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2019年7月

2019年7月31日 (水)

足探し。

突然のアクシデントにより、やむなく車を買うことになった。で、今日は婿どのが時間があるというので、一緒にあちこち連れて行って貰った。世の中に色んな車があるというのは知ってはいたが、自分に関係無いと思うとろくに見てないし、勿論車種にも詳しくない。こういう人にもってこいのアシスタントとして、婿殿は良い仕事をしてくれた。結局、まあまあお気に入りのを見つけることが出来て気分爽快。全く予想外の出費にはなるが、しかも73歳という年齢での乗り換え。車やさんの若いのが、お母さんお母さん、と呼ぶのが気に入らなかったが、彼の「売りたい」という情熱にほだされたことも否めない。きっとノルマもあり、大変なんだろうと思う。

明日は契約に出かけるつもりだが、最後まで婿殿の世話になりそうだ。矢張り車は好きなようで、用が無くてもそういう場所に行きたいくらいだそうだ。その点は自分と全く違う。車なんて足だと思っているくらいだから、もしかしたら最後の車になるやも知れず、とにかく最後まで動いてくれれば良い。てなもんだ。多分彼が付いてなければ、靴を買うように買っていたと思うなあ。

ついでに我が家で一緒にご飯、となり我が家に帰ったら、友人Kが孫を連れてやってくる。うちの孫べえと同じ三年生で、前から時々遊ぶ仲。だのに、男の子は照れてなかなか近づかない。女の子はその点平気。やがて一緒にご飯となり、仲良く隣に座ってご機嫌で笑いながらの食事となる。そんな二人を眺めながら、この子達が成人してどんな風になるんだろう?と思わずにはいられない。行く末を見届けたい思いがつのるが、さて、いつまで見られることか。

こうした大勢の夕食が、どうやら苦手になって来ている夫は殆ど輪から外れている。それでも夫なりには努力してそこに居るんだろうと思いながら、、、、やれやれ。

 

昼間はとある熟女お姉様お二人と豪華なランチを頂く。何もしていないのにご馳走になった感があり、ステーキが喉に詰まりそうになった。以前は良くこういう機会があった関係だが、諸事情で疎遠になっていたのがひょんな事で復活した。懐かしいというのもあるが、それぞれの年齢から来る変化に寂しさも感じる。、、、こうしていつかは完全にお別れするときが来るんだろうな~。でも、話している内にお互いがいたわり合って暮らしておられることがよく分かり、ほのぼのと嬉しかった。又改めてこういう機会を持ちたいと心から思ったことだ。

何処まで行っても人間関係だな~。

2019年7月29日 (月)

アクシデント。

日々疲れることばかり起きる。

K画伯のアートファクトリーで、子ども向けの絵画教室があるというので、孫べえを連れて出かける。教室といっても、何かを指導されるでもなく、迷った子にはアドバイスがあるという程度。内のお坊ちゃまは、その点手が掛からず、勝手にするする描き始めて、みんあがあっと驚くような奇抜な絵を描いた。しかし、持続力が無く後は自宅で仕上げるという。仕方が無く、午後のロボット教室に行く予定もあったので、そこを出発。約40分の肯定だが、急に静かになったと思い後ろを見ると熟睡中。ま、多少緊張したのかもととある交差点近くで渋滞のため一旦停止。青になったので、出発しようとしたが、全く車が動く気配がない。「えっ?」とばかり焦るも、何か操作を間違えているのでもない。慌ててJAFに電話。すぐに行きますとのこと。そして交差点近くなので、110番して下さいと言う。違反じゃなくて警察のご厄介になるのも変な気分。と、思っているとすぐさま二台ものパトカーがやってくる。わ~はで~。。。はずかし~~~。でもって渋滞解除の為の車の誘導をやってくれる。確かにこれは必要だ。やがてやって来たレッカー車の助手席に孫と乗せて頂き、故障車を曳いたまま車屋さんまで。孫はまだ眠たかったようだが、新しい経験に喜んで居る。

結局今日になって修理は殊の外高額になるという連絡があり、急遽車を探す事に。やれやれ。全く何があるか分からない。まあ、しかし、先日の高速でもし同じ事が起こったらと思うと、まだましか。勿論高速だろうが、JAFは駆けつけるだろうが、、、。

ふ~っ!

 

2019年7月24日 (水)

高知の空。

人生の師であり親友でもある高知のOさんが突如脳出血で倒れ、現在リハビリステーションに入所中だと知ったのは一昨日。その日、久し振りに声が聞きたくなったといつに変わらぬ声で元気そうにOさんから電話があり10分ほどゲラゲラとお喋りしながら、頭の片隅に「どっか変?」という思いがありつつの会話だった。その後気になりながらちぇちの練習に行っていた夜の時間に娘さんから電話が入る。「本人が言わないので、私からお知らせします。実は、、、」ということで、初めて事の次第を知らされた訳だ。すぐにもう一人の親友Yさんに電話を入れ、元気な内にすぐに会いに行こう、となる。

翌日、ホテルを予約して高速で飛ばして行くと、素晴らしく大きな施設があり、その一室にちんまりとOさんが居て、手に手を取って再会を喜び合う。その変貌振りに胸が突かれる思いしたが出来るだけ明るい声で話しかけると以前のように笑顔で返してくれる。しかしその日はかなり調子が悪く側に居た娘さんがしきりに症状を心配されている。東京から来ているので、かなり大変みたいだ。ず~っと付いてはいられないとのことで、後ろ髪引かれる様子で今日空港へと向かった。一緒に居なくなると淋しいからと、我々は時間差を作って夕方施設を離れることに。すると頼れる娘さんが居なくなったせいかどうか、急に元のOさんに返り、声は弱々しいが、「あなた達も早く帰らないと。私は大丈夫だから。」と今回初めて見る満面の笑みで我々を送り出そうとする。余りに屈託のないその表情に、結局我々もそこを離れることに。何度振り返ってもしきりに手を振っているOさんに、「又すぐ来るからね~」と声を掛けての退散だった。

滞在中に二度ほどリハビリに付き合ったが、まず驚いたのは患者さんの多いこと。広々とした室内に所狭しと置かれている数々のリハビリ器具やベッド。そこで男女半々くらいの若者が介護しながらリハビリを手伝っている。半分以上が高齢者と見受けられたが、中にはうんと若い人も居る。あれは交通事故か?こんな凄い施設が髙松にあるかしら?

今回一番ショックだったのは、Oさんが今後一人暮らしはもう無理でしょうと医師から宣告されたということ。ということは、あの素敵なお庭のおあの住み心地の良いお家で暮らせないと言うことになる。早速東京に帰ったら近くの施設を探しますと、娘さんが言われていたが、どうもそこへ落ち着く公算が大のようだ。これからのOさんの行く末が気になる。どうぞ心穏やかな結論が出ますように、と祈らずには居られない。

それにしても、Oさんの言葉の応酬力はいまだ健在で、娘さんが余りに目を開けないOさんに、「髙松からみっちゃんと孝子さんが来てくれてるよ。目を開けてしっかり見てあげてよ~。ビックリするくらい細くてスマートになってるからね~。」と言うと、すかさず、「そんな筈はない!」と来た。イヤハヤイヤハヤ、参りました。

 

行くときは大豊あたりでもの凄い豪雨に見舞われて、孝子さんが、「ちょっとパーキングで雨宿りしようよ」とか色々言うけれど、全く無視してかっ飛ばしたものだ。帰りは打って変わって秋の空かと見まがうようなしっとりした美しい空に。道中の緑や空の色に癒やされながらの良いドライブとなった。

又すぐ行かなくては!

2019年7月20日 (土)

合唱コンサート。

各種コンサートにはケッコウ出かけてる方だとは思うが、合唱には数えるほどしか行ってないと思う。今日は、出演者というか制作者の方がFM出演の折りお誘い下さったので、久し振りに出かけてみた。今日が31回目の舞台というだけあって、とてもレベルの高い歌声で、平均年齢が60歳を越えているとは思えない若々しい声の響き。ありがちな衣装替えは一度も無く、シンプルな佇まいは非常に好感が持てた。30人ほどのメンバーがすべて暗譜で、難しい組曲などを披露。その努力にまずは脱帽。年だから、、、と暗譜から逃げている身としては誠に身の縮む思い。怖い指導者として名を馳せている指揮のK先生。この方の還暦コンサートには出かけて行き、その素晴らしい歌声と演奏家としての姿勢に感動したのを覚えている。最近は丸くなったという巷の噂だが、、、。

それはともかく、集客が素晴らしい。県民小ホールではあったがほぼ満員。ゲスト出演のジャズバンドとのコラボにも違和感なく拍手の嵐。最後の最後に「上を向いて歩こう」の合唱で終わったが、帰る道々口を突くのは矢張りこの歌だ。国民的名歌になったもんだ。


コンサートの前は、孫べえと二人で最近出来て行ったことがないにハンバーグを食べに行く。風っぽいから消化が良くて栄養のあるモノを食べさせて、との母親からのご注文に従った訳だ。

思ったより美味しかったし、サラダバーの充実も良い。たまたま空いていたのも孫とゆっくり食事をするには良い場所だった。従業員のサービスも気持ちが良いものだったためか、帰りに、「どう?リピートアリ?」と聞いて見ると、「ん、アリ。」と満足げ。こうして段々大人に近づいていくなあ~。

演奏会の後は、買い物をして母の所へと車を回す。明日は久々の外食をと思って誘いに行った訳だ。速攻で帰ってくる答えは、「ハイハイ行きますよ~。何処へでも行きますよ~。何でも頂きますよ~」だから驚く。母の場合、心が元気なのが良い。さ、明日は何処へ連れて行こうかな~??

そういえば明日は選挙だ。選挙に行ったら只今ブームのタピオカを貰えるとか、どこぞのラーメンが安くなるとか、、、世も末だ。選挙くらい自分の意志で行こうよ!

SNSで今日話題沸騰は、NHKアサイチに、久米宏が出ていたらしい件。「アンチ政府、アンチ国家、という放送局があっても良い。ホントならNHKがそうなるべきを、トップ辺りが首根っこを捕まれているからそれが出来ない。」と自説を展開したらしい。ぱちぱちぱち。拍手。

これでもし、又次回以降も久米宏を起用出来たらNHKも大したもんだ。そうあって欲しいが、、、、。

要するに、言いたいことが言えないような社会は碌な歴史を生まないことは過去の例からもよく分かる。そして、どんな組織であっても右へならえは間違っている。個人の意見が尊重されなくてはその組織も危うい。

だから、選挙に行こう!ってことだ。

2019年7月19日 (金)

一人の死。大勢の死。

昨日一昨日とある方の遺品整理に立ち会った。病弱ではあったが音楽家でもあったこの方の生活は、半分以上が音楽だった事がよく分かるお部屋だった。夥しいβやVHS、そしてCDのジャケットにレコードにDVD、楽譜や教則本なども。そして何よりも驚かされたのは、どこもかしこもキチンとしていたことだった。このマンションで暮らす最後の方は外部からお世話する人が訪れていたと思うが、そういう人には触れられてないだろう場所もキレイにキレイに収納されていた。生涯独身で、障害のある身体でつましく真面目に生きて来られた、その人の生き様を見る思いがした。

一日3時間が限度で、電気が来てない為昼間の作業を余儀なくされたが、幸い必要な光りは確保出来、故人のことを話しながら、粛々と事を進めた。それにしても、こだわりのある重厚な家具類も、楽器類も、すべては処分されてしまう訳だ。

以前病床を見舞ったとき、既に幻覚症状も時折現れいて、「私のマンションねえ火事ですっかり燃えちゃったのよ。何もかもよ~。。」と話されていたのを思い出す。実際は火事ではないが、今となっては火事と同じ事だ。あの方のそう言った後の弱々しい笑顔を思い出す。

ピアノの教師をするまでに積んだ技術も、その後の人生に於ける努力もすべては「無」となった。80年以上生きられたら本望、という考えもあるだろう。ある意味自由を満喫し、好きなように生きた、とも言える。

しかし、次々と出てくるものたちに、どうしても空しさを感じずにはいられない。最後まで明晰な頭脳で人としての品位を崩すことなく逝ってしまった人。様々な事情があったとはいえ、もう少し足繁く通って差し上げたかったという悔いがどうしても残る。あの恐ろしい孤独の中で一人で息を引き取ったかと思うと、それはきっとそうなると予感しておられただろうとは思うけれど、もっと何かして差し上げられたのではないかという後悔が胸を突き上げる。

作業に疲れて廊下に立ち止まると、風が汗を吹き飛ばし心地良い。。。。とりあえず一段落して解散。「Yちゃん、さよなら。又来るね。」とは同行の遠縁にあたる人のお言葉。

 

今日になって、アニメ会社の火災テロ事件が報じられる。こちらは30人もの死者が出る模様。きっと若い情熱に燃えた人も居るだろうに。怨恨説が有力だが、なんか、日本国中ゾワゾワゾワ。いろんな事があり過ぎでしょう?

2019年7月15日 (月)

あっちもこっちも舞台芸術の我が町。

毎日の行事をこなすのに精一杯の日々。今日も朝から次々と予定が入ってくる。まずは今日が本番というお嬢の和風ヘアーセットを8時から。前夜にある程度準備していたものを施術したが、まあ大変。バタバタと送り出してから今度はシャンソン教室。終わるや否や、リハが終わったお嬢の楽屋へと駆けつけ、手直し。そこで偶然にも今夜のコンサートのピアニストと遭遇。前からの顔見知りだが、今回のお嬢の公演で同じ舞台に立つ。まあ、髙松は狭い。その楽屋には以前FMに出演してくれたとある男性も出入り。あっちにもこっちにもご挨拶となる。廊下では今回の主宰者Y女史とも出会い、彼女の奮闘振りの一端を垣間見ることに。本番の日の特別な表情が見て取れる。

この公演は立ち見が出るほどの盛況ぶりで、場内に入ることも叶わず、ジュンクドウまで移動。しばらく本を物色していたが、結局買うには到らず、封筒と便箋を買って退散。空腹のまま、2,3用事を済ませ帰宅。2時半という時間にぼそぼそと昼ご飯。そんな妻を尻目にとっくにうどん屋かなんかでお昼を済ませた夫がスイミングにお出かけ。ケッコウ毛だらけ妻灰だらけ。

こっちはそこから夕飯の準備をして夜のコンサートまで家事。一眠りしないと会場で寝る恐れがあったが、そんな時間は無い。ご機嫌で帰って来た夫を前に少し喋りのお付きあい。大相撲の最後の取り組みを途中にしてカーラジオに切り替え義妹を迎えに。二人で四方山話に花を咲かせながら街中のホールに着く。

今日の演奏は以前から仲良くして貰っているマンドリン奏者のM氏と昼間出会ったピアニストT女史。画廊を兼ねたこのホールの壁面には、フィレンツェに長年住んでいる日本人女性のフェミニンな水彩画がかかっていて、どれもこれも心和む癒し系の絵ばかり。マンドリン奏者の出したCDのジャケットのデザインを手がけたとのこと。音楽で人と人が繋がっている。演奏は期待通りの楽しいもので、全く眠ることなく観賞出来た。途中で今月お誕生日の人に全員合唱というハプニングでラッキーだったのが、偶然にも歌でよく知っているH・Mさん。終わった後ご挨拶したが、いやはやいやはや、これが髙松だ。

てなことで、夕食を取らずに出かけたため、本日は温和しく帰宅。。。。なんか、疲れる。まだ体調が本調子でない感じ。が、明日も出かける用事があるな~。ふ~っ。

2019年7月10日 (水)

風邪っぴき。

このところのツメツメのスケジュールの疲れが出たのか、遂に風邪。夏の風邪っていやだな~。幸い熱は余り無いから良いが、声が明らかに変わって、咳と鼻水が時々。身体がだるいし、動くと汗びっしょり。良いのか悪いのか分からないが、シャワーを浴びずには居られない。早く治さないと終末から又又忙しい。葛根湯ばかり飲んでいるが、病院には行きたくない困ったアチクシ。母親の薬で、本人が幻覚症状を起こしたからと貰ってきたのがあるが、パソコンで調べたらすべて自分には合わない物だった。うっかり飲んで、副作用で大変な事になるところだった。夫に言われて全部ポイ。やれやれ。


孫べえがパパに髪を切って貰うと言ってやって来たは良いが、近頃反抗期で途中で怒りを爆発させ止めてしまう。どうやら来る前に公園でバスケットの練習を激しくやり過ぎて手が痛いようだ。パパは自分も昔やっていた為力が入ったのだろう。まだ3年生だ。無理もない。母親が側でパパを叱るのを聞いてようやく戻ったが、段々難しい年齢になって来た。しかし、まだみっちゃんみっちゃんと甘えてくるから可愛いもんだ。、、、そういえば、わが息子も、3年生から親の前では絶対泣かなくなった記憶がある。そういう年齢なんだな~と感慨深い。

モニターの為に夕方のNHKニュースを見る。間に参院選の立候補者の演説があったが、面白いのは、NHKに出ていながらNHKをぶっつぶすというのが公約の人。公平が求められるということからだろうが、皮肉なことだ。

個人的にはNHKのような局は存在するべきだと思っている。確かにトップの資質など問題が多々あることは知っているが、民放だけになったら、と思うとぞっとする。矢張り「公共放送」というのは有る方が良いと思う。国民が育てていくという前提の元でだが。これが「国営放送」になるとやばいことになる。

そして民放には民放の役割も有るだろう。何でもが偏らない方が良いと思っている。ん。

2019年7月 9日 (火)

演奏会から焼き肉まで。

何はともあれ一つ終わった。Cantiamoは今回で51回目。長く続けてきたという点だけは胸を張れるだろう。が、自分を始め、研鑽が足りてないのも実感。中にはめざましく進化した人もいるが、長いスパンで訓練できていない曲が多く、もう少しやればもっと良くなるだろうに、、、、という、まさしく自分のことだが、思ってしまった。それと小さな舞台でも舞台は舞台。緊張を強いられ、いつもの実力が出せない人も多い。だからこそのこういう機会なんだが、、、。

しかし、こうして間違いなく上達を目指して集うクラシックの会は価値ある物だとは思っている。なんといってもクラシックを歌うのは難しい。でも、みんなでやれば怖くない?じゃないが、とにかく毎回20人ほどがこうして集い、クラシックを中心に勉強するというのは良い事だと思う。何しろ真面目な、本当に真面目な会だから。終わった後の打ち上げ会でも、今後の勉強の事をこれ又真面目に討論するのだ。ま、美味しい物を食べながらということで余計盛り上がるのではあるが。。。そして忘れてならないのが、毎回当番制で、会場や時間、会計とプログラムなんかをみんなでやるという点。それぞれがそれぞれの立場を理解し合う良い機会となっている。そこから生まれる、気持ちの良い空間はもしかしたら一番大事なことかも知れない。

帰宅して夕飯の準備をし、疲れ切って眠いかと思いつつも我慢してこの日まで横に置いていた案件を片付ける。でも流石に午前様になる前にダウン。朝から母を迎えに行くのもあって、この日は早寝。

予定通り、母と叔母を迎えに行き、予定通り最近オープンの焼き肉屋さんに行く。道中何度も、「お肉で良い?」と聞いたが、いつも「ええよ~」という合唱のようなお返事。どうやらお肉信仰があるらしい。その焼き肉やさんに99歳と89歳を連れて行くのが73歳だから、時代は変わった。行ってみれば、予想通り行列が出来ている。少し時間はずらしたが、それでも「讃岐の初物喰い」は健在だ。

で、ようやく座席に座って、注文はすべてパネル。品物はすべて、回転寿司タイプの提供で、ジェットなんたら言う超スピードがあるもので運ばれてくる。ところが、いくら肉好きのわれわれでも一人一皿は多すぎる量。予め、仕事帰りの娘を呼んでいたのが良かった。結局4人で3人前を食べて丁度良い感じ。ノンアルコールからデザートのアイスまでしっかりお召し上がりになった老人二人を再びそれぞれお送りしたが、帰って来たらどど~っと疲れが出て、思わず1時間ほど寝てしまった。昨日の今日だ。流石のアチクシも参りました。

で、夜は夜で、ちぇち練だ。今日から場所が変わり、瓦町での練習。昨日の今日で、参加者も少なく、ピアニストによる個人レッスン的な時間となった。が、こういう時間も大切だ。

その間にも、次回のCantiamoの会場についての問い合わせが入って来たり、、、。ま、色々。

こうして今日も終わる。

2019年7月 4日 (木)

今日も終わる。

雨予想だったが、全く晴れて、久し振りに母を伴い父のお墓参りに出かけた。娘が熱心にお墓のお掃除。ビールまで持参していて、缶を開けて置くという念の入れかた。眼を細めてその様子を見ている母。キレイになった所で何やらぶつぶつ拝み始めたが、途中から、「おじいさん、もうちょっとそっちで楽しんで下さいね。わたしはもう少しこの子達とこっちで楽しみますからね。」と声に出して言う。一時期を思えば奇跡の生還だが、そんなことがあったことも忘れている母だ。

そして丁度お昼前だったので、どっかでランチしようとなり、最近開店したという焼き肉やさんに車を回す。勿論母が「お肉が良い」と言うからだったが、、、着いてみれば広い駐車場がガランとしている。それもその筈、開店は明日だった!仕方なく○タウンへと行き、ハンバーグ屋さんに行ってみる。するとケッコウ美味しくって3人とも大満足。ご飯が特に美味しく、流石に全部は入らないという母の分を半分貰った位美味しかった。

ご機嫌な三世代はそのまま我が家へと移動。最近母の為に下ろしてきたベッドに喜んで横たわる母。これならここに泊まれるかもと言えば大きく頷く。少し一人にしておこうと、娘をマンションに送り、こっちは郵便局など用事をすませ、母の好物のソフトクリームを買って帰宅。やっぱりとろっと眠っていたようだ。しかし、アイスクリームをみると即座に起きて座り直す。仲良く昔話などしていると、夫が帰宅。しばし3人で他愛もない話しをしてから施設に送っていく。

今日も元気で居てくれた。有り難い。

そのあと仕事もして、遅く帰る夫の為にちょいと手のこんだ料理を。と言ってもみじん切り野菜のオムレツと豚の冷しゃぶだ。とにかく軟らかい肉をとそればかり言われて、脅迫観念が生まれている。そこのみに注意して作って大正解。夫はとっとと食べて、とっとと薬を飲んで、とっととお休み遊ばした。そこからが私の自由時間。早く寝ろと言われても、やっぱり宵っ張りになって仕舞う。

明日はFMだし、お風呂入ってね~ましょ!

2019年7月 3日 (水)

泥縄練習の日。

天気予報でしっかり脅されて、今日の羽床行きは辞めようかと思っていたが、それ程でもなく予定通り義妹を乗せて出かける。丁度良いくらいの雨が降り、さんざん歌って、美味しいケーキも頂いて、疲れ切る前においとまし、無事本日の予定修了。、、、でもやっぱり疲れてはいる。

その証拠に傑作なことに。

夕飯後NHKのガッテンをモニターの為に見ようとしていたら、夫が、おっ!今日はお肉を柔らかく食べる方法だ。丁度良いからしっかり見て柔らかい肉を食べさせてくれ。と言うので、じゃあテレビ前の簡易ベッドは私が使うわね、となり、横になって確かに見ていたはずがいつの間にかグッスリお休みに!途中で書斎から現れた夫がそれを見てあっけ。せっかく譲ったのに~とご機嫌な斜め。再放送をチャンと見るからと約束して、メロン切ってご機嫌取り。実際の所、番組は特に目新しいこと言ってなかったような気がしているが、、、、。ま、モニターの事もあるから再放送のチェックはするべえ。

歌を歌うというのはかくもエネルギーを消耗する。なんせ、練習中、汗がぽたぽたとしたたり落ちたくらいだ。

明日は母を我が家に連れ帰る予定。今日は早めに休むとしよう。

2019年7月 2日 (火)

ジャズな夜。

とあるご縁で、日本のレジェンドと言われているらしい演奏家二人のライブを聴きに行った。その道に詳しくないワタクシはなにがなんやらちんぷんかんぷんではあったが、不思議なことに、「イパネマの娘」や他にも知ってる曲があった。なんでもかんでも原曲をアレンジしてしまうのがジャズ?そういえばこの日は無かったが、「枯葉」なんてのも聞いたことがある。時折童謡唱歌の類を織り交ぜたりして場を和ませたり、それぞれ白髪の白髭のおじさま達で、経験豊富で世慣れた感じではあった。娘はしきりに格好いいを連発。確かにそう思わないではないが、こっちはベースの指使いの凄さに、大丈夫かな~?と思ったり、きっと疲れるだろうなあ~と同情したり、、、、。水代わりにウイスキーとおぼしき物を時々口にするピアにストに、水にしたら良いのに~と野暮なことを思ったり。。。ま、あれが水のペットボトルではかっこ悪いわな~。
予想以上に楽しめたツーステージが、最後の曲と演奏を終えた時、「皆さん、実はまだ終わりではないんですよ。」と客席の奥を手招き。すると長いストレートの髪をなびかせてえらい美人のヴァイオリニストが現れた。紹介されて名前に聞き覚えはあったが、実際の演奏をどこかで聴いた覚えはない。ほんの短い会話の末、「サマータイム」をやると決まり、いきなりヴァイオリンの強い激しい音が響き渡ったと思ったら、そこからは、まるで雨上がりの大きな滝のように壮大な音楽が流れ始めた。その滝の水が大河となり清流に変化して、小川のせせらぎへと終わっていくのを、全員が固唾を飲んで聴いていた。演奏家達の真剣な姿とまなざしに完全に惹きつけられた。

勿論割れんばかりの拍手で終わったが、ヴァイオリニストは東京の人らしい。今はこちらに住んでいるとのことで、又聴く機会がありそうだと分かる。彼女曰く、基本はクラシックだけど、何でも弾きます。どんなジャンルでも好きですとのこと。そこが娘と共感したらしく帰りに立ちよった深夜営業のうどん屋さんでもしきりにその話し。自分もジャズが歌いたい、とのこと。どうぞどうぞ。なんでもやって、だ。人生は短い。歌える時期はもっと短い。納得できることをやっておかなくては。

「こんな時間に食べるもんじゃないよね?」と笑いながら、釜揚げ、と鴨南蛮、、、懲りない親子ではあった。最終の電車とタクシー帰宅したらこっちは午前零時。お互い現実に帰らなくては、の時間だった。

実を言うと、娘と二人で町ブラはしご酒をやった挙げ句のライブ。一軒目はビール専門店。何も分からず、ビールの説明が書かれてあるのを指さして、「コレ下さい」というと、愛想の無い声で、「それは単なる説明です」といわれ、慌ててらしき物をそれがどういった感じのものかも分からず注文。恐る恐る飲んだらこれが美味しい!ウエイターが感じ悪いから料理は取らないで帰ろう、と娘が言ってたのに、一口飲んで、同時に、「やっぱり取ろう!」と叫ぶ。でもって、来たものが、「チーズとキューリなんかを湯葉で巻いてあるもの」で、しゃきしゃきした歯触りが絶品。しかし、娘はもう一軒はしごしようと言う。で、娘は初めてという「串」のお店に。たださえ良いお値段のお店だのに、遠慮無く「フォアグラ大根」やら、高級そうなのばかり注文する。ったく。勘弁してよ~だ。二人して、不良主婦だねえ、と言いながらそのライブ会場まで歩く。勿論そこでもビール。眠くなったら困るな~と思っていたが、奇跡的に大丈夫だった。
にしても、婿殿にチビをまかせて、呑気な話し。ごめんねごめんね~。

2019年7月 1日 (月)

ちぇち練の日。

今日の昼間はちぇち練。今取り組んでいるのは12月のサロンコンサートの為のオペレッタとオペラだが、オペレッタは日本語に訳してあり、意味はよく取れる。が、何故だろう?イタリア語の方が、耳に心地良く響いてくる。矢張り作られたお国言葉で歌うのが王道だろうということは分かる。

とりあえず七夕の日の歌の練習もあるのだが、色々平行してやるのが大変になって来た。でも、やるのは、歌う事の魅力だろう。

明日はシャンソン教室。こちらも10月に発表会だ。ジャンルは違うが、みんな真剣に取り組んでいる。そうでなきゃつまらないからだ。真面目に努力したあと本当の歌う喜びが待っている。


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