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2018年9月

2018年9月29日 (土)

台風接近。

昨日のブログに、「柳橋物語」が遠藤周作と書いてしまって、どっかで引っかかっていた為今確認したら案の定間違えている。山本周五郎だった。どこでどう間違えるのか?最近頓におかしくなってきた。毎日娘に叱られている。

例えば今日も、高知の友人が電話で、今年一緒に泊まったホテルの名前何だった?というので、その場では、「多分センターホテル?」と答えつつ、自信が無く、注文履歴を見てから知らせると約束。調べてみると案の定、「エリアワン」が正しかった。連想が、そのエリアで一番、から、駅に近くその地域の中心地と変化し、浮かんだのがセンター。何ともお粗末。
そのOさんは、どんどん台風が近づいて来て、地域の人から早く避難せよと何度も何度も言われ続けて、とてもじゃないが、避難所では眠れないし、体調を崩しそうだからホテルに行こうと思う、というもの。確かにそれは良い選択だろうと思った。以前聞いた話しでは、その避難所は1階建てで、自宅と変わらない高さ。しかも自宅よりも海に近い。それならむしろ自宅の方が安全な様な気がする、と以前も言われていた。が、余りに勧めてくれるので、早めにホテルに行こうと決心した、と言う。
ネットで確認すると、後二部屋と出ていたから、ラッキーだったわけだ。
たった今Oさんからの電話で、「とっても快適。これでぐっすり眠れそうよ。」と言われ一安心。
東京の娘さんもこれで安心されたことだろう。


にしても、この台風。ほんとにまともに来るんだろうか?今のところ静かなのは嵐の前の静けさか?なんとなく不気味な静けさだ。

今日は母のお引っ越しの準備を色々やっていて、とにかく明日動けないようなので、今日中にとの思いだった。
母の新しい部屋を出て、ロビーに行くと一人の若い女性が、「あっ、ちぇちぃりぁの人ですよね!?」と声を掛けてくれる。驚いたのはこっちだ。その女性は尚も、「私、去年もその前も見に行きました!」と言ってくれる。わあお。こんな事もあるんだ。
よくよく聞けば、ちぇちのメンバーとお友達だとか。これは有り難い。何かと心強いことだ。
本当は明日がお引っ越しだったが、台風直撃のニュースに明後日に変更してある。あとは、母がここを気に入ってくれることだけが願いだ。
上手く物事が進行してくれますように。

昨日、運転免許証の更新前の講習及び検査があり、母校のT自動車学校へと出向いた。建物も流石に様変わりしていて、知っている教官も居ず、コースも変わっている。たまたま担当してくれた教官がとても面白い人で良かった。
昨年から変わった法規のお陰でここ一年中メチャクチャ忙しいと言う。確かに電話で申し込んだときこの日しか空いてなかったもんねえ。
ビデオを見たり、目の検査をしたり、路上でグループ毎に実際に運転したりと2時間はケッコウ退屈せずに過ぎた。
結果的には、視力も視野も全く問題が無く、運転も色々褒めて頂きやれやれ。
こういうのをこれから3年ごとにやる義務があるんだとか。まあ、これも自分に取って良いことだろう。今回は所謂認知症の検査は無かったが、免許センターではあるようだ。一定レベル以下だと、病院へどうぞとなり、ややましでも再度講習を受けることになるそうだ。、、、さあ、どうなりますことか。
しかし、指導教官は慣れて居るなあ。上手に注意して、落ち込まないようにするし、少しのことでも褒めちぎる。そして肝心な事だけはきっちり伝えている。
今回の参加者はだれも面識がなかったが、ほぼ1945年前後生まれの人ばかり。どういう理由からか、「記念写真」まで撮られて後で渡された。この学校独自の物だろうか?
この日が晴天でホントに良かった。

2018年9月28日 (金)

「柳橋物語」

3時間の芝居がさほど長いと思えなかった昨夜の「柳橋物語」。山本周五郎の原作は、昔の日本人の人情を象徴的に描いて、現代人の無くしたものを様々な角度から展開して見せた。

終演後立ち上がると、後ろの席のややお若い人たちが、「最初から最後までもやもやもやで、結局分からなかった。」とぼやいていたが、現代人には理解が難しい内容だったということか。
Aという男性がB女という女性にぞっこんで、彼女のために日夜足を運び彼女の病気の祖父の面倒から何から世話を焼いている。
ところが彼女には言い交わした男性Cが居る。Cは江戸を離れ大阪で一旗揚げて帰るまで待ってくれと言って出立。
時が経ち、突然の江戸の大火。その上その地域は洪水にまで見舞われるが、Aのお陰でB女は命を助けられ、自分も誰の子供とも分からぬ幼い乳呑み児を助ける。しかし、Aの所在はさっぱり分からず、恐らくは亡くなったと思われる。
身寄りのないB女は親切な人々に助けられ、貧乏ながらも何とか生きている。そこにB女を探し当てたCが現れる。しかし、乳呑み児を抱えたB女を、それはAとの間の子供だと疑うC。もしその児が自分の子でないというなら捨ててこい、と言う。一瞬抱えて外へ飛び出すものの、どうしても捨てられず、彼の疑いは晴れないまま決別。B女は、「きっといつか分かってくれる。私たちは約束したんだから。」とそれまで待つことを我とわが身に言い聞かせる。
もやもやもや。
ところが次に彼が現れたとき、彼は別の女性と結婚している。絶望の中で、B女は思い出す。Aが自分に尽くし続けてくれたことを。そして自分を助けるために命を亡くしたことを。その男性に自分はなんという残酷なことをしてきたのか、と改めてAの自分への愛を認識する。
しばらくして、三たび目の前にCが現れる。ある人から、全て真実を聞いた。自分の破廉恥な言動を赦して欲しい。というもの。Aのことをお前が嫌い抜いていたことが分かった。それなのに自分は、、、、といつまでも謝り続けようとするのを遮って、それは違う。と言い放つB女。この子は本当はAとの間に出来た子なのよ。私が嘘をついていただけよ。と。
あっと驚くC。。。。その場を信じ難い思いで立ち去るCだが、、、、この場面。見ていても、彼が本当にB女の言葉を信じたのかどうかさえ良く分からなかった。
もやもやもや。
しかし、これが一番丸く収まることは確かだ。
確かだが、なんだかスッキリしないものが残る。恐らくは後ろの席の人たちも、「どうして本当のことをもっとしっかり分かってもらおうとしないのか?」「誤解した男性がただ待つだけで帰ってくるというのは考えられないではないか?」などなど、疑問符が一杯だったことだろう。
この作品の本当に伝えたいテーマは何かと考える時、一つには「真実の愛」だろうと思う。それを得る為には多くの困難をくぐり抜け、精神的成長をしなくてはならない。
おせんという少女が、大人の女性へと変貌していく過程を通し、困難に打ち勝ち、何度転んでも立ち上がり、勇ましく生き続ける姿は尊い。
そしてもう一つは、下町の人情だろう。とにかく名前も知らない人をも助け、ありったけのものを惜しげもなく提供する。助けたり助けられたり。どんな時も支え合って生きていけば越えられるという強い信念。

題名の「柳橋物語」が示す様に、人間にとって必要なのは、「橋」。
満杯のレクザム小ホールが、咳払いもなく、シーンと静まりかえっていたのは、それだけある意味現代人への問いかけや警鐘が含まれていて、それぞれが何かを考えながら見ていたということだろう。いつもは必ず寝てしまうという吾が友人も、「全然寝なかったわ~」と笑う。
これほど長いお芝居で、これほど観客を惹きつけるのも珍しいが、所謂、和物特有の立ち居振る舞いや、物腰、台詞回し、どれもが美しい。「前進座」、残っていて欲しい劇団だ。

2018年9月26日 (水)

凄い女性たち。

雨が降る前は、どうしてもむち打ちの後遺症が出る。で、夕食後テレビの前で少々居眠り。目覚めるといつの間にか番組が変わっていて、「樹木希林を生きる」というのが進行していた。

以前から好きな女優だったが、あれほどのキャラを出すには相当内に秘めた強さを持っていたんだろうと思っていたが、この番組を見て確信を持った。なんと凄い人だったか。映画界にとっても大きな財産を失った。
死の直前までの一年間の取材は、NHKの若いディレクターだった。取材の中で行き詰まり、迷子の子供が諭されるように泣きながら彼女の前に座り続けた彼の純粋さも好ましいものだった。「死」の重さの前に、本人よりも取材する側の方が圧倒されているのがよく分かる。彼の心の中には、沢山の疑問符があったことだろう。この人は何故このように死を前に平然と生きていられるのか?何故、治療をしようとしないで、それでも仕事を続けられるのか?何が彼女のエネルギーの素なのか?この極限の状態の中、どうして他人にかくも優しくあり続けられるのか????
番組の中で、「生ききる」という言葉が出て来たが、「ボロ雑巾のようになるという意味ではないのよ。」と告げる彼女の顔に笑いはなかった。
数日前に彼女の事をある人がテレビで語っていたが、「あんな凄い人だから、内田は側に居られなかったんだよ。彼女の生き方そのものがロッカーだからね。絶対敵わない女性だよ、あの人は。」

しかし、番組の終わりの方で、最後の出演となったある映画のワンシーンが紹介されていて、こちらも泣いた。窓辺に腰かけて外を眺めながら、「いの~ちみじ~かし~恋せよ~おとめ~あか~きくちび~るあ~せぬまに~~」と呟くように歌いながら涙が一筋彼女の頬を伝った時、無条件に泣けた。この涙に彼女の人生を重ねたのは私だけだろうか?

今日、同じように死を前に治療をせずにその時を待っているNさんから電話をもらう。とある方の電話番号を調べて電話を受けたいと告げて欲しいというもの。勿論その場でそうしたが、その方は全く現状を知らなかったようで驚かれていた、、、、Nさんは痛み止めによる昏睡状態のまにまに、思い出してはお別れをされているんだろう。

この人も凄い人だ。

2018年9月25日 (火)

リハーサル。

10月7日のシャンソンリサイタルに向けて、本日Oさんのリハーサル。ピアニストは勿論、衣装のデザイナーやビデオ班、照明班などスタッフも勢揃い。熱心に執り行われた。

ここまでの1年を振り返ると、本当に彼女はよくやったという感慨が湧く。
必ずしも平穏な生活でもない中で、くじけそうになることもあっただろうが、その都度自分で自分を励まして研鑽を積んで居るのがよく分かった。
ある人が言う。「この人はスポーツをやっていた人の頑張りよねえ。」なるほどそうかも知れない。結構な特訓にも耐えてここまでに仕上げたのは素晴らしい。
一人きりの舞台というのは、様々な要素が要求される。ある意味恐怖を覚えることもあったかも知れない。が、それらの全てに打ち勝ってこの場に臨んだ彼女の姿は美しかった。
ずっと彼女を見て来ての今日。これなら行ける、と安堵したことだ。あと少し。追い上げて頂こうと思う。これで終わりというのがないのが歌の道だ。
終わってから手伝い組を送って行きそのまま車を回してお二人ほどお見舞いに行く。
一人はひたすら死を待つ人。もう一人はどん底から這い上がろうとしている人。このお二人の年齢差は70歳と86歳。どちらの人からも「命」の重さを感じるばかり。
どの様に考えようと、死は必ず訪れる。それを目の前にしているこの二人の人の前で、自分の無力を悟るしかない。むしろ、見舞っている自分の方が目に見えない大切なものを頂いているような気がしている。
与えられた「生」を生ききるしかないのだが。。。。。さて。
吾が死にもリハーサルがあれば良いなどと思ひし秋の夕暮れ

2018年9月23日 (日)

秋。

夏の疲れが今ごろ出て来ている。早く床についてもなかなか目覚められず、春でもないのに朝寝してしまう。この朝のうとうとが殊の外気持ち良い。

そして起きてからはアクセル踏みっぱなしの感じ。
今日はおそらくは今日が最後だろうTさんのご来店があり、約3時間色々施術。タクシーでホテルまでお帰りになる姿に最敬礼してお見送り。こうして40年ほどのお付きあいに、ピリオド。お嬢さんの側に住居を移しての新しい環境がTさんにとって幸せでありますように、と願いつつのお別れ。「お互い元気でいましょう。」「元気だったら、又お会いできますね。」と言葉を交わしながら。。。
そして、母のお迎えを頼んでいた我が娘は突然の目眩とかで出られず、急遽こっちが車を出す。待ち兼ねている母を車に乗せ、孫べえだけをピックアップして、3人で近くのご飯やさんへ。しかし、孫べえはどうも母親の体調に不安を感じているらしく、終始反抗的な態度。二人の世話を強いられて、、、、参りました。
結局娘のご所望の種なし葡萄と冷凍肉うどんを届け、我が家でお皿叩いて待っている夫にお刺身やお総菜を届けて全てなんとか終わり、最後に母を施設へと送り届けて、ようやく一息。
おお、今日もよく働いた!と自画自賛。
こういう時、うっかりし易いホールからの請求書など、只今チェックして間違いなど発見したところで、ようやく本日のお仕事が終わった。


それにしても今宵の空は雲が多く、月が見え隠れしていて美しかった。
秋だなあ~。

2018年9月20日 (木)

焼酎が美味しい季節。

多忙な日々は秋風と友にやってきた。

今日も朝から走りっぱなし。車中で友人からある人の電話番号を教えて、と言われても、返事をする間もない。ようやく一度帰宅した時に名簿を持ち出して、車中で眼鏡をかけ直して打ったが、電話番号のみ。
昼は母に新しい施設の場所を認識して貰うために、一度我が家まで来てから移動して、「ここが今度の所よ。」と説明はしたが、はてさて、どこまで覚えてくれたかはなはだ疑問。
しかし、しばらくぶりの外食は殊の外美味しかったようだ。定食の殆ど全てを平らげて、昔話しをしきりに語る。
一度娘の家に立ち寄り、しばらく過ごした後今の施設に舞い戻ったが、道々話すことは台湾から引き揚げてきた当時の事。まるで昨日のことのように詳細に語る。特に、大きな船の下の船室で、ダニに体中を噛まれて泣き叫ぶこの時の赤ん坊だった私を必死で庇いながら守り連れ帰った事を。この話は何度も聞かされているが、その都度変化することなく、クッキリと覚えているのは凄いと思う。人間の記憶というのは、どういうメカニズムなのか?今話したことはすぐ忘れるというのに。。。
母は、そんな思いをして連れ帰ったお陰で今幸せだと言う。もしあんたが居なければ、とっくに死んでいただろうとも。まあ、そこまで思ってもらわなくても良いが、あのSさんのような境遇の人も居ることを思えば、確かに母はまだましな方だろうとは思う。
無事送り届けてから超特急で夕飯の準備をして、今度は街中のコミセンで練習中の楽団を表敬訪問。まだ暑くて、部屋はクーラーが良く効いている。そのつもりで、ズボン下を履き上着を持参しての参加だった。
今日が誕生日だという新演出家のMさんがやってきて、色々打ち合わせも出来たが、誰かとお祝いは?と聞くと、「それが無いんです~」なんぞと答える。ホントかどうかは知らないが、彼女も良い年齢になった。まだあどけない表情が残っているが、てきぱきとさばく姿を見ていると、熟してきているのを感じるなあ。別に年取ることは悪いことじゃない。これからうんと、魅力的な女性になって欲しいものだ。
帰り道、真っ暗になったレインボー通りを走っていると、今日はいつも気が付かなかった看板に目が行く。見たことも無かった面白いのがあったり、矢張り車が少ないと余裕が出るなあ。
10時頃に帰宅となったが流石に空腹を感じたので、行く前に用意していた物をがっつく。
焼酎片手に食べながらも、沢山のメールのやり取り。その中で、決まったこともあり、先延ばししたこともある。
良い事もそうでないことも一杯あった一日が終わる。

2018年9月17日 (月)

「多忙」は天からの授かり物?

今日は近々では一番の忙しさ。目が回るとはこのことだ。が、一応予定した事の全てが遣り仰せたことを喜ぼう。

朝一はシャンソン教室。ようやく秋になって歌う気になってきたメンバーたち。無理もない。道中だけでもあの暑さの中は大変だった。
とにかく一つでも新しいことの発見があればと、みんなそれなりに真剣だった。
直後はちぇち練。久し振りに昔通い詰めたサンポートの練習室が会場だった。会長はじめ、和気藹々と、でも真面目に頑張った。
そのアトは新演出家Mさんと今回の公演でもお世話になる舞台関係の人たちと打ち合わせ。まだまだ知らないことが沢山あるなあ。
一応のアウトラインが決まったところで、Mさんにあとは任せて、こっちは同じサンポートのリサイタルへと移動。
テノールYさんは高松出身で現在は関東暮らし。時々地元に帰省してのコンサートを開催している。
今日の会では、トークの中で、20年歌ってきていることを語っていらしたが、貫禄が出て来て声も重厚になって、その分迫力も出ている。
プログラムも歌曲からオペラへと移行して、それに比例して拍手も大きくなる。何と言っても、歌曲は地味だ。彼ほどの人が歌っていても、その感はぬぐえない。が、その歌曲でさえ、大きく力強い歌唱に、アリアかと紛う人も居ただろう位だった。
ちょうど最前列にちぇちのメンバーで今練習中の「星も光ぬ」をやっている人がいて、食い入るように見て聴いて、大きな拍手を送っていた。とても良い勉強になった筈だ。矢張り良い声を聴くのが歌の成長には欠かせない。
Y氏は、日本人離れした声を持ち、日本を代表するテノール歌手に師事したことで大きく育ってきている。
帰りのロビーでバッタリ、FMに良く出て下さる方とお会いしたが、「テノールを堪能しました。」と満面の笑み。ご紹介した甲斐があったというもの。CDを購入する人の列をすり抜けて帰路に付く。
駐車場から出ると、ぱらぱらと雨。しまった、今日は降らないと思い込んで、洗濯物を干してきたなあ~、と夫に電話するも応答がない。ま、仕方がないと諦めて、帰る道中病院に立ち寄りお見舞い。が、先客が居て又出直しますと一瞬で退室。まあ、二言三言交わせたから良かった。
そして、老人施設に入所しているSさんに頼まれていたカーディガンを○○タウンで購入。「明るめ」を探し、モダンなのを見つけてすぐさま購入。
夫の食事を殆ど、「放り込んだ」という形でそのまま車を回しSさんを見舞う。
Sさん。前回よりも血色がよくなっていて、童女のように喜んでくれる。カーディガンもお気に召したようで、一安心。
今まで溜まっていた鬱憤を次から次へとはき出すSさん。遂には喋りすぎたせいだろう、「喉が渇いた」と仰る。じゃあ下で買ってきますね、と言うと、「すぐ帰ってね!」と念を押される。
入室した途端出でた言葉は、「分かる?孤独なのよ。」であったことからも、如何なる日常かが察しが付く。
一切のことを他人の手を借りないと何も出来ないと訴える。先日もテレビのリモコンが見えるところにあるのに取れず、誰も来ないままず~っと待ち続けたと言う。我慢が要るなあ。
「突然こういう状態になったわけで、自立して暮らして居たときは、まさか自分がこうなるとは全く想像もしなかった。」と言われる。そうだろう。病は突然来る。
そうやって色々話しをしていると、弟から電話。ここのことろず~っと探したり見学に行ったり調べたりしていた母の新しい入所先が決まったというもの。思わずバンザイを叫びたくなった。
現在の施設は職員は全員親切で、明るく、ホントに良くして頂いて居たが、少々遠いのがたまに傷。今度決まった所は、我が家から歩いて行ける距離。これで頻繁に母と接触出来る。
1時間近くSさんのお部屋に居たため、立ちっぱなしの足が相当疲れてきたのもあり、お別れをいって退室。「握手して!」と言われて後ろ髪引かれる思いのまま帰路に付く。
運転しながら今回の母の件でお世話になった人に御礼の電話をしていると、パトカーの姿が。慌てて電話を切ったが、クワバラクワバラ。ほんとに沢山出てるもんねえ。
帰宅すると「青風」が届いていた。

2018年9月15日 (土)

忙しすぎる日々。

秋になると本業も忙しい。来店客の方、本日は皆さん何らかの身体的故障中。こちらが高齢化して来ると、当然こういう事になる。なんの不思議もない。まあ、すこしでもお役に立てて嬉しい限り。といっても、いつまで出来ることか。。。。とりあえず、運転している間と決めておこう。送迎が必要な方のお役に立てなくなったら終わりだ。

そして午後からは久し振りに母親を連れ出し、昼はパスタ屋さん。そこから移動してホームセンターを、かなりの時間歩いたが、勿論母は車椅子。となると、こっちは相当な疲労感をどうしようもない。娘がいてくれて、何とかなったが、これを全部一人では困難になってきた。夜は我が家での夕食となったがお寿司やお刺身で、あとはチャチャッと簡単に3品ほどが限界。それでも今日の母の送迎は娘がやってくれたので大助かり。
偶然の事ながら、こうして娘が近くに越してきてくれて、母に関してはどれほど助かっていることか。ま、お婆ちゃん子だったからねえ。
勿論ず~っと孫べえも一緒だったが、考えてみると、これは良い事だろう。昔のように、大所帯ではないが、こうして世代の違う大人と一緒にいて、話したり接触したりしたことが、彼の今後の人生にとって何かしらの栄養となるに違いない。
ちぇちのメンバーの中に、お孫さんが3人居て、傍から見ていても大変そうではあるが、きっとお孫さん達の将来にとっては大いに意味のあることになるだろう。ご本人の言う、「可愛いから」というのもよく分かるし、その大変さの中で、しっかりちぇちの練習にも参加し、舞台にも立ってきた彼女は素晴らしいと思う。きっとそんなお婆ちゃんもお孫さんたちの心に刻まれることだろう。心から声援を送りたい。今の苦労が報われる時がきっと来るだろう。
苦労と言えば、昔親友から、「苦労が垢になるような人生は送りたくない。」という名言をもらったが、自分自身今それを噛みしめている。

2018年9月13日 (木)

小さい秋がやってきた。

歌の勉強に二人。声とは不思議なもんだ。みんなそれぞれ色が違う。顔かたちが違うんだから当たり前かも知れないが、やっぱり不思議。これが個性なんだろうが、そこに留まっていられないのが声楽というものだろう。

その内お嬢が今夜はこっちでご飯と言ってくる。まあ、久し振りだったし、やっぱり孫べえと接触するのは無条件に嬉しい。
なんでも、足の裏に水疱が出来て、皮膚科に行って焼いてきたんだそうだ。「泣いた?」と聞くと絶対泣かなかったと言い張るが、どうやら泣いたのがホントらしい。まだ2年生だからなあ。
わいわい言いながらの夕飯はつい食が進む。
只今里帰り中のパパとテレビ電話するというので、少々慌てる。何でもかんでも写ってしまうからねえ。とはいうものの、あちらは、祖父母のお家で久し振りの水入らずの宴会をやっていて、何年もお顔を見ていなかったおじいさんおばあさんと、懐かしくお話しすることに。こういう事が出来るのも現代ならではのこと。
外は雨がしとしと降って、いよいよ秋の気配。
急に来たなあ~。

2018年9月12日 (水)

一日が早い。

昨日のSさんとの約束が気になっていたが、なんだかイマイチ元気が無いままグズグズと家で過ごした今朝。夫が、高校演劇全国一になった丸亀高校の放送をビデオに撮っていたのを見せてくれる。

これが凄かった。まずは脚本が良い。そして若者ばかりの舞台はテンポが良く、ダンスもしっかりしている。美術もお金をあまり掛けないで、しかし効果的な大道具を使っている。
そして何より胸を打ったのは、テーマだった。100年前の丸亀高校がその舞台。男尊女卑がまかり通っていた時代の女の子達が、「一人の女」として段々目覚めていく過程。当時の大事件として、「平塚雷鳥」のニュースなど織り交ぜてあり、単なる高校生の部活動のお話しに終わってないところが、素晴らしかった。これは一位で不思議でない。
終わった途端夫婦でテレビに拍手。
ちょいと元気が出たので、やおら腰を上げる。
時計を見ると11時半。又マズイ時間かなあ?と思いながら昨日訪れた施設へと出かける。途中で頼まれた物を買って、着いてみると案の定お昼ご飯中です、と言うので「出直します」と言っても「そう仰らずに、せっかく来られたんですから、どうぞどうぞ」と勧められ、結局今度は昨日とは違う大部屋での昼食タイムに遭遇した。ずらりと並んだベッドは壮観で、これほどに寝たきりの人が入って居るんだと感心。こういう場所が無いと困る人も多くいるんだろう。
Sさんは、今朝お風呂に入ったとかで、既に相当お疲れのご様子。昨日の、「すぐ来ます。」を実行してくれたと喜んでくれる。わざと、カーディガンは買わずに、次回に残して置いたが、こんどはそれを持って訪ねてみよう。出張美容もやりますよ、と約束して別れた。40年も美容業をやってきて、こういう時にお役に立てなければとつくずく思う。
で、午後はOさんのプログラムを頑張って遅くまでかかり仕上げたので、コピーに行く。いやはや、自分にこういうことが出来ようとは。
実は若い頃、グラフィックデザイナーに憧れ、通信教育の教材を取り寄せたことがある。元々好きなんだこういうこと。やり始めると、深夜2時3時と時間がドンドン経っていく。が、完成したときの達成感は良いもんだ。
さ、今日は全て終わったから、早く寝ようかな。

2018年9月11日 (火)

爽やかな秋風が吹くというのに、、、。

毎日毎日自分にとっての事件が起こる。多分そのせいで、昨日何をしたか?今日は何日でどんな予定があったか?がオボロで怪しくなって来ている。

昨日はちぇ練だったが、その前にお兄さんの葬儀の為、県外の友人が来ていて、急遽サンポートでランチとなった。10時に待ち合わせて14時まで。まあ、喋りに喋り、、、、これを喋り倒した、と言うんだろうが、ホント、喋り疲れた。何年もあってないと溜まりに溜まったお互いの近況があるわけだ。もっぱら家族のことが話題だが、そういうのを話していると、つくずくお互い年取ったねえということになる。
余りに疲れて、仮眠してからちぇち練へと出かける。この日もピアニストのお陰で、トップが誰も来ない状況でもなんとかなったが、、、。これ又ダブルパンチでのお疲れ~。
そして今日は、ある人のお見舞いに出かけた。といっても、総合老人施設、というネーミングの重度の介護が必要な人の施設だ。
そこに入って居るから、是非訪ねてあげて、と頼まれたのが葬儀の日。勿論すぐにも行こうとは思ったが、毎日毎日色々あって今日になってしまった。
比較的新しいその施設は、しかし矢張り重度の人のそれであることが、大声で叫ぶ人の声などですぐ分かった。廊下を案内されながら、ここが、介護4か5の人の施設だと説明を受けながら、知人のSさんはどういう状態なのか?全く予備知識なく出かけたので、顔を見るまで不安だった。
丁度良かったのか悪かったのか、今日はいつもより早い時間の夕飯時だった。遠くからこちらを見つめて、ぼんやりと分かるといった風情でにっこりされるが、こちらが手を取って名乗るまでハッキリとは分からなかったようだ。
しかし、予想以上に喜んでくれて、車椅子でご飯を食べながら色々話しが出来た。声はかなり小さいが、聞き取れないほどではない。何度か救急車のお世話になったらしく、手術後にここに入所しているようだ。
見れば、おかずは全て離乳食のように小さく砕かれていて、スプーンで食べる状態。しかしまだ自分で食べられるし、「おかしいでしょう?美味しいのよ、これが。」と言われる。食欲があるということは、まだ生きる希望を持っているということ。なんだかホッとした。
そのまま食事と薬を飲んで、自室へと案内される。
全く何も無いことに、まず驚いた。部屋に不似合いなテレビはご自宅から運んでくれたようだが、余りに大きくて、狭い部屋では見るのが困難だという。
後は小さな整理ダンスが一つ。ベッドと車椅子以外に、ほぼ何も無い。
殆どのことを他人の手を借りているのだが、細かく聞くと、矢張り肉親が居ないということが如何に辛いことか、実感した。かゆいところに手が届く、どころか、かゆいという訴えさえ、なかなか聞いて貰えないそうだ。そういえば、職員はみんな若い人。訓練は受けているんだろうが、、、、、そして、若いエネルギーもあるし、頼りにはなるんだろうが、、、、。母のことを考えても、心のケアが大切なんだが、と思ってしまう、、、。
「又すぐ来ますね。」と何度も別れを言いながら部屋をあとにしたが、その途端、「痛い~~~~!」という絶叫が他の部屋から聞こえてくる。この声で最初は全く眠れなかったが、今は平気になった、という。
長く独り暮らしをしてこられて、でもピアノを教えた時期もあり、明るくモダンな人だった。FMにも何度も出演して頂いたことがある。
外はもうあちこちに灯りがつき、黄昏れていた。
きっと又すぐ行こうと心に誓い、車を回す。「駄菓子」と「カーディガン」と「クレンジングペーパー」を約束したもんねえ。忘れないうちだ。。。。。

2018年9月 9日 (日)

寄席。今日の場合。

今日は無理矢理友人達に頼んで、ちぇちが大変お世話になっているK師匠中心の落語寄席に3人で出かけた。このところの憂さ晴らしの思いもあり、思いっきり笑いたいと思ったのもある。

期待通り、出演者はテレビでよく見る有名な芸人月亭○○始め、まだ新人の落語家など、それぞれに面白く堪能した。
中でも、月亭は全くそんな芸が出来る様になっているとは知らず、非常に面白く楽しめた。このままいけばかなりの落語家になる予感。まだ未熟な面はあるにしても、天性の面白さを持っている。そして落語で最も難しいであろう、「間」が上手い。
我等がK師匠も珍しく幽霊もので湧かせ、ますます円熟味が出て来たのを感じた。
だから、芸人さん達は非常に良かったんだが、あとが良くなかった。とある局の30周年記念公演だったが、そのためにアナウンサー達が沢山出て来て、お楽しみ抽選会なるものをやった。景品が少なかったのは、まあ諸事情があったのだろうと理解出来る。しかし、あなたたちリハーサルしたの?と言いたくなる進行。しらける演技?間延びしたテンポの悪い運び。申し訳ないが、そこまでの話芸で満足していた楽しい思いがぶっつぶれ!別に誰も当たらなかったから言うのではないが!
友人達も我慢していたんだろう。駐車場へのエレベーターに乗った途端爆発。みんなで文句タラタラ。
これで、3,000円は無いよねえ、とまで言い始める。しかも駐車料金は千円越え。というのも、だらだらと長く引っ張ったせいだ。無理矢理誘ったお詫びにそれはこちらが持ったが、ホント、これはない。呆れてしまった。
そもそも、芸人さん達はみんな正装。局アナ達はみんなTシャツとか、ジーパンとか、ラフは良いが、記念公演とは思えない。なんか、勘違いしてない?と言いたかった。
しかし、讃岐人は優しいんだ。誰一人文句を言わず、まあ、途中で帰る人はチラホラあったが、ブーイングというものが出ない。
なんだかねえ~~。
我々も、こう言われないように、準備というものに時間と労力をしっかりかけなくては!他人の振り見てなんとやら。ふ~っ。
出かけるときは前が見えない程の雨。帰りは小雨になっていて、、、、これからしばらく続くんだそう。やれやれ。

2018年9月 8日 (土)

歌えるしあわせ。

次々と北海道の地震被害の全貌が明らかになってくる。矢張り相当な被害だ。ただ救いなのはこの季節だと言うこと。あの酷暑でもなく、いつもの真冬の雪の降る季節だったら、と思うと速く早くこの季節の間に色々復旧して欲しいもの。

しかし、こうなってくると、最早人々の中から先日の台風洪水被害など影が薄れている感じがする。当事者にすれば、不安がいや増すだろう。まだまだ困窮している人が沢山いるようだ。
それはそうと、最近テレビで専門家が話しているのを聞いてぞっとしたことがある。今回の北海道の地震はいわゆるプレートの上ではない。予想外の場所で発生しているようだ。ということは、原発のある場所は安全な筈だが、必ずしもそうではないということ。日本のプレートは相互に影響し合って、複雑な発生の仕方をするという。だから、どこに発生してもおかしくない、世界でも類を見ない地震王国なんだそうだ。
よくぞこんな地域にあれ程の沢山の原発を造ったもの!最近もんじゅの解体が始まったが、一つの施設を完全に消去するのに30年も掛かるという。
政治家に未来をしっかり見据える賢い人は居ないのか?
やはり人間は救いようがない動物なのか?世界を見渡しても、問題のある国のなんと多い事か!?特に宗教戦争はヒドイ。人類の幸福をもっとも実現してくれるはずの宗教が、ナント多くの人々を不幸に追いやっていることか!
これが人間の限界だとしたら、悲しい。
歌でも歌ってないとやってられない。今日はH先生宅で歌の練習だ。有り難い事。

2018年9月 6日 (木)

次から次へと。。。

よくぞこれだけ震災が続くもの!やっぱり地球が何かメッセージを送っているような気がするなあ。

とにかく警報が鳴りっぱなしで、あまり驚かなくなっている。
一昨日の葬儀でも、おそらくは半分以上の人のスマホに台風警報が式場に鳴り響いた。マナーモードだと鳴る様になっているからだが、なんか異様な感じがした。
それはともかく、今日の地震は遠く北海道だったから身体に感じることも無かったが、震度7というと神戸淡路とおんなじだよねえ。
テレビで見ると、山肌が崩れて人家を覆い、まるで箱庭を間違えて押しつぶしたような具合に見える。箱庭だったら良かったが、紛れもなく人間の住んでいる地域だ。まだまだ被害が明らかになるんだろうが、又しても人間の小ささを思い知らされる。
なんか、痛いなあ~。
:ある人からメールをもらう。その人の周辺にも次々と病人や病死の人が居て、、、、辛いことが多くなったと書いてある。飛んでいきたい友人もいるが、事情が許さず悔しいとも。
最後には、「悔いのない生き方をするしかないです。」とあった。
その通り。
;今日は母に猫のぬいぐるみを持って行った。昔飼っていた猫と同じ模様の薄茶色で、持てばずしりと重い。けっこうリアル感があって、母は予想以上に喜んで、「ミーよ、ミーよ」とず~っとなでさすっていた。
これって、良かったのか?

2018年9月 4日 (火)

葬儀。

「人食いバクテリア」

なんともおどろどろしい名前だが、これが原因で急死されたと葬儀で聞く。気付いて病院に行ってから1週間というからどれほど恐ろしいものかが分かる。
葬儀は、まるでFさんの叫びが轟くかのような暴風雨の中行われた。死にたくなかっただろう。聞けば暮れに大きなイベントを控え、ご自身の活動の一区切りをそこで終えようとしていた志半ばだったわけだ。せめてそれが終えられてからなら、と本人ならずとも悔しい思いにかられる。
Fさんの師でもあり、長らく親交のあったピアニストの大御所に声を掛けられお隣同士に。読経の始まるまで様々なことをお話ししたが、この先生とも久しくお目に掛かって無く、こういう場所は本当に人と人を再会させる。他にも音楽関係の方も多く参列され、皆さん目を赤くしての立ち話し。
仏教の式が終わると、活動のお仲間がピアノと歌を。「赤とんぼ」「おじいさんの時計」。これには会場からすすり泣きの声があちこちから上がる。
そして、わが憧れのピアニストAさんの独奏。「くるみ割り人形」からの一曲は、いつにも増して素晴らしい演奏となった。本来なら拍手喝采の場面だがそれはなく、、、しかし、その場の全ての人が感動したことと思う。
仏教の葬儀でこれは初めてのこと。他にもあるのかも知れないが、これまで数々の葬儀に参列して、いつも仏教の葬儀って、何だかつまらないと思って来た。しかし、たまたま音楽関係の人の葬儀だったことからこれが実現したのだろう。個人的にはとても良い趣向だったと思う。
しかし、実は今日の読経は僧侶の声が美しく、テノールとバスが絶妙なバランスを保ち、まるで音楽のような読経だった。祭壇の両脇がガラス張りで、外の笹の葉が折からの風雨に激しく揺れるのを見ながらこの読経を聴くのはナント劇的だったことか。、、、こういう僧侶もいらっしゃるんだ。
だから、全部良かった。
補助椅子を出すほどの満席の会場。外は台風が吹き荒れて。。。。駐車場までのわずかな距離でびっしょり濡れてしまったが、Fさんの涙だと思えば、苦にもならず。。。。
「さようなら。有り難う」
あれほど吹き荒れた台風が、嘘のように晴れて、高松に住んでいることに改めて感謝。

2018年9月 3日 (月)

訃報。

毎日死について書いているような気がするが、今日は又新たな訃報に一瞬気が動転するのを覚えた。3日前に電話で話した時は、普通に会話した人が今朝亡くなられたというのだ。信じられない。

ピアニストでありながら異色の人でファミリーコンサートを長年企画運営されてきた人。その為昨年は確か受賞されたように記憶する。
私はケーキ屋さんだったご主人ともども長いお付きあいで、先に亡くなられたご主人のことを良く話しては昔を懐かしんでいたもの。まさか、こんなことになるとは!
最後の電話の時は、今年もやることになっているコンサートの事が話題になったほどで、そこに決して「死」の影もなかった。むしろ張り切って体調を戻そうと意気込んでいらした。
今一番驚いているのはご本人かも。
しかし、どうして電話したのか?ある種の胸騒ぎだったように、今は思う。「今年は異常に暑かったから、体調崩してないですか?」という内容だった。「それがねえ、ちょっと壊してるのよ。」という返事に、それほど重大なことが潜んでいたなんて!
明日は台風だが、葬儀には行こうと思っている。
                                                合掌

失せ物発見!

長い間探して探して殆ど諦めかけていた今日という日に、出て来た財布。小銭入れではあるが、そしてお金は余り入ってないが、カードが入っていた為すぐさま止めてはあった。がもしや外で無くしたとしたら、、、と気がかりだった。

全く思いも寄らない場所から出て来て、これはどうやら孫べえの仕業のような。。。。絶対に入れない場所だから、本人は、「違うよっ!」とビデオ電話から逃げてしまったが、怪しい。
まあ出て来たから良かったが。
午後の歌会から帰宅してバタバタと夫と食事をしたら、今度はちぇちの本番までの会場についてのメールや電話のやり取り。ナント、もう3ヶ月しかない。
「ホントに出来るの?」という、いつもの本番前の不安が心をかすめる。
今回は30周年記念と銘打ち、同窓会的なものにしようとしているが、ということは、過去にご出演頂いた方々もお招きしているわけで、いくらなんでももう引き締めていかなくては。。。。
しかし、時間の経つのがやたらめったら速い。カレンダーがもう4枚しか残ってないなんて!寒いの暑いのと言ってる内にいつの間にか。
なんて人生は短いのだろう。
と思ったら、青風会員が今日の朝日新聞の「折々のことば」をラインで紹介してきた。哲学者の言葉だけに一瞬こんがらがって目眩がするが、良く読むと納得の文章。
哲学なんてのも、人間や生を死を客観的に見るためにどうしても必要な分野だろうと思うなあ。願わくば、言葉遊びのような文章でなく、もっと平易な文章にして欲しいが。。。。
ハイごめんなさい。

2018年9月 2日 (日)

生きるとは死に向かうこと。

分かり切っていても、その真実を自分の物として胸に落として生きることが、なかなかに困難だ。「生きたいと思って生きている。」のが普通だろう。

が、ある親しいひとが今現在死の床にありながら、その時を待ちながら生きている。そこに、「生きたい」という想いは全く無い。
今日病床を訪ねてそれを再確認してきた。驚くほどの平常心。覚悟はとっくに出来ているという感じだ。
ここまでの人生は、お若いときの苦労が全て生き方の栄養となったようだ。二人のご養子さんを育て、それぞれに家族を持たせ、とある国の恵まれない青年達への援助を続け、学費は勿論日本に於ける衣食住の面倒を見ていた。仕事で得たお金の多くをボランティアにつぎ込み、ご両親を看取り、今回持てる物全ての終活を終えたようだ。
なんと潔い。見事な終え方。ご本人曰く、「これが出来るのも癌だったから。他の病気だったら、到底こんな死に方は出来なかった。私はホントに恵まれている。。。。」
余りに立派で、言葉がない。
果たして、自分に同じ事が出来るだろうか?理想ではあるが。。。。
そして何より素晴らしいと思ったのは、丁度お訪ねしたときに3人の女性が先客として病室に居て、国際ボランティア仲間ですと紹介される。他にも県外からホテルを取って泊まっている人も複数居るようだ。まだipadが使える為、国外の面倒を見ている子供達ともやり取りしていて、母の様に接している。子供達はショックを隠せないようだが、、、、、。
先客に見せていた画像を見ると、オーストラリアの海でダイビングをしている写真。美しいサンゴの中、魚と一体化しながら泳いでいる写真が沢山。思わず、私は言ったもんだ。「人間がこの世でやりたいと思う殆どのことをやって来られましたね!」と。
勿論、これが彼女の懸命に生きたご褒美だと重々分かってのこと。
一旦病室を出たが、娘がもぞもぞしていて、「言っておきたいことをもう一度行って話してきたい。」というので、車内で待っていた。ナニを話してきたのか、「やっぱり行って良かった。」と言う。最近自分の演劇界の先輩を亡くし、なんのお別れも言えずじまいだったのが、相当こたえているようだ。
確かに、別れは突然にやってくる。
歌を詠んだ。
死を前に立派すぎるよ泣き言も言はずに君は逝かむとするか

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