ここにほぼ二週間ご無沙汰だったが、知人から病気でもしてるのかと勘違いされたりどうやら心配されているような気配なので、、こうしてキーボードに向かっている。
自分自身は、心は病んでいるが身体はいまのところ無事。
故に、今朝のシャンソン教室も、夜のチェチ連も、家事も全てこなした。こなすことは出来ている。それは、時間を消費しているという意味では以前と何ら変わりない。が、そうしながら時々フッと自分がどこか別の場所に行っているような妙な気分に襲われる。
原因は分かっている。60年来の親友が、大阪から言葉を失って帰って来た。このことが、想像を超える悲しみを伴っていて、彼女の事を考えない時間は無いと言えるほど。いつもと変わらない生活を送りつつ一方で常に彼女のことを考えている。
ただただ会いたくて病室に見舞っても、言葉が返されることはない。やがて訪れる最後の時に少しずつ向かって行くのを感じる。最初は手をとり話しかけると目を見開いて握りかえしてくれた手も、徐々に力が無くなり、今日は全く反応がない。
今年5月に帰省して我が家で娘達も一緒に夕食を囲んだ時は、賑やかに談笑しながら過ごしたが、何となくある種の覚悟を感じたことを今になって思い出す。しかし、それからそんなに時間が経ってないのに、突然ここまでに変化してしまったのが、とてつもなく理不尽に思えて受け入れられない。多くの人がこういう場合に陥るだろう後悔や、何かしら成すべき事があったような悔しさに苛まれる。
私は、彼女に対して心底誠実であっただろうか?親友と呼びながらどれほどの事をしてきたのか。長い間の様々なシーンが突如甦ることもある。大阪と高松。離れていても、メールや電話が無くとも、いつも側に居るという安心感の中に暮らしてきた。姉妹のように、喜びも悲しみも分け合ってきた。自分の友人達はほぼ紹介して、それぞれ親密な関係を持てたのは、彼女の人柄。誰に対しても優しく、言葉の中に、有り難うとゴメンがいつも同居していた。大阪弁で彼女が言う、「あかんで~、あかん、あかん!」という明るい声が今も聞こえてくる。「なにめそめそしてんの?やめてや~。あかんで~。」ときっと今もそう言いたいのかも知れない。しばらく見つめ合った彼女のまなざしに、沢山の彼女の言葉を聞いたような気がしている。
こうした中、随分以前から彼女と交流のあった声楽家M氏からコンサートのCDが送られて来た。その彼の声が聞こえた途端、彼女は目を大きく見開いて、「これMくん?」と言うような目をした。きっと聞こえたに違いない。CDはいくつか持って行って聴いて貰っていたが、彼を応援していた彼女にしてみれば嬉しかったに違いない。
歌の力は凄い!