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2018年3月21日 (水)

差別。

兼ねてから知人に是非見るようにと勧められていた映画があり、体調不良から見られてなかったが、偶然まだ上映中と分かり、夫が会議で遅くなるというのもあり出かけてみた。

「グレーティスト・ショーマン」というのがその題名。

ストーリーはお定まりの貧乏人のサクセスストーリーではあるが、そこに「人種差別」や「偏見」を織り込み、家族愛をメインテーマに持って来たミュージカルだった。いくつかの感想を持ったが、その一つに様々な興業で成功したバーナムが、偶然出会った女性オペラ歌手に出会い、それまでやってきたサーカスと全く違う興業を主催して、「音楽の力」で多くの人々を魅了することに新鮮な感動を持つという下り。ここは非常に上手く表現されていて、芸術とそうでないものの差が歴然と描かれていた。

しかし、この作品は、単純ではなかった。「ユニーク」と表現されていたが、日本語で言えば奇人変人とでも言おうか、黒人は勿論、異様に肥満した胸の大きい髭ずらの人。女性だか男性だか不明でそれ故に親からも疎まれ偏見に溺れそうになって生きている人。異様にのっぽの人。異様に小さい人。色素が無い人。全身総刺青の人。。。。全員社会からはみ出して差別の対象になっている人たち。息をひそめてこわごわと生きているこういう人たちを集めて、舞台に上げたのが、このバーナムという人だ。そして、彼らを人前で堂々と歌い踊るエンタテーナーとして育てた、筈だった。「街の恥だ。出て行け!」という罵声を前に堂々と演じさせた。

にもかかわらず、ソプラノ歌手の興業が大成功を収め上流階級のお歴々が集まる初日のパーティに、彼は自らの手で、一緒に成功を祝いたいとやって来た団員の前のドアをぴしゃりと閉めた。明らかな背信行為だった。。。。これは何を意味するか。

他にもこの映画の中には、様々な階級差別が出てくる。それぞれその差別は克服されては行くが、全て厳しい試練の後の話しだ。

 

今思い出すのは、自分が幼い頃、隣町に来た「見せ物小屋」を観に行ったときのこと。その毒々しい照明のせいもあり、幼心に見るべきでないものを見ているような気持ちになって、吐き気がしてその小屋を飛び出したのを今でも覚えている。それはことさらに奇形を強調して、まるでお化け屋敷のように作っていたからだが、多くの大人達が面白がってそこに入って居た。

 

アメリカ映画の多くが、所謂人間の恥部を描くのは、立派なことだと日頃から思っている。それはとりもなおさず「人間讃歌」に他ならないから。人は間違いを犯すが、そこから学び成長していけると、信じさせてくれる。

 

先日、同性愛の映画をアマゾンプライムで見たが、自分の中ではとっくにクリア出来ていると思っていたこの分野が、まだ受け入れにくい体質を残していることに気付かされた。恐らくは幼児期からの刷り込まれ方が強くて、大人になってからの価値観がまだ全てを払拭できてないのだろうと思う。今日のネットニュースで、「30年連れ添った夫が、突然女性として生きたいと言い、ショックだったが受け入れて人間として残りの人生を付き合って行く事にした。」とあった。この男性も、長い間押さえ込まれて生きていたんだろうと、理解は出来る。こういう人はきっと予想以上に多いのかも知れない。娘の住んでいた役者の世界は相当多いらしいが、だからこそ演技が出来るのかも知れないなあ。音楽や絵画に関わる人々の感性やエネルギーにも大きな影響がアルに違いない。

そういえば、先日のアカデミー賞で受賞した作品の中にも、「君の名前で僕を呼んで」だったかなあ、同様の内容のものがあった。こうして、どんどんこういう事が普通だと多くの人が思えるように作品が生まれれば良いとも思う。きっと沢山の男女がこの問題で悩んでいるに違いないのだから。

差別というものは、知らず知らずに体内に宿り、いつの間にか人を支配するまで成長する。気を付けなくてはならない。

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