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2017年10月

2017年10月31日 (火)

お医者様。

昨日は遅れに遅れた健康診断に行き、インフルエンザ予防接種も受け、有り余ってる血液を三本も抜かれ、検便のご指示を頂く。で、ショックだったのは、身長が激チヂミしていたこと。なんと6センチほども低くなっている。以前整形外科の先生に、あなたはすべり症になるでしょうねえ、と予見して貰っているのを思い出し、一気に危機感に襲われる。どうりで高い棚の奥に手が届かなくなり、とっても不便になったはずだ。

なので、今日は近くの名医と言われる先生をお訪ねすることにした。すると、大変紳士的な医師で、まずは、「初めまして。私が診させて頂きます。」から始まり、非常に丁寧なもの言いに驚いた。こちらの訴えを丁寧に聞いてくれるばかりでなく、それに対しての的確な診断を下してくれて、対処法を縷々説明してくれる。看護師さんたちやリハビリの担当者たちも物腰が丁寧なのは矢張り先生の影響だろう。受付嬢にしきりに感心して、「近頃には珍しくあんた達親切よねえ~!」というおばさんが居たくらいだ。

骨粗鬆症かと心配したが、これは全く無用の心配だった。同年齢の人との比較で128%だし、若年の人との比較でも95%。リハビリでの指導では、呼吸法を教わるが、女性にしては珍しく正しい呼吸法が出来ていると褒めていただく。

しか~し、背骨の感覚が狭くなっている箇所が数カ所あり、それが災いしていることは間違いない。従ってコールセットを作る事には相成った。まあ転ばぬ先の杖。これで何とか舞台に穴を空けずに済むかも知れない。

 

とにかく健康は大切だ。当たり前だが。。。

2017年10月29日 (日)

久しぶりの温泉。

ついに首が回らなくなった。あごも、顎関節症かと思う程に痛い。食べるときも喋るときも痛く、今日は温泉に入ってみた。これで改善されると良いのだが、、、。

その前にやってきた友人と互いの夫の言動について喋っていて、余りに似ているので大笑い。二人ともまるで重病人の様に訴えが多い。彼女はメールで言ってくると言い、それを見せてくれるが、こっちはメールじゃなくて態度で示してくれる。不思議なことに内容はほぼ同じ。「疲れ過ぎている」「そこかしこが痛い」「身体が重くてちょっと休みたい。」「生あくびが度々出るのは、脳に問題があるからかなあ?」etcこれ全て彼女の夫からのラインメール。それに対する返事がおもろい。大体3通くらいはスルーして見てない。たまに心配してる風を装っているのが丸わかりの文章。「それは大変ですね。早くお休みなさい。」「お大事に~」てなもんだ。

結論。「男は弱い。」

確かに、そんなこと言ってられないのが我々だ。主婦業も仕事もあれこれやっていて、多少の身体の不調なんか、首をグルグル回して、「しゃあない!」とばかり家事などやっつけているのが現状だ。台風のおかげでこっちも頭は痛いし、気分も優れないが、そんなこと言ってられない状態だ。

自分から病気を捜している感じがしてしょうがないのだが、我等が夫どもは。

 

昨夜は神戸まで仕事で来たからと半日の帰省のためにやって来た息子を囲んで、母も一緒におうち宴会。娘も当然親子でやってきて6人の料理に全力投球。昔は20人分くらいは平気だったのに、これだけの人数でも疲れた~。ま、みんなが喜んでくれたのが何よりだったが。お袋の味、ねえ~。これに騙されて、頑張るワタクシではあった。

 

おかげで昨日のちぇち練はお休みさせて頂く。とにかく段々あれもこれもが出来なくなってきている、。

ちぇちぃりぁは明日の練習から、怒濤のような練習が始まる。おまけにこちらは同じ日時でK画伯の公開展覧会のお手伝いまで入って居る。半日しかお手伝い出来ない分、友人達に出張って貰い、何とか穴埋めする予定。一昨日その会場を特別に見せて頂いたが、驚くほどのエネルギッシュな作品群にしばし声を失う程だった。画伯の人生が詰まった、大作ばかりだ。一体画伯の頭の中はどうなっているんだろうと、唸ってしまった。

自分を見限ることなく、やるべき事をやっている潔さ。、、、、こうありたいモノだ。

2017年10月26日 (木)

自画自賛。

年を取るということは日々色んな物と闘わなくてはいけなくなるということ。昨日なんかも練習から帰宅して、山盛りになった流し台を前に茫然とする。そう言えば、行く前に夫が食事を早めに食べると言うので、バタバタと作って食べて、そのまま飛び出したわけだ。当然の様に無残な台所。しかし、これを片付けておかないと、明日は明日の風は吹かないのだ。我が家の場合。

練習自体も体力勝負だ。何もかも以前のようには行かなくなってきている。自分のハエも追えないのに、どうしても他人様のことをやらなくてはならない。そもそも自分の衣装さえ未定ときた。

「みんなで力を合わせて良い物を作る」というのがちぇちのメンバーのスタンス。言い換えれば、「一人一人が持っている力を出し合って完成させる」ものであって、命令する人がいる訳ではない。それぞれが、良い資質を持ち寄り、それぞれの個性で作り上げていくものだ。かくも大人な団体なのだ。とはいえ、指示系統がハッキリしてないわけではない。混乱を回避するために必要なことはやらなくてはならない。

そうした中で、小道具類は次々と出来ているし、大道具に準じるものも完成間近。衣装もほぼ出来ている。今日は、各マスコミを回り、記事の掲載を依頼してくれたメンバーもいる。舞台のセットや背景の図面も今日出来てきた。

一方で広告を必死で集めてくれている人もいる。ホントに有り難いことだ。

表には現れないお役目だが練習会場のセッティングは我々のような団体には非常にやっかいだ。条件が整わない会場はいくらでもあるが、そうはいかない事情がある。「騒音問題」「ピアノのあるなし」「広さの問題」「会場費の安価な場所」と色々制限がある中で、西へ東へと会場取りに奔走してくれているメンバーもいる。

そして諸々のスケジュール管理。これが無いとみんなが動けないわけだ。

毎度の事ながら、よく遣れている。

 

いつのまにか来年は30年だ。

2017年10月24日 (火)

交代の時。

今日は夫の誕生日。ということに気付いたのは朝のこと。言葉のお祝いをしてからまあ今宵は娘達を招いておうち宴会だねえ、と午後になって母を訪ねたときも本気でそう思っていた。夫の好物を思い描きながら買い物もした。が、いよいよご飯を仕掛けてちぇちのお仕事に手を付けようとしたその時、ハッと思い出した。そうか、今日は夜舞台関係の人たちと打ち合わせだった。ぎゃ~っ!とばかり、まずは娘に電話。どういうわけか余りお怒りにはならず、終末に兄ちゃんが帰った時に一緒にやれば?と言う。なあ~るほど。そりゃあ良い考え。で、そこから大忙し。とにかくバタバタとやっつけて、15分遅れで到着。今回も映像でお世話になるT氏に遅れるメールを送って正解。皆さんで談笑してくれていた。やがて今回の演出Mさんも到着。本腰で公演についての取り決めやらアイデアの出し合いをする。

結果、大方の構成やらプランのおおよそが決まった。事前の準備のための会場が充分使えないことなど、制約のある中、如何に良い作品に仕上げるか、、、、今回も照明さん、舞台サンのお力に大いにすがることとなる。

皆さんには事前に、自分の引退について、後任の育成についてお伝えしていた。暖かい目で協力して欲しいと。その流れでの話し合いは思った以上にスムーズに進んだ。初めての「悲劇」をどう見せるか。それぞれの立場から次々とアイデアが出され、演出家としてのM嬢も空想が現実の色に染まるのを感じたのではないか。

とにかく「発想」がないと何も描けない。その意味で、若い人には少ない「舞台好き」の彼女。きっとこれから良い物を作り出してくれることだろう。

帰路、車に同乗してきたM嬢は先日の全国規模のオペラに関するイベントでお勉強してきたことを熱心に語ってくれる。彼女の話を聞いていると、日本のオペラ業界も大きな転換のうねりが起きているのかも知れないと感じた。これは大いに歓迎すべき事で、この小さな団体もこれから新たなビジョンを持って自由な発想で時代の波を乗り切っていけばよい。歌舞伎の世界でもアニメが登場してきている時代だ。

若いと言うことは、ホントに良いなあ。心と頭が柔らかい。良い環境さえ整えば、素晴らしいものを作ることが出来るだろう。

誰だって、一生だ。遣れることは惜しみなくやって欲しい。限界は無いと思えるのも若い内だ。

2017年10月23日 (月)

台風・選挙・ワル。

昨日今日と荒れに荒れた日本列島。台風はまだ去ってないから、これから影響を受ける地域もあるんだろう。が、選挙の方は一応終わった。なんだかねえ。むむむな結果だけど、とにかく終わった。これで諸々が良い方向へ行ってくれればよいが、、、。

昨日は久しぶりに地元では歴史のあるミュージカル団体の公演を観た。きっと顔見知りに会うと思って、オペラのチラシを持参。案の定懐かしい人二人に出会う。「私の最後の舞台、見に来てね。」と言うと、「またまた、、、ちいっとも変わってないやん!」とお世辞が上手くなったT君が如才なく席に案内してくれる。ロビー回りを一手に引き受けているらしいMさんは、満面の笑みで近寄ってきてくれる。みんな元気で頑張ってるんだ。

この団体はダンスが売りの一番だろうが、長らく見てなかったが全体にセンスアップしていて、若者の機敏な動きに引き込まれる。あのスピードで手足が動くのは、若くないと出来ない事だ。そして我々もお世話になる証明さんと道具さんのお仕事が素晴らしい。あと2ヶ月足らずでこの同じ空間に立つかと思うと、信じられない思いだが、、、。

この脚本家U氏は昔からいわゆるワルを扱う。世の中のはみ出し物、押さえきれない激情のままに自らの意志で、又は成り行きで悪の世界へと入って行く若者達。そのバックに必ず描かれるのが戦争であり、社会のカオス。舞台にこれでもかと不条理を描く。作者は丁度このワタクシと同年代だと思うが、同じ時代に同じ映画を観て、同じ事件を共有してきた人間として、多分そうでない人よりは分かるような気がしている。

アートに例えると、この劇団の作品は「現代アート」のようなもの。好き嫌いはアルだろう。分かろうと余り難しく考えない方が伝わってくる物がある。、、、チンピラ風のいでたちで気取っている若者達を見ていると、うちの孫べえが、ブレザーに帽子、サングラスまで付けて外出したがるのとダブって見える。人間生まれつきちょい悪、ってものに魅力を感じるんだろうなあ。

しかし、以前は沢山あった劇団はどこへ?一昔前は活気があった世界だが、、、、。

2017年10月19日 (木)

雨が続く。

この天候にノックアウトされている。絶えず眠気に襲われるし、頭が痛い。何をしていても気が付いたらウトウトウト。

しかし、今日は初めてコインランドリーに大量の洗濯物を持ち込んで乾燥した。まだ要領が飲み込めないから少し湿り気が残ったものもあったが、大体満足。約1時間半の間に、近くのうどん屋さんでお昼を食べ、自宅にとって返し、COOPを受け取り、再び現場に戻り、空いた時間は車の中でCDを聴きながら少しでもお勉強。

夕方までの時間はこの洗濯物の後始末であっという間に過ぎる。

夫と夕飯を食べ終わっても今日のお仕事は終わらない。某コンサートにチラシの挟み込みをお願いするべく雨の中車を出す。

全く止む気配の無い雨の中を、前方に濡れながらカップルが行く。多分二十歳前後。男性は自転車を押してしきりに彼女に話しかけている。彼女もそれに答えているように見えるが、、、、近づくとヘッドライトの中端の方に二人身を寄せてこっちの車をやり過ごしたが、あのお二人さんはどういう状況だったのか?雨に濡れて歩くと言う行為は、「気持ちが沸騰している」か、「怒りに燃えたぎっている」か、「感情が冷え切って感覚が無くなっているか」、、、どれかのような気がするが。。。。想像力をかき立てられた一瞬だった。ま、青春しているのは間違いないだろうねえ。

 

今日は嫁りんから嬉しい便りを貰った。丁度ご機嫌伺いの手紙を出したいなあと思っていて、以心伝心の格好だ。

内容は、子供達の近況報告が中心で、ほのぼのとした内容。元気で無事。これが何より。そして、最近吾が友人Kの亡くなったことに触れ、結婚式の集合写真に写っているのを改めて見てあの笑顔にもう会えないのは信じられない思いだと、、、。水戸の我が家に止まってくれて、子供達とも暖かく楽しく接してくれたことを思い出すとも。彼と結婚したから出会えた、とも。、、、、この優しい文面に改めて、友人Kの事が思い出され、思わず泣けてしまった。本当に彼女はうちの家族同様だった。

 

昨夜の練習もやればやっただけのことはあるんだが、、、、。なんだか、これまでとは違う乗り憎い音楽だ。悲劇という割に音楽は派手で軽快だったりする。な~んてこといってる場合じゃない。とにかくやるっきゃない。

今日もメンバーが宛名シールを印刷してくれたから、明日はそれにDMを挿入する作業だ。広告を頂きに奔走するのもあるし、、、、いやはや、72歳にはキツイ!

2017年10月15日 (日)

雨でも問題無く動いた一日。

あまりに寒いため、只今ホッとワインを作って飲みながらパソコン。色んな書類の作成が終わり、ホッと一息。こっちから印刷志手~と送られたMさんは今頃格闘しているようだが、、、。

朝から孫べえが来ないのを幸いに、自由に仕事をして、自由に出かけて、ちぇちの用事も済ませ、一人鏑木清方の展覧会にも行った。日本画の、特に美人画に余り興味が無く、行く気は無かったのだが、アル方からチケットを頂き突然の空き時間にやっぱり行こうと決めた。

今日が最終日とあって、結構な人が来ていた。といっても東京などの展覧会場とは雲泥の相違だ。じっくり観賞出来たし、思いがけず鎌倉の鏑木美術館学芸員の方の講演もあり、収穫があった。

余り期待せずに見始めたが、途中で、「おっ?」と思う絵が。本来の日本画画家とはひと味違う。この人が現代に生きていたら、どんな絵になったのか?と俄然興味が湧いた。、、、そして学芸員のお話だ。

やっぱり、この作家はレジスタンスの持ち主だった。職業として美人画を描いていても、どこかでそれに飽き足りない表現方法を模索し続けたようだ。そもそも美人画家と呼ばれるのを嫌っていたそうだ。父親が作家だったのもあり、文章にも大いに興味を持っていたようだ。挿絵や本の表紙絵も多く、小説の中や、歌舞伎の中の登場人物を数々画材に使っていて、それも面白かった。文章から映画監督のように人物を想像して描ける才能があったようだ。

しかし、個人的にはやっぱり物足りない。要するに美しすぎるのだ。それも画一的な美しさ。一枚二枚が家にあるのは良いだろうが、各部屋に幾つも掛かっていたらゲンナリするんじゃないかしら?な~んてね。独断と偏見だ。

 

朝からの雨でむち打ちだろうか、頭が痛く、ゆ~うつだったが、美術館を出るときには少し晴れ晴れ。もっと時間があれば、常設展も行けたが、次なる予定があった。

それはスマホについての相談に今日こそは行きたかったのだ。が、二つの用件の内一つしか解決しなかったなあ。スマホの画面一杯に突然ワケワカメの文字が並ぶ。これを消そうとすると前に開いていた部分も消える。いつも出るわけではないので、ショップに着いた時点で、その画面を見せられるようにとあれこれやったが、何故かそういうとき出てこない。仕方なく事情のみ話したが、やっぱり分かって貰えなかった。医者に行ったら腹痛が治った、みたいな。,,,結局、この件はぶ~で、今になってその画面が出て来ている。やれやれ。

もう一つは、非常に良い結果に。

永年会員にとくれたプレゼントポイントでスマホなどとデザリング出来るスピーカーの使用方法が分かったのだ。こういうものは若者は得意中の得意。ニコニコしながら丁寧に教えてくれたので、「スイマセン、お手間を取らせてしまいました。」と御礼を言うと、「仕事ですから。」と最敬礼してくれる。ま、気持ちは良いわねえ。この対応。

そして帰宅して使ってみるとバッチリ。スマホで録音したものが大音量で聞ける。うっかり、「明日の高松の天気!」とスマホに呼びかけるとそれも大音量で返事が!アッチャア!使い方を間違わないようにしなくては。

2017年10月14日 (土)

色々ありまする。

疲れ過ぎて、空中を浮遊している感じ。だから、身体はすいすい動き、夕食のあれこれや後片付け、栗を茹でたり野菜のストックを作ったり、、、、妙に動いている。

そして次々とメールの処理をしていて、もの凄く懐かしい人からFBのお友達リクエストを貰う。作曲家だが、そのお人柄のままに、美しい身体に良さそうな音楽を創る人だ。近頃、就寝前には必ずユーチューブで癒し系の音楽を聴きながら寝ているが、今宵はこれだなあと思わせてくれる作品がアップされていた。今夜はこれだ。

 

朝は孫べえの参観日で、午前中の時間が取られる。まあ、母親は2時間だが、こっちは1時間の立ちっぱなしが限界。ようやく終わって今度はバザーがある体育館へと移動。何が驚いたって、まだ10分前だけどちょっと早めに行こうかと娘と行きかけたが既に体育館の回りには長蛇の列が出来ている。顔を見合わせながらも、仕方なくその列に並ぶ。やがて時間となり、脱兎の如く走る父兄達。こっちは何が何だか分からずどこから出発して良いかも分からずおろおろ。娘は予約してあったパンを取りに行ってしまって後は最後まではぐれっぱなし。少し落ち着いて見渡したところ、広い体育館の床にほぼ一面に並んだ数々の品物。それに群がっている母親や父親。なんという人数。中にはこっちのように祖母らしき人もいる。祖父の姿は見なかったような気が、、、。

大して袋に入れてもないのに、汗びっしょり。こういうのが最も苦手なタイプ。バザーだからなるべく買って上げたいとは思うが、不要なものは流石に欲しくない。止せばよいのに、一番重そうなお風呂に入れる「湯ノ花」を袋に。誰も手を出さないのも当たり前。重い重い。でまあコーヒー豆や掃除関連の品物など購入。、、、もっと上手に展示してくれていたらもっと買ったかも知れないが、中腰でウロウロはキツイ。這々の体でレジに並ぶと娘がやってきて、こっちも只今断捨離中とかでほぼ買ってない。眺めればいつの間にか品物が少なくなっている。

後から思えば、近隣のケーキ屋さんやパンやさんなど、色んな有名店からも出品されていて、流石この地区ならではの品揃えだったのだが、ほぼ恩恵を被らないまま帰宅した。が、夕食後に夫にその湯ノ花を見せると殊の外喜んだから、ま、良いとしよう。

通学路を歩いて帰り、マンションに着いたときは既に何もしたくないほどに疲れていた。が、午後は歌の練習だ。

娘の車で街中まで出かけ、ランチを食べてからその車を拝借して練習会場まで。とにかく歩きたくないほど疲れていた。矢張り、残念ながら一日に一つだ。

今日は初めての会場だったがみんなくつろいで練習が出来たように思う。合間合間に演出上の打ち合わせも済み、ようやくホッとした。こんどはこれを専門家に伝え、ディスカッションして形にしなくてはならない。いやはや、遂に突入の感がある。

 

まだこれから主立った人に書類やらチラシやらを送ったり、それにはお手紙も付けねばならず。。。ホントに出来るの?って感じ。明日は残りのチラシを取りに行き、、、、。ま、やるっきゃない。

2017年10月13日 (金)

コスモスの咲き乱れる羽床辺り。

今日は午後から、おうちの回りに花が色とりどりに咲いているH先生宅でのお歌の練習日。当然のことながら、今度のオペラのおさらいだ。要するに絶対時間というものが必要なんだ。何回も繰り返し練習して初めて光りが見えてくるような類のものだ。今日は少し光りが見えた気がした。が、自分の場合は体調の方も心配だ。このまま一気に本番まで突っ走り、よもや舞台で倒れる、なんてことが無いように健康管理をしておかなくては!

愉快だったのは、奥様がお庭に設置してある野犬を捕るための仕掛けを見せて下さって、ウインナーなど入れてあるけど、上の方から眺めるばかりでちっともおいぬ様はここに入ってくれないんですよ~、と仰る。猫は入りましたけどね。とも。今頃捕まって、夜中泣かれても困るので、もう今からは閉めますと言われて、家の中で練習していると、大きな野犬が確かに悠々と庭を横切って消えた。思わず私と先生はニヤリ。ピアノに向かっている奥様と、同行の義妹は気付かず音楽に集中している。これはおいぬ様の方が役者が一枚上かな?

 

夕方、夫が飲み会というので街中まで運転手。一人なら今日はさぼってクックチャム、と立ち寄って、しなくても良いのにお嬢に電話してみる。すると意外にももうお腹いっぱいだから何も要らないとのたまう。拍子抜けして自分おためにのみ海渡との得ると、再び電話が。孫べえがどうしてもみっちゃんに見せたい物がアルとかで、寄ってくれと言う。何事かと思い訪ねてみると、組み立て玩具を自慢そうに掲げて持って来る。ひとしきりそれをひねくり回して見せるのにも飽きて、今度は一緒にお風呂に入ろうと言う。いやいやそれは勘弁。着替えも持ってないし、第一お風呂に入ったら何も出来なくなっちゃう、と拒否してみたが、どうしてもとだだをこねる孫の前には弱い普通のおばあさんだ。結局亜ワイワイ言いながらお風呂に入り、尚も、本を読んで、と言うのを振り切って帰ったが、案の定予定していた冬物夏物の入れ替えは途中でダウン。やれやれ。

 

明日は午前中の参観と、午後からの練習で終わりそうだ。

雨は止むかしらねえ。

2017年10月12日 (木)

雨上がり。

どうも夏の疲れが出ているようで、身体がだるいし、頭がもやもやしているので、思い切ってジムへ。こうして何かをするのにも一々思い切ってと付けなければならなくなっていることにうんざりするが、、、。

たかだか30分の運動でも汗をじっぷりかいて、帰宅してシャワーを浴びたら矢張りすっきり。ただ休むよりは良かったかな?

 

で、本日の夕食は、娘家族と我々夫婦、それに施設から母を連れ出しての会食となった。何が驚くって、母の食べっぷり。そもそも偏食というものが無く、本日は婿殿のお薦めメニューで前菜からニンニクたっぷりの魚介類のイタリアン。パスタやピザ、チーズもりもりの焼き野菜、最後にはメニューになかったリゾットまでシェフに無理を言って作ってもらい、その全てを味わった母。娘が横について、「食べ過ぎないように!」気を付けるという健啖家。何を食べても美味しいを連発。帰りに送っていく車中で、「ああ、良かった,良かった。」を連発していたところを見ると、食べることもそうだが、一番はみんなで和気藹々と時間を過ごしたことが楽しかったようだ。

婿殿もおじいちゃん、お婆ちゃん子で、年寄りを大切にする。この美点は子や孫にずっと受け継がれていって欲しいなあ。これこそが幸せの連鎖だ。

 

すっかり雨のあがった夜の舗道を喋りながら走るとあっという間に施設に着く。もう付いたのか?と驚く母。後ろ髪引かれながら、お休み~と別れる。

さ、明日はお歌の練習日だ。ガンバルベ。

今日は練習日。

本日は男前のW先生のレッスン日。びしびしと進めてくれて例によっていつもとは空気が違う。ご自分でもコーラスを持たれて、年上の人など遣りにくい素人を相手に長らく鍛えて来られているその指導力は半端ではない。女性であることを忘れる時もある。

ホント、こういう方々に支えられてのちぇちぃりぁだ。この貴重な時間を大切にしなくてはならない。

それにしても難しい。先生さえ唸る程のオタマジャクシ。檄を飛ばしつつも諦めないように指導してくれる。この作品を乗り越えたら、どんなのでもやれるのではないかと、帰る道々話した事だ。

とにかくやるっきゃない!

 

今日は娘が色々検査を受けに大学病院へ行き、その帰りを迎えに行き、「被爆したから」とかで、半日孫守。こうして日々こき使われながら、この子達があのまま東京に住んでたら、私は一体どうしてたんだろう?何が出来たんだろう?と時々不思議な感覚に襲われる。離れているときとは全く違う感覚。彼らの生活の全てが自分に取っての現実となったわけだ。

検査結果はまだ後日書類だそうだが、こういうことが出来る様になったのも、良いのか悪いのか?いつも病気を探して無いといけない。が、確かにそれで見つかる怖い病気もあるからねえ。ま、しゃあない。現代人の宿命かも。

 

明日は、母を連れ出して外ご飯の予定。

ということで、又あれもこれも先送りとなる。ん~む。

2017年10月10日 (火)

読書の秋。

以前なら、過去に読んだものを忘れて又読もうとするなんてことは無かったが、そして、過去に見た映画も殆どのシーンを覚えていたはずだが、、、、。近頃では、アマゾン映画で昔の映画を見始めて、かなり経ってから、あら?これ前に見たわ、とおろろくことが増えた。しかし読書は流石にそれはないだろうと思ったら、矢張りこの現象が起きた。ショック。

菊池寛の「真珠夫人」。先日のコンサートのバザーで本著と解説書がセットになった物を購入。名前は知っていても絶対読んだことはないという思いだった。が、矢張り読んでいた。ま、解説書があるから別に購入したことは悪くなかったと思ってはいるが、ムムム。

しかし、若い頃に読んだ物とは、明らかに解釈が違うというか、感動する場面が違う。その意味でとても新鮮だった。だから、別に繰り返し読んでも良いのだ。

この小説は改めて面白いと思ったし、一番驚いたのはスピード感が半端無く、昔の小説のまだるっこさが全く感じられず、今の若者が読んでも充分面白いのではないかと思ったことだ。登場人物が全て美男美女というのが、あの作者の風貌からして、コンプレックスの裏返しかとも思うが、解説書にそんな事が書かれてあると面白いんだが、,,。

人物描写が細部にわたり丁寧で、それなのにちっとも飽きない。それ以上に繊細なのは、登場人物の細やかな心模様の描き方だ。これは凄いと思った。是非若者に読んで欲しいと思ったが、昨夜どっかのクイズ番組で、東大京大の大学生が読みたい本トップ20?30?の名前が出ていた中には無かったなあ。サンテグジュペリが2位とかだったのは、さもありなんだが、、、。

この「真珠夫人」の中に、学生達が議論する場面があって、「尾崎紅葉の金色夜叉」が通俗小説か芸術作品かと大論戦を交わすのだが、こういう部分には菊池寛の考えも当然投影されているはずだ。果たして彼がどう思っていたのか、、、これは解説書を読ませて貰うとしょう。

 

偉大な作家が日本からも沢山出ている。夕べのあの番組のトップが漱石の「こころ」だったのは、なんだか嬉しかったなあ。

喜怒哀楽。

兼ねてから自分には喜怒哀楽の怒がないと思って来ていて、娘から見てもどうしてそう居られるのか?と聞かれたことさえある。これは生まれ持った性質もあるだろうし、長い間に人生にとって大切なものは何かを取捨選択していく内に身についた処世術かもしれない。思い出してみても、子供達に怒りをぶつけた記憶も無いし、ましてや他人様にそういう姿勢を見せたこともない。怒り方を知らないとも言える。

とはいえ正義感から考えを主張することはままある。が、これは意味合いが違う。

「怒」は元々の成り立ちとして、女の奴隷が心を緊張させるということらしい。昔の女性は良く怒っていたのか?奴隷ということは、人に仕える女性ということだろうが、鬱積した物が爆発するという意味合いもあるのかも知れない。

しかし、怒抜きの暮らしは自分には気に入っている。喜怒哀楽の全ては回りの人に影響を与えずにはおかない。怒が与える事を考えると、そうそう簡単に怒るものではないだろう。怒るすなはち感情のコントロールを無くしているということ。そうなってしまっている人を見ると、むしろ憐れに思える。

たかだか永くても一世紀しか生きられない人間。怒抜きがよいと思うけどねえ~。

♪どはドーナッツのど~~~,これに限る。

2017年10月 7日 (土)

年寄りって、何歳のこと?

95歳の叔母から夕食が終わった頃に電話がある。他人から頂いたパンがあるから如何?と言い、何時もなら自転車で届けるんだけど、もう今日は疲れたから取りに来て欲しいと。勿論、参りますとも。歩いてものの15分位の所だ。と返事したけど、すぐさま夫に「散歩に行くときに貰ってきて!」と叫ぶと、夫はいそいそとやって来て一緒に行こうと言う。兼ねてから散歩の同行を誘われているが、いろいろ理由を付けて未だかつて素直に付いていったことが無い。今日も明日のシャンソンコンサートの準備があるからと断ったが、敵も然る者。今日歩くことが明日の準備になると思うよと、どうしても一緒に行こうと言う。まあいっか、としぶしぶ運動靴を出して出かける。外は折からの満月で、たんぼの水に映った月は素晴らしい。早速写真を撮ってFBに上げる。「月が二つ、、、、カメラの目。月が四つ、、、、、私の目。」てなもんだ。フフフ。しばらく眼科に行ってないが、行った方が良いのかも。いつからかまともに月の形を見たことがない。

叔母は、待ってましたとばかり自作の肩叩きをくれて、誰かにあげても良いから何ぞという。しばし95歳の元気自慢を聞かされて、イヤハヤ驚くばかり。一時電動自転車を取り上げられて不便不便とは言ってたが、ナント最近又購入したらしい。何しろ最近まで中央郵便局まで自転車だったお方だ。しかも、なにゆえの郵便局かと聞いて呆れる。新聞雑誌のクイズの答えを官製葉書に書いて出すのが趣味で、期限までに出したいのに頼める人が来るのを待てない,と言う。わ~お。凄すぎる。週二回はヨガに通い、庭の草花や野菜の世話は全部自分で遣っている。読書が好きで、読み始めると朝まで読んでいることもあるらしい。一人暮らしで誰にも鑑賞されないのが一番嬉しいとか。参りました。、、、この叔母の暮らしぶりは、ちょっとこちらにも思考回路の遺伝子が飛んできているかも知れない。将来の自分の夢だから。

 

さ、叔母の元気を目の当たりにして、確かにエネルギーが湧いてきた。明日は楽しい会にしたいものだ。

しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。

雨のせいか今日は肩が凝って首が回らない。そもそも運動不足のせいかと思い、久々にカーブスに行く。それも閉店間際の6時半という時間だ。よく教育されているスタッフが、それでも気持ちよく迎えてくれる。たった30分だが、遣らないよりは矢張り良かったかな?

あまりにぼ~っと現実感の無い生活を送っていたので、知らぬ間に時間が経った感が強い。ああ、うかうかしてる間にもう10月。暮れのオペラに向けていよいよ真剣に取り組まなくてはならないが、我とわが身にかけ声を駆けるのが精一杯。、、、矢張り年齢は否めないなあ~。

 

さっき地震速報が入って来た。又又浜通りだ。厭な感じ。なんといってもあそこは原発が怪しげに横たわっている地域だ。お願いだから避けて欲しい地域だが、自然の神様はそんなことお構いなしだ。又来ないと誰が言えよう。

 

昨日は、娘が歩きで子供と一緒にドングリを探してきたと言って収穫を見せるという口実の元に夕食を食べにやって来た。気分が沈んでいるときに孫の顔を見るのはホントに救われる。娘流の気遣いだったかも知れない。

ま、しばらく時間が掛かるだろう。私の快復。

2017年10月 5日 (木)

平然と、、、。

今日は60年来の友人k子さんの葬儀だった。彼女との思い出はあり過ぎるほどあって、それというのも、寂しがりやというか、人なつっこいというか、とにかく一緒に行動しようと積極的だった。グループで日帰り旅行も、音楽界も、海外旅行さえ一緒に行った。吾が家族とは親密な付き合いを続け、娘も息子も生まれたときから知ってくれていて、それぞれの結婚式にも家族のような顔をして写真に収まっている。読書が好きで、正義感が強くて、時の政府やらにも本気で怒ることが出来る人。いつも明るく、人を不快にさせるということが無い。そのため人望が厚く、どこに行っても好かれる存在だった。

が、彼女の人生は決して安穏ではなかった。若すぎる頃の両親の死を乗り越え、弟や妹の苦難を助け、一人で頑張り続けた人生だった。仕事上は社長の財産管理まで任されるほどの信頼を得ていて、会社は後継者に四苦八苦していると聞く。病を押してタクシーで勤務していたというのも、何故そこまで?と思いはしたが、それが彼女だったと、今は思う。

生ききった、というのが彼女だったろう。

兄上の弔問客への御礼の言葉に、「吾が妹ながら、誇れる人間でした。」とあったのも大いに頷ける。この私でさえ、あなたと友人で良かった。私の誇りです、と棺に語りかけたことだ。

 

澱んでいた朝の雲はどこかへ消え去り、秋晴れの美しい日中、彼女の棺は運ばれていった。

 

今宵のちぇち練は迷い無く参加した。彼女がいつも応援してくれたちぇちの活動を、彼女を感じながらガンバロウと、心に決めたからだ。かなり心身共に疲労してはいたが、音楽の中に身を置くことで、悲しみが少しずつ薄らいでいった。平然と過ごしていても時折、こみ上げる場面もあったが、これは時が解決してくれるだろう。

 

大切な人が段々周辺から消えていく。

2017年10月 3日 (火)

男の涙、二人。

今日は長い人生の中でも特別忘れ得ない日となった。

昨日ついににこの世を去った友人Mの納棺の儀に行こうと準備をしていたところに、友人からの電話。「K君ところのご長男が亡くなったのよ。41歳だってよ。今日がお葬式だけど、どうする?」というものだった。どうするもこうするもない。すぐに方向転換を決めて、そちらに参列の準備をする。高校の同窓生K氏とは同窓会の開催で協力し合う中。奥様とも親しく交際している。すぐにお二人の顔が浮かんで少しでも慰めたいと思った。

式場に着くと来場者に一々御礼を言っている友人夫妻の姿が。思わず駆けよって声を掛けるが、言葉にならない。彼の方は、眼鏡の奥の小さい目が、いっそう小さく見え、ぽつりと、「何も鳥にならなくても良かったのに。。。」とつぶやく。ご子息はキャンプの最中、滝壺に落ちたらしい。

クリスチャンの家族の葬儀だがこれまでに経験したことが無いほど立派な葬儀だった。自分自身はキリスト教徒ではないがこの宗派の葬儀はいつもステキだなと思う。白が基調であとは緑のみ。今日は少し献花に赤も混じってはいたが、全体に清逸な美しい会場。賛美歌が流れ、いやが上にも厳かな空気が満ち満ちる。若い人を見送る会は若人も多い。故人を思って肩を揺らしながら多くの若者が泣いた。

そして友人K氏が父親としての挨拶。これはキツイ。宗教上いくら死ぬことは住む場所が変わるだけと言われても、それを完全に受け入れるには時間が掛かるだろう。彼の挨拶は嗚咽から始まった。当然だ。

 

友人と二人で帰宅して次の目的地に、今度は友人Mの通夜へと出発。もう一人の仲間Yをひらって3人で出かける。こちらは仏式で、流れるようなお経の意味はほぼ理解出来ない。クリスチャンのお説教は、分かり易いが、内容を理解するところまではなかなか行けないのが一般ピープル。結局どちらも大差ないってところかもしれない。

こちらも最後に兄として御礼の言葉を述べるが、矢張りまともに言える状態ではない。私は当然のことながら60年目にして初めてお兄さんの涙を見た。

 

明日はいよいよ親友K・Mの葬儀だ。未だに信じられない思いだが、時は刻々と彼女を連れ去っていく。

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