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2018年1月

2018年1月31日 (水)

冬眠、まさしく。

余りに寒い日が続き、もっぱらお家の中で動いているモグラ状態。昨日も今日も買い物に出る気も起きないまま、冷蔵庫の中のものを 使って料理。まあ、贅沢を言わなければ常に1週間くらいは何とかなる程には蓄えてある。それを良い事にひたすら家の中。寝てる訳ではないが、短期引きこもり。買い物メモを横目に、結局出ず。ランチを一緒にと朝出かける夫と約束していたが、全くその気が無くなり、お土産を買ってきて貰う。何となくむかむかはしているが、何処と行って悪いところはなさそうなのに、、、、。

 

まあ、こんな状態で日記を付ける気にもならず、いよいよ明日はシェイクスピアだし、そのアトもお歌の練習がある。こうして予定があると、なんとかそれに向かって動ける不思議。ま、まだ行けるか。

 

パソコンの前に座れない一つの理由が、この部屋には暖房が非常にお粗末。椅子に電気座布団、側に縦型の遠赤外線ストーブがあるだけ。もちろん膝掛けなんかして完全防御すれば良いんだけど、そこがそれ、冬季鬱病だからめんどくさい!てなことで、気が付けば一週間近くの空白が、、、、。やれやれ。

 

という中での今夜の皆既月食。老眼故にハッキリとは見えねども、確かにああ、あれが地球の影かとしばし鑑賞。眼鏡を替えて再度見ようとは思って居るが、、、。神秘的ではある。

 

明日に備えて早めに寝るとしようか。

2018年1月25日 (木)

終わった三婆。終わらない三婆。

朝9時にホテルに集合して劇団の方たちのお見送り。何十年も鑑賞会の会員でありながら一度もこういう事をしたことが無く、どんなことも人間がしていることには、こうした事が大切なんだと思い知る。事務局長Sさんのやっていたことを、残された我々で手分けしているということだ。この時佐々木愛さんが、「今回、初めて皆さんのお顔が見えた公演でした。これまではいつもSさんがお出迎えなんかやってくださってたので、、、。」とにこやかに微笑んで下さる。そして栗林公園を絶賛され、又ゆっくり来たいとも言われる。

こういう人物は、日本の財産だと思うし、こうした人と同時代に生きて、かくも親しく会話が交わせるのはラッキーなことだとも。劇団員の若者たちや側近の、愛さんへの尊敬のまなざしはもっともなことだ。総勢30名以上の人たちが寒空の下、空港へと仕立てたバスに乗り込むのに手を振ってお別れし解散。

 

今回のお芝居で、強烈な印象を持った一言がある。

亡くなった夫の本妻の家に、突然理不尽な形で同居を始めた義妹とお妾さんの二人と、激しく言い争いを繰り返した挙げ句、遂に二人が納得して出て行くと決まった日に、本妻の取った行動。

「行かないで!」と床にひれ伏すという下り。たった一言の、行かないで!を聞いた瞬間観客は泣いてしまう。この一言が、2時間半のお芝居の全てを語る最も大切な言葉として胸を打つ。、、、、私自身、この言葉を聞いたことで今回の演劇鑑賞会の為の諸々のお仕事をやってきた甲斐があったと、つくずく思う。

今回のお仕事!何故か我々のオペラ公演の最中にあって、途中で投げようかと思った事もあったくらいだったが、何度もあった「運営会議」「インタビュー」やらお見送りまで、まだ明日も反省会がある。お陰で、集まったメンバーの中にアンナにケッコウ来て下さった方もあったので、メリットはあったわけだが、それにしても大変だった。最後のリハーサルの前日まで会議に出ていたもんなあ。流石にこの日はやけっぱちだったような気が、、、、。

 

しかし、どのように過ごそうと、時間は過ぎていく。あの濃密な時間は、それなりに自分に取って意味があったのだろう。

 

今日は我が家の三婆をお接待するというお仕事もやった。以前はよく旅行にもお連れしたが、わが母の施設に入所もあり、それぞれの体調の心配もあり、恐らくは今後あのような旅のプランは無理だろうと思う。98歳のわが母。96歳の叔母と87歳の叔母だ。せめて、近くで食事でも、、、、と思ったが、外は寒くても車内は暖かいから、少し遠くに行こうかと行った先は夢タウン。それでも、「こんな遠くまで連れてきてくれた。」と感激されて、、、。

しかし、どうもこちらの体調が思わしくない。車椅子が見あたらず、アチコチ走り回って捜したりしたのがこたえたのか。時々吐き気がしたりして、ヤバイかも知れないとお嬢に電話してみると二つ返事で来てくれるという。こういう点は娘というのは良いもんだ。孫べえというコブ付きで来てオモチャは買わされ、こっちのおごりで一緒に晩ご飯も食べたけど、それに替えられない安心がある。お陰ですっかり気分も良くなり、三婆をそれぞれ送り届けることも出来た。

たまたま持っていたアルバムを見せると母たち三婆は大いに歓び、結局母は施設にも持って帰ったが、これは良いアイデアかも知れない。昔の写真は何かを思い出すきっかけになりそうだ。、、、それにしても昔のアチクシは、ホソっ!

 

疲れ切って帰宅して、家で老人二人の時間を過ごす。

あちらも老人、こちらも老人、どちらを向いても老人ばかり、、、、、。な~んてね。

2018年1月22日 (月)

反省、したっけ?

今日はちぇちの反省会。練習は無しだったが、ほぼ集まり、色んな話が聞けた。アンケートも全員が回し読みしたが、中にはよく見ていて下さるなあ、というご意見も。これが舞台の面白いところでもある。

まあ、お世辞も沢山あるだろうが、全くダメ、という感想は無かったのが、ひとまずメデタイ。

練習中の、外部からの参加の方々の全力投球ぶりは、ともすればなれ合い的なぬるま湯ムードに陥りがちなところを締めて頂いたという点で、本当に有り難かった。

そして、くしくも会長の口から出た言葉、「ピアニストには、ブラック企業的な扱いをしてしまって、、、。」が物語るように、ホントに過酷な練習回数だった。そのピアニストさんからは、「あれほど毎日練習に出ていたため、今は普通の生活に戻っているはずが、暇で暇で!」と爆笑を買う。こういう人々に支えられてのちぇちぃりぁだ。

私たちは間違ってはいけない。多くの人の助けがあって、公演が成り立っているということを。

 

そして、そして今年の暮れの「三十年記念公演」が本格的にテーブルに乗った。

団長から、しきりに「ちぇちらしいものをやりたい。」という言葉が出ていたが、ちぇちらしいって、どういうことか、、、、みんな分かったような、分からないような、、、、。間違いなく言えるのは、出演者が全員輝き、お客様が、クラシックを身近なものとして楽しんで下さる、そういう公演だ。

さあ、今年はどんなことになるのか。若者たちの柔軟な頭脳と心に期待しよう。

 

ところで今日も忙しい一日となった。現在 公演中の「三婆」の役者さんにインタビューするというお仕事があったのだ。雨の降る中を出て行き、待つこと30分。やがて美しい女優さんが現れる。あらかじめ、今朝作っておいた項目を見る間もなく、色んなお話しがどんどん進行した。というのも、とても心配りの素晴らしい方で、こちらが聞きたいことをいち早く察知して下さって、スムーズに話しを運んで下さったのだ。一を聞いて十を知ることが出来るお方だったのだ。勿論開演前のこととて、メイクなど準備もあるから、のんびりとはしていられなかったが、それにしても会話がお上手な方という印象を受けた。折々に華やかに笑いあって、知らない人が見たらおばさんの井戸端会議と思ったかも知れない。

有吉佐和子という作家は、この作品を50年も前につくっているから凄い。例の「恍惚の人」と同じく、あまりにも先見の明があり過ぎる。この女優さんも語っていたが、全く古くさくないわけで、こっちは今回の老婆役の一人を鈴木光枝で見てる訳だ。それからほぼ30年経ってるようだから、お嬢さんの佐々木愛が今回吾が同年でこの役をやるというのも感慨深いものがある。

面白かったのは、好奇心から訊ねた、「どうして女優の道へ?」という質問の答え。大学時代にあることで部活を全員が辞めた事がある。それで、何をしようと思ったときに、自分が一番苦手だと思っていることにチャレンジしようと考えて、文化座の門を叩いた。という。それまで、人前で何かするなんてこと、最も嫌いで、自分には出来ないと思い込んでいたそうだ。その後、色んな試練を受けることとなるが、そのたんびにチャレンジ精神が頭をもたげ、その連続で今がある、という。、、、明日、この方を舞台で拝見することになるが、これはとても楽しみ。今までにもきっと何かで見たことがあるはずだが、思い出せない。ま、こんなもんだ。

今夜の公演を観た友人から。「おもしろうてやがて悲しき今日の劇」という俳句が送られて来た。ま、そうだろうと思う。きっと期待を裏切られない舞台だろう。明日観た後、どんな短歌が出来るかしら?フ~ム。

2018年1月20日 (土)

口直し。

二日酔いを上手く撃退し、まだまだ行けると内心ほくそ笑んでいるが、さて。

 

昨日のFMはゲストがお久しぶりのピアニストTさん。素晴らしく才能のアル方で、この方の弾くショパンの「別れの曲」は聴く度に泣ける。しばらく活動振りを聞かなかったが、又NHKカルチャーの単発で講義形式のものをやることに成っているようだ。講義といってもこの方のは、生演奏付きだから、とても贅沢。以前、何度か聴かせて貰って、すっかりピアノ曲に魅せられた経緯があり、今度も是非受けたいと思っている。

高松には本当に力のアル演奏家が沢山居る。こういう人々が活躍できている間は世の中安泰だが、、、、さて。見渡してみるとなかなかに厳しい世の中だ。

 

そんな中、本日はソプラノ森麻季さんのリサイタルに出かける。

一番驚いたのは、集客の凄さだ。ご本人もそこを一番に言葉にしておられたが、この田舎にこれほどのクラシックファンが居るとは思われなかったのではないか。隣席のH先生と、「高松も、なかなか捨てたもんじゃないですねえ~」と話したことだった。何しろ満席だった。そして拍手が半端じゃない。声の調子がイマイチと言われていたが3曲もアンコールに応えておられたのは嬉しかったのだろう。ファンがもともと多い方なんだろうとも思ったが、良い歌は誰が聴いても良いということだろう。

伴奏と独奏で参加したピアニストもとても良かった。ソロの選曲は控えめな歌のムードを壊さないもので、歌い手がお休みできるというものだったが、なめらかで気持ちの良い演奏だった。

個人的には、段々良くなった演奏会、という感じだったが、流石に良く訓練されていて聴衆を満足させる技術と音楽性を持っていた。こうしてどんどん若くて上手い人が出て来ているんだろうなあ。以前の佐藤しのぶさんや鮫島有美子さんが来高した頃のことを思い出す。

そういえば今断捨離中で、アルバムが一杯出て来てその処理に困っているところだが、その中にかのベルゴンツィと手を握って写真を撮っていたのが出て来て、おおおお~。今さらながら幸せ~。あの頃は良く県外までもコンサートに出かけていたもんだ。

 

実は昨日観た映画はさっぱりだった。以前観た「カミーユ・クローデル」というのが余りに良くできていたので、そのせいかもしれないが、同じロダンを扱っていて、別の人物かと思う程の描き方だった。久々のハズレ~だった。セックスシーンのオンパレードで、そのほとんどが必要を感じないものだった。カミーユが精神を病むほどに愛したロダン。その扱いは無いでしょ!?という感じ。

ま、本日はあれの口直しだった訳だ。やれやれ。

2018年1月19日 (金)

二日酔い。

昨夜のあれこれが、メールでドンドンん入ってくるが、全てベッドの中で受け答え。頭はいたくないがどうも起きようとすると吐き気が。。。

ようやくごそごそと這い出したのは10時半。これはやっぱり温泉だろう、と行く準備をしていると、夫があきれ顔で出かけて行く。勿論食欲は無い。かろうじてフルーツを少し胃に入れて、いつもの薬。念の為ネットで二日酔いの対策を調べてみると、まあ、知ってることばかり。おうどんが良いと書いてあり、つくずく讃岐に住んでいて良かったと想ったり。

しかし、出る先々で用事を思い出したり、友人が家の前に来てるよと電話があったりで、行ったり来たりを繰り返し結局温泉に着いたら4時過ぎ。それでもまだ陽がある内だったので、気分良くゆったりと過ごせた。こういう時間帯は空いてるかと思いきや、ケッコウ混んでる。貸し切りくらいの時にゆ~っくり行きたかったが、、、。

温泉で全てを治すあたりは、かなり野獣の要素があるようだ。薬よりも良く効く。

 

それにしてもアルコールに弱くなったもんだ。確かに、ちゃんぽんではあったが、、、、しかも、ビールの上にワインが相当入ったし、ホッとワインも。食べながら飲むのが良いと思ってるから、色々食べに食べたし~。カブの生ハム巻、チーズに明太子カナッペ、ピザにチーズフォンデュ、こっちが持ち込んだ、カボチャ料理にスペアリブのワイン煮。行列が出来る唐揚げやの唐揚げもたっぷり。とどめはパエリア。それでデザートのアップルパイアイスクリーム乗せで流石のアチクシもノックアウト。なんか他にもあったような気もするが、、、、迎えに来たお嬢のお土産に、鯛焼きやおまんじゅうまで頂いて帰宅。いやはやいやはや。。。。これからは、食べるものをあらかじめ並べて、量を考えてからにしよう。バイキング形式はやばい。

 

先日、NHKで「人体」の腸についてやっていて、日本人が過去に食べてきたものがここ数十年ですっかり変わり、そこから色んな病気も発生しているというのを見たばっかり。確かになあ。洋風になってしまっているわなあ。まあかといって、いつもいつもこういう食事ばかりではないから良いんだろうが。たまのパーティは、こうした物で楽しんでこそのパーティだから。

温泉効果で、丑三つ時の只今、すっかり元気を取り戻した。明日はFMの収録。そのあと、間に合えばソレイユの映画だなあ。「ロダン」の映画。明日で終わりだそうだから。。。

 

しかし、毎日毎日よくもこう色々なことがあるもんだ。

2018年1月18日 (木)

食べ過ぎ飲み過ぎ疲れ過ぎ。

行く前にソルマックを飲み、準備万端整えて行ったもんだが、相当アルコールが入り、食べ物もあれやこれやと食べて、胃袋に入りきらない物がのど元まで来てる感じ。ふわ~。。。。

久しぶりにここまで飲んだ。=楽しかったということだ。とどめは、旦那さまが作ったパエリア。味が良くてつい食べてしまった。

このようにそのようにホスト役のAご夫妻の心地よいおもてなし。みんなが持ち寄った数々の美味しい物。、、チト過ぎました。ハイ。

 

深夜になってお嬢に、「まさかお迎えにこれないよねえ?」とメールすると、あにはからんや、「どこに行けば良いの?」と来る。どうやら夫が帰宅していて、今日に限ってノンしかなくてビールも飲んでないという。しめしめ。こっちだって、送迎することがあるんだから、良いジャン!?てなもんだ。

こうしてめでたく、無事ご帰還。

 

胃薬飲んで、ね~ましょ。

2018年1月17日 (水)

日記はボケ防止に有効らしい。

ハウツー本が大好きな夫が、ボケ防止に効くX条とかいうものを読み上げてくれて、その中に、「日記を書く」というものがあり、そんなの信じないと言いつつも、こうして日記に取りかかっているのは、多少信じているのか?

というのも、こないだから探し物の連続。まずは某チケットの束。数日間探しに探しても出てこず、これは断捨離の途中捨ててしまったか、と落ち込んでいたら、友人が全部持っていることが本日判明。何故そんなことになったのかが分からないまま、とにかく解決した。

そして、ガスレンジのグリルの中の網が洗ったはずが無い。こんなものが無くなる筈はないと大騒ぎして、きっと夫が変なところに片付けたに違いないと詰問したりしていたら、、、、今日になって夫が、断捨離のゴミの中からそれを見つけてこれは絶対自分の仕業ではないと言い張り、、、やっぱりこっちかなあ?と自信が無い。夫が鬼の首を取ったかの如く言いつのったのは言うまでもない。が、それって、どっちもどっち?やれやれ。

 

本日、ようやく全ての書類が上がり、会計さんが県と市に持って行ってくれた。こっちは完成するまでパソコンを打ちながら、合間で仕事をするという離れ業。とにかく早くこの作業から逃れたかった、というのが二人の思いだったろう。ふ~っ!

 

つくづく思うのは、一つの公演に取りかかり、完遂するまでの間には、様々なお仕事があり、それぞれがそれぞれの立場でそれをやるわけだが、おそらくはそのどれをも経験しないとホントの大変さは理解出来ないだろうということ。

ただ、理解出来なくても、やってくれている人がいるからこうして公演が成立しているんだという認識は持てる。会場係だって相当大変だ。捜して予約してお金を支払いに行き、開場するまでは相当な労力だ。毎度の事ながら、公演間近になるとどんどん増える会場取り。まず、こういう裏のお仕事は見えないために当然と思われがち。

そして目に見える、例えば指揮者のようなお仕事も実は見えてない部分の大変さがある。よくぞ、精神的に参らなかったものだと感心する。練習毎にお付きあい下さるピアニストも、やるべき事のみやるのでは、音楽は進んで行かない。それぞれがそれぞれの想いのままに全力で取り組んで下さっての公演の成立だ。

今回に限らず、舞台の道具類をこつこつと作成してくれる人も居る。提出しても、受け入れられるとは限らないものをせっせと作成してくれてはやり直しを指示されて、、、、ホントに有り難い事だ。

そして欠かすことが出来ないのが、各種作表だ。集計に集金、煩雑この上ない決して楽しくない作業だ。各マスコミにアピールするなんぞという、ちょいと労力と勇気が要るお仕事もあった。余り人が手を挙げないチケット預けやチラシ配りを率先してやってくれた人も居る。etc,etc,etc,,,.

このところの書類作りは、そういうことに想いを馳せる時間でもあった。

と同時に、沢山のお客様の暖かい言葉を思い出し。。。。。もう少し時間に余裕があれば、という想いもするが、公演はとにもかくにも終わってしまった。

 

一昨日のK画伯のお誕生会に来ていた人が、この方は海外までオペラを観に行かれるというお方だが、「貴女、声が良く出ていたわよ~。但し、出番が来たら自分の事のようにドキドキしたけどね。」というコメント。イヤハヤ、公演の後とはこうしたものだが、、、。しばらく舞台には立たなかったから、こういう感想を聞くのは面映ゆいことだ。

DVDが出来たらしいが、多分10年くらいは見ないだろうなあ。

2018年1月16日 (火)

飛んで火にいる冬の虫。

まさしく本日決算報告書の最終仕上げをやっているときに、ちぇちのメンバーがお二人来宅。用件はそれなりに済ませ、目の前にもろもろの書類を広げ、半強制的に協力を依頼。まあ、たまたま用事が無かったらしいお二人さん。仲良くやってくれて、お陰で大いに捗った。まだまだ残ってはいるが、ここまでやってくれれば、あとは明日会計さんとやっつければ終了だ。

その会計さんは、本日バタバタと書類を役所に届けたあと、ずっと以前からの約束とかで、この寒いのに「夜釣り」に出かけて行った。思っただけでさぶっ!

しかし、彼もこの携帯時代を呪ったことだろう。少なくとも3回は携帯に電話してしまう。一体全体どういうところでどんな感じで釣りをしているんだろうと想像してみるが、全く不明。想像したくもないと言った方が良いかも知れない。どう考えてもこの冬空のしかも夜に海の側で釣っているなんて事、何故やるのか意味が分からない。

おお、くわばらくわばらとばかり、こっちは今宵も大きいお風呂にと出かける。

ほんのささいなことだが、靴箱の側で順番を待っていたこちらに気付いた男性が、「あっ!失礼!」と爽やかに挨拶してくれたのに妙に感動した。一瞬のこととて、どんなお人だったかさっぱり分からないが、おお、良い言葉、と思った次第。

昨日テレビで、女子アナが「札さつ」とか「金かね」とか言っても良いかどうかなんてことが話題になっていたが、使うのは勝手だが、女子アナに限らず女性が「きょうはカネがない」とか言うのをあまり聞きたくはないなあ。

言葉に敏感というのは、矢張り大事なことだと思うけどねえ。別にかっこつけるとかじゃなく、自然に美しい日本語を使える女性の方が好みだなあ。

今にして思えば、そういうことに厳しかった両親で良かったと思う。

それで思い出したが、一昨日K画伯のBDパーティから帰宅中カーラジオからながれてきた重い内容のラジオドラマ。ゴミ屋敷に住まわされ貧困の中で行き場のない子供が、希望を失い、頭の中で「どうでもいい」「どうでもいい」と繰り返しながら生きていて、ワルに万引きを強要されたりしながら、「これはきっと何かの間違いなんだ。僕の本当の両親はきっとどこか別の所に居るに違いない。これが僕の人生だなんて、間違ってる。」と思い続ける。。。。というものだが、これにはグッと来た。本当に子供って、親を選べないんだ。なんと切ないセリフだろう。

このドラマの救いは、登場人物の中に、まるで女神のようなばっちゃんが出てくるところだ。ただ美味しいご飯を食べさせることしか出来ない人だが、そのことが、何人もの子供たちを癒やし、救い、慰めている。、、、こういう人になりたいと思ったことだ。

これはドラマだったが、実際に日本の中にはこういう場所であえぎながら暮らして居る子供たちが居るようだ。考えたくないが、こうした弱い子供たちを放置している現実がこの先進国ニッポンにあるということ。

わが子を育てることが出来ない大人たちが、これほど目に付く時代も無いのではないか?、、何かが狂っている。

2018年1月12日 (金)

マッサージで寝る人。

今日は朝から会計上の計算やら申請書の作成やらに数時間をびっちり掛けたが、まだ終わらない。お互い色々事情があるからと一度解散。続きは後日となったが、とりあえず3人でやったのが良かった。なんとかなりそうで、胸のつかえが下りた感じ。

結局この後始末が大変だ。が、これをやれる能力がある団体だということも出来る。少なくとも適当ではない。お客様がいつも応援して下さるに値する、又は県や市が助成して下さる価値がある団体だという証しでもある。ここがしっかり出来ないでは正しい団体ではないだろう。

 

メドが立ったということで、こっちは体調が悪いお嬢の為に、というより孫べえの為に買い出しだ。こっちが体調不良を訴える前にやられてしまう。早い者勝ちってことだ。

今宵こそは絶対温泉に行くぞ~と夫に宣言して、夕食後に断捨離の続きを2時間ばかりやった後出かける。今日は久しぶりに足裏マッサージをやろうと心に決めて行ったのだが、、、、いや、それでやってもらったのだが、、、、一瞬寝た。といっても寝たのは、マッサージ師の方で、こっちは痛くて寝るどころではない。しかし、途中で明らかに手が止まり、一瞬完全に熟睡遊ばしている様子。勿論それは一瞬ではあったが、数回その時間があり、、、。考えてみるとこの体験はこれまでにもケッコウある。夜のこととて、同情はするが、、、、どうもアチクシの身体は触っている内に眠くなるように出来ているようだ。本来こっちが眠いはずなのに、、、。もしや若くてぴちぴちの女性ならそんなことは無いだろうねえ~とひがんでみる。しかし、そんな女性は余り来ないかもねえ。お気の毒~、てなもんだ。

ましかし、終わって、「又どうぞ!」と送り出されてその場では損した気分だったが、今もって身体が軽いし、歩いても空中浮遊な感じ。ということはあの人上手い人だったんだ。と、ナットク。まいっか。

 

明日も忙しいぞ~。K画伯のお誕生会があり、その前にMさんの出演される演奏会もある。行けない筈だったが、少し早めに出れば間に合うと分かり行くことに決めた。楽しみな演奏会ではある。ヴァイオリニストのH先生は以前寅さんの映画のヴァイオリンを担当されていたとか。それを聞いてから改めて映画を観たくらいだが、お若い頃からご活躍の人なんだ。たまたま夫が同じ大学に在籍していて、時折お話しする機会があり、その映画の時は色々大変だったというお話しを聞いてきた。さもありなん。1作の中にかなりの量のソロの演奏がある。

缶ビールがあと少しになったから、潔く寝るとしようか。

2018年1月11日 (木)

指を切った。

料理中に包丁を研ぎ、それを水で洗ってまな板に移動中に右手の人差し指を切ってしまった。たかがこれだけの傷で、もうすっかり元気が無くなった。昨日はまあほぼ料理は終わっていたので良かったが、今日は全くやる気が無くなった。色々と断捨離中で、そっちはどんどん捨てているが、夕飯はチンしてポンだ。とりあえず口に入れば由として頂こう。こっちだって同じ物を食べるんだ。

 

朝は、シェイクスピアのDVDを見る会に出かける。新しい人が見えるというので少し早めに出かける。「オセロ」が本日の出し物。何時もながらの役者の上手さに舌を巻く。が、実は今日はハプニングがあったのだ。いつも準備を一手に引き受けて下さっているY氏が肺気腫を患っている。毎回酸素ボンベを付けながらで、申し訳ないなあと思っていたら突然の発作。一瞬呼吸が止まったかに見え、慌てて119番に電話しようとしたら復活。ご本人は大丈夫、と言われるもののその後も気がかりで、、、、そこから最後まで約1時間半何事も無かったから良かったが、一時はどうなるかとかなり心配した。お迎えの奥様にお引き渡しするまで落ち着かないことだった。しかし、ご本人は、その件を奥様には言うなと口止めをされる。そんなことが分かったら、外出ができなくなるというのがその理由だが、ま、少しはご報告を。

結局、全てこちらに引き取って、今後はお世話をさせて頂く事に。(なんでこうなるの!?)

しかし、時々隣が気になりながらも、今日もDVDに魅せられた。「嫉妬」について、その本質をしっかり理解しているが故のイヤーゴの策略。まんまとその罠にはまっていくオセロの心理状態に全く無理がない。きっと誰でもそうなるだろうと思わせる自然な心の変化。

今日は見なかったが、二幕でイヤーゴの奥方がデズデモーナの世話をしながら言う言葉、「嫉妬とは、自ら孕んで自ら生まれる物でございます。」夫婦で嫉妬について語らせている作者に、「お見事!」だ。

 

この件を、本日お引っ越しで不参加のK女史に電話したら、カンラカンラと笑って、「人生は舞台。今日はとんだ大舞台だったわねえ。」と言われる。イヤハヤイヤハヤ、全く。

 

明日はギリギリになってしまった申請書の作成だ。朝10時からの予定だが、さあ、どうなりますことか。疲れる~~~。

2018年1月 8日 (月)

雑感。

昨年の公演から早くも1月が来ようとしている。今日までの間に暮れの行事とお正月があり、忘年会、新年会と続いた。恐らくは1年の中で最も密度の濃い時期だったろうと思う。

この時間を振り返ってつくづく思う事は、「人と人との繋がり」というものだ。

出会いとは摩訶不思議なもので、齢72歳にして一体どれほどの人との出会いが会ったかを思う時、どの出会いも自らの意志で会ったものは殆ど無いことに気付く。

元々趣味が多い人間で、その趣味を共有する人は当然多くなる。仕事も趣味と言えるだろうが、それはさておいても例えば絵画、短歌、陶芸、シャンソン、ちぇちぃりぁ。わが好奇心の赴くところ行く先々で人間関係が生まれる。学生時代の友人たち、その友達、、、、全く数えられない。

そして、この人間関係から如何に多くの事を学ばせて頂いて来たか。勿論具体的な「教え」に接したこともそうだが、見えない恩恵を被り続けてきての今の自分がある。それぞれの人びとから頂いた物をジューサーにかけて、美味しいエキスのみ飲み干し、自らの血となり肉となった感がある。、、、その意味で自分というものは無いに等しい。

 

昨日、吾が団体の相談役、H先生宅での新年会に集い、ちぇちぃりぁの昔の演奏会を次々と見ていく内に、こうした思いに駆られ深い想いに沈んだ。如何に多くの人びとと出会い、勿論そこには別れも生じたが、音楽を軸に切磋琢磨した仲間がこれほど沢山いて、それぞれの人々から少なからず影響を受けてきたか、それが現在のちぇちぃりぁだという感慨に、胸が熱くなったものだ。

ちぇちぃりぁという団体は、プロのオペラ団体ではない。これは勿論内外の人びとの知るところだが、実は本当の意味のちぇちぃりぁの存在意義を知る人は少ないと思う。長年この団体に携わってきて言えるのは、これは、平たく言えば「運動」なのだということ。団員にとっても、「音楽する喜びを知る」という運動であり、外に向かっては、「より多くの人に音楽の楽しさを知って頂く」という運動だ。

個人的には、この音楽する意味は、広義には「平和」に繋がるという想いがある。音楽に限らないが、文学や他の芸術に夢中になっている人間は、きっと平和を愛する人だ。

 

一昨日は短歌の「歌会」であった。

思えば、この会もある種の運動かも知れないと思う。世の中歴史のある結社もあれば、アチコチでブームに乗って生まれた結社もあるようだが、自分の所属する会は、主導者のハッキリした理想の元生まれた(生んだ?)会であり、この場合はある種の革命の要素を持つかも知れない。が、実態は短歌の「た」の字も知らなかった人をも受け入れる懐の広さがあり、そこはちぇちと共通しているかも知れない。いずれにしても、主導者の、「若い人に短歌を!」という思想は参加してみて段々根付いてきているのを感じる。

 

若いということ!これに勝るものは無い!なんだって出来る。

2018年1月 4日 (木)

ずれてる。。。。

公演が12月だったことは、主婦の部分では致命傷だった。いつもの暮れからお正月にかけての家族の行事がことごとくキャンセルの憂き目に。最低限のことしか出来ない有様。その上、お嬢が救急車騒動まで起こしてくれて、暮れの忙しい最中、一泊付き添いとなってしまった。結果はそれほど大した事はなかったが、まあ、近くに住んでクレタはよいが、立場逆転の有様。

でもって、兼ねてから我が家の断捨離をやろうと意気込んでいたお嬢に乗っかって、こともあろうに正月2日からおっぱじめてしまった。

何をか。

山ほどの食器の選別だ。

曰く、「思い出だから」は却下。「高級品だから」は却下。「来客用だから」は最小限に。という基準だ。でもって、おびただしい食器の山は全てボランティアに寄付することに。食器棚一つ分は完全に処分。本日夫がそれを全部事務所に持ち込んだらしいが、喜んで頂けたらしいのはまあ良かった。

これはしかし、娘がいなければ到底出来なかった作業だ。エネルギーの問題もあるが、スパッと割り切るというのが、多分自分たちだけでは無理だったろうと思う。以前収集癖のある夫のイヤになるほどのおちょこ類を、「なんとかして!」と言ったがさっぱり相手にされなかったのが、今回何を想ったのか、夫はそれさえもかなりの量を処分した。しかし、印判の古い食器はまだまだ山ほどあるんだが、、、、今回はそれには目をつぶった。段ボールに詰めるだけ詰めて疲れ果てたのもある。ま、その内なにもかも再度やらなくてはならないだろうが、、、。

お陰で只今我が家はお正月とは思えない有様。どこまでもグチャグチャで、これを又整えるかと思うとぞっとする。しかも、今日は出勤のお嬢の為、一日子守。喘息のある子供だから今のこの家には連れてくるわけには行かない。従って、マンションの方へ出向くことになる。折からのすんばらしい天気に、よその子がやっているのを見て俄然やる気になった「凧揚げ」に付き合わされることに。しかし、すっかりそのコツを忘れて居て、ある程度上がるようになるまで時間が掛かる。孫べえはこれでもかと広場を走り回って上手い具合に消耗してくれている。だよねえ。子供はこれでなくっちゃ。そうこうしているうちに母親が帰宅。流石に若い。すぐにタコを上げてみせて、母親の面目躍如。

てな具合で、一日があっという間に過ぎる。しかも、一日に出来ることが少なくなって、明後日に迫った歌会の一首がなかなか完成しない。材料は一杯あるのに、久しく短歌から遠ざかっていたら歌として成立できない。ここ1週間折に触れ考えていたというか、脳裏にはあったのだが、、、。担当者から催促を頂いてようやく提出したが、、、、まあ、駄作だ。

 

結局なんでもそういうことだ。途切れるとすぐ駄目になる。

 

頂く賀状には、「公演を観て元気になりました。」というものが多く、まあ半分はお世辞だろうが、この年寄りでもあんなことが出来るんだと思って頂いたということかも知れない。

その年賀状さえまともに書けてない。、、、ずれてるなあ。

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