人生は小説より面白い。
本日は「リア王」を鑑賞。何度も観ていて、ほぼ全体を覚えているが、言葉の一つ一つが新鮮な力で迫ってくる。シェイクスピアの場合、ストーリーそのものも面白いが、どちらかというと言葉の魅力だ。見終わった後、K女史と近くでランチしたが、この方とのお付きあいも長くなった。話題に作品のことが 出て来て、毎回見る度にハッとさせられるとか、思い当たることが多々あり、やっぱり見続けたいと意見が一致。参加人数が減少してはいるが、最後の一人になってもやりたいと。。。。
今度岡山の大学で、ロンドンからシェイクスピア劇団の公演があり、申し込んでいるが今からとても楽しみ。「ロミオとジュリエット」どんな料理になっているのか。演出の味付けに期待がかかる。身体の不自由なK女史も行く予定になっていて、ランチの間にその話になる。この方のいつもながらの前向きな生き方に感動すら覚える。軽い脳梗塞の後遺症があり、杖を突いていても、車の運転はおろか、畑仕事も旅行も楽しんでいるようだ。この方はご主人の没後4年だと言い、本当の自由を感じるのに4年かかりました、と仰る。
連れて行って貰った初めてのイタリアンのお店を出て、公園の木漏れ日を浴びながらゆっくり歩き、再会を約束してお別れ。こういう方との巡り会いはホントに貴重。
明日はその岡山行きに同行する予定のY先生とのランチだ。いつも運転手の私を気遣ってくれて、タクシーでお迎えに来てくれるというから恐縮する。先日、このY先生とフランス料理を食べに行った時、一杯のワインでとても饒舌になった先生は、少し前に亡くなったご主人との出会いから別れの時までを滔々と話され、こちらはまるで一編の小説を読み聞かせ頂いたような気になったものだ。
出会いは幼い頃で同窓生。大学は別々だったが、兼ねてから強い父親への反発心から自分の進路を選択していた彼女は、とある偶然のことから、彼がその父親に逆襲することがあり、そこから尊敬の念が湧いた、というか急激に気持ちが接近したという。印象的だったのは、幼い頃、彼女の祖母が自分を膝に抱いたまま、戦争で亡くなった息子を思って慟哭した、その時のきつく抱きしめられた記憶から、自分は子供は産むまい、結婚はするまい、と心に決めていたという。その時の祖母の声が今も耳に残っていて思い出したら涙が出る、と言いつつ涙ぐんで、「私はあの子を死なせた国が憎い。あの子がお国のために喜んで死ぬと言った、そんな考えの子にした国が憎い!」と叫んだ言葉が脳裏から離れないと。せっかくわが子が生まれてきてもいつ自分より早く死なれるか分からないし、あのような苦しみを味わう事になるかもしれないのなら、いっそ、、、、という思いだったらしい。そしてそれを電車の中で彼に告白したそうな。すると、彼がそれは間違ってる。僕はそうは思わない。。。。と小さな自分をのっぽの彼が見下ろしながら話した時それまでのかたくなな思いから解放されたという。
で、価値観の全く違う父親からの猛烈な反対を押し切って結婚。一児に恵まれ立派に成人させ、定年でリタイアしたご主人とは10年間二人で世界中を旅して回ったと言う。思いっきり夫婦した、ってことのようだ。あれほど反対していたお父上も孫が生まれて好々爺に変身。良い関係になったようだ。そして殆ど療養することもなくあっという間にあの世に旅立ったご主人とは、今は仏前でお喋りする日々だという。濃密な人生と現在の自由を与えてくれたご主人に心から感謝していると、手放しのおのろけも、心地良いくらいだった。
毎年イギリスの大学に研究員として出かけるなど、いまだやる気満々のY先生。確かこのワタクシより幾つかお年を召しているはず。夕べ我が息子と電話で話していて、ナント学生時代にそのY先生の授業を取っていたと言うのに驚いた。これもご縁だ。
我が周辺、ホントに寡婦が多くなってきた。
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