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2018年7月

2018年7月31日 (火)

暑さと加齢に負けない方。

午前中はだるだるの家事。午後はいつもと違う道を通ってのH先生宅。案の定迷子になって、しかも工事中とて、直前で立ち往生。到着したら相当疲れていた。が、まか不思議。歌い始めるとどこからか力が湧いてくる。そこからの2時間は濃密な時間となり、昨夜の素晴らしいBS放送も再度拝聴出来、H先生の、「ネトレプコは良いけど、もう少しかわいらしさがあっても、、、、」な~んぞという感想を聞かされて爆笑したり。。。相変わらず美味しいケーキも出て来て、暑さをしばし忘れた午後だった。

結局、こうして外からの働きかけがないと、段々何もかもが億劫になってくる。だから出来るだけ誘われれば出ることに。出かければきっと何か良いことがある。

てなことで、明日は短歌の集まりがあり、、、、夫に独り食事をよろしくと宣言した。ぶすぶす言いながらも最近は外食も覚えて良い子ちゃんなのだ。「これで良いのだ!」はっ!!

2018年7月30日 (月)

音楽はみんなに必要。

さあ、今宵も疲れ切ったから寝ようか、という段になってBSのテレビ番組が耳に入ってくる。ウイーンフィル、そしてネトレプコとなれば頑張って起きていようかと、、、、シェーンブルンのお城での夏の夜の演奏会。シチュエーションも素敵すぎて、これは聴いてしまう、見てしまう。

矢張りクラシックはしみじみと身体にしみこんでくる。以前自分も歌った事があるが、「私は神の僕です。」を歌うネトレプコのなんと優雅で美しい声。バックで演奏している奏者たちの表情もとろけそうだった。彼女と一体となって演奏しているのが分かる。

今はあまりにも疲れていて、アイーダの凱旋曲やなんかは余り聴きたくはない。静かなしっとりした物がピッタリ来る。今トスカが終わったが、完璧な歌唱力。なんだかW先生に似てるなあ~。最近かなりの貫禄になって来たという点も、似てる。フフフ。歌う人にとってはこれはマイナスではないっ!

 

しかし、映像は、ある意味正直過ぎる。舞台のすぐ正面辺りの、いわゆるアリーナ席は矢張り特権階級のもの。正装の人が殆どで、そこからかなり離れた場所に設けられた外野席にもそこを上回る大勢の人々が居て、こちらは平服の人が殆ど。子供連れなんかも居る。この場所は大きな映像画面とマイクで見えるし聞こえもするが、生ではない。テレビを見ているのとさして変わらないだろう。それでも、テレビと明らかに違うのは、周りの情景が素晴らしいこと。自分の周辺の多くの人々と共有する空気感。いわゆる臨場感だなあ。おそらくは自分もそのアリーナ席に行くのは無理だろうが、その外野席にでも行ってみたい気がする。

いつだったか、東京に三大テノールが来た時にもアリーナ席よりは一段上がった場所だったのを思い出す。それでも2万円以上したんだから、自分としては頑張った方だ。

今日はお嬢が志度の野外劇場テアトロンでの、小田和正コンサートに行ってたのだが、そこも同じような大画面なんかが用意されていたようだ。なんせ、入場者は一万人来ていたそうだ。信じられない。昨日と今日の二日間だって!ピストンバスが何十台もあったらしい。聞けば知ってる曲も多い歌手だが、それにしても凄い。話しを聞いていると行きたくなってしまった。最後の歌は二行くらい弾き語りのキーボードは鳴っているのに声が途切れてしまい、代わりに嗚咽が漏れたと言うから、歌い手自身も相当魂が入ったコンサートだったんだろう。台風の心配もあっただろうから、無理もない。お嬢曰く、「涙と汗で、メークグチャグチャ!そしてこの日焼け!」なるほど、腕は真っ赤っか。潮風だし、かんかん照りだったもんねえ。いやはやご苦労さん。

たまたま出張先から息子が電話してきて、彼にもお嬢はしっかりと興奮を伝えている。育った時代が同じ、一歳しか違わないからねえ。そりゃあ話しが合うだろう。

 

お嬢が居ない昼間にこちらは孫べえを連れて、こどもミュージカルに行った。「星の王子様」をそのままミュージカル化していたが、あの難しい作品をよくぞここまでに表現出来たもんだと感心。案の定うちの孫べえは退屈して、ごぞごぞごぞ。やがて「おしっこ漏れそう。」と耳打ちして来る。まあ座った場所が悪かったかも。もう少し前だと、出演者の顔がよく見えて、楽しかったかも、とは思ったが、1時間チョイだったからもつかと思って居たのが甘かった。あの作品の肝心な部分にくると落ち着きがなくなる。むしろダンスシーンとか歌が出てくると見ている。まあ、こっちは本を読んでいるからよく分かるという面もある。、、、何とか最後までその場で見て、ロビーに出てトイレに行くかと思ったら、「もう出ない。」とシャアシャアという。やれやれ。

母親からのメール、「宿題のお絵かきやってる?」の一言で、それまでゲームにうつつを抜かしていたのが速攻絵を描き始めた孫べえ。興に乗ってしまい、母親が帰ってきても延々と書き続ける。元々好きなようだ。終わったら11時にもなっていたからねえ。それでもまだ完成してないのがあって、続きは又やるんだそうだ。

 

イヤハヤイヤハヤ。皆様お元気ですこと。

2018年7月26日 (木)

暑さ対策、考える脳みそが、、、。

頭は湯豆腐状態。身体は蒸し豚状態。朝からむやみに疲れて、パパが持ち込んだ孫べえの面倒もぬけぬけ。なんでも宿題のお絵かきがあって、ちゃんとプリントまで貼り付けて、母親はそれで事が足りてると思ったらしいが、こっちはそのプリントに書かれてあることを飲み込むことが出来ず、ついまえっか、と適当に絵を描かせたら、それがどうやら間違いで、テーマが違うと言われ、、、、。「大人でしょう!?」と詰め寄られ、、、。グスン。

それでも昼はチャーハン、夜は肉中心のご飯を作り、ついでにお茶碗叩いて待っている夫の為にも柔らかいものをと、昼はソーメン、夜は細切りキューリに冷や奴、そして細切りにした肉のショウガ焼き、+チンしてOKのハンバーグ、ボイルの夏野菜と頑張った。この食べるものが一番大変。しかし、夏ばてさせないようにいつもより気を遣う。にもかかわらず夫は、「このハンバーグは安い定食屋の物と全く同じ味がする。」と言い、孫べえは、「これ嫌い」とアスパラを残す。けっ!勝手にしやあがれ、てなもんだ。その結果、みんなが台所から引き揚げた途端こっちはダウン。1時間は寝てしまった。

しかし、子供は全く違う動物。朝から晩まで、とても元気。昼間はスイミングでテストがあると言い、丁度母親の車がエンコして車屋さんに行った為、こっちが身代わり引率。約一時間嬉々として泳ぎ、飛び級になったと大喜び。なんの屈託もない。

明日から娘家族が小旅行。しばしこっちも休暇をもらう。ふ~っ。

 

とにかく異常に疲れてると思うが、これはみんな同じだろうか?10歳年上の師匠からはラインで、「暑いけれど、皆さんお元気ですか?」と入ってくる所をみると、ご本人はきっとお元気なんだろう。その証拠に次々と確認事項やら何やらのグループメールが入ってくる。凄い。

こっちもちぇちの関連のメールが入って来て、対応に追われたが、どうもレベルが違う。

 

明日の昼の予定は出来る気がしなくて、ついにお断りのメールを入れた。これは自分的には相当珍しいこと。実は夜も予定が入っているが、本当はこちらも断りたい思い。車に乗せていってくれると言うから、今のところキャンセルは入れてないが、、、、。どうも調子が出ない。特効薬は無いのかなあ~???

2018年7月25日 (水)

吾が愛車の温度計、遂に42度!

オリンピックねえ~。このあっついのに、ホントに出来るのかしらねえ~~?せめて秋にずらすって出来ないのかなあ?思っただけで暑苦しい。

あと二年ということで、NHKなどアスリートが画面に出ることが多くなった。一番驚くのは、みんな美男美女達。こびを売らない、目が闘う人のそれだという以外は、黙っていると芸能人かと思う程だ。なんか、変わってきたなあ~。

そしてみんな若い。、、、こういうのを見ていると自分が生きてきた時代が間違いなく終わろうとしているのを感じる。我々の中ではスターだった歌手や世間があっと驚いた事件なども、今の若い人たちには、「それ誰?そんなこと知らない!」となる。勿論それで良いのだが、自分を中心に考えると、無常を感じるなあ。諸行無常だ。

近頃便利でSNSのニュースを見ることが多いが、例のオウムの事件を知らない若い人が増えていて、それゆえ信者がまたぞろ増えつつあるという事が出ていた。まさかとは思うが、同じ事が起きないように注意が必要だろう。悲劇は被害者だけではない。加害者にされてしまう若い有能な若者達の不幸を想う時、その時代の責任に於いてああいうことが起きないよう環視していくべきだろうと思う。

そしてやっぱり家庭だなあ。健康な精神の家庭からはそういう人は生まれないだろう。、、、しかし、実はその健全な精神の家庭も、世の中全体の価値観によって有り様が変化する。未だ取りざたされている、「わが子を不正入学」させたあのお方や、それを可能にした大学の体質。人間にとって一番大切なものは何かをはき違えるというのは、矢張り、世の中の価値観によるものだろう。時代の価値観に大きな責任があるのは政治かも知れないなあ。現代の残念な日本の政治。様々なひずみを生んでいるような気がしている。

そういう意味ではアメリカさんの人々もこれからどうなっていくのか。

カナダやヨーロッパで山火事が多発しているという。WHOの発表によると、「地球温暖化が状況をより悪化させている」のだそうだ。さもありなん。こうして命を守るためにクーラーをガンガン掛けているわけだ。今さら歯止めが利かなくなっているんだろう。

 

ま、歌を歌って、短歌を作って、孫と遊んでいられりゃあ幸せな凡人のアチクシ。命が終わるまでの命だ。

く~~~っ、短歌の締め切りが、、、、!

2018年7月24日 (火)

まだ二週間続くって!?

この暑さ。どう表現したら良いのか分からないくらいのひどさ。クーラーの部屋でじっとしていたいところだが、本日はちぇち練。いつものようにメンバーをひらって西日を浴びながら目的地へと向かう。一日中、買い物にも行かず家の中で色々やっつけて、夕飯の支度をしたところで夫が帰宅。二人で慌ただしく食事をしてお互い別々の目的地へと出かける。「こうやって、お出かけしている間が花」とお互い声を掛け合ってのことだ。

とある印刷物のデザインを何とか完成させ、ネットで注文するべえと頑張っていたが、持ち合わせないソフトが必要と分かった時点でノックアウト。友人の印刷屋さんにヘルプミー。思ったよりお安くしてくれるのでお願いした。なんせ自分の事ではないから、慎重に、丁寧に進めているわけだ。これも体力勝負。この暑さの中、ここまでが限界。

 

先日長年飼っていた金魚がお亡くなりになり、新顔のフナやよく分からない小魚たちが代わりに水槽に居座っているが、今日はやることが多くて部屋のクーラーを入れずにいたので、少々弱っているかと覗いたら、まあこれがビックリするほど元気。金魚の残した餌を握りつぶして水面に振りまいたら、驚く素早さで食べに来る。なるほど。これが野生の強さなんだろうと思う。いやはやいやはや。前の金魚だと、この暑さだけでもあの世行きだったろう。

 

昨日は瓦町のビルで子供の為の科学実験室、みたいな催しが開催されていて、昨年並みの大して混んでないことを予想して着いてみるとこれがメチャクチャに混雑している。少し見たらすぐに帰るつもりが、「お母さん、あっちとこっちは絶対並んで!」という母親の命令。仕方なく長蛇の列が出来ている一番後ろに付いてみるが、その前の母親が、かなりげんなりした状態でため息ばかりついている。どうやら相当待たされているようだった。こちらも覚悟を決めて並んだが、人で一杯のその部屋はクーラーなんかほぼ効いてない。椅子があるわけでもなく、立ちん坊すること数十分。よくぞ扇子を持っていたもんだ。ようやく順番が来ても、別の列が控えている。、、てなことで、3時間ほど試練の時間となる。かなりよれよれになったところで、「かき氷たべよ!」という私の絶叫に娘も付いて来る。そこがちょうど本屋さんの片隅にあって、当然孫べえは氷どころか、本ばかり物色している。矢張り子供のエネルギーは凄い。

こっちは、お陰で行こうと思っていた会合にも行けず、かなり消耗していたわけだが、ナントそこから再始動することになろうとはこの時点では考えてもなかった。やおら娘が一枚のチラシを取り出して、これに連れて行きたい、と呟く。人間ぼ~っとしていると、思考力も低空飛行。いつの間にかOKしていて、一度帰宅したにもかかわらず携帯椅子など持って、再度サンポートへと車を出す。なんでも大道芸がいくつか見られると言い、美味しいビールもおつまみも、、、ということで、やけっぱち。帰りはテクノと決めてのドライブとなる。

結果はまあ楽しい時間となり、孫も初めて見る大道芸に釘付けで、とても喜んだのはメデタイ。偶然知人にも遭遇したり、高松は狭い。孫だけではなく、こっちもケッコウ面白く見たもんだ。一組はオーストラリアから来たという人たちの幻想的な空中ダンス。丁度彼らの姿に月が重なり、なかなか見せる芸だった。帽子が回り、出来れば折りたたんで入れてくれと言うのに、素直に従ったものだ。はるばるお疲れ~、の気持ち。

 

いろんな事をして、人は生きているなあ~。

2018年7月22日 (日)

夜のリサイタル。

あっつい日中でなくてホントに良かった。少なくとも帰りはやや涼しくなっていた。だからこそいつもの、「演奏会後の食事会」に誘い合って行けたのだった。

われらがW先生の男前の演奏は予想以上、とても楽しかった。歌というものが、こんなにも他の楽器と違って人々の心と体に共鳴するのも、同じ肉体を持った者同士だからだろう。聴きながら心の中で歌っている。勿論、それはテクニックがあればこそのものではあるが、、、。

そしてもう一つ言えることは、歌う人そのもののお人柄だ。歌声にそれが現れているし、最後のアンコールを来場者の全員合唱にもっていくなんざあ、さすが~の場慣れた素敵な演出だった。確かに、本日は合唱を始め、我々ちぇちのメンバーや歌関係の先生達、指導者と呼ばれる人も大勢来られていて、最後に溜まったマグマが爆発するかのような歌声が開場一杯に拡がった。ホント、歌好きが集まった、という感じ。

そういう聴く人の心も読み取っているのが素晴らしい。

来場者一人一人に丁寧なご挨拶。心のこもった御礼の言葉が、この暑い季節のどちらかというと不便な会場での演奏会の全てのマイナスを払拭してくれた。帰る人々がみんな笑顔だったことが証明している。

 

勿論イタリアンを頬張りながらの話題は演奏会が中心、だったはずが、いつのまにか妙な話題へと変遷していく。一緒に行ったAさん、このところメルカリとかいうものにはまっていて、なかなか上手に物を売買しているとのこと。あまりの手際の良い話しに、その場に居た誰一人知らない世界のことを全員がは~ん、ふ~ん、へ~ん、、、と興味津々の聞き役に回る。、、、世の中、ITを知る人とそうでない人の差が、どんどん広がってくるなあ。

こっちはそんな変な時間にエスプレッソをたっぷり飲んで、まあ、帰りの運転手のお仕事の為には正解だったが、間もなく丑三つ時のこんな時間に全く眠くない。でも、ベッドインすれば今宵は眠れそうな予感が。。。W先生の美声を思い出しながら。。。。。

2018年7月20日 (金)

溶ける~~~。

あまりの暑さに頭もおかしくなりそう!

でもって、家中のエアコンを付けて、水槽まで冷やすことに。

今日例によってやっつけの短歌12首をポストインして、少し気分が楽になったところで、同窓会がらみの案内状のことやら、秋に予定しているOさんのチラシに続くチケットの作成。全く知識がないソフトを使って、失敗しながら延々とやっている。こんなの知ってる人が見たら、何やってんの?となるんだろうが、出来上がっていくのは楽しいもんだ。それにこういうことは、自分の「出来ること」を豊かにしてくれる。

このあっつい時に孫べえと母親が食事にやってくる。子供は元気だ。「あそぼ、あそぼ」とうるさいが、ま、可愛いもんだ。水戸の孫達も帰省を楽しみに待っていると電話を掛けてくるが、それこそこの暑いのに長時間の車移動。よくやるわ!

で、みんなが揃ったところで、どこに行こうか?あれもしたい、これもしたいと欲張っても時間がとても少ない。さあ、どこまで遊べるか?そして、どこまで付き合えるか?今から恐怖だ。

彼らの帰省前に、短歌の歌会もあるし、コンサートもいくつか。やることが山のように押し寄せてきている。いつの間にか手帳が真っ黒だ。

、、、しかし、こうしてこなせていることに感謝だ。

いつまでできることやら。。。。

2018年7月18日 (水)

身の危険を感じるほどの暑さって、、、、、、。

いやあ、確かに。一歩外へ出た途端、皮膚が焼けるという感覚。NHKのニュース番組でのアナウンサーの言葉が決して大げさでないのを感じる。これくらい言っておいてちょうど良いくらいの注意喚起だ。もの凄い数の人が救急搬送されているという事実。ホント、地球がおかしくなって来ている。

痛ましいのは今回の豪雨被災地の人々が次々と倒れているということ。ぼろでもなんでも家があるって事を喜ばなくては。あんな避難場所でどうやって自分を保っていけるのか。命が助かった人もホントに大変だ。

 

さすがに今日は母の施設には行く元気が無く、夜会議で出かける夫の為に早めの夕飯を済ませ、午後7時という時間に出向いていった。これで大正解。1時間ばかしおしゃべりして帰る頃ようやく暗くなって、気分だけでも涼しくなった。実際車内の温度計は34度から下がらなかったが。

そんな中、小学1年生が熱中症で亡くなったという痛ましいニュース。もし母親が側に付いていたら、子供の異変にすぐに気が付いただろうに。。。何もこんな時期に無理矢理校外授業なんかさせる必要は無いんだろうに。学校という組織の中で、現場の先生にはその判断は難しいのだろう。決まったことを決まったようにやっている。対象が人間様だということが、どっかに置き忘れられているような気もする。「規則やきまりごと」は本来事故防止の為にあるものだろうが。。。これは、引率の先生に責任を押しつけてはいけないと思う。システム化に問題があると思う。マニュアルを作るのは簡単だが、そのマニュアルをどう扱うかの方がもっと大切だ。

昨日は我が家で夕飯を食べた娘親子だったが、なんでもPM2,5が異常発生しているらしく、孫べえの咳がいつもより多い。自分の子育ての時よりうんと難しい時代だと実感する。食事中の話題はもっぱら、吾が子供達の幼い頃のこと。娘曰く、「ほったらかしだった!」に対してこちらの返答は、「だからこそ、得難い体験が出来て良かったでしょう!?」となる。娘もそれについてはまんざらではないようで、告白タイム。おかげでこちらが驚くような事を兄妹でやっていたと知る。今頃!そして、それと同じような事は絶対出来ない、やらせられないとなる。二人だけで遠い所まで池に釣りに出かけたり、線路の上を自転車で渡ってみたり。おおこわ!ハイ。知りませんでした!

2018年7月17日 (火)

知ってるようで知らない有名人。

勿論名前は知っていても、今日のNHKの番組で紹介された宇多田光のことは殆ど識らなかった。母親の名前は知っていたが、、、、じつは才能溢れる若い女性だった。生きることにあんなに真剣な真面目な人だとは驚きだ。今までは何も知らずに色眼鏡で見ていたってことだろう。

そして彼女が言った次の言葉に心から賛同した。

「ものを作るというのは、冒険です。人がやれることをやっていても意味がない。やってどうなるか分からないことにチャレンジして行くべきです。」

おお、この言葉は素晴らしい。矢張り天才と謳われた人だけのことはある。

そして、環境だなあ。この人の場合は、小さい頃から音楽漬けの日々で、なるべくしてなった歌手の道だ。、、、思わず番組に見入って仕舞った。

 

昨日はK画伯のアトリエでお茶会だった。この酷暑の中、200人もの人が来場して、盛況だった。しかもケッコウ沢山の人が着物だったのも驚きだ。さすが、日頃からお茶に親しんで居る人は違うなあ~。汗を思えばとてもじゃないが着る気にはならないアチクシと違って、皆さん如何にも涼しげに着こなしておられた。

現代アートとお茶。そして着物。野の草花をガラスの器に活けて涼を演出するなんざあ粋だねえ~。なんか素敵な空間だったし、お茶も久々に美味しかったなあ~。日本人て、やっぱり凄いよねえ。

2018年7月14日 (土)

真っ赤にも~える~~太陽だ~から~~

熱中症とはこんなものかと疑う程の滂沱の涙ならぬ汗。身体の疲労感は半端なく、同行したKの車の中で居眠りしきり。

今日はボランティアでお掃除に出かけた。我が家の掃除もままならないこの時期に、早くからの約束で出かけた訳だが、予想外の疲れ方に我々二人、「これが年齢というもの。これが当たり前なんだねえ。」と再確認しながら帰路に付く。そしてこの年寄り達は手抜きと言うことを知らない。お弁当を食べる間も惜しく必死で黙々とやり通したわけだ。確かにキレイにはなった。その仕上がりに自己満足して引き揚げたわけだ。

炎天下、外に出た途端どど~っと疲れを感じる。本日は特段の事が無い限り外出禁止、なんぞというお触れが出ている。まさしく炎のように太陽が照りつける道路の上を、まあ、二人だから良かった。これが一人で孤独に運転していたらどうなったか分かったもんじゃない。

 

帰宅して勿論速効でシャワー。そのまま仮眠に入る。

 

いやはやいやはや。ちかれたび~。

2018年7月13日 (金)

眠い。

眠いと思うのは正常なんだろう。ちょいと睡眠不足。そして消耗している。でもってこの蒸し暑さ。条件が揃いすぎていて、流石のおみっちゃんも少々バテ気味。

そんな中、本日飛んで火にいる夏の虫がやってきて、H先生宅まで乗せてもらった。勿論お歌の練習。まじめ~な3時間ほど。やっている内はそれほど疲れも感じないが、帰ろうと車に乗り込んだ途端生あくび。

帰宅してからも即動けず、アイスクリームを食べながら一服。やがてご帰還の夫もそんな私を見て文句も言わず、温和しく晩ご飯を待っている。ま、老夫婦。こんなもんでしょ!?結局8時になっての夕飯に、ノンアルコールのビール。というのも本日はお嬢が職場の飲み会で出かけているのを知っている。おそらくは駅まで迎えに行く羽目になるとの予想。

案の定10時過ぎの電車に同僚と二人で乗るからよろしくと来た。へいへい。近々こっちも頼まなきゃイケナイ時がくるからねえ。お互い様ということだ。

それまでぼ~っとテレビのジェラシックパークの映画が放映されてたのを見ていたが、近頃の特撮ってホントに凄い。どうやって作るんだろう?不思議な映像。ストーリーは何故かおきまりの悪役が登場して正義が勝つ、みたいな。。。こういう映画は単純さが求められるんだろうなあ。見て欲しいのはドラマというより怪獣達の動きや闘いの場面だろうから。でもまあ引き込まれる部分もアル。

しかしアメリカ映画は破壊の映画だ。壊すのは何ともないんだろう。いつも車がぺっしゃんこになる場面に胸が痛むが、あちらさんはそんなことちっとも思わないんだろうなあ。

 

明日は早朝から、K画伯の画廊でのイベントの準備にかり出されている。今日はシンデレラタイムで寝るとし~ましょ。

2018年7月12日 (木)

73歳の同窓会。まだ行ける?

高校時代の同窓会の準備委員会第二回目が今宵14名の参加で行われた。4年に一度のお約束だったが、明らかに4年前とは迫力が違う。勿論、まだ話し合って物事を進める能力はそれほど衰えてはないと思うが、会話が時々途切れて、黙々と食事をする場面が何度も訪れる。女性陣はまだまだ華やかさは残っているように思うがどうだろう?

現役で仕事をしている男性はそれでもてきぱきと物事を具体的に進めてくれて助かる。本日は二次会の所まで話しが決まり、あとは案内状の印刷と発送。それは来月に一斉にやる。

前回は110名を越える参加者があったが、今度はそうは行かないだろうとの試算。近い人たちが病気だったり亡くなっていたりと、淋しい話題も出ている為だ。しかし、やるからには集まった人たちとひととき思いっきり楽しもうという算段だ。おそらくはお殆どの人が、これほど大変な準備をしているとは知らないんだろう。本番まで、自腹を切って何度も話し合いの場を設ける訳だ。楽しんでもいるが、チャンと真面目だ。

同窓生とは不思議な関係だ。ほんの短い間のお付きあいが、こうして半世紀以上の付き合いになる。しかも、こういう準備の流れで始めて知った人もいる。ただ同窓生というだけで、何か分からない親近感が湧く不思議。

傑作だったのは、全てが終わりさあ解散となってみんなが腰を浮かせた途端T氏の口から、「ああ、疲れた!」という声が自然に出た途端大爆笑。「アナタ、一体何したの?」と叫んでしまったアチクシ。いやはやいやはや。。。。そういう年になっちまった!

2018年7月11日 (水)

驚きの被害。

まさかの豪雨被害に驚いている。たかが雨。されど雨、だろう。戦争後の人々の復興も、時間が経って、当初の堅牢さも翳り始めてきているんだろう。建造物全てが、その土壌ごと崩れようとしている。日本は亜熱帯化しているとは最近囁かれていることだが、となると、「雨期」なんてものが当たり前のように訪れ、そのたんびにハラハラすることになるのかも知れない。

それにしても多くの人が亡くなった。何時ものことながら、こうした被害者の声が放送されるのを観るのは辛すぎる。しかし、目を背けてはいけないんだろうと思う。いつ何時、わが身に降りかからないとも限らないし、、、、。

 

自分自身は毎日心身を酷使しているが、今日はそんな中、別段やらなくても良い事を買って出て、あるニューヨークからの写真家をK画伯のアトリエまでお連れした。結果的には大層喜ばれて、道中の会話も内容のあるもので、お引き受けしてとても良かったのではあった。

その方は多分私よりは年上かな?と思われる方で、ゆったりしている方。全てに於いて急がず慌てず、のペース。ご自身も「スローライフ」を目指しておられるという。永くニューヨークに居て、日本語がおぼつかない部分もあるが、それを丁寧に思い出しつつお話しされるので、どうしても会話もゆっくりになる。小澤征爾のスタジオにも出入りされているとか、舞台も創り映像の世界も知っているというから凄い人なんだろう。運転席と助手席という位置関係で話していたが、とても良いお声ですね、と言われ少々嬉しい。声に敏感な人なんだと分かる。勿論メトロポリタン劇場にも何度も足を運んでいるようだ。そして言われたこと。「オペラは、大衆芸能的ですよね!?」ふふふ。自分としてはむしろ「能」の方が好きですとも言われ、あれこそが「芸術」だとキッパリ。今朝は東京で美味しい焼き鯖寿司に出会い、感動しました。と仰る。あの単純さは、余程自信がなくては出せない味だ。とも。流石芸術家の言葉は含蓄がある。

次の予定があるので早々にお別れして帰る道道考えたことだが、自分という人間は、何処までも好奇心の強い女なんだろう。こうして新しい出会いに新たなエネルギーが充ちてくるのを感じている。

昨日の練習帰りに通った新しい道を走りながら、この新しい風景も楽しんで居る。

 

孫べえの体操教室に付き合い、スーパーで買い物をして我が家で夕食。そのアトはどうしても仮眠しなくては身体が動かない。でしばし横になる。一時間後、やおら起きだして頼まれている原稿を仕上げ、幾つかパソコン作業をする間にも、短歌の会のラインメンバーとのやり取りが入ってくる。新しくこのメンバーに加わったN氏がぼやきメールを送ってくる。「一日で100通ものラインのやり取りで、一気に電池切れになって仕舞った!皆さんのパワーに圧倒される!」と。ふふふ。全くねえ。しかし、これで師匠は孤独な作業から少しは解放されて、そこから生まれた新たなエネルギーで撰歌に没頭されているようだ。しかしねえ。。。。私より10歳も年上であらしゃって、このパワー。信じられない。人間、持つべき者は、「信念」だなあ。

2018年7月 8日 (日)

雨。

このところの自然災害の凄まじさは、きっと何かの前触れじゃないのか?考えて見ると、ずーっと怯えて暮らしてるような気がする。今日なんか大雨の上に地震だ。、、、、全ては人間の奢りから来ているのかもしれない。
この自然災害に政治や大学の汚染がすっかり影を潜めてしまった!わが子を大胆な手口で裏口入学させたあのお方は
さぞかしホッと胸を撫で下ろしている事だろう。もしこの災害が無ければ連日
マスコミの餌食に晒されていたに違いないから。
しかしこのお方、子供への愛情をスッカリはき違えているよねえ。そのせいでこの子供の将来は絶望的だ。
権力というのはかくも人を貶めるものか。

今宵は古くからの友人夫妻とその娘さん夫妻の訪問を受けた。8か月の女の子を連れてやってきたが、話題の中心は矢張りこの子だった。驚いたのは、ウチの孫べえがメチャクチャ喜び、自分のオモチャではダメと分かると次々にヌイグルミやそれらしきものを持って来てそれで遊ばせようと必死。一人っ子のせいだろうと微笑ましく眺めたことだ。
総勢9人が狭いキッチンでワイワイ食事会。事前に頭の中に入れておいたレシピを広げ、1時間で準備したのは我ながら上出来。ま、どんなものでもこうして大勢で食べると美味しいわなぁ。
大雨が心配で9時に解散となり、みんなを送り出して食洗機に食器をセットしたらドドドドっと疲れが出て、しばし横になる。今日は仕事もしたし、あるイベントのチラシを作成したりと一日中バタバタだった。にもかかわらず、同窓会の案内状の原稿が手付かず。11日の集まりに持参しなくてはならないのに、、、、とやって来た友人Kに
そう言うと、それはイカンヤロ!と言われてしまう。へいへい、やりますわよ。やりゃあいいんでしょう!と啖呵を切ったが、くううう!

ただ今丑三つ時。妙に静かな外の気配。明日の歌会が雨だと嫌だなあ!って、短歌仲間の中には、わたし、雨が好き、という人も居るなあ。実は確かに自分にもそういう気持ちは無くはない。つい、雨だと憂鬱な顔をして見せるが、シトシト雨もどしゃ降りも嫌いではない。外でハネが上がったり、服が濡れるのが嫌いなだけだ。雨に濡れた緑は殊の外美しいし、世の中の埃を流してくれそうな気がする。
といっても、今回の様な被害をもたらすものは勘弁して欲しいもの。、、、しかし、死者行方不明者合わせて100人越えとは、、、、信じられない!

2018年7月 1日 (日)

女子会。短歌の場合。

内容を知らない人が聞いたら、とても短歌の歌会だとは思わなかっただろう。真剣に考えるかと思うとさざ波のように笑い声が寄せてきて、弾ける笑いへと繋がって行く。一度笑い声が起きたらこっちのもんだ。緊張感はどこへやら。リラックスした雰囲気の中で、しかし真面目に、あくまで真面目に話し合う。ハッキリと先達から御指南を頂く会という趣旨が全員の思考をそこへと向かわせている。この雰囲気もとても良い。

自由な発想は確かに必要ではあるが、それのみでは勉強会にはならないだろう。自分では編み物はしないが、あの糸と糸を編みながらでこぼこを修正しつつ形にしていくという作業に似ているような気がする。

正直、歌はさっぱり上手くならないが、この思考回路の手直しをやって頂く事への快感はいつも感じる。ある人が、「自分の考え方が間違っていると指摘されて落ち込み、歌会から足が遠のいている。」と言われたが、確かにそういう面はあるだろう。良い年になって、他人から自分の心の部屋にずかずかと入り込まれるのはイヤ。そのテーブルの配置が悪いとか、出したお茶の器が趣味が悪いとか、出したお茶がマズイとか言われたら、そりゃあ、もうケッコウです、ほっといて!と言いたくなるだろう。無理もない。

しかし、これがもし母親から同じ事を言われたらどうだろう?自分なら、一応反論して、自分の考えを主張はするが、どこかでそうかも知れないと納得することになりそうだ。そして言われたとおり手直ししてみて、前より良いと感じたらペロッと舌を出して、やっぱりお母さんの言う通りだったわね。で終わるような気が。

だから、歌会では母親のたなごころで転がされているような、そういう気持ちでいれば良いような気がしている。何を言っても別に構わないわけだし、悪意のある人は居ないだろう。悪意どころか、その人の歌を真剣に、なんとか良い歌にと熟慮の上で評して下さっているのが分かる。

今日は手作りの美味しい和菓子や甘くて酸っぱい山桃など色々お菓子が並び全く女子会。高台のこの建物からはくっきりと晴れ渡った空の下に拡がる風景が見渡せて、思わず背伸びをしたくなる。

初めて顔を合わせる方も何人もいて、平均年齢も若返り、楽しく有意義な時間となった。本日の主役はもうすぐ90歳になりますと仰るUさん。外へお出かけが段々億劫になってこられたというUさんを囲んでの第一回目の歌会。斎藤茂吉を愛し、永く作詠をされて来られただけあって、素晴らしいアドバイスだった。「いいよね母さんいいよね母さん」このリフレーンが今も心に鳴っている。

 

ちょいとお疲れモードでシャワーでもと殆どハダカ状態の時、叔母がスモモが一杯採れたからと紫陽花の花共々届けてくれる。有り難く頂いたが、このところお花やフルーツや野菜を頂く事が多くて幸せ。昨日はキュウリ茄子瓜にレタスに玉葱ジャガイモ、枇杷や梅ジュースまで。勿論お嬢もその恩恵を受けるわけで、転居を心底喜んでいる。東京ではあり得ないことと。

で、テレビでは相変わらずサッカーの例の試合のことを是か非かで議論している。どちらの言い分も理解は出来るが、こうなると好きか嫌いかになってくるような気が。あの深夜、頑張って観ていただけでも腹が立ったのに、会場まで足を運んだ人たちはどうだったんだろうと思う。個人的にはああいう勝敗のみにこだわった試合運びは嫌い。しっかり闘ってそれで負けても仕方がないと諦められるのがスポーツの潔さじゃないの?と思うがどうだろう?このまま勝ち進んだとして、本当にスッキリとその結果を喜べるものだろうか?もともとサッカーという物が好きではないからの感想かも知れないが。白鵬が立ち会いざま平手打ちをして、「勝てばよい」という図式を見せつけてイヤだったのと似ていると思うが?

どちらも男のゲーム。その点女子は良いなあ~。な~んてね。

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