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2017年5月

2017年5月31日 (水)

アア~ボロボロ。

孫べえの病院に付き添いはるばる西讃まで出かけたため少し遅刻しての本日のちぇち練。W先生のしごきを期待して行ったものの、曲が多すぎて先生も思いがけないエネルギーの消耗だっただろう。「みんな勇気があるなあ~」という皮肉なコメントに、失笑するほかない。まあ、先生の前で、しかも仲間がいるところではなかなか本領は発揮できないのが当たり前。こういう時間を持つのは、でも大事。緊張の中でこそ本当の訓練になる。家での練習時は出来ても、こういう場面ではポカを遣る。こんな筈ではなかったのにと、内心は忸怩たる思いで一杯だが、これもきっと身につく練習と成るだろう。ふ~っ。ちかれたび~。

ここからどこまで追上ゲが出来るのか。それだけが心配だ。

さ、明日も過密スケジュールだ。頑張ろう。

我が家にミシンがやって来た!

といっても自分が買った訳ではない。何を隠そう、大の裁縫嫌い。針を持つのは仕事上やむなく着物の着付けの下ごしらえのためだけ。結婚以来、嫁入り道具のミシンに触ったこともなく、周囲からも無理強いされることもなく、私は出来ないと宣伝しまくっていたため、当然の如く子供達も、学校に持って行く物やなんかは父親が作ってくれるもんだと信じていた。

この父親は、幼少のみぎりからだが弱く、母親が将来を考えて裁縫や編み物等を教え、当時は珍しい「装苑」という雑誌まで買い与えていたらしい。だからもしかしたらデザイナーになっていたかも知れない、とは夫の口癖。

ところが、今時のミシンはまるでスマホやパソコンをいじる延長線上にあり、得意だった夫は、専門家T女史を前にうなるばかり。昔のようなタイプを買えば良かった、とぶつくさ一人言。そこで俄然張り切ったのはアチクシ。妙にむらむらとやる気が起き、今日になってミシンを引っ張り出した。この手軽さも丁度良い。

あの日、機械の説明を受けるのを側で見ていてうろ覚えの操作を思い出しながら本日格闘。傑作なのは、ミシン針の糸通し。幾ら頑張っても老眼のため自力では無理で、説明書を読みながら「自動糸通し」なる物を使った方がスルリと通ったこと。実はこれ、昔ながらの機械を扱っている専門家Y女史も、勿論夫もこの操作はかえって使いにくいと、自力でやったもんだ。分かってしまえば絶対自動が楽。

まあしかし、何かを縫う所までは矢張り行かなかった。なんせ、説明書を理解するのがそもそも大変だ。説明書の説明書が欲しいくらいだった。近々何かを縫いたいと思いつつ、本日はこれにておしまい。

 

ホントいうと、こんなことをやってる場合ではない。明日はW先生の指導日で、かなり絞られることに成って居る。予習をしておくべきなんだが、、、、、それにまだ暗譜が出来てないあの曲も、それほど時間的に余裕はない。、、、こうして追っかけられるときに限って、なんか違う事をやりたくなる困った性格。ま、死ななきゃ治らないか。

 

昨日のオーディションは完璧に出来た人は一人もなく、およよよ状態。これから追い上げて行かなくてはいけないのだが、、、、。やれやれ。

2017年5月30日 (火)

枯れたアジサイ。

今日も疲れが爆発しそうだった。今宵のとどめは、サロンコンサートに向けてのオーディションだった。自分も歌うため、人の歌唱を評価しにくいところがある。でも、自分が実際どうだったかは、聴いている人にしかわからない。なので、ただひたすら正しい評価ができるように心がけたつもり。まあ、後から来たあるピアニストからのメールで、思いは同じだったことが分かる。とにかく、一生懸命に練習するしかない。

 

でもって、暗くなった外に出て、あわただしい打ち合わせ。暮のオペラのキャスティングだったが、キャストからは一抜けたしたい気満々のアチクシに、どうしても歌えとおっしゃる。それにつけても思い出されるI会長の最後の舞台。年齢はあの時のI会長と同じ。どれだけのエネルギーを必要としていたかを思い出すと、二の足を踏むのも分かってもらえると思うのだが、、、、。どうも舞台で歌うこととなりそうだ。まあ、最後の舞台と思えば、やれるかもしれない。

 

申請書類に関する提出資料は揃えて事務局長に渡せたから、あとは彼女が四苦八苦やってくれるだろう。、、、今後、こういう事務的なことが次々と出て来る。歌いながらこれをやるということが、どれほど大変なことか。おそらくは携わったことがない人にはわからないだろう。あの頃のI会長はそういう煩雑なことからは一切逃れて頂いてたからねえ。。。。ま、そいうこと愚痴愚痴と言っててもしょうがない。賽は振られた!

 

母の施設に行くと、おとといまできれいに咲いていた額アジサイが、全部頭をたれて、息も絶え絶え。あわてて水をかけたが原因が不明。これを一体どうしたら良いのか?せっかく部屋が明るかったのに。残念無念。ま、母が元気だったのが救いだが。。。

2017年5月28日 (日)

命短し~楽しめ今を!

このところあまりの疲労感に、毎日夕食後に仮眠をしてしまう。今日もマッサージ機で4クールも揉んで貰いながら休んで、ようやく生き返った。

夕食は久しぶりに母を連れ出してイタリアン。娑婆の味は格別なのか、ノンアルコールビールで乾杯の後ローストビーフを美味しいと平らげ、しっかりサラダを食べ、パスタも食べきろうとするのを横から引き取って、食べ過ぎないようにしたもんだが、その分こっちが食べ過ぎだわい。

こうして娘親子と4人で食事をするのは、何も今に始まったことではない。このメンバーであっちこっちと食べ歩いてたから、まるでその頃と変わらないように思える。しかし、時は確実に流れ、状況が変化しつつある。いつまでこういうことが出来るのか。。。。

母を送り届けてから大急ぎで帰宅。ただただお待ち遊ばしている夫の為に、ぱぱっと5品料理する。所要時間20分。この手の簡単料理は長年やって来ていて、なんら問題はない。○蝶より美味しいとお世辞を言う夫の前で、今度は普通のビールと豆苗のごま和えをあてにしての晩酌。しばしテレビを観ながら雑談にお付きあい。そうこうしていると猛烈な眠気に襲われたというわけだ。

一日のナントみじかいこと。

 

スマホを持ってるが故に、移動中も電話やメールが入ってくる。便利だが、拘束もされている。機種変した為に、まだ使い慣れず、アタフタしてしまうが、、、、。

頭の中には、6月のサロンコンサートで歌う曲がめぐっているが、キチンと向き合う時間が無い。どうなることやら。。。

県に申請する書類のために資料をまとめていると、I会長ご健在の折の公演パンフレットが出てくる。知事や市長の挨拶に続き、会長挨拶として短文が載っていた。

「本日市民オペラちぇちぃりぁ「メリー・ウイドウ」公演にお越し下さいまして誠に有り難うございます。 最近活動から離れたためか、若い頃読んだ小説や詩の一節がふと思い浮かぶことが多くなりました。 その一つがドイツの詩人で小説家のヘルマン・ヘッセ。出典作品名は忘れましたが、何故花や花火を見て私たちは美しいと感じるのかということについて論じています。何故でしょう。彼の結論は、両者とも命が短いからだというのです。例えば、花が何年も枯れることなく咲き続けていたら、或いは花火が何十年も消えないで空にかかっているとしたら、私たちはああ美しいと思うでしょうか。

一瞬の美の煌めきの中に感動が生まれる。「命短し,楽しめ今を」です。

人生は一回の呼吸のように短く、一瞬輝いては消えていく。歌が命のオペラの公演はさらに短い。長期にわたる練習の成果が今日という一瞬に花の様に輝くのを、本日皆様と共に、正に花を摘むようにして楽しむ事が出来たら幸いです。」

 

今年のオペラも、ああキレイと摘み取って貰えるような舞台になれば良いなあ。

2017年5月24日 (水)

限界。

我ながらよくぞ持ってる。が、あまりのバタバタに疲れがピークに達して、帰宅するや否や、「今夜は木太食堂ねっ!」と半ば強制的に夫に叫んだ。文句も言わず夫は付いてくる。こっちのバタバタ振りを見て、驚き桃の木山椒の木らしい。その夫は何故かこのところ食欲が無い。4キロも体重が減ったと言う。流石に心配になって、医者をしきりに勧めたが来週は予約をしたようだ。どうおってことない症状の時はすぐに病院に行く人が、今回は何を怖がっているのか、側で観ていても明らかにどっか悪いでしょう?という様子なのに渋っている。

これを筆頭にここに書きたいことがてんこもり、だがそれを書き込む元気が無い。又この次にしよう。

2017年5月18日 (木)

本日はFMの収録。

ゲストはこの番組に度々出てくれているT氏。行政に携わっている人だが、音楽にも半端無い知識のある人だ。西洋音楽は勿論、今日の様に日本の音楽についてもとにかく良くご存じだ。この方が惚れ込んでいる声楽家の一人、香川県出身のAさんというソプラノは生で声を聴いたことが無く、今日CDで気かせていただき俄然興味が湧いた。このAさんのお父上は、ずっと以前ちぇちのオペレッタ公演の指揮をして頂いたことを思えば音楽一家なんだろう。

今日かけた曲は童謡唱歌の類だったが、日本語を丁寧に明確に声に乗せていてすがすがしかった。この日本語の歌というのは、レベルの高い人の声で聴くのは気持ちが良いが、歌うのはかなり難しい。日本語が日本語に聞こえないとまずいのだが、日本の創作オペラなんかも聞き取れないことが多い。日本語の字幕をつけて欲しいと思ってたら、実際そうしている公演があるときいた。なんだかなあ~。今年の暮れの自分たちのオペラも日本語だけどねえ。どうなりますことやら。

そういえば昨日の英語劇は、横に日本語の字幕が出てはいたが、私にも分かる程度の英語が明瞭に聞こえてきて、その点でも矢張り力のアル役者さん揃いだったんだと思う。来年も参加したいです、とアンケートに書いてきたが、さて?

シェイクスピアはやっぱり面白い!

ここ何年か、ロンドン・シェイクスピアシアターの岡山公演に招待されて出かけていて、今年もKさんと二人マリンの中でもっぱら旧交を温める形でお出かけした。女二人、お喋りしていると止めどがなく、行きも帰りもあっという間に着いた感じ。これで少しストレス発散だ。

勿論、劇団は期待通りの面白さで、毎回の事ながら役者の技量に驚かされる。少人数のため、一人が何役もやり、それぞれが全く違う人物になりきっているのが凄い。初めは、どの人がどの役を遣っているのかと推理しながら観ていたが、段々そんなことを気にせずに鑑賞している自分に気付く。大学の講堂という条件の中で、驚かされる大道具や小道具。これ以上は考えられないくらいのシンプルさ。これが成立していることを考えれば、ちぇちの公演も参考にするべきか。。。。でもなあ、、、役者が違うもんねえ。照明や道具に助けて貰って遣らなければ、作品の良さを表現出来ないだろうねえ。

ただ、衣装はやはりある程度しっかりと考えられていたところをみると、これは視覚的に外せない部分だろう。何しろ英語劇だ。もしあれが、白黒の衣装を全員が着ていたら、理解出来ただろうか?矢張り、男性女性の別から始まり、位の差や、性格までもが衣装で表現されているからこその理解だったろう。

こういうイベントが大学生に与えられるなんて、ラッキーな就実大学生だと思う。香川大学でも遣れば良いのに。下手な授業よりずっと身につく英会話の勉強だろうし。。。

 

高松駅でKさんと別れ、こちらはメンバーのIさんに拉致されてピアニストのおうちに練習に行く。途中でサンドイッチなど購入して、、、、。Iさんのように仕事を持ちながらこうして歌の練習をしているのはホントに凄い。いや、逆にだからこその歌なのかも知れない。彼女にとって「歌」が人生に無くてはならない物として、長く長く携えていって欲しい杖のような存在であって欲しいなあ。

 

少々疲れた。流石にもう寝る。

2017年5月16日 (火)

頑張ってるわたし。わたしたち。

朝から晩まで、我ながら70歳を超えた人間の行動ではないと、反省しても始まらない。やるべき事に振り回されているのだ。とどめは夜のちぇち練だったが、I会長が丁度この年頃に「夜の練習は勘弁して欲しい、、、、」と繰り返していたのが思い出される。矢張りこの年になると、ひしひしとそれを感じる。昼間遊んでいたならそれも良いかも知れないが、ビッチリ動いたあとの夜だ。疲れ過ぎて眠たくない。

 

ちぇち練は合唱練習の後、五重唱の練習の傍ら、M事務局長を筆頭にこれにかかわってない人たちで昨日の続き、「オケ譜の製作」を遣ったのだが、こんなことで終わる代物ではない。結局後日再び別会場を取り、予定では6時間やって終わらせる方針。さて、本当にそれで終わるのか?いや~、大変だ。

五重唱も、それを上回る大変さだ。五人全員が集まることが第一条件で、今日の様にそれが出来たとして、これ又合わせるのが大変だ。音をとるところが完成してないばかりか、そのシーンのそれぞれの役割がキチンと把握出来ているのかどうか、非常に心許ない。それが出来てこその、声に感情を乗せることが出来るということだが、、、。そして暗譜だ。余りに時間が無い。いくら、「売りは無謀」とはいえ、あまりにも無謀だろう。ホントに出来るのか?ムムム。

 

今日の唯一の収穫は、Y会長の繊細な合唱指導の結果、今までバラバラだった合唱部分が整い、音楽的な流れが出来たことだろう。結局、このイヤなレッスンこそが大切なのだ。受ける側は、「イヤなレッスンだ。細かすぎる。。。」と色々思いはあっただろうが、結局これが近道だと、聴いていると良く分かる。亡くなる前、I会長もよく言われていた。「歌は、絶対時間、というものが必要だ。」と。いまになってそれがよく分かる。

 

さ、気を取り直して、明日から又ガンバロウ。

2017年5月14日 (日)

共同作業。ちぇちの場合。

いよいよ年末のオペラ公演に向けて具体的に動き始めた。今日は有志が集まって、オケ譜なるものの製作を行った。元の楽譜を切って貼って、楽団の各パート毎に楽譜を作り直す、というものだ。

窓からのそよ風の中、眠気を我慢しながら頑張ったが、4時間根を詰めても終わらなかった。明日の練習時に持ち越されたが、それでも完成するかどうか、、、、。なかなかに大変だ。

まあしかし、こうして10人ほどが集まって一つの作業に取り組むのも悪くない。お喋りしていると手元が危ういのでケッコウ静かに進行していたが、静かなためにかえって合間に出てくる呆けやアクビや突っ込みで、一瞬の爆笑が湧くのも、風のいたずらのようで心地よい。

程なくして病気療養中のS女史が思いがけず元気な笑顔で差し入れを持って現れる。わ~っと湧いたのは、差し入れなのか彼女なのか?って、彼女に決まってる。イヤホント、早く復帰して欲しいものだ。頂くのを我慢していたが、いち早く「休憩にしよう!」と口火を切ったのは勿論アチクシ。デカシュークリーム、美味しく頂きましたあ!

2017年5月12日 (金)

雨。

今日の雨は寒い雨。奥様を亡くしたと電話をくれた人の涙雨。一人寂しくベッドに眠る老人の涙雨。理不尽な世の習いに憤る老母の涙雨。不安に押しつぶされそうな闘病中のあの人の涙雨。足掻いてもどうしようもない諦観に沈む者の涙雨。全ての涙雨が、砂礫となって窓を打つ。

明日が晴れますように。。。。。

2017年5月10日 (水)

信じられない。

若者じゃあるまいに、朝寝坊して起きたのは朝の10時。夜中に突然足がつり、3回起きたのが災いしたが、10時半のシャンソン教室に絶対間に合わない。それでも、起きてから、着替え、洗顔、歯磨きまでは10分。口紅がバッグに入っていることを確認して、ババット全てひっつかんで車に乗り込んでギュインとばかり車を回した途端夫の声が追っかけて来る。「お母さん、鍵!」家の中にイルものとばかり思っていた夫が散歩していたらしい。で、ものも言わず車を戻し、そうだ、楽譜だ、と再度家に飛び込む。目の前をウロウロする夫の、「運転に気を付けて!」にも生返事をしつつ、再度車を発進。勿論車の中では大忙し。まずは口紅をひき、二つのバッグの整理。信号毎にごそごそやって、生徒さんにも電話。、、、、ということで、数分の遅刻。

これって、凄くない?まずは、こんな朝寝坊の仕方がそもそも若者のすることだ。そして起きてから20分で準備して兎にも角にも発車出来たのだ。いやあ~、我ながら参った。ていうか、これって、「まだ行ける」ってこと?フフフ。

 

明日も10時からFMだ。目覚ましを掛けるべきだなあ。

2017年5月 9日 (火)

今日はしょぼ降る雨が、肌寒く、、、。

毎日、時の小僧に追われる日々。敵の足は速くて、追いつけぬばかりかいつの間にか追い越され、日々予定のプランが実行できないまま一日が終わる。そのため、疲れ過ぎて毎朝寝坊ばかり。孫べえの見送りが無くなり、しっかり朝寝が出来るからまだ救われている。睡眠は大事だ。

そんな中、ガステーブルの部品を注文していたのが今日全て届いたため、古い物と取り替えたらまあ、気持ちの良いこと。本体を買うとなると結構な出費だが、一部の部品を買えるとさっぱりと小綺麗になって、料理をするにも元気が出るというものだ。そもそもこのアイデアは、いつも来るガス屋さんが教えてくれたもの。以前よろけてうっかりグリル網の蓋部分に躰を持って行き、そこを曲げてしまってガタガタしたまま使用していたのだ。それを点検に来たお兄さんに訴えると、こともなげに教えてくれた。「ネットで部品が買えますよ。」なあるほど!てなことで、本日の簡単リフォームとなったわけだ。なんでも口に出してみるもんだ。

たまたま仕事帰りというメンバーが用事で来たので残り物で食事をして貰ったが、10時過ぎに仕事が終わり、そこから帰宅してご飯食べて、朝は7時半だって!信じられない。超人的だなあ。それで体力が持つというのはすっばらしい。そんな日が自分にあったかなあ?余りに昔過ぎて、,,,。

 

実はやるべき事の一つにカーブスがあって、連休明けには必ず行こうと固く決心していたにもかかわらず、昨日も今日も行けず。明日は思い切ってシャンソン教室の帰りにでも、、、。車にはいつもジム用のバッグと、お風呂用のバッグを常備している。はてさて。。。。

2017年5月 7日 (日)

売りは無謀?

本日二度目となる我が家での楽譜製作。今日は結局13時過ぎから解散まで、途中吾が手料理なども振る舞いながらの約7時間となった。しかし、まだ終わらない。メンバーのMさんからの差し入れに狂喜する場面もありいので、集中したりゆるんだりしつつ長時間労働もなんとかしのげた。が、次回に持ち越された残りもやらなければ、、、、。

何もかも手作りの吾が団体の、毎度毎度の大変さ。若者が中心に引っ張ってくれているので、遅々としているようでも確実に前進はしている。にしてもいつもながら、無謀なことをやっているとつくずく思う。

さあ、どうなっていくのか、怖いような、楽しみなような、、、、、。

 

昨夜は久しぶりに来た友人と我が家で宴会。娘親子も加わり、しみじみと語り合い、飲んで食べて、ゲラゲラと笑い、、、、いつ又こういう時が持てるのか、と思いつつ。いつの間にか時間が経って、こんな年になったねと昔昔を思い出す。「もう、これで終わっても良いかな?」と考えることもある、と口を揃えるとお嬢に叱られる。まだこんな小さいのがいるのに、、、と言うが、その子は私の子供ではない。私が居なくても立派に育つ筈。こういう思いが自然に湧くのは、我々二人とも良い人生を送ってこられた証拠でもある。勿論、これからの大切な時間を疎かに考えているわけではない。与えられた時間はこれからも精一杯生きていくつもりだ。つもりだけれど、どれほどの時間があるのかは誰にも分からない。突然、天からの断罪の斧が振り下ろされ、有無を言わさずこの世から連れ去られるかも知れない。仮にそうであってもそこまではしっかり生きようと、二人の間に暗黙の会話が交わされるだけのことだ。確かに、こういう感覚は若いときには無かったものだ。

二日続きの料理三昧に、少々疲れて、ぼ~っとオペラ「アンナ・ボレーナ」を観る。が、いつの間にか引き込まれて泣いてしまった。主役の狂喜の中に見せる繊細な美しい声に、知らず知らず涙が流れた。良くできた音楽だと色んな場面で感心しつつ、ヴェルディの曲も連想した。少しは影響を与えたのだろうか?

しかし、これをちぇちがやる?どこまでも無謀な団体だあ~!

2017年5月 4日 (木)

うららうららうらうらら~~~。

午前中は確かに当番医にでも行こうかと思うほどの痛みだったのが、ごぞごぞごぞと遣っている内に余り気にならなくなって、そうなると一気に病院に行く気は無くなる。大した事はしてないにもかかわらず結局夕方母の病院に行くまで引きこもり。今振り返っても、一体どこをどうしたのか分からない位のものだ。これだから家事というのはやりがいがない。やってもやっても終わらず、掃除したあとからすぐに汚れていく。

夕飯後にマッサージ機にかかりながらフェイスブックを覗いていると、「断捨離」の詳しい記事が出ていて思わず読んでしまった。DVDの宣伝でもあったが、これを載せたK嬢は購入したのか?聞いてからにしようと思うが、この記事だけでもなかなか良い事を書いていた。

しかし、断捨離は相当覚悟が要りそうだ。食器棚を見回しても、思いでのある食器ばかりで、いざどれかを手放すとなると逡巡してしまう。お嬢は簡単に家の前に段ボールの箱に入れて、「ご自由にお持ち下さい」と書いとけばよいのよ、なんぞと言うが、、、。

 

とりあえず不要なものをボンボン外に放り投げてあると、夫がそれを見て、「こっちがゴミ屋敷だ!」と絶叫していたが、物置は最後に遣る予定。

 

余りにうららかな日中の陽気に、我が家の裏庭の夏みかんの取り残しを採ってしまおうと、はしごに登ったが、矢張り足が気になって手が充分使えずあらぬ方向に落ちてしまって上手く行かなかった。どこが痛くてもバランスが取れないのが躰というものだ。やれやれ。このまま良くなってくれるのか?結局は整形外科の門をくぐる羽目になるのか?よりによって連休だ~!

2017年5月 3日 (水)

運転しない一日。

足の小指が痛くて、もしや骨折かと思いつつ、今日は丸亀の猪熊美術館で子供のためのイベントがあるということで、勿論運転はしなかったがお付きで出かける。が、到底子供達の工作を立ったまま見ているのは無理と踏んで、いっそここまで来たら展示を見てみようと足を引きずりながら入館。勿論エレベーターがあるからさして移動には困らないが、矢張り普通でないということは疲れる。こういう体調だったかも知れないが、余り好みの作品も無く、900円は高いと心の中で毒づいて喫茶コーナーへ。

ここは久しぶりに来たが、窓際の席は水の流れる壁が前面に拡がりなかなかの眺め。向こうのマンションが無ければもっと良い眺めなのに残念だなあ~、と思いながら、美味しいスコーンにアイスコーヒーで生き返る。しばらくそこで詩作をしてみたり、バッグの整理をしてみたり、手帳にスケジュールを書き込んだりやっていると親子がやって来た。

どうも孫べえの機嫌が悪いので、どうしたのかと聞くと、なんでもちょいと置いていた只今はまっている駒の様な物、ベイと言うらしいが、それが戻ってみると無くなっていたというのだ。一番お気に入りの物だったらしく、思い出しては涙を浮かべている。母親は、「失敗は成功の元よっ。これからはそういう大事な物はお外に持ってでないようにしようねっ。」と言い聞かせているが、すぐには気分が晴れるはずもなく、グズグズグズ。ジュース1杯飲んだ頃には少し収まり、来るときに通りがかった「お城祭り」に行こうとなった時にはほぼ快復。お陰で再び足を引きずりながらあんまり興味のない「お祭り」にも行く。舞台ではラップをやっていたが、ムムム。いつかの塩江のお祭りを思い出す。どうして最近はこの手の出し物が多いのかなあ。そりゃあ盆踊りをしろとは言わないが、どこもかしこも何故こういうドンドンと大きな音でワケワカメの音楽をやるんだろう?おみっちゃん、わかんない!

唯一面白かったのは空気を入れて膨らませた大きな滑り台。これは滑る人も観覧者も楽しめた。

お疲れ遊ばした孫べえは当然車の中でおねんね。買い物をして晩ご飯のタイミングで起こしてしっかり食べた親子はイチゴやゴボウの炊いた物をゲットして引き揚げていった。夫は、「お母さん、お疲れ様でした!」と頭を下げてくれたが、イヤ全く。もう寝る。

2017年5月 2日 (火)

O型、、、。

さっきテレビで血液型に関する、ハッキリしないが興味深い内容の話しがあった。それによるとO型は重要な病気の殆どと縁が浅いらしい。まあ喜ばしいとも言えるが、さりとて、たんなる気休めの域を出ないとも言える。当たるも八卦当たらぬも八卦と、さして変わるとも思えない。

だいたい昔から、O型はおおざっぱだとか、適当だとか、いい加減だとか言われ続けてきて、まあ、当たっているとは思うが、病気のことは知らなかった。そういえば、昨日は友人に、「O型は思い立ったら気が狂ったようにやってしまうんだわ。」と言われて、ちょいと思い当たったところだ。傾向、ってのはアルかも知れないなあ。

 

今日は孫べえが遊んでくれと無理矢理相撲ともレスリングとも柔道ともつかない取っ組み合いをしていて、危うく彼を踏みつぶしそうになったが、今のところ大丈夫らしい。むしろこっちの方が足の小指を痛めたようで、踏み込めないばかりか、段々痛みが増してくる。これだから男の子は困る。余りにエネルギーが余っているようなので、遂にサンドバッグを購入したらしく、広くもないリビングの真ん中にそそりたっている。が、飽きるんだなあ~これが。やっぱり人間相手が一番良いらしい。やれやれ。

 

流石にコンサートまで時間が無いため、本日は家事の合間に自分の歌の練習だ。、、、どうなることやら。ま、O型で乗り切ろう。

2017年5月 1日 (月)

やることてんこもり~。

そろそろ部屋の片付けにも飽きてきた今日、夜のちぇち練習は新曲で、しかもややこしい5重唱ときた。こんなのせめて一ヶ月前に楽譜を貰いたかった。年々覚えるのが怪しくなって来ていて、自分との闘いなのに、時間がなさ過ぎ~。と、言い訳しつつ、遣るっきゃないのだろうなあ。グスン。

 

真夏日の日中はやっぱり引きこもり。意外と主婦の仕事は嫌いじゃない。シャンソンの仲間と朝の教室の後おうどんを食べて、百円ショップであれこれ買い物をし、持ち帰ったモノであっちもこっちもひと工夫。これが又楽しい。これ即ち頭の体操に他ならない。買ってきた物が全て目論み通りに収まって上機嫌。あれもこれも足を洗った日には、主婦業を楽しもうと想う。しかし、先日娘がつくづく述懐していたのは、「お母さんはやっぱり専業主婦には向いてなかったね。」というもの。何処を見ての感想なのか?へんっ!てなもんだ。ま、良いけどね。なんとでも仰い。我が道を行くだけだ。

 

夜になって気温が下がり、一杯のワインが殊の外美味しい。、、、今日も終わるなあ。

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