あれよあれよの5月最後の日。
一月のなんと早いこと。暑いの寒いのと言ってる間に明日はもう6月だ。って、あと10分だが。
我ながら呆れるほどの忙しさで、とりあえず記憶の箱からはみ出しそうな事項を、漏れが無いか日々心配しているという状況。だからという訳ではないが、飼っていたメダカがすべてお亡くなりになった。原因は伝染病らしく、最初の3匹がお隠れになった時点ですべての水槽の中の物を取り出して洗って干して、キチンと濾過していたのだが、矢張り既に伝染っていたらしい。もう~っ絶対飼わないぞ~。と心に決める。が、置いてあった部屋に入るときに癖でついそちらを見ては寂しさを感じている。大きめの水槽はどうやら孫べえが昆虫を飼うことになるようだ。
虫ですら、こうして一度に7匹死なれるとショックで辛い。
それがあのむごたらしい殺傷事件。だんだん中身が明らかになって来ているが、例によってSNSのニュースで色々出て来ている。中でも「死ぬんなら一人で死ねば良い」という落語家?の発言が賛否両論展開されている。
これについて自分なりに考えてみたが、個人的心情としてはその発言に賛同する。何の罪も無い他人を巻き添えにしないで欲しいという切実な願いは勿論ある。家族間では当然そういう話にもなる。けれど、犯人の生い立ちや環境を考えると、同じ状況下で彼以外誰もそうならないとは言い切れないのではないか?とも思う。その犯罪が形成されていく過程にはそうなる沢山の原因が有るのではないか?あのニュースを見て、自分も同じだと一触即発の状態の人が居なければよいのだが、、、と思う。しかし、きっとそういう人は存在するのだろう、とも思う。自分のアイデンティティが否定されて、生きることの意味も見いだせず、鬱々とした生活を送っている人は想像以上に多いのかも知れない。
そう考える時、マスコミに乗っかる人は、余程慎重な発言をしないとそれは社会によろしくない効果をもたらすかも知れない。と思う。感情論ばかりがテレビ画面で流れる様を想像しただけでぞっとする。
早速どっかで、引きこもりを非難されたと、家族を殺傷したというニュースが新に流れている。しばらく類似犯が出てくるような気がしている。
みんな、幸せになるために生まれてきたんだけどな~。