嬉しい来訪者。
熊本地震をきっかけに、旧交を温めだした友人Yの奥様が、福岡のご自宅からこちらの方に観光で来られるというので心待ちにしていた。が、今日はあいにくの雨模様。「一時間も早く着いちゃいましたあ!」と明るい声で電話があり、丁度お嬢を病院の送り迎えから解放されて帰宅したところで、良いタイミング。見計らって表に出てみると、遠くから傘をゆらゆらさせながら優雅に歩いてこられるのが見える。思わず手を振って待ってますの合図。
「お久しぶりです~!」と招き入れてから3時間というもの、とにかく喋りっぱなし。内心、「この方、こんなにお喋りな方だったかしら?」と思いつつ、機関銃のような速さで次々と告げられる情報に大忙し。その殆どが、遠い夢のような出来事に関連したもので、中には、わが短歌のペンネームのもととなった方を取り巻く人々の話題などもあり、一気に40年前にタイムスリップの感。どれもこれも、「へええ~、は~~、そうですか!」と返すのが精一杯。ただ、それらは全て、知りたかったことで、おそらくはこの方が知らせてくれなければ、この先一生知らずに終えたかも知れない事ばかり。感謝の気持ちがふつふつと湧いてくるのを覚えた。
友人Yは齢60歳でこの世を去った。癌だった。葬儀直後の遺作展会場に九州まで独り出かけた日のことも思い出す。その時はお取り込み中のことで、彼の描いた絵画の何点かを拝見して帰ったが、今日改めてその最後の様子を聞くことも出来た。夫婦で、最後はホスピスで静かに逝くことを決め、実際その通りに亡くなったと、10年前のことをまるで昨日の出来事のように話してくれるのを聞いていると、淋しさがこみ上げた。
彼は一時期とある会社の高松支店勤務で、お互い20代前半の友人として海に山に大いに青春を楽しんだ仲間だった。仕事の傍らしきりに絵を描いていたが、九州に転勤し結婚、一女に恵まれ、早期退職後はとにかく絵を描いてばかりいた。10年前、突然一枚の絵はがきを受け取る。「軋む」というタイトルのその絵には、荒海に翻弄される小舟が描かれ片隅に十字架に見える木の柵が描かれていて、何とも言えない彼の孤独感と覚悟のようなものが見えて、不吉な予感がしたものだ。予感は的中。それが遺作となった。
「亡くなった人のことを話している間は、その人は死んでない。誰も話さなくなったとき、始めて本当に死ぬんだ。」という言葉を知って、彼女は安心してどんどん喋るんだそうだ。、、、、そうかも知れないなあ。確かに。
現在彼女はオカリナにはまっていて、時にはグループでコンサートもしていると言い、何種類もの楽器共々あちこちを闊歩しているという。そしてフラダンスも始め、お嬢さんご夫婦と海外旅行にも長期に出かけることもあるという。これが出来る様になるまで3年掛かりました!とカラカラと笑う。
そんな彼女と夕飯を婿殿のお店に誘い、飲んだり食べたり喋ったり喋ったり。こちらはマリンの時刻を気にしながら、相変わらず喋り続ける彼女を、「食べましょう!」と何度もせかしながらナントかカントカ間に合うように駅まで送っていく。
帰る道々、ああ、Yは幸せだったんだなあ~、とつくづく思った。こんなにも愛されて、好きな絵をたっぷり描いて、お嬢さんにも愛情を注ぎ、良い人生だったんだ、と。。。窓を打つ雨をワイパーで消しながら若き日の思い出に浸ったことだ。
彼の一粒種のお嬢さんはかなりユニークな人生を送っているようだ。一年の内半分は山小屋の管理人。あとの半分はネパールなどの海外。子供は持たないと決めて、夫婦で自由に生きているようだ。われらが二世達。ホントにさまざまだなあ~。
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