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2018年5月29日 (火)

取捨選択のおはなし。

断捨離継続中。まるで蟻がトンネルを掘るが如く遅々として進まないこの作業。その主な理由は、「掘り出し物」が多々あって、物色する内に時間が経ってしまうってこと。今日は恐ろしい程のカセットテープの始末を始めたが、矢張りレッスンを受けた時のものは貴重でもあり、懐かしくもあり、つい聴いてしまう。ヒドイなあと思うものもあるが、中には、おっ、私もなかなかやるじゃん!?という音声テープも残っている。どちらも自分だし、研鑽の過程と思えば許せるか。と思ってどちらも残す。

色んな先生の指導を受けたが、それぞれの先生の特徴があって面白い。なんといっても異常にしつこいのはI先生のものだ。同じ小節を繰り返し繰り返し何度も何度も注意してはやり直しさせる。、、、この地道な指導があっての現在の私だ。とにかく一回2時間に及ぶレッスンなんてのがざらにあったし、こちらも2時間経ってももうおしまい?と思う程エネルギーがあった。全く雑談は無しで、みっちりだった。

K先生のは三分の一が笑いで埋め尽くされていて、知らない内に不可能が可能になっている不思議。まるでマジックにかかったようなレッスンだった。M先生のは先生だか自分だかさっぱり区別が付かないほどそっくりな発声になっているのもあった。

ロンドンの先生もローマの先生もこれでもかと情熱を傾けて教えて下さったのは共通している。あんなにも熱い人は他の世界ではあまり見ない。歌う人に共通のものがあったように思う。

 

レッスンテープ以外は恥ずかしい演奏会の記録や、自主練のもの。本番前の合わせなど、これもわんさかと出て来た。これらが全部データー化出来たらどんなに良いだろう。そんなことをするエネルギーは流石に無い。

大きなゴミ袋に二つ捨てるものを入れて一段落し、これでお終いかと安堵した途端、別の箇所にもストックしてあるのを思い出したが、もう~だめ。本日はお終い。

 

しかし、もし災害でこれらが全部無くなっても、それはそれで別に良いとは思っているんだ。アルバムもそう。一応整理するけど、自分の死と共に葬り去りたい代物だと思って居る。

 

ここんとこ、連続して演奏会に出かけたが、ああいうことをやっている人たちも沢山の「記録」や「記憶」をいろんな形で保存しているんだろうなあ~と思わずにはいられない。若い人たちはみんなデーターとして残しているんだろうが、こっちはなんせ時代が古い。テープの次はMDでその次がCD。どれも形が邪魔。場所を取る。

 

生まれてくるのが早かった!

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