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2019年3月

2019年3月31日 (日)

ミラクル。

晴れたり曇ったり雨が降ったり今日は雷も。天気同様バタバタの生活の中で、相変わらずのドジバナを咲かせたり、色々ありながら先日は市民劇場で、「OG]というミュージカルを観た。30年以上歌ってきた場末のキャバレーのおばさん二人が、あと1週間で店じまいするという段になって、若い姪がおばさんの舞台姿をSNSで発信したらそれが思いも掛けない事態を引き起こし、突然に客席が連日超満員になるミラクルなお話し。年取ったけどまだまだ私たち行けてるわよね?という事で未来に待ち受けているだろう認知症のことやなんかも吹っ飛ばそう!とう〆になる。
ミラクルねえ。

終演後バッタリ会った知人から、「まるで蓮井さんのお話みたいだったわよねえ~」と声を掛けられる。イヤハヤイヤハヤ。

そういえば、現在我が母はあれほど危ない状況だったのに、食欲が少し戻って、点滴ももう外しましょうとなる。これぞホントのミラクルだ。まあ、母の場合は底力だろうが、、、、。


こけ枝師匠が来月の柳家さん喬師匠の公演チラシを運んで下さる。先月お誘いしていたく感動されたY先生にも早速お声かけ。さん喬師匠の愛弟子の喬太郎さんが売れに売れて、全国の殆ど全ての公演が売り切れ状態だとか。5月にその方の独演会も髙松であるが、同じく売り切れ。今落語がブームのようだ。
友人Kさんが、九州で何日も毎日落語三昧というイベントがあるからネットで調べて欲しいというので、早速見てみたら、毎年秋に博多でやっているらしい。彼女は絶対行きたい、と熱心に言ってたからあれは行くだろうなあ。私も行きたいけどねえ。遠くの予定は立たないのが現実だ。

 

本当の桜の満開はまだのようだが、晴れた日の一日を何とか母と出かけようと思っている。。。。雨が、もう止んだようだな~~。

2019年3月26日 (火)

姉妹の絆。

人間とは妙なことを良く覚えているものだ。大昔、高校一年生の時の国語の先生が入学して最初の授業で、「皆さん、今は良い季節です。はるという漢字を書けますか?」と言われ、黒板に「はる」と書き、しばしみんなの不審そうな顔を見ている。確か誰かが黒板に書きに行ったと思う。ニヤニヤしながら、小学生でもないのに当然書けるという顔の我々に向かって、その横に「張る」と書いた。勿論全員がえっ?という顔をしていると、「春」=「張る」です、と真顔で言われる。春になると物皆起きだして花にも木々にも力が漲ってくる。要するに色んなものが張ってくるんです。どうです?皆さんも張り切って登校してきたでしょう?


未だにその真偽の程は知らないのだが、この先生の愉快な授業は良く覚えていて、時にずうずう弁で田舎芝居のチャンバラのシーンをやってくれたり、、、、授業中笑いが絶えなかったのを覚えている。


確かに、春=張るというのは分かるなあ~と近頃母の施設まで歩いて行くことも多く、道中草花などが日々生き生きとして来るのを楽しんでいる。

今日は母の妹、即ち叔母から電話があり、母に会いたいというのでお迎えに行く。三姉妹が顔を揃えるのも数週間前以来かも。99歳97歳89歳の三人。ちゃんと会話が成立しているし、おかしな所は全く無い。以前はこの三人を吾が車にお乗せしてよくアチコチ出かけたもんだ。一泊旅行なんぞも何度か車で行ったし、今になってみるとそうしておいて良かったとつくずく思う。


この叔母達はとにかく明るいのが良い。流石に母は自分から話題を提供出来る状況ではないが、二人の会話を聞いては良く笑っている。有り難い事だ。

昨日ある舞台に姉妹で立ってそれぞれが独唱したと、その時の様子や感想をラインで送ってくれる。姉妹で歌をやる自体素敵なことだし、時間を共有出来ることはホントに良い事だ。いつかは叶わなくなることではあるが、こうした時間を沢山持てることは本当に素晴らしい。

人間は色んな絆で結ばれているが、姉妹の絆は特別な物で織られて居るのかも知れない。


 

2019年3月24日 (日)

身も心も暖かい一日。

晴れた朝、母を訪ねると何だか元気が無い。点滴の最中だったがかなり漏れていて腕がぱんぱんに腫れている。普通は痛いらしいが、本人は全く痛くないと言う。しばし話しをして迎えに来た娘の車に乗り込み、本日の春の音楽祭へと出かける。ちぇちの出演に多少なりとも貢献できればとの想いだったが、大した事も出来ず再び娘の車に乗って母の元へ。

春の音楽祭も長く続いていて、毎回出演者の、出演団体の多さに驚く。この中の一割の人でも吾が団体に入ってくれれば、団体として充実するのに~とは、いつも思う事。歌が好きな人は大勢居ても、オペラとなると二の足を踏む人が多い現実。残念なことだ。
ちぇちのメンバーは舞台袖で影アナをやりつつ聴いていた限りでは大した破綻も無く、予定通りの拍手を頂けていた。これが又後日ケーブルテレビで放映されるから、その時にしっかり見せて貰おう。

帰路、娘と話し合って、とにかく時間は無限ではないから、今やれることはやっておかないと後悔するよね。となる。で、母が自宅に帰りたがっているのを今日実現しようとなる。早速弟たちに連絡をして快諾して貰い連れて行く事とする。
こうして実現したしばらくぶりの自分の家。仏壇の前で黙ったまま長く動かない母の傍ら、ことさらに話題から母を外し、孫べえを交えて弟たちと歓談する。ややあって、別室に移動してティータイム。ここでも母は無口なまま。相変わらずお菓子を口にすることもなく、お茶を二口三口すするだけ。あの冗舌な母が、ただ黙ってみんなの話しを聞いている。側に居て母の気持ちが痛いほど分かることに耐えかねて、こちらから腰を上げようと促す。それでも1時間ばかり居ただろうか。素直に従って光りの庭へとゆっくり足を運ぶ母。勿論介添えが必要だが、こうして帰ることが叶ったことに感動しているのが分かる。弟が良く手入れをしている庭の花々や木々を眺めながら何とか手押し車を押して移動。、、、次回があるのか無いのか。「次はおじいちゃんのお墓参りとお花見ねっ!」と娘はあくまで明るく、それに答える母も嬉しそうに返事をしている。

今日一日、快晴だったことに感謝。

2019年3月21日 (木)

孫効果。

今日は汗ばむほどの暖かさ。昨日まですっかりけんびき風邪にやられていたが、かかりつけのお医者様にとにかく早く治して欲しいと頼み込んで出して貰った薬が良く効いて、夕べ、死んだように眠れたせいか、今朝は目覚めも良く身体も自由に動く。しかし風邪がぶり返さないように慎重には動いている状態。とにかく無理はしないと決めた。

自分では無理と思って無くとも、身体は正直だ。母の入退院はかなりハードだった。環境が変わることで母の精神状態が危ぶまれたのもあり、実際の症状も気になりつつの病室通いだった。しかし、驚くことに母の内臓は全く異常なし。胃も腸も心臓など臓器はほぼキレイだという。そもそもそういう検査に耐えられるかどうかさえ心配したが、それをも乗り切り、結局病院では何もすることが無くなって99歳の誕生日の翌日退院となる。しかし、あいかわらず食欲は無く、殆ど何も食べない状態は続いている。。。。これを老衰というのか。
病院ではしきりに施設に帰りたいを繰り返し、ようやく10日目に暖かく迎えて貰って馴染みの職員の方々と以前同様朗らかに話してもいる。「おてんば婆さんが、そんな弱気でだめでしょう?」なんぞと言われては明るく返事も出来ているのを見て、つくずくこの施設で良かったと思う。
そんな矢先、息子が海外出張から帰国して駆けつけて来て、べったり4日間母の側に貼り付いたところ、信じられない程に快復。これぞ孫効果。孫といっても、いわゆる初孫で、特別に可愛がっていたからだろうか、みるみるうちに元気になった。食欲が無い以外は以前と変わらないほどだ。
その息子も次の別の海外出張のため再び去っていったが、何種類かのテレビ電話を指示して帰った。確かにその方が薬よりも効果があるのかも知れない。
こうした中で、ドンドン体力が消耗して行ったのはこちらの身体。夫から無理し過ぎだとたしなめられても、放ってはいられない。共倒れにならないようにとは思いながら、娘の協力も受けながらここまでやって来た。
何がキツイって、人生の終末に向かって居るというハッキリとした意識のある母の傍らにいて、へたな慰めがなんの意味も持たないという思いの中に、ともすれば自分自身が沈潜してしまうことだ。
こうした中で、娘がネットであれこれ調べたようで、今の状態の中で貴方に出来ることの何箇条、というのを送って来た。例えば食欲が極端に落ちてきても無理に食べさせようとしないとか、氷が良いとか具体的な事が書いてあり、最後に、「親身に世話をし、愛する存在であり続けること。」という項目があった。これに尽きるなあ。一人じゃないよ、というメッセージ。
そういえばこないだ母が、「あの世とはどんなところかなあ」と言うので、「さあ、誰も帰ってこないところを見ると余程良い所なんじゃない?」と答えたら、母は大いに笑ったな~。
笑う事は良い事だ。

2019年3月14日 (木)

誤算。

春一番か何番か知らないが、病院の外に出たら猛烈な風に吹き飛ばされそうになる。病室が余りに暑くてセーターを一枚脱いだのを後悔する。ジャケットのボタンを合わせバス停まで。栗林公園から夢タウンまでと思ってのこと。
ところが普段バスに乗らないから乗りたいバスの情報が読み取れない。
予定を変更して看板の見えているハローズまで歩くことにした。

しかし、風は向かい風の強風。体重には自信があるので、突き進むべく体を丸めて歩き始めたが、ともすればよろけるほどの強さ。なんとか目的地に着いたら息が上がっている。
余りに疲れて店内の休憩所でコーヒータイム。
一人男性が日当たりの良い席を陣取り日向ぼっこ。この辺りだけまったりとした空気感が漂う。

少し元気になり、カートを押して店内を一巡。この店初めてのショッピングのせいで目につくものを次々とかごに入れ、ちょっと重いかな?とも思ったが初めからタクシーを思っていたためそのままレジへ。
外に一歩出たら相変わらずの突風。お目当てのタクシーはどこにも居ず、仕方なく歩き始めた。もちろん流しのタクシー狙い。
しかし、どこにもいないし、やっと来たらスマホに夢中でこちらに気付いてくれない。結局歩いて病室に帰ったが、よっぽど道行く人にビールを一本ずつ上げながら軽くしようかと思ったほどだ。
いやあ、参りました❗

病室にやって来た夫に告げるも、「良いこと良いこと」と
相手にされない。

この日の万歩計めでたく7,000歩。


2019年3月12日 (火)

星のおはなし。

只今検査から帰り爆睡中の母のベッドサイドで、空腹を紛らわす為ブログを思い付く。

帰宅してあれこれしていると疲れてしまい、ブログを書く元気も無い。

昨日見たNHKの震災特集番組の中でも気になったのが、あの日の星の話し。
多くの人が、今まで見たことが無いくらいキレイな星空だったと言い、そこから様々な想いを辿るという話しには、涙が止まらなかった。
そして、ある精神科の医師の話しも良かった。人間は古来星を見上げて色んなことを考えて来た。科学がどう進歩しようと、未来永劫この事実は変わらないだろう、ということだったと思う。
そして東京をはじめ各地でインタビュー。「あなたは星を見ることがありますか?」当然のように都会ほど、見ない、見る暇がない、見えない、という答えが多くなる。そして、一様に、見たい、見なくては、見るようにしますと続く。
そうなんだよね〜。

あの日、たくさんの星たちが、被災地の人々を慈しむように輝いていたという事実に、真面目に取り組んだ番組スタッフに拍手。

2019年3月11日 (月)

どこに居ても多忙。

当初は病院でいつもよりは時間に余裕が出るものと想っていたが、実際は絶えずやることがあり、いつもより忙しいくらいだった。合間合間で看護師の方が入れ替わり立ち替わり入室してくるし、じっとしている時間はほぼないくらい。

全く食べない母に付きっきりで色んな話をしながら食べて貰うことから始まり、衣類の交換から入れ歯の洗浄やうがいといったいわゆる介護は、半端無く時間も労力も必要だ。今さらながら、介護職の人達の凄さが分かる。
場所が変わってますます認知が進んだように見える母も、昔話はしっかり覚えていて、修正しつつ会話は成立している。これまで関わってきた人々に関することは最近の事も随分分かっているのが有り難い。
そして、医学も凄い。あれほど何も口に出来ず弱っていく一方だった母が、毎日の医学的手当のお陰で、すこ~しずつ全体に上向いてきている。まずは声がしっかりしてきた。食事も以前とは比べものにはならないが、「食べないと施設に帰れないよ」と言うと頑張るようになってきた。今日の夕食で出たお粥をほぼお茶碗一杯食べてしまったのには驚いた。持って行った大きないちごも、「味がしない」と言いつつ一つは食べられた。昼食の時よりさらに食べられるようになっている。
以前から延命治療だけはしたくない、と言い続けていたため、そのためには口から食べなくてはと説得していたのも効果があったようだ。
何故施設に帰りたいのかと思えば、まだ半年にも満たない付き合いなのに、施設の従業員の方々と馴染みになっていて、毎日のように声を掛けて貰い、気軽に受け答え出来ていたのが今の母にとって一番になっているのだ。
何とか快復して望むところへ連れて行きたいと思ってはいるが、、、。

こうした状態で、暇があれば読もうと持って行った詩集や短歌の本などは全く手が付けられないで持ち帰っているのが現実だ。
そして帰宅して夕食の支度から片付けまでが終わると、一度寝ないでは居られないくらい疲労している。
夫や娘の協力があって出来ていることに感謝。母の人生の最後にこうして濃密な時間を過ごす事が出来るのを喜びたい。

ちぇちのメンバーで看護師のN嬢は、「高齢になってからはドンドン我が儘言えば良いんです。周りの家族の世話になれば良いんです。何も遠慮は要らないんです。」と言っていたが、彼女は在宅医療もやっていて、色んな人の最後までの過程を見ているらしく、ともすれば遠慮がちになっている高齢者にかなり同情しているようだ。
ホントにそうだと思う。
生きてきた世代が違うせいかもしれないが、わが母も娘に世話になっていることに必要以上に感謝しているようで、別れ際には何度も有り難うを言う。

「有り難う」
良い言葉だが、時に悲しい。

2019年3月 7日 (木)

入浴ちゆう。

ipadの次はスマホ。この道具を使ってもブログが書けることに気付いた❗多分、写真を載せることもできるんだろうが、今のところ余りその気は無い。写真は雄弁だが文章でそれに迫りたい。なんてね。大通りの光景や公園の緑、若い看護師の立ち働きや他の患者達の様子は、どれも小説や短歌の世界の妄想へと繋がる。
もちろん、今のところほとんど手が掛からない母の状態だからこそだけど。
しばらく、病院通いが続くことになる。

ま、なんとかなる。全てはなるようになる。

次回のCantiamoの会場のやり取りが始まった。
こうした機会を大切にしなくては!

2019年3月 6日 (水)

間もなく8年。。。。

311という日が近づいている。

テレビラジオもよく取り上げているが、新しい視点でのものが興味を惹く。

あの日小学生高学年だった子供は、高校大学へと進んでいる。だから、「世の不条理」について体験から来る理解が出来ているという。したがって、そういう子達は物事への取り組み方が違っていて、明らかに他の生徒とは違うしっかりしたものを持っているという。人間は不幸や試練から学ということだろう。
しかし、学校の現場はケッコウ大変らしい。その頃赤ちゃんだった子供達には、311がどういうものだったかを知らせる授業が実施されているという。矢張り家族では難しい面もあるのだろう。
そして、科学の方面も色々検証が成されていて、当時分からなかった事が分かり初めて、地域の病人への光りになっているという。

問題は原発だ。
続々と帰還している人が増えているようだが、本当に安全なのか?いろんな情報は安心よりも不安が多い。

先日訪れた筑波の友人は、長い間ガイガー計器のお世話になったと言う。あの辺に住んでいる人の不安はこれからも長く残っていくことだろう。

で、夕べ眠れなくて夜中に深夜放送で国会中継をやっていたのを聴いてしまったが、大阪のカジノ誘致に関する是非が議論されていた。万博とセットではないのか?と詰め寄る議員に、あくまで別物ですと答える人。しかし、隣にあれば、セットだろうとなかろうと、海外からの人も含めて利用するんだろうし、実際そこを歌って大阪をアピールしている人もいるわけだ。
なんか、言葉遊びをやっているようにしか聞こえない。
人間は弱い動物だ。きっと依存症に陥る人も出るだろう。余程心して取り組まなければ不幸な人を増やすだけの様な気がする。

大丈夫かいな?ニッポン。

眠れない夜

メールの受信音で目が覚めてから、サッパリ眠れなくなり、となると色々考える事があり、余計眠気が遠のく。

まもなく母が入院するため、やる事を考えると次から次へと思うことがある。
今日の受診の後は、時々行ってはお昼を食べたあの池に行き、せめて景色を眺めて置こう。とか考え始めると目が冴えるばかり。
母が喜ぶことが果たして何か。。。わかる様で分からない。
FBを見ると同じように母親と接している人も居る。彼女も頑張ってるなあ。
遅かれ早かれ誰しも経験することではある。心してこの時を乗り越えようと思うばかり。

昨日は比較的元気だった母は、考えるとその前日に母の姉妹が訪問してくれて、きっとそのせいだろう。薬より効き目があるってこと。人間にとって孤独は毒だ。

こういう時娘は自分にとっても力となる。お互いに気持ちが分かり、一緒に食事したりお茶したりして、タップリ母について話して泣き笑い。時に、建設的な意見の交換も出来るのも有り難い。
時折、ここに母が居れば、、、と思いながら。。。。

今日、晴れるかなあ。晴れると良いなぁ。

2019年3月 3日 (日)

疲れた。

バタバタと母を訪問してからcantiamoの会場へ。既に大方の人が集まってる。やる気満々というところか。

しかしいつも思う事だが歌は難しい。
舞台に上がる時点でメンタルが弱くなって思うように歌えない人もいる。
逆に気持ちが先行してしまい、歌が付いて行ってない人もいる。
、、、、かくして、普段の実力が発揮出来ないって訳だ。
訓練によってその落差が縮まるのだが、人間は弱い。日常的な訓練は望むべくもないが、たまさかの練習さえ実現しにくいのが現実。仕事が、、、家事が、、、レジャーにも行きたい。あれやこれやと忙しい。
しかし、どんな理由付けをしようが、結果は嘘をつかない。一番自分がシンドイだけ。
終わった時、いつもほぼ全員がこうした反省をしているんだろう事が伺えた。
ま、次回があるさ!


昨日は短歌の歌会だった。
同じように老若男女だが、文学と音楽の違いは歴然。
両方に参加して、人間の営みを面白いと思う。


さっきNHKの特番で311の特集を見た。
この悲劇を忘れられるものではないが、思い出さずに過ごす日々が増えているのは事実。だからこそ、こうした番組は是非折々に流して欲しい。
多くの人の悲しみの上に我々は生きている。

2019年3月 1日 (金)

ムムム。

暑いほどの天候に窓を開けて運転する。昨日とはまるで違う気温に外出してから一枚ずつ脱いでいく。ホント不安定な気温。まるで自分の心理状態に似てる。明日は又寒くなる様だ。そう思っただけで気持ちが落ち込む。

朝、FMの収録で音楽の話に集中してる間は他の事を考える事は無く今の自分にとっては救われる。

その後の母の病院行きに弟夫婦と合流してからの数時間は疲れた。どんどん衰弱して行く母を見るのは辛い。来週入院したら少し復活するのか。。。覚悟しているようで出来てない自分を知る。


そんな中、明日は歌会。明後日はcantiamo.。

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