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2017年12月

2017年12月31日 (日)

てんやわんやの年末。

公演後体調を崩していたが、ようやく復活の兆しが。

となると、早速濃厚な日常が始まった。今日は息子の家族と娘親子に母も加えて賑やかな夕飯。総勢9名となった訳だが、こうなると、いつもの調子が出ない。得意料理の筈が、すき焼きの味見を忘れて妙に甘いものになってしまう。そういえば醤油は薄口に変えていたのだった。他にもどうも大勢の食事の段取りが上手く運ばず、内心は焦っている。孫べえや娘が手伝ってくれるが、それにも慣れていないため、どうも思うように進まない。次回は全部終えた頃に来て貰おうとまで、考えている。

全員が引き揚げて、息子も二階に上がってから一人洗い物やら煮物やら、、、、しかし便利な世の中ではある。

こうしていても傍らでパソコンで賀状の印刷を機械がやってくれているし、台所ではマイコンが勝手に煮物料理をしてくれている。高齢になると共にこうした物に馴染んでいけるのは理に適っているかも。

 

本当なら今年を振り返って落ち着いて色々思考をめぐらせるところだが、まあ、そうはいかないなあ。若いエネルギーが押し寄せてきて、それに対応するだけで精一杯。有り難い事ではあるんだが、、、。

自分の若い頃、懸命に仕事に打ち込んでいた頃は、深夜2時まで営業しつつ、おせち料理は全部手作り。お正月の活け花や鏡餅など準備して、店頭に大きな年頭の挨拶を筆書きしたり、個人と店用の年賀状も手書きだった。1/1はナント朝の6時から着付けをし、朝の家族のお祝いのお雑煮を食べ、午後は、夫の運転する車の助手席でぐっすり寝ながらお詣りするのが恒例だった。。。。あれは一体なんだったのか?どこからあんなエネルギーが湧いたのか?従業員も4人ほどいて、それなりの問題も抱えながら、よくぞ切り抜けたもんだと、今の自分が昔の自分に驚嘆する。

それが若さというものだろう。それを持っている時には、全くその価値に気付かず、うかうかと年をとってしまった。

だからといって、必ずしも後悔しているわけでもないが、人生というものは到達を義務づけられている高い山に登るようなものだと思うなあ。広々とした裾野からその雲を突く山のてっぺんは見えない。最初は希望に燃えて力の限り頂きを目指すが、その内何度も挫折感を味わう。それでも進むしかないという思いに駆られて上り続ける。人生8合目まで来ると、持ち合わせていたエネルギーの在庫がわずかになっていることに気付く。しかし引き返すわけにはいかない。どうあれ前に進むしかない。上から眺めるこの山のナント青々として美しいことか。それに引き替え雲間に見える頂きの朧な様子は、緑なす木々も無く、、、、、雲がその先を隠しているから良いようなものの、、、、。

 

なんぞというつまらない事を妄想している内に丑三つ時だ。

さああ、明日も忙しい。寝るとしよう。

2017年12月26日 (火)

あかんなぁ。。。

どうもスッキリしない体調。気が付けば短歌の締め切りはとっくに過ぎ、クリスマスも孫べえにゲームソフトを買わされて、初めてクリスマスの存在に気づくという有様。明日帰省する予定だった息子たちが、余りの多忙に1日遅れるという連絡があり、そうか、もうそういう時かとボンヤリ認識。いつもなら、いそいそと準備に追われている頃だが、どうもピンと来ない。各方面に礼状を書くべきが、どうもとりかかれない。
そんな状況の中で、今日は急な仕事が入ったと、子守の要請。とりあえず夫の食事を作ってからマンションへ。
待ってましたと、サンタがプレゼントしたなんやらスイッチを教えると言う孫べえだが、眠くて眠くて、全く集中できない。とうとう諦めて一人で遊ぶ孫べえのそばでしばし仮眠。どうもよろしくない。
らしくない。

ニュースで100歳現役を実践したあの医師の事が流れていたが、信じられない。もし同じだけ生きたらまだ30年もある!いやはやいやはや。凄い人がいるもんだ!

この全身がかじかんだ感じ、吐き気やフラつきは風邪だろうか?単なる疲れなら、そのうち取れるだろうが、、、、。

明日は事務的な処理をする予定だが夜までにエネルギーを蓄えておかないと。ふう!

2017年12月24日 (日)

いきなりの雨が降った日。

夫から催促されて、年賀状の原稿を考えていたがまとまらず、気分転換に温泉に行ったは良いが、着替えるころから気分が悪くなり、しばらくじっとしていたが異様に汗が吹き出してきて、なんとなく嫌な予感。本当はマッサージするつもりだったが、これはヤバイと急いで帰宅。吐き気がするし多少の目眩も。いわゆる湯あたりたろうか。で、とっととベッドに入っている。
まぁ、何があってもおかしくはない。この歳で限界まで動き続けたんだから。

昼間は急なお誘いで音楽家とランチ。勿論先日の公演にも来てくれた人。色々と感想やらアドバイスをいただき、初めての店だったが味も良く楽しいひと時だった。
何が嬉しいって、この方はいつも応援団員としてのお話しをしてくれる事だ。目線が優しい。ちぇちいりぁの存在意義を認めてくれている感がある。専門家としての苦労話も聞かせて頂きながら、やれやれアマチュアで良かったとつくづく思うことだ。


夕べは古い友人夫婦が訪ねてきて、食卓を囲みながら料理が失速する事態に!最初の予定より二品少なくなってしまった。これで充分と言ってくれるが、材料を前に落ち込んだ。始める前はアレもコレもと思っても、そのエネルギーが持続しない。最近、チョクチョクあるなぁ!

しかし彼らが帰ってから、妙にやる気が起きて、最近購入した、マイコン電気圧力鍋で二品作ってしまった。勿論テストの意味もあり、めでたく今朝と夜ごはんで消化した。世の中、本当に便利になる。

考えてみると、オペラなんてものは、便利とは縁遠い。最短コースなんて無いし、絶対時間、というものがかかる。時代に逆行してるなぁ!

2017年12月23日 (土)

収録、仕事、もろもろ

疲れが取れないまんま次々とやるべき事が押し寄せてくる。そのしわ寄せは、当然家事にまわって行く。幸い出来ない事に文句を言う夫ではない。倒れるよりはマシだと思ってるフシがある。

明日は長いお付き合いだったS氏の追悼の会に参加する。大勢の人が申し込んできて、主催者が慌てている様だ。
今年は本当に辛い年になってしまった。
イギリスの友人からメールが来たが、友人Mの死を伝えなくてはいけない。気が重いなぁ。

このところの太陽がせめてもの慰めだ。

2017年12月21日 (木)

身体がうごきませ~ん!

やらなくては、と思いつつ、何も出来ない日々が過ぎていく。身体がしゃんとしないからだが、そんな中でも会計が書類を取りに来たり、衣装箱を届けてくれる人が居たり、滞っていた練習会場の支払いに行ってくれたと、書類を届けてくれる人もありいので、全く何もしないという訳でもない。けれどいつもの自分のやり方とは明らかに違っている。頂いたお花を眺めては御礼の電話さえ出来ないままだ。ましてやお礼状なんかとてもじゃないが書く元気もない。

今日の夕食時に夫から、「このおかず昨日見たような気がする。。。」と言われ、気のせいじゃない?夢見たんだわ多分。とお互い分かっていながらの怪しい会話。朝から山のような洗濯物をやっつけて、上も下も干していたのに、出かけたついでにマッサージをしたため帰宅は日が落ちてから。全部すっかり冷え切っている。ふ~っ。

明日は朝からFMの収録だ。まあ、多少声が出るところまでは復活しているから、何とかなるだろう。

 

FBだけは、いろいろな記事が出て、ちょくちょく読んではいるが、、、まあ、世の中便利になったもんだとつくづく思う。

舞台芸術に限るかもしれないが、矢張りそこに参加して頂かないと、本当の舞台を見たことにはならないと想う。DVDはその内出来ては来るが、その場の臨場感とその場に居る人びととで一緒に創る空間芸術というようなものは、残念ながら記録では計り得ないものだ。声にしても、その場で聞くものとはかなり違う筈だ。その意味で、出演者は本当には自分の事は分からない筈だ。

だから、楽天家の私は、「良かったよ。」を信じることにしている。そうでなくっちゃ、とっくにへこたれてぺしゃんこだったろう。だから、結局皆さんに育てて頂いたのだ。褒めて育てる、あれだ。

今日は、休会中のSさんから電話を貰い、何度も、「良かった」を連発してくれた。まあ、初めて観客としてちぇちの舞台を観たわけだから、色々分かったこともあったろうし、誰よりも応援の気持ちが強いコメントだったと思う。有り難い事だ。

応援と言えば、今回は奥方の出演もありいので、いつもの応援団長とはひと味違った感覚でご覧頂いたであろうドクターM氏が、打ち上げで最大級の賛辞を下さったのは、みんなも嬉しかっただろう。しかし、奥様の歌声は舞台で聴きながら泣けた。ご本人も脱力感に支配されている頃だとは思うが、やりきった感が強いのではないか。

この打ち上げでは、ようやく飲めるとあって、こっちはしたたか飲んで酔いが回った頃に喋る順番が来て、何を喋ったかオボロだが、一つは、音楽の守護聖人ちぇちぃりぁさまが微笑んで守って下さるお陰で、いろんな事が出来てきた、ということを言ったような、、、。これは今思ってもらしくない発言だった。およそ信心深くない自分が口にすることではなかった。が、毎回こんな風に無事公演が成立しているのは、もしやそういうことかと、思うほか無い。楽団の方々にしても、皆さんファミリー的な参加の仕方。舞台関係の方々も、こちらの我が儘に丁寧に付き合って下さるし、こちらの経済事情さえも心配して下さる。いくら元私の弟子とはいえ、朝から晩まで献身的なヘアーメイクをやってくれるアーティストたち。映像が欲しいと言えば、無償で考えてやってくれるT氏のような人も。はるばる宇多津から参加して下さる合唱団の人たちの心からの笑顔。

こけ枝師匠に至っては、今日も用事で我が家にお見えになったが、「いつも刺激的ですわ~」と笑って下さる腰の低さ。本当に、多くの人が、きっとちぇちぃりぁ様に微笑まれて(にらまれて?)ちぇちの公演へと集まって下さったのだと思う。

そしてお客様も素晴らしい。お見送りさせて頂いて、沢山の人たちと握手や笑顔を頂き、この一時はメンバーにとっての至福の一時だ。

 

本当に、終わったんだ。

2017年12月20日 (水)

第59回公演終了。残務処理に突入。

終了からまだ二日経過しただけだが、遠い昔のようにも感じる。しかし、そうでない証拠に身体の節々が痛く、曲げたら曲げたマンマ伸びない手足。温泉に飛び込んだが、そんなことでは解消できない疲れが溜まっている。もしやこの30年の疲れかとも想ってみたり。。。

お客様は予定通りにほぼ満席。最後の送り出しでは皆さん一様に、「面白かったよ。」「楽しかったわ。」と声を掛けて下さった。中には、「感動しました。」と握手を求めて下さる方もいたが、、、、。内心は忸怩たるものもあった。

おそらくもう少し時間があったなら、みんなの力がもっともっと出せたのではないかと想うからだ。今までで一番難易度の高いものをやったのに、過去に例のない短期間での仕上げ。それこそ、たっぷり時間を掛けるべき準備にも充分な時間が取れず、結果、アチコチにほころびが出ている。

そんな中で、外部からの参加者の方々には頭が下がる。ご自分の立ち位置を本番までにしっかりと確立し、ご自分の歌や演技に留まらず全体の空気を良い方向へリードして下さった。元々オペラは主役クラスの人が全体を引っ張っていくもの。歌を完璧に歌うこともその一つの要素だが、重要な練習時にその場の空気を作るのはそういう人たちだ。

その上、今回は土壇場ではあったが、著名なオペラ歌手の方が最後の仕上げに参加して下さったり、いつものヴォイトレのW先生も心配の余り、お仕事を切り詰めてご指導に来て下さった。それほど大変な曲だった訳だ。

しかし、にもかかわらず、どうしても思うように動けなかったきらいはある。音楽に気を取られて伝える事への集中力が欠けていたのだ。ま、何時ものようにこけ枝師匠の力が大きい。感想文を見ても、それで内容が分かったと沢山の人が書いている。

そもそも日本語で伝えることが最も難しいとされているし、最近の日本のプロのオペラでも日本語なのに字幕を使っていることが増えているというから、仕方がないのだろう。しかし、人によっては言葉がよく分かったという評価の人もいるというのは、考える必要がアルだろう。

今回、様々な声が一堂に会した訳だが、つくずく声というのは面白いと思った。単に、美しい声、といっても様々なカラーがあるし、その色とりどりの声で各々の表現が繰り広げられるのは、オペラならではの面白さだろう。こうして永きにわたり歴史の試練の中でも生き残っているのもその辺に理由があるのだろう。

その昔、まだコンサート形式しかやっていなかった時代に現会長が、「いずれオペラをやるんなら、絶対に重唱の練習が欠かせない。」とみんなに苦言を呈したことがあったが、その通りだと、今さらながら思う。合唱にしても今回のようにチョコチョコと出たり入ったりする形式は、ホントに手こずった訳で、一番はじめから練習をしていても、いつまで経っても自信が無い。要するに「歌」で演技をする、芝居をするという訓練が、不足しているということだ。

事ほど左様に難しかった今回のオペラではあった。おかげで、楽団の方々にも随分と気を揉ませたことと思うし、よくぞ気持ちよくお付きあいして下さったものだと頭が下がる。

しかし、一部の人には言ったことだが、「難しい」からこそ楽しいとも言える。誰でも簡単にやれるものはやりがいもなければ、達成感も無いではないか。

 

自分のことを言えば、今回はサブに回り、若者たちの後方支援に努めたが、それで倒れなかったのではないかと思う。限界とはこういうものかと、練習帰りにいつも異様な疲れを感じつつであった。

本番は、出演する初日は動こうにも動けず、二日目に入って作業着に身を固め、恐らくは1年分くらい走ったような気がしている。そう、この私が走ったのだ!すると、楽団の方々から、「蓮井さん、今日は生き生きしてる。昨日と全然違う。」と言われてしまう。そりゃそうだ。舞台に出て裏も気にするというのは、若くないと絶対無理。

 

色々アリながらも打ち上げは大いに盛り上がった。全員一様にホッとした感に充たされていたのだ。

 

今後のちぇちの課題は、若い人の力をどう出していくか、ということに尽きる。今回の公演で、とても明るい未来を感じているが、もっともっと新しい発想の元、自由に活動して欲しい。

平成も終わろうとしている。新しい時代に相応しい団体のカラーを期待したいもだ。

2017年12月13日 (水)

ハッピー無限大!

本日72回目の誕生日がこのように賑々しく祝って貰えるとはつゆほども考えて無くて、何だかもう先がないのかと思える程。FBをやっているせいもあるが、それに関係ない人たちも、、、多分過去最高の量と質のお祝いコメント、メッセージを頂いた。中でも、ビックリしたのは孫べえが、パパと共同作業でイチゴのデコレーションケーキを立派に作ってくれたこと。男の子でも、こういうことするのか。ま、イチゴ目当ての感もあったが、、、。息子の家族からは美味しい常陸牛なるものをおくってくれて、早速みんなですき焼き。幸せ~。

そして只今、朝一で届いたワインをチビリチビリと飲みながらこうしている。

 

本日は久しぶりの王様の参加。ラブラブの場面など、今まで見ることが無かったため、余計すんごいインパクト!さあ、面白くなって来たぞ~。おお、オペラだ~!

 

お風呂のタイマーが鳴り始めた。さ、移動移動。

2017年12月12日 (火)

さぶさぶっ!

外の道路に車を出した途端、発泡スチロールの箱のようなものが夜の街角をゴロンゴロンと転げ回って驚いた。結構な強風が吹き荒れたようだ。その間、我々は、追い込み練習でリハ室に缶詰。そりゃあ知りません。

しかし、この強風の中、自転車で移動している出演者が居て尊敬するばかり。

本日も通し稽古。これって疲れる。緊張が長時間にわたるためで、みんなどうしても疲れが顔に出てしまう。無理もない。要所要所を押さえることに集中だ。まあ、何と言っても今回は若者達が頑張ってくれている。彼女たちのリードで物事がスムーズに動いているわけで、もしこれを一人でやっていたらと思うとぞっとする。

確かに若いということは経験は少ない。しかし、その分脳が柔らかく、ハートがシンプルだ。スパッと物事を識別出来るし、何と言っても身体が動く。こっちのように、舞台上でさえ、腰かけるところを捜すのとは訳が違う。

経験というのは、積み上げれば良い事で、失敗は成功の元。きっと終わったら、「アアすれば良かった」「もっとこうすれば、、、」といろんな事を思うと想うが、それが次なるものを生み出す材料となる。芸事に終わりはないし、完成ということもない。

 

良いものを、みんなで創り上げよう、と思う事が、もしかしたらそれだけが成功の鍵かも知れない。

2017年12月10日 (日)

遂にあと1週間。

狭い練習会場が、こけ枝師匠他出演者で一杯になり、その上新聞の取材まで入り、てんやわんやの練習となった。自分のクラスの練習とあって歌や演技の方もモチロンだが、とにかく公演全体の事が気がかりで、食事を採る暇もなく、3時から8時までぶっ通し。終わった途端お腹が空いて、ヴォイトレのW先生が毎日お肉を食べてよ、と言われていたので、同乗の3人で考えた挙げ句、「トンカツや」と決める。

しかし、夜の9時に食べてどうなの?という思いの我々に、ちゃ~んとオススメのサプリが!「食べる前に溶かして飲むと、コレステロールや、糖質皮下脂肪などに良い効果が!」と書いた物がテーブルに。勿論すぐさま注文。安心してジューシーなトンカツをむさぼる事に。

しかし、ちょいと食べ過ぎの感もありいので、お尻に根が生えて動けない。3人ともど~んと座ったままくだらないとも言えない、さりとて特別重要とも言えない会話を止められない。閉店間際になってようやく帰ろうか?となり、ヨロヨロと店を出る。メチャクチャお疲れモード。3人の合計年齢は200歳越えだからねえ~無理もない。

 

練習はやればやっただけの成果があるが、新たな問題点も浮き彫りになってくる。演奏会形式ではないので、歌だけ正確に歌っていれば良いというものでもない。しかし、余り動かず歌をしっかりと思っていても、歌で失敗する場面が多々あるのは、歌いながら動く訓練が今少し足りてないということだろう。動きたくても動けない。が、動かなくてはという思いは頭の片隅にいつもある。動きと歌をセットで覚えていれば、両者が助け合うということになるが、、、、。

 

結局、どれだけその役に近づけるか、そのラインを超えて、どれだけ役になりきれるか。完全にその役と自分が同化したときに訪れる快感こそが、オペラの醍醐味だろう。動きなんてものは、その人物であればこうするであろう動きであって、それ以上である必要は無い。

そう思って改めてネトレプコのアンナを映像で見てみると、本物!?と思わせるほどの演技力だ。演技しているという風に見えない切れ目の無い演技。

切れ目!これこそがしらけるかどうかの大きな境目だ。自分が歌った後に、音楽だけが流れるとき、次の自分の歌の出番をただ待っているという風にしか見えない「間」。これはよろしくない。少なくとも「目」だけでも演技してないと。人間は、誰しも精神を病んでない限り、「自分」を切れ間無く演じているはずだ。

 

ああ、明日も練習だ。寝よ。

2017年12月 9日 (土)

公演前の停留所。

素敵なパンフレットが完成した。印刷屋さんであり今回楽団員として参加して下さるA氏のセンスが光る作品となった。、、、こうしてほぼ全ての準備が整い、いよいよ日曜日から桂こけ枝師匠の登場だ。そして来週からは王様も東京からの登場。いやが上にも緊張が高まる。

という今宵、お嬢は職場の忘年会。イコールこっちは子守。これ幸いと、先日購入した本をマンションに持ち込みしばらくは読書。しかし、孫っちは一緒にあそぼ、という年齢。かろうじてお風呂だけは一人で入って頂いたが、ベッドに入るや否や本を読んで、と来る。「昆虫図鑑」でありながら漫画で解説していて、あっ、とかおっ、とかぎゃ~っ、とかが多く、そのたんびに布団から飛び出してきて本をのぞき込む。が、その内睡魔に襲われて、すやすやと寝息を、、、、するとようやく母親が帰宅。で、解放されて外へ出ると、さぶっ!!雨もぱらついている。

 

正直、昔から漫画というものをあんまり読んでこなかったので、妙に新鮮だった孫っちの本。読み聞かせているはずが、ついこっちが夢中になってしまった。続きを読みたいなあ~、とか思って居る。

しかし、今日は「私を離さないで」の続きだ。どんどん面白くなってくる。巧妙な書き方だが、それだけでなく心理描写が凄い。形の違う純文学という感じ。例の又吉の「火花」に共通しているように思う。

公演が終わったら、本を読もう、としみじみ思う。

2017年12月 7日 (木)

晴れた一日の短いこと。

夕飯時。夫から厳重注意を受ける。夫が帰宅したら、エアコン、電気ストーブ、電気毛布、全てがONになっていたというのだ。あっちゃ~。そういえば、そうかも知れない。朝遅めの朝食を取りながら、今日は何も無かったよなあ~と手帳を見ると、わっ!シェイクスピアの日だった。で、そのまま飛び出したんだった。今週は、こういうのが二回目だ。手帳に書いてあるにもかかわらず、それを見ないというのはどういうことか、と夫に言うと、それは忙しすぎて、深層心理に、「手帳を見たくない」というのがあるんだろう。と言う。なるほど、そうかも知れない。大いに考えられる。

で、月1の集まりは、後の昼食会も楽しい。うららかな晴れた街中散歩も全く久しぶりの事。12月らしく1番街辺りは人もほどほどに出ている。今日のお店は初めてのお店で、野菜が中心の女性向けランチ。まあ、どこであっても楽しめるのが我々だ。今日見た作品、「真夏の夜の夢」についてあれやこれやと漠然とした会話が弾むのを聞きながら、大学での講義の後のとりとめもない会話を思い出していた。同時に、ある女性がご主人を亡くされて一人暮らしが寂しくてたまらなくなってきた、と言われるのに胸が痛んだ。あれほどいろんな事に好奇心が旺盛だったこの方でさえ、どこにも行きたくない、何もしたくないと言われる。家にいると、庭の枯葉がカサコソと風に音を立てるのも寂しくてたまらない、と。信じられない変貌振り。内心では、公演が終わったら、お誘いしてどこかに行きたいものだと考えながら聞いていた。わが公演には来て下さるのだが、、、。境遇は教養で救えないものなんだろうか?読書好き、旅行好き、語学にも堪能で、とてもおしゃれな方。さぞかし、独身ライフを楽しんでおられるのかと思っていたが、、、、、。

ここでも話題になったが、イシグロ氏の「私を離さないで」という本を読み始めたというと矢張り皆さん読んでると言う。公演を控えた今の状況では、なかなか前に進めないが、みんなの話しでは相当面白いらしい。楽しみになって来た。

しかし、Tという最近出来た本やさんに孫達と昨日行き、寂聴さんの新刊を聞いて見たが、お取り扱いしてません,と言われる。まあ、若い人が多いのかも知れないなあ、このお店は。95歳の作家の本は売れないのか?お茶を飲みながらチョイ読みが出来るこのお店はお気に入りだが、一度としてゆっくり出来たためしがない。時間を考えず、こういう所で読書三昧出来れば良いなあ、、、、という生活が、あの方は出来る人だと思うんだけどなあ。。。なんか、残念。

 

公演のあれやこれやも同時進行している。が、なんか、漏れているような不安感が、、、、。今日のお喋りメンバーの中の一人とつくづく意見が一致したのが、「一日に出来る量が極端に減ってきた!」ということ。朝、一日の予定を立てても、殆ど完遂出来たためしがない。良い所半分くらい。おおお、明らかな加齢症候群。

そう思ったが、余りに悔しいので、一度帰宅してから予定通り買い物には出かけてみた。しかし、夕飯の食材を買い整えるので精一杯。隣の衣料品の方まで行く気にならない。その内夫から、帰りましたメールが入るのを潮に帰路に付く。既に外は真っ暗。結局今日は母の訪問は出来なかったなあ。

笑える話し。

毎度の事ながら、公演が近づき疲れが溜まってくると、みんな何故かおかしくなる。緊迫していても良さそうな練習時に、突然ゲラゲラ笑い出す始末。いやいや笑ってる場合じゃないよ、と言いつつ、全員どっか箍が外れたようになって、チョットしたことで笑ってしまう。実際笑いでもしないと、このストレスから逃れられないという想いもある。あと一ヶ月あれば、ある程度満足出来る仕上がりになるという想いの中、焦りが会場を充たしている。

時間が無い。

で、とにかくこの肩こりを何とかしたくて、メンバーを送り届けてから一人銭湯に行く。やっぱり大きなお風呂は良い。しっかり暖まって着替えているときに面白いことに遭遇した。

「お姉さん、お姉さん、ちょっと!」という声が近くでしているが、まさかこっちに言われているとは思わないから、しばらく放置していると、スグ側までその声の主はやって来て、「お姉さん、これあんたのと違う?」と言われる。いやいや、私は貴女様より年上の様な気が、、、、。は飲み込んで、その人の手を見たら見知らぬ靴下が。しかもピンク。んな訳ないじゃん!?とは言わず、なるべく顔を見ないようにして「違います!」とキッパリ。

フフフ、愉快愉快。これ、本日の一番の良い出来事か?

その時の自分の出で立ちは、それほど若ぶっていた覚えはない。グレーのとっくりセーターにグリーンのフード付きジャケット。まあ髪の毛はちょいと長くなってはいるが、、、、しかし、こういう事って、悪い気はしないのが、これ又面白い。そういえば、以前逆に間違われて憤慨していた友人が居たなあ。

とにかく、あたしゃ、50歳も若い役を頂いて居るわけで、少しでも若く見えるのは有り難い。アル方に、「良いのよ、オペラなんてものは、型ってものがあって、そこに入れてしまえば、実年齢なんて関係ないのよ。」と有り難いお言葉を頂いた。そう思って、役に取り組もうと思ってはいるが、、、、。

 

只今気分良く赤ワイン二杯目を飲み干した所で、今宵はもう寝よう。

そういえば、今月の短歌のお題は、「酒」だったか。

2017年12月 6日 (水)

平和でないと、オペラなんざあ、やってられない。

急に寒さが厳しくなった感がある。昨夜の練習で数えてみたら下着で8枚重ねの部分があって、それを同行者に告白して笑われたが、とにかく風邪を引いてはお終いだ。ヒートテックという有り難いものもあって、先日のバーゲンで数枚仕込んで準備万端。

しかし根本的に疲れていて、夕べは就寝後4時間でぱっちり目がさめ、しばらく眠れず、今朝起きてからリハビリのマッサージでも、腰の牽引でも、はたまた夕食後のチョイと休憩でも、しっかり爆睡して睡眠不足を意識せずに解消していた。結局人間眠れなかったら、その分どっかで取り返すんだろう。

で、今日夫がテレビ番組の録画を見ていたので、家事の手を止めて見入ってしまった。

「戦争の澱」というようなタイトルだったか。日本人が戦地に行ってしたことが、あるいはされたことが、未だに心の澱となって折々に吹き出すという。例えば、初めての戦地で、人を殺したことがない兵士達を集めて、木にくくりつけた中国人を銃剣で実際に刺して殺害するという訓練に参加したという人は人間の身体を貫く剣先の感触を、死体の上を歩けと言われ、実際歩いたときの足の裏の感触を今も忘れないという。それを語る人は嗚咽を抑えきれず、未だに深く傷ついたままだという事が分かる。しかし同時に、その体験後5分もすればその事実を忘れて次の作戦に入っていった、と語るのだ。

ある姉妹の妹に当たる人は、17歳の時、あわやロシア人に強姦されるという時に、18歳の姉がかばってくれて助かったという。しかし、その時の挽かれて行く女性達の声が未だに忘れられないという。この話しは、例の慰安婦の話を連想させるが、結局日本人も同じ目に合っているということだ。全ては戦争という大きな力の前に、抗えなかった人びとがいたということだ。

この番組は民放だったが、他にも沢山のインタビューを取り込んでいて、よくこれだけ取材できたものだと思った。樹木希林の淡々としたナレーションが凄絶な現場を想像させるに充分な迫力をもって迫る。

ここに登場する人たちは皆、80歳を超えている。、、、こうしたことを語り継いでくれないと、全く戦争を知らない人だらけになってしまう。知らないと言うことは怖い。その上、想像力のない人はもっと怖い。過去の歴史に学ぶという姿勢がなくては、人類の未来は無い。

 

今やっているオペラ、史実として有名な、ヘンリー八世の話しだが、結局この暴君のしたことが、後々のイギリスの反省材料にはなったのだろうか。今の王家を見ていると確かに変わっているようには思える。

別に宗教家でなくとも、「人は常に,よりよくなりたいと思って暮らして居る。」筈だ。いつまでもオペラがやれる時代であって欲しいものだ。

2017年12月 4日 (月)

今日は暖かかった!

先日チャリティで見た映画を,タイトルを教えていたのでアマゾンの無料サイトで自宅でテレビを見たという娘から、ゲラゲラ笑いながら電話が掛かる。しばし二人でその感想を語り合い、最終的には、「しっかりしたテーマを持った良い映画だった。」という結論に。

昼間は、母を連れて孫共々ランチ。お腹が空きすぎていた孫べえは、「コンビニのおにぎりで良い。」を連発して、遂に食事前に一個食べてしまう。でもって、パスタ屋さんに行きチャンと食べてるから、まあ食べる男の子は安心だ。

今日のポカポカ陽気に穴蔵から引っ張り出すように母を連れ出したが、施設に送っていくとみんなでカラオケをやっていた。母は以前500曲は歌えると豪語していたのに、そちらの方をチラとも見ずに自室に入る。「歌えば良いのに。」と言うと、嫌々と手を振って拒否する。音程が取れなくなり、声がかすれるのをしばらく前から異様に嫌がり、孫を連れてのカラオケでさえ、歌おうとしない。その時は無理矢理一緒に歌ったぐらいだが、寂しいことだ。この私もいずれそうなるんだろうか?いや、なるんだろうと想像できる。どんどん覚えが悪くなり、声が怪しくなって来ているのを感じている。いつか、これがコンプレックスになっていくのかも知れない。

今日も、朝からあれこれやった結果、マッサージ機に突入して1時間以上寝たようだ。起きてみると声変わりの犬のような声になって居る。ホンのささいなことをしたことで身体が疲れ切る。数年前と比較しても全く違う自分が居る。これからはホントに限られた時間しかないことを痛感している。

昨夜は練習帰りに思い切って一人で温泉に行く。とにかく熟睡したいが為だった。それは結果的には大正解。久しぶりに6時間ぶっ通しで眠れた。しかし、土曜日だったため、観光客に占拠されていて、地元民は小さくなっている感じ。特に大阪のお姉ちゃんグループには参った。湯殿一杯に拡がり我が物顔に占拠している。露天風呂なんかは、足湯の如く座り湯殿を取り囲んでいて入れない。確かにお湯に浸かってお喋りは楽しいし、会話も弾むけど、他の人のことも少しは気にしてよ、と言いたくなる。

おまけに最後の脱衣場まで、同じ時間帯になってしまい、これ又遠慮も譲り合う精神もなく、周辺に待ってる人が居ても知らんぷりで着替えてくれる。讃岐の人たちはシャイというか、奥ゆかしいというか、じっと待っている。その全ての場面で、「これが永遠に続くわけではない。我慢してれば、その内必ず彼女たちは出て行く。」と我とわが身に言い聞かせる始末。勿論やがてその時は来たが、、、、。

 

今日は、総合芸術としてのオペラ公演の為に、衣装の考察。主役達の衣装とアクセサリーなど完成。自分の衣装もほぼ完成か。カツラの洗濯も終わって、あとははエアーメイクのTさんと打ち合わせるのみに。たまたまやってきたロシュフォールにぴったりなかつらがあって、その足でブーツの購入にも同行する。彼?彼女?も完成。男装は難しいがなんとかなりそうだ。

今パンフの修正箇所を送信し、明日は広告を頂いた所に集金と領収書持参だ。まるで防備禄のようにここに書いているが、こうして反芻してないとすぐ忘れる可能性がある。

そうだ、粗大ゴミを明日早朝に取りに来るのを思い出した。今のうちに出しておかないと!,,,てな具合だ。ふ~っ!

2017年12月 3日 (日)

総合芸術。

オペラは総合芸術だと言われる。いつものことながら、こうして上演前が来ると、その想いが強くなってくる。これまで出演者による歌がメインの練習が主。今日も、楽団の練習に参加しているため、どうしても歌が中心。しかし、先日くしくもANNA役のM女史が口にした言葉、「お客様は音符は見てないんだからね。」という非常に説得力のあるお言葉。乱暴な言い方だが音符通り歌えても、それがどうしたの?ってところだ。

勿論指揮者が率いる楽団と合わなければそれは困るが、それを超えたところこそが大切なのではないか。一寸前に、相談役のH先生宅で、有名な指揮者と楽団によるコンサート形式のオペラの模様をテレビで見せて頂いたが、歌手達は自由に歌っている。指揮者が大困りなのは見て取れたが、観客は大いに盛り上がり、感動している様子がうかがえた。

勿論大歌手ならではのことだろうが、文学,特に詩でいうところの、「行間」の感じ方、ここが面白いのではないだろうか?十人十色、歌う人によってそれぞれ解釈が違ったり、奥行きが違うなかでの表現だろうか。

今日も、複数の力のあるソプラノの歌声を聴きながら、ホントに歌は面白いと思ったことだ。そしてオペラに於いて最後は声だなあ、とつくずく思った。声を聞くだけで、それだけで感動出来る。

今頃ではあるが、,,,ドニちゃん、なかなか良いジャン!?てところだ。要所要所でチャンとそれぞれの声の力を発揮出来る様に作ってある。最初は「難しい」が先行しているばかりだったが、この期に及んでようやくドニゼッティの面白さが分かってきた。(おそ!)

 

ま、最後まで一気に仕上げるのみだ。

2017年12月 1日 (金)

今頃映画。

日々、追い立てられるように過ごしているが、そんな中、昨日は思いがけずチャリティというので協力させて頂こうと出かけた映画が、最近にない面白さ。サンポートの、間もなくわれらが舞台での映写だった。「箱入り息子の恋」というタイトルの、多分普通に映画館なら行かないだろうものだったが、なかなか良かった。

非常に真面目で、市役所では無遅刻無欠席の几帳面だけが取り柄の若者が、親の薦めでやむなくお見合いをし、全盲のその女性に恋してしまう。この、家ではゲームしかしてない一見無能に見える若者が、お見合いの席で、無礼な言葉を吐く相手の父親に対して良い事を言う。

「お嬢さんは全盲ですが、お父さんに見えないものが見えていると、僕は思います。」、、、恋の始まりだ。

この日から、その女性の母親の協力の下、恋が発展していく。真面目一方だった彼の変貌振りに驚く職場の人たちなど、周辺の人びとが隅から隅まで面白い。セレブと普通の家庭の両家の両親達の人生観も、親離れ子離れの話しも、テーマはさして新しくはないのに、全てがすとんと見る人の心に届く。何故結婚しないのか?と問い詰める親に対して、「いままで何度も言ってるだろう?僕はそんなめんどくさい事しないことに決めたんだ。だから老後のためにチャンと貯金しているだろ?心配しないでくれ!」ととりつくしまのない息子を前に、暗澹とする両親。そして婚活に行くわけだ。

ストーリーに無理がないせいかもしれない。いや、映画らしく、彼が相手の親ともめていて彼女を救うために突然交通事故に遭遇したり、よじ登った彼女の部屋のラブシーンを見つけられて父親に殴られ、まるで蛙のように真っ裸で芝生の上に伸びてしまうの図、などそれは確かにちょいと現実離れしていると言えなくもないが、しかし、そのハプニングの前後の処理が素晴らしく自然体で、「そんな事ってある?、、、あるかもねえ、、、、あるある。」ってな具合にいつの間にか観客はその中に入ってしまえる。

とにかく、寝るどころではない。もう最初から面白くて、ついつい声が出てしまう。そしてクライマックスでは、殆どの観客がゲラゲラ笑い、手を叩き、、、、信じられない光景だ。

 

急な誘いに付いてきたHさんも涙ながらに見終わって、良い映画に誘ってくれて有り難うと御礼を言ってくれるほどだ。そして彼女は言う。「役者さんて、凄いよねえ。こんなに人を笑わせたり泣かせたり出来るんだから。。。。」

 

さ、我々も、本番では一応役者でもある。この感想の1%でも頂ける様に頑張らねば。。。12月に入っちゃった!

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