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2018年12月

2018年12月 9日 (日)

本格的な疲労感は、多分明日だ。

今日は香川県出身の声楽家のコンサートに行って来た。皆さん錚錚たる顔ぶれで林康子さんを筆頭にキャリアのある人ばかり。長年お付きあいのある小濱さんも出ているし、若手の全く知らない人も居て、期待以上に楽しめた。
一瞬ガクッと首が折れたが、、、。

年齢。これは容赦なく声を奪っていく。というのも、本日の感想だった。お若い頃を知っているだけに残念感は拭いきれない。が、そこは矢張り故郷の人々だ。全ての人に割れんばかりの拍手。
そして、若い人で力のある人も確実に生まれているというのも、それはそれでこれからに大いに期待が持てる。

正直、チケットは買ったものの、果たして行けるかどうか、と疑心暗鬼になっていたが、朝消化剤を引っかけて、二日酔いのモヤモヤを押しこんで出かけてみた。
丁度、今日までという日本画の展覧会もあり、まずは絵画の鑑賞から。あまりゆっくりもしていられず、お目当てのものを見てからすぐに飛び出す。
会場に着いてみると、昨日の我々のに来てくれた人もちらほら。目が合って、ご挨拶となり、色んな感想が聞ける。驚いたのは、終演後楽屋口に行こうとしたら、FBを見て素晴らしかったと知りましたよ~と駆けよってきて下さるピアニストが!なるほど。FBはこういう効用もあるんだ。
急に寒くなってきて、これから早めのお風呂にしようとしているが、風邪ひかなきゃ良いんだけど~。

2018年12月 7日 (金)

バタバタの通し。

確か今日はリハだよね?という参加者の不揃い。まあ、それぞれ仕事がらみで、仕方がない。こういう団体にはよくある話しだ。そもそも演出家が遅れてくるから、話しが前に進まない。なが~くお付きあいがある舞台関係の人々だから、なんとかかんとか遣ってもらえたが、イヤハヤイヤハヤ。

今日は考えてみると初めての通し。今日になって全体像が見えたという人が殆どかも知れない。これで乗り切るというのも、ちぇちの異名を確かなものにしただけかも。

それでも、出演者の主要メンバーがそれぞれ集まっての通し稽古はそれなりの緊張と、集中で充実したものとなった。
結論。ま、なんとかなるでしょう!!

明日も練習だが、体調管理も大変だ。動けば暑い。止まれば寒い。ハードなスケジュールの為、食事も不規則だ。バナナ一本かじって飛び出したが、帰宅は10時半を過ぎていて、帰宅早々あれこれ遣っていたら、全く食べる時間が無い。かろうじて行く前に作っていたポークのワイン煮をつまみに焼酎の湯割を2杯。明日の朝までこれで辛抱だ。

面白かったのは、昔の映像をある人は珍しそうに。又ある人は懐かしそうに眺めていることだった。特に楽団の人達にとっては面白いものだったのだろう。お客様もこれを楽しんでくれれば良いのだが。。。。

そういえば、新聞を見たという人から次々と電話が入る。頑張らなくては。

さ、寝ましょ。

2018年12月 5日 (水)

酉年。そのまんま。

昔から、「あんたは酉年だから、年中バタバタしてるわねえ。」とよく言われたものだ。全くその通りで、年取ってからもその評価は自他共に認めているわけだ。

考えてみると、その殆どの原因が、「ノーと言わない」事から来る。

勿論、その裏には好奇心が強い自分の性格もある。
てなことで、昨夜は徳島まで、お嬢のたっての誘いに乗って、本番前だというのに「朗読劇」なるものを見て来た。
「やなせたかしの絵本を劇仕立てに演じる」というものだったが、こういうことも出来るんだという驚きと感動があった。
二人の男女とそれを取り巻く怪しげな歌とヴァイオリン。人形遣いも出て効果的な演出。それぞれの分野で有名な人達らしいが、こっちは何もかもが初めてで、、、、。面白い。絵本の世界をこんな風に演じさせる演出家というのは、相当な力がある人だ。
だいたい見てるだけでも美しい若者達が繰り広げる摩訶不思議な時間は、客席を自然と黙らせる。
驚いたことに、自分の目の前に徳島で長く県議をやっている従兄弟が現れたことだ。どうやら義理で購入して、妻が行けず、知人を連れてきたらしい。しかし、行くみちすがら娘と、「もし今日見て面白いようなら、あのおじちゃんに連絡してみるわ。」と話しながら行ったら、その当人がやって来たと言うわけだ。あまりの偶然にしばしわいわい。
その主宰者M女史は娘の演劇仲間で、その世界で一番の仲良しだったらしい。Mさんが、舞台から、「私の親友が髙松から駆けつけてくれました。二人で泣きながらお芝居の練習をしてました。」と紹介していたが、あとで娘が言うのに、「本当に厳しい練習だった。若かったんだと思う。」としみじみ語っていた。
ま、そういう世界だ。

行きはこちらが全部運転。帰りは半分。しかし疲れた!
今日は朝寝をして、夕方の打ち合わせに備える。

その打ち合わせは、こっちが場所を間違えて、近くて違うところに行った為に、T氏に会うことなく終わる。代わりにM演出家とP団長が待ってくれていて、ま、思いがけない三者会談となったのも良かった。
というか、こちらが年取って、いかに呆けボケしているかを解って貰いたい為の時間だったかもしれない。とにかく、全ての名前が一字しか当たらない。「髙松駅前に出来たホテルの一階に、ほらほら何とかいう店ね。トが付く店」てえのは、「プロント」だったし。「ほらほら、Sが付く100円ショップね」てえのも、「ああ、セリアですね。確かにSがつくわ。」と一笑に付される。他にも色々あって、まあ、二人とも理解してくれただろう。と思う。
イヤハヤイヤハヤ。

イヤハヤイヤハヤ。。。。

2018年12月 3日 (月)

練習。訓練。修練。どれも楽しい。

今、パソコン前に座ると雨が降っている。どうも暖かいと思ったんだ。

なんだか定まらない気候が続くが、ちぇちの公演も行きつ戻りつ、、、、まだこの期に及んでも定まらない。

一体どうなることやら。
もういくらなんでも、自分がやるべき事のみに専念したいところだ。外野のことばかり遣っているが、実際は舞台にも乗るし、考えねばならないことも多々あるわけだ。
と言いつつ、本日はちぇちの練習後に短歌の歌会に顔を出す。
大幅に遅れての参加だったが、楽しくお仲間に入れてもらう。
文学全般に言えることだが、言葉の概念がそもそも人それぞれ違っている。そこから来る歌の読み方が、それこそ推理小説でも読むがごとくに複雑になる。詠み手の意図することがそのまま伝わらないケースが多い。伝わったようでも、実際は少しずれているという感想を持つ人も多いのではないか?
これについてはいみじくも、ある人が「どちらでも良いと想って詠みました。」と言われたのが印象的だった。確かに、小説でも作者の手から離れたら、今度は読み手のものになってしまう。だから面白いとも言えるが、時にはアッチムイテホイ、的な解釈も起こりうる。
そのジレンマがあるけれど、非常に経験の豊富な人の解釈は、やはり 当を得ていて納得出来るから面白い。ここでも、「経験」がものをいうのだろう。
なんだってそう。経験に勝る教師は居ないのかも知れない。
だからこそ、練習が大事。

明日はシャンソン教室だなあ。

2018年12月 1日 (土)

一応無罪。

癌検診は尿検査を残すのみとなり、一応白となった。しかし、驚いたのは、自分が自分を騙していたことだった!そもそも精密検査をしましょうとなった時点で、ちっとも驚かなかった筈。最悪に備えて、万全の気持ちの準備は出来ていたはず。それなのに、医師の「大丈夫でしょう」の一言で、どど~っと疲れが出た。。。。これは一体何?
要は自分で自分を騙していたわけだ。毎日の多忙の中で、ちらちらとかすめる不安と、知らず知らずに闘って居たわけだ。これには全く驚いた。

覚悟なんて容易くできるもんじゃないって事を思い知った。ま、これも経験だ。

病院へ行くと帰るで景色も違って見えるから不思議だ。

で、突然のように日常が戻り、早速印刷屋さんに行き、帰宅してからお歌の練習や母の訪問や、夕餉の支度だ。
日常の平和がこれほど有り難い事だと分かる。
すると、俄然他人に親切にしたくなるのもおかしい

車を自宅前の駐車場にバックで入れると、目の前にとぼとぼと歩いて行く高齢の女性が見える。角でどっちへ行こうかと迷ってる風でもあり、エンジンを止めてしばらく見ていたが、どうも気になる。丁度衣装部屋へと返す物もあったので、その女性を追いかける形でゆっくり後ろから付いていく。この辺の住人なのか?にしてはあまりにトボトボした歩きで、多分駅から歩いてきたのか?追い抜いても知らないお顔。で、衣装部屋に荷物を下ろして又引き返すと、まだその女性はますますのろのろと歩いている。遂に、声を掛けようと決心して、車をターン。窓を開けて、その人の横に車を停めようとして、あっと気が付いた。ナント、携帯電話で誰かと話している!おお、携帯電話が使える人だったんだ!それなら大丈夫。車窓から会話の一端も聞こえる。「もうすぐつくから、、、」ああ、良かった。
とりあえず、人に優しくなった一日ではあった。ち~ん。

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