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2018年9月 2日 (日)

生きるとは死に向かうこと。

分かり切っていても、その真実を自分の物として胸に落として生きることが、なかなかに困難だ。「生きたいと思って生きている。」のが普通だろう。

が、ある親しいひとが今現在死の床にありながら、その時を待ちながら生きている。そこに、「生きたい」という想いは全く無い。
今日病床を訪ねてそれを再確認してきた。驚くほどの平常心。覚悟はとっくに出来ているという感じだ。
ここまでの人生は、お若いときの苦労が全て生き方の栄養となったようだ。二人のご養子さんを育て、それぞれに家族を持たせ、とある国の恵まれない青年達への援助を続け、学費は勿論日本に於ける衣食住の面倒を見ていた。仕事で得たお金の多くをボランティアにつぎ込み、ご両親を看取り、今回持てる物全ての終活を終えたようだ。
なんと潔い。見事な終え方。ご本人曰く、「これが出来るのも癌だったから。他の病気だったら、到底こんな死に方は出来なかった。私はホントに恵まれている。。。。」
余りに立派で、言葉がない。
果たして、自分に同じ事が出来るだろうか?理想ではあるが。。。。
そして何より素晴らしいと思ったのは、丁度お訪ねしたときに3人の女性が先客として病室に居て、国際ボランティア仲間ですと紹介される。他にも県外からホテルを取って泊まっている人も複数居るようだ。まだipadが使える為、国外の面倒を見ている子供達ともやり取りしていて、母の様に接している。子供達はショックを隠せないようだが、、、、、。
先客に見せていた画像を見ると、オーストラリアの海でダイビングをしている写真。美しいサンゴの中、魚と一体化しながら泳いでいる写真が沢山。思わず、私は言ったもんだ。「人間がこの世でやりたいと思う殆どのことをやって来られましたね!」と。
勿論、これが彼女の懸命に生きたご褒美だと重々分かってのこと。
一旦病室を出たが、娘がもぞもぞしていて、「言っておきたいことをもう一度行って話してきたい。」というので、車内で待っていた。ナニを話してきたのか、「やっぱり行って良かった。」と言う。最近自分の演劇界の先輩を亡くし、なんのお別れも言えずじまいだったのが、相当こたえているようだ。
確かに、別れは突然にやってくる。
歌を詠んだ。
死を前に立派すぎるよ泣き言も言はずに君は逝かむとするか

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