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2017年9月

2017年9月29日 (金)

リセットねえ。

そう簡単にできないのが人生ってもの。大根を片手でスパッと切るように、しがらみをリセット出来れば、そりゃあ楽になるだろうなあ、とは思う。思うが、人間それだけで良いのか?とも思う。どこぞのトップのように、そのしがらみ故に権力を流用するのは勿論アウトだが。

さらに言えば、一度切った筈のしがらみは、形を変えて、再び三度又又知らず知らずのうちに我とわが身を取り巻いてしまう。そういうことだ。人間関係は。

哲学者や高僧の域に達すればそれも意味のあることだろうが、、、。

 

秋になった。

 

今日久々のオフ日。朝から晩まで、ジムに行く代わりと自らを励まして、掃除に明け暮れた。間でメンバーとのメールのやりとり、練習会場の契約等ありつつも、一応予定部分は終わった。疲れ過ぎて、今日はシャワーにして早めに寝たいと思って居る。が、先ほどのテレビ番組で、高齢者はそれ程寝ないでも良いという医師の言葉が紹介されていた。深夜2時が平均のワタクシの就寝時間が、実は良質の睡眠を取るのに良いんだとか。はあ~っいろんな事言っちゃってくれるわねえ~。ま、こっちは今まで通りで良かったが、夫は早ければ8時台に寝たりするから、その言葉を聞きながら、へ~?ほ~?は~?。しかし、眠気には勝てず、結局9時前にはご就寝あそばした。ふ。

2017年9月24日 (日)

芸術の秋。

今宵はこの香川の地区で唯一の本格的オペラ団体四国二期会の日本の、それも那須与一を扱かった地域色の濃い作品を鑑賞した。地元の人の作品に曲をつけたのは女性だった。ちぇちのコンマスのヴァイオリニストと同窓とか。それぞれご活躍の女性たち。我等がW先生も珍しい役で二位の方を堂々と演じられた。女の毒のようなものを不気味な笑顔で表現するなど、芸が細かく流石だった。そしてオペラだから声が一番重要で、前から二番目という座席でどうかと思ったが、問題無く楽しめた。しかし、日本語の歌というのは難しいものだ。舞台の両サイドに字幕が流れてそれを見るまいと思っても矢張り見てしまう。近頃ではこの形が一般的だとか。外国の物を日本に取り入れるのはかくも難しい。

個人的には合唱が美しかった。シンプルな舞台も好感が持てたし、お誘いした人も随分喜んでくれた。

これから立て続けにコンサートがある。こうやって楽しく観賞出来るのも、平和だからこそですねえ~と女二人帰る道々話した事だ。

2017年9月22日 (金)

なにもかも滑り込み~。

ようやくギリギリで短歌12首を丁度立ち寄ってくれたMさんにポスティングをお願いして一件落着。

昨日一昨日と毎日飲むべき高血圧の薬とコレステロールの薬が無いまま過ごし、ようやく病院が休憩に入る前に飛び込む。食べ物に気を付ける余裕も無いから、色々数値が悪くなってるだろうと思ったが、血液検査の結果、血糖値も正常、血圧も大丈夫と言われ、ホッとする。

その医師のお言葉に気を良くして、このところの運動不足を解消すべく約3ヶ月ぶりにカーブスへ。これ又ギリギリの時間に入店。とにかく体中ががちがちでなめらかに動けない。最後に来た時ここで転倒したため、インストラクターにメチャクチャ声を掛けられて苦笑い。何度も、「ゆっくりして下さいねえ」と声を掛けられて、すっかりおばあさん扱い。無理もない。実際おばあさんだ。,,,矢張り汗を掻いて身体を動かすのは後が気持ちよい。筈だった。が、夕食時に全く食欲が湧かず、夫にやたら心配される。急な運動もあんまりよろしく無いのかも知れない。

病院とジムの間に、夕食前だというのに母の施設におかずパンを持って陣中見舞い。こういうのは多分ここでは出ないんだろうと思ってだったがどうなのか?母は美味しいと喜んで食べてくれた。1時間しか居られなくて、今度のお彼岸にはお墓参りに行こうと約束して外に出ると、まだ雨が降っていた。「雨の中、ご苦労様です。」と職員の方達が感じよくご挨拶してくれる。

 

こうしたことの合間に、どんどんメールのやりとりをしている。考えるべき事、やるべき事が山積していて、どこから手を付けても良いからやらなくては!という状況だ。

チラシがようやく今月末に上がる事となった。今までにない美しいものが出来上がったのは、印刷屋さんのセンスに負うところが大きかったとは思うが、素材の選択など、新事務局長の発想が良かったわけだ。みんなも感激することだろう。が、これも日程的にはギリギリではある。

 

今度は衣装だ。難しい課題が、、、、、!

 

それにしても何もかも滑り込みだ。滑り込んでもセーフならそれでよい。みんな余裕が無い中奔走しているのだから。

 

ああ、音楽の守護聖者ちぇちぃりぁ様。私たちをお守り下さい。って困ったときの神頼み。

2017年9月20日 (水)

マンションは嫌い!

ハードな一日の最後のお仕事チェチ練を終えて、娘のマンションに送ってもらったのは夜の10時。今日は駅までこっちの車で迎えに行き、そのまま娘に車を預けて練習だったのだ。そこまでは良かった。が、メンバーにバイバイして娘に着いたールしても返事が無いし、ラインで既読にもならない。電話だと孫べえが起きるからと、ラインする約束だった。しかし、10分待っても既読にならないから電話のワン切りから始まって、遂には自宅にも延々とかけまくった。子供を寝かしていて、疲れから寝落ちしてしまったか、それも無理も無い、なんぞと優しい気持ちだったのも時と共に消えゆく。スマホが段々電池切れになりそうだったが、幸い充電器は持っていて、それで結局40分待ってみたが、何の音沙汰もない。まるっきり不審者よろしく大きなバッグを抱えてマンション回りをウロウロ。隙のない建物、余程石でも投げてみようかと思ったほど。段々腰が痛くなってきたから、どっかに座る所は無いかと見渡すと、一応自転車置き場の辺りにほどよいコンクリートがあり、ようやくそこに陣取ったのは40分も過ぎてから。しっかし、ここは一番盗難防止がされてあり、煌々と電灯が照らしている場所。あんまり長く居たいところではない。最後の綱とばかり婿殿にメールを打った途端に彼が帰ってきて、「あれっ?」と声を発する。でもって、急ぎ事の顛末を話して娘を呼び出して貰う。すると別に寝ぼけてもいない顔で不思議そうに顔を出す娘。よくよく聞いて見ると、携帯は別の部屋に置きっぱなしにしていたせいで、全く聞こえなかったと言う。マンションは機密性があり過ぎだ!自宅の固定電話は、全く鳴らなかったと言われても合点がいかず、「何百回もかけましたっ!」と怒りをぶつける。が、婿殿曰く、こっちがかけたのはIP電話で、それは繋がらないかも知れない,何ぞと言う。そのやりとりも一々娘が、「し~っ!」と声を落とせと言うから頭に来る。マンションなんて大嫌い!

帰宅してから即行シャワー。どうやら電話が鳴っているようだったが、あえて出ない。ようやく落ち着いてノンアルコールを手にした途端ラインやら電話やらが入ってくる。少々反省してるようだ。まったく、私を何歳だと思っているのか!

ところが、あっと思い出したのは、正面玄関にブザーがあることだった。冷静に考えればそこに気付くはずが、このマンションに娘が引っ越してからというもの、通用口が便利すぎて一度も正面玄関を使ってないせいで、その存在が思い出せなかった。そういえばそうだ。宅急便の人とか来るし、全く入れないと困るわけだ。何という呆け!

やっぱりマンションは嫌いだあ~。

2017年9月19日 (火)

ぶっ倒れそうな一日。

軽々しく死ぬなんて言葉は使ってはいけないと思う今日この頃。しかし、ついに夫のお株を取ったかたちで、帰宅するや否や、「疲れすぎ~、死ぬ~」と絶叫した。

夕べ深夜に娘からお腹が痛いと呼びつけられて、介抱してから帰宅してもなかなか寝付けず、睡眠不足の状況で動いた訳だ。敬老の日とて、息子から母のホームでスカイプをして欲しいと電話があり、時間を見計らって施設に出かける。うまくテレビ電話が出来て、殊の外嬉しそうな母を見ていると、良かったなあとつくずく思った。持って行ったスイカを二人で食べたが、全く美味しくない。にもかかわらず母は美味しい美味しいと連呼するので、さては自分はさっき道中でたべたチョコレートアイスのせいで味がわからなくなったかと独り合点していた。これは夜になって夫が食べて、まずいっ!と言ったので、母の味覚がおかしいんだろうと今では思っている。しかし、案外母の気遣いだったかも知れないと思うと不憫だな~。

そして本日の楽団練習に、おやつをお届けするというお役目。あれこれ考えて結局自分好みのものにしたが、喜んで頂けたようでやれやれ。しばらくそこで歌わせて貰ったり、分かったり分からなかったりする皆さんの楽譜に関する議論を神妙に聞かせて頂いた。そして一度そこを退散して、今度は気になっている友人を見舞って、頼まれたお弁当を購入して練習室に舞い戻る。ここからは自分たちの歌の練習だ。しかし、夫からのメールで、カナダ人の友人D氏と駅近くで食事をしていると連絡が入る。しばらくぶりなので是非顔を見たいと思うが、この頃から疲れが出て来て、レクザムホールから歩いて行く元気が無い。電話を掛けてみるともうすぐ到着するというメンバーが居たので、彼女に運転手を依頼。まんまとこれが成功して無事お顔を拝見して旧交を温めることが出来た。彼は12月に再度来高するが、オペラの日は熱海で弁論大会の審査委員を遣るから無理だと分かる。10分しか会わなかったが、次回はゆっくりしましょうと別れる。

 

でもって、練習会場にとって返し、今度こそ本気の練習だ。今日はジョバンナ役のM・Sさんが参加してくれて、その見事な歌唱と素晴らしいお声を披露してくれた。おお、オペラだあ!それに引き替えちぇちの面々は練習不足を露呈して顔が赤くなったり青くなったり、、、、ふひょう~っ!笑うしかない有様。イヤハヤ、頑張らねば。

 

で、ようやく解散して帰宅したら10時半。疲れ切ってチャンネルをボンヤリ回すと最初から見たかった番組が終わる寸前。末期癌の人を看取る人の死を追い続けたドキュメンタリーだった。きっと又再放送があるとは思うが,残念。「人は、先に死に行く人を見て、死というものを学ぶべき。」とは、正しくそうだと思う。

 

何しろ、寝よう。

2017年9月17日 (日)

友たち。

久しぶりに感動して涙が流れた。

今朝、台風予報の中、サンポートで行われたピアノ教室の発表会。ホールに入ってしまえば外のことは全く分からない。が、実は演奏中にスマホの警報が流れるというハプニングがあり、その時は一瞬ドキッとした。それでも実際はこの会の終わりまでは大丈夫だった。参加者全員に取って運が良かったと言えよう。これだけの事がキャンセルによって再び準備に逆戻りというのは思っただけで疲れる。どうやら他の演奏会やらコンクールは流れたのもあるようだが、、、、。

今日のお目当ては、わが友人Sさんの病後初めての歌唱で、ご本人が事前に随分心細いことを呟いていたのを知っているだけに、祈る思いで臨んだ。が、最初の一声で全くそれが杞憂であったことが分かった。以前と全く変わらないばかりか、高音の伸びはむしろ以前より美しく、何よりハートのこもった歌声は聞く人の心に染み渡った。思いがけない病気のあと、しばらく歌とは無縁の生活を送って来て、演奏会を聴きに行くさえままならない状況だったのが、待ちの間の長時間客席にも座れた挙げ句、堂々とした姿勢で舞台に立つ姿はその心身の快復振りも嬉しかった。これを皮切りに又少しずつ元の暮らしを取り戻して欲しい。同じ年の私たち。もう少し頑張って歌っていこう。こうしていてもいつ何がこの身に起こるか分からない。せめて遣りたいことをやっている間にその日を迎えたい。

 

帰宅して次々と警報が鳴る中、何をどうして良いか分からないまま、夕飯を食べ、気になっていた高知の一人暮らしの友人90歳のOさんに電話する。「高知はもう終わったでえ~。」とのんびりした声に安堵する。結局1時間以上喋って明るく、「又ね!」と電話を置く。その会話の中で、「我々は、もうこれから先友達を作ることはまず出来んから、今の友達を大事にしようね。」というOさんの言葉。異存はない。そして彼女は言う。「ホントに一杯思い出を有り難うね。私の人生それを思うだけで良かったと思えるわ。」。。。なんてこと!先を越されてしまった。そのセリフは私のセリフ!不思議なご縁で永くお付きあいさせて頂いている。1年にどれほども会えないが、そんなことは問題無い。久しぶりに会った途端、会えなかった時間は一気に縮まる。さあ、こんどはいつ会えるか。。。。

台風は明日のようだが、,,,。

心に重たい鉛を抱えながら、日々、やるべき事をこなしている。

昨日は悲しみの溢れる葬儀場の参列者の一人となった。このMさんは、ちぇちの第1回目の落語ぺらで出会った若者と結婚。お子様こそ居なかったようだが、音楽活動を続けて幸せな生活を送っているのは知っていた。スーパーで買い物中のお二人とバッタリ出会ったこともあるが、仲むつまじい様子だったことを思い出す。まさか49歳の若さで永久の旅立ちをする人とは到底思えない健康的なふくよかな明るい人だった。,,,残された夫I氏も体調が悪く車椅子での参列となり、尚更に辛い葬儀となった。

会場でちぇちのH先生ご夫妻とお会いしたが、「お互い、残された人生を、充分音楽して過ごしたいものですねえ。。。」と語り合ったことだ。「いつ自分があの場所に、と思うと毎日が大切です。」と言うと、H先生は、「それなら今年のオペラも大丈夫でしょう!」と励ましてくれたり、、、。家族葬と聞いていたが、会場の中は勿論、外にも参列者が大勢居て、彼女のお人柄や歩んできた音楽生活を思わせる光景だった。しかし、娘を亡くす親の心境はどのようなものか。母上にご挨拶させてもらったが、気丈に振る舞っておられるお姿も痛々しいばかり。

 

そして今宵は、牟礼の石灯りロードのイベント、音楽と言葉「樋口一葉日記」というタイトルのイベントがあり、雨の中を出かけて行った。ぬかるみに足を取られまいとしっかりと歩いて行ったが、早めに行って正解だった。

別に主宰者のR女史に「SMSなどに良くないことは書かないで下さい。」と冒頭に言われたからではないが、良かった。取り上げた題材も、二胡を使った音楽の醸し出す雰囲気も、R女史のナレーションも出演者達も全てがマッチしていて面白く好感が持てた。お寺の広間という場所も題材に良く合っていて、物語のムードに貢献していたように思う。色は使っているのに、セピア色を感じるこの舞台は一人の女流作家の生涯を語って成功したと思う。

R女史が最後に語った、「昔は文人達が集まってこのような芝居を打っていたようだが、近頃はそういうことがなく、一度やってみたかった。」という言葉に大いに共感した。芝居はもっと身近で良い。

出演者にちぇちの若者二人も出演して、無言での身振り手振りではあったが、切れることの無い演技で頑張った。オペラの華やかな舞台とは打って変わった地味な演技が非常にはまり役だったのは笑えた。何を遣っても血となり肉となる。なんにしてもお疲れ様だ!

2017年9月 5日 (火)

忙しいことに感謝。

今朝は本業も入り、あれこれやって午後には友人知人の訪問を受け、そのアト片道40分かけてK画伯のお宅に用事で出かける。夫人の手厚いもてなしに、海を眺めながらつい長居をしてしまい、夫からの帰ったメールを潮に引き揚げたが、その時既に夕方7時を回っていた。大急ぎで帰宅してパパッと料理をしてようやくビールにありつけたが、ここまでで心底疲れた。疲れ過ぎて眠くも無い。ビールもさっぱり効かない。むしろ目が冴えてきた。一風呂浴びたらアマゾンで映画で見ようかと思っているが、、、、とにかく疲れたいのだ。

 

今回のオペラはやれば遣るほどその難しさに唸るほか無い。昨日の練習でも、合唱にしても重唱にしてもとにかく難しい。やりがいはあり過ぎるほどにありそうだ。明日はW先生のしごきが入る予定だが、とにかく少しでも前に進めなくては!

こうした中、新メンバーの知り合いという人が、道具の製作にかかわってくれるかも知れないと言うことで大いに期待している。是非実現してほしいものだ。他のメンバーの中には、剣や槍の類を既に創ってきてくれている人もいて、徐々に舞台の姿が見えてきている。涼しくなったら、いよいよ衣装に取りかからなくては。

 

明日の練習にはウイーンから帰国のA氏が参加らしい。いよいよ始まる。

沈黙。

ここにほぼ二週間ご無沙汰だったが、知人から病気でもしてるのかと勘違いされたりどうやら心配されているような気配なので、、こうしてキーボードに向かっている。

自分自身は、心は病んでいるが身体はいまのところ無事。

故に、今朝のシャンソン教室も、夜のチェチ連も、家事も全てこなした。こなすことは出来ている。それは、時間を消費しているという意味では以前と何ら変わりない。が、そうしながら時々フッと自分がどこか別の場所に行っているような妙な気分に襲われる。

原因は分かっている。60年来の親友が、大阪から言葉を失って帰って来た。このことが、想像を超える悲しみを伴っていて、彼女の事を考えない時間は無いと言えるほど。いつもと変わらない生活を送りつつ一方で常に彼女のことを考えている。

ただただ会いたくて病室に見舞っても、言葉が返されることはない。やがて訪れる最後の時に少しずつ向かって行くのを感じる。最初は手をとり話しかけると目を見開いて握りかえしてくれた手も、徐々に力が無くなり、今日は全く反応がない。

 

今年5月に帰省して我が家で娘達も一緒に夕食を囲んだ時は、賑やかに談笑しながら過ごしたが、何となくある種の覚悟を感じたことを今になって思い出す。しかし、それからそんなに時間が経ってないのに、突然ここまでに変化してしまったのが、とてつもなく理不尽に思えて受け入れられない。多くの人がこういう場合に陥るだろう後悔や、何かしら成すべき事があったような悔しさに苛まれる。

私は、彼女に対して心底誠実であっただろうか?親友と呼びながらどれほどの事をしてきたのか。長い間の様々なシーンが突如甦ることもある。大阪と高松。離れていても、メールや電話が無くとも、いつも側に居るという安心感の中に暮らしてきた。姉妹のように、喜びも悲しみも分け合ってきた。自分の友人達はほぼ紹介して、それぞれ親密な関係を持てたのは、彼女の人柄。誰に対しても優しく、言葉の中に、有り難うとゴメンがいつも同居していた。大阪弁で彼女が言う、「あかんで~、あかん、あかん!」という明るい声が今も聞こえてくる。「なにめそめそしてんの?やめてや~。あかんで~。」ときっと今もそう言いたいのかも知れない。しばらく見つめ合った彼女のまなざしに、沢山の彼女の言葉を聞いたような気がしている。

 

こうした中、随分以前から彼女と交流のあった声楽家M氏からコンサートのCDが送られて来た。その彼の声が聞こえた途端、彼女は目を大きく見開いて、「これMくん?」と言うような目をした。きっと聞こえたに違いない。CDはいくつか持って行って聴いて貰っていたが、彼を応援していた彼女にしてみれば嬉しかったに違いない。

歌の力は凄い!

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