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2018年6月

2018年6月28日 (木)

今宵は夜更かし。

先日FMのゲストの方から紹介してもらったテレビ番組を録画して観た。最近亡くなった高畑勲というジブリの演出家の特集だったが、この人の事を全くと言って良いほど知らなかったが、凄い生き方をした人だった。彼の講演会の模様が取り上げられていたが、その中に、「永瀬清子の詩」に関する部分があり興味を持った。それは反戦を歌ったものだったが、平易な言葉の羅列でストンと胸に落ちるような表現だった。彼の作品や人生に大きく影響を与えたという。

もともとアニメ自体が好きではなかったから、その世界を余り知らなかった。余り、というのはそう言いながらも何作かは観ているからだ。

で、今までは矢張りアニメは薄っぺらな感じが否めないという考えだったが、この人の話の中に次の様なものがあった。「私は主張したいものを持っていて、それを出来るだけ単純化してストレートに伝えたい。生身の人間ではなしえない単純な表現を必要としてきた。」というような意味のことを話していた。これを聞いて、なる程、そういうことか、と膝を打つ思いだった。確かにそうだ。例え子役であっても、人間が演ずるとなると、そこにその子の持つキャラクターが顔を出す。それは必要無い、と言い切るのだ。

アニメは嫌いと言いつつも、観ると必ず涙して、感動するのが常だったいくつかの作品。そういうことだったんだ。立派な大人が満身創痍で製作に取り組む意味が初めて分かった。

確かに、人間が演じると、その演技力でその役が大きくなったり小さくなったりするし、色も変わってしまう。同じ作品でも全く違う作品に思えてしまうのはざらにある話しだ。それをこそ面白いとこれまで思って来たが、作者の思いを、それのみを伝えるには邪魔になる個性かも知れない。、、、それ程に強烈な「伝えたい事」を持ち続けて制作に取り組んできたのが、高畑勲という人だったんだ。

その思いは、「平和」への願いだ。自身が幼児期に体験した空襲がその原点だそうだ。なるほど。

日本には偉大な人が沢山いるもんだ。

 

いよいよあと30分ほどで、日本三回目のサッカーが始まる。それほどのフアンではないが、ま、ワイン片手に観るとしようか。

2018年6月26日 (火)

48回にもなるんだ。

Cantiamoが終わり、落ち着かない日々も少しは楽になったか。

初めての会場で全く知らない方々も聴いているという環境で、幾分みんなの雰囲気も違った様に思う。歌は「絶対時間」というものが必要だとは、創設者のI先生の言葉。確かにそうだと思うし、時間は掛ければ掛けるほど良くなるだろう。だから、その意味ではどんな発表の場も発展途上だというわけだ。中には完成に近い人も居るんだけど、それはそれで、その人にとっての発展途上だろう。

しかし、みんな真面目だよねえ。こんなに真面目に取り組んでいること自体が素敵なことだ。会場をお借りした方から、「本格的な会で驚きました。」と言って貰えてまあ良かった。ちゃらんぽらんで無いことは分かって貰えたようだ。

他人のことは良く分かる、という点でもこういう勉強会は必要なことだ。

 

打ち上げはご近所のイタリアンだったが、かなり美味しいところで今度は家族と来ようと思った。ホント、近頃美味しいイタリアンが増えた。そして、こうして美味しい物を食べながら、ワイワイと楽しく語り合うというのが大切だ。年にたった2,3回のことだ。こういう機会を持つのは大事。食と歌は切り離せないと思うが、、、おっと、アルコールも忘れてはいけない。って、この日飲んだのはワタクシだけ?ふひょ~っ!

2018年6月23日 (土)

雨のち晴れ。

朝からの雨のせいだろう、寝起きも悪く、もしかしたら旅の疲れが今頃出て来ているのかも知れない。たった一泊だったが、、、。

しかしめげずにちぇちの練習は出かけた。しかも明日はCantiamoとて、泥縄式の伴奏合わせを夜やっつけた。、、、なんだかねえ。色んな意味で気力が衰えている。以前なら、暗譜もし、繰り返し練習して自分のものにしていたものを、自分自身が全体的にもやっとしているのを感じる。

こういう時、短歌の会の役員達の活動振りがラインで続々と入って来始めたのを見ると、元気が湧く。矢張り若い人の力は凄い。特にITのスキルを持つ人は世の中をすいすいと楽にしてくれる。これまでもメンバーによって少しずつ師匠のお手伝いという形は取られてきたが、全員が同じ画面で進行状況を把握出来るというのは非常に合理的で、これまでとは明らかに違う。みんなで協力してやっているんだと言う認識が更なるやる気に繋がるだろう。こういうものはどんどん活用していく方が良い。カタカナが嫌われる短歌でさえ、時代の波に乗りその恩恵を被ることになるわけだ。

そうだった。短歌を詠まなくては。、、、と言うと夫が、「夫が如何に優しいかを詠んでくれ」とのたまうのでその場で即答。

「吾のこと短歌に詠め」と言ふ夫に生返事する夕餉のひととき

そういえば、吾が短歌に夫はなかなか登場しないなあ~。ふふふ。

2018年6月21日 (木)

笑う門にはズボンのフックが壊れる。。。の巻。

いやあ、一年分笑ったかも知れない。心配された余震も無く、無事京都一泊の旅は終わった。

危惧していた通り、高速バスでは、「声を落として下さい」と注意されるなどあったが、途中のトイレ休憩では、「あんなこと言ったって、リラックスするために旅行してるんだから、少しくらい良いでしょうに!」「大体、なんで他の人たちはあんなに静かなの?」「それがそもそもおかしいよね?」「何時間もよくあんなに黙んまりで乗ってられるわねえ。」「一人の人が多いわねえ、そういえば。」etc,etc,etc。オバタリアンは、めげない人種だ!実は足が不自由な人が居たため、一番前の列に陣取ったので、運転手さんの耳には相当うるさかったんだろうなあ。フフフ。

目的の一番はK女史の還暦コンサート。勿論それは素晴らしいコンサートで、2時間歌いっぱなしでも疲れを見せず、段々良く鳴る法華の太鼓じゃないが、実際ラストになるほど声が透き通ってきて、とても60歳とは思えなかった。アンコールの一番最後に、寂聴さんの詩に曲を付けたものを歌ってくれたが、複雑でも何でもない言葉にもかかわらず、聞きながら涙が流れた。音楽の力は凄い。そして美しい声には神仏が宿る。

 

宿泊したホテルがこれ又素晴らしいホテルで、そうであることは初めから聞いてはいたが、想像以上だった。設計士のセンスが細部にまで行き届き、緑の中に違和感なく溶け込む豪華な佇まい。水を多用していて、それが又落ち着く。ここはヨーロッパか?と見まがうばかり。浴場が又素晴らしい設計で、溢れる緑を目にいつまでも浸かっていたい気持ちの良い温泉。夜と朝、二回入ったもんだ。しか~し。ここで一大ハプニング。

まあ、今回も何時ものようにドジ大会になるだろうと、予想はしていたが、こうまで予想が的中するとは!?色々あった中でも特大のハプニングがこれだ。

朝風呂はステキだ。空いていて、ゆったりと湯殿に浸かり、朝の空気とと優しい風に吹かれご機嫌な我々。お風呂意外にもサウナは勿論色々珍しい部屋がある。流線型の石のベッドがいくつもある部屋があり、扉に「熱気、、、なんたら」と書いてある。入って見たらこれがなかなかにステキ。時間があれば永く居たい場所だった。熱くもなく、息苦しくもならない設計の部屋。

先に上がっていた我々二人にYさんが上がってきて言うことニャ、その部屋に入ろうとしたら暗くてどうやって寝っころべば良いかさっぱり分からず、とりあえず横になって見た。しばらくたってもちっとも暖かくも熱くもなく、なんだろう?と思っていたら誰かが入って来て驚かれたらしい。実はその向こう側にもう一枚扉があり、実際はそこを再度開けて部屋に入るべきだったわけだ。本人曰く、「簡単に言うと、玄関先で寝っ転がってたわけよ!」ギャハハハハ!と後の二人がお腹を抱えて笑ったのは言うまでもない。余りにおかしくて、部屋で待っていたMにすぐさま報告して、再度笑い転げたという次第。Kさん曰く、「私、人生でこんなに笑ったことない!」だそうだ。

小雨が降っていて、それも風情はあった。一カ所くらいは観光地を回ろうとなり、タクシーで三十三間堂に行く。ここは久しぶりだった。なんとなく懐かしい思いがして、ゆっくりと見て回る。幸か不幸か自分の顔に似た仏像にはお目にかかれなかったが、、、、、。唯一同行の義妹にそっくりな仏像は見つけた。一度そう思うとそうとしか見えなくなる不思議。

外はまだ小ぶりで、傘を差しつつ京都駅までそぞろ歩きをと移動し始めた。するとすぐに古い建物のお菓子屋さんが目につく。ランチもやってるというので、中に入ってお昼ご飯。ワタクシはプラスかき氷、ときたもんだ。

同じ部屋で、カナダに住んでいるというイタリア人の若者と出会う。国際アニメ美術館に行くんだとか。その人との会話は全て海外によく行くYさんとKさんがやって、お店の人を助けたりもしていた。やっぱり語学が堪能だと良いなあ。流石京都は国際色が豊かだ。

 

帰宅してからどんと眠ったのだが、朝はFMの収録。その後市民劇場の事務局にチケットを取りに行ったりと移動に次ぐ移動。余りに疲労感がつのってきたので、○○タウンへ行きマッサージ。夕飯もそこで調達して帰宅。

同行メンバーと電話やメールで無事を確認。Yさんは名句を送ってくる。

「動くのは口だけとなる旅の午後」

 

こちらは笑いすぎて、パンツのフックが壊れ、新しく購入。参った!

2018年6月19日 (火)

旅の前夜。

選りによって明日は京都だという日に大きな地震が大阪で発生。悩ましい一日となった。止まっていた諸々の交通網も復活してきたようで、バスは元々動く予定だったので、、、行くことに変更は無し。しかし、余震が無いとは言えず、、、、、。どうなることか。

一体何しに?というと、ソプラノK女史の「還暦リサイタル」なるものに出かける。このネーミングは近頃流行。以前ちぇちの舞台にも立って頂いたことがある、国内外でご活躍の坂出出身のお方。この方とはひょんなご縁で、公私ともに深い関係を持つ。関係と言っても、主に恩恵を受けているのは私の方だが、まあお付きあいも永くなった。「私は歌と結婚したの。」という発言通りの人生を歩まれ、多くの舞台を踏み、多くの弟子を育てて来られた。これもアリだねえ。恐らくは結婚していたら、ここまでの活躍は無理だったかも知れない。お相手にもよるが。

久しぶりの京都を楽しみにしてはいるが、、、、、どこまで楽しめるものか。。。。

準備という準備を全くしてなかったので、丑三つ時の今、こうして気分転換に日記だ。さあ、続きをやるべし。

2018年6月12日 (火)

平和。

今日はアメリカと北朝鮮のトップが歴史上珍しく、友好モードをアピールする映像がず~っと流れていた。なんだかもや~っとしたハッキリしない部分もあったが、「会う」こと自体が珍しい出来事で、確かに世界にとって明るい兆しかに思えた。どうぞ、ホントにそうであって欲しいと、多くの人が願っていることだろう。

この二人が40歳以上も年齢が離れているということに、まずは違和感が。。。そんなに若くして一国を任されるという立場はどうなんだろう。それも歴史上厳しい政治が続いた国だ。もし、このまま平和的に国を運営していくなら、それこそが歴史に刻まれる素晴らしい出来事だろうと思う。今のところはこの若さに期待したいなあ。

そして、中東の方ももういい加減殺し合いは止めてほしい。貧困が生む悲劇の最も悲惨なものは子供達のことだ。日本では、一人の幼子が一日一回しか食事を与えられなかったとニュースになるが、あちらの国では飢餓状態が続いているようだ。

私はこの世に神は居ない、と思って居る人間だが、何かしら大いなる力が働いてこの世の悪を一掃してくれないだろうかと考えてしまう。やっかいなのは、テロリストたちは自分の行為を「悪」とは思って居ないことだ。軍事力を行使してはばからない連中も、聖戦としてエスカレートしていく。何も持たないひとびとはその餌食となる。

その悲劇的現実を考える時は、この不信心な私でも、なんらかの祈りの言葉を吐きたくなる。

、、、てなことを考えながら、この平和な日本で、今宵は電気圧力鍋で豚とキャベツの煮物を作っている。なんだかねえ~~~。

断捨離の功罪?

色々捨てる物が出て来たが、取るに足りない手帳や友からの手紙など、面白い物もいくつかある。一つは高校を卒業してとある会社のOLになっていた頃、色々と悩みが出て来てあれこれとその思いを書き綴った小さな手帳。その中に卒業の時に担任の恩師I先生がが黒板に「竹」の絵を描いてくれたことが記されている。「人生は竹のようなもの。淡々とした生活の中にはその人の成長を促す節がある。その節に行き当たった時、あなたは逃げてはいけない。強く事に当たりなさい。」おおお、そうだった。未だにあの黒板の絵は覚えているし、その時の先生の表情や口調までもが思い出される。若き頃、どうやらおまじないのように、この言葉を座右の銘として時折思い出していたようだ。

そしてもう字も消えかかっているが、結婚してすぐアメリカに渡った友人Kさんの小さな字がびっしり書かれた手紙も出て来た。これは本人に見せてあげたいなあ。この長い手紙には、友人の紹介で結婚。そのお相手の方のお仕事の関係で1年間海外に住み始め、不安な中にも少しずつ妻としての自覚に目覚めていってる若き女性の赤裸々な言葉がつづられている。ご本人と言うより、ご子息に読んで欲しいような内容だ。

今、手帳はぽいっとくずかごの中。手紙は、、、、保留。

半世紀以上前の手帳は、かび臭く、雑な字は覚えがないほどに稚拙。もし、断捨離しなければ多分死ぬまで目に触れなかったというしろものだ。が、これも自分だ。希望を持って就職し、必死で仕事を覚え、先輩などとの人間関係に揉まれ、社会の仕組みの中で翻弄され、悩み、正義と罪の意識の狭間で混沌とし、自分が何ものかと煩悶し続けた青春時代。それでも一生懸命だったあの頃。、、、その上に今の自分がある。これはれっきとした事実。この発見はまるでそんな時代が無かったかのように生きている今の自分への警鐘かも知れない。

 

今回遂にリュックサックを購入した。小旅行の予定があり、そのための物。ところが、断捨離したお陰で、バッグinバッグが無くなっていて、ちと不便だということに気付いた。しまった、あれは残しておけば良かったと思っても後の祭り。ま、しゃあない。こういうことも起きる。

だけど、なんとなく生活がすっきりしてきたのも事実。まだまだ捨てるべき物が多々あるが、まあ、徐々にやっていこうと考えて居る。

2018年6月11日 (月)

DIY.

なんで今なの?と思いつつ、娘の気迫に押されてついキッチンのDIYに手を染めた。確かに古くなって気にはなっていて、壁紙本舗から取り寄せたのが一年前だから、もうやるべき時ではあったんだが、今月に控えている歌の練習がさっぱり出来ない。以前I先生から「捨てるような時間を仕え」とよく言われていたが、その捨てるような時間がまったくない。

その上、今日は母を連れ出しそのキレイになったキッチンの出来映えを見せ、ついでに我が家でご飯。そのあと大型スーパーに移動して、買い物をする。その間孫と母に気が抜けない。いつもどこか緊張していて、夕飯を食べたらどっと疲れが出て、マッサージ機で爆睡。「せごどん!」というテレビからの大声で目がさめて、しばしその番組を見る。こうして「捨てるような時間」は休憩になってしまうのだった。

嬉しかったのは、移動中の車の中で友人Yから、「お花が咲いたから上げるわよ」という電話。スーパーからの帰りに寄ってみると、大きな百合の花がいっぱい。只今部屋中がその香りで満たされている。先日の紫陽花といい花はホント、いやされる~。

 

それにしても、近頃時間と気力があればなんでも自分で出来てしまう。驚くほどキレイになった。扉を外し、金具を取り、壁紙を貼り付けたら再び元に戻すのだが、メチャラクチャラ手間が掛かり、決して一人では出来ない作業。出来上がっていくのは嬉しい物で、これに味を占めてあっちもこっちも、と娘は大乗り気だが、相当な体力も必要なことを思えば、どうしても生返事になってしまう。まあ、ぼちぼちってところだ。

なんといっても若さには適わない。つくづく体力の限界を感じる。

 

ふ~~~っ!

2018年6月 8日 (金)

笑って~ゆるして~~~♪

本日は晴天なり~。

私のおつむも晴天なり~。

てなことで、本日の手帳を1週間見間違えて新しい予定を入れてしまった!

本日シェイクスピア鑑賞会の日。このワタクシがDVDを持っているし、機械の操作も理解しているのは自分だけ。メンバーから電話をもらうまで気付かずにのんびりしていたが、電話の声を一声聞いた途端全てを理解した!

平謝りに謝って大急ぎで家を飛び出し、道中で新しく入れた予定を全部キャンセル。明日に動かしてもらう。こういう時スマホは便利。

まあ、お優しい皆さん笑って迎えて下さったが、ホントに申し訳ない事だった。一応予定の部分は余裕を持って企画していたので、全て見ることは出来たが、いや~参った。

本日の演目は「リア王」。流石の名演技で感動したが、最後にリアが狂い死にする場面で、彼の胸と腹が死んだ後からも波打っているのは頂けない。これって、カメラアングルでどうにでもなると思うけどねえ~。ここで、ああ、これは演技だったとしらけてしまった。

 

勿論私のドジバナのせいで、笑いすぎてお腹が空いてランチをご一緒にと女三人Hという中華屋さんへ。コミセンを出ようと思ったら、ナント、そんな遅い時間に駆けつけてきたメンバーが居る。一緒にと誘って結局4人のおばさん達が集うことになったが、これが又大変。お昼時とあって、お店は満員状態。例の中華の大きな○テーブルに、見ず知らずの男性陣数名と同席となる。まさかその男性達に緊張した訳でもあるまいに、その遅れてきたYさんがまずコップをひっくり返してテーブルを水浸し。「ぎゃ~」っという我々の声に驚く男性陣。それを見てみんなで、「すいません」と謝ったその口の下、又もやOさんが袖にコップを引っかけて水を思いっきりこぼしてしまう!流石に前の男性陣も笑いを我慢できずに、時ならずそのテーブルは楽しげな?笑い声に包まれた!

いやあ~、ほ~んと。笑いは良い。けど、なんでこうなるの?他のテーブルは皆さんお静かにお食事中だというのにねえ~。参った!

そして、丁度今美術館でYさんの絵画が展示されているというので、食後は移動してそれを見ることに。これが又Yさんの作品が素晴らしい。甲高い声でいつもキャラキャラ言ってる人が描いたとは思えない落ち着いた色彩のとてもセンスの良い人物像。他にもお気に入りの絵も色々あって楽しい絵画鑑賞会となった。せっかく来たからと、Kさんに誘われて常設展も。こつこつと伝統工芸に生涯を注いだ人の作品と現代アートの、ワケワカメの作品が両方あって面白い展示だった。漆塗りの美しい工芸品は蜻蛉や蝶々が描かれ素直にその美が迫ってくるが、やっぱり現代アートは説明して欲しくなるなあ~。トイレットペーパーの芯に花の小枝を刺してるのとかは、キレイだとは思ったが、う、これアートなんだ。と不思議な感じ。ただただ数字を横一列に並べている作品など、やっぱり、リンダわかんな~い!

Kさんがアメリカ人の陶芸家Bさんの展覧会も行くというので、昔の不肖の弟子であるワタクシも行くこととした。先生が覚えてくれているとは思わなかったが、会場ではすぐに懐かしそうに先生から握手を求めて来てくれた。

勇気を出して先生の奥様に断捨離中なので作品を買えませんと言ったが、記念にマグカップを一つ購入させてもらった。高級な花器や器の類は見るだけ。とても手が届かない。

次の約束のために急ぎ帰宅。留守中に入った娘が鍵をかけ忘れていて、こんな所までお父さん似だと苦笑い。入り口に素晴らしい紫陽花の花がバケツに入って届いている。友人のSさんが持って来てくれたようだ。何より嬉しいプレゼントだ。

丑三つ時の今から花を活ける。、、、ま、いっか。

2018年6月 6日 (水)

なんだか寒いな~。

別件でネットを見ていて、ちぇちぃりぁに関する面白い文章を見つけた。内部事情に詳しい人の物だと思うが、きっとあのお方だろうと思い、ニヤニヤして読んでしまう。この団体が地方で頑張っているという記事だが、誰が書いた物かを想像するとおもしろいものだ。

世はネット時代。近頃買い物も食品以外はネットが多くなってきた。特に重いものは玄関先まで運んでくれる利便さから買うことが多い。

そして、音楽に関する物も楽譜から始まり、CDなどほぼネットだ。

しかし、さっきのテレビ番組を聴いていると(パソコンをしながらのながら聞き)近年このネット情報で癌治療の間違いが多いらしい。助かりたいが為に必至で捜した情報を頼りに新しい病院の門を叩く人が多いという。それで、あたら助かる命を逆に落としている人が増えてきているという。恐ろしい話しだ。、、、何を信じたら良いのか全く分からない時代に突入だ。

 

何を信じるか、、、、テレビに頻繁に写る人々の様々な発言の、一体どれが本当なのか!いっそ全員に嘘発見器でも付けて発言して欲しいものだ。

今日のニュースで最も多かったのが、「改ざん」という言葉。大手の会社が捜索を受けているようだが、こうした事件が余りに多いと感じるのは私だけだろうか?全ては、すべきでないことが行われているということだが、これって日本全体を覆う黒い闇で、その大元は政界ではないのか?歯切れの悪い検察の発表を聴いていてもスッキリしない。なんだかもやもやもや。

 

歌でも歌ってなきゃやってらんない!

2018年6月 5日 (火)

眠いねむい眠い。

疲れ切った!

朝のシャンソンから夜のオペラ練習まで、いくつかの用件を処理して、まじで疲れた。

なのに、何故か寝る気になれないこの性格。が、1時を回ったから今日は寝ようと思っている。作詠と作文があるが、明日は母を連れ出す予定だから、英気を養っておこうと思う。

今日のちぇち練は全員に楽譜が行き渡り、ようやく全員の士気が高まった感がある。会長、団長、事務局長も参加して充実した練習日となった。やっぱり歌は良い。みんなが歌う事で何か発散できているのを感じる。

良い事もあれば困ったこともある。長年メンバーのM君のご家族の好意で衣装部屋なる物を借りていたが、そこを更地にすることになったようで、立ち退かなくてはならない。、、、どっかに無いかなあ~空き家。我が家の近辺にも空き家はけっこうあるにはあるが、持ち主を知らないとねえ。しかも、貧乏団体だ。そこにお金を投入できない。さあ、どうするか。。。。。

 

ねむっ!

2018年6月 4日 (月)

見終わって泣く映画。

友人からの薦めで、今日は夫と夜の映画館へ。夫婦で行くのは何年ぶりだろうか?覚えがないほどの昔だ。

17時までの短歌の歌会で多少なりとも頭を使っていたので、予想通り前半はかなり努力したが寝てしまった。

結論として、非常に地味な映画で、これがカンヌ国際映画祭最高賞を獲得したというのに、非常に驚かされた。地味というのが、登場人物達のキャラに留まらず、描き方も大げさな、例えば殺人シーンや格闘シーン、子供虐待現場とかが映像としては全く描かれてない。しかし、彼ら全員の背中には普通でない闇が背負わされている。そしてわずかに残った人間としてのあるべき生活が古い粗末な家屋の中で営まれていて、彼らが身を寄せ合ってそれぞれの傷を手当てしながらいたわり合いながら、それも殆ど本物の家族としての愛情をかもしながら暮らして行くという不思議。誰一人として本物の家族は居ない。それはあたかも、動物に近い部分での「絆」を感じながら暮らしているかのようだ。家長役の男は万引きを生活の一手段としてはばからず、子供にさえ教える。善と悪が逆転しているが、その生き方には妙な説得力があったりする。貧乏から脱出するためにはなんでもやる。

「家族」であるが故の葛藤や、不自由さから解放されて、素の人間として身を寄せ合う姿はどこか美しくさえある。

一方で、貧しく、罪にまみれていて、教養もない、日本の底辺を彷徨っている人たち。これはきっと現実にあるのかも知れない。いや、きっとあるんだろうと思ったことだ。そして、じゃあ、人間にとって一番大切なものはなんだろう?彼らには生きる権利もないのか?この映画を観ている人たち、あんた達は真の意味の「絆」を持ってますか?その絆は本物ですか?などなど、、、、多くの問いかけが。

出色の出演者は矢張り麒麟さんだ。なんという自然な台詞回しに動き。もしやアドリブ?と思う程の自然さ。周囲もそれに引っ張られている感じの場面もあったり。他にも沢山のオーディションで選ばれたらしい子役も、監督の力だろうが、ホントに良かった。

 

始まる前に、「ええ~?2時間もある~?」とわめいていた夫も、私同様最初は寝たが、最後まで温和しく見て、「良かった」を連発していた所を見ると、やっぱり良い映画なんだ。

 

見ているときは、それ程出なかった涙が、エンディングの静かな音楽が流れ始めると、何とも言えず切なくなってすすり泣くほど。

音楽の使い方も異色で効果的。映像のアングルも要所要所に非常にこった部分があってそれも楽しめた。是枝監督のこれからが楽しみだ。

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