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2019年2月

2019年2月27日 (水)

歌でも歌ってないと!

予定通り母を病院に連れて行く。夫も娘も手伝ってくれて、車椅子の乗り降ろしが助かる。

ぽろっと雨が降ったが、それ程でもなく順調に診察を終え、友人のお兄さんのおうどん屋さんに娘と三人で移動。しかし、矢張り食べられないのは同じ。しかし涙ながらに迎えてくれたご夫妻に感謝。しばし歓談は出来た。
気分転換にお風呂前の2時間をドライブしてみることとした。いつも腰が痛いとベッドに横になることばかり訴えるのに、助手席でずっと平穏な顔をして普通に会話も出来る。矢張り娘が言うように冬季鬱病なのかも。孤独な時間が長すぎるのかも。
友人Kのお墓参りもして、丁度良い時間に施設に帰り着く。「本宅に帰りましたか」と母の口から冗談も出る。
施設ではいつものように明るく迎えてくれて、それはそれでとてもホッとしているのが分かる。ホントにこういう施設で働く人々の献身的な心意気には感動すら覚える。
そして腰を据えて今日は母の為に夕飯時も一緒に居る事とした。こういう時にも吾が夫の食事の事を心配する母ではある。
夕方から会議だという夫には、予め食べるものの指示は出してある。自分のことは全て後回しだが、それにももう慣れた。
帰宅して色々来ているメールの処理をして、ようやく食事を始めると、祖母のことを心配している息子から電話が入る。結婚以来初めて帰省しなかった事をやや後悔しているようだ。そして沖縄から北海道までそして海外までビッチリのスケジュールをこなしていて、当分帰れそうにないと言う。しかし、来月がお婆ちゃんの誕生日だと思い出させると、何とか時間を捻出したいと言うが、とてもじゃないがそんな時間は取れないかも。まあ、初孫は可愛いもので、母にとっても特別なことは間違いないが。。。。と、ここまで書いたら当の息子本人からのメールが入る。ナント早速その誕生日の航空券を予約したそうな!これが若さだな~。するとその一斉家族メールを見た娘から電話。その日は婿殿も休みだとかで、何かしらのプランを立てよう、となる。、、、このみんなの想いを母は受け止めきれるだろうか?頑張って欲しいものだ。

Cantiamoのプログラム案がH先生から送られてくる。この煩雑な作業をやってくれてホントに有り難いこと。忙しい若者に代わってこうして頼もしい戦力が居てくれてこの会も50回となる。一度も休んでない人は人前で50回は歌ったこととなる。これって、ケッコウ凄い事だ。
参加することに意義ありのアチクシだが、ま、何とか頑張ろう。

歌でも歌ってなきゃあ、やってらんない!とあるメンバーが言ってたことがあるが、ホント、その気持ちだ。

2019年2月26日 (火)

iPadで行けるんだ!

ちょっぴり進歩して、パソコンから離れてもブログが書けるのを発見❗️やった!ってほどではないが、少し便利。
書くことがある時でも不可能だったから、これでフラストレーションが解消、の筈!
バンザイ🙌

春の香り。

今日も色々あった。午前中に施術した人は癌と闘う50歳とその母上。母上はともかく、本人のあまりにもあっけらかんとしているのに驚くが、どうやらその性格が幸いして、免疫力が上がってきているようだ。薬よりメンタルが大切なんだろう。頑張れ!と内心声を掛ける。

その後母を何時ものように見舞い、必死で食事を摂って貰う。毎日微妙に感じが違う。今日は天気のせいか少し元気。日頃気になっている人の話しばかりして、あの人はどうしているだろうかと聞かれ、それぞれの様子を話すが、話題はそこから吾が友人Kの事に何度も戻る。まるでわが子のことを語るように思い出話をする母を見ていて、亡くなった彼女の供養になるような気がして、こちらもその話題に乗っかる。

そして今度は最近まで老人施設で仕事をしていた人の来店となり、色々母についてのアドバイスも受けた。有り難い事だ。色々知らないことが多い。
しかし、結論として、お互い人間同士だから、気持ちで動くことも多く、信頼関係を強めることが大切だと再認識することで話しは終わる。
全く、その通りだ。

夕飯に、昨日夫が貰ってきた大量の蕗の薹を佃煮に作って置いたのを早速食べたが、その香りに春を感じるなあ。
春か。

2019年2月22日 (金)

温泉良いとこ、毎日行きたい!

昨夜は生き抜きに娘の家族と居酒屋で食事。お陰でしたたか飲んで、ぐっすり眠れた。

今日は母のあれこれをやってから思い切ってB温泉に行く。夕方という時間帯で空いている。ここのぬるぬるのお湯は何処にもない。おかげで今日も眠れそうだ。

驚いたのは、入浴していた半分以上が外国人だった。観光なのか?移住なのか?よく分からないが、お婆ちゃんと小さな孫とその母親らしき人。他にも若い人から中年の人まで数人。どうやら事前に案内を読んでいるのか、入浴マナーにしっかり気を遣っているのが見える。郷にいれば郷に従えってことだろうが、随分と丁寧だ。


とにかく、自分が倒れたら何もかもお終いだという想いで毎日施設に通い詰めているが、病院と同じく娑婆とは違う空間に疲れる疲れる。
余りに食欲が無い母は、毎日点滴の憂き目にあっているのだが、こっちが持参したおうどんを数回、無理矢理口に運んでも食事はそれで終わり。あとはゼリーやジュースやサイダーなど、とにかく口に入る物は何でも入れている。
母がそんな状況を悲観して、「もう死にたい。早くおじいさんの所へ行きたい。」と毎回言うのを、毎回慰めては、「生かされているには訳がある」ということを説いているわけだ。そして、自分が幼い頃台湾から連れ帰られる時の様子に触れると、一気にその頃に戻っていく。母の記憶はその前後に戻るのが一番元気が出る不思議。恐らくは一番苦労していた頃だと思うが、、、、。

あっという間に日が経って、3月3日はCantiamo.
義妹の実家の母親も転倒して骨折し手術が終わったばかり。我々二人とも、歌どころではない、という気分だが、さりとて、こういう機会を飛ばして次にと言える年齢でもない。一回一回が大切な舞台だ。あと何回?と数えなくてはならない状況なんだから、少々不味くてもなんでもとにかく歌うチャンスは無駄にしない方が良いよねえ、ということに落ち着いた。これ以上何かが起こらない限り出演しようと話し合った訳だ。
実際、歌う事は何かしら身体の中を清浄なもので満たす作用がある。きっと薬を飲むよりましなんだと思う。
そして、音楽自体が持つ浄化作用もある。このところず~っと音楽を聴きながら眠っているが、自分の場合ipadはその為だけに活用しているようなもの。

近頃その乱用がスマホ共々やり玉に挙げられているが、なんでも乱用は良くない。
百薬の長のお酒だって、飲み過ぎは良くないんだから。。。。しかし、夕べは久し振りによく飲んだな~。生チューとワインとカクテルと、、、、婿どのには負けたが。。。
結局話しが面白いとお酒が進む。孫べえも入れて、楽しい時間だった。こういう時も必要だ。

2019年2月20日 (水)

自由。

月曜日の定期練習は男性陣が全て集まり、女性はピアニスト以外二人という寂しさ。まあ、練習が始まればやることは一杯あるわけで時間はそれなりに経つ。春音で指揮を振ってくださるM先生の一挙手一挙動に笑いが起こり、真剣な中にも和気藹々の空気が流れる。歌好き音楽好きはコレだから良い。どこか美味しい空気で満たされている。

いつもは何人かで行き帰りしていた吾が車も一人で運転なので、みんながお喋り相手がいなくて淋しいですね。気を付けて!と声を掛けてくれる。確かに。あのお喋りで往復が短いものだった。

帰りに薬局で次の日の母を訪問に必要なものを購入。ま、時間に無駄は作らない主義だ。

母の食欲が全く無く、ゼリー状の栄養剤を色々買うのだが、近頃ホントにその意味では便利になった。あのテニスのなおみ選手も休みの間いつもあれをチュウーチューやっていた。瞬間に吸収する優れものだとか。
どの程度効果があるのか、、、今日は主治医の訪問診療だ。


「わたしはマリア・カラス」というドキュメンタリー映画を観た。今話題のギリシア系移民のアメリカ人として生まれ育った女性だ。
この映画を観て一番に思ったのは、あの人が活躍する時代に自分も生まれていたかった、というもの。きっと追っかけしていたかもねえ。いまだに記憶にあるのは、新聞に小さな記事で、「世界のプリマドンナ孤独に死す。」とあり、パリのアパートで誰にも看取られずに死んだという内容だったが、自分がまだそれ程オペラにはまって無かった為、一つの記事として脳裏にあるだけ。しかし、彼女の実態を知っていたら、若ければ海外まで聞きにというか観に行ったことだろう。それ程に彼女の舞台は魅力があったようだ。
そして次に思った事は、あれほど世界のスターになった人の孤独な闘いがいかほどのものだったかということ。
技術を極めるというのは面白いし楽しいものではあるが、トップに立ってしまうと技術のキープが世間の要求にさらされ戦い続けなくてはならない。これほどに苛酷な闘いもなかなか無いだろう。
当然の様に救いを男性に求め、オナシスとの出会いが生まれる。相思相愛の仲で彼女は次第に「歌」の世界から一時遠ざかるようになる。しかし彼が出生のコンプレックスから社会への挑戦の為にジャクリーン・ケネディを選んだ後も、彼女は彼を愛し続けた。40代前半で、既に老女のような表情になったマリア・カラスが映し出される。わずかの救いは、後年ジャクリーンとうまく行かず、オナシスが再び彼女の元へと帰って来てからあの世へと旅立ったこと。そのあと、それ程時を経ずしてパリのアパルトマンでの心臓発作だった。
53歳。濃密な人生だった。
ディ・ステファノとさよならコンサートで日本に来たときの映像は見たことがあるが、ステファノがこの時の様子を以前テレビで語っていたのを思い出す。「ハの音が出ないかも知れないと、僕の手を握って舞台袖で震えていました。」このエピソードは酷い。それほどの年齢ではないのに、苛酷な人生が、彼女をそこまで追い詰めていたのだ。


凡人で良かったかもしれない。少なくとも自由ではある。

2019年2月17日 (日)

空は晴れても心は、、、、。

午前中は女性ばかりの集いに参加。この会は自営業を始めた頃に入会したが、したがってその当時のメンバーはすっかり風貌が変わっている。勿論自分と同じようにということだが。

オペラの公演をやる毎に宣伝させて頂いてきたが、こうして顔を見せてのご挨拶はホントにん十年ぶり。新しい会員も大勢居て、色んなお仕事に現役で就いているという人も。その中にお一人歌が好きで、色んな施設の訪問をしてきていると言う若い人がいて、チラッと「オペラ歌いませんか?」と声を掛けてみるも、「オペラは無理だと思います~」とあっさり。会の最後にその人が弾くキーボードに合わせてみんなで合唱。やっぱり歌は良いなあ~。そして歌好きのなんと多い事か。

「てのひらを太陽に」「紙飛行機」ポジティブな歌ばかりだ。
賢治の歌、アメニモマケズじゃないが、ネガティブだからこそこういう歌を歌いたくなる時代だ。

午後は食欲がすっかり無くなって心配な母の所へとランチを届けに行く。暖かい部屋で二時間ばかりあれこれしていると、帰りは汗びっしょり。、、、こっちの身体も注意が要る。
恐らくは薬のせいで食欲が落ちているような気がしているが、ゆっくりゆっくり食べてもらい、お喋りを挟みながら、次々と目先の新しい物を促すと、なんとかかんとかある程度食べてくれた。しばらくこうした事を続けなくてはいけないのかも。
ま、こうしたことが出来ることを喜ぼう。近頃は、「親孝行、したくないのに親がいる」という時代だというが、みんないつかはこうして自分では何も出来なくなるときが来る。今、うそぶいている人も先々言われる側になる。

あまりに疲れて、帰宅後横になってテレビをぼ~っとみていると、朝の会でも話題になっていた首相の発言、トランプにノーベル賞という話しが流れていた。確か「I CAN」がもらった時、そのことへの無関心振りが話題になった首相だが、そこまでとは!支離滅裂にもほどがある。そこまでアメリカにおもねってどんな利益を期待しているのか?当の北は、トランプと握手してもお腹の中で舌を出しているというのに。意味不明。

世の中、良いことないな~~。。。

2019年2月16日 (土)

二つのコンサート。

昨夜のヴァイオリンのコンサートに続いて、今宵はオペラ。器楽と声楽の違いは相当なものがある。いずれも集客に苦戦していたが、まあこれだけ音楽会があると無理もないのだろう。

しかし、ヴァイオリンというのはホントに美しい音を奏でる楽器だ。勿論、弾き手によるのは間違いないところだが、弦の音色自体が持つ魅力もある。ピアノとデュオだったが、二人ともお若いがなかなかの力量の持ち主。それぞれが主張しながら相手と歩調を合わせての演奏。そしてあくまでも作曲家の意図するところへ向かって居るという深い想いが伝わってくる。

声楽との違いは、この作曲家の顔が、器楽の方が余計出てくることではないかと思うが、どうだろう?これはしかし、一概には言えないかも。今日のガラコンサートの全体を通して、矢張り作曲家による音楽の違いには当然興味が惹かれるわけで、やっぱりヴェルディは良いな~、、、と思ったもんねえ。歌い手がどの様に歌おうとも、作曲家の思いは必ず出てくるからねえ。結局はおんなじかも。リンダ、わかんな~い。
それにしても本日のピアニストは素晴らしかった。コレペティとして活躍中の方だと言うが、オペラを知り尽くしている人、という感じがした。しっかりした体つきの女性で、途中のインタビューの声は非常に低く、ドスが利いていた。音は非常に繊細で、FFは切れの良い抜群の音。しかし、全編一人での演奏。疲れるだろうなあ~。
同行した義妹も日常から離れて、久々に音楽に触れ、気分転換以上の感動を覚えたようだ。このところお互いの実家の母親のあれこれで毎日毎日大変な状況。こうして精神のリフレッシュも必要だ。
そして明日も頑張れる。

遅くに帰宅すると、短歌の会誌が届いていた。誌面が次々と新しくなってきて、読むのも楽しい。これを読んだ他の人の感想というものが知りたいところだが、歌会に参加する人が少なくほぼ不明。ここが何とかなるともっと良いんだけどねえ。いずれはこういうつぶやきも届くのかも知れない。

2019年2月14日 (木)

ちかれたび~。

昨日今日と甚だ忙しい。
昨日はというと、朝もはよから娘とモーニング。そのままそこにとある人とのお仕事のミーティング。こっちは一足早く失礼して、市民劇場の作業へと出かける。700人以上いる会員の、座席指定シールをそれぞれのグループ毎に封筒に入れ込む。新しい会員証に向こう一年間の予定シールを貼り付けていく。普段何気なくもぎり通路を通っているが、こんな大変な作業をみんなで手分けして遣って居るんだと、改めて思う。こうしたことをやってないと会員という自覚は生まれない、確かに。ちぇちの事を考えてもそうだ。一つのことを、みんなでやってこそ、メンバー意識が生まれる。

そのあとは母を施設に迎えに行き、病院に連れて行く。
その病院に、ちぇちのメンバーのお友達がいて、自己紹介したため、母のケアーを手伝って貰えて、ホントに助かった。
で、我が家に連れ帰り、しばしお休み頂いた後は、永くやってなかったヘアーカット。短くしたあと、シャンプー台で、これ又久し振りにシャンプー。すると母が、今まで聴いたことのない声で、「ああ~~~」と深い溜息をつく。「大丈夫?」と聞くと、心の底から気持ちが良いと言う。
これまで、40年以上美容室をやってきて、こんなにも嬉しかったことはない。他人行儀なほどお礼を言われ、この仕事に就くことに猛反対した母のことを思い出す。全て時効だが。。。
さっぱりした母を休ませながら今度は夕飯の支度。
やがて帰宅した夫と共に食卓を囲む。そしてバタバタと施設に送っていったら、もうへとへと。
以上が昨日のこと。
そして今日は、叔母の髪を染めて欲しいと従姉妹から電話。久し振りに施術をしながら、叔母の繰り言に耳を傾ける。そして帰りに家まで送り届けて、今度は近頃調子がイマイチな長年のお客様の送迎だ。、、、考えてみると、こういうパターンが多くなった。そりゃあ40年もやていると、オープン当時40歳の人は80歳。50歳なら90歳な訳だ。身体に変調を来すのも無理はない。こうした営業形態もありな時代だなあ~。
で、遅い昼食を食べ、やって来たナオミさんとお歌の練習。彼女は只今歌に夢中。来月はオペラ「ロミジュリ」を観に上京するという。バスの森田氏が出演しているというのだが、若かったらねえ~。流石にその元気は湧かない。しかし、彼女の母親は中学の自分の同窓生だが、今回娘にくっついて行くという。そういえば年賀状に「お陰様で、生活の中に音楽がいつもあって、幸せです。」と書いてあった。楽しんで来てくんなまし。てとこだ。
で、終わったら母の施設だ。
このところ食欲が無く、施設の人達が心配してくれているので、一体どの程度どうなのかを夕食時に観察したかったのだ。すると、矢張り出された物の半分をようよう食べる程度。まだ体力が戻ってないのは間違いないようだ。昨日我が家で食べた時はケッコウ食べてくれたけどねえ。まあ、娑婆の味とは違うのかも知れないなあ。
終わるのを見届けてから帰宅。今度は自分たちの夕食だ。そこに現れたのが友人K。夫にバレンタインのチョコを届けてくれる。バレンタインねえ~~。しばし歓談していそいそと帰るKを見送り、全て終わったときは又してもぐんなり。
体力が無いのを感じるな~~。

しかし、体力はないが病気ではないのを喜びたい。
あの水泳選手のように、突然の白血病ということもある。あの若くてぴちぴちしていた人があんな病気になるなんて!どうやらかなり精神力のある人のようで、それは救いだ。スポーツの鍛錬は、精神力の鍛錬でもある。
それにしてもあの某大臣のお粗末さ。国会答弁なんか信じられない程に軽い。どうしてああいう人が、あんなポジションに?イヤハヤイヤハヤ。情けない。

2019年2月12日 (火)

今日は同窓会の打ち上げ。

昨年開催した高校時代の同窓会の役員の打ち上げ。町中の某創作料理やさんでおいしく楽しく賑やかに過ごした。

昨日に引き続きこちらは飲酒、半端なく。。。従ってただいま猛烈な睡魔に襲われ中。

4年に一度というお約束。果たして次はあるんだろうか?ちょいとややこしい感じになってきた人もいて、心細いこと甚だしい。。

そうこうしているととある人から電話。「母が亡くなりました。」という。、、、そうなんだ。その前に結婚して出産もできていて、乗り越える力に不足はない。が、寂寥感に襲われるのも無理はない。十分な対応ができなかったような気がしているが、またチャンスを作りきっと羽ばたいてくれることになるだろう、がんばれっ!

岡山でコンサート。

昨日は初雪。こんな時期が初雪とは全く地球の温暖化を思い知らされる。

予定通り、岡山へとお出かけ。冷たいお嬢に代わり夫が高松駅まで送ってくれる。途中お嬢から雪だっていうから送ろうか?と電話が入るので、お父さんが送ってくれるって、というと最初からそっちに頼んでよねっ!と又々しかられる。

てなことがありながら駅に着くと、前日の夜ご主人が熱を出したので行けないかも、とラインが来たK女史が手を振っている。どうやらご主人は復活されたようだ。二人でまずは焼きたてパンとお茶を購入。早速車昼食。この行為が懐かしくて楽しいもんだ。が、連結部分に近すぎたのか、まあ横揺れがひどい。それにもめげず購入したパンは完食。おしゃべりしながら遠足気分だ。

駅からはこの日のコンサート会場の大学構内に乗り入れる便利なバスがあって、全く時間にロスがなくすいすいと到着。高松よりは雪が多く、車窓から雪化粧した町並みを楽しむ。赤い車の上に鬼の角のように雪を固めて走っているのがいるのに気づき思わず指さして笑う。「赤鬼」を気取っているんだろうが笑える。ま、こんなことする余裕があるのがこの辺だ。

着いてみるとすでに多くのお客様で、このプログラムでこれだけの集客とは!と驚く。岡山の知的レベルの高さか。
「岡山のうた」~詩人の心を求めて~というタイトル。
岡山の排出した詩人がこんなに大勢いることにまずは驚く。
薄田泣菫、竹久夢二、正富汪洋、犬飼木堂、尾上紫舟、なんば・みちこ、山田美那子、河野進、そして良寛さん。この人は人生の一時期を曹洞宗の修行のため岡山に住んでいたようだ。
作曲は、山田耕筰など有名な人もあったが、初めて聴くものばかり。全体を通して全く知らない曲ばかりで、最初にプログラムを見た瞬間、今日は居眠りかな?とそれにしては一段高いところが、一番響きがよいとのお奨めで座った場所が目立ちすぎ。こんなところでは絶対眠れないわねえ、とお隣のK女史とクスッ。、、、しかし、全く寝ることなく聞けたのは、もちろん歌手の力が大きい。日本語はむつかしいというのが歌い手の一般的な悩みだが、テノールとソプラノ、いずれも言葉が明瞭で、歌詞の中に入って行けた。日本語といえども、文語だから、現代人にとっては外国語と変わらない位だ。それでも詩としての柔らかい響きや、心地よい言葉の流れには引き込まれた。
そして特筆すべきは作曲家、矢内直行先生の見事な解説ぶりだった。お人柄のにじみ出た時にユーモラスな、しかし専門家としての深いお話は非常にわかりやすく、あれがなかったら、それほど楽しめたかどうか、、、、。
終演後の軽い打ち上げに、ちぇちのメンバー共々参加して、おそば近くその矢内先生とお話しさせていただいたが、本当にすてきな方だった。あくまで謙虚で、終始にこやかに対応してくださる。そのことにもみんな感動したもんだ。
その場に来たピアニストがなんとあのフィオーレさんの伴奏ピアニストだったと聞かされご挨拶。朝はマリンが止まっていた時間もあったようで、ドキドキしながら出かけたと。。。この場にいられて幸せです。とこれまた奥ゆかしいご挨拶。
出演者が打ち上げ会場に来るまでのつなぎにと、いきなりマイクが渡され少しばかりおしゃべり。おいしいワインをいただいていたので少々酔いも手伝い、何とかなったか。
とかとか、いろいろありながら最終のバスに間に合うようにとこの日の立役者Mご夫妻にお別れ。
帰る道々、「今日はこられてよかった!」と話し合った。実を言うと、「雪」と聞いただけでムムム。と逡巡した朝だ。とにもかくにも、こうしてお出かけできたのを喜ぶべし。

高松駅に着くとばったりO女史に出会う。K女史がタクシーに乗るというので、我ら二人瓦町まで便乗させてもらい、そこでO女史ともお別れしたのだが、彼女が嬉しそうに?「ゴールドパスカードにしましたよ。」と見せてくれる。あら、と早速駅でこっちもその手続き。あんまり電車やバスに乗らない人だが、これからは極力乗ることとしよう。
と、お初~のそれを使っての乗車。電車の駅からたかだか10分の我が家までもちろん歩いたが、前から来る車が結構危ない。ちょいとよろけたら終わりだな~、と思いながら慎重に進んだことだ。
やれやれ。この道路、めちゃくちゃ車が多い。って、自分も走ってるんだけどねえ。気をつけよう。
意外に早かった帰宅に夫が歓迎してくれる。冷蔵庫には夜ご飯にしたらしいお総菜が。。。。ビールのあてにこっちが食べる。やれやれ。。。

2019年2月10日 (日)

今日も手作りケーキと歌。

予定通り、H先生宅に行くために二人の人を送迎。晴れた日のお出かけは苦にならない。行き帰り道中のお喋りも、色々それぞれの状況や、物事についての考え方が改めて分かって面白い。同行のM先生の昔昔のお見合い話とかにも笑いつつ、、、、いつの間にか永い時間が経ったもんだとの感慨ひとしお。だって、お子さんがお二人とも成人だもんえねえ。永いお付きあいになったもんだ。

それぞれが奥様の手作りケーキに舌鼓を打ったあと、ピアノ伴奏して頂きお歌の練習。伴奏付きの練習は本当に有り難い。

それにしてもH先生の歌好きには毎度の事ながら感心する。どんな歌にも入って一緒に歌われるから、余計面白いんだろう。日毎に発声が良くなって、この分だとT先生の後を行かれるかも。
こうして音楽好きのご夫妻に助けられてみんな勉強が出来ている。


お二人をお送りして急ぎ帰宅。二日ほど顔を見てない母の元へと急いで行くと、丁度散歩していた夫とバッタリ。そのまま二人で施設ご訪問。
丁度夕食が終わった所で、皆さんくつろいでいる。
しかし、なんだか元気が無い母が気がかり。まだインフルエンザの後遺症があるのかも知れない。外で食事するのだけが楽しみだと言われるが、寒い時期、余程考えないと、、、、。
先日友人と話していて、矢張りその人もインフルエンザにかかり、それ以来食欲もなく、作るのも面倒で、後片付けもほとほといやになってる、と、ワタクシとおんなじ事を仰る。やっぱりねえ。自分だけじゃ無かったんだとなんとなくホッとしている。
毎日の食事の準備がとっても大儀な感じが永く続いていた。最近になってようやくやる気が出て来たところだ。
今年のインフルはたちが悪いなあ~。
さて、明日は岡山までM女史とテノールが歌うコンサートに出かける。岡山は雪と予報に出てギョッとする。まあ、街中だからそれはないだろうとは思うが、いずれにしても寒そう。今から着る物を考えて居るところ。
駅まで送ってとお嬢に言ってみたが、即座に振られてしまった。「そんなに電停に近いところに住んでいて何言ってるのよっ!」と逆にお説教されてしまう。へいへい。分かりましたよ~だ。優しくない娘を持つと健康になれるのかもねえ~。ふ~。

他所は雪とか。こちらは曇り。

毎日のように子供の虐待が報じられている。昨日のFM収録のゲストとも、会つたらその話題だ。まあその方は行政に関わる人なので、その立場からの発言。「虐待の相談件数は毎年うなぎ登りに上がっているのに、相談員の数は横ばいのママ。それはとりもなおさず関心の薄さを物語っている。。。」そうだろうなあ~。ホント、目を覆いたくなるような事件が頻発している。何かがおかしい。

今日は、兼ねてから宮沢賢治のドキュメンタリーがあるというので、その時間までアマゾンプライム。ある人の死後、恋人の女性の所に次々とメールやDVDやプレゼントが届くというもの。ミステリーものかと思ったら、全く違って、一つの愛の形を描いた物だった。死を覚悟した男性が、死後のプログラミングを沢山の関係者に依頼して、あたかも生きているかのように贈り続けるというもの。

映画としては、最後の別れのDVDを彼女が見て、心の平安を取り戻し、新に生き直すスタートを切るという流れに作ってあり、それなりに納得はするが、自分的には多少の疑問も残った。まるでキーツの手紙のように、男性の自己満足、自分の思いのみを見ているエゴイスティックなロマンチストじゃないの?と言いたくなった。
ま、所詮男って、そういうものなんだろうが。。。というか、どんな熱烈な恋愛関係にあっても、その二人の男女の間には全く違う壁が存在しているという、誰だったかの小説を思い出す。
で、宮沢賢治。これは驚きだった。永く男性への愛情を持ち続け、そこから生まれた文学だったとは!その視点で思えば、色々納得出来るな~。
そのテレビ番組の中で、「同性愛の人間もどんな人間も全てはお釈迦様の子供」という下りに共感した。現代に生きた賢治なら又違った人生だったかも知れないな~。その場合はあんな文学は生まれなかったかもねえ。
今日は我が家のお風呂にお風呂場用暖房機が付いた。ヒートショックの心配からだが、これで銭湯に行く回数が減るかもねえ。
明日はH先生宅のお歌の練習日。
毎日忙しいな~。。。。

2019年2月 8日 (金)

映画。

昨日は疲れていて、ブログどころではない。なにゆえか?お嬢の胃カメラ検査の迎えがてら、全く久し振りに映画館に行った。時間が余って、20分ほど館内で待つ。するとどっかで会った人が一人入ってくる。全く思い出せず、心当たりにメールしてみたり、、、、。結局分からないまま待っていると、前の映画を観た人達が出てくる。にゃんとたった5名。と思ったら、こっちの映画は我々以外そのおじさんと我々親子の3人のみ。いや~。これでよく遣っていけるもんだ。まあ、友人達の中には、このソレイ○という昔からある映画館が大好きで、ケッコウ面白いものばかりやるのもあってしげしげと行ってる人も居るようだが、、、。

映画は期待以上で面白かった。娘の友人はケッコウ重要な役所でしっかりした演技。元々舞台女優だが、映像にもむいていると思った。この映画を観たさる筋からオファーが来ているようだから、これからこっちの道に進むかも知れない。一時期退いていたようだが、やり続けることが大切とお互い話し合ったようだ。高め会う友人は大事だ。

映画の帰りにちと早めのバレンタインチョコをそれぞれの夫に買うことにして、三越に回る。特設の売り場は既に一杯の人だかり。結局二人とも自分好みのアルコール入りの生チョコという珍しいものに。どっちが沢山食べるかは未定。

ついでに地下の食品売り場にも立ち寄りあれこれ。、、、、この時点でギブアップのアチクシ。

なんで買い物って疲れるんだろう?元々嫌いな方だから仕方がないがへろへろになって帰宅。



しかし、映画館で「マリア・カラス」のチラシをもらってきたから、これは見てみたいなあ、と思っている。

2019年2月 6日 (水)

今さらながらの呆け話。

今日は午後から晴れるとのニュースに、ほぼ全ての予定を午後に回す。
その予定の一つ、衣装部屋の片付け。

IさんとY・F女史が一緒にやってくれて、二時間半というもの汗を掻くほど頑張ったが、まだまだやるべき事がいっぱい。
ま、ぼちぼちだ。
疲れてきたのもあるが、その作業中、「これはこの袋に入れて、固めて置こうね。」と自分で言いながら、別の所から同類が出て来たら一々、「えっと、これはどこだったっけ?」と訊ねる有様。「いや~私も良くやりますよ。」と若いIさんが慰めてくれる口の下早速同じ事をやるアチクシ。イヤハヤ、全くドウしようもない。従って、余計時間がかかってるような気がする。
ドレス類にカバーをし、アクセサリーやら手袋やら、それぞれを分類して入れる場所を決めて、シールを貼らなくては!てなこともあり次々と文具類も欲しい物が出てくるし。これらは又次回。
で、手は動いているが、口も動く訳で、母上が吾が中学時代の友人というIさんが、「S先生が亡くなられたのを知ってますか?母が伝えて置いてと言うので。。。」と言われ、「知ってる知ってる。別の友人からメールが来てねえ~30年3月って書いてあって、え?今年はまだ2月ですけど?と思っちゃったのよ。」「そうなんですよ。去年の3月だったんですって。」と言われるまで、今年が30年だと思っていたアチクシ。どっひゃ~!「そうか、今年は31年じゃん?」わわわわわ、、、、、と慌てたのには訳がある。
今年に入り、間なしにインフルエンザで長く寝込み、年の呼び名が変化したのが身についてない。従って、母の施設や、ちぇちの練習会場の申請書や、音楽祭の申し込み等々、やたら沢山年月日を書く機会があり、今思えば、その全てを30年と書いたような気が、、、、。わ~お。誰もその間違いを指摘してくれなかった。むしろ、そっちの方がショックかも。
西暦なら、間違えないのに、なんてこと!?
夕飯時、夫にその話をするも、別に、、、、と大した事と思って無い様子。まあ、それ以上に変な事が多々あって、これは軽い方なのか?それとも夫も同じことをやっちまったのか?しかし、あちらさんは、未だに大学やら色んな場所に行き、沢山書いているはずだから、それは無いなあ。
Fさんを送っていく道中、なんだかどっと疲れが出たのも、これが影響している。急に自分が年取った感じ。

払拭するべく、本日は夕食後に温泉。
丁度タイミング良くて、完全なる貸し切り状態。が、着替えて居る間に段々人が増えてくる。と思ったら、何が気にくわないのかぎゃあぎゃあ泣き出した2,3歳くらいの男の子。どうしても服を脱がさない。強引に母親とおばあさんがひっぺがすとハダカでその辺を走り回る。小さいから、母親が捕まえようとしても狭いところに入り込んだらなかなか引っ張り出せない。母親はハダカでナントしても捕まえようとしている。たまたまこっちがドライヤーを買えkている時、物の影になった所で、遂に母親が思いっきりその子の頭をペシペシ叩いている。「だろうねえ」人前では、虐待と言われかねないご時世だ。乱暴なことはおおっぴらには出来ないわね~。その証拠に、泣き声を聞きつけて、外の受付から女性が飛んできた。それくらい珍しい光景になって来たって事だねえ。
その状況の中、一人の年配の女性が入って来た。一瞥して、「その子はお風呂に入りたくないんだろう?入れなきゃ良いだけジャン?無理矢理入れることはないよ。」と大きな声で母親を威嚇?する。それを聞いた子供はますます泣き叫ぶ。途方に暮れた母親が立ち尽くすと、その子は、「おばあちゃ~ん」と叫びながら勝手に湯殿の方へとガラス戸を開けて入って行った。その場に居合わせた数名が、それぞれの思いを表情に浮かべ、言葉は交わさないが、目と目で会話。「大変ですねえ~」「ま~、そういうこともありますよね~」
一人、そのおばあさんだけが、まだ一人言を言い続けている。「なんも、無理にいれることたあ無いのに。ぶつぶつぶつ。。。。」

銭湯ってところも面白いもんだ。

2019年2月 5日 (火)

ポジティブな一日。

夕べのちぇち練は、今年はじめての開催だった。そして、4名の退団組が報告されて、まずは穴が空いた感じが漂う。

まあ、高齢に伴う病気などそれぞれあり仕方ないとは思うが、矢張り一緒に苦労してきた人達の退団は淋しいの一言。特にH・M姉妹は団員の潤滑油的存在だっただけに、今後が心配ではある。

高齢と言われると、こちらも全く高齢なんだけど、こっちは今しばらく頑張ろうか、と思っている。今は。。。。。
結局やる気は体調、体力にもの凄く左右されるという年齢だ。今のところ大丈夫でも、明日が分からない。
で、自分としては、その体力が続く限り遣っていこうと思いを新にしている。先は考えない。目の前にあることを出来る限りやっつけて行くのみ。

そんなことを考えて居る矢先、降って湧いたような話しがあり、こんな年寄りに舞台に出て欲しいとのご要望。ホントに出来るかどうかは分からないが、@ノーと言わない女のワタクシは一応お引き受け。過去にお世話になっている人達のお声がけには出来る限りお応えするべきとの思いもある。はてさて、どうなりますことか?

何をやってもやらなくても、同じように年は取る。そして人生のジ・エンドが必ず訪れる。その日まで、どう生きるか。その日をどう迎えるか。。。。



昨日の立春ほどではないが、今日も良い天気。こういう日は人間自然と前向きになれる。



2019年2月 3日 (日)

忙しい一日。

朝は9時にこれまでの衣装部屋に行き、仕分け作業や運ぶべき物を車に積んだりとバタバタ。そこに軽トラを借りてきてくれたT氏。残念ながら、その車では大物が乗り切らない事が判明。又してもレンタル会社に引き返し、ボックス型でないものに交換してもらったりと、アクシデントもありいので、なかなかに大変。そこに次々と応援団が駆けつけてくれて、細々した物などやっつけてくれ、新住所に揃って運び込む。

しかし、この時点で、こちらはコンサートに行く時間となり、申し訳ないと思いながらも、皆さんにお任せして急ぎ出発。
まずは汚れた服を着替えなくてはならない。汗ばんでいるが、少し厚着をして出発。化粧その他は何時ものように車の中。
ところが着いてみると少々時間が押している。先に行って待っていてくれたK女史と積もる話しをしていると、ようやくランチプレートが運ばれてくる。
このお店は初めてで、言ってみたい所ではあったが、なかなかおしゃれな雰囲気の都会的なお店。出て来たランチプレートも薄味で美味しい。インフルエンザからこっち魚が全くダメになっていたのに、手のこんだ美味しい魚は食べられて完食。
しかし、およそ2時間も演奏までに時間があり、ほぼ女性が占める会場はそれでも間が持ったが、これ、男性が多いときならちょっと困ったかも。女性は際限なく話し続けることが可能で、我々の前の若い女性ともお初だったが色々お話し出来たし、こうした待ち時間は余り苦では無い。しかし、男性だとこうは行かないのではないかしら?な~んてね。
演奏はそれぞれ力のアル人達ばかりで、ホントに聞き惚れた。K女史曰く、「時々、魂を取り出して、音楽で磨くというのは必要なこと。」いや~、名言。確かに、この心地良い時間は生ならではのもの。贅沢な演奏会だった。

その前の席の若い女性に、どなたがお知り合いですか?と聞かれて、全員ですと答えて大笑い。実際そうだから。
演奏が終わって、ピアニストにも軽く挨拶すると、「ああ、いつも会場に来て下さってるのに気付いていますが、なかなかお話しが出来ずスイマセン。」な~んぞと言ってくれる。案外人見知りなアチクシは、まいどまいど声を掛けるわけでもない。今日の様なこっぽりした会場ならそれも可能なことだが、、、。

こうした時間にも、ちぇちのメンバーから、もう終わりましたか?とか、行けなくてスイマセンとかメールが入ってくる。いやいや、まだ全て終わった訳ではない。新しい場所の整理整頓が、これ又大変だ。ま、徐々に整うだろう。

一つずつ、終わっていく。

明日はシャンソン教室と夜、ちぇち練の再開初日だ。、、、又疲れるわい。。。。

2019年2月 2日 (土)

活動の意味。

今日は暖かくお日柄も良く短歌の歌会。にしては参加者が少なかったのが残念。まあ、天気が良いと、お出かけのチャンスも増えるしねえ。

少ないけれど、しっかり多様な意見交換が出来て、充実した良い時間となった。毎月出ている機関誌にかなりの数の短歌が投稿されているが、それほど熱心に読んでこなかった。しかし、ここしばらく、この機関誌の歌の合評もすることとなり、知らず知らずに全ての歌を時間を掛けて読むこととなっている。これは自分のような不精者には有り難いこと。

先日は市民劇場の運営会議だった。20人ほどの人が集まって、こちらは順番で一人一人自分にとってのミラクルを話す、ということになった。お陰で、これまでになく、参加者の人となりについて理解が深まった。

短歌は「若者に短歌を」という主宰者の深い思いがあり、市民劇場の会議は「生の芝居をもっと身近に」という考えの元運営されている。

どちらもこれは、「運動」と呼べるものだと思う。ちぇちの活動も、「オペラをもっと身近に」という運動を念頭に置いてこれまで活動してきた訳だ。
自分の関わるこれら全てが、人が豊かな人生を歩む上で、必要なこと、と自分自身は理解しているつもり。
そして、大切なのは、こういうことは一人では出来ないということ。人と人との絆によって、こうした活動が意味のあるものになるのだろう。
確かに、斯うしたことは面倒だし、エネルギーも必要。良い事ばかりではなく大変な思いをすることも多々ある。思いや考えの違う人々が、同じ場所に立ち何か共同作業をするということはそういうことだ。
人は皆違う人間。違うからこそ面白い。違うからこそ、勉強になる。相手に映った自分の姿に、自分という者を再発見することもある。他人には自分がそう映っているのかと驚くことも多々ある。

結局、会話だなあ~。人と話すことで、いろんな事が分かる、変化する、成長する。

帰宅して、夕飯を作って食べたら動けなくなった。今日は母の施設の訪問はパス。明日にしよう。
明日は、衣装部屋の移転作業とコンサート。
う~~疲れる~~。

2019年2月 1日 (金)

やたっら寒い今日。

体感温度としては今朝が一番寒いと思うがどうだろう?

こう寒いとあったかくしてすっこんで居る方が良いのかも知れないなあ。しかしねえ、遣ることもあるしねえ。。。。とぐずぐずしている。
そういえば夕べも食後だらだらと映画を観たし~。これは寒気鬱病かもねえ。
映画は嫌いな戦争物だったが、トムハンクスが出ていたので、きっとヒューマンドラマだろうと思い見てしまったが、長かった~。
非常にリアルな表現で、とても食事時に見るもんじゃあ無い。戦地の悲惨な状況をこれでもかと生々しく映し出す。アメリカ軍がナチの討伐にフランスに上陸するという戦争中、4人の男の子の内、3人が戦死するという悲劇が起こる。それを知った参謀長が、過去のリンカーンが同じケースの母親に宛てた手紙を取り出し決心する。こうした場合、最後に残って居る兵士は絶対に母親の元に返すべきだと。そしてその青年を探し出し母親の元に送り返すという任務をトムハンクスに託す。
命令は命令だし、従わざるを得ないがそこに「命」の重さについての疑問が生まれ、チームが結束したりバラバラになったりと、任務遂行中に様々な葛藤が生まれる。
しかし、遂にその青年を捜し出し、お前を母親の元に連れ帰ると告げるが、本人がガンとして従わない。ここにいる仲間達を見捨てて自分だけ帰国するなんて事は絶対に出来ないと激しく抗議する。自分の母親もこれについては分かってくれますと言い張る。そうこうしているうちに戦闘が激しくなり、遂にトムハンクスも敵の砲弾に倒れる。その彼の最後の言葉は「しっかり生きろ」だった。
青年は帰国する。
やがて戦争が終わり、時間が経ち、戦没者のおびただしい白い十字架の墓の前に、すっかり年老いたかつての青年が家族と共に跪く。「貴方の言葉通り、私は帰国して家族を持ちこれまで生きてきました。貴方のお陰です。」と。
そして傍らの妻に、「私は彼の望むような人生を生きてきただろうか?」と問いかける。妻が、「もちろんです。」と答えるのを聞いてゆっくりと墓に向かって敬礼する。。。。
「プライベートライアン」戦争映画の中では心に残る名作だった。

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