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2020年4月

2020年4月30日 (木)

春の恵み。幾たび。

今日も、遠縁の山で筍狩り。前回はままごとだったが、今回は売るほど採れてびっくり。娘親子と四人で15本も採れた。しかも2時間足らずで!そして、その山の持ち主に挨拶に寄ると、今日のはすぐ食べられないから昨日採ったのを上げますと言われ、遠慮無く水煮したのを沢山頂いて帰る。ホントは料理をする体力が残ってなかったが、娘達がわが家で晩ご飯というので、頑張ってみた。筍ご飯はメチャ美味しい。天ぷらは味付けと味なしの二種類。若竹煮にもして、どれもこれも柔らかくて美味しいのに感激。お酒が進む進む。他に冷凍してあった鰹のたたきや急ぎ作ったイタリアンサラダ。その上娘達がお刺身を買ってきて、もうもう食べきれない。

多分この後、バタンキューだろうと思っているが、にしても楽しかった。いや~幸せ~。ワイワイゲラゲラ、こうして食べるご飯以上のごちそうがあろうか。

しばしコロナを忘れて、、、、明日は母を病院に連れて行く。このご時世怖いんだけど、医師からどうしてもと言われ、先延ばしするとますます良くないとも言われ、、、。ま、大丈夫だと信じて。ふ~む。

2020年4月29日 (水)

FM。

忙中閑ありならぬ、閑中忙あり。本日はFMの収録をスタジオから出て、別の場所でやった。ちょいと勝手が違ったが、広い部屋で悠々と出来、雑音も無く、今後の収録場所をここに決めた。

ゲストのM先生は、先日の学生を連れてのデンジャラスなドイツ旅行のお話をたっぷりしてくれた。何しろ、あわや日本に入国拒否される寸前のギリギリの帰国だったわけで、帰ってからも二週間の謹慎を余儀なくされ、色々大変だったようだ。

しかし、珍しいオペラ公演や演奏会に遭遇し、予想通り濃密な時間を過ごされたようだ。演出が凄くて度肝を抜かれるようなモノもあったようだ。あるオペラでは舞台の奥から出てきた装置がオーケストラの頭上にまで出たようで、びっくりしたとか。聞きながら、これって、以前NYで見たミュージカル「オペラ座の怪人」に近い演出だなあと思う。

「カルメン」では、前奏曲が終わると同時にホセが銃殺されるという意表を突いたモノだったとか。なるほど。本来のオペラのストーリーからそこまで想像力を広げ、実際に舞台上で表現できるんだから、演出家冥利に尽きるだろう。何をやっても許される土壌があるってことだ。さすが本場ドイツ。

やっぱりビールが美味しかったというが、、、、個人的には今後行くこともないだろうと思うと寂しかった。

 

そしてお話を伺いながら、もうこれからはこういうお話も聞けなくなるな~と思うと感慨深いモノがあった。M先生もは2年後の渡欧を期待しているようだったが、それまでには収束していることだろう。この世界のコロナ騒動も。                 

2020年4月28日 (火)

色々変化。

古いメガネを探してきて、一番ピントが合うものを今こうして使っている。いけるじゃん。最近のは度が合わなかったが、これなら本も楽に読めそうだ。てことで、知人の書いた小説を読み始めた。イタリアを舞台に書いてあって、懐かしさを感じつつ読み進めている。友人から回ってきてそのままにしてあったが、今なら読めそうだ。実は他にも分厚い本を読もうとしているが、目のことがあったので、ま、これからだ。

毎日の料理が少し丁寧になってきている。多めに買い溜めしているせいもあるが、少しでも食欲をそそるモノをと一応工夫している訳だ。このところの暇暇症候群で夫の食欲が低下気味。そのためではあるが、もしこれが一人暮らしだったらどうだろう?と考えるなあ。

体力の衰えを感じる日々で、あまり沢山家事をする気にもならず、ぼちぼちやろうと決めた。気になることは多々あれど、、、、ってところだ。

 

しかし、時々考える。この状態はいつまで続く?早い話がちぇちはどうする?会長はじめメンバーとも会えず、仮に会えてもこの不安定な状況下で、何事も決められず、、、、。ぼんやりと漠然と時々考えているのが現状だ。「下手な考え休むに似たり」ってことで、思考停止。

 

2020年4月27日 (月)

今日は晴れ。

術後初めての診察の為、さんさんと降り注ぐ光の中、眼科へと出かける。若い女性医師は、良く見えるようになり感激しましたと言うと、我がことのように喜んでくれる。「そう言ってもらえるのが私にとっても一番嬉しいことです。」と。なんと初々しいお言葉。確か20代と聞いたがこれが若さだ。視力も両目とも1.2だから完璧だ。不思議なことに近くも見えるようになっている。矢張りやって良かった。

コロナ騒動が無ければ、色んな場所に行って確かめたいところだが、ステイホームにこれ務める。

ネット上には様々な有名人の言葉が連日掲載されているが、ホントに色んな考え方があるな~と感心している。中には失言してみたり、過激な発言でやり玉にあがったり、毎日これを読むだけでも面白い。

自粛をやり過ぎだと批判している人が居て、海でサーフィンをしている人をテレビで見ながら、確かにねえ。密でもないし、こういう人は納得しかねるかもしれないな~と思ってみるが、同行したグループの若者間でうつし合うってことも無いとは言えない。どこまで神経質になるべきかは、難しいだろう。結局自粛という形を取ることで、ゼロでは無く、少なくしたいという政策だろうと思う。ゼロにするなら罰則を作り強制するべきだろうから。

 

昨年亡くなったSさんと自分の番組で対談したテープを聴いたが、なかなかに面白い。こうして聴いていると朗らかに笑うSさんとの沢山の会話が思い出される。数奇な人生を歩まれたこの方からも、多くの事を教えて頂いた。生涯お一人で暮らしたが、心の中には人に負けない豊かなものが詰まっていたと思う。ホントはこのSさんの追悼の会が来月予定されていたが、これも無くなった。「良いのよ、それで。私のことなんか、恥ずかしいわよ。」って声が聞こえてくるようだ。

少しずつFMの最後に向けて後始末の収録を始めることにした。手始めはあさって、M先生とやることに。どんなことになるかな~?

2020年4月25日 (土)

も~っ勘弁。

左目の手術も終了したが、何故か前回と違って、手術中痛いし時間も長いし、あと5分続いたら吐いていただろうくらいに気分が悪かった。もし3個目があったら残りの目はしないだろうと思ったくらいだった。最近は注射一つ打つのにも、「ちょっとチクッとしますよ~、大丈夫ですか~」と絶えず声をかけてくれるのに、麻酔で痛みは軽減されているとは言え、殆ど音は聞こえていて、メスやなんかの姿も見えている。その状況で頭越しに医師同士の会話が聞こえてくるし、それもぼそぼそ声で怪しさが増す。遂にガマンが出来なくなって、「痛いです!」と声をかけると即座に、「終わりました。」との返事。へ?てなもんだ。前回の時は、「もうすぐ終わりますよ~。順調に行ってますからね~・」なんぞと優しい声をかけてくれたのに、どうなってるの?兎に角時間が大分長くかかってる訳で、そのことについての説明があってもおかしくない。こっちは色々想像してだんだん気分が悪くなったという次第。

部屋付きの看護師さんがとっても優しい人で、こちらの訴えを聞いて、「わ~、それは嫌でしたねえ。私も目の手術だけは嫌ですねえ。まだ腸とかの方がましです~。」なんぞと言う。ま、これでこの病院の総合評価はプラマイゼロにはなったが。。。

後の診察はコロナ警戒で、医師が部屋まで出張してくれたが、、、、、なんだかねえ。

にしても、よく見えるようにはなった。迎えに来た娘親子と孫べえの病院に高瀬まで向かうときの辺りの風景の素晴らしいこと。世の中こんなにも美しかったんだと嬉しくなった。じわじわと見えなくなっていったから気がつかなかったんだな~。運転用に遠目が言えるようにしてもらったが、近くも眼鏡なしでよく見える。これはラッキーな誤算。

早速恩師からラインで桜特集の映像に歌が付いたのが送られてきて、しっかり堪能する。近頃こういう癒やし系の動画がはやっているな~。おもろい大阪弁の猫が喋る動画なんか何人もが送ってくれる。これもコロナ騒動の副産物?

ま、人間色々ありながらもしたたかに生きていくべきなんだ。

 

 

 

2020年4月21日 (火)

ぼけますから、よろしくお願いします、、、、。

このショッキングなタイトルの映画を遂に見てしまった。夫が先に映画館で見ていて、簡単な感想は聞いてはいたが、まさかここまでのリアリティ映画だとは知らなかった。撮影者が自分の両親を撮り続けた作品で、そういう関係じゃ無いと到底とれなかっただろう内容になっている。何がショックって、まるで少し後の自分たち夫婦の姿そのもののような気がしたことだ。演技では無いすごさに圧倒されて、見終わってから気分が悪くなり、寝られそうに無かったため、胃薬を飲んだくらいだ。その様子を見ていた夫が、「もうすぐ自分たちもああなるよ。」と言い捨てて寝床へ。それに対していつもの軽口が出無かった。

最初の方はその母親もある程度元気で、頭もしっかりしているが、あるとき自分に不安が募り病院へ。そこでアルツハイマーだと言われてから、坂道を転がるように状態が悪くなる。耳の遠い父親が自分がずっとお母さんを見守ると言い張るし、実際90度腰が曲がっていても買い物から洗濯までやり続ける。娘でもある撮影者が一緒に住んで、二人の世話をしようかと訊いても、おまえは自分の道を行けと言う。

その流れの中に折々に昔の家族写真や動画を挟み、極々普通の家族として過ごしてきた3人の人生が描かれる。即ちこれは特別なケースでは無く、普通の人々のサンプルみたいなものだと、その映画は語っている。しかし、自分の親が目の前で信じられない状況になっていくのをよくぞ映像に収められたモノだと、そのことにも感心する。それがプロだと言われればそうなんだろうが、、、。特に母親が、凶暴になってモノを投げたりたたいたりし始めるのを冷静な目で撮り続けるなんてことが、よく出来たモノだと思う。

みんななりたくてなるわけじゃ無い、この老化現象。そうなり始めて先々を予感しても二人が寄り添って生きていくという選択をする両親。決して他人ごとじゃない。目の前に突きつけられている感じがして、だんだん苦しくなってしまった。

映画の最後は、川沿いの道を腰の曲がった父親とよろよろしながら歩く母親の二人の様子が流れる。。。。4

翌日娘にその話をしたら、どうもピンとこないらしく、「おばあちゃんはそんなこと無かったじゃん?」と言う。「多分あんな風に年取るわよ。」と慰めくれる。内心、そんなこと誰にも分からない、と自分の思いの中に沈んだものだ。

 

明日は左目白内障の手術だ。

あまりに重い映画だった。

日々疲れる、、、。

つい出来心で娘にある食材を届けに行く。ちょっと入ってと言われちょっとのつもりが、退屈しきっていた孫べえの標的にされる。まずはゲームのお相手だ。そばでチクチクとお縫いモノをしている娘が、「ゲームの相手ぐらいしてやったら?」と言うので、「ちょっとだけよ!」と付き合い始めるとこれが結構な運動量。しばらくやると汗ばんでくる。で、汗をかかないゲームってことで、「脳年齢ゲーム」に突入。なんと、80歳と出て孫べえが大喜び。これは慣れだわね、と言うと娘が、「だからそれは脳トレって言うのよ。」と説明してくれる。イコール又一緒にやれってことだ。早く帰ってわが家の仕事をしたいから、と逃げようとすると、玄関の鍵に仕掛けをしてあかなくする。すったもんだの挙げ句ようやく外へ。まあ無理も無い。こうして困っている家庭が沢山あることだろう。

又、筍採りにでも行こうかな?あれが一番良いかも。

 

しかしこうなると如何に生活の中に音楽があったかが分かるなあ。あれほど毎日のように声を出していたのが、全く歌わなくなって、ぽかん状態。心の中に大きな穴が開いて風がそこを吹き抜けている。そのせいで、身体の支えが弱くなり、時々よろっとしている自分に気づく。このままホントの老人になってしまうのか?、、、ほんとも嘘も、老人には違いないんだが。。。

昨日は娘親子ととある居酒屋の300円なりのお弁当を買い、近くの池の土手に車を止めてランチ。だんだん晴れてきたので、ドライブしようと孫べえが言うのに同調。娘の車で運転もあちらだから気軽にOK。ナビはこっちがして、以前住んでたことがある善通寺を通ることに。高校生時代、自衛隊の赤煉瓦の寄宿舎のある通りが通学路で、よく隊員が部屋の窓に腰掛けて楽器を奏でたりたばこを吸ったりボンヤリしてたのをチラ見していた。夕暮れ時は、その赤煉瓦に夕日がさしてなんとも言えないロマンティックな風情を醸していた。昨日は殆どの部屋の窓がしまっていて、今は使われてないのかもしれなかった。

その町を通り過ぎ、鳥坂峠にさしかかり、鳥坂まんじゅうを食べたこと無いというので買うことに。店内は以前と変わらずもくもくと蒸気が上がり、蒸したてのまんじゅうが次々と出てくる。店内は客が二人入っていて、交代する形。ここも消毒液がおいてある。

こっちも久しぶりに食べて美味しかったが、娘親子は美味しいと大興奮。ま、出来たてであつあつが良かった。そこから高瀬を通ってどんどん行くといつの間にか父母が浜。立ち入り禁止と聞いていたが、これ幸いと浜に入っている人が10人くらい。しばらく止まって海を眺めたが、矢張り綺麗な海だ。遠い所に行き過ぎたからと運転がこっちに回ってきて、窓を開けたい孫べえの為に11号線下道をひた走る。

ま、今時ドライブは確かに良いストレスの発散だ。

2020年4月18日 (土)

FBのこと。

ある団体でFBが話題になっている。メンバーの一人がこれを利用することについての賛否を問いかけたところ、よく分からないけど怖い、的な反応が複数。だよねえ。コロナとおんなじ。分からないことは怖いもんだ。

一応登録している身からすると、使っていても確かによく分かってないので、当たり障りの無い内容を投稿し、これまた当たり障りの無い記事にイイネをする。たまにとっても共感するが、そうだとここに表明したくない記事もある。が、そう表明してそれに反応されてもやっかいな感じが付き纏う。故にまたまた当たり障りの無い記事を読み、イイネを押す。

良いところは、知人たちの近況が分かるというものだが、これらをもって繋がっていると錯覚しているのも寂しい限りだ。多くは、ここに出た記事を元に個人的にメールのやりとりをすることになる。そもそも家族写真などアップすると悪用されるという説もある。他にも所在が特定されるというリスクもあって、犯罪に利用されたケースもあるようだ。

以前ある人が、「友達の友達はみな友達的なのは嫌で、僕は止めました。」と言ったが、確かにそれも分かる。特に思想的なものを公にするのはかなり難しいと思う。仮に意見に対してイイネを貰っても、イイネの中には幅も深さもまちまちで、必ずしも自分と同じとは限らない。そんな賛同を沢山貰ったところで、それがどうしたの?ってことだ。

その人の表現力というのもあり、必ずしもこちらが受けとったのが正解かどうかさえ曖昧だ。多くの人が写真付きの短いコメントを上げているが、殆どが、突っ込まれない程度の軽いモノだ。ネット上の社交界といったところか。実名ばかりだから、安心と言えば安心かもしれないが、最近やってる意味を見失ってきている。いや元々好奇心で始めただけだ。ぼちぼち止め時かもねえ。

 

現代社会。便利なようで、、、、、。むむむ。

2020年4月16日 (木)

春爛漫。

左右の目のバランスが悪くて、パソコンもままならない。遠くに焦点が合うように手術したら、してない方の目とちぐはぐで、メガネをかけてもづにもならない。早く左目も終えたいモノだ。

今日は約束通り子守。快晴であったかく、ベランダに出て、日を浴びながらうたた寝。ふと見ると勝手に焼きそばUFOを自分で作って食べている。あらら、いつの間にか手が離れてきた。持参したゆで卵を二個もペロッと食べ、一緒に映画を見ようと言う。アニメで「コナン」というアクションミステリー?映像の技術のすごさにしばらく感心して見ていたが、ストーリーがどうも面白くない。あとはティクトクという動画を見ては、二人でゲラゲラ笑い、、、そうこしているとようやく母親が帰宅。COOPの配達が来るからとこっちも腰を上げる。

ということで、全く大したことをしてないのに、疲れている。

余った時間で少し片付けをして、夕飯の支度をしたら急に睡魔がやってくる。色んなしがらみが身体から離れていき、緊張が少しずつ解れていって、そのせいかもしれない。やたら眠い。

しかし、活動という活動が停止しているのに、何故か毎日忙しい。生きるとはこういうことか。

時の流れに身を委ね~~

以前からSFものが嫌いだった。それでも、先見の明を持った人々による未来世界が次々と現実のものになってきていて、そのことは感心するばかり。今回のコロナ騒動のような細菌が蔓延して人類が危機を迎えるというのも国内外の映画に既に作られている。人間の恐怖について突き詰めていくと、こういうものも、その対象になるんだろう。想像力の鋭い人は凄いなあ。

未来だけで無く、歴史も嫌い。考古学者なんて職業の人がいることが信じられないというか、よく耐えられるなあと思う。自分が存在しない時代のことを探っていくという行程は、虚しいと思うからだが、学者達はそんな事は考えないんだろうか。

 

今日はサンポート近くに用事があり車を走らせていると、驚く光景に出くわす。信号待ちでおよそ5メートルほども間隔を開けてお行儀良く

立っている人たち。信号が変わったらその間隔を開けたまま歩き始める。周辺を見てみると、さすがにそこまでは開けてないが、意識して歩いているようには見受けられる。カップルは当然仲良く並んで歩いていたが、、、。

スーパーに行くとレジの前の行列もちゃんと間隔を開けるように足のマークが張られている。あるパン屋さんは、パンと客との間にビニールで仕切りをしている。そもそも店内には8名しか一度に入れないと張り紙が。。。・

テレビは過去の映像を流すことで時間を埋めている。ぼんやり見ながら、コマーシャルやバラエティや映画なんかも、もし今制作するとなったら、どういうことになるんだろう?と想像しながら見ているとなかなかに面白い。成立するモノもあるが、殆どが無理。如何に人間が、くっつきながら暮らしていたかが分かる。日本人は世界の中では、人間同士がくっつかない方だとは思うし、そのために感染者も少ないのかも、と思ってはいる。初対面の握手や抱擁から、頬を触れあうキスの挨拶など、今の時代でも日本人にはもう一つ馴染めない風習だ。諸外国の猛烈な感染拡大はその習慣によることも多いのでは無いだろうか?それでも、現代社会においては、日本でさえ人と人が密に接近して色んなモノを作り上げてきた。

残念だ。

いつになったら、以前のようにスキンタッチが出来るようになるんんだろう。

明日は孫べえのお守りだ。本人は、「子守って言わないで!」と言うが、、、子守は子守だ。フン。

2020年4月13日 (月)

アートは生命の維持装置。。。

ドイツの文化相がアーティストたちに大がかりな救済措置を発表したと、H女史がアエラに寄稿したニュースが流れた。その素晴らしい文章に感動した。

クリエイティブな人々のクリエイティブな勇気は危機を克服するために役に立つ。アーティストは人々の生命維持に必要なのだ。と語ったというその文化相の発言を、女史は高く評価している。

「この認識は素晴らしい。実にその通りだ。心も干からびていきそうな今、我々の精神は、芸術がもたらす潤いを必要としている。芸術の輝きに照らされることを求めている。今はその姿を見ることが出来なくとも、芸術の光りが消えることは避けなくてはならない。

この忌まわしい日々が去った後、我々が人間らしく生きていくためには芸術の支えが不可欠だ。その時に、生命維持装置が壊れていたのでは、悲惨すぎる。だが、今の日本の政府にこれを言っても全く意味が分からないだろう。これがまた悲惨だ。」

 

こうした物事の本質を分かっている人がもっと増えなくては日本の未来も無いな~。

2020年4月12日 (日)

デンジャラスな日々。

世の中も毎日毎日ハラハラドキドキさせられるニュースばかり。なるべくそれに振り回されないようにとは思っているが、テレビはどっこもそればっかし。暇になった夫と同じ空間にいると、お互い気詰まりで、あちらさんがテレビの前で本を読んだり、録画を見たりと自由におやりになるので、こっちはついに二階に避難。部屋の片付けやらあれこれ。一人の時間を楽しむほか無い。たまに友人と生存確認の電話をしたり、、、。

実生活では、昨日も塩江の山奥に筍採りに出かけた。娘親子とママ友親子の計五人で車は二台。濃厚接触しないためだ。

初めての山で、案内役を夫の甥が買って出てくれて大いに助かった。彼がいなければ到底無理だった奥深い山。慎重に運転しなければ転落しそうなくねくねの急斜面を一人の車内でワアワア言いながら運転。しかし、筍は大量にとれて、空気はよく、鳥の声を聴きながらおやつを広げてしばし歓談の楽しさ。同行の娘のママ友は四万十川流域が実家とのことで、懐かしいを連発。看護師という厳しい職業の彼女にとっては嬉しい時間になったようだ。子供も勿論楽しんだが、こっちも殆ど見るばっかりだったにせよ、十分楽しかった。こういう楽しみ方はホントに解放されて幸せ。コロナを気にすることも無く、、、、。又来ようと約束して解散したが、思ったより疲れた。

早速持ち帰った筍でばら寿司とお吸い物と天ぷら。その上蕗の葉を佃煮にして、茎は炊いてお寿司に混ぜると美味。これぞ春の味覚。

と言うわけで、夕べは快眠。スマホのデータは「睡眠状態=完璧」と出た。だろうなあ。これを熟睡というのだろう。朝から気分が良い。

 

今日も香川県で二人感染が確認と出たなあ。これからどうなるんだろう?

映画でも見ようか。

2020年4月10日 (金)

何事にも終わりがある。

23年続けてきたFMの番組をとうとう終わりにしようと思っている。今日はその交渉に。「一体おいくつなんですか?」と訊かれて年齢を言うと、さもありなんという顔をされる。お元気なんで、そういうお年とは思いませんでした、と一応慰めてもくれる。が、まあ、これで話しはついたと思う。後始末の収録をしなくては、、、。

この長きにわたってやり続けたおかげで、数え切れない音楽関係者にお話を伺えたのが、自分の財産だ。客席から見ているだけでは到底わかり得ない素顔に接することも出来た。そして香川県という地域が、とても多くの音楽家や音楽好きを生み出している素晴らしい場所だと認識出来たことも人生のお土産だ。

思い返せばはるばる岡山からご夫妻でゲストになって下さったMさん。とても楽しい時間を沢山頂いた。音楽を軸に様々な人間模様を見せて頂いた。苦労話も沢山あったが、どちらかというと、音楽が好きで好きで、、、、と夢中になって話して下さる方が殆ど。

幸せな時間を沢山頂いてきたことに、今更ながら感謝しても仕切れない思い。

 

目のバランスが悪いまま運転したが、ま、問題は無かった。鏡を見ると何故か手術をした右目がやたら大きい。なんで?残りの方もやるからちょいと目が大きくなる?そうなれば有り難いけどねえ?

 

なんか疲れてる。

 

 

この年で初体験続く。。。

昨日めでたく白内障の手術右目終了。少し前に母が手術をしたところで、たいした事は無いと踏んで臨んだが、正直手術中に何度も母の強さを思った。注射針は見えるし、メスのようなモノも見えているし、緊張のあまり血圧が一気に上昇。168という数字が看護師の声でささやかれる。痛くないはずが、妙な不気味な感覚が目の奥に渦巻いている。ほんの5分のガマン、と自分に言い聞かせてなんとか頑張ったが、もうこれで終わりにしたいくらいだ。二週間後に残りもやるが、、、、ムムム。

部屋はこのご時世だから個室を頼んだ。これが又結構なお部屋で、広いし調度品もそろっているし、清潔だし、トイレシャワールームも併設で、これがホテルだったらあと1週間くらい泊まりたいくらいだった。家よりもよく眠れたかもしれない。

朝、眼帯を外してから部屋から屋島を見ると、おやっと思うくらいに見え方が違う。試しに左目で見るとぼやっとしていて、右目で見るとくっきり。ええ?こんなにボンヤリしてたの?ってくらいだ。しばらくその見え方を楽しんで、迎えに来た娘の車に乗り込む。開口一番、「美味しいモノ食べたい」というと、「分かるわ~。どこ行く?」「天気は良いし、テラスのあるレストランMにしようよ。」と言うと、いつもはこっちが言うことなんか聞かない人が、即答でOK。それというのも、キャンセルになった野村萬斎さんのチケット代金を払い戻して貰う予定があったので、それで食べようという魂胆。ま、いっか。

このチョイスは大正解。海に面したテラスでステーキに舌鼓。風が少し冷たいが、太陽がさんさんと降り注いで時折白い船が行き来するのを眺めていると、コロナなんかすっかっり忘れる。娘と二人笑う題材に事欠かないといのも、食事の大切な要素だ。ゆったりと食事を終えると、生きてる実感がわく。というのも、さすがの病院食で、まずは量が少ない。一切のおやつを持たずに入って、セットされてる冷蔵庫にも何も入れず過ごしたため、少々飢えていた。ホントはあの病院食が良いんだろうけどねえ~、分かっちゃいるけどねえ~。

実は、入院前日夫が夜道でトラックをよけ損ねて溝に落ちるというハプニング発生。ずぶ濡れで玄関で叫んでいる夫に驚いたが、とにもかくにも全部脱いで貰って、シャワー。その間にこっちは洗濯。肘の所の怪我は素人が放置するレベルでは無く、病院を探すことに。3軒目でようやく病院が受け入れてくれたが、こっちも入院前夜でワインを飲んで居たため、仕方なくタクシーで病院へ。このご時世、兎に角丁寧な運転手さん。水を向けるとコロナでは相当参っていると話しが終わらない。降りたら、「又よろしくおねがいします。」とまで挨拶してくれる。

矢張り病院で正解だった。肘を3針縫い、レントゲンも撮ってくれる。帰りのタクシーの運転手さんが、それは十分交通事故扱いでしょう、と言ってくれたが、夫は車に当たった訳では無いからもう良いとのたまう。それに、これくらいで済んだことがむしろ良かったと思っているらしい。かなり気弱になってるなあ。このところの騒動で、ことごとく仕事が延期や中止になっていて、大分気分が落ち込んでいるところに、これだ。何も溝に落ち込まなくても良いのに~とからかったり、、、。

先日の娘の交差点での事故と言い、なんだか、相手が居るようで居ない事故に縁があるなあ~。こっちも気をつけなくては。。。しばらく片目だしねえ。

2020年4月 7日 (火)

夢の中へ、夢の中へ行ってみたいと思いませんかあ~?思いますってば。

実を言うと昨夜はホントに不愉快な眠りだった。なかなか寝付けなくて、音楽をかけてもどんどん聴いてしまって、さっぱり眠くならない。オーディブルで小説を聴き始めて、ようやくいつの間にか眠ったようだったが、途中で何度も目が覚める始末。ウトウトと熟睡してない自分を夢に辿っている。朝になってデーターを見てみると、「睡眠状態=非常に悪い。」と出ている。熟睡は45分。浅い眠りも2時間ほど。となると、起きても気分がよろしいくない。全く珍しいことに、昼食後は夫に「昼寝します」宣言をしてベッドイン。2時間も寝た感じ。体力がやや快復した感があり、夕飯の準備も出来たが、となると、夜が又眠くない。ただいま午前3時前。

これはちょいとヤバいかも。嫌なサイクルが出来てしまうと戻るのも難しい。矢張り、心の奥では、白内障の手術が重荷になっているのかもしれないなあ。ストレスのネタは他にも色々ある。ひとたび考え始めるとろくな事にならない。全て忘れて、、、、いざ夢の世界へ。。。

 

2020年4月 4日 (土)

お初~ネットテレビ電話歌会。

初めてのテレビ電話歌会は10名ほどで行われた。スマホの画面に6名の顔が写り、発言者の顔は声で判断して入れ替えながらというもので、なかなか面白かった。最初はひたすら照れくさかったが、そのうちそんな事は忘れてしまって、いつもの歌会のように集中した。

およそ世の中の活動で最も縁遠いと思われる短歌の歌会が、最新式のやり方で進行出来たのはまあコロナ騒動のおかげだ。会社の会議や大学の授業なんかはこういいう形が取られているとはニュースで知っているが、まさか自分がこういう事をやることになろうとは。

実は最初はかなり懐疑的ではあった。活字にしてのやりとりとどう違うのかも不明だったし、そもそもホントに会って話すようにスムーズに会話が成立するのかどうか、という点が不安でもあった。

案の定、グループの中にはWi-Fiの不具合で声が途切れる人が居たり、充電が不足気味で不安を申し出る人が出たりして、少しばかりガタガタした。が、予想以上にうまく進行したと思う。

結論から言うと、あくまで会えない場合の一手段だろうと思ったが、例えば地震とか災害で同じように集会が持てない状況が来ても歌会は続けられると思った。こうした手段を持つか持たないかで、人と人が繋がれたり孤立したりということが起きるんじゃないかと。。。この歌会は近未来に一歩踏み出したのかもしれない。

基本的に、生身の人間同志が会って話すことに勝る手段は無いと思っている。その大きな理由は、人間は、表情や仕草、会話の微妙なニュアンスを発信し続けながら対している訳で、一見無駄なようでもこれらが生み出すものは計り知れない力を持っていると思うからだ。それは文章や詩の行間にも匹敵するし、心の奥まで理解する力にもなる場合がある。例えば、思いやりの心や、一度出した言葉を修正したり言い換えたりが簡単に出来ることもそうだ。推敲しまくった論文ならともかく、普通の意見をやりとりするのに、文章では限界があると思う。

ま、それはそれとして、元々こうしたITに対するアレルギーのようなものも、持つ人は持つだろう。文学に相容れないと思っている人も居るかもしれない。しかし、世間ではネット短歌、ネット小説なるものが沢山出てきている。時代と共に変わるモノと変わらないモノがあるな~。

今日は面白い体験をさせて貰った。

 

そのおかげで、時間が短縮されて、娘と孫を連れて志度のテアトロンにドライブが出来た。道中Tという和菓子やさんの美味しい大福や串団子を買い、タピオカが飲みたいという孫べえの希望を入れて、ついでにそこで美味しいサンドイッチも購入。素晴らしい快晴のテアトロンの石段に腰掛けて美味しく食べた。実は歌会の前は仕事でお昼抜きだったというのもあり、空腹だったのだ。娘とつくずく話したが、こんなお~いと呼んでも隣に聞こえない環境に住む人にコロナはピント来ないで当たり前だろうな~。ってこと。この界隈でマスクの人を殆ど見ない。スーパーはそれなりに対策をしているし、従業員もマスクだが、客の方ははほぼなし。ホント、この状態が継続できればそれに越したことは無い。

偶然にしろ、娘達がこちらに住んでくれてホントに有り難い。あのまま、東京のど真ん中に住んでいたら、本人達も大変だが、こっちも半端なく心配してる所だった。

息子の茨城も気にはなるが、、、、。甥も東京だし、姪は大阪。今こういう核家族ばかりだから、みんな神経が休まらないな~。無事を祈るしか無い。ふ~っ。

2020年4月 3日 (金)

花よせめて咲いていて、、、。

今年も桜が咲き始めた。1時間だけ母を連れ出しての近くの神社お花見には、娘ファミリーも一緒で車椅子の上げ下げなど、婿殿におんぶに抱っこで大いに助かる。孫べえも明るくはしゃいで母も幸せオーラに包まれていた。花は8割。でも、行けるときに行っておこうと思ってのこと。コロナ騒動でしげしげとは面会にも行けず、認知症は順調に進んでいる。まあしかし、家族の顔が認識出来るのは有り難い。友人の母上は子供の顔も分からなくなり寂しかったと聞いている。いつかはそうなるのかもしれないが、、、、。

今日FM収録から帰宅。するといつも使用させて貰っているコミセンから電話。4月末まで使用不可が延長されるという。やっぱりねえ。てことで、ちぇちの練習は当分休止するほかない。ふ~っ。

勝手なことを言うようだが、今東京を兎に角なんとかして欲しい。そこから地方に拡散してしまうのを食い止めないと、諸外国と同じ事になってしまう。さっき専門家が言っていたが、今強い処置をすることで、必ず収束させる事が出来るそうだ。何故それが出来ないのか?マスクやお金を配ることより、医療の充実、そして個人の行動の制御だろう。口では迅速にと繰り返しながら遅々として進まないのはどうしてだろう?

短歌の歌会は今月もネット歌会。そして詠まれている歌はコロナを思わせるモノが多い。さもありなん。蝶よ花よと歌いたいけどねえ。

 

あ~あ。

2020年4月 1日 (水)

雨がふるふる心にも。

志村というコメディアンが亡くなり、偉大な人を失った、それもコロナで!と、テレビやSNSが賑やかだ。勿論よく知っている人だし、その世界に貢献した人だとも思っている。よりにもよってコロナとは!?全く。

ただ、個人的にはこの人は単なる面白い人ではなかったような気がしている。人を笑わせても目の奥が笑ってない、というかどこか孤独感が付き纏う人だった。「演じている感」が凄い人だった。もしかしたら演劇や映画の演出家に向いていたかもと思ったり、、、。うちの子供達も彼を見て笑って育った世代だ。相当なショックを受けていた。

で、こっちも動画がアップされているのを見ているが、傑作なのは様々なゲストの面白さだ。例えばマツコデラックスなんか最高だ。全く笑わないで、志村に向かっていくの図は兎に角面白い。他にもお相手した人たちが口をそろえて言うのは、「ものすごく緊張しました。」だということは、矢張り志村の指示があってのあの面白さだったんだろう。70歳ねえ。惜しい人を亡くしたな~。

 

このところ、地震だ災害だ異常気象だとあって、その上コロナだ。これらは全部関連があるのかもしれないが、人類全体が末期症状のような。南極や北極の氷に閉じ込められていた細菌が溶け始めているという報告も読んだが、恐ろしいことになっていきそうだ。開発だ発展だと叫んでいないで、足下を地道に固めていかないとホントに最悪の事態が来るかもしれない。これほど様々な警鐘が鳴り響いているのに、そこをどうにか出来るはずの人たちが個人の利益に汲々としているのはホントに見苦しい。あ~あ。

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