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2020年8月

2020年8月31日 (月)

やれやれ。

やたら疲れる体質になってしまって、今日も大した動きをしてないと思うが、夕食後暑くて眠くて仕方が無い。階下に母用に下ろしてきている簡易ベッドに倒れ込む。ここは29度のクーラーでも寒いと思うくらい良く冷える。しかしまだ7時前。寝るには惜しいと、ipadで映画を探す。すると好きな俳優が主役のウオーターゲート事件を扱ったものがあり、見始めたは良いが、案の定途中から意識不明。30分後に又戻して見直すことになったが、まあ今の政権とオーバーラップしてなかなか見応えがあった。何処の国も権力を握る者は、それがどう見ても悪だと分かりながらどんどん私利私欲にと回りを巻き込んで走ってしまうものらしい。しかし、この事件を見ても分かるように、必ず告発者が身を犠牲にしても正して行くものだ。残念ながら日本にはこの時のディープスロートに代わる者は出ないようだが、、、。この映画を観て驚いたことはもう一つある。当時のニクソン大統領もアメリカファースト!を叫んでいたことだ。歴史は繰り返されるな~。

日本のトップが辞めるというので政界が俄にやかましくなってきているが、正直誰がなっても同じ穴の人たち。個人的には興味の外。それよりも、散々問題視されてきたあれやこれやが全部棚上げ状態のまま幕引きになる事の方が気分が悪い。こうやって喉元過ぎたものは全部忘れ去られるのだろうか。

総理が大変な過酷なポストだということは我々国民だって常に批判の裏側で思っていることだ。私自身、人間としてよくぞ耐えられるものだと感心しきりではあった。このたびの体調不良での退陣はさもありなんと思わなくもない。が、それはそれ。そんなことは百も承知で、そのポストを選択しているのだから、しかも一度ならず二度までも!余程の覚悟と信念の上でのことだったろう。が、歴史に残る長期政権のもたらしたものは一体なんだったのかを考える時、なんとも言えない虚無感を覚える。国会答弁をテレビで観るとき、席についたままニヤリと不適な笑いを浮かべるあのお方の顔を見るのが嫌で長く観るのを止めてしまった。例の森友の時は、私の妻発言でまくし立てたのも傲慢な態度としか見えなかった。実際その後のお役所の動きはそのお言葉を裏書きすべく一気に動いたというし、そのせいで自殺者まで出した。その方の奥さんの、「一言、捜査のやり直しを総理の口から命じてもらえれば、すぐに解決することだと思います。」という涙ながらの訴えが耳に届いているんだろうか?人間としての誠意を捨てるなら、人間としての同情を求めることは出来ないのでは?あ、求めてないか?そんなやわな人間は政治家にはなれないのかもね~。やれやれ。

レクイエム。

寝ようと思ってチャンネルをいじったのが間違いだった。画面いっぱいに映ったのが、リッカルド・ムーティ。最初は実は分からなかったが、特徴のある顔の輪郭とヘアースタイルで間違いないと分かる。ず~と前に大阪で生の演奏を聴き、その折り目正しい厳格なまでの指揮ぶりが印象に残ったあの人だ。たまたま出演者を訪ねてホテルに行きロビーで椅子に腰掛けていると目の前を背筋をシャンと伸ばして、まるでまだ今から指揮をするかのような雰囲気を漂わせて彼が通った。こちらも思わず立ち上がり敬礼ではないが、会釈をすると威厳を保ったまま会釈を返してくれた。あの印象的な出会いからあまりに時間が経っていて、髪は白くなり、表情も以前のような張りは皺の陰に隠れてしまったが、醸しだす雰囲気は昔のまんま。いかにもこの曲にふさわしい!「ヴェルディのレクイエム」よく映画にも使われるドラマチックな曲。オペラの指揮が多い彼ならではのダイナミックな演奏だった。

にしても、こういう演奏会が身近に聴ける日はいつやってくるだろうか?、、、そう思えば、過去の沢山の時間がどれほど贅沢な価値のあるものだったかが分かる。

実は夕べはあまりに疲れすぎていたのか全く眠れず、今日は挽回する予定だったのだが、、、やっぱり丑三つ時になってしまった。眠くないのが困る。さあ、今夜は眠れるかな?

2020年8月29日 (土)

チト頑張りすぎたか?

あまりの暑さに、今日は夫に誘われるままプールに行くことにした。というのも同じように暑さを持て余している孫べえが、一緒に行きたいと行ってきた為である。母親は家でやることがあるとかで、じじばばがお守りを言いつかった訳だ。そのため、非常に珍しい組み合わせで、我々夫婦と孫べえ三人で塩江まで出かけた。

これまでこうした形で子供を預けることは一度も無かった娘だが、子供の成長を認めた格好だ。孫べえは大喜びで良く泳ぎよく遊んだ。おかげでこっちはヘロヘロ。まあ、痛かった膝が少し楽になったからよしとしよう。矢張りプールは良い運動にはなるなあ。

入場者はそれほど多くなく、下手っぴーな泳ぎでも自由に泳げた。ただいま帰りに購入したビールで頭がもうろうとしてきたが、丁度良い疲れ具合。これからもちょくちょく行くべえか。整形の先生も推奨してくれたしねえ。

母親からの電話で、楽しかったと上機嫌だった孫べえの話しを聞いたが、ま、何より。こうして近くで子供の成長を拝まして頂くのは本当に有り難い事だ。にしても、小学4年生とは到底思えないでかい孫べえ。心も体もどんどん変化していくんだろうなあ~。

今日は早寝すべし。

2020年8月27日 (木)

何ヶ月ぶりかの観劇。

香川市民劇場にようやく行けた。が、のんびり夕食の準備などしていて危うく忘れるところだった。大慌てでホールに着くと、これまでの小ホールと違って、受付回りもゆったりとしていて良い感じ。勿論座席は1席置きで、そのため今日のお席はかなり後部だった。傑作だったのはクーラーの中に一日居て、車内もクーラーだったせいか、検温すると、36度に届かない。あちゃちゃ~、と笑いながらの入場。

ところが公演が始まるととても寒い。出かけるのに慌てていたので一枚余分に持って出るというのをやってない。どうやら同じように感じる人が大勢居て、二部になってからは調整されていた。結局客席が密でない為に冷房も良く効き過ぎるということかも。、、、こうして色々と勉強になる。こういう対策は他人ごとでは無いのだ。

お話は内容が濃くて、ハンカチならぬマスクがぐちゃぐちゃになってしまった。東北大震災の被害に遭った家族を描いていて、どのエピソードも涙無くしては見られないのだ。役者たちも、生の涙を流しながら演じているのが分かる。所々ユーモアも交えてはいるが、なんといってもこの記憶は観客にとってもそれほど古くは無いから、大いに共感できるし考えさせられる。

大ホールのため、美術には工夫が凝らされ、映像も使ってはいたが、如何せん声は生声となり、かなり高齢のおばあさん役の方の声は聞き取りにくかった。それ以外の人たちはセリフを丁寧にくっきりと伝えて非常に良く分かった。こんな大きなホールでやること自体あまり無かったと思うが、今後は劇団としても対策を打つしか無いだろう。

700人以上いた会員がこのコロナ禍のせいで100人も減ったという。それでもこれだけ沢山の人が熱心に観劇する姿を見て、そのこと自体で胸が熱くなった。劇団の最後の舞台挨拶で深々と頭を下げる団員に大きな拍手が送られて、「ああ、これだ!」と感動した。舞台と客席のコミュニケーションの響き合い。こんな時代にもの凄く貴重なものとなったのだ。

 

今日はニュースで大坂なおみ選手がアメリカの人種差別に抗議して試合をボイコットしたというのが流れた。これは素晴らしい。日本人の名前でこうした行為をやってくれることが誇らしい。

にしても、この問題は根が深い。いい加減終わりにして欲しいけどねえ。偏見かも知れないが、トランプになってからアメリカ人の良心がゆがんできたような気がする。折角築き上げた「善」の思想までもが踏みつけられているような気が、、、。ある意味人間の弱さとも言える、「差別思想」は放置すると勝手に膨れ上がる。だから絶えずチェックし続ける必要がある。

今日のお芝居でも、「放射能を浴びた人には近寄るな、うつる!」という差別を受ける人の話しが出ていた。差別は身近にある。

2020年8月25日 (火)

夜の練習。ま、いっか。

夜のお出かけ自体が苦手になってきてはいるものの、さりとてこの暑さ。昼間は嫌だしね~。。。てことで、夕べは義妹と練習会場へ。道中ブチブチと、「来年ホントに出来るのかしらねえ~?どうなるか分からないのに練習っていうのも、モチベーションが上がらないわね~。。。」と話しながらのお出かけだった。

着いてからも、みんなにそう話して、「ま、発声練習は肺を鍛えることだと思って頑張りましょう!」と声をかけて笑いを取ってから始める。

実際先のことなんか誰も分からない。が、今のところ楽団の人たちも参加してくれることになっているし、会場も予約できている。こっちは台本の構想を始めたところだ。勿論楽譜は揃ったし、前に向いていると言えるだろう。ここは、腹を据えて、とにかくやるという方向で行くしか無いのだ。様々な対策は取りつつ、、、、。

 

今日は娘に誘われて夢タウン。というのも間もなくお嬢の誕生日でプレゼント目当て。最初から車椅子を勧められるが、今日は絶対歩くと決めて、プールの代わり。かなり歩いたな~。段々腰が痛くなってきた頃に孫べえの帰宅時間となり、慌てて帰路につく。

しかし、どのお店を観ても欲しいものが無い。物欲というものが薄れてきている。マスクのせいかもしれないが、結局自分の為にはなにも買わずだった。その点、やっぱり若い娘はアチコチ元気に見て回るな~。まあランチを食べたイタリアンが思いがけず美味しかったのが救いだったか。

2020年8月23日 (日)

オンライン鑑賞。

香川県出身のソプラノ歌手小濱妙美女史の初めてのオンラインリサイタルを拝見した。有料の視聴は初めてだったが、一長一短というべきか。高音がなんといっても上手く処理できてないし、いわゆる臨場感は勿論無い。しかし、映像ならではの、間近で表情を観ながら聴けるのは一興ではあった。舞台だと、細かい表情までは見えないからだが、ズームしたときドキッとしたり、角度によっては非常に神秘的に映ってこれはこれで楽しめた。相変わらず各国語を駆使しての長時間演奏は凄いというしか無い。日本歌曲も少しあり、日本語を綺麗に発音できる人だと改めて思った。寂聴さんの詩に曲を付けたものは内容もさることながら祈りの心が含まれていて、表情共々感動した。、

祈りといえば、蝶々夫人の「ある晴れた日」から始まった第二部の方は「カッチーニのアヴェ・マリア」「パーチェ」「トスカ」「献呈」などは全て神への祈りが含まれていて、聴きながら敬虔な気持ちになったし知らないうちに涙が流れていた。この時代に歌手としてなすべき仕事をちゃんとやった、という感じだ。

そして古希を過ぎて尚、歌い上げるフレーズの力強くて長いことに驚かされる。例によってピアニストがいつ指を下ろそうかと待ちに待っている様子が面白かった。立派な体格もそのままで、見終わって自分が元気になっているのに気付いた。

同じ画面に「猫」を扱った動画が出ていてつい見てしまった。田んぼにねずみ取りにかかった猫がうち捨てられているのを若者が見つけ、医者に連れて行くところから始まり、すっかり元気になって環境に馴染んでくるところまでを観たが、いや~楽しかった。わが家は猫アレルギーばかりで絶対飼えないから、せめてもの事だったが、けっこうこれでも楽しめた。

 

世の中、もしネットがなかったら出来ないことがどんどん増えるな~。逆にその便利な点だけを享受していけるのも有り難い事。柔軟に柔軟に。。。。

2020年8月20日 (木)

コンサート事情。

色んな方からコンサートが延期、もしくは中止になったと連絡が入る中、10月にやるという案内を頂いて嬉しくなった。サキソフォ~ンと歌で構成されるらしい。勿論手放しで喜べる状況では無いが、是非とも実現させて欲しいと思う。このまま何もかもがしぼんでしまって良いものだろうか?と感じている。どっかの国のようにもの凄い人出で以前と変わらない集まりはちょっとどうかと思うが、一定の考慮をした上でこれまで人間が創り上げてきた文化を出来るだけ育て続けたいと思うのは私だけ?

昼間一人でプールに行った。ほぼほぼ歩くだけだが、約1時間、ケッコウ疲れた。そこに小さな女の子を連れている女性がいて、子供の腕には輪っかの浮き輪をしているのが可愛くてつい声をかける。なんと1歳だとか。全く水を怖がらず、親子で大いに楽しんでいる。まあ、この暑さの中では一番良い遊びだろう。横のレーンでは小学生が先生の指導を受けていたり、別の場所ではどこかの施設の団体が来ている。勿論おじさんおばさんの姿も見える。いわゆる水泳の強化訓練をしているのは少数だ。ま、プールで喋る人は少ないからまあまあ安心。、、、って、どっかでいつも気にはしてるな~。

夕食時のテレビは暗いものが多く、今日は政治家の汚職事件もあったりした中で、藤井君の快挙は唯一と言っても良いくらいの明るいニュースだった。やっぱり天才って居るんだな~。

さ、凡人はとっとと寝るべ~。

2020年8月17日 (月)

一日一善。

さっきかかっていたNHKのファミリーヒストリーをチラチラと見ていたら、コメディアン?の塙なんとかいう人の祖父が川柳をやっていた人のようで、その人のメモが残されていたと流れた。「一日一句を考える。一日一句を得る。。。。」あとが思い出せないが、なるほどと思った。短歌もそうなんだと改めて思った。締め切りに間に合えば良いとのみ考えて、パパッと作詠するようでは成長も無いわな~。

一日一善という言葉は、子供の頃からさんざん聞かされてきた。それはとりもなおさず積み重ねこそが何かを得ることに繋がるという事に他ならない。推敲も大事だが、多作も必要なんだろう。

反省反省。

 

夕べ、アウシュビッツの特番を観てよく眠れなかったせいで、今日は不調だった。あのような時代に、あのような場所でよくぞあのメモが見つかったものだと思う。それにしても残酷非道な歴史だった。あれは。

2020年8月15日 (土)

真実を知る。

今夜「太陽の子」というテレビドラマを観た。多分多くの人がそうだったように、Mという最近自殺した俳優の出演に惹かれたからだ。が、例によってあまりテレビを観ない為、前宣伝は一切知らず、殆ど偶然あと30分後に放送があるというのを知りなんとなく見始めたため、内容がどういうものかも知らなかった。

が、それを見て何十年か前、髙松の舞台で見た演劇を思い出した。もう随分前の話だからどこの劇団でどういうタイトルだったかも定かでは無いが、一言で言うなら、「日本も原子爆弾の研究をしていて、その完成間近に広島に先に落とされて一気にその研究意欲が削がれた」という研究者の物語だった。まだ若かった私は、その演劇を観たとき、もの凄いショックを受けたのを覚えている。それまではひたすら原爆を落としたアメリカが憎い、広島長崎の悲劇は人間の仕業とは思えない残虐非道なやり方で、そんなものを開発したアメリカ人はなんという恐ろしい人種か!?という、そこでとどまっていた。それが、実はほんのわずかの差で日本が先に成功していたら、逆の立場になっていたのだという事実を知ることで、物事の見方が全く変わった。

今思っても、その演劇は科学者の性についてや、戦争というものの根本的な悪についてとてもよく描いていたと思う。若いころこういうものに出会ってよかった。

その後投下した飛行機の操縦者が反省どころかむしろ誇らしげに自分の行為をマイクに向かって語っているのを見たり、色々なものを見たり聞いたりするたびに、無理もない、と思う自分がいる。だから、戦争は怖いのだ。戦争自体をもっと憎むべきで、それをこそ二度と繰り返さないと誓ってほしい。立場が違えば、日本が加害者と呼ばれることは過去の歴史が語っている。

みんな、平和の価値はわかっている。

でも、平和は考え続けなければいつか知らないうちに手元から離れていくものだと思う。物事を多面的にとらえ、真実に近づくこと。これが大切だ。

 

2020年8月11日 (火)

不安の中の安定。

立派な声が恋しくてゲオルギューのCDを聴く。ホントに隙が無い歌唱。しかも全く嫌味が無く歌の中に誘われる。、、、こういう世界のスターたちはどうしているんだろうなあ?長年かけて創り上げたこのようなテクニックをみすみす朽ち果てさせることになるんだろうか?まさかね?

オーケストラの人たちも模索が続いているというような番組があったが、少し形を変えての公演は今後も実施されるようで一安心。

最近購入した本の中にとある住職の言葉があり、「コロナは恐れるに足らないと思います。」というのがあり思わず引き込まれた。「どんな時代も一寸先は闇です。人生も同じ。今日は安全、明日も安全、そんな呪縛をかけて生きているのが間違いです。」う~む。流石の禅僧の言葉。

こうした一連の騒動の中で色々学んでもいるわけだ。人間は。

2020年8月10日 (月)

今日の無駄は明日の活力?

完全な引きこもりの一日。いまだ体調が万全で無いため、母の施設訪問も断念。娘からのテレビ電話に頼る。スマホの向こうから元気に手を振る母を見てホッとしているが、これが新型コロナ感染のリスクを考えない時ならな~と無念の思い。

しかし、考えてみると若い頃は仕事とオペラに夢中で、子守における沢山の時間を母におんぶに抱っこしていたが、今思えばそのせいで子供二人ともがおばあちゃん子で大いに助かっている。当然のように子供達の一番はおばあちゃんだ。勿論今を予測していたわけでは無いけれど、とにかく子供達が母に優しいのは何より嬉しい。認知症の進行がそれほど顕著でないのも、この子らによるところが大きいことは確かだ。

人生で無駄なことは無いとはよく言われることだが、近頃とみにそう思う日が増えた。

眠ることさえ無駄では無いのだから。人間にとって。

2020年8月 8日 (土)

無いはずの予定を入れる。

これは最早性癖かも知れないな~。昨日は娘と、「明日はどこへも行かず引きこもり=おうちの片付け日」にしようと話し合っていたはずが、結局は迎えに来て貰いいくつか用事を済ますことに。終えてみて、これも家の片付けに近い爽快感があるね~、と話し合う。気になっていたあれこれを全て済ませたら、確かに気分が良い。

それともう一つ重要なことは、車の中での3人の戯れだ。今日、どれほど笑ったことか!?どんどん知恵が付いてきている孫べえは、ちゃんと会話に入ってくるので、面白みが増えたというわけだ。

ランチに美味しいと評判の、先日行き損なったオムライスのお店に行ったが、料理が出てくるまで退屈することが無い。一番奥まった席に隔離された状態で丁度良かった。気兼ねなくこうして喋るのはホントに楽しい。

別れ際のあの子のセリフ、「え~。もう帰るの~?」もまだ聞ける。そのうち言わなくなるんだろうが。。。

明日こそ何も入れずに大人しく、、、、出来るかな~?出来るはず。いや、やります。って、一応書いとこ。

2020年8月 7日 (金)

本日もお疲れ~。

朝からホントに暑い。少し動くと汗が流れる。一日3リットルを目指して水を摂取している身としては、汗が出るのは当然だろうが、何度も着替えたくなるのが嫌だ。11時半になって、夫が美味しいうどん屋へ行こうと誘ってくるが、本日はランチの先約がありお断り。

近頃娘のお眼鏡にかなうように派手目にして出て行くのが常になっていて、散々夫に冷やかされるのをうっちゃり車に。娘をピックアップして出かけたが、今日は殊の外PM2.5が多く、景色もぼ~っとしているし、世界がもやっとしていて余計蒸し暑い。海が見えるレストランの外のテラス席は風も強くて使えず部屋の中で、女三人、黙っては居られない。が、食べる時はなるべく喋らず、あとはマスクで頑張る。お孫さん連れのグループが複数見えたのは、帰省中の人たちか。なんとなく落ち着かない。普段なら倍は喋っただろうが、そこそこでお開きに。

次は全く久しぶりに三越へ。入り口に最新式のテレビ型検温器があったが、結構な人出。目的の買い物を済ませこれまた久しぶりにお惣菜コーナーでお惣菜を購入。そそくさと退散。

娘を下ろしてから母の施設へ。

丁度ディサービスの日で、どうぞどうぞと部屋へ案内されて、母の側でやってることを見学。間違い探しや、言葉あて、時計の計算など、ケッコウ頭を使うことをやっていた。それをことごとく回答しているおばあさんがいて、すご~と感心。全部終わったときはみんなが疲れた~を連発していたが、そりゃそうだろう。結構なことだ。

帰宅して夫にこうだったと告げると、お母さんも近いうちにそうなるだろうと予言してくれる。確かにそれを否定できないな~。ふ~っ。

2020年8月 6日 (木)

始まった、バタバタ生活。

入院していたのが嘘のような時間割が始まる。

昨日は近くではあるが、婿殿の関わる温泉施設のプレオープンで招待され朝も早くから出かける。このあたりではとんとお目にかからない素晴らしい施設。岩盤浴の部屋が4つもあり、身体を冷やす為の「雪の部屋」まである。入らなかったがお食事処もあり、休憩室もリッチ。マッサージルームや美容室まで併設。お風呂は様々楽しめるような仕掛けがあって、たっぷり一日かけて居たい癒やし空間になっている。今度こそゆっくり時間をかけて楽しもう。ここでは1時間半滞在。

次なる予定は、長くFMのゲストを務めて下さったS女史の追悼の会が某ホテルで。参加者はこのご時世8名という少人数だったが、我が番組のテープをかけながら、皆さんで偲んだ。そこで初めてお目にかかる人やすれ違っては居ても声をかけたことのない方も。皆さん会食自体が久しぶりとて、押さえても会話は弾む。しかし、食事の時以外は全員マスクを遵守。それでも結構楽しめるものだ。

声楽のレッスンを始めた頃、ご自宅を使わせて頂いていたK女史をお送りして、帰宅してから夕飯の準備。夜はちぇち練ときた。持つかな?と内心危惧しつつではあったが、最後までなんとか持った。

そして本日は、娘が広島原爆被爆者の朗読の会に出演するため子守。どうやらipad禁止令が出ていたらしく、こっちの言うことをよく聞いて、その代わりお母さんに内緒にしてね、と念を押される。まあ男の子、4年生でもケッコウ使えるもんだ。ネットで注文していた便利グッズの組み立てを殆ど彼がやった。お駄賃を上げるというと、要らないから、内緒ね、とどこまでも母親が怖いらしい。

今日は前からの約束でOさんのシャンソンのレッスンもわが家で。流石の頑張り屋さんでも、今年の秋のコンサートは来年に延ばすという。でまあゆっくりと練習することに。こっちも久しぶりに声を出して、終わったら二人とも爽快感でいっぱいになる。やっぱり歌は良いわね、と語り合って解散。お互いマスクだが、あまり歌うことに影響は無い。多少のテクニックは必要だが、声を出しにくいとか、聞き取りにくいとかは無い。ま、違和感くらいはがまんだ。

あっつい中を歩いて帰って行くOさんのガッツに頭が下がる。こうでなくっちゃ!

2020年8月 4日 (火)

暑くなってきた。

夕べ12時に娘と電話で話してから寝損なった。結局悶々として4時に睡眠導入剤を飲んでしまい、9時の電話で起こされる。従って本日はぼ~っとして使いものにならないこの身体。しかし、そうも言ってられないので洗濯他家事はやったが、休み休みだったな~。徹夜が出来ていた頃はいつだったか?と考えてしまう。みっちゃん殺すに刃物は要らぬ。二三ち起こせば勝手におっちぬ。てなもんだろう。

クーラーは入れるが、膝が痛くなって切っては又入れるの繰り返し。そうしてでもやるべき事があったわけだが、その一つ。とあるやんごとなきお方からのお葉書にお返事を書くというものがある。その方の旦那様が脳梗塞で倒れ、今は週3回のリハビリ通いと書いてある。この方は私とあまり変わらない年齢だが、精力的に舞台をこなし、コロナ禍の今でも、毎月のように公演案内を下さる。しかし、この状況下では相当無理があるんだろうと思う。案内貰っても東京は遠のくばかりだ。そのストレスの上にご主人のアクシデント。ホント生きると言うことは大変だ。お子さんが居ない人で、ご夫婦で助け合ってきた方。行く末が案じられるな~。

で、明日はSさんの追悼式、夜は久しぶりのちぇち。あさっては広島原爆、被爆手記朗読の会に娘が参加するため子守。毎日いろんなことがある。これが生きるって事だ。そして、生きてるって、素晴らしい。

2020年8月 2日 (日)

蝶々さん。

疲れているときは、何故かドラマや映画を見たくなる。夕べ、BSでNHKドラマの再放送をやっていて、途中から見た。それというのも、たまたまかけた時に、「コレラ」という言葉が出てきたので興味を持って見始めたら前編後編続けてあるというので、頑張って?見た。あのオペラの蝶々さんをリメイクしたもので、オペラをどう料理したのかという興味もあった。

結果、やっぱり泣けたし、面白く筋を変えていた。一番の違いは彼女の夫になる男性の扱いだ。オペラでは、悪気は無いが軽薄で、友人の忠告も聞かず蝶々さんと結婚してしまい、子供まで出来たのにアメリカ人の女性を伴ってせめてもの償いとしてその子供をもらい受けに来る、という話しだったが、このリメイク版では、本気で彼女を愛してしまい、1年後に帰ってくるが、彼女の幼なじみに阻まれ説得され、会わずに帰国してしまうという設定になっている。こちらの方が本気度が高く、好感が持てる。蝶々さんが最初は憧れからだったが、付き合う内に彼の人柄や思想に本当に惹かれていくというあたり、こっちの方が、より人間味があると思えた。だからこそ最後は自害出来たというストーリーは納得出来る。そして、その子供が成人して、実際のオペラの公演を見て、母親の死について納得するという下りは面白い設定だった。確かにオペラでは描かれてない世界だが、アメリカに渡ったその子供に生みの母親の自害がどう理解出来たか、知りたいところだ。

全編オペラのメロディが流れて、情緒的で、美しい仕上がりになっていた。主役の宮崎あおいの演技力に負うところが大きい作品ではあったかな。

「コロナ」ならぬ「コレラ」で町中がボロボロになっているという描き方は偶然今に重なっていたしな~。

なかなか良かった。

 

なんともかんとも。。。

本日は短歌の歌会。20周年記念にしては地味な開催ではあったが、このようなややこしい中で15人も集まれたのはめでたい。そして、蜜を避け離れながらもいつもより充実していたと感じるのも、今日という日が貴重な時間だという各人の自覚があったためと思われる。ネット歌会も致し方ないが、これが本来の人と人のお付き合いというものだ。顔を見て、その笑顔で言外の言葉を感じて、あるいは相手を思いやる一見無駄に見える会話さえも、これが人間社会の基本だ。

個人的には同窓生が久しぶりに顔を合わせ、互いに出てこられた事を喜び合う事が出来たのも大きい。この独特の懐かしい感はホントに癒やされる。勿論それ以外にも、この会で知り合った人たちとの再会は予想以上に楽しかった。

そしてなんと言っても、人の作品を深く考え、又自分以外の人たちの考えを知り、師の評論を聞き、作者の思いを聞くという一連の作業は、非常に良い勉強の機会だ。ある場合は、最初に自分が考えた事が完全に覆る場面もあり、これが又面白い。言葉の持つ面白さだし、ある意味危険も知ることとなる。多くの事を学ばせて貰っている。

予定通り終えて、三々五々皆さんお別れしていった後、こっちは娘のお迎えを待つことに。

事件はここからだ。

娘からの電話で、20分は待たなくてはならないと分かり、以前からこの建物のトイレはここと決めている場所に入り、そこを出てから冷房の効いたベンチに座って所在なく待つ。やがて娘からつきましたの電話。ハイハイと返事して立ち上がってから気がついた。無い!バッグ以外に電子手帳や本日のみんなの歌の一覧表や機関誌、それに飲み水や差し入れのお菓子まで入っているエコバッグが無い。すぐさまさっきのトイレに確認に行くと、無い。近くに居た警備員の方に聞くと、こっちの建物の遺失物は地下に専用の場所があるとのこと。ご親切に電話で聞いてくれたが届いてないという。まさかとは思うが、会議室?絶対それは無いはず。ここは過去に何度も使っているが、撤退するときに部屋のチェックをしっかりされている。が、事務所に行ってみると念のため会場にもう一度行ってみてくださいと言われる。で、またまた上に行くと担当者がわざわざ鍵を開けて下さる。この時点で絶対ここには無いと確信していたが、折角のご親切に再度部屋に。当然無い。汗をふきふきお礼を言って、又1階に降り広場に戻るとさっきの警備員の方が声をかけてくださる。やっぱり無いですか?と言われ、それなら受付に連絡先を書いて出てきたら教えてもらえるようにされたらどうですか?とも言われ、ちと迷ったが言われるままにそうさせて頂く。我ながら傑作だったのは、ホール塔と書こうとして、塔の字が出てこず、窓口の女の子に「とうって、どう書くんでしたっけ?」と聞き、「木偏に、、、」と言われ、「棟」という字だと分かり苦笑する場面も。勿論こうしてジタバタしている間、娘には電話してあったが、車に乗り込んだ途端、「やっぱりね。おみっちゃんが警備員のおじさんと歩いているのを見たときから、絶対なんか落としたな?とこの子と話してたんよね~。」と嫌味を言われる。しかし、もうこうなったら出てこなくとも諦めるしかないと決めて、孫べえのリクエストに従いおそばやさんに。折角美術館の駐車場に停めたんだから展示を見て帰ろうよ、と誘われ、相当歩いた後で膝が痛かったがガマンしてお付き合い。偶然今日は美術館の日とかで、無料。現代アートのワケワカメの作品群を見たが、何故か逆に元気になって帰りにおスイカでも買って帰ろうかと気分復活。で、大分帰ったところで、ふと思い出した。

「ねえ、ちょっとバックしてくれない?絶対あるような気がしてきた。」と言うと、「はい~~~??」と呆れられる。何のことは無い。孫べえと車内でふざけて遊んでいる内に、この子がこうして自分と遊んでくれるのもそう長い事じゃ無いんだろうな~。今は、こっちが隠れんぼしてても乗ってくる可愛さがあるけどな~~~と、ここまで考えて、ハタと思い出した。そうか、ドアの後ろだった!再度戻った時にはドアは開けたが、ドアの後ろ側まで見なかった!!よくこの子をだますとき、ドアの後ろに隠れていて、ドッキリさせる、アレだ!

案外渋らないで送ってくれた娘。戦利品?を持って戻っていくと、大盛り上がり。孫べえに、「付き合ったお駄賃!」と手を出され、まんまとお札一枚取られてしまう。

中身は実は大したものは無い。もし誰かが持ってっても、役に立たないか、このコロナ期に怖くて食べられないだろう代物。しかし、こっちにとっては痛いもの。やっぱり出てきて良かった!ので、あ~る。

傑作だったのは、今見てみると、本日はおよそ7千歩歩いていて、そのうち千歩ほどはスキップ、と出ている。おお、それほど必死で歩いたのだ!だから、今日のアクシデントは、運動不足解消に繋がり、吉!としとこう。。。ふ。

しかし、夫にそれを告げると、「遂に来たか!?」と哀れまれて、チン。長い一日が終わった。

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