先日ちぇちのメンバーで、今日が何日かをすっかり忘れて居ましたと、重要練習日をすっぽかした人が居たが、こう暑くては若くてもいろんな事が抜けるのも無理はない。とにかく毎日のスケジュールをこなしていくだけでも褒めて貰いたいくらいのもんだ。
先週土曜日は夏の歌会。皆さんお疲れなのか、毎月やっている時よりかなりお静か。自分自身も何時ものように意見が言えない。集中が欠けるというか、自分が言わなくても、、、とサボってしまった。あとの食事会で「今日は温和しかったじゃん?!」と言われてしまう。そのせいではないと思うが、確かに歌会が全体的に生彩を欠いていたように思う。会場が広いのもあるかも知れないが、活発な議論が巻き起こらなかった。司会者には気の毒だった。が、ここにこうして座っているだけでも褒めて貰いたいくらいのものよねえ~と隣の席の同窓生と話したことだ。にしては、高校時代の恩師でもある主宰者S女史は、全くいつもと変わらず、というか、いつも以上にお元気で、全員の提出歌について、どれ一つもなおざりにはせず、すべてにキチンとした歌評をし続け、疲れも見せず次なる夕食会にもそのままのテンションをキープ。アルコールで喉を潤す様は、むしろいつも以上にお元気!ワタクシより10歳年上という事を考えると、いやはやいやはや参りました。のこころ。
でもって、次の日だったわが娘が出演の朗読の会にも出て下さり、通常ならクーラーの中でひっくり返るか、次回の発行のための出詠作品の添削やなんかをしておられるところ、全く頭が下がる。
朗読と言っても、テーマを「ヒロシマ」に限っている。作品の選択作業の段階から娘の苦労は見ていたので、気が気ではなかったが、ま、心配するようなことはなかった。わが子が読んで居るのを忘れて涙した場面もあったが、こういう活動は是非これからも続けて行って欲しいものだ。
15年前から続いているこの会。何故被爆者でもないのにヒロシマに関心を持つのか?というパッシングを以前には受けた事があるようだが、当の広島からも被爆者はいつか居なくなる。居なくなればそれで問題が終わる事にはならないことを思えば、今、多くの若者がこういう事に関心を持ち続けるのは意義深いことだ。美しい声で、凛とした朗読をされたHさんが高齢を理由にこの活動から手を引くと聞いているが、もったいない。全然大丈夫ではないのか?確かにこういう活動は疲れることが多いだろうとは思う。でも、例えば車椅子でも朗読は出来る。もっともっとあの方の声が聞きたい。
で、今日は代車でシャンソン教室へ。10月の発表会に向けてとりあえず選曲をするのが目的だ。
で、帰りに銀行に行き、車代を振り込もうとしたらまあ大変。一定額以上は書類に登録の印鑑とか免許証が要る。そして恐れていたことが、、、、。登録印が違ってる。ん十年前に登録しているものを、必死で思い出し、結局は取りに帰ることに。やっぱりねえ。一度で用事が済むとは思えなかったが、案の定だな~~などと思いを巡らせながら3時の予約客に合わせて裏道を行く。す、すると、信じられない!パトカーが後ろから例の厭なセリフ、「その車止まって下さい!」が聞こえる。前後に他の車は居ないから間違いなく自分のことだ。でも、キチンと交差点で一旦停止してきたつもり。が、パトカーから降りてきた若いお巡りさん曰く、二つ前の交差点は止まり方が悪かった!なんてこと!?と日頃かなり注意していたのに~。三つあった交差点の一つをキチンと止まらなかったって、それって、止まる意志のある人だという証明ではないの?と言いたかったが、一方的に言われて、スゴスゴと切符を切られる。、、、帰宅して仕事をして、もう~出かける気分が失せ、全て明日に回す。ほ~んと嫌な気分。よっぽど「お巡りさんて弱い者いじめですか?」と言いたかったが、こんな善良な一般ピープルばかり捕まえないで、悪質なのを取り締まって欲しいな~。
考えてみると出かける前にレースのスカート生地がマジックテープに捕まって、必死で外したのだが、今日はあの時点から碌な事が無い。やれやれ。