんてこと!たかがこんな道!てな思いでショックを受けつつそこからからはスムーズに降りた。娘はそれ見たことか!と言わんばかり。ぐやじ~。

しかし、お目当ての猿には出くわさなかったが、イノシシ親子とウサギに遭遇。動物園よりずっと良いよねえ、と言いながらのドライブ。次回は植物図鑑を持ってこようと話して下山する。車中で即席の物語を作っては笑ったりなかなか楽しい半日だった。途中で道の駅にも立ち寄り色々珍しいものやびっくりする安い植木なんかを購入。

しかし、驚くことがあった。車の中でお弁当を食べようとしているとき、男女3人の登山姿の一行を見かける。女性がどうも知人に似ている。しかし、帽子を深々とかぶっているし、タオルを首に巻いたりして顔は殆ど見えてないからこっちの思い違いだろうと声もかけずに済ました。帰宅してからどうも気になってメールしてみると、ハイ、今日上りましたとの返事。わ~お。びっくり~。こんな偶然あるんだ~。ご主人の方が、娘の黄色い車に見覚えがあったとのことで、あれがそうだったんですか!となる。いやはやいやは、面白いことがあるもんだ。

心配した足腰の痛みも今は無い。明日のことは分からないが、、、。

2020年10月15日 (木)

秋だな~。

先ほどまで猛烈に眠かったが、ここで寝ては夜がやばいと必死でガマン。それというのも今日もとってもお疲れなのだ。

朝は個人レッスン。その後一人でお昼を済ませてこないだからやっている二階のリフォームの下準備。夥しい夫の収蔵品の一つ昔の雑誌類をひとまず片付ける。これが重いのなんの!それを入れていた棚の底がたわんでしまい、したに置いてあるオーディオにいつ落ちてくるかと気がかりだった。この際、それも直して貰うため、とにかく一端別の部屋に全てを移動する。で、今日はこの作業を仕事帰りの婿殿に依頼。奥の方に手が届かないのもあり、ひとかたまりが重いのなんの!再び圧迫骨折の診断を受けたくないので、ここは素直にお願いした。いや~助かった。かけてくれる言葉が優しい。「あと、やっときますよ!」休んでいてくれても、、、というニュアンス。

その上、キッチンの時計が一個狂っていると見つけてくれる。ま、こんなもんでしょ。老人夫婦の場合、気付かないことが多い。

「いつでも言ってください。すぐ来ますから。」との言葉を残して颯爽と帰って行く彼に思わずふかぶ~かと頭を下げる。これからはマジでちょこちょこお世話になるに違いないのだ。

で、お礼代わりに今日は思い切り大量のおでんを作った。お嬢のリクエストだったが、みんな大好き。しかし、あまりに大量だったため、なんか途中で気分が悪くなってきた。酔ったみたい、と言って笑われたが、ホント。いろいろと怪しくなってきたな~。

 

で、前回は使い方がイマイチ分からないまま購入してまんまとお嬢に取られたアレクサを再び購入したのが到着。それをセッテイングして、ただいまボサノバなんぞを聴いているが、まあ世の中便利になったもんだ。そのうち、SF映画にあるように、空中で色々書いたりなんか出来る時代が来るかも。バーチャルなんとかの世界。一体どこまで進歩するんんだろう?この機械、だじゃれを言ったり、会話をしたり、そのうち進化し続けるらしい。使えば使うほどってことだ。

こんなに技術が進歩してるんだ。コロナなんかちょちょいのちょいとやっつけてもらえないのかしら?ね~。

 

2020年10月12日 (月)

本日もお疲れ~。

コロナ騒動と体調不良でしばらくは大人しくしていたが、このところの多忙さは以前と同じようになってきている。朝の家事を済ませて友人とデイト。ランチの後は印刷やさんに楽譜を小冊子化して貰うため持ち込む。この印刷やさんは同窓生がやっていて、ご子息は音楽家でもある。来年のちぇちの公演では楽団に入ってもらうことになっている。用事はすぐに終わり、とっとと帰宅。続いて母の施設訪問。しばらく居て、娘とリモートしたりしてしばらくお喋り。ま、一応元気で有り難い。

予定時間を少々オーバーして賑やかに職員の方達と声をかけあって帰宅。次は夕飯の準備だ。この辺から大分息が切れてきた。今夜はちぇち練だが、夫がなかなか帰宅しないので、味噌汁他は全て下ごしらえのまま。全部整ったので、テレビの前に横になるとあっという間に爆睡。画面の記憶というものが一切無い。確か、推理ものドラマをやっていたと思うが。。。

やがて6時も過ぎて夫がご帰還。急いで一緒にご飯を食べ、30分後には義妹を迎えに。久しぶりに道中喋りながら練習会場に着く。参加人数は少ないが、やる気のある人ばかりで二時間足らずの練習を終える。ドニちゃん。なかなかに難しい。

 

帰ってきたものの、とにかく疲れている。夫が誰かから貰ってきたというお風呂の薬用バスクリンでも入れてゆっくりお風呂としよう。

ふ~っ。

コンサート。町歩き。

今日はマンドリンとチェンバロの演奏会だった。二人ともお付き合いのある方で、激励を兼ねて行ってきた。彼らもことごとく演奏会が中止になり、相当ダメージを受けている訳だ。今日も客席をまばらにセットして、予約のみの入場者だった。しかし、開催出来たことは喜ばしい。こうした地道ながらも前に向いて進むほかないのだ。

どちらも心地良い音色で食後のくつろぎきった身体には良すぎる音楽。ついウトっとしてしまったが、、、、。チェンバロの方はホントにお久しぶりだったが、本来はもっと凄い曲をこなす人が今日は伴奏に回り、それでも悠久の世界観で癒してくれた。マンドリン奏者は45年も弾いてきていると言い、そういえば彼との付き合いも長くなったと感慨深い。

 

今日はお嬢に送迎を頼み、帰りも待ち合わせて一緒に帰る。待ち合わせの場所に行くまでにちゃっかり食パンをゲットしていて呆れられる。久しぶりの街ブラ?がちょいと楽しかったのだ。でも実を言うと思った以上の人出で驚いた。案外若い人がマスクを付けてないとお嬢が怒る。自分は大丈夫でも人にうつすかも知れないってことだが、実際みんなどう思ってのことなんだろう?訊いてみたかった。

このお出かけで5千歩歩いたと王冠マークがスマホに入り、おお久しぶり~と言いつつ、最近の運動不足をなんとかせねばと反省しきり。たったこれだけのお出かけにもうヘトヘト。足が動かない。が、更年期のせいだと言うが、お嬢の方が疲れ方が酷い。どっちも年取ったと言うことだ。

 

で、一日一つと決めていたマイイベントが昨日は三つも重なり、それこそ疲れ切った。朝はアートフラワーの講習会。午後にひ孫を連れてやってきた友人と子守兼井戸端会議。その後あるヤンゴナキお方を迎えに行き、一緒に「北斎」に。土曜日とあって、夕方入ってもかなりの人。しかも半端ない数が展示されていて、足が棒になった。まあしかし、楽しめたことは楽しめた。

まずは北斎というお方は当時は珍しかったと思うが、90歳まで生きたようだ。そして年齢を重ねるごとにその筆致が若返り、力強く大胆な構図になって行くという面白さ。自分を限定せず、さまざまな事に取り組み、師と呼べる人も大勢いたようだ。絶えず研究し、実験し、面白いと思えることには貪欲だったのがうかがえた。

面白かったのは、彼の作品にヒントを得たというフランス人画家がエッフェル塔をテーマに東海道五十三次みたいなものを描いたこと。これはこれで面白かったが、北斎のそれとは決定的に違うと思ったのが、精神性という点だ。北斎は富士山を描きつつも、当時の日本人が如何に富士山を愛していたか、それが一種の信仰に近いものだという点を描ききっている。そこんところがフランス人には抜け落ちている。北斎の絵は人々の注意が殆どの絵において富士山に向けられている。だからしっかり人々の後ろ姿を描いているのもあり、富士山を指さして共感を求めるような仕草のもある。これは日本人独特のものかも知れない。この絵を見て日本人なら何の違和感も無いが、海外の人には別の感想があったかも知れない。

あまりに疲れて、絵の前で椅子に座っていたら、素敵な女性を見かけた。まずは真っ赤な靴に目が行く。そして優雅なワンピースの上にロングカーデに黒いお帽子という出で立ちはモガを思い出させる。おお、こんなファッションを大胆に着こなす女性、良いなあ~。と思ってみたり。美術館は色々楽しい。

でディナーのあとそのやんごとなきお方をご自宅までお送りして帰ったら9時を過ぎていて、夫が「お疲れ~お休み~」となる。

いやはやいやはや。思い出してもチカレタ日~~。

2020年10月10日 (土)

きれい好きも程がある、、、の巻き。

別に今更芸を増やすつもりは無いが、もともと花を活けることが好きだったため、ついついチラシに乗っかって、「フラワーアート教室」なるものに参加した。1時間足らずの講座だったが、なかなか楽しかった。早速今後も参加の意思表示をして完成した花を持って意気揚々と引き揚げた。たまたまその場所が和菓子のお店であったため、ちゃんと娘からお土産のリクエスト。栗、梨、無花果、フルーツミックス入りの大福を各1個ゲットして帰宅。

そこにやってきた友人がちびちゃんを連れてきて、一緒にお昼を食べようと手打ちそばを持参。俄に賑やかな食卓となる。やがてやってきたうちの孫べえと子供は早速遊び始める。仕事があると出かけた夫が居なくなり、暇な我々ばあさん二人は井戸蓋会議。そこで出た話題が、「近頃の若者はどうしてこうも神経質なのか?」ってこと。35歳の孫は将来一緒に住もうと言ってくれるが、とてもじゃないが無理。イカを触った手で冷蔵庫を開けたと言って何年も前のことを言うし、旦那が帰宅したら必ず玄関で靴下を脱ぎ、まずお風呂に入らないと二階には上げないらしい。こっちで一緒に食べたおかずを美味しいと言うので持たせようとすると絶対要らないと言い張るそうな。このコロナ騒動よりずっと以前からのことで、現在それに拍車がかかっているらしい。「人間、そんなことで死にゃあせん!」が最近の友人の口癖らしい。だもんで、とても一緒には住めないということだ。その通り。

わが家だって、似たようなもんだ。こうも価値観が違った原因は一体なんだろう?時代か?教育か?はたまた、、、?

 

全く住みにくいな~~。

2020年10月 9日 (金)

記憶のお話。

いつからか、自分の記憶に自信がなくなっていて、突然思い出せと言われるとパニクってますます思い出せなくなる。本日の案件は今年初めまで使っていたデスクトップタイプのパソコンをどう処分したのかってことだった。その中にはお嬢の大切なものが沢山保存してあったはずで、いきなりあれは?と言われ気が動転。「記憶にございません」と逃げるわけにも行かず、突然記憶を辿ることに。あんなに大きなものがそうそうなくなるわけはなく、倉庫代わりになっているわが家の奥の二階にでも入れたか?と探し回るも見当たらない。しかし、処分したという明確な記憶も無い。で、急ぎそのパソコンのデーターが今のパソコンのどこかに在るのではないかとわが家の専属専門家に電話。たまたま近くに住んでいて、たまたま手が空いていたT氏がすっ飛んで来てくれた。しかし、彼もこのご時世。めちゃくちゃ仕事が増えているらしく、わが家の作業の全てを思い出すところまで行かない。色々やっていたが、矢張り以前のパソコンを探すしかないか、というところまで来た来たその時。まるでインドの魔術師の壺から煙が湧くようにぼわ~っと、我が記憶が蘇った。といっても本体の行方では無く、データーのバックアップをとっていたという記憶が出てきた。それはデスクのすぐ側にあり、祈るような気持ちでさし込むと、「在ります!」というT氏の嬉しいお言葉。やったあ~!てなもんだ。

もし、無かったらどうしてくれよう?という形相だったお嬢の溜飲が降りたのは間違いないが、こっちも心底ホッとした。

しかし、いまだ旧パソコンの行方は分からない。ま、いっか。これでホントに処分しても良いことが分かったんだからよしとして綺麗さっぱり忘れよう。、、、、これぞストレス解消法。なり。

 

2020年10月 7日 (水)

秋が深まる。

今日は朝から遠方まで出張のお仕事。お昼のお弁当を購入してご夫妻と一緒に食べたが、もう一品のおかずが政治のお話とはこれ如何に。

奥方が言う。「ずっと前にね、海外のテレビニュースに国連の緒方貞子さんが出てたのよ。なんでも当時の日本国から厚生大臣のポストにという話があり、その返事がふるっていたのよ。私は、嘘が嫌いだし、しらばっくれるのも出来ませんから、大臣には向かないと思います。ってそう言ったのよね彼女。もう拍手喝采の気分だったわよ。」

なるほど。それは素敵な話だと食卓の話が盛り上がる。今の日本の政治は一体どうしたの?ってことだ。「国民に丁寧に説明し、、、」何度聞いたことか。そう言えば説明が済んだことになってしまう今の政界は全くおかしい。「説明」の意味を彼らは知っているのか?

権力とはおそろしいものだ。一度手にするとその手が何倍にも膨れ上がり何でも出来ると勘違いしてしまうもののようだ。何でもかんでもねじ伏せてしまうという点では、トランプさんも同様だ。さて、コロナもねじ伏せてしまえるものかどうか?ホワイトハウスには大勢の人が働いてているはずだ。まったく無神経としか思えないが。。。

 

先日まんのう町まで栗拾いに行く。見晴らしの良い田園風景。曼珠沙華が一面に咲き誇っている。孫べえと友人Kとその孫ちゃんの4人で大きな栗の実を沢山拾ってきた。早速電気圧力鍋で調理。季節のものは矢張り美味しい。秋の味覚の代表だけある。招待してくれた知人T氏に聞くと、近頃イノシシなどが山中から里に下りてくるようになったのは、人間が次々と美味しいのを品種改良を重ねて作るから、一度味を占めると元には戻らなくなるということも在るようだった。なるほどねえ。しかし、共存はなかなか大変だなあ。いつも用心しつつ暮らしているそうな。そんなことも知らず、手入れの行き届いた丘で栗拾いに興じ、「こんなところで住めたら良いですねえ。」と単純馬鹿の発言。おお恥ずかしい。色々苦労があるってことだ。

それにしてもわが孫達は虫が嫌い。オニヤンマが蜘蛛の巣にいるだけでもぎょっとしている。久しぶりにキリギリスを見て逆に嬉しくて興奮している我々とは大違いだ。やれやれ。

 

2020年10月 5日 (月)

今日はお疲れ~。

昨日の歌会のこと、百恵ちゃんの最後のリサイタルのこと、本日の栗拾いのこと、諸々書いたものが、ちょっと「ANNE]を見ている間に消えてしまった!あまりにがっかりして、本日は終了。

なんだかねえ~~。

2020年10月 2日 (金)

危機管理、、、。ふ。

近頃流行の危機管理って言葉。いろんなことに使われる。今日の一番はなんと言ってもアメリカ大統領のコロナ感染がトップニュースだった。「危機管理のてんがどうも、、、。」とコメンテーターの歯切れも悪い。

しか~し。わが家で勃発した事件の方が、自分にとっての一大ニュース。

それは何かと聞かれたら。

時代について行けてない、年寄り二人のミステーク。

あ~こりゃこりゃ!

てなもんだ。

 

今日配達予定のコープ自然派のお惣菜セットがあまりに来ないので、変だな?と表に出てみる。玄関横には前回中身を出して空っぽになった保存容器を出してあり、風で飛ばないように蓋の上には重し代わりのブロックをのせてある。それは前回中身を取り出したその状態のママずっとそこにある。と夫婦二人とも思っていたため、毎日スルーしていた。ところが、なんとなくいや~な予感がしてその蓋を開けてみると、にゃにゃんと!ちゃんと中身が入っている。しか~し。保冷剤はすっかり暖まり、商品はなんとも言えない腐敗臭が漂っている。

てことで、即サービスセンターに電話。すると、ニャンとその中身は先週からそこにあったと判明。そりゃあ腐る。当然だ。でも、何故こうなったのか?一番は自分が注文したことを忘れていた点だろう。覚えていたら、まだ来ないことを電話して分かっただろう。実を言うとこのコープのシステムになかなか慣れない。配達日が二日設定されていて、その上、元々のコープも取っているからややこしいのではある。

しかし、生ものを配達するときに、余程注意して貰わないとやっぱりそれは困るでしょう?どうしてそうなったのか?二カ所あるチャイムの電池が一つ切れていたらしい。で、そのまま外に置いて帰ったらしいのだ。車が外にあり、玄関が開けば、声をかけるというのが普通では無いのか?近頃それをしないでとっとと帰ってしまう宅配業者もいる。不在票を入れてあることがしばしば。きっとコロナ対策だろうとは思うが、なんか無駄なことが起きていると思っては居た。

だから、おそらく返答が無いと判断して外に置いたのだろうが、それならそれで、来ましたよと一目で分かるように痕跡を残して置くべきでは無いのかしら?空の容器を置いていた状態のまま新しいのを置いてもそれが新しくなったかどうか分かるはずも無い。新しいカバーを掛けておくとか、チラシ一枚でも良い。この日中の夏日の気温で、あっという間に腐敗したのは想像が付く。その腐敗臭に老夫婦は気付かないってえのも悔しい。約5,000円分の食材がパーになってとっても機嫌が悪いおみっちゃん。早速娘に電話して、当分おごるのは無しよと宣言する。うへ~、私には関係ないじゃん!?とわめいたが無視。

まあしかし、大小様々な危機管理が必要な世の中ではある。やれやれ。

« 2020年9月 | トップページ | 2020年11月 »