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2018年3月

2018年3月26日 (月)

夏のような春の日。

今日は一日夏日だった。久々のジムでは結構な汗。そのアト温泉に行って大正解。、、、でもPM2.5なんちゅう~ものが空気を真っ白に染めて、クワバラクワバラの一日だった。

昨日の音楽祭は無事終了。スタッフの方から、「ちぇちぃりぁさんはいつも楽しいモノを出してくれて、感謝してます~」と言われてしまう。やっぱり、こういう色物も必要なんだ、とつくづく思った次第。その証拠に、今回の合唱の人たちの選曲が、歌謡曲やら、演歌もありいので、かつてのこの会のプログラムとなら随分と変わってきた。クラシックが悪いというのでは無いだろうが、誰もが知っている曲をやることで、会場の空気もほぐれるというか、和むというか、、、。色々あって良いということだろう。そういう中で、ちぇちは異色だ。通常難解と相場が決まっているオペラをしつこく取り上げ、尚かつ、一般の人に受けるような出し物をやってきた。20組以上の団体が出る中で、2部の頭は、ちぇちがやる、といつの間にか決まってきた。これも一つの歴史だなあ~。

今回は、ほぼ手出し口出しをせずに若いリーダーに任せっぱなしだったが、彼女たちもちぇちの伝統(?)泥縄式本番に、自信を付けてきているのが分かる。ま、その自信のようなものが無ければ、舞台なんて出来るもんじゃない。「音楽」を軸にみんなで楽しむ事が一番。多分、ピアニストからすると、「もう少し練習すると、ホントはもっと凄いのに~」ということになるんだろうが。

この気持ちにはみんな同じで、もっと出来る筈とは、メンバー自身も思っているが、しかし、みんな事情を抱えてやっているからねえ~。痛し痒しってところだ。こういうメンバーを母親の様に暖かく支えてくれているピアニストには感謝しかない。ちぇちには音楽の守護聖者が付いてくれている。ってことだ。

 

実はこないだから、fire tvの調子が悪く、テレビで映画を観るのが全く出来ずにいて、もっぱら小さいipadの画面で見ていた。なので思い切って電話で問い合わせるのから始まり、指示通り何もかも操作してもダメで、結局新しく購入する羽目に。そして昨日新品のスティックが届いてそれを初期設定からやるという一連の作業を全て自力でやっつけた。wi-fiの設定がどうしても上手く行かず、何度もテーブルの下に潜り込んでスマホで写真を撮って確認しつつやったが、難しかったせいで達成感が素晴らしい。子供達に威張ろうとしたら、フンと鼻であしらわれたが!

こうしてやってみて、新しいモノの前で白旗を揚げるのは辞めようと思った。所詮人間が作り出したモノ。何とかなる筈。負けるかも知れないが、闘うことに意義ありだ。ってことで、明後日からの上京に関して、フライトをネットでチェックインした。時間にうるさい夫が送ってくれるというので、あんまり早く家を出たくないからというのもある。

せっかく、こんな時代に生きているんだ。人間の英知の恩恵を少しは味合わせて貰ってからあの世だ。

2018年3月24日 (土)

春の音楽祭。裏話。

何時ものことながら、最初はどうなることかとハラハラしながらの練習。明日が本番の今日になって、ようやくなんとか完成。「如何にもちぇちらしいよねえ。最後はなんとかなるもんねえ。。。」とみんなで言い合ってゲラゲラゲラ。特に一番心配していたピアニストが笑いながらもあきれ顔。

それというのも、みんな、仕事を持っていたり風邪っぴきだったりで、全員が揃ったのが、2,3回。これまで、誰かが居ない状態での練習だったわけだ。それにも関わらず、最後は上手く行く、という迷信?の元、H相談役までが本日は面白い小道具まで用意しての参加。なにがどうあれ、絶対出来るという妙な自信のせいか?

こっちも、今日になって練習中にナレーションが振られ、その場で時間内に収めるようにと作文。いやはやいやはや。さて、明日はどうなることやら。ケーブルテレビに映るからねえ~。

こういうことが可能なのも、根っこに、好き、があるからだねえ。

ナムアミダブツ、、、、。ち~ん。

2018年3月23日 (金)

なんだかねぇ。。。

公的機関に公演の結果報告をして、まるで重箱のすみをかき出すように書類の不備を指摘され、今日ようやく会計さんと仕上げて提出したが、再度微調整が必要だと言われ、舞い戻って来た彼とパソコンで仕上げたが、ムムム。対象でないものまでそんな事やる必要があるかなぁ?というのが正直なところ。
こうして一般人には厳しいって、どうなの?もう少し合理的にやれないもの?億のお金が行き交う訳でもないし、ん十万頂ける訳でもない。そりゃあ、人様の大切なお金を頂く訳だから、幾らであってもいい加減で良いとは思わないが、我々がやってる事なんか、例の件やらあの件やらと比べると月とスッポン。桁が全然違うんだから。正直者がバカを見る世の中で良いのかなぁ?
その点、JASRACは随分進歩して来たと思う。一度無くした書類をダウンロードして記入して持参したら、速攻で返事が返って来た。
公的機関、色々あるなぁ。

2018年3月21日 (水)

大雨。

しばらく活動を停止していたら、あっという間に時間が経ち、来週は早くも上京するという日が近づいて来た。28日出発だから余り日がないにもかかわらず、明日は会計さんと提出書類の詰めを遣る予定だし、一昨日も著作権協会を訪ねて書類を提出してきた。公演の後始末はかくも時間がかかる。

その上、日曜日は春の音楽祭。前日の練習には参加する予定だし、本番の日は影アナが当たっている。とにかく行くまでにやることが山積していて、原稿なんかもホテルで書こうという算段。

その間に、母を花見に連れ出しておこうと思っているが、こう降られてはねえ、、、。

いつもの事ながら、荷造りもまだ。一週間分だから、ちょいと量があると思いつつ、、、、。ま、なんとかなるだろう。

 

今日は水戸の孫べえの卒業式だったようだ。ハツラツとした顔で剣道部の男子に囲まれて映った写真を父親が送ってくる。どうやら親たちは泣きの涙だったようだ。まあ、確かに感無量だろうなあ。

ヤフーニュースで同じ茨城の同じ年の男の子が交通事故で死亡したと出ていたが、どうやらこの子も家族でお食事会に行く途中だったようだ。ホントに親御さんの心境が思い遣られる。せっかく卒業式を済ませて、、、、、。

こうして考えると、生きているというのは奇跡の様なものだとつくづく思うなあ。

差別。

兼ねてから知人に是非見るようにと勧められていた映画があり、体調不良から見られてなかったが、偶然まだ上映中と分かり、夫が会議で遅くなるというのもあり出かけてみた。

「グレーティスト・ショーマン」というのがその題名。

ストーリーはお定まりの貧乏人のサクセスストーリーではあるが、そこに「人種差別」や「偏見」を織り込み、家族愛をメインテーマに持って来たミュージカルだった。いくつかの感想を持ったが、その一つに様々な興業で成功したバーナムが、偶然出会った女性オペラ歌手に出会い、それまでやってきたサーカスと全く違う興業を主催して、「音楽の力」で多くの人々を魅了することに新鮮な感動を持つという下り。ここは非常に上手く表現されていて、芸術とそうでないものの差が歴然と描かれていた。

しかし、この作品は、単純ではなかった。「ユニーク」と表現されていたが、日本語で言えば奇人変人とでも言おうか、黒人は勿論、異様に肥満した胸の大きい髭ずらの人。女性だか男性だか不明でそれ故に親からも疎まれ偏見に溺れそうになって生きている人。異様にのっぽの人。異様に小さい人。色素が無い人。全身総刺青の人。。。。全員社会からはみ出して差別の対象になっている人たち。息をひそめてこわごわと生きているこういう人たちを集めて、舞台に上げたのが、このバーナムという人だ。そして、彼らを人前で堂々と歌い踊るエンタテーナーとして育てた、筈だった。「街の恥だ。出て行け!」という罵声を前に堂々と演じさせた。

にもかかわらず、ソプラノ歌手の興業が大成功を収め上流階級のお歴々が集まる初日のパーティに、彼は自らの手で、一緒に成功を祝いたいとやって来た団員の前のドアをぴしゃりと閉めた。明らかな背信行為だった。。。。これは何を意味するか。

他にもこの映画の中には、様々な階級差別が出てくる。それぞれその差別は克服されては行くが、全て厳しい試練の後の話しだ。

 

今思い出すのは、自分が幼い頃、隣町に来た「見せ物小屋」を観に行ったときのこと。その毒々しい照明のせいもあり、幼心に見るべきでないものを見ているような気持ちになって、吐き気がしてその小屋を飛び出したのを今でも覚えている。それはことさらに奇形を強調して、まるでお化け屋敷のように作っていたからだが、多くの大人達が面白がってそこに入って居た。

 

アメリカ映画の多くが、所謂人間の恥部を描くのは、立派なことだと日頃から思っている。それはとりもなおさず「人間讃歌」に他ならないから。人は間違いを犯すが、そこから学び成長していけると、信じさせてくれる。

 

先日、同性愛の映画をアマゾンプライムで見たが、自分の中ではとっくにクリア出来ていると思っていたこの分野が、まだ受け入れにくい体質を残していることに気付かされた。恐らくは幼児期からの刷り込まれ方が強くて、大人になってからの価値観がまだ全てを払拭できてないのだろうと思う。今日のネットニュースで、「30年連れ添った夫が、突然女性として生きたいと言い、ショックだったが受け入れて人間として残りの人生を付き合って行く事にした。」とあった。この男性も、長い間押さえ込まれて生きていたんだろうと、理解は出来る。こういう人はきっと予想以上に多いのかも知れない。娘の住んでいた役者の世界は相当多いらしいが、だからこそ演技が出来るのかも知れないなあ。音楽や絵画に関わる人々の感性やエネルギーにも大きな影響がアルに違いない。

そういえば、先日のアカデミー賞で受賞した作品の中にも、「君の名前で僕を呼んで」だったかなあ、同様の内容のものがあった。こうして、どんどんこういう事が普通だと多くの人が思えるように作品が生まれれば良いとも思う。きっと沢山の男女がこの問題で悩んでいるに違いないのだから。

差別というものは、知らず知らずに体内に宿り、いつの間にか人を支配するまで成長する。気を付けなくてはならない。

2018年3月20日 (火)

ポーズ。

病を治す最後の手段とばかり、チェチ練から帰りに温泉に寄る。折からの大雨に一瞬くじけそうになったが、我が家の寒いお風呂場を想像しただけでぞっとして、思い切って車のドアを開ける。

いつもよりゆっくり目に入ろうと初めから考えていて、結局たっぷり1時間の入浴となる。そこである女性に目が止まる。4十代だろうか。ショートカットのすらりとした美人で、素敵な雰囲気の女性だ。この女性、色んな湯殿で色んなポーズをして入っているので、つい目が行ってしまう。何かしら深い思いに捕らわれているのは間違いない。最後に見たのは湯殿の縁に腰かけて足を組み、丁度ロダンの「考える人」のポーズであごにやった手をグイと壁に押しつける格好だ。なんとも絵になるその姿。失恋か、はたまた職場の揉め事か?いずれにしろ考えてもどうにもならないがつい考えてしまう、、、といった風情だ。

これはケッコウ珍しい光景だ。この女性のようにまるで自分の世界に入ってしまっている人は、そうそういるもんではない。少なくとも色んな女性が周辺に居ることも多いし、いつもはその目を気にしながら無視しているかのようにしているだけだ。遅い時間のせいか、たまたま今日は空いていたが、こんな彼女に目を止める人が自分以外に居たような気はしない。

 

帰りの道中も何となくその女性のことを考えながらだった。一体どんなドラマを抱えているんだろう、、、、。

 

ポーズ一つで、いろんな事が想像できた興味深い入浴タイムではあった。

2018年3月19日 (月)

昨日、今日。

この日を逃してはいつ又は母を連れ出せるか分からなかったので、昨日思い切って娘親子と一緒にランチタイム。母が景色が良いところに行きたいと言うので、高層ビルの中華を予約して置いたら、これが大正解。窓際の瀬戸内海を眼下に見下ろす素晴らしい眺望の席。屋島を目の前に独占してゆっくりと滑るように船が行き交う様は、しばし注文を忘れさせるほどに美しい。

それぞれ違う物を注文してシェアしながらお喋りしながらたっぷり時間を掛けての食事。母はもっぱら昔の話しだ。それでもこうして曲がりなりにも自分で椅子に座り自分で食べることが出来る母に、改めて感謝だ。今後も出来うる限りの事をしてあげたいと思う。寝たきりであってもおかしくない年齢だ。

こっちの風邪はほぼ大丈夫に成っているが、こうしてお出かけすると途端に夜が疲れ過ぎの状態になってしまう。まだ本調子ではない感じだった。

にもかかわらず、約束だったので、今日は娘の車で運転は交互に徳島まで出かけた。ソプラノO女史のリサイタルだった。

イオンモールに娘親子を落として、こちらはホールまで。晴れきった空の下ドライブは気持ちが良いものだった。最近はスマホのナビで何処までもスイスイ行ける。、、、高松からも色んな人が来ていて、私を初めマスク組も多かった。やっぱりねえ。

O女史は20曲以上も暗譜で歌いきり、力の入れようが分かる。最後の涙にもらい泣きしてしまった。「還暦コンサート」確かにしんどかっただろうと思う。なにもかも一人でやること自体が大変だ。本当に歌が好きで、努力の人だと実感させるコンサートだった。

はるばる出かけて行って良かった。

2018年3月17日 (土)

アカデミー賞。

何気なくテレビのチャンネルを回すと、アカデミー賞の受賞風景が始まっていた。エアコンなど全ての電源を落としたまま、最後まで観てしまった。
いつも下手なドラマより面白い受賞式だが、今年のはとても強いメッセージが表現されていて、これまでのとは大きく違った。
一つには、メキシコ出身の監督や他国からの移民だという俳優が多くいて、トランプ大統領を暗に批判するメッセージが多かった点。もう一つは、女性蔑視に抵抗せよというメッセージ。アメリカでさえこれだ!まぁ、最近パワハラやセクハラかかなり話題になってることもある。そして、同性愛者に理解を求めるもの。、、、これらを語っては「今、歴史が変わろうとしている。」と昔の映像を織り交ぜながら発表した。
映画を愛する人々の言葉は魅力的でユーモアがあり、説得力がある。数々の名言が飛び出したが、最後に作品賞を受賞した監督が、「じぶんは幼い頃から映画が好きで、まさかこんなステージに立つ日が来るとは思わなかった。若者よ、夢は叶う!」と発言して大歓声に包まれていた。
やっぱり映画は良いなぁ。
忘れていたが、ショーの映画まだやってるかなぁ。人に勧められたが体調崩してそれどころではなかったもんねぇ。あの手の映画は映画館に行くべきだもんねー。
「映画館に行ける」が、アチクシの健康バロメーターだ。

2018年3月15日 (木)

逝く人たち。。。

昨日夫の一番上の姉の旦那様が亡くなった。96歳。姉が他界してから20年生きた事になる。今日の通夜は遠慮させて頂き、明日の葬儀に参列の予定。その明日という日は、わが母の妹の親族の葬儀があり、叔母の身繕いを頼まれた。昨年から今年に入ってもこうして次々と訃報を聞く。、、、それだけ年を取ったということなんだろう。

で、本日わが母は、御歳98歳であーる。近頃はいつ電話しても、訪問しても「昔の事ばかり考えていた。」と言う。「楽しい事だけ考えようね。」と言うと、楽しいことなんか無かった、なんぞと言う。時間をかけて話すと、「お爺さんと叙勲で皇居に行ったのが一番の思い出かなあ。」と、流石大正生まれらしい答え。昭和生まれの私は同じ経験もさほど感動的ではない。物珍しいが先にたち、はあ、ふーん、へー、、、だった。、、、教育のなせる技か?

教育といえば、今日仕事休みの婿殿がやって来てコーヒータイム。たまたま話題にした中に、子供向けネット教育の事がある。ある教育業者は全てタブレットを使って勉強させるようだ。いよいよこういう時代が来たんだねぇ、というところで止まったが、さて。孫ベェは新時代を上手く泳いで行けるんだろうか。タブレットが好きだからって、、、ねぇ。

心配なのは、ますます人との接点が少なくなりそうな点だ。人間とは厄介な動物で、自分の思い通りにならないことばかり。切磋琢磨しつつ強くなって行かなくてはならない。自分の尺度で計り知れない人も多い。中には、他人の悪口を言う事を生きがいにしてる人もいるし、そうした毒を吐く事で自分のアイデンティティを確立しようとしてる人もいる。それは弱さの裏返しだが、毒を浴びた人間はそうは思えないこともある。
ま、これが社会だ。この混沌とした世の中を生き抜くには、人と接して揉まれなくてはならないはず。傷つき泣きながら、それでも人間をやめること無く墓場まで。
お先に彼方の世界に旅立たれた人々が、教えてくれる。そう、人生ってものは、楽しいことばっかりじゃない。ってね。そんなもんだってね。

雨だなぁ。

2018年3月14日 (水)

快方に向かってはいる。。。

母の誕生日が15日だというのに、この体調ではお祝いも出来ない。友人が別な日に祝ってくれるという約束もキャンセル。母にも電話して謝ったが、さて、覚えているだろうか?、、、こういう時、おぼろは助かる。期待して待たれるというのは辛い。

我が家で一番太陽が入るピアノの部屋に陣取り、ウトウトしたりレコードを聴いたり、本を聴いたり、、、、。こういう時、本を読むのが苦痛だが、こうして音で聴けるのはありがたい。施設に入る事になっても退屈はしないだろう。
今日聴いたのは、「ほかならぬ人へ」という朗読3時間のものだった。まあまあだったが、最後にホロっと泣けた。

で、食事の時のみテレビを見ている。どこもかしこも例のニュースで持ちきりだが、こうした事の一番の罪は、国民の、とりわけ若い世代の人たちに、悪い影響があるということだ。たださえ何を拠り所に生きたら良いかが曖昧な世代に、虚無感を植え付けないことを願う。真面目に勉強して、努力を重ねて上り詰めた地位にいるはずの人たちが、子供でも分かる体たらく。
こんな日本で良いのか?腹立ちを通り越して呆れてしまう。保身に走り結局墓穴を掘っているとしか思えない。「ほかならぬ人へ」の中でも、仕事に向かう真摯な姿勢に触れていたことだが、真面目に懸命に生きる事こそが大切ではないのか?
おそらくは、真面目過ぎて壊れてしまったのだろうか、あの自殺した人が浮かばれるように事が進めば良いけどねぇ。、、、合掌。

2018年3月12日 (月)

頑張って元気、のち曇天。

体調不良のままFMの収録に出かける。東京からのゲストで、高松滞在期間が短く、最悪マスクをしたままになるかと思いつつ出かけたが、そもそもぼ~っとしてて、約束の時間さえ間違える有様。ミキサーのO氏には迷惑を掛けたなあ。

しかしまあ、ゲストのお力で何とか収録は二本分上手く録れたように思う。

この方のやっていることは素晴らしい。長年にわたり京大OBとしてグリークラブの指揮などやり、あの名門大学ハーバードの合唱団と場所をアメリカだったり日本だったりと交互に公演を続けてきて居る。これまで、何度か危機的な状況に見舞われ、あわや途切れるかという不安な時もあったようだ。それはあの神戸の大震災であり、アメリカの911であり、東北の大震災だ。幸いメンバーに被害者が居なかったのもあって、こういう時こそ音楽だ!とさらに結束が固まったと言われる。

この日本での中心的役割をされている方F氏が、たまたま丸亀ご出身ということで、今回高松での演奏会の運びとなった。日本人もアメリカ人も家族ぐるみで移動されるというから、5/6あたりはここ高松も賑々しくなることだろう。番組ではその一端を聴かせて頂いたが、ほんとにレベルの高い、美しい歌唱力に驚かされる。日本でただ一回、それがここ高松だというのは、なんともラッキーな話しではある。

 

音楽が良いなあ。近頃の日本の政界は何を信じたらよいのか全く分からない状況だ。比較的純粋とされてきたスポーツ界でさえ、近頃なにやら怪しいものがとぐろを巻いている。国際社会も悪と悪の舌戦に覆われ、良き人々が営々と築いてきた美しいものが次々と破壊されているのを見ると情けなくなる。。。。こんな時、民間人同士、日米の絆を音楽の力によって毎年更新しているこの人々に、大きな拍手を送りたい。

 

興奮してしまったせいか、又また体調が逆もどりの感あり。今宵のちぇち練もお休みだなあ~。情けない。

2018年3月11日 (日)

ダウン。

昨日から怪しいと思っていたら、やっぱり風邪だ。インフルエンザかと慌てて病院に駆け込んだが診断ではタダの風邪という。
検査して菌が出なかったわけだが、本当のところは分からない。予防接種のおかげで出ないだけかも。
寝ても起きてもしんどい!早くから布団に入っているが、それほど眠れてない。熱も久々に8度まで上がって、、、こりゃあ暫く母や孫に接触出来ないなぁ。
諦めて、色々休止だなあ。人間はよくしたもので、動きすぎたら、こうしてちゃんと休むことになる。
眠れないのでオーディブルで落語を聴いては慰めているが、ホント、話芸だなあ。

しばし、何もかもストップだ!

2018年3月 8日 (木)

気分最悪!

気圧のせいだと思うが、ムチウチの症状がキツくて、鼻は詰まるし頭は痛いし、首はコリコリ!が、今日はどうしても税金の申告に行かなくてはならない。我と我が身に鞭打ってなんとかかんとか済ませたが、ちょうど空いてる時間帯で助かった!
次は短歌の締め切りがある。が、流石に頭が拒否反応。今日は無理みたい。

そんなことより、この気候のせいに出来るかどうか、、、、。。
昨日メンバーが取りに来たDVDを、手に持ったまま、それを渡そうとうろうろうろ、、、、。ついにこんな事するようになっちまった!ワァオ!!

2018年3月 7日 (水)

いい湯だな~。ハハン。

K画伯を支える?ドリームフレンズという女性ばかりの会が、今宵封筒の発送準備作業をやるというので、慌ただしく夕食を作って飛び出した。思ったより多量の仕事量で、終わったら9時過ぎている。疲れた、、、。で、帰路お風呂に入って帰る。川沿いにあるこの温泉は久しぶりだったが、ほどよい空き具合でたっぷり入れて疲れが一気にふっとんだ。

湯船に浸かりながら、今日も一日忙しかったことを思い出している。

朝一で、近頃送迎が必要になった顧客をお迎えに行き、2時間後にお送りし、とって返してチョー簡単メイク。バタバタと準備しつつも食べることは忘れない。冷凍パスタをチン。時間を間違えて焼きそばみたいになっちゃったものを一気に平らげ、義妹を迎えに行き、急なお誘いにも乗ってきてくれたTさまと三人で、NHKのカルチャー一日講座へと走る。1時間半の筈が、講師の熱い想いのせいで少し延びたがあっという間だった。主にショパンの人生と音楽についての講座だったが、生での演奏付きで充実の内容だった。いわゆる超絶技巧も凄いと思ったが、「子犬のワルツ」にいたく感動した。目の前をコロコロ走り回っているワンちゃんが見えるようだった。さすがイエルク・デームスの弟子だけのことはある。この巨匠のドビュッシーは鳥肌ものの素晴らしさだった。月の光は実際月の光がさらさらと落ちてくるのが見えるようだし、風を弾けば風を、水を弾けば水を聴く人の心に呼び起こす魔力を持っている。、、、その弟子だ。当然の様に素晴らしいテクニックだ。にしては会場が色気がなさ過ぎる。

で、うららかな春が来たかのような天候に、お茶しようとお嬢推薦のお店に行く。まあ、美味しかった。コーヒーとパンケーキ半分ずつ。可愛いもんだ。でもってコミセンの見学を忘れてたことを思いだし、再度車を栗林まで回す。ラッキーなことに空きがあり、仮予約してきた。これ、二人だから次々と出来ることだ。一人だと大儀だけど、道中喋りながらのイドウハ楽なもんだ。H村の二人がいっつも一緒に行動しているのがよく分かる。

 

さ、明日も忙しいぞ~。

2018年3月 5日 (月)

なんだかねえ、、、。

しょぼ振る雨の中を、今宵は一人でちぇち練に出かけた。車に一人で乗っていると眠くなるから困る。大音量で音楽を掛けながら飛ばして行ったが、今月末の本番に向けての練習が、心細いことになっている。みんな仕事を持ちつつのことだから、優先順位が仕事優先になるのは仕方がない。近頃覚えるのがとんと弱くなってきているから、今さら振られても暗譜する自信が無い。、、どうなることやら。。。

 

3ヶ月後のCantiamoの為に、会場を探しに近くのコミセンに行ってみたが、我々世代が気にしている様式お手洗いなるものが、完備してないところがまだまだ多い。しかも男女一緒になっているところが多いのも不思議なことだ。建物を建てた頃はそういうのが大丈夫だったんだろうか?担当者の方も、「何しろ建物が古いものですから、、、」と言い訳して下さるが。

経験上ましな所もあるのだが、あいにくそこは2カ所とも埋まっている。

いつだったか、満濃公園に出かけたとき、随分と奥まった場所にあって、使用頻度が少なそうなトイレが完璧な現代風で驚いたことがあるが、随分ばらつきがあるなあ。外国から来た人たちは日本のトイレに感動して帰ると聞くが、そういう意味ではまだまだ田舎だなあ。

それほど高級でなくとも、高齢者も増えてきている現代、ちょいと考えてくれると有り難いけどねえ。

 

明日はピアノ講座だ。楽しみに出かけようと思うが、夜もチョイとした作業に出かけなくてはいけない。明日は晴れるかなあ??

 

そういえば、友人Mの胃カメラ検査が異常なしと出たとの知らせが入った。何はともあれめでたしめでたし。ホントは行かなくてはと思っては居ても、なかなか踏ん切りが付かないのが病院だ。

今日もまだ役者仲間の先輩の死で落ち込んでいる娘から涙ながらの電話。癌検査していればねえ、と思わなくはないが、彼の場合は、「生ききった」「やりきった」人生だったから、53歳、若すぎるが、拍手で見送りたいところだ。娘ほど近い人ではないからこその感想かも知れないが。

2018年3月 4日 (日)

久々のドジバナ!

本日はCantiamoメンバー15名がそれぞれクラシックを中心に歌った。今回で47回目になる。

やればやるほど難しさを感じるのが歌だが、まあ、進歩した人も後退した人も居て、バラエティではあったがつつがなく3時間を終えた。近くのレストランで打ち上げとなり、ほぼ全員参加で久しぶりにみんなの顔が明るかったのはメデタイ。

メデタイが過剰だったのはアタクシ。

朝から妙な違和感があったのだが、次々と予定が進行する中で、全てスルーしていた。最後に短歌の歌会に顔を出して帰宅してからフトわが身の違和感をチェックすると、ニャ、ニャ~ント、スラックスが前うしろ反対ではないか!急に大声を上げたため、夫が一体何事?と聞いてくるので仕方なく事実を話すと、ゲラゲラ笑って、「他人のこと言えませんなあ~」とチョーご機嫌。勿論こっちも負けてはいない。「お父さんのように二枚もパンツはかないけどね!」、、、以前、何度かそういうことがあり、ケッコウ話しのおかずにしたもんだ。

しかし、今日のは参った。ステージで歌ったんだけどねえ~~。だ~れも気付かなかったのか、はたまた気付いていても言わないでおいてくれたのか、、、、、前側にはちゃんとした折り目のラインが入っているから、のっぺらっとしたのが前だと歩きにくいし、見た目も、、、まあ、見た目はそれほど分からなかったかも知れない。ポケットの位置が変で、トイレに行くたんびに違和感があったのも当たり前。しかし、全く気付かなかったというのはおかしい。認知症の始まりか?

 

今のうちにやるべき事をやっておかなくては、、、、ふ~っ。

2018年3月 3日 (土)

歌と涙。

明日のCantiamo に向けて次々とメンバーが泥縄の練習にやってくる。ま、やらないよりは遣った方が良いし、こうして目標に向かっているからこそ「歌う事」が続けていける。

その合間に、パソコン横の古いシャッターを取り外し、新しいカーテンを買いに行き取り替える。これから年を取っていくことを考えて、なるべく楽なようにと考えた結果だ。まだまだあっちもこっちも捨てたり整理したり掃除したりとやりたいことだらけ。でも、とにかくやりすぎは良くない。三段の脚立に立ってクラッとした時は、少々慌てた。くわばらくわばら、、、、。

 

でお疲れ遊ばしてテレビの前で仮眠。起きるとNHKののど自慢全国大会なるものが流れていてつい観てしまう。結果は予想通りだったが、1番の感想は、「最近の男の子は良く泣くなあ」というもの。独断と偏見だが、一時期韓国ドラマで若者がよく泣くので、韓国人特有のモノかと思って居たが、どうやら日本の青年達も最近髪型といい、影響を受けているのか。自分を解放できるという意味で、良い時代になったのかも知れない。チャンピオンになった男の子は、病気の後遺症で身体が不自由になった父親似向かって素晴らしく歌った。誰もが納得の歌唱と声だった。

そういえば、夕食時、まだ起きていたときは東日本大震災でたった一人生き残った女の子の話題に夫婦で泣きながら食べた。いたいけな少女は自分を助けるために家族全員が亡くなったという思いに苛まれ、泣くことが出来なくなり、親戚に引き取られ成長し、ある時カナダに2週間ホームステイしたとき、淡々と語る自分の言葉をずっと泣きながら聞いてくれたホストファミリーの前で、初めて泣いた、という話しだ。それ以来、ようやくカメラの前でも泣ける女の子になっていた。。。これは重い話しだ。「原罪」というものを身を持って体現している少女の話だ。この子が、人前で「手紙」という歌を堂々と歌うのを聴いて、誰が泣かずに聞けようか!思い出しても泣けてくる。彼女のしあわせを祈らずにいられない。

2018年3月 2日 (金)

モグラの如く。。。

ようやく肩が緩む季節となり、むくむくとやる気が湧いてきた。といっても今年の寒さの後遺症に思ったほどは身体が動かないが、、、。

昨日でかけた綾歌辺りは中央分離帯に梅だか桃だかが咲きほこり、恐らくは花粉だろう霞が掛かる路上を柔らかく彩っていた。昨日は風がひどかったせいもあり、花粉はよけい回っていたのだろう。

今日も外の空気は、晴れてはいるがハッキリしない。花粉症にならなければ良いが、、、、と思いながらFMの収録に出かける。

ゲストは徳島からのO女史。間もなくリサイタル、それも還暦リサイタルというから素晴らしい。このコンサートの宣伝にお越し頂いたわけだが、以前ちぇちのオペラにご出演頂いた経緯もあり、永いお付きあいとなっている。飽くなき好奇心に充ち満ちていつもパワフルな方だ。

結局歌も人柄だなあ。、、、はるばる聞きに行く予定ではある。

 

こうして少し元気が出たので、長年気になっていた部分を模様替えしたり、断捨離の続きもやる。明日も晴れるようだから、頑張るべ。

春の嵐到来。

TV,ラジオ、ネットニュースでこれでもかと騒いでいた異常気象がここ高松にも姿を現した。我が家のおんぼろ屋根が吹き飛ぶかと心配したが、まあ大丈夫なようで、相変わらず災害に縁の薄い地域だと感謝。たった今、沖縄で震度5というニュースも流れ、騒がしい一日となった。

春一番とかいうこの風は、一人で車を走らせると少々緊張するほどのものだった。殆どの車が減速して走る様子は違和感があった。本日も羽床までお歌の練習に出でかけた訳だが、いつもの倍の距離に感じたなあ。

 

朝は月1のシェイクスピアを観る会。今日から「ハムレット」。やっぱり何度も観ていても新たな発見があり、面白かった。それにしてもハムレット役はもの凄いセリフ量とともにそのエネルギーに驚かされる。完全になりきって演じる役者振りにしばし陶酔。有名なセリフが沢山出て来て、改めて作者の天才振りにも感服。濃い内容を短い言葉で表現するという意味に於いても凄い。さしずめ現代ならツイッター名人というところか!

 

日曜日のCantiamoに向けてみんなお尻に火がついている状態だが、内々の会でも人前で歌う事はそれなりの緊張があり、こういう会が続くのは大事なことだ。今回で47回目。いつのまにかどんどん時間が経っていく。

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