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2019年3月11日 (月)

どこに居ても多忙。

当初は病院でいつもよりは時間に余裕が出るものと想っていたが、実際は絶えずやることがあり、いつもより忙しいくらいだった。合間合間で看護師の方が入れ替わり立ち替わり入室してくるし、じっとしている時間はほぼないくらい。

全く食べない母に付きっきりで色んな話をしながら食べて貰うことから始まり、衣類の交換から入れ歯の洗浄やうがいといったいわゆる介護は、半端無く時間も労力も必要だ。今さらながら、介護職の人達の凄さが分かる。
場所が変わってますます認知が進んだように見える母も、昔話はしっかり覚えていて、修正しつつ会話は成立している。これまで関わってきた人々に関することは最近の事も随分分かっているのが有り難い。
そして、医学も凄い。あれほど何も口に出来ず弱っていく一方だった母が、毎日の医学的手当のお陰で、すこ~しずつ全体に上向いてきている。まずは声がしっかりしてきた。食事も以前とは比べものにはならないが、「食べないと施設に帰れないよ」と言うと頑張るようになってきた。今日の夕食で出たお粥をほぼお茶碗一杯食べてしまったのには驚いた。持って行った大きないちごも、「味がしない」と言いつつ一つは食べられた。昼食の時よりさらに食べられるようになっている。
以前から延命治療だけはしたくない、と言い続けていたため、そのためには口から食べなくてはと説得していたのも効果があったようだ。
何故施設に帰りたいのかと思えば、まだ半年にも満たない付き合いなのに、施設の従業員の方々と馴染みになっていて、毎日のように声を掛けて貰い、気軽に受け答え出来ていたのが今の母にとって一番になっているのだ。
何とか快復して望むところへ連れて行きたいと思ってはいるが、、、。

こうした状態で、暇があれば読もうと持って行った詩集や短歌の本などは全く手が付けられないで持ち帰っているのが現実だ。
そして帰宅して夕食の支度から片付けまでが終わると、一度寝ないでは居られないくらい疲労している。
夫や娘の協力があって出来ていることに感謝。母の人生の最後にこうして濃密な時間を過ごす事が出来るのを喜びたい。

ちぇちのメンバーで看護師のN嬢は、「高齢になってからはドンドン我が儘言えば良いんです。周りの家族の世話になれば良いんです。何も遠慮は要らないんです。」と言っていたが、彼女は在宅医療もやっていて、色んな人の最後までの過程を見ているらしく、ともすれば遠慮がちになっている高齢者にかなり同情しているようだ。
ホントにそうだと思う。
生きてきた世代が違うせいかもしれないが、わが母も娘に世話になっていることに必要以上に感謝しているようで、別れ際には何度も有り難うを言う。

「有り難う」
良い言葉だが、時に悲しい。

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