賀状。
今日も忙しかった。朝から申請書関連で走り、シャンソン、そして市民劇場事務局だ。月会費を支払い、年度替わりに脱会者が多く出て困っているから、又誰か探して下さい,と言う。確かにそれは大変だ。多くの会員がいなくては、良い芝居を呼べない。良い芝居が来ないと、会員が減るという悪循環。どこかで断ち切らなくては、この地方都市の文化を守れない。
長くシェイクスピアを勉強してきて、ホントに芝居とは客観性を養い、自己反省をするのに最も適した芸術だと思える。ただ筋を追って楽しむだけが、芝居の観賞の仕方ではない。勿論、それが一番だが、その奥にあるモノに気付くことが大切だ。これは映画なんかも同じ事だ。上っ面ばかり観て居ると、飽きるし、真実から遠ざかり、その時間が無駄だったかのように思えてくる筈だ。
先日、友人の母上Yさんが突然の病に倒れ亡くなられた。その事実を母に告げたとき、「あの方は、映画がとっても好きな方だった。」とポツリと言う。昔は娯楽が殆ど無く、恐らくは映画が唯一と言えたのではないか。
大店の奥方Yさんは、わが幼心にも美人で、個性的で、「まるで女優さんみたい。」な人だった。ねぼすけの友人を朝迎えに行くと、さらりと着流しで玄関先に出て来て、「うちのふ~こはまだ寝てるんよ。」と慌てず騒がず。待つ場合もあるが、先に登校してしまうことも多かったように記憶する。当時としては価値観が際立って不思議な人だった。とにかく世間の常識には全くとらわれず、なんでも自分流というのがあって、具体的な事は忘れたが、驚かされることも多かった。その子供だから、当然の様に、ふ~こも一風変わっていた。母親似の美人で、突拍子もなくコロコロと笑うことが多く、勉強も優秀、絵を描いても素晴らしく、色んな天分に恵まれていた。わが父の転勤でたった4年間の付き合いだったが、何故かず~っと交流があった。やがて東京の有名大学にパスして、偶然わが高校の友人と同じ国文科だと分かったが、その友人の話では、我が道を行くというふ~ことの交流は一切無かったとか。成人してもあの個性は光っていたようだ。
父親が4年ごとに転勤するという事実を受け入れがたく、よく反抗して父にくってかかったことを思い出す。せっかく出来た友人と別れ、又新たな友人関係を作り続けなくてはならないということは、子供にとって相当なダメージを受けることとなる。が、今思えば、そういうことがあったからこそ、私は友人が多い。それぞれのステージで新しい友人と密になり、何十年と関係が続いているのは、この年になるととても有り難い事だ。
我が家のつまらない賀状が先ほどようやく完成した。明日少し手直しすればプリンターでの印刷だ。いよいよ今年も終わる。
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