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2016年12月

2016年12月29日 (木)

一寸先は闇。

毎年恒例になっている友人夫婦の訪問を受けた。夫が風邪なので、とマスクをしたまま上にも上がらず立ち話数分。近頃必ずしも健康とは言い難い奥様の肩を抱かんばかりに寄り添って、終始笑顔の好人物の旦那さま。暗い外へと見送りながら、どうかこのご夫婦に幸運が訪れますように、と祈らずにはいられない。、、、人生、ホントに色々ある。

 

年明け早々余命宣告を受けたという友人と小旅行の計画が実現しそうだ。昔は我々くらいになると、生きてるのが不思議くらいのモノだったが、近頃は平均が87歳というからそこまでは行けそうな気がしている。故に、70代では、若いのに、、、ということになる。救いは、この人の明るさだ。宣告から1年が経ち、気持ちの整理も少しは出来たのかも知れないが、それにしても明るい。自分の人生を振り返り、その波瀾万丈振りをドラマでも語るように語ってくれたが、確かに小説にしても良いくらいのものだ。衰えない美貌とともに、何事に対しても情熱的であったこの人のことが、聞いている自分の中では既に小説化されていた。

しかし、今日聞いた話しでは、先日32歳の若者がくも膜下出血で突然死したとか。喪中ハガキに知る人の死も、ケッコウ若い人のものも多い。

この手のことは、いくら考えてもどうしようもないのが現実だ。とにかく自分の意志ではどうにも出来ない事の一つだから。与えられた命を、自分なりに大切に過ごしていくしかないのだ。シェイクスピア流にいえば、「受容」だなあ。

 

訪問者が帰られてから程なく、突然地震のニュースだ。ケッコウ大きい。しかも息子の家族が住む水戸。幸い、その時間頃に高松に帰り着いたという知らせを受けていたので、落ち着いてニュースを見ることが出来たが、そういえば、ちぇちの会長は今水戸に帰省中の筈。何も被害が無ければ良いのだが、、、。

 

大阪の友人から地震を心配してメールが入る。返信は一言。

「一寸先は闇。」

2016年12月26日 (月)

賀状。

今日も忙しかった。朝から申請書関連で走り、シャンソン、そして市民劇場事務局だ。月会費を支払い、年度替わりに脱会者が多く出て困っているから、又誰か探して下さい,と言う。確かにそれは大変だ。多くの会員がいなくては、良い芝居を呼べない。良い芝居が来ないと、会員が減るという悪循環。どこかで断ち切らなくては、この地方都市の文化を守れない。

長くシェイクスピアを勉強してきて、ホントに芝居とは客観性を養い、自己反省をするのに最も適した芸術だと思える。ただ筋を追って楽しむだけが、芝居の観賞の仕方ではない。勿論、それが一番だが、その奥にあるモノに気付くことが大切だ。これは映画なんかも同じ事だ。上っ面ばかり観て居ると、飽きるし、真実から遠ざかり、その時間が無駄だったかのように思えてくる筈だ。

 

先日、友人の母上Yさんが突然の病に倒れ亡くなられた。その事実を母に告げたとき、「あの方は、映画がとっても好きな方だった。」とポツリと言う。昔は娯楽が殆ど無く、恐らくは映画が唯一と言えたのではないか。

大店の奥方Yさんは、わが幼心にも美人で、個性的で、「まるで女優さんみたい。」な人だった。ねぼすけの友人を朝迎えに行くと、さらりと着流しで玄関先に出て来て、「うちのふ~こはまだ寝てるんよ。」と慌てず騒がず。待つ場合もあるが、先に登校してしまうことも多かったように記憶する。当時としては価値観が際立って不思議な人だった。とにかく世間の常識には全くとらわれず、なんでも自分流というのがあって、具体的な事は忘れたが、驚かされることも多かった。その子供だから、当然の様に、ふ~こも一風変わっていた。母親似の美人で、突拍子もなくコロコロと笑うことが多く、勉強も優秀、絵を描いても素晴らしく、色んな天分に恵まれていた。わが父の転勤でたった4年間の付き合いだったが、何故かず~っと交流があった。やがて東京の有名大学にパスして、偶然わが高校の友人と同じ国文科だと分かったが、その友人の話では、我が道を行くというふ~ことの交流は一切無かったとか。成人してもあの個性は光っていたようだ。

 

父親が4年ごとに転勤するという事実を受け入れがたく、よく反抗して父にくってかかったことを思い出す。せっかく出来た友人と別れ、又新たな友人関係を作り続けなくてはならないということは、子供にとって相当なダメージを受けることとなる。が、今思えば、そういうことがあったからこそ、私は友人が多い。それぞれのステージで新しい友人と密になり、何十年と関係が続いているのは、この年になるととても有り難い事だ。

 

我が家のつまらない賀状が先ほどようやく完成した。明日少し手直しすればプリンターでの印刷だ。いよいよ今年も終わる。

大晦日前。

人は余りにショックな事が起こるとある種の不感症になるのかも知れない。今回の友人に降りかかった事件は、この自分にとっても衝撃的な事のはずが、現実感の無いことこの上ない。絶えず心から離れないのに、まるで本当の事のような実感が無い。不思議な感覚。
しかし、時は流れ、やがてその時はやって来る。何とか今の内に出来る事はやっておきたい。。

一方で、来年のオペラの公演が少しずつ形を現して来ている。今日は有志による衣装部屋の大掃除を済ませ、別の人は楽譜の製作に取り掛かっていた。明日はある申請に行く事を引き受けた。ジワジワと進み始めてる。

息子の家族を受け入れる準備にも取り掛かり、思い切った断捨離を決めているが、これらが同時進行の為、単に忙しいを通り越して、時々ぼんやりしてしまう。意味不明の浮遊感に捉われている。

今年の除夜の鐘はどんな思いで聴くことになるのか。

2016年12月23日 (金)

野菜。そしてバレエ。

今日はあちこちから野菜を頂いた。中には目の前で抜いてくれた大根や、切ってくれた白菜もあり、どれもこれも瑞々しく、この新鮮な内になんとか加工しておこうと思う。で、夕飯後ゆず大根に挑戦。これが、ネットのレシピで美味しそうなモノを見ると最低でも3時間はかかるという代物。ちょっとためらったが、むくむくと出来心が湧く。ゆずの皮からは素敵な香りが立ちこめ、大根はサクサクと美しい白さで、このまま食べたいくらいのモノ。忽ち幸せ感が充ちてくる。

黙々と作業を遣っていると娘婿の実家から電話が。お送りした冬の味覚を楽しんでいるという内容だったが、矢張り関東を離れて、遠い田舎に行ってしまった息子の事が心配なようだ。話題はそこから自身の健康状態に移る。「みっちゃん、お声が変ですね?」と言われてしまい、こうなった経緯を説明する。。。。お互いに健康には気を付けましょうと、つくずく話してジ・エンド。

ご夫婦で入れ替わり立ち替わりの長電話に実は救われている。この和食特有の調理時間。これで少しは待ち時間が軽減された。

さて、うまく行くのか?

 

昨日は、6歳の孫と一緒にバレエの公演に行く。母親がファッションをそれ用に考えたおしゃれなモノを着せていて、本人もそれが大いに気に入ってたようで、、、、さ、行こうか!と声をかけると、「みっちゃん、まさかその格好で行くの?」と言われる。なんで?と聞くと、「だって、たいちゃんとレベルがちがいすぎるでしょ!?」と真顔で言う。わ~お。参った。良いのよ、これで。雨も降ってるし。と言い訳しつつ、近頃のちびっ子は言うことが違うわい、と内心あっけ。

車の渋滞に捕まり、タクシーは酔うからイヤだという孫べえに負けて、駐車場から歩いて行ったら、一部の終わりに到着。前の方に席を取り、顔の表情まで見えるところだったせいかどうか、この6歳は食い入るように舞台を観ている。そしてしっかり拍手もする。

考えてみるとつい最近自分が大きな舞台であれこれやって、経験しているからちょっと慣れたんだろう。東京では経験しなかったことを随分やっている。これが上手く彼の人生に影響を与えてくれると嬉しいが、、、、。とりあえず今は、チャンと舞台が見られることが大切だ。

肝心のバレエは主役のYさんの大人な演技力にうっとり。しっかり力のついたお子さん達も頑張っていて、見せるだけのモノを繰り広げた。バレエも良いよなあ~。

2016年12月21日 (水)

驚き桃の木山椒の木。

今日は一日中ビッチリと組んだスケジュールを全てこなした。朝はシャンソン。午後はまず仕事、そして運動から温泉。今まさしく温泉に向かうという時夫からのメール。「今日は徳島から帰りに温泉に行く。」バンザ~イ。気兼ねなくゆっくりと入れるなあ~。

本日は冬至につきここもゆず湯がある。が、お風呂から出て汗が退くまですこし涼んでいたその時一本の電話が。昨日一日ご一緒した奥様から、「楽しかった!」との御礼の電話。しばらく話しているとなんだかぞくっとする。ゆず湯は風邪引かないっていうから大丈夫とは思うが、なんせ免疫力低下中。用心せねば。しばらく話してから急ぎ着込んで外に出る。

外も思ったほど寒くなく、良い気分で運転。あと数分で我が家、というその時、またしても電話が。登録してない携帯電話。出るか出まいか迷ったが出てみる。すると「私、分かる?」と怪しいもの言い。しばらく考えて、「あっ!」とまるで亡霊からの電話の如く驚いた。それもその筈、このお方Tさんはご夫妻で台湾に移住、長く商売をしていたはず。10年以上前に台湾にわが母を伴って台湾旅行した折、台北のお店を訪ねたが、それ以来だ。このTさんは小学校時代の友人だから60年以上前からの友人ということになる。賀状は毎年出していたが、見事な筆無精振りで全く音信不通だった人。

もう一人、その時代の友人がいて、それぞれの母親も仲良しだった。これも不思議なことだ。それぞれが大人と子供で仲良し。しょっちゅう集まっては一緒に遊んだ。幼い頃の最高の思い出だ。成人した我々は、いつかこの三人の母達を会わそうよ、と話していたことだったが、この電話で、Tさんの母上は一月前に他界されたことを知る。もう一人の母上は数年前に先に他界されているから、残っているのはわが母だけだ。この事実をすぐに母に知らせるのはためらわれた。全く会っていなくても母の落胆を思えば、先延ばししたい。

それにしてもTさんの人生の波瀾万丈ぶりには驚く。まずはご主人が手術をしなくてはならない病に罹り、矢張り手術は日本でということで、台湾から引き揚げる決心をしたとのこと。そこの経緯から始まり電話口で堰を切ったようにべらべらと喋る彼女だったが、長く病院に行ってないからと健康診断を受けたTさん本人が肺がんとの誤診を受けて落ち込み、手術の日取りも決めていたのに、術前の検査で、それが誤診で、それよりも心臓が危険な状態だということが判明。そっちを何とかする必要があるんだと言われたそうな。ポカン状態で、俄には信じられなかったとか。そうだろう。

こうして機関銃のように喋り続ける彼女の電話を切るわけにも行かず、車はとっくに我が家の前にいるのに車から出られない。丁度先に着いた夫が家から覗いて、一体いつまで喋っているのかと何度もうるさく夕飯の催促をして来る。そうこうしているうちに宅配便のお兄さんがやってきて、「中に居る人に渡して」というジェスチャーにピンポンしているが、夫は全く出てこず、仕方なく受話器を持ったまま彼女に相づちを打ちながら、伝票に印鑑を押す。それを潮に、「会いに行くから、折り返し行ける日を電話するわ。」とようやく電話を切る。、、、、と言うわけで、明後日は観音寺だ。ふ~っ!

今日、そして昨日。

本日は、高松に移住してきて地理不案内のとあるご夫妻をエスコートしてあちらこちらにお連れし、途中我が家で2時間もの長いお茶タイム。あり合わせのぜんざいを美味しいと喜んで食べて下さり、フルーツも少々。心からくつろいで下さっているのがよく分かる。古いビデオを懐かしく観賞したり、,,,お互い年を取りましたねえ~と感慨しきり。昔はしげしげと我が家にお運び頂いたが、お互いの多忙でホントに久しぶりのゆっくりタイムだった。

やがて夕飯時となり、我が家が行きつけの大衆料理店に4人で行く。家庭料理を食べている感覚のメニューをあえて取り、ざっくばらんな一時を過ごした。お互いにこの場を楽しく過ごしたいという気持ちのレベルが一致して、ホントに楽しい食事会だった。おもてなしは成功か?

珍しく夫はノンアルコールでお送りするのも自分が運転すると言い張る。ま、その通りとなったが、かなりドキドキ。運転させて貰った方が落ち着いて乗れたわい。

 

昨日は、病院に行き、ここんところの喉の不調を訴えると、想像通りキツイ薬を1週間だけ飲んでください、となる。当然ステロイド系で、副作用が気になる。娘から、「ムーンフェイスになるんじゃない?」と脅される。元々ムーンフェイスだから、スーパームーンフェイスか?

随分前のことだが、息子がアレルギー性鼻炎になって長く治らなかったとき、ある人からの薦めではるばる徳島の病院まで通ったことがある。4年というものどこに行っても、「これは治りませんよ。」「時間が罹りますよ。」としか言われてなかったのが、この病院に初めて行った時には、「ああ、治りますよ。」と医師からこともなげに言われて、、、あの時の感激は未だに忘れてない。しかし、およそ1月ほど通い詰めると、だんだん顔がまん丸になってきて、おかしいおかしいと思いながら「家庭の医学書」なるものを紐解いてみると、薬の副作用とある。あの時の落胆も鮮やかに思い出す。そんなうまい話は、やっぱり無かったんだ!、、、そこから水泳をやらせたり、積極的に運動もやるよう仕向けたりして、薬に頼らない暮らしを始め、だんだん好転したことを思い出す。が、今の自分にそれを課すのは少々無理がある。どうしたもんだか。。。今のところはこの医師を信じて、頑張ってみよう。

 

この日の夜は、今年最後のちぇちの練習日。初めての演技指導者Micaによるもので、おかげでチビ助はこっちが会場から連れ出し時間つぶしをする羽目に。マックでお茶しながら、こっちは短歌の新聞を読もうとするも、チビ助がゲームを一緒にやろうとわがスマホでのゲームに巻き込もう巻き込もうとして、遂に完読とはならないまま再び会場へととってかえす。

着いてみると、二階の会場から賑やかな笑い声が聞こえてくる。一体何をやっているのかと、恐る恐るドアを開けると、車座の真ん中で異様な格好をした二人の人間がセリフを言いながらぐるぐると廻っている。「へ?」と思わず目を疑うほどに動いている。「ほう!」これが出来ているなら素晴らしい。どやらこの日の練習は実りあるものになったようだ。

Micaはプロの世界でさんざん鍛えられているから、同様な事を要求されても困るなあ、と思っていたがなんとかなったか。このようなことをやる目的の一つは、本番前になって詰め込みの練習日を少なくするためだ。今回は2公演だし、体力を考えると直前練習は力の温存も必要だ。今の時期にしっかり身につけておけば、そこが軽減されるだろう。多分。

まあ、芸術に終わりはないから、欲が出てもっともっととならないとも限らないが、それでもこれまでのようなことにしない方向で前半練習を頑張りたいモノだ。

2016年12月18日 (日)

現代アート。

昨日のステージがさっぱりだったことからの落ち込みをまだ引きずっている。声の不調が薬のせいだとネットで分かり、夜と翌日の朝と昼の分を全て勝手にカットして臨んだが、そんなことくらいでは治るはずもなく、、、、声帯が時々ひっつかなくなり、かすれるような音になるのをこらえながら、ようよう歌ったというお粗末。ホントなら歌わなかった状態だが、夫からそれほど悪くなかったよ、と慰められ、ピアニストからも同じように慰められ、来ていた友人たちからも、日頃の声を知ってるから分かるけど、知らない人にはそれほど違和感は無かったと思うよ、と暖かいお言葉。でも、一番分かっているのは本人だ。こんな状態が続くなら、もう歌っていられないのではないか?と心細い。命を取るか?それとも声か?、、、まさか、こんな時が来るとは!

明日は病院に予約を入れてあるが、さて、どんな結論になるか?

 

会場には大勢の人が溢れ、下葛西地区の人びとには無料で公開されたというのもあったようだが、一般の方々も大勢来られて一様に感動されていたようだ。知事や市長も来られて香川県を代表するアーティストの作品をしっかり鑑賞されていたようだ。

この私自身、現代アートというものにアレルギーがあった半世紀ほど前の自分を思うと、今は嘘の様に作品達から受けるエネルギーを感じている。見慣れてきた、というのもアルかも知れない。夫の現代アート好きと暮らして、門前の小僧よろしく少しばかりの知識を得てきたのもアルかも知れない。今は、具象から受ける限定される感動より、想像力をかき立てられる抽象の方が面白いと思える。わが友人のご主人で、長く具象ばかり描いていた画家が、最近は抽象に変化してきているのを考えると、最後はそうなるのか?と思う程だ。あのピカソにしても、最初は緻密なほどの具象ばかりだったのが、晩年はあの抽象だ。

未だに、現代音楽は余り好きになれないでいるが、その内これも変化するのかも知れないなあ。

 

階段を三階分ヒーハー言いながらようやく上がった高齢の地元の人びとも,初めて見るこれらの訳の分からない作品を見て、良い感じ、何となく元気になれる、、、、などなどチャンとした感想が言えるというのも、一つには時代の変化もアルかも知れない。ちまたには洒落た建築物や日用雑貨も多くなってきてるし、車や電車の類もスマートになって来ている。こういう時代に生きていて、自然に現代アートの中に暮らして居るとも言えるのではないか。意識しないで、我々はこうした中で生活しているのだろう。

 

今回の救いは、こうした作品に取り巻かれて、圧倒的な力強さに包まれたことだろう。。。。又出かけなくては。。。。

2016年12月16日 (金)

贅沢な空間。

現場でのリハーサルをやった。素晴らしい展示作品の数々。こんな凄い作品の前で、歌うなんて事、ホントに良いのか?何だか申し訳ない気持ちで一杯になった。しかもこの声がれ状態だ。ネットで検索すると、今服用している薬は、矢張り副作用が喉にくるらしい。イヤだなあ~。

ニューヨークでひたすら製作に取り組んでこられた川島猛画伯の集大成。本当に見応えがあり、これぞ香川を、否日本を代表する作家だと心から感服。明日明後日と10時から一般公開されるが、明日は3時から特別ご縁のある方々をお誘いしての帰国記念パーティ。

先頃オープンしたミライエの床、壁、天井は子供が多く訪れる場所を意識してのものだが、このアートファクトリーにあるモノを是非多くの人に見て貰いたいと思う。この作品群の中に身を置くと、幸福感に満たされる。

 

故I会長は、「芸術が分断されることにより、その力が弱くなっている。」として、常日頃から絵画を意識して音楽をやってきた。絵を鑑賞するこころで歌を歌う。歌は、空中に、又は聞く人の心に絵を描くのと同じ事。と言うわけで、この画伯の展覧会での演奏は以前にも企画し、盛況だったことを思い出す。

しかし、声が出ないとか何とか言って、歌う事を逡巡している私を天国から見て、「何年やって来てるんですか?」とやんわり叱ってくれているような気がする。

 

明日は、あの贅沢な空間で、今できることをしっかりやって来よう。

2016年12月15日 (木)

一難去ってまた一難。。。。

先日のコンサートが何とか終わって、ホッとしたのもつかの間、明後日はK画伯の帰国パーティでの歌のステージが控えている。ホールで無く、身術品の並ぶ場所でのコンサートは勝手が違う。多分薬の副作用か?声のしゃがれはまだ残っている。クラシックほどではないが、それでも非常に違和感があり、歌えるかどうかはなはだ不安な状態。どうにか少しでも出るようにと、今夜はポカポカ温泉で暖まり、その後マッサージ。施術師に訴えるも、なかなか専門ではないためか答えは歯切れが悪い。寝るしかないのかも。

 

ところが、実はメインのお嬢がヒドイ風邪っぴき。こっちのしゃがれどころではない、苦しそうな声を絞り出して電話してくる。「無理みたい。」あっちゃ~、てなことで、急遽こちらの曲数を増やして対応することに。なんてこった!ま、我々だけでないからまだ良かったが、これだから歌は困る。身体が楽器というのは、どうしようもない。

伴奏を引き受けて下さったM先生は曲が増えてもすぐ対応して下さって、有り難い事だ。

 

寝よ。

2016年12月13日 (火)

昨日71歳になっちゃった!

誕生日の昨日、嫁りんからメールで、お祝いの品を送ったが今日間に合わず明日になりますとの優しいお言葉。息子が昨日海外から無事帰国した事もあり、お祝いは既に貰ったようなものよ、と返事しておいた。

するとちぇちの練習後の会議が深夜に及んだ帰り道、車中に息子からの電話。「日立牛の美味いのを送ったよ。」と嬉しいお言葉。続いて「オヤジが、牛食べて豚になるんか、と言ってたぜ~」と付け加えるから、思わず義妹と爆笑。敵ながら上手いこと言うなあ~、てなもんだ。

そのオヤジ、私の誕生日なんだから夕食は外で食べようよ。」と誘うとめんどくさいの候のと言いつつしぶしぶ近くの居酒屋へ。それが余りに珍しいことのせいかどうか、急に食欲が減退。出て来たステーキも半分も食べられず、結局おにぎり1個とサラダ少々。揚げ出し豆腐や茄子を少しで満腹。えっ?こんなはずでは、、、、もしや病気?と疑いたくなる。そんな私の目の前で、しっかりお刺身二人前を平らげ、生中を飲み干し、こっちの肉も手を付け、揚げ出しものもお食べ遊ばし、山盛りのサラダをしっかり入れた夫は上機嫌。行く前のテンションが全く逆になってしまった。ぐやじ~~~。

気を取り直して、鬼無の練習会場へと義妹を乗せて走る。既に会長はじめ、数名が到着している。おきまりのラジオ体操と発声から始まり、イタリアオペラの合唱曲の練習だ。

後から分かったことだが、メンバーの一人が自損だが、車の後ろのガラスが全部割れて、代車で来ていたらしい。このお方は最近メンバーになったお方で、外見は優しい感じの女性だが、でっかい車で全国を走り回る豪傑だ。駐車場での事故らしいが、そんなことがあったとはおくびにも出さずしっかり練習していたのには驚く。

練習後の会議中にFBを見たMさんが、「わっ!」と叫ぶので何かと思ったら酷いことになっていた。いやあ、車に乗ってると、どんな目に会うか、分からないな~。

 

会議は来年のオペラについてであり、これまで事務局長として私がやって来たものを若い二人に移譲するという作業の第一段階だ。若い人たちの能力を十二分に発揮して貰いたいと、つくずく思う。幸い、二人ともやる気満々。心強い限りだ。今回は久しぶりに外部からの参加者を募り、音楽的にもしっかりしたモノを遣る予定。

さあ、どんな展開になるか、、、、、。音楽の守護聖者、ちぇちぃりぁさまにおすがりせねば。。。。。

2016年12月10日 (土)

古楽に行きたいんですけど。

こう暖かいと活動的になる。午前中に仕事をやっつけて、急ぎジムへと走る。午後一時には閉まってしまうので駐車場は空いてるだろうと高をくくったが、みんな考えることは同じと見えて、いくつかあるのに満車状態。仕方なく遠くの方へ停めに行く。こういうことも苦にならないのが太陽のお陰だ。会場に入ると案の定一杯。急ぎ身支度をして指示される場所へと入る。そして確か12種類あるマシンを二回ほど廻る。ほぼ一週目でかなり汗ばんでくる。二週目に入ると首に巻いたタオルが濡れているのが分かるほど汗が出ている。少し慣れてきて、周りの人を見る余裕が出て来た。今日は土曜日のせいか若い人が目立つ。いつもは結構な年配の人が多くて、近頃の高齢化社会を再認識していたが、、、。しかし、壁の張り紙には「寝たきり防止」とか「つまづき防止」などの字が躍っている。対象は高齢者かとばかり思っていた。

これほど汗をかくと、温泉に行かずばなるまい、ってことでぽかぽかへ。この昼間にお風呂に入る贅沢感は捨てがたい物がある。ここでしっかり暖まって帰ると湯冷めしないから不思議だ。

こうして何とか動けている老いた母親にすっかり負けているのが娘だ。夕べ我が家で我が母とご飯を食べた時から喉が痛いの候のと言ってはいたが、まさか今日のロボット教室に行けてないとは知らなかった。そうと知っていたら代わりに連れて行けたのに。。。後の祭り。お陰で明日は子守と相成った。

 

しかし、明日は会長の所属する古楽の演奏会。行く気で居たが、さて、どうなることやら。

2016年12月 8日 (木)

プラス思考。

今日もお天気だあ~!と朝から張り切ってFMの収録に出かけた。駐車場に車を止めて、水も購入。万端の準備をして局に入ると、いつもは早いゲストもミキサーもまだ来てない。愛想の良い局の人が挨拶してくれる。お早うございます~と返事をしても、彼が浮かない顔。言いにくそうに、「あの~、収録は明日ですよね?」わっ!今日は8日だった。と瞬時に思い出し、豪快なる照れ笑いを残してそそくさとその場を去る。

この事を夕食時に夫に話すと、夫は涼しい顔をして、「忘れずに居たことを喜ぼう!」「それをプラス思考と言う。」とまるで講義をしているかのように喋ってくれる。

確かにねえ。そう思わないと人間やっていけないわ。夫はなおも言う。「自分を褒める事が大事。」

確かに。ぽっかり空いた時間で行ったジムの壁にそう張り紙してあった。「自分を褒めましょう!」

 

結局、今日は張り切ることが出来たお陰で、行きたくないと一日延ばしにしていた病院にも行けたし、そうやってジムにも行った。その上、温泉にも浸かり、、、、まあ、いっか。

 

そう言うわけで明日は又ゾロ収録のためにお出かけだあ!

 

こういうワタクシメに成り下がっているわけで、来年オペラを遣ると決めたちぇちだが、あんまりアテにして貰っても困る。あれ忘れこれ忘れ、ボケボケのボケできっと悲惨なことになりそうだ。この際、若者にしっかりして貰おうと、心から思う今日この頃。

そういう訳で、昨日の夜の会議はとても心強いものだった。やるべき事を洗い出し、てきぱきと段取りを付けていく。さすが~と思う事しきり。そして、斬新なアイデアも出て、なんか上手く行きそうな予感。

しかも、今日になって、大物のゲスト出演も決まり、いつものこけ枝師匠も快く引き受けて下さる。もしや、記念すべき回になるやも知れぬ。

2016年12月 6日 (火)

出来ることしか出来ない。

なかなか疲れが取れない。でもって、突発的にあ、あれはどうなってたのかしら?なんぞと不安が過ぎる。ナイナイと大騒ぎしていた扇子がMさんの車の中から出て来たり、会場に王冠を忘れた気がすると今頃問い合わせがあったり、、、、勿論それはチャンと持ち帰っているが。。。。まだまだ後始末がちらほら残っている。てなことで、そういえばあの方はお越し下さったのかしら?と気になって問い合わせると、Nさん曰く、「あら、あの日にいらしてたことを話しましたよ。ご挨拶が出来なくて申し訳なかったと言われてましたよ。」とのこと。そんな会話をしたという記憶がぶっ飛んでいた。やれやれ。

 

今日は半日孫べえと遊んだ。余りにタブレットで遊ぶので、今日は「人生ゲーム」を自分たちで創ろうと提案して、サイコロから作る。便利なことにパソコンで展開図が出て来てプリントアウトしたモノをカット、すぐ出来る。今度は大きな画用紙に自由に地図を書かせてやり始めたが、これがやたら孫べえのお気に入りとなり、晩ご飯の支度にも差し支えるほど夢中になる。

仕事帰りの母親がご飯を食べて一緒にやり始めると、彼のテンションはマックスだ。

時間さえあれば、こうして遊んでやることは嫌いではないんだが、なかなかそうばかりも出来ない。帰宅した夫が、「お疲れさん」と労ってくれるほどお付きあい。いやあ全く疲れる。

 

明日はパパがお休みで、解放されるが、そういう日はシャンソンがあり、夜は会議が入っている。とにかく一日中お休み~と言う日が全く無い。いつまでこんな生活が可能なのか?、、、今は肩がばんばんに張っているし、喉の腫れも感じている。

 

「出来ることしか出来ない。」を肝に銘じて、ストレスからなるべく遠ざかる生活をしようとは思うが。。。。

2016年12月 5日 (月)

反省会。

今日のちぇち練は反省が主な目的だった。それ以外は次のステージの曲も決まってないため、手持ちの楽譜で発声と合唱練習だ。。。。。しかし、反省会というのも面白いものだ。(ちぇちだけ?)

しら~っと集まって来て、一人一人が口を開くまでは到底わかり得なかった事が次々と告白される。中には爆笑ものもありいので、おやつの蜜柑の美味しかったこと!,,,如何にもちぇちだなあ~。他の団体のことは知らないが。

意外な思いがしたのは、リハで聞いた時にとても良くなったな~と感心していた人が、本番では失敗したと告白。ほ~?てなもんだ。まあ、昔からリハで失敗したら本番はうまくいくとは言い伝えられてきていることではあるが。長い時間をかけて練習してきても、一瞬のうちにそれが台無しになるのが、歌というものの恐ろしさだ。そして、それが殆どメンタルの部分が影響しているという点で、同じ歌でも短歌とは全く違う点だ。

又又恐ろしい事に、DVDなるものが来週は出来上がって来る。これが現代の恐ろしさだ。昔なら、この手の記録は殆どの場合無かった訳で、歌ったことは夢の中の出来事にしてしまえたのだが、現代に置いては、様々な機械が歌い手を襲ってくる。それを見て、(見ない人も居る。)再度反省を余儀なくされるという次第。は~っ。

 

終わった事は仕方がない。

次に向けて始動だ。

 

ともかく、今日は寝よう。

2016年12月 4日 (日)

眠い~~~。

夕べ、何故か足の先からふくらはぎ、腿までつることつること!よくよく理由を考えたら、多分久々のヒールのせいだ。うっかりずっとローヒールを履き続け、あっちこっちと歩き回った。時には舞台を上がったり下りたり、数え切れない程動いた。

にしても夕べは酷かった!眠ったと思ったら激痛で飛び起きる。マッサージをしてみたり、水をしっかり飲んでみたり、ipadで調べて有効だと思えるやり方をまなび、早速それを試してみる。

しかし、それでもなかなかよくならず、寝たと思ったら飛び起きて朝までまんじりともしていない。

そのつけが今日の歌会におよんだ。みんなの声が遠くに行ったり来たり。配られた蜜柑をせっせと頂きながら、なんとかかんとかしのいだが、最後はかなりもうろうとしていたようだ。

いやあ~~、やっぱ体力が無くなってるねえ~。

その点、若者は、既に栗林公園の活け花大会?に参加したり、FBに沢山書き込んだりしている。これなんだよねえ。気持ちはあっても動けなくなる。ここは素直にそれを認めて、移譲していくべきなんだ。

 

ちょいと早いがブータンタンン入って寝るとし~ましょ。

2016年12月 3日 (土)

第57回公演終了。

バラエティ感満載のコンサートが終了した。

反省すべきは多々あれど、とにかく眠い。久々にたっぷり飲んだせいもあるが、、、。

疲れた。

 

心配した自分の喉も、本番中は咳き込むこともなく、まあ何とか歌えたのはとりあえず良かった。

毎回、司会をしながら歌っていたのが、今回は若者がそれを担ってくれて、これがどれほど楽だったことか!これからは是非この路線で行って欲しいものだ。

打ち上げで懺悔大会となったのも、ちぇちならではのお愛嬌。この時点で、来年のオペラの話しに進んだのはメデタイ。台本、演出も、これまでと変わり、若者にやってもらいたいもの。彼らには自分が思っている以上に才能がある。

 

さ、とにかく寝よう。

2016年12月 2日 (金)

いよいよ明日!

市民オペラちぇちぃりぁ第57回の公演が、いよいよ明日になった。ここにきて、これまでの疲れがドッと出て、8時から眠気がヒドく信じられないことに8時半には爆睡!で、ただいま10時半にパッチリと目が覚めてしまった。本格的に寝るつもりでベッドなんですけどね〜。
出演者の一人が突然の風邪ひきで、明日は微妙、と言ってきた。高熱は下がったらしいが、、、。
ほんと、歌は身体が楽器だから、健康が一番だ。
こっちも口の中に大きな血袋が出来ている。知らない内にそこを噛んだらしい。肩凝りもひどいし、、、どうなりますやら、、、。

ま、どうあがいても、明日は来る。

2016年12月 1日 (木)

今日も暖かかった。

夕べは余り美味しいとは言えない宴会だったが、今日は昼間からとても美味なる和食。これからの忘年会新年会が多くなる時期の始まりではある。しかし、考えてみると人は料理を介して集う場合、8割方はそこに居る人との交流が大事で、例えば、同じものを一人で、又は気の合わない人との会食であればどうだろう?味までもが変わるかも知れない。要するに、「集う」事こそが大切なのだ。その意味で、今日の集いはほんわかとした良い空気感のなかで楽しく過ごせた。トイ面に短歌の先生がお座り遊ばしていて、折々にそのお顔に、「締め切り」という字が現れては消えていたが。。。。コホン。

 

さて、先日のテレビ番組の話しを忘れないうちに書いておこうと思う。

あれは「冤罪」専門の弁護士のお話しだった。

凄腕と呼ばれるその人は、これまでに何度も冤罪を解決。無罪を勝ち取ってきたようだ。そのためには非常なエネルギーを費やし、緻密な計算の上に、検察側の証拠を崩していくという科学的な知惠も必要で、その筋の専門にかなり食い下がって、「ハッキリ言って、非常にひつこい人。」と言わしめるほどにやってきたようだ。

そこまでやるのは何故か?と問われて、今の日本の裁判に警鐘を鳴らし、無実の罪で服役したり刑罰を受ける人を救いたいと率直に語る。確かに、一例を追跡の形で取材されていたが、電車内での痴漢行為をしたと、女学生から訴えられ、自らの潔白を主張し続けたある男性。通常は、長い裁判の中で棒が折れ、遣ってもないのに自白してしまう人が大勢居るとか。それをこの男性はずっと無実を訴え続けた。そのために結果的には長い裁判を受け続ける羽目に成っていた。そしてこの弁護士の登場となる。しかし、その弁護士の立証を持ってしても誰がどう見ても変でしょう?という裁判結果が出てしまう。それを覆すべく、又しても立ち上がる弁護士。自分が信じたらどこまでもやり抜く。これぞ正義!上告した結果、見事に結果は無罪となり、一審の裁判官は叱責されたようだが、そんなことで良いの?と思ってしまった。「人間だから,間違いはある?」そんなことで済まされる?日本の裁判は。

確かにこの痴漢というものは、告発されたら潔癖を証明するのは難しいだろう。わが友人のご主人も、だから電車に乗るときは、いつも両手でつり革を持つとかして、どこからみても対象に間違われないよう気を付けていると言われていた。

ヒドイ話しだ。

人が人を裁く。これ自体に限界があるのかも知れない。そこを何とか、知恵を出し合って最良と思われることを遣っているのだろう。

 

ちぇちは、来年のオペラのお話がみんなの頭上を浮遊し始めた。今朝も早くから、団長他1名がホールの抽選会場に行ってくれた。一番のお目当ては外れたようだが、二番手は当たりだったようだ。さあ、どうなるのか。若手がよく動いてくれていて、頼もしい限りだ。

つい先日は、ちぇちのメンバーに待望の赤ちゃんが生まれた。何もないところから生まれてきたように思えるが、実は二人の男女の多くのものを持って生まれてきたんだろう。ちぇちの公演も、その意味で同じだ。赤ちゃんを育てるように、本番を迎えたいものだ。

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