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2017年3月

2017年3月30日 (木)

旅。その2。

水戸というところは、ちぇちの会長の生まれ育った所でもあり、息子も長く住み続けているため、親近感はあるし、高松との姉妹都市というのもある。どことなく落ち着く街だ。前回お泊まりしたホテルが余りに悲惨だったので、今回は慎重にネットで調べて予約していたが大満足。何しろ駅前という立地にもかかわらず温泉大浴場がある。それほど大きくはなく、大浴場はちょいと言い過ぎでは?という感じではあったが、充分疲れを癒やしてくれた。部屋も8階だったが水戸駅を見下ろせて人の行き交う様を高見から見下ろしながら飲むビールは美味しかった。二日目の雨の日は、ことさらにネオンが夜を彩り美しかった。清潔な静かな室内も好ましく,,,故に、今回は合格。リピートありだなあ。

水戸では、息子の長女が二度目のミュージカルに出演するのを観に行くのが主目的だった。今回も三回見た。中学3年生までしか出られないのだが、非常に良くできている。一番最初のゲネは所々スキが見えたが、次からはその点もキッチリクリアして、見事なステージとなっていた。三回とも少しずつ立ち位置が違い、踊りのステージングもわずかに変化が。孫は一瞬死ぬんだが、その場所も変わり、だめ出しがその都度行われていたのを知る。そして、個々にも動きやセリフに段々成長が見える。公演の中で進化し続けるエネルギーを感じた。子供の方が柔軟なのかも。

脚本はアナユキの翻訳者らしく、ストーリーにそれを彷彿とさせるものがあった。バレーを習っているらしい子供には、しっかりダンスを踊らせ、歌が得意な子供には大きな歌を歌わせている。彼らはその器にしっかりはまって、恐らくは力以上の力を出しているかに見えた。吾が孫は、準主役とあって、最初から最後まで力一杯演じていた。結構な量のセリフだったが、完璧にこなしていた。棒読みではなく、その役になりきっての台詞回しには正直驚いた。やっぱり好きなんだなあ。

客席では家族がみんなハンカチを出して時には嗚咽を漏らしながらの観劇だ。普段子供らしい面しか見ていないのが、こんな事が出来る様に成長したかと思うだけで涙が出てくるが、その上にストーリーの面白さに感動する。しっかりしたテーマのある舞台は前回と同じで、今回は「四季が無くなって夏のみになってしまった地球」が舞台。大人にも考えさせ、何かを訴える内容となっている。

 

メッセージといえば、その前に東京で見た、「ミュシャ」はこれほどハッキリした思想を描いた絵は少ないのではないか?と思いながら見た。描かれていたのは、「スラブ叙事詩」。彼の祖国の元々は宗教戦争だったようだが、原因が何であれ、戦争はイケナイ。人皆平和を求めて生きるべきだというこの大きな絵の数々は、ナチの迫害を受け、獄死したという彼の悲痛な叫びだった。殆どの絵に赤ちゃんを抱いた母親の姿が描かれ、戦争が終わっても、子供の未来を不安な面持ちで見つめている様子が見事な表情で描かれていた。その顔は誰が見ても胸を突かれる壮絶なものだった。きっと作者の思いをここに込めたに違いない。

 

結局芸術的なものは何かを伝えなくてはならないのだ。

2017年3月29日 (水)

旅。

旅と言えるほどのものではないが、それでも四泊五日は矢張り少々身に応える。我ながら驚いたのは、一日に出来ることの少なさだ。飛行機から電車に乗り換え徒歩たったの5分でホテル入り。にもかかわらず既に初日から疲れている。そもそも東京という街が疲れさせる。孫べえなんか、通路から歩行者道路に出た途端、前からどどど~っと押し寄せる人波に、「怖い!」としがみついてきたくらいだ。確かに、この感覚は田舎にはないものだ。

その孫べえと二人きりでイタリアンのお店に入り、向かい合って食事をしたとき、あの6歳はしみじみと言ったもんだ。「懐かしい~。このパスタの味も、このお店も全部懐かしい~。」そしてなおも、「大ちゃんねえ、香川と東京と交代で住みたいなあ~。小学校は東京でしょう!中学は香川。高校は又東京が良いなあ~。」だそうだ。やれやれ。思うのは勝手だわい。

結局この日は用事で出かけた母親に代わり、ホテルでチビ助相手に現代版独楽回しで遊び、母親が帰ってきてお風呂でお終い。何てこと!行く前は、短歌の締め切りに間に合わせようと、宛名を書いた封筒を持参していたにもかかわらず、一首も詠めないばかりか、何もしないで爆睡。

翌日はかろうじて、予め予定していた「ミュシャ展」に友人と待ち合わせて出かける。たまたま同じ新国立美術館で、「草間彌生展」もやっていて、娘親子はそっちに入る。ミュシャはまだ孫べえには早すぎる。丁度良いものがあったことだ。親子はいたく感動して、芸術は爆発だ!と叫んでいたが、おそらくはそういう作品だったことだろう。

この日も、自分の為にしたことはそれのみ。あとは又又劇団の練習に招待されたと出かけた母親に代わりこもり。「今日何曜日?」と聞いたと思ったら、「みっちゃん、今日の晩ご飯はね、スーパーでお寿司買ってお部屋で食べるんだよ。」とのたまう。なんでも見たいテレビ番組があるんだそうだ。おおせの通り出かけて行って、こっちはビールを買うことも忘れない。ちょいと迷ったが、レストランで食べることを考えたら安く上がるとばかり、某有名料理屋のお弁当1,200円なりを購入。これは美味しくてヒット。、、、てなことで、この日も以上終わり。この時点で短歌は提出を断念。

全く信じられない。東京に来て、この動き方は何?

そして翌日、早々に寝ている二人を起こさないように気遣いながら部屋を出て、今度は水戸まで移動。上野を出発するのに30分あり、モーニングを食べる。そして、間もなく水戸に着くと言う段になって,眼鏡が無い!あっちゃ~。又しても紛失か?と焦った焦った。が、ホテルでじっくりバッグを改めると底の底に隠れていた。後から、偕楽園を散歩しながら息子に電車の車窓からも梅がキレイだっただろう?と言われ、実は眼鏡を探すのに必死で見てない、と言ってはバカにされた。

この偕楽園。以前来たときには母も一緒で、それほど沢山歩かなかったと思うが、今回は歩いた。ブラタモリで紹介された孟宗竹の竹林もその素晴らしさに写真に収める。好文亭は昔のエライ人やその奥方の休憩所だったり、名前の通り文筆家や文化人の集う場所でもあったようで、詩歌を詠む場所もあった。ただ、つくずく不思議だったのは、何しろ天井は低いし、廊下は狭い、階段は急で、昔の人はみんな小柄だった事を伺わせる造り。ただ、下で造ったお料理を上まで運ぶ仕掛けがあったり、随所に知惠が見られる。現代人とさして変わらない知惠者、というか昔の人の方がある意味人生を楽しむ術を知っていたような気がする。

ま、今日はこれくらいにしとこ。

2017年3月21日 (火)

頑張らなくっちゃ!

大阪の友人から電話。お互いの近況を報告する中で、共通の友人のことも話題になる。皆んな、いつの間にかこんな歳になって、自力ではなかなか奮起するのが難しい状況になってしまったと相あわれむことしきり。
そうなんだよねえ。一度つまづくと復活が難しくなるのを体感している。こんなワタシを引っ張り上げて!と、内心は願っているんだ。幸いにもワタシには嫌でも行かなくてはならないとか、やらなけれはならない事がある。おかげで辛うじて動くことができている。。。。従ってこうした縛りを有難いと思う日々。
皆んな、ガンバロウよお!

最近、震災後の話題がテレビに多い。あれ程の悲劇の中から、立ち上がり歩き続ける人が沢山いる。人間の底力を見せてくれている。。。。贅沢を言わず、この人々を見習わなくては!与えられた命を、生き抜かなくては、バチが当たる。

さ、明日はシャンソンだ。午後は母の病院と夜はチェチ。がんばるべ!

2017年3月20日 (月)

歌、というもの。

昨日の音楽界に刺激を受けて、うらうらと綾川近辺までお歌の練習に出かけた。H先生ご夫妻から何時ものように歓待されて、男性二人の参加者ともども、たっぷりと歌った。

昨日の演奏会でも思った事だが、矢張り歌は声だということ。正しい声こそが、人を感動させる。今日の男性はお二人とも元々良い声を持っている。しかし、発展途上の声は、未来図の予想はさせるが、今感動を呼ぶことは出来ない。故I先生がいつも言われていたが、「歌は難しい。」という側面でもあるだろう。聴く人におもねった歌も良くないし、独りよがりの歌も面白くない。音符通りに歌っても良い歌にはならない。なんて難しいんだろう。

その点、今日ののど自慢全国選抜の出演者のような歌はどうだろう?

最初から聴いていたのを知って夫が、どの人が一番良かったかと聞いてくるので、多分あの人がグランプリじゃない?と言ったらその通りになったが、実はこの人はいわゆる美声ではない。何が一番だったか。それはハート。歌の中に非常に真心がこもり、聴きながら自然に涙が流れた。人を泣かせるほどの歌唱力だったのだ。確かまだ高校生の野球球児。女性の歌を歌ったのも良かったのかも知れない。若干十代の若者が、グランプリを取り、滂沱の涙を流しつつ、再度その歌を歌いきったのには驚いた。今時の人だなあ。その時初めてそれを聴いた夫もグスングスン。やっぱりそういう力があるんだ,彼には。この時特別賞に輝いたのは壇上二人。ともに美声の持ち主で、歌も上手い。さもありなんという結果だった。

 

だから、歌って、なんなの?奥が深いなあ~~。

演奏会の日。

久しぶりに本格的なオペラの演奏会に出かけた。もとちぇちのメンバーも出るというのもあったが、矢張り自分も歌う前で、モチベーションを上げたいという思いもあった。

期待に違わず、充実した楽しい演奏会だった。今日はただのアリアや重唱のオンパレードではなく、ハッキリとオペラの一シーンを歌う事で、アリアなどがどういう意味合いを持ち、どんな場面で歌われているのかをキッチリ表現していた。全編これという演奏会は珍しい。全曲をイタリア人のピアニストが弾いた所をみると、この人の意見も入っていたのか?このピアニストは素晴らしい演奏家だった。ただ、上手い人というのを超えていた。テクニックは勿論すごいが、歌い手を促す弾き方や時には控えめに時には煽って、歌い手にしっかり寄り添っていた。オペラの伴奏はこの人にとってご飯を食べる位の普通の事みたいだった。

男装の麗人をやったM嬢はアルトにもかかわらず高い音域を十二分に響かせて圧巻だった。非常に成長したことを感じたし、今後にも期待したいところだ。アルトは貴重だし、既に広島などでも歌っているようだから、今後もどんどん上達し続けることだろう。昔、一緒に舞台を創っていた仲間時代があり、矢張りこういう人が出て来たのは嬉しい。

本物の男性の中に凄い人が居た。一人はバスで、京都の大学院に在籍中とあったが、これ又貴重なバスだ。しっかりした発声と姿勢で迫力があった。もう一人は何故か時々香川で声を聴くことがあるが、現在九州で活躍中らしいテノールだ。このお二人はオペラ歌手の魅力をたっぷり表現してくれて、久々に良い歌を聴いたという思いで拍手の手に力が入った。

地元の歌い手達も大いに頑張っていたし、歌う人間として、とても参考になったステージだった。ちぇちからお手伝いに3人が活躍してたのも嬉しい。こうして各団体が協力し合うべきだと思うから。

 

にしても集客がサッパリだったのはとても残念だった。3,000円、高いのか。まあ、安くはない。しかも連休中日だ。高松は、これだから怖い。採算が合ったのかどうか?他人事ながら気になる。

先日もある音楽家とFMで話したことだが、何とかホールに足を運んでくれる人を増やしたいとつくづく思う。このFMもそうした重いから頑張って続けて居るが、、、、段々大変になって来ている。ちぇちの活動も、勿論その思想が核になっている。お陰で今までは何とか満員に出来てきたが、さて、今年はどうなるか?

 

演奏会に行けた事で少し元気が出て、今日は近くの温泉に行った。そこで面白い光景を見た。

湯殿に浸かっていると目の前をお婆ちゃんと孫が通りかかる。お婆ちゃんが、「走らないで、気を付けてよっ!」と言った途端2、3歳とおぼしき男の子はものの見事にすってんころりん後ろへ転倒。それを目にしたそのお婆ちゃん。メチャクチャ怒った。その子供の片方の手を引っ張って起こしつつ、背中をバチッバチッと何度もたたき、だから言っただろう!?と激しく叱咤。後頭部をしたたか打ってる筈のその男の子は、痛いのも忘れて凄いお婆ちゃんの罵声に圧倒されて、手で頭を押さえながら小さい声で、「うん」と答えるのが精一杯。で、ちょいと離れたところから母親が声を掛けた。どうしたの?転んだの?大丈夫?という声に遂にその子はわんわん泣き始めた。思わずこっちは笑ってしまったが、向かい側の湯殿の女性は終始苦虫状態。一体何がそういう顔にしているのか?こっちは笑い、その人は苦虫。お婆ちゃんは色んな感情で焦った顔。。。。これは面白い。役者が揃った。

こういうお婆ちゃん、昔は沢山いたよねえ。今はこれほど自信のあるお婆ちゃんは珍しくなってしまった。

何時もなら夜10時過ぎに子供は居ないが連休中のせいだろう。県外から子供を連れて帰省か?ケッコウ子供連れが居たなあ。

さあ、明日はお歌の練習だ。

2017年3月17日 (金)

晴れた一日。

今日は母の転院の日。折からの好天に恵まれて、本人は勿論、弟夫婦も私も気分が軽く病院を後にし、次なるステージへと移動した。新しいリハビリステーションでは何が驚いたって、一人の患者にこれほどの人がかかわるのか!という人数の担当者がいて、入れ替わり立ち替わり我々に質問攻め。次から次へと新しいことを遣らされるので、母も転院の少々不安な気分も吹っ飛んだようで、終始ニコニコと対応している。丁度昼ご飯時分とて、屋島が見える指定席でたっぷり食べられている母に声をかけて我々もうどんでも、と車に乗り込む。

しっかりした体制の施設に三人とも大いに安心。地方の介護システムも相当進歩したなあと感心しきり。むしろ田舎の方が手厚いのかも知れないがどうだろう。たまたま昨日だったか介護施設がベッド数が余っているのに入所できないというテレビの特番を見たところだった。政府の打ち出した施策が失敗だったような内容だったと思うが、確かにこれ程の人員が必要ならば、建物は出来ても職員が不足するのは分かるなあ。

しかし、今後の母の展開がどうなっていくのか分からないが、今日の天候のせいか、我々はなんだか楽天的な気分。毎日こうだと良いんだけど、、、。

 

パソコンにNHKからアンケートが入っていて、これが又排泄の介護についての問題点だった。いやはや、避けては通れないなあ。この問題は。人間の尊厳を冒しかねない問題を含んでいるからねえ。

 

歌でも歌ってないと、救われないなあ~。いろいろ。

2017年3月16日 (木)

今時の卒園式。

我が卒業高校の教諭をされていた方が経営する幼稚園の卒園式に、ジジババ同伴で出掛けた。我ら家族四人とも同じ高校の卒業で、因縁浅からぬことを改めて感じた。従って相当な高齢の園長先生だが、長時間の式典をシッカリ勤められたのには、皆で感動したことだ。
子ども達は良く調教されていて、驚かされる場面も多々あった。父兄のすすり泣きにこちらもつられて涙涙。確かに、「生まれてくれて有難う」の気持ちがよく分かる。
実は人生はこれからなんだけどね〜!
しかし、只今話題のあの幼稚園が、時々オーバーラップして困った。ここは健全の様だが、、、。

全員が、妙な疲れを覚えて解散。こっちは仕事。夫も打ち合わせとかでお出掛け。娘は、寝る!と宣言してたが結局部屋の片付けに追われたらしい。
う、明日からチビは休みダア!時間調整に追われそうだ。

先ほどテレビに
東京の美術館の展示が紹介されていたが、丁度来週行けそうで嬉しくなった!今から体調を整えなくては!
例の園長が国会で何やら言う日に出発だなぁ。まさが死なば諸共?展開が読めない。

2017年3月15日 (水)

マジヤバな話し。

いやホント。同年の人が昨年三回も認知症の検査を受けたと賀状に書いて来たが、同じ気持ち!今朝はFMだというのはシッカリ覚えていたが、その後孫べえと過ごした後に娘とバトンタッチしてチェチの練習に行くと思い込み、緻密な計画を立て、いつも一緒に行く人にメールする。と、そのお方から早速の電話。「あのお、練習は来週じゃないかしら?」あっちゃあ!ここまでのわたしの苦労は一体、、、!てなお話し。娘に慌てて間違いをメールすると、意外にも噛み付いて来ない。。。。不気味!これは、本気で心配になったか!

今日は母の誕生日。間隙を縫って病院にケーキの代わりに白玉ぜんざいを持って行く。丁度お風呂から出たところで、サッパリした顔で大いに喜んでくれる。長居は出来ないか買ってきた週刊誌や靴下を置いて明るく別れた。明後日の転院を覚えてないかなと思ったが、娘が電話したらチャンと分かってたようだ。「あんたに心配されるほど呆けてない」と言われそうだ!やれやれ。


ことほど左様に我が身が不安な状況で暮れの舞台に立てるのか。ヘルプミー!だ。

春は名のみ。

一応晴れたけど、なんか寒い。明日がもっと寒いらしいと聞いたから、今から首をすくめて準備している。ホント、寒さに弱くなってしまった。更年期の頃はあのフラッシュ現象のせいで、むしろ冬の方が嬉しかった。変われば変わるもんだ!

朝朝の通園バスの見送りがいよいよ明日で最後となった。今日なんか、運転手さんも深々と頭を下げてくれて、こちらもいつもより丁寧にご挨拶。見知らぬ土地と人の中で心細い孫べえだったが、こうして色んな人に優しくして貰って、何とか幼稚園を卒業だ。本当に感無量と言ったところ。孫べえを取り巻く全ての人に感謝。

昨日は怖い話しを聞いて、これからこの子がマトモに成長してくれるかどうか、不安になった。小学2年生の子が、トイレが長いと見に行けば、喘息の発作で事切れていたらしい。うちの孫べえもレッキとした喘息持ち。その為の転地だったほどで、油断出来ない。

思えば一人の人間が何事もなく成人するのは本当にすごいことだ。我が娘を見ても、必死で子どもを守っている。モチロン自分もそうして来たし、同じように、我が母も長い時間、愛情を注いでくれた。そこの基盤があればこそ人が人として色んなことができる訳だ。
あと、どれほど同じ時間を共有できるのか、そう長い時間ではないだろう。一日一日が大切だ。

娘とバトンタッチして急いで帰宅すると、声をかけてくる男性が!刑事を名乗る人には長らく会ったことがない。一体何事があったのかと、夕食を待ち焦がれていた夫に告げると回覧板を回すとかなんとか言いながら飛び出すあたりは、ホント、野次馬だ!まぁ、メディアは野次馬の集まりだわね〜。
こちらはスマホにちゃんと情報が入ってくる。ナント、案外近い所でチカンか?女子学生がケガをしたらしい。黒のウエットスーツの男を探しているようだ!やれやれ。物騒になったもんだ!

そういえば、先日ウィーンから一時帰宅していたAさんの話しだと、あちらは治安も良いがチカンは全く居ないそうだ。それというのも、あちらはフリーセックスだから何も抑圧されてないからだそうだ!ヘェ〜〜〜と聞いていた女三人、かなりびっくり!ムムム。

ま、日本で良いか。ふふふ。

2017年3月14日 (火)

もしや鬱?

体調不良は卒業かと思って居たが、なんかおかしい。ある日は12時間も爆睡するかと思えば、ある日は深夜3時過ぎからぱっちりと目が開いて全く眠れない。明らかな睡眠障害だろう。ある時は足がやたら冷たくて、電気毛布を最強にして丁度良い感じ。温泉で暖めようと行くも、いつものように効果的でない。

その上、認知症かと思うドジの連続。今日など、一つの料理を作るのに、調味料を入れる順番を間違えてやたら酸っぱいのができてしまい、その上、その煮汁でゆで卵を炊き込もうとして火を点けたままマッサージ機に。当然の様に真っ黒け。ちょうど婿殿が来ていて、きっと呆れたことだろう。というか、あまりのことに心配になったかも知れない。

ストレスはある。母親の入院は心理的にきつい。が、それだけではないような気がしている。

こんな状態で、さっぱりお歌の練習が出来ていない。自らやろうという気が湧かない。これは全くヤバイ。と思って居たら、久しぶりにメールを開くとH先生からお誘いのメール。ご丁寧に候補日をいくつもあげて下さっていて、どうにかその中の一には行けそうで早速お返事を打つ。有り難い事だ。こういう人が居ないと、自分の力だけでは浮かび上がれない。

考えてみると、今自分が動いているのは、他者からの働きかけによる、ある意味逃れられない力のお陰だ。

その内の一つ、今朝はシャンソン教室に出かけた。行けば、歌の世界に引き込まれ、ワイワイと楽しく歌ったり喋ったり出来るのだ。終わってから、みんなでランチにも行ける。

そして夜はちぇちの練習だ。これも間もなく舞台があるため、今日は衣装を着けての練習となり、いやが上にも盛り上がる。ここでの自分のやるべき事は、自然とやれている自分がいて、、、、これも他者からの働きかけのお陰だ。

もし、こういうことが一切無ければ、完全な引きこもりになってもおかしくないだろう。

一昨日のように孫べえを連れて、はるか飯山まで病院に行くというお仕事も、結局そういうことだ。、、、と思えば、なにもかも有り難い位のものだ。

色んな力、色んな人に生かされている。

2017年3月 6日 (月)

一日、一日。

今日も頑張った。なんぞという情けない言葉しか出てこないこのところの不調。まあだから、不調の中でおみっちゃんは頑張ってるんだ。(自画自賛)

実は短歌の歌会となった会場は、同時刻にバリトンの素晴らしい演奏会があったのだ。以前の元気なワタクシならば、半分でも聴きに入ったことだろう。実際、ピアニストIさんからお誘いを直前メールでも頂き、かなり気持ちが動いた。が、その元気が全く無い。歌会で、一度椅子に腰かけたら最後、休憩でトイレにも行かず、座りっぱなし。でないと体力が維持出来ない感じだったのだ。

唯一人マスクをしていたせいもあってか、司会者が気を遣ってくれて、あまり発言を強要されなかったので最後まで持った感じ。とにかく集中するのが大変だった。明らかに居眠って肘がテーブルから落ちたことも二度ほど。こういうのは同年のIさんのいつも遣ることなんだけど、今日はこっちがお株を取ってしまった。

まあしかし、文学的価値は下げたかもしれないが、いつものように時折ジョークのチャチャをいれつつ最後まで和気藹々、、、、それもこれも、この会が回数を重ね、それぞれの人となりも少しずつ分かり始め、ここまでは大丈夫という、言えるラインのようなものも見えてきたからだろう。でもって、時折そのラインをはみ出すのも赦されるという具合だ。

今もって、この自分が短歌をやるようになるとは思っても見なかったのが正直な感想だが、世の中の短歌ブームを見渡せば、どこで出会ってもおかしくなかった。それならば、携帯短歌や、ネット短歌でなく、オーソドックスな日本古来の伝統の香りのする今の結社で良かったのだろう。

楽なものはすぐ飽きる。オペラをやっているのもそういう面があると思う。難しいから頑張る。頑張るから音楽の中心にあるものに触れる事が出来る。

 

明日は久々のちぇち練参加。上手く行けば母の顔も見られるかも知れない。さ、さ、さ、さ、、、、。

2017年3月 5日 (日)

CMの功罪。

今回の風邪は一応の診断はインフルエンザだったが、さりとて、予防接種のお陰か高熱も一日のみ。所謂タミフルのような薬も飲まず、総合感冒剤をずっと飲み続けている状態。にしては、身体がだるく、たださえ重い肉体が、さらに重く感じられ、軽々と動く気分もならない。、、、、こんな中で、今日は素晴らしい好天。この機会を逃すと又又出来なくなるとばかり、布団を干したり、ベッドメーキングをすっかり遣り変えたり、大物の洗濯をしたりと少々動き過ぎたか。夕食の後はさっぱり使いものにならず、テレビの前でグズグズグズ。只今午前一時という時間になってようやくキーボードを打つ気になった。

明日の午後は歌会。長時間、体力的に持つだろうか?ちと心配。

心配なのは母親だ。所謂ノロウイルス発生のため、見舞いにも行けない。電話も何故か繋がらず、かなり心配。いきなりこういう風に断ち切られるとは。。。。今度会ったら、どちら様?とか言われないだろうねえ。

 

こうしていつもよりテレビを見る機会が増えているわけだが、近頃のコマーシャルの面白さに感心しきり。「デビュー婦人、、、」「勝手に名前呼ばないで!」なんて~のは、お気に入り。フフフ。

そこで考えたのだが、時にこのCMが非常にうるさく感じられるのは何故だろう?かくも手の込んだ、愉快なCM。幾つ見ても見飽きない位の物だが、時として非常に気に障るのは何故だろう???

独断と偏見で言うと、結局本編の面白さに寄るのではないか?と思う。例えば、非常に面白いドラマや映画の間に、如何に力作のCMが入ってもそれは邪魔には成らず、所謂トイレタイム、くらいにしか感じられない。が、本編が余り面白くないものだと、CMのほうが立ってしまって、さっきまで見ていた本編への思考が切断されてしまうのだ。、、、いや、時には双方が喧嘩してしまっている場合もあるような気もする。

映画館で、仮に1本でもCMが間に入ることを考えると、それは絶対にあってはならないことだと思える。テレビの場合は、殆ど諦めの状態。一度数えたら、14,5本のCMが間に入るドラマがあった。これだけ集中を阻害されて、尚かつ元の状態に戻るのは難しい。結局テレビでは表現に限界がアルということだ。制作者も出演者も、視聴者もそれを当然のこととして、受け入れているのだ。

おそらくは、NHKを羨ましく思って居る制作者は大勢いることだろう。それでも以前NHKのディレクターと話したとき、丁度冬ソナ大ブームの時で、そのことを話題にすると、自社製作ではありませんから、、、と悔しそうに語っておられたのが印象的だった。結局そこにはそこの苦悩があるということなんだろう。

 

そういえば、長いこと映画館に行けてないなあ~。

2017年3月 2日 (木)

3月だなあ~。

始動、とここに書いたが、きわめて緩慢に、慎重に、再発ばかりは勘弁と、らしくもない時間を過ごして居る。午前中に仕事を一件。午後は、何をしたかも思い出せない位ぼ~っと過ごす。今日はシェイクスピアの会の集まりもボイコット。心配した仲間から電話を貰う。電話口からその周辺の賑やかな娑婆の喧噪が聞こえてきていた。羨ましい限りだ。

夕食は一応作ったが、夫婦とも食欲がイマイチ。全く種類の違う風邪菌を持っていそうな夫からは出来るだけ遠ざかり、、、、といってもこの狭い空間では至難の業。逃げるため、食後はパソコン前でアメリカ映画のコメディ版を2本も見る。一人でゲラゲラ笑って、、、、これも疲れる。

明日は久しぶりに孫べえを数時間見るのだが、これ又、心配性の母親から出来るだけ近づくな、必ずマスクをとあれこれ言われている。確かに、この子が助かってるのはホントに有り難い。

入院中の吾が母親とは、携帯電話で話すのみが、ず~っと続いている。弟夫婦はせっせと通ってくれているらしいが、色々感染が心配されるらしいから、今は行かない方が、、、、と連絡を貰う。こういう時、携帯は便利だ。院内の携帯が以前ほど禁止されなくなって有り難い。

 

ニュースを見るのも飽きてきた。海外のまるでドラマのような殺人事件も、国内のあれやこれやの疑惑事件も、喧しく報道されていたモノが、段々トーンダウンしてきて、どれもこれもスッキリしない結果へと移行し始めているような気配。なんだかねえ~~。。。

2017年3月 1日 (水)

終息。

我が家のインフルエンザ、テンヤワンヤも漸く落ち着いてきた。気分屋さんの夫は絶対ウツッタと言いながら病院に行くも、ただの風邪と判明。しかしスッカリ病人となり、早々とお休み遊ばした。が、婿どのは本日よりご出勤。このワタクシ目も、後少しの感じ。
今朝は、全く久し振りに通園バスに乗った孫べえを、三人で見送った!嬉しそうな顔を見て安心。周りの大人達がみんなバタバタと倒れるのを見て、とても心細かっただろう。何故かこの子が元気で助かった!

ボチボチ始動かな。

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