我が心のように雨が降る。。。
自分の非力さを日々実感するが、今日もH先生宅に弔問のため訪問してきたが、思いはいっぱいあるのに言葉に出来ない。奥様の顔を診た途端用意していた言葉はどこかへ吹き飛んで、つまらない事しか出てこない。事前にお電話で色々手続きがあってお嬢さんとこれから回るところです、と言われていたのもあり、ホントに慌ただしく仏前にお参りさせて貰ってご挨拶もそこそこに失礼してしまう。
そして、だただそれだけで疲れ切ってしまい、予定していた二つの郵便物を出さないまま帰宅。しばし横になるという体たらく。ぼちぼち夕飯の準備か~、と思っていると仕事帰りの娘からラインが入る。「今日二人で焼き肉食べに行こう。」という誘いだった。現金なもので、待ち合わせまで30分しかないというのが分かった途端冷蔵庫を開けて夫の為の料理をいくつかパパッと考える。(そんな元気残っていたんだ)昨日手間暇かけた料理をお残し遊ばした旦那さまだったから、今日は大義だなあ~と思っていた所だったので丁度良い。時短料理を5種お盆に乗せて、事情をメール。返事は無いが、焼き肉には行きたがらないから機嫌は悪くないはず。
で、まずはH先生の御霊に乾杯。しばし、思い出話も。ホントに仲の良いご夫婦だった。奥様手作りのケーキを毎回美味しそうに食べられ、必ず奥様に気遣いの言葉をかけられていたこととか、、、。少しは接点があった娘が涙ぐむシーンも。
で、食事のおかずに今朝見たテレビの話しをしたことだ。とある都会から徳島の山奥に移住してきた家族の話。完全な自給自足をしていて、まだ幼い女の子が狸やイノシシの身体を裂いて調理したり、野草を採って天ぷらにして美味しそうに食べている。彼らは311を機会に、今後も起こるであろう危機に影響されない生活を築きたいとの英断だったようだ。そしてこのコロナ騒動。元々自粛生活みたいなものだし、全く影響は受けてないという。「命の危機に振り回されない暮らし。」が彼らの願いだそうだが、確かにそれは達成できている。人はいつかは死ぬが、それで終わりでは無い。次の命に繋がっている。。。。これは素晴らしい言葉に思えた。シンプルでありながら生きることの本質が見据えられた、本当にしっかりした家族だった。まだ40代。力が漲っているよねえ。
近頃日本中、地震がやたら多く、髙松は大丈夫という安全神話が崩れるかもしれないと、わが家では日々口にしているがどうだろう。
色んな恐怖に振り回されたくないな~。
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