「多忙」は天からの授かり物?
今日は近々では一番の忙しさ。目が回るとはこのことだ。が、一応予定した事の全てが遣り仰せたことを喜ぼう。
朝一はシャンソン教室。ようやく秋になって歌う気になってきたメンバーたち。無理もない。道中だけでもあの暑さの中は大変だった。
とにかく一つでも新しいことの発見があればと、みんなそれなりに真剣だった。
直後はちぇち練。久し振りに昔通い詰めたサンポートの練習室が会場だった。会長はじめ、和気藹々と、でも真面目に頑張った。
そのアトは新演出家Mさんと今回の公演でもお世話になる舞台関係の人たちと打ち合わせ。まだまだ知らないことが沢山あるなあ。
一応のアウトラインが決まったところで、Mさんにあとは任せて、こっちは同じサンポートのリサイタルへと移動。
テノールYさんは高松出身で現在は関東暮らし。時々地元に帰省してのコンサートを開催している。
今日の会では、トークの中で、20年歌ってきていることを語っていらしたが、貫禄が出て来て声も重厚になって、その分迫力も出ている。
プログラムも歌曲からオペラへと移行して、それに比例して拍手も大きくなる。何と言っても、歌曲は地味だ。彼ほどの人が歌っていても、その感はぬぐえない。が、その歌曲でさえ、大きく力強い歌唱に、アリアかと紛う人も居ただろう位だった。
ちょうど最前列にちぇちのメンバーで今練習中の「星も光ぬ」をやっている人がいて、食い入るように見て聴いて、大きな拍手を送っていた。とても良い勉強になった筈だ。矢張り良い声を聴くのが歌の成長には欠かせない。
Y氏は、日本人離れした声を持ち、日本を代表するテノール歌手に師事したことで大きく育ってきている。
帰りのロビーでバッタリ、FMに良く出て下さる方とお会いしたが、「テノールを堪能しました。」と満面の笑み。ご紹介した甲斐があったというもの。CDを購入する人の列をすり抜けて帰路に付く。
駐車場から出ると、ぱらぱらと雨。しまった、今日は降らないと思い込んで、洗濯物を干してきたなあ~、と夫に電話するも応答がない。ま、仕方がないと諦めて、帰る道中病院に立ち寄りお見舞い。が、先客が居て又出直しますと一瞬で退室。まあ、二言三言交わせたから良かった。
そして、老人施設に入所しているSさんに頼まれていたカーディガンを○○タウンで購入。「明るめ」を探し、モダンなのを見つけてすぐさま購入。
夫の食事を殆ど、「放り込んだ」という形でそのまま車を回しSさんを見舞う。
Sさん。前回よりも血色がよくなっていて、童女のように喜んでくれる。カーディガンもお気に召したようで、一安心。
今まで溜まっていた鬱憤を次から次へとはき出すSさん。遂には喋りすぎたせいだろう、「喉が渇いた」と仰る。じゃあ下で買ってきますね、と言うと、「すぐ帰ってね!」と念を押される。
入室した途端出でた言葉は、「分かる?孤独なのよ。」であったことからも、如何なる日常かが察しが付く。
一切のことを他人の手を借りないと何も出来ないと訴える。先日もテレビのリモコンが見えるところにあるのに取れず、誰も来ないままず~っと待ち続けたと言う。我慢が要るなあ。
「突然こういう状態になったわけで、自立して暮らして居たときは、まさか自分がこうなるとは全く想像もしなかった。」と言われる。そうだろう。病は突然来る。
そうやって色々話しをしていると、弟から電話。ここのことろず~っと探したり見学に行ったり調べたりしていた母の新しい入所先が決まったというもの。思わずバンザイを叫びたくなった。
現在の施設は職員は全員親切で、明るく、ホントに良くして頂いて居たが、少々遠いのがたまに傷。今度決まった所は、我が家から歩いて行ける距離。これで頻繁に母と接触出来る。
1時間近くSさんのお部屋に居たため、立ちっぱなしの足が相当疲れてきたのもあり、お別れをいって退室。「握手して!」と言われて後ろ髪引かれる思いのまま帰路に付く。
運転しながら今回の母の件でお世話になった人に御礼の電話をしていると、パトカーの姿が。慌てて電話を切ったが、クワバラクワバラ。ほんとに沢山出てるもんねえ。
帰宅すると「青風」が届いていた。