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2018年5月

2018年5月30日 (水)

まだまだ行ける?

今年が4年に一回の同窓会だということは、早くから友人たちの間で囁かれてはいた。が、寄る年波のせいで、そのための準備を始めることがなかなか実行できずにいた。今宵ようやくその第1回の準備委員会が男女半半で発足したのだが、10名ほどのメンバーは会えばたちまち昔に返る。決めるべきは決めながらも和気藹々と過ごしたことだ。

てきぱきと内容のある進行振り。お互いを思い遣りながらも主張すべきはする。、、、、73歳の私たち、まだ行ける。と思えた会合だった。一体いつまでやれるのか?全く確信がないが、K氏の曰く、「最後は天勝あたりでこじんまりと同窓会をやるところまでやれば良いじゃん?」というところか。前回は100人越えだったが、今年はそれより大分少なく見積もっている。さあ、どうなるか?

皆さん運転のためノンアルコール。こちらは生中二杯飲んでTさんの車。ラッキー!、、、考えればこれはおかしい。前回はもっと飲む人が多かったように思う。こういう所に変化が、、、。ま、しゃあない。

次回の日程を決めて解散。外に出ると思わずブルッとする冷たい風。これだもんねえ。日中は冷房してるのに。。。

 

実は夕べは何故かもの凄く疲れていて、10時間も寝てしまった!これは近年にないこと。眠ることは死ぬことと同じとある人が言ってたが、客観的に見れば確かに死だろうなあ。毎日死んで生き返っているってことか?

長く寝過ぎたせいだろうか。頭が痛く、吐き気まで。マッサージ機に掛かってまだうつらうつら。これはかないり異常。。。。こうなると途端になにも出来なくなる。なので、思い切ってお風呂に行ってみた。が、持ってたつもりの洗面道具一切が車に乗ってない。仕方なくお嬢に電話してゲット。再び温泉まで。こういう無駄が多くて余計疲れる日々。やれやれ。

しかし、この温泉効果はてきめんで、すっかり元気を取り戻し、ビールが飲める所まで快復。まだまだいける?ふ。

2018年5月29日 (火)

取捨選択のおはなし。

断捨離継続中。まるで蟻がトンネルを掘るが如く遅々として進まないこの作業。その主な理由は、「掘り出し物」が多々あって、物色する内に時間が経ってしまうってこと。今日は恐ろしい程のカセットテープの始末を始めたが、矢張りレッスンを受けた時のものは貴重でもあり、懐かしくもあり、つい聴いてしまう。ヒドイなあと思うものもあるが、中には、おっ、私もなかなかやるじゃん!?という音声テープも残っている。どちらも自分だし、研鑽の過程と思えば許せるか。と思ってどちらも残す。

色んな先生の指導を受けたが、それぞれの先生の特徴があって面白い。なんといっても異常にしつこいのはI先生のものだ。同じ小節を繰り返し繰り返し何度も何度も注意してはやり直しさせる。、、、この地道な指導があっての現在の私だ。とにかく一回2時間に及ぶレッスンなんてのがざらにあったし、こちらも2時間経ってももうおしまい?と思う程エネルギーがあった。全く雑談は無しで、みっちりだった。

K先生のは三分の一が笑いで埋め尽くされていて、知らない内に不可能が可能になっている不思議。まるでマジックにかかったようなレッスンだった。M先生のは先生だか自分だかさっぱり区別が付かないほどそっくりな発声になっているのもあった。

ロンドンの先生もローマの先生もこれでもかと情熱を傾けて教えて下さったのは共通している。あんなにも熱い人は他の世界ではあまり見ない。歌う人に共通のものがあったように思う。

 

レッスンテープ以外は恥ずかしい演奏会の記録や、自主練のもの。本番前の合わせなど、これもわんさかと出て来た。これらが全部データー化出来たらどんなに良いだろう。そんなことをするエネルギーは流石に無い。

大きなゴミ袋に二つ捨てるものを入れて一段落し、これでお終いかと安堵した途端、別の箇所にもストックしてあるのを思い出したが、もう~だめ。本日はお終い。

 

しかし、もし災害でこれらが全部無くなっても、それはそれで別に良いとは思っているんだ。アルバムもそう。一応整理するけど、自分の死と共に葬り去りたい代物だと思って居る。

 

ここんとこ、連続して演奏会に出かけたが、ああいうことをやっている人たちも沢山の「記録」や「記憶」をいろんな形で保存しているんだろうなあ~と思わずにはいられない。若い人たちはみんなデーターとして残しているんだろうが、こっちはなんせ時代が古い。テープの次はMDでその次がCD。どれも形が邪魔。場所を取る。

 

生まれてくるのが早かった!

2018年5月24日 (木)

乞うスーパーマン!

朝寝坊している間に空豆や絹さやなど大量に届き、午後はタケノコまで。昨日も白菜やらキャベツのプレゼントがあり、今日はその始末に追われる。おかげで初めて空豆のムースを作り、空豆の卵とじなんかも出来た。

昔はおばあちゃんに聞いていたことが、今はipadで間に合う時代。そういうと夫は、そのせいで年寄りから受け継ぐものが無くなって人間関係が希薄になる、と言う。確かにねえ。

ま、親子、孫の関係はそれだけではないからねえ。教えたり教えられたりが無くても、どっかで強い絆で結ばれているもんだ。何かの時は一番信頼出来るんじゃないかな?

 

それにしてもアメフトの事件は毎日毎日報じられて頭に来ることばかり。まるで現代の政界を映しているような流れ。国のトップクラスが正しい事を見せつけない時代、何が正しくて何が間違ってるかが不透明になっている。事が起これば、逃げの一手。情けない。

スーパーマンが現れないかな~?

2018年5月23日 (水)

思い出ボロボロ。。。

今日の素晴らしい天候に背中を押され、俄然断捨離の続きをやる気になったは良いが、今日は一番やっかいなものに手を付けた。押し入れの奥に無造作に突っ込んでいた写真類、そして古~い手紙の数々。

見ずにはいられないのが写真で、殆どがアルバムに貼ってあるはずだのに、抜けているものが多々出て来た。確実に記憶が甦って懐かしいものもあるが、実は写真に一緒に映っている人が誰なのかがさっぱり分からないものもある。ニコニコと楽しげに笑っているところをみると、少なくとも言葉を交わした人だろうに。全く何処の誰べえかさっぱり分からない。「顔を見たら思い出すんだけど~」というのが最近の友との会話だが、写真を見ても思い出せないというのはこれいかに。かなりヤバイ。

そして写真というのは不思議なものだ。10年20年前の自分にそもそも驚く。えっ?私、これ?いやはやいやはや。

昨年亡くなった友人Mがどれにもこれにも写っている。同窓会、コンサート、旅行、パーティ、、、、、どこにも一緒に。。。この世に存在しないのが信じられない。しかし、あの時間は取り戻せない。

嬉しかったり哀しかったり吹き出したり、、、時間が経つなあ~。

そして最もやっかいなのが手紙だ。

半世紀も昔、上京して一人住まいだった時に父と母から、そして恩師から貰った手紙が出て来て、つい読んでしまう。窓から入ってくる涼風に吹かれながら得も言われぬ幸福感に包まれる。そして今さらながら両親から受けた愛情を有り難く思い返す。今と違って、昔は手紙しか無くて、部屋に電話もなく、大家さんに電話を借りに行くという暮らしだったから、必然的に手紙が多くなる訳だ。二人の恩師からも細かい字で優しい手紙をもらっている。内一人は既に亡くなられているが、この手紙は全く覚えていなかった。思えばナント恵まれていたことか。今の自分があるのは、全てこれらの人々のお陰だ。

全部読むのはさすがに時間が無いと諦めたが、胸が熱くなり、そのまま作業に集中出来たのはこれらの手紙のお陰だった。そうだ、ガンバロウ。人生に残された時間を、無駄には出来ない。

 

録音テープが半端無い数出て来たが、これはいつか老人ホームで聞こうと思って保存して置いた物だが、一生掛かっても聞けない量だ。ま、ボチボチ処分していこうか。レッスンを受けた時の物が一番多いが、FMの収録のものも結構アル。聴いていたら捨てられなくなるだろうねえ。ふ~っ。

2018年5月19日 (土)

旅立つ人々。

近頃テレビで見る往年の大女優や有名な歌手達が、見る影もなく衰えた姿になっていることに驚く日々。昨日は吉行和子だったが、あんなに小柄な人だったか?と思う程。口調もゆっくりになっていて、、、それでも言葉の一つ一つに内容があったのには救われた。で、今日は星由里子だ。昨日の西城秀樹の死去に驚いたらすぐこれだ。

しかし、一昨日だったか、黒柳徹子女史の番組に和田アキ子と中尾ミエがゲストで出ていたが、まぁおばさんパワーの凄いこと。下手なドラマ観るより面白い番組だった。まるで、あの世へと旅立つ前に言いたいことは全部言ってから、みたいな、、、、。

 

こっちは今日、朝からしっかり本業をしたが、うっかり腰痛ベルトをしてなかったので夕方はダウン。マッサージ機で休まずには居られなかった。ホントに体力が無くなっている。が、今日はお嬢が孫べえを連れて食事に来る日。買い物に行かずばなるまいと、夕方から車に乗る。

何がおかしいって、しこたま買い込んできたにもかかわらず、メモしていったものは何一つ買わずに帰って来たこと。ま、それでもなんとかなるから良いようなもんだが、あのメモは一体何のために?

 

仕事の合間に、おびただしいCDとDVDの整理をする。勿論全て出来る筈がない。ごくごく一部だが、それでも疲れる作業だ。老人ホーム用にとストックしてはあるが、さて、ホントに聞くことがあるんだろうか?

2018年5月17日 (木)

シェイクスピアで繋がって。。。。

昨日は岡山のS大学でロンドンからのシェイクスピア劇団「ロミオとジュリエット」を鑑賞した。一年に一度、お招きを受けて出かけているが、毎回新鮮な驚きを感じる。今回は、発声の凄さだった。英語だが、大きな階段教室というか講堂の一番後ろまでハッキリとどく声量だった。要所要所に合唱が挿入されていて、古典な雰囲気を演出。美しい声だった。

実は今回の演出は時間の制約があった為か、ストーリーをはしょりすぎていて、感動するところまでは行かなかった。キャストは美男美女でいかにもピッタリなロミジュリだったが、、、。

そして高松から同行したKさんが、「ジュリエットが可憐というよりしっかりした女性過ぎてどうも、、、」と呟かれたが、その点は異論ありだ。ただ可憐で美しいだけの女性で14歳だったら、あれほど勇気ある行動がとれただろうか?精神的には相当成熟した大人の女性の14歳だからこその言動だろう。純粋でひたむきで、自分の恋に真っ直ぐだったからこその結婚であり、疑似死だったなら納得だ。自分の行動に迷いがない、という点が強調されていたと思うが、大学生達はどう思ったのだろうか?

一番大事だと思っていた、最後の最後に、「ヴェローナの太子が両家の争い故の結末をいさめ、遂に両家が和解する」という部分が完全にカットされていた。とすると、今回の演劇は、二人の若い男女の「愛」がテーマだったわけだ。大学でやる演目だったからか?

英語劇だが、場内はシーンとして、ほとんどが大学生の観客が舞台に吸い寄せられているのが分かる。にしても、最後がねえ~。

 

帰りのマリンは現地でお会いした人と女三人絶え間ないお喋りが続く。4人席で一人ホワイトカラーの男性だったが、広げた本を途中でパタンと閉じるなどあり、もっぱら聞き役のこっちは気が気じゃなかった。きっと運が悪かったと心の中で毒づいていただろうなあ。が、実は内容のあるお話しばかりで、所謂井戸端会議ではなかったと思うのだが、、、、部外者には面白くも何ともない会話だっただろう。その男性が途中で降りる時、Kさんが声を掛ける。「おやかましゅう。スイマセンでしたねえ。」それに軽く「いやいや」と言いながら移動していった彼は、ま、温和しい人だったから良かった。

話題の中心は、家庭に於ける男性女性のお話。そして海外に行って感じた目からウロコのお話し。外から見ないと日本の良さはなかなか分からないというのが結論。お二人とも相当あちこち地球を歩いて来られたかただから、珍しい話しも危険な目にあった事もいっぱいある。聞いていて飽きない。

Kさんが面白いことを言った。「私ね、男の孫が生まれて初めて男の本質が分かったわよ。男ってこういう動物だったのよ。明らかに女とは人種が違うのよ。」フフフ。あ~おもろ。こっちも思い当たるもんねえ。

 

てなことで、お嬢に迎えに来て貰い、ついでに婿殿と西洋居酒屋で飲み会。寝ている孫べえが気がかりと、母親の方は帰り、しばらく彼と二人で雑談しつ飲みつつ食べつつ、、、。ちょいと飲み過ぎた。なんか、弱くなって仕舞ってつまんない!近所に飲みに行く場所が無いとず~っとぼやいていた彼が随分気に入ったみたいで、同年だというマスターにこれからは一人で来ますと帰っていく。バトンタッチでお嬢が迎えに来て、こちらも無事ご帰還。ま、たまにはこういうのも良い。

2018年5月15日 (火)

高速道路は有り難い。

昨日とは打って変わって晴天。気分良く予定していた陶芸に出かけるため高速に乗る。津田までの高速だが、下道ではとても通えない距離だ。相変わらず空いているお陰でスイスイスイ。

およそ一年ぶりか?全く根気よくお付きあい下さる師匠だ。普通ならお払い箱だろうに。お訪ねすると自家菜園の向こうからいつに変わらぬ笑顔で迎えて下さる。

全く久しぶりでやり方を覚えているか不安だったが、驚くことにまあまあ覚えていた。そしてあまりにスピーディーに創り上げた物は、さすがに使える代物ではなく潰してしまったが、再度チャレンジした物は、なかなか良い風合いのものに。根を詰めると我に返った時は汗びっしょり。腰は痛いし肩は凝ってるし、やっぱり腰痛ベルトが必要だった!次回は忘れずに持参しようと心に決める。

自分ではせっかちとは思って無いが、余りに集中して創り上げてしまうので、師匠に呆れられる始末。となると、矢張りこういう作業はやるべきなんだろうと思う。じっくりと慎重に作品を創り上げるということに慣れなくてはならない。精神修養の一つだ。

ただ、自分にとってはとても癒やされる素敵な時間ではある。師匠とお喋りはするものの、形を作り出すというのは無我の境地も必要だ。この方とは短歌の会員として知り合った仲。短歌をしてなければまずお目に掛かることはなかっただろう。人の縁とは不思議なものだ。しかしねえ、一年に一、二回とは、余りにひどい。これからは少し我が環境も落ち着いてきたのでしげしげと通わせて頂こうと思う。

なんせ今日などは、畑からとりたてのいちごをご馳走になり、美味しい珈琲を入れて頂き、自家製の天酒まで。極楽極楽。一人暮らしの女性で、こうしてまめに暮らして居る人って、いるのよねえ。羨ましい暮らしぶりだ。けど、実のなる木々や様々な野菜の世話は、ちょっとやそっとで出来そうにない。指をくわえてみてるしかないなあ~。

 

昨日の母の日にプレゼントをくれた娘の為に、頂いたお野菜のお裾分けをしようと寄ってみると、近頃ゲームを禁止された孫べえがトランプゲームをやろうと準備している。ウノに七並べにばば抜きときた。その上母親も巻き込んでカルタまで。こっちは夫からの催促メールが気になりながらお風呂まで一緒に入ることに。やれやれ。

ああ、自由が欲しい!

2018年5月14日 (月)

おばさんパワー全開。

晴れたかと思うといきなりの大雨。ほんとに安定しない天気が続く。これって、女性的?それとも???

この大雨の中、真面目に本日もお歌の練習。はるばる羽床まで。この家のあるじ、H先生ご夫妻はいつものように暖かく、迫力ある時間を提供して下さる。今年の暮れの記念公演には又しても甚大なご協力を頂く予定。基本的に歌がお好きだということだが、まあ、なかなか出来ることではない。お仕事をしっかりされていた方が、リタイアされるとこういうことになるかと納得の生活ぶりだ。まるでお仕事をこなすように音楽されている。

そして、道中の姦し三人組のおしゃべりも大切な癒しの時間だ。つくずく音楽で繋がるというのが、人間性を高めるのに役立っていると思える今日この頃ではある。

本日のお喋りのテーマは、「許し合う」ということ。みんなそれぞれ自分の思うようにはいかず、不完全な人間達が傷ついたり傷つけたりの日々のなかで、お互いを許し合って生きていくことこそが大切だという、こう書くとえらい高尚なお話しのようだが、実は、「おばさんになると、ミスも多くなるし、許し合ってケラケラ笑って生きれば良いのよ!」という自己肯定のお話しだったかも。へへへ。だからおばさんは一様に元気なんだ。

おばさんの年齢も昔と違い、かなり高齢化してきていて、そりゃあミスも多くなります。昔なら、おばあさんと呼ぶことを自他共に認めていただろう年齢だ。

若く見えるのと若いは違う、を日々実感している。指の力が極端に弱くなってきて重い物が持てなくなって来た。10キロのお米を買うのは余程考えて。末端神経のみ細くなってきて、物に躓く転ぶ、取り落とすが異様に増え、かなり大物有名人の名前がオボロ。以前のちぇちのメンバーの名前すら、すいすいとは行かず、今日も今日とて絞り出してみたが、心細い限り。

こりゃあ居直るしかない、が結論。

ま、いっか。

とりあえず、今日はそれぞれイタリア語とドイツ語の歌はやってきたもんねえ。自分に甘くやるしかない。く~っ!

2018年5月11日 (金)

昼夜外食の日。

うららかに晴れた昼間、タクシーで迎えに来てくれて、噂のステーキハウスで昼間っからビールをぐいっ!この贅沢!そして約30分並んだものの、300グラムのステーキをペロリと平らげた女二人、千鳥足で近くの喫茶店に移動して珈琲タイム。、、、しかし、ワタクシよりうんと小柄なY先生が、いきなり300グラム、と注文するのにつられたが、自宅だと大概100か150グラムだのにねえ。勢いというのは恐ろしい。食べられたことに乾杯だった!

といっても女性の飲み会なんて可愛いもんだ。3時間ほどの贅沢だ。

今宵は夫も元の勤務先のOB会で出かけると言うので、帰宅してからその旨お嬢に電話。金曜日の夜はこっちで食べる約束だったので、予想通り、「どっか行こう~」となる。只今ダイエット中の彼女のリクエストで又してもレインボー通りへ。孫べえのお刺身とお嬢の野菜中心のメニュー、そしてこちらは酎ハイ。みんなでシェアして大満足。ここはパパもお気に入りで家族ではちょくちょく来るらしい。この界隈、全く食べるところに困らない。

 

お嬢の友人で台湾の人が居て、あちらではほぼ毎日外食が普通とのこと。家で作る労力と経済を考えるとその方がずっと楽ということらしい。日本もいずれそうなるのかな~?と思わせるこの辺りの食堂街の混雑振り。ま、それもありか。気が向いたときだけ料理するってのも悪くない。

 

しかし、今日はなんだか酔わない。中生ビール+酎ハイ+ワインとケッコウ飲んでるが、、、、まだ正気。近々婿殿と二人で飲みに行こうと約束しているが、この分なら付き合えそうだ。

ビアガーデンが楽しい季節になって来た。

人生は小説より面白い。

本日は「リア王」を鑑賞。何度も観ていて、ほぼ全体を覚えているが、言葉の一つ一つが新鮮な力で迫ってくる。シェイクスピアの場合、ストーリーそのものも面白いが、どちらかというと言葉の魅力だ。見終わった後、K女史と近くでランチしたが、この方とのお付きあいも長くなった。話題に作品のことが 出て来て、毎回見る度にハッとさせられるとか、思い当たることが多々あり、やっぱり見続けたいと意見が一致。参加人数が減少してはいるが、最後の一人になってもやりたいと。。。。

今度岡山の大学で、ロンドンからシェイクスピア劇団の公演があり、申し込んでいるが今からとても楽しみ。「ロミオとジュリエット」どんな料理になっているのか。演出の味付けに期待がかかる。身体の不自由なK女史も行く予定になっていて、ランチの間にその話になる。この方のいつもながらの前向きな生き方に感動すら覚える。軽い脳梗塞の後遺症があり、杖を突いていても、車の運転はおろか、畑仕事も旅行も楽しんでいるようだ。この方はご主人の没後4年だと言い、本当の自由を感じるのに4年かかりました、と仰る。

連れて行って貰った初めてのイタリアンのお店を出て、公園の木漏れ日を浴びながらゆっくり歩き、再会を約束してお別れ。こういう方との巡り会いはホントに貴重。

 

明日はその岡山行きに同行する予定のY先生とのランチだ。いつも運転手の私を気遣ってくれて、タクシーでお迎えに来てくれるというから恐縮する。先日、このY先生とフランス料理を食べに行った時、一杯のワインでとても饒舌になった先生は、少し前に亡くなったご主人との出会いから別れの時までを滔々と話され、こちらはまるで一編の小説を読み聞かせ頂いたような気になったものだ。

出会いは幼い頃で同窓生。大学は別々だったが、兼ねてから強い父親への反発心から自分の進路を選択していた彼女は、とある偶然のことから、彼がその父親に逆襲することがあり、そこから尊敬の念が湧いた、というか急激に気持ちが接近したという。印象的だったのは、幼い頃、彼女の祖母が自分を膝に抱いたまま、戦争で亡くなった息子を思って慟哭した、その時のきつく抱きしめられた記憶から、自分は子供は産むまい、結婚はするまい、と心に決めていたという。その時の祖母の声が今も耳に残っていて思い出したら涙が出る、と言いつつ涙ぐんで、「私はあの子を死なせた国が憎い。あの子がお国のために喜んで死ぬと言った、そんな考えの子にした国が憎い!」と叫んだ言葉が脳裏から離れないと。せっかくわが子が生まれてきてもいつ自分より早く死なれるか分からないし、あのような苦しみを味わう事になるかもしれないのなら、いっそ、、、、という思いだったらしい。そしてそれを電車の中で彼に告白したそうな。すると、彼がそれは間違ってる。僕はそうは思わない。。。。と小さな自分をのっぽの彼が見下ろしながら話した時それまでのかたくなな思いから解放されたという。

で、価値観の全く違う父親からの猛烈な反対を押し切って結婚。一児に恵まれ立派に成人させ、定年でリタイアしたご主人とは10年間二人で世界中を旅して回ったと言う。思いっきり夫婦した、ってことのようだ。あれほど反対していたお父上も孫が生まれて好々爺に変身。良い関係になったようだ。そして殆ど療養することもなくあっという間にあの世に旅立ったご主人とは、今は仏前でお喋りする日々だという。濃密な人生と現在の自由を与えてくれたご主人に心から感謝していると、手放しのおのろけも、心地良いくらいだった。

毎年イギリスの大学に研究員として出かけるなど、いまだやる気満々のY先生。確かこのワタクシより幾つかお年を召しているはず。夕べ我が息子と電話で話していて、ナント学生時代にそのY先生の授業を取っていたと言うのに驚いた。これもご縁だ。

 

我が周辺、ホントに寡婦が多くなってきた。

2018年5月 6日 (日)

感動した!

元総理じゃないが、ホントにそう思った。

最初は日本の男声合唱。次がアメリカン。そして合同、となったわけだが、圧巻だったのは矢張り合同の方だ。80人程になっていたと思うが、老いも若きも、人種を越えて素晴らしく歌ってくれた。大ホールを埋め尽くした聴衆から最後の「琵琶湖就航の歌」にはすすり泣きが聞こえる程だった。この感動は、平和への希求そのものから来るものだったと思う。日米の交流を民間がやっているという感じだ。

この人たちは、所謂音楽家の集まりではない。ハーバードと京大と言えば、それぞれの国を代表する大学を出た人々。恐らくは国を動かすほどのと言っても過言ではない仕事に就いているような人たちで構成されている。そういう人々が、頭ではなく、心で繋がり、共に音楽することによって両国の架け橋となっているという素晴らしさ。終演後、観客達は一様に笑顔でロビーへと移動している。「平和って、ほんとに良いなあ~」という笑顔だ。

そして、実はハーバードの音楽も素晴らしいものだった。編曲の妙と発声的な魅力が美しい音楽を織りなして、聞く人を知らず知らずその世界へと誘う。時々ソリストが出て歌う場面もあるが、プロな感じではない。良い声を持ってる一般の人、という感じ。しかし、それがとても心に響くのだ。英語の歌ばかりだし、意味は殆ど分からないが、声というのは不思議な物だ。指揮者の指先でピアノからピニッシモへピニッシシモへと変わって行くその流れに引き込まれる。

正直な話し、同行した英語の先生Yさんと同意見だったが、日本人だけのの合唱はきめが粗くて、ハーバードの人たちの繊細な合唱と比べると残念な思いもあったが、これは多分母国語の原語の問題だろうと思った。日頃から英語圏の人と話すとき、彼らは響きで話すし、喋りそのものが音楽的だという事を考えると、これは無理もないことかも知れない。勿論、日本人ならではの歌も歌唱法もあるんだが、、、。

でも、とにかく音楽会としては最高に楽しく、意義深いものだった。多分不参加でブラボーおじさんの声が聞こえなかったのが残念な位だったが、出演者の最後の一人がステージから去るまで拍手が鳴り止まなかった。

 

ロビーで客出しをしていた主宰者の方に御礼と感想を伝えに駆けよったが、紹介して下さった方も居て、いきなり撮影会となった。あの人のことだからきっとどっかに掲載するんだろうなあ。グスン。ま、いっか。

2018年5月 4日 (金)

濃い連休。

昨日は孫孝行。本日は親孝行。どちらも娘主導の元、レオマワールドと満濃公園。涙が出るほどの好天気で、たっぷりお付きあいさせて頂いた。

昨日、ジェットコースターは何年も乗らない内に乗れないと規制が掛かる年齢になっていた。夜も更けて最後に乗ったメリーゴーランドも、おそらくは来年は無理かも~という情けない感じ。従って、面白くも何ともないお化け屋敷に入ったくらいで、お楽しみは無縁のおばば。ただ1万歩歩いたというだけだが、とにもかくにも疲れ切って帰宅してからバタンキュー。そういえば、この日の目玉?のショーがあり、なんとかいうピン芸人がやたら大声で叫びまくるというのに遭遇。一番前の席に座った我々の前に来たその芸人が孫っちのほっぺたを手の平で挟み、(あとからそれが耳を塞いだらしいことに気付いたが)隣で絶叫したのには参った!親子はやたら興奮して今日はついてた、と言い合ってるが、こっちは何が有り難いんだかさっぱり分からない。舞台に何人か上がった子供達がこの芸人の物まねをしていたが、呆れるほど練習していて、みんなそっくりのポーズを決める。いやはや、何が流行ってるのか、さっぱり分かってないおばばには、ただただうるさいだけの奇妙な時間だった。

疲労困憊して爆睡したはずが節々が痛くて目がさめた。にもかかわらず、今朝はお嬢からの電話で、お婆ちゃん孝行の日と思い出させてくれる。なかなか自分にエンジンが掛からずぐずぐずしていて施設に着いたらお昼時。結局イオンでランチしてからとなり、現場に着いたら3時にもなっていて、ぼちぼち帰る人も居たくらいの時間。しかし、矢張り今日は「みどりの日」のせいか結構な人出。母を車椅子に乗せて園内の散策に出発。子供の喜ぶものも沢山あって、孫べえは元気にはしゃぎ、それを眺めて楽しむ我々。ところが、計算を間違えた。娘はわが子を最後のなが~い滑り台やらなんやらがある場所で、ここからはお母さんが車椅子を押して入り口で待ち合わせようよ、と言い、まあその方が時間のロスが無くて良いだろうと簡単にバトンタッチしたらそれが大間違い。結構な距離で坂道もあり、どんどん暑くなって一枚ずつ服を脱ぎながら押していき、あえぎあえぎ目的の場所に到着したときは、アイスクリームを買って食べずには居られない状態。「一口食べる?」と差し出しても母は首を横に振る。そりゃそうだろう。風も冷たく、じっとしてたら確かに寒い。

流石に、こっちの体調を気遣った娘が、帰りは運転してくれるというので、後部座席で孫っちとふざけている内にいつの間にか眠ってしまう。しかし、このわずかの睡眠のお陰で母を施設まで送り届けるという所まで完遂出来たわけだ。

 

濃密な二日間ではあった。

2018年5月 1日 (火)

暑い!寒い!どっちなの?

外は真夏。室内は真冬。が本日の我が家。体調を崩さないように注意しつつ、午後はH先生宅にてのお歌の勉強会に三人で出かける。

自分自身は近頃カンツォーネに興味が湧いて、そういえば故I先生がとてもお好きだったことを思い出す。H先生も同様で、次回Cantiamoではカンツォーネを二人で重唱で歌うことにした。朗々と歌う、という点ではオペラアリアも変わらない。まるでスポーツをやったかのように汗を掻き、歌い終わった後は爽快そのもの。イタリア物が好きな理由の一つがここにある。

他の二人はそれぞれドイツ歌曲やイタリアのオペラアリアなど。2時間真面目に勉強しました、って感じ。

ま、こうして声を出し続けてないと、近い将来声が出なくなるのは目に見えている。とにかく歌っていこう、と心新にする。

 

H先生の書棚には沢山のCDやDVDの他に色んな書物も並んでいる。その中で今日目を惹いたのが、「ピアニストという蛮族」という変なタイトルの本。作者は最近亡くなったあのピアニスト中村某。あの人の毒舌を思えば、こういう表現はありそうではあるが、どんな内容なのか読んでみたいものだ。お借りしようと思いつつ忘れて帰ったが、、、。

蛮族ねええ~~。最近夫テレビにこそ沢山紹介されているような気がするが、、、、。

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