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2017年2月

2017年2月25日 (土)

猛威。

我が家は只今インフルエンザ地獄。なんんてったって、主婦がやられていて、娘婿も同じ病を持ち込んで、隔離とはいえ、同じ屋根の下で飲食は一緒にしているもんねえ。これでもうつらなかったら夫は相当なもんだ。と思うが、帰宅と同時に、「お帰りなさ~い。地獄の我が家へ。」という嫌みにもめげずマイペースを貫き、私は既に快復していると勝手に宣言し,晩ご飯はあったかい鍋料理でも!何ぞと言う。あのね。私たち、インフルエンザですけど。

このような夫のお陰で、これまでも復活してきたのかも知れない。優しくて、下にも置かぬ扱いで労られたら、起き上がる気力も湧かなかったかも。くっそ~っと思えばこそのエネルギーの快復だったのかも。

で、第三の患者娘も、遂に熱が39度越え。身体の節々が痛いとか頭痛がヒドイとか訴えてくる。これ、全くこのワタクシと同じ症状。心配なのは、6歳だ。狭いマンションでの隔離は難しくも、何とかせめてリビングで一人寝はさせたらしい。大泣きしたけど、静かになったと言ってきた。やれやれ。

 

それにしても、この私が食欲が無い。食べても余り味がしない。皆さんの為にあれこれ買いそろえて、娘にも届け、我が家にも持ち帰り、自分は少なめにと思うが、その少なめが完食できない。不思議と昼間おやつに食べた最中が美味しかったりする。

ま、これはきっとそう長くは続かないだろう。既に婿殿との乾杯が楽しみになって来たくらいだ。大丈夫だろう。

ふ~~っ!

それにしても次から次へとスケジュールの変更でアチコチに迷惑を掛けている。日常を普通に送ることが出来ることが如何に有り難いか。。。。

明日も予定していたコンサートをキャンセルだ。やれやれ。

2017年2月23日 (木)

いらっしゃ~い、インフルエンザ!

遂に私の所にお越しになったインフル様。昨日は8度5分まで熱を伴い、体中が痛いのなんの。歩いても足の裏が痛い痛い。が、予防接種をしていたお陰で、一日のみの熱。今日になって病院に行くと、ピークは過ぎてます。と言われる。数日は外出禁止。。。。ところがギッチョン。婿殿が発病。こちらは予防接種を受けていないためかなり重篤。熱も9度越えらしい。

問題は、孫べえとその母親。狭いマンションでは隔離しようがない。あれこれ考え議論した挙げ句、「お母さん、どうせ同じ病気なんだから良いでしょ!」と我が家での隔離を要請してくる。ま、確かに隔離は出来る。ということで、本日は裏の二階に病室を作り、入室して頂く。おかゆを持って行くと、既に真っ暗にして休んでいたらしい。相当辛い状況のようだ。可哀想に、、、、。図体がでかいだけにこうなると憐れを感じる。棍棒取られた鬼のようだ。

しかし、我が夫の奇行には驚く。婿どのが我が家で静養すると聞くと、買い出しに行って自分の夕食用にお寿司と刺身と鶏の南蛮ソースにマヨネーズかけというメチャクチャなメニューを買ってくる。これを彼に出せと言うから、高熱がでてフンフン言ってる人にこんなもん、食べるはずないじゃん!?と言うも、いや若いから食べるかもしれん、とひつっこい。お皿に盛り合わせてラップをして準備しているから、そのまま捨て置いた。その上、ビタミン剤やカルシューム剤、ユンケルなんかも出して来て、彼のお盆に置けと言う。まあこれは一応置いたが、、、、。妙にハイテンション。明日明後日とどうしてもキャンセルできない大きな講演会や司会があるそうで、このアチクシには寄るな触るなとうるさく逃げ回っていたのに。。。

 

予防接種は矢張り受けて居て良かった。これほど症状に差が出るんなら、値打ちもんだ。

 

しかし、健康でないと何も出来ない。今回の事でシャンソン教室はお休み。FMも局に迷惑を掛けた。ちぇちの練習もせっかくのW先生の男前なレッスンを見ることも出来なかった。残念無念。

しばし温和しくしておくしかないなあ~。

2017年2月22日 (水)

まさかとは思うが、、、、

今日はようやくの思いで歯医者さんに行く。ご無沙汰ばかりしていたが、イロイロ相談もしたくて思い切って出かけた。
行きつけの医院では丁寧に親切にみてくれ、治療もしてくれたが、後から入って来た年配のおじさんが、大声で二度もインフルエンザにかかったと受付嬢に喋っている。こちらは内心ゲゲゲッと思ったが、逃げる訳にもいかない。
全て終えて帰ったが、帰宅してからなんとなく怪しい。モチロンそのおじさんから貰った訳ではないだろうが、熱もないのに風邪っぽい。明日はシャンソン教室だが、近い所で対面する事を考えて用心の為お休みの連絡を入れた。
しかし、明日はチビを見なくてはいけない日。なるべく近寄らずにいようとは思うが、、、。
早くこの季節が終わって欲しい。気温差が激しいのも体調に異変をきたす原因だろう。

昨日はちぇちぃりぁの臨時練習日。来月のちょいとした舞台の為の演技中心の練習だった。
そういう練習の為、いつものピアニストはお休みいただいて、会長のピアノでコマ切れ練習となる。となると指揮者不在になり、如何にピアニストの居る練習が贅沢で有難いか分かる。早速水曜日にはw先生の男前のレッスンにこの成果を使わなくてはならない。さて、上手く行きますか?
動きながら歌うのは慣れていても大変だ。きっと檄が飛ぶに違いない。
こういう練習は、何も今回の為だけのものでは無い。年末のオペラの舞台をにらんでの訓練だ。

しかし、この手の練習は、殊の外疲れる。練習後、運営委員が喫茶店に集まり会議を11時までしたが、本当に疲れ切ってしまった。帰宅しても何も出来ない。今日の不調もそれが尾を引いて居るのかも知れない。つくずく体力の低下を痛感する。年末までもつか?
ふ〜。。。

2017年2月19日 (日)

予定通り。想定外。

行くことに迷いは無かったが、快晴が気分を押し上げてくれた今日のヴァイオリンリサイタル。素晴らしいものだった。誠実なお人柄そのままに、あくまで美しい音色を奏でてくれて、その優しい音色についうとっとする場面もあったが、折々のトークも楽しくあっという間に終演となる。段々盛り上がるプログラムも成功だったと思うが、最後にアンコールで弾かれた「ロンドンデリー」は心が一杯詰まった素晴らしいものだった。何故その曲かという説明の時に、「人は一人では生きられない。という歌詞が大好きで、今まで支えて貰った方々に、そしてこれからも支え続けて頂くであろう皆様に、心を込めて弾かせて頂きます。」という熱いメッセージ。これを聞いた段階で、アチコチですすり泣く声が。そしてあのメロディーだ。思わず知らず涙が溢れてきた。この曲、こんなに良い曲だったんだ!

結局音楽は人だなあ~。歌でも楽器でも、奏でる人によって、醸し出されるものがあり、技術もさることながら最終的には人物の様な気がする。

女三人が乗った吾が愛車も足取り軽く口も軽く帰ったもんだ。が実は何故か急にお腹が痛くなってきて、牟礼で落としたTさんとバイバイして残りの一人を送り届けられるか?と内心不安のママ出発。もしや行く前に立ち寄ったうどん屋さんで、「中」を食べたのが悪かった?そんなやわなお腹ではない筈。足が冷えたか?上は厚着だったけど、、、。なんぞと内心考えながら、結局は無事彼女の家まで送り届けて、そのままCOOPへ。夕飯の買い物をして帰宅してとりあえず暖める。20分ほど仮眠したらなんとか快復。やれやれ。あれは一体何だったのか?、、、近頃自分の身体に違和感がある。せっかく良い音楽を聴いたというのに、、、。やれやれ。想定外の展開だ。

 

それにしても志度音楽ホールが満杯だったなあ~。ちぇちが少しでも貢献できてホントに良かった。

インフルエンザの接近。

病室で母の側に居て、つくずく話した事だが、96歳、間もなく97歳になるまで、ざっと数えただけでも10回も入院していることになる。父ほど一回が長くはないが、大体1週間程度の入院はケッコウ重ねてきたもんだ。要するに現代医学の恩恵をしっかり受けての長生きだ。これも寿命と言えるのかなあ。生きているのはその存在に意味があるからだと、よく聞くが、確かにそうだろうと思えるのだが、、、。本人もよく頑張って来た。流石戦争経験者だけある。少々のことでは「へこたれない」。

入院の都度、家族は言葉は悪いが振り回される。母親思いの我が弟は、ほぼ毎日のように病院に行き、話し相手に成っている。矢張り母と息子というのは絆が強いのだろう。それに伴い義妹も色々と大変だ。が、これ以上生きたとしても数えられるくらいの年数になっていることは、本人も回りも分かっていて、その思いをベースにそれぞれがそれぞれの立場で動いている。

ところが、本日同室の患者さんにインフルエンザがでた。たまたまその説明を受けるときは居合わせたのだが、あっちゃ~って感じ。勿論当人は隔離されたようだが、同室のわが母など3人には戒厳令だ。しばらくは付き添い看護や面会にも来るなと言う。年の為本人にはタミフルの投与を受けて貰うから同意書にサインを。これは困った。入院で認知症が進まないかと危惧していたところだったから、、、、。弟もこれには驚いているし、思いは同じだろう。、、、これからどうなっていくのか。家族の手から離れて持ちこたえられるだろうか。

 

病院という所はほんに疲れるところだ。別段大した事をしているわけでもないのに、娑婆に出た途端、全身に疲れが走る。自分の年齢を感じずにはいられない。そもそも入院前に医師に経過を告げなくてはという時も、我等姉弟の頼りないこと。中では一番若い義妹がかろうじて活躍だ。あれいつだった?と彼女に訊く場面が何度も起きる。訊かれた方も近頃は首をかしげることが多くなってきているのだ。最後はメールで吾が娘に確かめたり、、、老々介護の言葉に信憑性が増すばかり。

こんな中、逆に病院に行けなくなって、かねてからの約束通り義妹も一緒にヴァイオリンの演奏会に行くこととした。良い音楽で、リフレッシュ、の気持ち。

2017年2月17日 (金)

一週間。

ここ一週間の間に母が我が家の前で転倒して、じわじわと痛みが出始め、遂に先日整形外科へ。この病院は以前も転倒で大腿骨骨折の手術で長期入院した所だ。レントゲンにはその時の金具がきれいに映り、別段異常は無い。が、念の為にと翌日はMRIも。こちらも異常なしとの診断だが、本人はどんどん痛みを訴えるように。どうやら脊椎間狭窄症の痛みだと思われる。

転倒が引き金になったのだろうが、もう少し注意深く介助するべきだったと今になって後悔。腕を取って、表に一緒に出たのに、車のキーを忘れ、「ちょっと待って!」と一瞬手を放した隙に、どうやら自分でこれくらい大丈夫とばかり段差を降りようとしたらしい。自分の身体を支えきれずに転んでしまったのだが、、、、。幼児並に気配りが必要だったと、悔やんでも悔やみきれない。

母を見ていると、間もなく来るであろう自分のその時を考えてしまう。母の場合は同居している弟夫婦の手厚い介護があったが、自分の場合は同居ではないからなあ。娘にその時はどうする?と訊かれて、「別に施設は嫌いじゃないから。」と答えたもんだ。そういう会話が自然に出るほどのステージに来ているのだ。このワタクシも。

 

こういう事が進行していて、眠れないまま深夜放送を聴く。ある日童話作家の工藤直子さんが喋っていて、80歳とは思えない歯切れの良い喋りに、再度聴きたいと思い、らじるらじるをダウンロードしようとしたが、イマイチシステムが分からないままになっている。何とか頑張って遣ってみようと思うほどの面白い話しだった。「人間て、生まれてこの方子供の時から死にたくな~いって、思ってあがいてるでしょ?」とかなんとか。この方は、小さい頃いつか死ななきゃならないと分かったとき、本気で大声で泣きわめいたんだそうだ。イラストレーター?画家?のご子息も全く同じだったと言うから、親子で感受性の強い人間なんだろう。

その話を娘にしたら、娘の知人の娘さんがうんと若くに自殺したとき、遺書に、「おばあさんになりたくない。」とあったとかでその衝撃は未だに忘れられないという。娘曰く、「おばあさんになることより、死ぬことの方が怖いと思うけど、、、。」だよねえ。

結局、人はいつかみんな死ぬからこそ、そこに文学や芸術が生まれるんだろうけどなあ~。

時は容赦なく経つ。

2017年2月12日 (日)

相聞歌。ふむふむ。

この寒さにちょっと迷ったが、やっぱり宇多津まで落合恵子さんの講演を聴きに行くこととした。駐車場が満杯になるのを想定して、娘を誘い、彼女たち親子は適当にどっかで時間を潰すということにした。勿論宇多津といえば「岡○○」だ。祭日にしては午後1時なのに行列が短い。それでも20分くらいは待ったか。名物うどんはさほど感動しなかったが、おでんが意外にも美味しかった。これまで食べたどこの店によりも美味しかったように思う。

 

ホールは600名収容だと聞いていたが、ブームとはいえ、まだまだ短歌や俳句は敷居が高いのか、目玉講師を呼んでいたにもかかわらず空席が目立つ。まあそれでも7割くらいは入って居たかも。

で、前半は「平成相聞歌」(メールで恋の歌を)の受賞式典。6,500通のメールの中から選ばれたもの数点が発表され、中には北海道や東京神奈川という遠方から参加している人もいた。

挨拶に立った人からも話しが出たが、この数の多さに選考が大変だったことは想像できる。およそ恋バナとは円がなさそうなおじさんが、口ごもりながら恋、愛、と口にするのが可愛くて会場から失笑を買っていた。その点、着物姿で決めていた、私でも知っている歌人のT女史はしっかりと、優雅に作品についての高評を述べていてご立派だった。

落合女史は、テレビでよく知っているあの白髪頭を振りかざして颯爽と現れた。聞けばお生まれは昭和二十年、といえばこのワタクシと同じ年。どうりで話す内容も、頷けることが多い。元アナウンサーにしては、「すいませんねえ、舌がもつれちゃって、」なんぞという場面もあり、ああ、やっぱりそうなんだとここでも同感して同情だ。意識してゆっくりかみ砕くように話されるのは、矢張りそういうことなんだ。それでも見習うべきは、何かしらを伝えたいという強い思いがあり、それを丁寧にしっかりと話すことだ。立て板に水が出来なくなれば、こうしてゆっくり話せば良い事だ。まだまだ出来ることはあると、励まされた思い。

大体講演会は何か一つ貰って帰ればよいといつも思って居るが、今日も一つは貰ったなあ。

「言葉とは、言葉に出来ない思いを指し示すものだ」という言葉。これはず~んと来た。しかし、これは彼女の言葉ではない。彼女が大好きな一寸前に亡くなられた詩人の言葉だそうだ。この深い意味を感じる言葉こそ、詩作や作詠にヒントになると思った。

 

休憩中に二人の知人と出会った。一人は短歌仲間。以前にもここでお会いしましたね、と言われ、そうだったと思い出す。もう一人は、シェイクスピアの会員だ。彼は最前列で、「落合さんに会うためにだけ来ました。」と堂々と言う。最後、このお二人に挨拶する間もなく、迎えに来た娘の車へと急ぐ。

それというのも、宇多津というところ、時間つぶしする場所が全く無かった!と知らない土地で退屈していたらしいのだ。スマホはオフにしていたので気付かなかったが、ラインで何度もまだ?と入っていたもんだ。でもって、ネットで調べていた海沿いのカフェを探して行ってみる。ここは全面ガラス張りで瀬戸大橋の全貌が見える素晴らしい眺望のお店。フルーツたっぷりが売りで、しっかりとパフェを頂く。リピートありねえ、と良いながら寒風の中を外に出る。雪は降ってないが、今季一番の寒さだし、風が強い。震えながら車に乗り込んだ辺りから疲れが出て来た。我が家で焼き肉でもと話していたが、もうそれぞれ自分ちで食べようよ、と持ち出す。娘もあっさりと了解。とにかく寒くて、移動はなるべく避けたい思いだ。

夜大阪の友人と電話で話すと思いはみんな同じだった。あっちも寒いらしい。それでも大雪の山陰なんかと比べると有り難い位だが、、、。

そもそも今回出かけたのも、FBに記事が載ったからで、早速その記事の投稿者、この大会の主宰者側のトップI先生にメールでご挨拶。来てくれて有り難うのお言葉と、次回は投稿して下さいとあり、むむむ。I先生は、声楽家で、多方面でご活躍の方だ。こういうことされているとは知らなかった。

さ、縮こまって寝ようか。

2017年2月10日 (金)

今日は冷え込んだ。

今朝はちょっと代わったHMの収録となった。先日我が家でミキサーのOさんが用意したマイ機材でゲストをお迎えして収録したモノを、局の機材を使って編集したのだ。

長くFMをやってきたが、こういうやり方は初めて。これはかなり上手く行ったと思って、ついウッカリと「凄い!これが出来るとFMの収録も楽だわ~!」なんぞと口を滑らせてしまった。これをやるのに彼がどれだけ準備と収録に神経やエネルギーを使ってくれたか、分かっていたはずなのに、ナンテコッタ!人の良い彼が、ボソボソと「大変なんよ~」とあくまで笑顔で答えるのに、内心では申し訳ない思いで一杯になった。全てはOさんのお陰だ。私と同年だが、めっぽう機械に強いお方。ちぇちでも色々と録音方面などで活躍してくれている。加齢とともに目の病気になり、手術までしているが、それでも頑張って細かい字を見ては目をショボショボさせながらも遣ってくれている。有り難い。私たちにとって本当に無くてはならない人に成っているのだ。

考えてみると、ちぇちには無くてはならない人が殆ど全員と言って良い。それぞれが、ポジションをしっかりやってくれているからこそ、団体が廻っているのだ。今年はオペラ年だが、本番までの長い道のりこそ、大切な時間だ。勿論、個があっての団体だが、単に自分のスキルアップをのみ考えるのではなく、全体としてのスキルアップを目指さなくては。

 

今日も仕事中の母親に代わり、孫のお迎えにマンションまで。しばらくここに居てと言うから、「しまった読むべき本を持ってこなかったなあ~」と手持ちぶさた。ここに最近おニューの、分不相応な椅子が入ったから、それに座ろうとしたらいきなり孫べえが、「だめっ!」と先に占領する。しかも、そのアトが良い。「台所のお片付けをしたら座らせてあげる!」だと~!おめおめとその言葉に従ったのは、暇だったからだが、全くなんてコッタ!

夕方我が家に立ち寄ったお嬢がそれを聞いて親指を立てたもんだ。「グッジョブ!」だって。全く、なんちゅう親子。そういうと、「お母さんはみっちゃんが育てたんでしょ!?」とくるからねえ~。近頃の子供は全く!

 

明日は久々に予定がないが、FBを見ていたら、落合恵子が宇多津に来るらしく、彼女の講演と、「相聞歌」の表彰式なんかもあるようだ。どうしようかなあ~。ま、明日次第だ。

2017年2月 9日 (木)

女兵士七人。

とあるグループのメンバーとなったため、本日その役員の決起集会ではないが、次回のイベントの打合会を兼ねた、会全体の運営についての討論会が行われた。七人全て女性。年齢差も職業もマチマチ。が、それぞれ地域で活躍している女性ばかりだ。その中でも若い人たちは、さすが事務能力に長けている。そして総合的な判断力に於いて抜群だ。問題が出されると即座にそれについての的確な意見が次々と出されて、あっという間に解決へと進んで行く。これは小気味よい。そして彼女たちは一様にアルコールに強い!

こっちも弱い方ではないが、今日は運転していたので、温かいお茶のみ。この店のトマト鍋は初めてだったが美味であった。一番美味しかったのが最後のラーメンとはこれいかに?な~んてね。それもアルコールが飲めなかったせいだ。と思う。今日は初めてだったので、まさかお酒が飲める会議だとは知らなかった。次回こそは!と密かに、、、、。

、、、しかし、この輪の中にいて、良い意味での時代を感じずにはいられなかった。それぞれが、「個」を持ち、発言し、尚かつ、「思いやり」も持ち合わせて居る。自分がこういう世代だった頃、これほどまでに立派ではなかった。奥ゆかしさが美徳だとまでは思っていなかったが、それでも、発言するには勇気が要った。ところが今の人たちは全く自由だ。思いついたことはすぐに口に出来る。例えそれが他の人に覆されたとしても全く意に介さない風だ。所謂ディスカッション慣れしている。

女性は進歩したのだ。

 

昨日はチョットしたハプニング。夜、我が家で母に食事をして貰って、送っていこうとした時、部屋の中にキーの入ったバッグを忘れてることに気付いた。「ちょっと待ってて。」と声を掛けて部屋に入った途端母の悲鳴が!慌てて表に飛び出すと、玄関先のコンクリートに上向きにひっくり返っている母。「えええ~っ?」てなもんで、急ぎ何とか起こそうとするが、自分で遣った方が良いと言い、少しの介添えで何とか起き上がる。どうしたのかと聞けば、段差を降りようと片足を下ろした瞬間身体がグラッと来て、倒れたんだと言う。全く、目が離せない。先に母を乗せてからバッグを取りに行けば良かったと、後悔先に立たず。今日、デイサービスに行ったので、施設に連絡して異常が無いか調べて貰ったが、大丈夫で、いつに代わらず元気だという。やれやれ。ホントにビックリした。母の体力を過信してはいけないと、肝に銘じたことだ。ふ~っ。

 

しかし、あの若き兵士達もいずれはこうなるんだなあ~。

2017年2月 7日 (火)

そういえば、雨が。。。。

なんともかんとも、我ながら呆れる展開の一日。

それは朝一から始まった。

後から分かったことだが、本日は低気圧の影響だったらしく、むち打ちの症状が酷く、朝起きられない。8時に起きれば孫べえの幼稚園バスの見送りが可能だが、ハッキリ目覚めたのは10時半。見送りは夫が一人でやったそうな。それまで、起きたり寝たり寝たり起きたりの繰り返し。遅く起きても頭がぼ~っとしているし、体調不良。

それでも母と一緒にランチを食べに。この店は近く移転するとのこと。便利だったが、あとはどうなるのか?気になるところだ。

食後は朝から目眩がしているという娘に、お弁当を買って持って行く。ついでに夜の夫のおかずも購入。ここまではまあ、なんとなく進行。

ところが、ランチ中にFMのゲストからの連絡で、今週末のオンエア分を録り忘れて居ることに気付く。しかし、ゲストは明日から上京の予定だとか。となると、今日しかない。しかし、スタジオが使える時間には、ゲストの時間が会わない。ムムム。。。。そこで考えた。いっそ、我が家で収録は出来ないか?勿論あとで、Oさんの編集が必要にはなるが、、、。で、ゲストのNさんとミキサーんOさんに連絡を取り、段取りをつける。そして、何とか3人が一致する時間帯が、にゃんと、ちぇちの練習の終わった午後10時。

そして、その予定通り事は進んだ。我が家とたまたま家が近いゲストは快く来て下さって、終始和やかに録音は終わる。終わったら、午後11時を廻っている。参った!

Oさんは、これからが大変だ。曲にデーターを持ち込み、編集して貰う必要がある。全く申し訳ない。が、この綱渡りもなんとか無事?終わった。今回も難解な方程式が解けた感じだ。ふ~っ!

ああ、疲れた。

2017年2月 6日 (月)

今日は歌会。

今月の半ばに母達三婆+私という四婆で、一泊旅行に行くと決めた。といっても大した場所ではない。県内だし、車で走ればほんの数十分のところだ。しかし、とにかくお出かけが出来ると言うことが嬉しいことなんだ。満面の笑顔の三婆たちにこちらまで嬉しくなる。

考えてみると、年を取っても、現代のお婆ちゃん達はつい最近までアチコチ自分の意志で出かけたり、食事に行ったり、旅行だって海外まで行ってた人たちだ。昔のお婆ちゃんとは違うんだ。楽しい事を知っているし、まだ楽しめる。それをまだ飛べるのに翼をもぎ取って飛べない鳥にされているのは、矢張り同情せずにはいられない。、、、そういう自分もいつまで彼女たちにお付きあいできるのか、多分そう遠くない時期にすっぱり出来なくなるときが来るんだろう。ならば、どこへなりとも参りましょう。という次第。あと何回?これが最後?と毎回思いながらの小旅行だ。せめて、快晴だと良いなあ。

 

本日は歌会。隣にこの会には初めてという男性がいて、他のグループで経験があるそうだが、これほど大勢の人と沢山意見を交換できるのは初めての経験で、、、、とやや興奮気味のコメント。初々しいなあ。男性の方がピュアなのかも知れない。このような場面でも。

早速、昨日初めて知った「鳥居」という女性歌人の話を出してみると、何人もの人が既に知っていて、中にはお目にかかったという人がいて驚いた。先生に至ってはこの人の歌が載っている短歌冊子を持って来てくれている。流石!ま、自分で買って読もうか。本が増えるのは辛いけど、、、、。

この鳥居という人がインタビューに答えて、「歌は作り手と読み手と両者で作るモノだと思う。」とあり、テレビで見る凄いメイクやセーラー服から受ける印象とは余りに違うのに驚かされたが、その通りだと思う。歌会に出ると、それを如実に思い知らされる。

そして、このことは、日頃から声楽にも通用することだと思っている。いくら一人で歌っていても、それは自己満足だから。

 

歌会の途中で事務局長からラインが入ってくる。事務的な事の確認だったが、どうやら団長共々訳詞に取り組んでいるようだった。ご苦労様だ。なんせ、今年はオペラ年。うかうかしてるとあっという間に日が経ってしまう。既に2月だもんねえ。。。。

、、、こうして又一日が終わった。

2017年2月 5日 (日)

言の葉。

まるで短歌への自分の迷いを揶揄するように、本日、夕餉の支度中にNHKで「鳥居」というセーラー服の若者が短歌の歌集を初出版したと報じられていた。集中して見ていた訳ではないが、「お、面白い歌人が出て来たなあ!」と単純に思った。その時紹介されていた短歌を、今どうしても思い出せない。が、明日の歌会で誰かが教えてくれるかな?

こういうのを見ると、結局所謂新しい短歌には、自分が惹かれているのが分かる。以前俵万智に惹かれた様に。

今や、ネットでの短歌が大流行。実際には知らないが、どうも若者の間では、「短詩」としての短歌がブームのようだ。言葉遊びの延長かも知れないが、それでも、言葉に興味を持つというのは大事なことだ。

テレビの番組の中でも触れられていたが、この手の新しい短歌を「面白い」と思う人と、「つまらない。不愉快。」と思う人がいるようだ。昔、具象画の時代に抽象画が生まれ、キュービズムが出て来た頃のように、その時は批判され排斥されたのが、今やもの凄い価値を持っている。それと同じように、時代が彼らに付いて行けてないだけなのかも知れない。

 

そういえば、先日白川静という言語学者の話が出たが、漢字の成り立ちなんかは面白いだろうと思う。機会があれば触れてみたいモノ。

、、、今日も今日とて、お歌の勉強にはるばる羽床まで行って来たが、とにかく時間が無いなあ。足腰が立たなくなって、引きこもりになったとき、もしや、もの凄い豊かな時間が待っているのかも知れないが、、、。

2017年2月 3日 (金)

成果。

何事もやればそれなりの成果が出るモノだ。

ジムに通い始めて、歩くのが以前ほど面倒ではなくなっている。がしかし、体重が落ちてるわけでもなく、見た目は勿論変化がない。なので、大した事はないなあ~ジムが良いも、というのがこれまでの感想だった。

しかし、本日計測の日で、柔軟力とか腹筋力とか測定してくれた。すると入会の時の計測からなら随分と数字が違ってきている。グラフによれば、年相応だったのが、60代前半に変化しているようだ。これは結構な変化だ。おそらく一人ではこうは成らなかっただろう。ま、しばし頑張ってみるとしよう。

 

何事も、という中には勿論全てが入っているはずが、どうも自分的に、短歌の方はおもわしくない。声に出す歌は、その声を聴けば美しい声は美しいと感じるし、テクニックもそれがある人とそうでない人はすぐ選別が出来る。それは多分子供にでもわかる。しかし、短歌は、例えば朝日歌壇なんぞを見ても、ワケワカメの歌が採られているし、するっと読んでも良いと言われる歌が必ずしも胸にすとんと落ちてこない。いつも何かしら知りえない縛りがあるような気がしてならない。

昨日はシェイクスピアの会だった。DVDで見るのは外国の作品で、ストーリー的にもセリフ的にもケッコウ難解な部類の文学だ。でも、ほぼ全ての作品から感動を受ける事が出来る。この違いはなんだろう?自分の側に問題があるんだろうが、、、、。

会の後で、すぐ近くの喫茶店へ移動。大昔からそのままの佇まいでやっている店だ。参加者はたった5人だったが、充実したお喋りの会になった。なんせ、皆さんキョウヨウが半端無い。話題も従って、井上靖、孔子、絵画に音楽、芝居に旅行と多岐に渡っている。間もなく船旅で3ヶ月かけて地球の半分を旅するという人もいて、話題がそこに集中する場面も。向学心と好奇心は共通項が多いのか。そして、面白かったのは、「本」の始末についてだった。断捨離をと思いながら、本には愛着があって、なかなか手放せない。が、思いきって処理しようとしても公民館や、図書館など、寄付しようとしても断られるという。そこで、今時面白いシステムがあるという話になって、みんなそこを利用しようと意見が一致。○○本舗。急にお客さんが増えるかもねえ。

 

こうしてお喋りする中からも、人間力が付くという意味で、成果がある。解散してからも楽しい余韻があるもんねえ。

2017年2月 1日 (水)

まごまごしている、なあ。

普段の生活の中に孫が入り込んできて、毎日シッチャカメッチャカな暮らしをしているが、その翻弄されている一番の原因は、お互いの生命力の相違だろうと思う。こちらは退化中。あちらは発展途上のもっともスピーディーな時期。油断しているとすぐ足下をさらわれる。今日もホンの少し目を離した隙に吾がスマホをいじくり回し、いつの間にかゲームのアプリをダウンロードしてしまっている。たださえスマホの不具合でイライラしているところに、訳の分からないアプリが入って居て、どうやってこれを入れたのか探索するのに時間が罹った。分かってみれば無料で、どうってことないアプリではあったが、あのチビ助がなんというハヤワザ。まだ幼稚園児でこれだから、小学校に行きだしたらどうなっていくのか、全く予想が付かない。

 

それがおかしなことに、夕方になってちぇちのメンバーNさんが一人歌の練習に来て発声練習などしていると、母親が迎えに来て階下で食事をとっている間、「温和しくしているから」と言いながらピアノの部屋に入ってくる。確かに温和しくソファでipadをいじっているだけだったが、一体何が面白いのか。しばらくして母親が部屋に迎えに来るまでどうやらこちらのやりとりを聞いているようだった。まあ、好奇心が旺盛というか、、、、こういう時期に何かに目覚めると良いんだろうなあ。

 

こうして一日中バタバタしているが、その間隙を縫って今日は一週間ぶりにカーブスに行けた。夫の昼食を整えてから出たので、昼休み前のギリギリの時間だったが、30分たっぷり汗を掻いて、すがすがしい気分になった。同じように時間ギリギリで遣っている人が多いのは最近の健康志向を反映しているなあ。老いも若きも頑張っている。

ここでは、とある福祉施設に寄付をするために食品をはじめ、日用品などを集めているが、その品物の山が段々日を追う毎に大きくなってきている。こっちも15日締め切りまでには、きっと何かを持って行こうと決めている。たいしたもんだ。これはホントに良い事だ。始めたばかりのころにはホントに少量だったが、この山を見たら心ある人がこんなにも多い事に、その善意の集まりに心があったまる。この取り組みはこのジムが全国規模で遣っているようで、それはホントに素晴らしい事だと思う。断捨離ブームに乗っかっている人も多いだろうから、どちらのためにも良い事だろうし。

我が家にももう少し探せばあるような気がしているが、、、。

トランプ?トランプ?

このグローバル化の時代にあって、例え他国のこととはいえ、アメリカは気になる。日本においても今日も次々と怪しげな言葉の砲撃を繰り出すトランプ氏のことがトップニュースだ。余りにオバマ氏と違うなあ、と改めて、yes we can の名台詞を思い出す。あちこちで抗議運動が起きているようだが、もっともっと声を上げる人が出て来て、みんなで、yes we can!と叫んで欲しいなあ。

考えの違う人がいるのは当然だが、人間力の後退はみじめなばかりだ。大統領に与えられた最も大きな権限=原子爆弾のスイッチをONにだけはしないで欲しい。が、そこまで不安が湧いてくる今回の大統領だ。

 

今日は孫べえがどうしても「UNO」をやりたいと言うので、素晴らしい好天に日光浴をしたいのを我慢して自宅に連れ帰る。たまたま珍しく夫が帰っていて、どういう風の吹き回しか一緒にやろうという孫べえに付き合う。これにはおろろいた。基本的にトランプゲームは嫌いな人で、過去に一度も子供達とやったことはないはずだ。当然長続きはしなかったが、それでも数回ゲームに付き合ったのにはビックリ。

やがて例によって、「私のもある?」と子供を迎えがてらの夕食にやってきた母親も巻き込んで再びゲーム。しかし、このゲームはケッコウ子供にも色々教えてくれて良いかも。こっちは何十年ぶりにやったと思うが、思いがけず楽しかった。このゲームを最初に教えてくれたのは、カナダ人の友人Dで、以前小豆島に彼の家があって訪ねていった時に、当時小学生だった我が子や友人の子供達とで、朝から晩まで夢中になって遊んだのが今も記憶にある。娘も同じ思いらしく、懐かしく当時を語り合った。

あの時の小学生が、今や全員40代の家庭持ち。

 

時は流れる。なあ。

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