このところあまりの疲労感に、毎日夕食後に仮眠をしてしまう。今日もマッサージ機で4クールも揉んで貰いながら休んで、ようやく生き返った。
夕食は久しぶりに母を連れ出してイタリアン。娑婆の味は格別なのか、ノンアルコールビールで乾杯の後ローストビーフを美味しいと平らげ、しっかりサラダを食べ、パスタも食べきろうとするのを横から引き取って、食べ過ぎないようにしたもんだが、その分こっちが食べ過ぎだわい。
こうして娘親子と4人で食事をするのは、何も今に始まったことではない。このメンバーであっちこっちと食べ歩いてたから、まるでその頃と変わらないように思える。しかし、時は確実に流れ、状況が変化しつつある。いつまでこういうことが出来るのか。。。。
母を送り届けてから大急ぎで帰宅。ただただお待ち遊ばしている夫の為に、ぱぱっと5品料理する。所要時間20分。この手の簡単料理は長年やって来ていて、なんら問題はない。○蝶より美味しいとお世辞を言う夫の前で、今度は普通のビールと豆苗のごま和えをあてにしての晩酌。しばしテレビを観ながら雑談にお付きあい。そうこうしていると猛烈な眠気に襲われたというわけだ。
一日のナントみじかいこと。
スマホを持ってるが故に、移動中も電話やメールが入ってくる。便利だが、拘束もされている。機種変した為に、まだ使い慣れず、アタフタしてしまうが、、、、。
頭の中には、6月のサロンコンサートで歌う曲がめぐっているが、キチンと向き合う時間が無い。どうなることやら。。。
県に申請する書類のために資料をまとめていると、I会長ご健在の折の公演パンフレットが出てくる。知事や市長の挨拶に続き、会長挨拶として短文が載っていた。
「本日市民オペラちぇちぃりぁ「メリー・ウイドウ」公演にお越し下さいまして誠に有り難うございます。 最近活動から離れたためか、若い頃読んだ小説や詩の一節がふと思い浮かぶことが多くなりました。 その一つがドイツの詩人で小説家のヘルマン・ヘッセ。出典作品名は忘れましたが、何故花や花火を見て私たちは美しいと感じるのかということについて論じています。何故でしょう。彼の結論は、両者とも命が短いからだというのです。例えば、花が何年も枯れることなく咲き続けていたら、或いは花火が何十年も消えないで空にかかっているとしたら、私たちはああ美しいと思うでしょうか。
一瞬の美の煌めきの中に感動が生まれる。「命短し,楽しめ今を」です。
人生は一回の呼吸のように短く、一瞬輝いては消えていく。歌が命のオペラの公演はさらに短い。長期にわたる練習の成果が今日という一瞬に花の様に輝くのを、本日皆様と共に、正に花を摘むようにして楽しむ事が出来たら幸いです。」
今年のオペラも、ああキレイと摘み取って貰えるような舞台になれば良いなあ。