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2016年6月

2016年6月30日 (木)

人体実験は、一応終わり。

結局家族の猛反対に遭い、賞味期限切れをこれ以上テストするのは辞めることとした。というのも、食事は味だから、マズイ物ばかり食べてると精神衛生上よろしくない。これが戦火の中とか、飢餓状態とかならば話しは別。手を伸ばせばなんでもある時代にこれはやっぱり続けられない。というか、こういうものが全く何もないときなら食べられるということを身を持って体験したのは貴重な事だった。ま、寿命を終えるまでにそういうことがあるかどうか、、、、。

 

今日も朝からバタバタ。友人のご主人がめでたく退院されたというので、夫婦でおうちまでお訪ねし、小一時間ほどお喋り。そのアトは、お歌の練習を1時間ばかりやったら孫べえの帰る時間。迎えてマンションの部屋に入り監督しつつ目に付いたものを片付ける。そこからスーパーに買い物に行き、チビを遊ばせ、夕餉の食材も買い、今度は我が家に連れ帰る。食事からお風呂まで面倒を見て、、、、朝お掃除したのが全く気配も残ってないほどの散らかりよう。これを明日又片付けるのかと思うとゲンナリ。

が、送って別れたあとから、「台所キレイにしてくれて有り難う」とメールが入る。チト成長したか。まあ主婦を遣ってみて、その大変さも分かろうというものだ。又又ぜんそくの発作が起きそうなお嬢は明日も仕事の予定。東京から引っ越してこっち、ず~っと体調が悪い。しょっちゅう風邪を引くし、、、、何だかねえ。

 

しかし、よく降るなあ~~~。

2016年6月28日 (火)

賞味期限切れ。

昨日、雨が降る前にと色々片付けていたら、にゃんと非常用の缶詰が出るわ出るわ、、、、全て賞味期限切れ。それも1年~3年前に切れている。密閉した中にいれてあったので、外見は変化なし。が、これって食べられるの?

いつもなら速攻ネットで調べるのだが、ショックすぎてぼ~っとしてFBに写真を撮って掲載するのがやっと。

すると、一番に来たのが、「すみやかにご処分下さい。」、、、ま、そうだろうなあ~。と思ったら、次は、私も経験者、が次々。その内、「大丈夫です!」という豪傑現る。

その人はご丁寧にもWEB上に展開されているその手の記事まで紹介して下さる。その内、缶詰ほど安全な物は無い、と力説する人まで現れて、、、、そうまで言われたら、食べます。食べてみようじゃないの。

ってことで、昨日は、「チーズ入りツナ缶」気のせいか、味が薄い。で、マヨネーズをプラス。全く異常なし。

続いて、本日昼は、ロブスタービスクに挑戦。美味しいとまでは言わないが、一応食べられる。3年前に賞味期限が切れてると思わなければ、もっと美味しく感じたかも知れない。

娘にこれらの写真を送ったら、予想通りバカにされ、その上、「なんでそんな高級缶詰なんよ!」と怒られる。だって、もしもの時、こういうのがあったら生きる元気が湧くかなと思って、、、、と声が小さくなる。

夫は、怒るのも忘れて、騙されて食べさせられないかと逃げ回っている。このお方はラオスなんかに行くくせに、日本ではメチャクチャ用心深い食生活。安全だと言っても昨日の残り物には手を付けない。例え半年前だろうが、賞味期限切れの物に手を出すはずがないのは分かっている。

、、、しかし、流石に我ながら、そこまでしなくてもと思いつつも、今宵のスープはクリームコーンスープ。牛乳で伸ばす。ヤッパリ味が、、、モチロン夫は見ようともしない。「絶対食べん!」とまるで無理矢理口に押し込まれるかのように顔を背ける。目の前でこともなげにスープをすする妻をエイリアンでも見るようにチラ見する。

ヤッパリ、女が長生きするのかもねえ。

 

本日の一番のリポートは、「人はのど元過ぎれば怖さを忘れる動物、だということ。」あの震災の時、あれほど恐怖を感じて、やれ水だ、非常食だ缶詰だ、と備蓄に余念がなかったハズなのに、そういうことしたことさえ忘れている。これはマズイでしょう。

 

FBに来た沢山のコメントの中に、オペラネットワークの方がいて、ご自分は実験用の細菌を培養している冷蔵庫に自作の煮物を入れておいて、ちょいと酸味が来てるのを食べたが、何とも無かった。と言うとある名医が、それは脳が衰えてるってことだ。」と直言されたそうだ。いやはや、ためになるなあ~FBも。たはっ。

 

ま、いっか。食べてる人間も賞味期限切れだから。

2016年6月27日 (月)

Cantiamo.

本日のCantiamoはゲストを迎えたせいもあり、いつもより少し緊張した空気の中結構な長時間の演奏会となった。イコール疲れた。

疲れたら甘い物が欲しくなる、ってことで打ち上げで生中を飲んだ上に、帰路飲め無い連中と喫茶店に行き、その人達より大盛りのかき氷を食べる。あんこたっぷり、ソフトクリームたっぷりの宇治金時。でも氷がふわっふわで完食できたのには我ながらおろろいた。げっ!

でもって終演後と打ち上げとここで本日の反省会パートスリーとなる。今日が43回というもの凄い回数になったこの会だが、作った先生も草葉の陰からにんまりされているに違いない。「一人一人がソロが歌える合唱団であること。」という壮大な目標のために企画したものだが、確かにここが特異な点で、この会があるからこそオペラ、オペレッタが上演出来ているのだ。それにしても結局結論は、「歌は難しい。」だった。音符を越えたところがどう歌えるかという、摩訶不思議な世界。同じ歌でも、歌い手によって全く印象が異なる。そして、声も年を取る。若い人は矢張り若い声で瑞々しいことが大きな助けになっている。年寄りはその点テクニックが必要ということだ。モチロン、年寄りにしか出せない味もあるにはあるが、、、、。

そして一方で、「音楽は全ての人の為に。」というコンセプトも今日の顔ぶれを見ればよく分かる。色んな事情でちぇちには参加出来無い人もこういう場所での歌の楽しみは実現している。このゆるやかさも大切なことだ。

ゲストは岡山でたびたびオーケストラとコラボしたり、色んな舞台を経験しているベテランだ。遠方からよくぞ参加して下さったと感謝だ。とにかく生の声で勉強するのが一番だ。

 

それにしても、真面目な会だったなあ~~。ふ。

2016年6月25日 (土)

今ゲリラ豪雨。

昨日の過密スケジュールの挙句、今日はこれでもかとトンマをやらかす。歌会の歌を1
週間も早く、それも遅い時間に送ってしまう。など。昨日は11時迄の会議がトドメたったが、今日は、みっちゃんちでお泊まりしたいとダダをこねる孫べぇを送って行ったのが最後。
おお、疲れた❗️

明後日のCantiamoの準備をしなくっちゃ❗️いつ?

2016年6月22日 (水)

昨日の日記。

昨夜、睡眠障害かと思う程眠れなくなり、手元にあったipadに日記を書き込んだまでは良かったが、突然IDとパスワードを要求される。あっと思ったが、入れるもの全てがアウト。あまりやり過ぎると使えなくなる恐れもありいので、諦めて寝たが情けない。ついこないだ管理人とそれを使って作業したはずなのにねえ~。まったく。とんでもなく記憶力が低下している。

にもかかわらず記憶すべき事が山のようにある。

明日はいよいよお嬢が6時半までの勤務となり、迎えに行ったチビ助にご飯を食べさせるお仕事までやってくる。

大昔のことではあるが、娘がまだ小さいとき、何故かボンヤリしていて、病院に迎えに行く時間がかなり遅れたことがあり、それをいつまでも根に持っているに違いないお嬢に、何度もお迎えの時間を念押しされており、さすがに緊張する。まあ、孫は違うけどねえ~そもそも。、、、って、火に油を注ぐなあ~この発言は。

 

日曜日のCantiamoだって、本来暗譜すべきなんだが、、、、ムムム。どうもドイツ語はねえ~。

 

さ、明日の順番は、一番に幼稚園バスの通過を見送ること。続いてFMの収録。孫べえのお迎えのあと午後はお歌の練習。じいじと孫に夕飯を食べさせたら夜は会議だ。まじ~~~?!

2016年6月20日 (月)

ち、ちかれたび~~~。

昨日の発表会からこっち、メチャクチャ疲れが出て、右半身がやばい状態。それほど体力を使ったとは思えなかったが、待ち時間の長さもあり、教室のみんなのドキドキ感も伝わって、落ち着かない5時間だった。それに一日9時間のお出かけは矢張りこんなことになっちまうんだなあ~とつくずく情けない。口内炎に良く効くという枇杷の葉っぱのアルコール漬けを貰い、今日はせっせと付けているが、どうかしらねえ~?くれたオヒトは、絶対明日にはかなり治ってるから、と太鼓判。それにかけるとしようか。

昼間は昨日の打ち上げと称してランチタイム。10名ほどでわいわいがやがやとお食事とお喋りを楽しむ。その間も、内心はこりゃあやばいかも、今夜のちぇち練は行けるかなあ?と考えて居る。

が、帰宅して1時間もマッサージ機で仮眠したら、少し動けるようになり、結局はいつものメンバーをお乗せして鬼無の会場まで。まあ、倒れることもなく過ごせたが、これはちょいと危ないなあ~。何故?どうして?と考えてみても答えは加齢以外見あたらない。今も首をフリフリパソコンの前。

とにかく寝るしかないだろう。

 

同じ舞台に出ていたフラメンコの方たちとも声を掛け合ったが、あれは良いなあ~。10年若ければやりたい位だが、いかんせんもう絶対無理。、、、どんどん不可能なことが増えてくるなあ~。グスン。

2016年6月19日 (日)

明日はシャンソンを歌う。

さあ、明日はカルチャーの発表会だ。お嬢を巻き込んだが、彼女にとってこちらに帰って来て初めての舞台。「わたし、こんな格好して歌うために帰って来たん?」と完全なお笑いのスタイルを作っては爆笑。東京では絶対叶わなかったことが出来て嬉しいやん?と意味わかめの返事をしてお茶を濁す。たった25分のステージでも舞台は舞台。何度も話し合っての結論だ。

目的は「お客様を退屈させない。」という一点に絞る。ひたすらサービス精神が旺盛なだけの演出だ。

側で母親の変身ぶりを眺めてはゲラゲラ笑い転げる孫べえ。明日は連れて行くんだが、、、、少々心配。自分も出る~とお遊戯会と間違えている。ま、そんな物かも知れないが、、、。ふ。

 

今日はラジオをかけて仕事をしたが、短歌の番組を偶然聴く。優れた作品の中に、水がないと人は生きられないことを孫は始めて知る、という内容のものが読み上げられていたが、確かにそういうことだろうと妙にナットクした。矢張り体験で学ことは大きい。あまりそういう体験は幼子に体験させたくはないが、、、。

 

さ、今宵はもう寝ておこう。

2016年6月17日 (金)

行かなくちゃ。

近頃よくお花を頂く。紫陽花が主流だが、時には珍しい名前も覚えられないようなのを頂く。ご自宅で沢山栽培されている方が多いようで、手入れは相当大変だと思うが、こちらは何もしないでおこぼれを頂いて幸せ。。。作る人も他人にあげるのを楽しんでいるようなところもありいので、すっかり甘えている。

わが友人で88歳になる一人暮らしの女性が居て、それこそ庭中が庭園と呼ぶに相応しく様々な木立が年中自然の移り変わりを感じさせ、花も野菜もフルーツも、自給自足のように所狭しと栽培されている。が、加齢と共に、手入れが難しくなり、かなりの頻度で専門家に依頼し始めているようだ。

高知在住のそのOさんから半年ぶりに電話がある。「みっちゃんの声を聴きたくなったのよ!」と言われたが、実はその方は東京のお嬢さんに言われて渋々ではあったが上京していたはず。一体いつの間に舞い戻ったのかと聞いて見ると、なんと三日でとっとと引き揚げたらしい。豪華マンションを早くから用意してくれていて、すぐ下の階にはそのお嬢さん夫妻の部屋もあり、孫達も近くに住んでいるという絶好の立地条件にもかかわらず、「あんな、箱の中にジッとしてるのはイヤなのよ。私は土をいじってないと落ち着かないから。」とのたまう。思わず、「いや~、分かるわ~」と言ってしまう。それというのも長年、Oさんの暮らしぶりを見て来たし、あの自然体の暮らしに取って代わる素敵な生活なんてあるとは思えないからだ。

毎朝、コーヒー豆を挽きながらお庭を眺め、取ってきたキューリやトマト、ブルーベリーや香草などの緑黄色野菜を洗い、大きな冷蔵庫の中の保存食を取り出し、お気に入りのパンとともに食べ、ゆったりと一日を始めるという、理想的な暮らし。

大変なおしゃれさんで、山登りの友人などとランチにお出かけするときは、さらりと素敵な織りの斬新なデザインのお洋服を身にまとい、最低限のお買い物をしてバスで帰宅。ひとしきり畑に出て野菜達の世話をする。シャワーを浴びたら、これ又殆ど自前の食材でキチンとした食事を取る。冬は一人鍋もしっかりするという。近くのスーパーでかつおのたたきを買ってくることもあり、日曜市で求めた土佐ならではの食材が並ぶこともある。年の功といえばそれまでだが、本来の美味しい物をよくご存じだ。食品添加物を極力避け、食材本来の味を大切に、、、、数え上げればきりがないくらいの生活の知恵を持ち合わせている人。

「ねえ、早くおいでよ。会いたいわよ。早くしないと流石にどうなるか分からんよ。」と脅されて、すっかり行く気になっている。あの恐ろしい地震騒動の時、Oさんを乗せて高知の山中を命からがら逃げ帰った、あの時以来出向いてないような気がしている。

 

行かなくちゃ!

2016年6月16日 (木)

眠い。

今日はお葬式だったハズなのに、そのアト余りにバタバタしたため、葬儀は大分前の出来事だったかのように感じている。

この葬儀は家族葬ということで、ごく近しい人のお詣りだけだったが、それでも90歳にして、あれほど多くの人が泣きながら別れを惜しんでくれるというのは、良い人生だったんだろうと思う。

長きにわたるご恩に感謝しつつ、最後のお別れをさせて頂いたことだ。

 

昼にインスタントのパスタをチンで済ませ、30分ほど仮眠。そして約束していた飯山町の病院まで娘親子を連れて行く。バタバタと夕餉の買い物も済ませ、自分はパンをかじって本日のちぇち練会場、国分寺へと二人ほど乗せて車を駆る。

今日はW先生のご指導日。隅から隅までパワフルで丁寧なご指導を頂き、一気に進んだ練習だった。こういうレッスンを受けないというのはもったいない話しだ。

 

10時だったかに帰宅して、あり合わせで夕食。ビールをうっかり生冷えだのに蓋を開けてしまい、ガッカリ。たった一本が睡眠導入剤の如く廻ってきた。眠いこと眠いこと、、、。ふ~っ。

2016年6月14日 (火)

オリンピックと通夜。

オリンピックねえ~。今回はどうも最初からケチが付きっぱなし。ホントに東京が実現するのかなあ?かなり怪しくなってきた。本来オリンピックとは、スポーツマンシップのイメージが強い。イコール善の象徴といった感があったが、そこに群がる欲望と権力のおぞましさ。これで良いのだろうか?

都知事の地位への執着がこのオリンピックにあると知って、ますます懐疑的なおみっちゃんではある。

しかし、この期に及んでも、彼を結果的に擁護するかの如き某政党は、そりゃあ選んだ責任はアルかも知れないが、それならば尚のこと、明快な解答を世間に向かって示すべきだろう。どうも分からない。

真剣に腕を磨き、記録に挑戦し、苦しい体力作りに奮闘している選手達が気の毒だ。明るい太陽にどこからともなく暗雲が立ちこめるような不安を感じている選手は一人もいないのだろうか?

 

今宵は母と娘を伴いお通夜に参列した。

96歳の母はお焼香の際、遺影に向かって何か喋ったあと泣き崩れた。およそ半世紀に及ぶ親交があったわけで、半年ほど前には一緒にランチをしたり昔話に花を咲かせたこともある仲だ。90歳のHさんに逝かれ、淋しさもひとしおだったようだ。ここ2ヶ月ほどは、母に会う度に様子を訊かれ、余りに同じ事を訊いてくるので生返事をすることもしばしばだったが、それも終わった。

全ては終わる。

別れの日。

今朝小雨降るときに、わが第二の母とも言うべき人が亡くなった。

ここしばらく苦しげに人工呼吸器をつけて過ごす様子を見てきて、胸を痛めていたが、

ようやく全てから解放された。

死に化粧をさせて頂き、最後にチークを施すとき、「お化粧はしなくても、頬紅だけはした方が良いわよ。」といつも言われていたのを思い出す。あの頃、40代後半か。

美しい人だった。

その半生は壮絶で、夫の死後、女手一つで三人の子供を育て上げ、事業にも成功した人だ。

晩年は、好きな花を使って押し花絵を教える人になっていた。

「88歳。生きてて良かったわ!」というハガキが我が手元にある。

あれから2年しか経ってない。

しかし、今日自分の死後のことを娘にキチンと指示した紙を見せて貰い、覚悟の上だったことを知る。

見事、生ききった人だった。

 

通夜は明日。明後日の葬儀は家族葬となる。全てのお悔やみ類はお断りとするようだ。時代と共に、葬儀も変わる。

2016年6月13日 (月)

オーケストラデビュー。

今日は孫べえを連れてオーケストラの演奏を聴きに行った。若干6歳のこの子は、革靴を履いて、蝶ネクタイをつけて、別段嫌がる様子もなく、何か楽しい事が待っているといった様子で付いてきた。

本心を言うと、1曲目で飽きて帰る羽目になるんじゃないかと思っていた。ところが、少なくとも1曲目は完全に聴いていた。2曲目がピアノコンチェルトだったのもあり、少し体をクネクネさせながらも興味を持って聴いていた。それというのも、先日来幼稚園でピアニカを習い、それが余程楽しかったようで鍵盤に愛着を持っているようだ。そのためか、休憩に入り、一番前の席に移動して、近くで楽器を見ようかと言うと即答で行こうと言う。2階席の一番後ろだったため、しばらく歩く途中で釘を刺した。「一番前は、絶対ごぞごぞしないでよ。後ろの人の迷惑になるからね。」すると、あっさりと諦めて、「そんなんじゃあダメだよ。やっぱり後ろに行こうよ!たいちゃんは、ぜったい、ごそごそするからねっ!」とさっさと踵を返す。内心、あっちゃあ、やっぱりごぞごぞするつもりなんだ、とガッカリ。覚悟を決めて、今度は2階席の一番前が空いていたのを幸いにそこに陣取った。この場所は何故か椅子の背もたれが高く、後ろの人に余り見えないのが幸いだ。本人の予告通り、休憩後はごぞごぞが始まった。指揮者が格好いいと、真似をしたり、下の座席をのぞき込んだりと大忙し。まあ、始めに絶対声を出さないで、と言っておいたので、うるさくはしなかったが、、、、、。2部は半分聴いて、あとはガクッとこっちの膝にもたれかかって熟睡。そこからがわが観賞の時間となった。ふ~っ。

終演後、爆睡中のこの子を何とかかんとか起こし、母親に電話すると最後までそこにいたのかとビックリしている。てっきり飽きて休憩前に帰ると思っていたようだ。しかも本人と話して、どうだったの?と訊くと、「楽しかった。」と答えて居る。おいおい、本当かい?

 

しかし、この体験の記憶は大人になっても残っているんだろうか?

外はけっこうな雨が降っていたが、傘がない。仕方なく自分は頭にタオルをかざし、孫べえはわが上着の後ろに頭を突っ込んで、ゲラゲラ笑いながら二人三脚。子供は何でも遊びに変えるなあ。

2016年6月12日 (日)

祭り。

塩江の蛍祭りに行こうと約束していて、想定通りの渋滞に巻き込まれながらも何とか到着。夫の実家の駐車場に止めさせてもらいイベント会場へ。近頃見ない数の屋台がびっちり並び、昔ながらのたこ焼きや鯛焼きもあるが、進化したB級グルメも並んでいる。どれもこれもケッコウお高め。あっという間にお札が飛んでいく。

どうしても遣りたいという金魚すくいでは、出目金を2匹ゲット。「持って帰るまでに死んじゃうんじゃないの?」とこれ以上飼いたくないおみっちゃんが嫌みを言っておいたが、にゃんと、そのビニール袋のまんまとあるところに引っかけてそのまま移動。気付いて戻ったときには既に無い。「みっちゃんの管理がわるいからでえしょ!?」とむくれている孫を又の機会にとさんざん慰めてようよう帰路に付く。

このお祭り、今時こんな業者がこんなに沢山いるのか?と思う程ビッチリと怪しげな商売人が並ぶ、、、。地元の青年団は良いとして、この頃であれば、あちこちのイベントでやっている良心的な手軽で美味しい物を並べてくれた方が良かったと思うが。アンバランスなのが、イベント広場の舞台周辺でがなっている音楽。そこに入るやいなや耳を打つガンガンとした今時の音楽。ストリートダンスは仕方ないにしても、一体どこに焦点をあてた催しなのかがイマイチ分からない。舞台の吉本は椅子席の人以外に聞こえるようなマイクではなく、後ろの方で少し立って聴いても面白さがまったく伝わらない。

ひたすら疲れて、川縁を暗くなった道から見つめながら歩いたが、ポツポツと蛍らしきものが点滅し始めている。「ああ、そうだった。今日は蛍祭りだった。」とそこで合点。しかし、都会育ちの孫べえは、決して土手の手すりに近寄らない。どうやら蜘蛛の巣が怖いらしい。自分が怖いことに腹が立つようで、こちらに八つ当たり。大した感動もせず、さっさと車に乗り込んで、綿飴をかじっている。興奮しているのはその母親。しきりにスマホで写真を撮っているが、かなり難しいらしい。夫の実家の前が蛍のスポットらしく二人ほど本格的なカメラを構えている人たちが居たものの、蛍そっちのけでまるで「蛾」の集団のように広場にたむろしている人が殆ど。

時代は変わったなあ~。

♪ほ~ほ~ほ~たるこい♪ こっちのみ~ずが しずかだよ~♪

2016年6月11日 (土)

♪ああ~あ、やんなっちゃうなあ~♪、おどろいたっ!

齢70歳にして、パソコンや車に弱いのは当たり前っちゃ~あたりまえかも知れないが、今日もきょうとて専門家T氏のヘルプによってメールが正常に機能し始めた時は、時代の流れに付いて行けてないのを実感した。

6歳の孫べえが、わがipadを我が物顔に使っているのを見ると、何ともかんとも不思議な思いに駆られる。自分の御幼少のみぎりはああいうものが無かったから、出来なかっただけで、本来の人間は出来る様な頭脳を持っているのかも知れない。と、考えてしまう。その孫べえのいたずらもあって、ipadもおかしくなっていたのだ。ふ~っ。

で、まあ、このみっちゃん日記なるものがT氏の発見によってこれまで1924回投稿されていることに気付かされ、我ながら驚いた!ちりも積もれば山になったなあ~。これをもし本にしたら200頁のものが10冊は出来るわけだ。イコールここを根気よく訪れてくれている方の忍耐にも頭が下がるというものだ。

 

昼間、仕事帰りのお嬢を病院に運ぶ途中、Bと言うタレントの復帰記者会見の様子に随分腹が立った、と細かく教えてくれる。何でも、ある女性記者が、今後は正しい恋愛をするんですか?と訊き、そのBが、「ハイ、他人様に迷惑をかけない正しい恋愛をします。」と答えた時、別の女性記者が、「それは約束できますか?」とだめ押しの質問をしたという。、、、これについてお嬢が憤慨しているのだ。その女性記者は一体何様?何の権限があって、そんな風に詰問出来るの?etcというものだ。余りに短絡的なバカな質問に嫌気がさしたと言う。この件に限らず、日本の記者と呼ばれる人たちの程度の低さにはホントに呆れる。。。とか。

まあ、確かに、変なマスコミ人は多い。人の人生を左右しかねないことを遣っているという自覚があるんだろうか?しっかり勉強してその場に臨んでいるんだろうか?大いに疑問だ。

 

わが書棚にある「ニーチェの言葉」という本の中にこんな文章がある。

 

愛が働く場所

善悪の彼岸。それは善悪の判断や道徳を完全に超越した場所のことだ。

愛からなされることはすべて、その場所で起きている。

だから、愛の行いは、いっさいの価値判断や解釈がおよばないものであるのだ。

2016年6月 7日 (火)

揺り戻し?

色々と周辺を整理しようと画策してきたが、なかなか上手くいかないばかりか、どうやら揺り戻しが来ているようだ。結局は元の木阿弥のバタバタとした生活。昨日も午前中の仕事のあとは遅れ気味に歌会に参加。相変わらずの駄作を提出し、予想通りの評を頂き、、、、途中友人から差し入れを持って行くけど、ご自宅?と言われ、お嬢の方に廻って貰うことに。ということはお嬢親子と我が家で夕飯となる。夫も交えて賑やかに夕食を済ませ、これ又お嬢の用事で丘の上の友人宅へと車を出す。

こちらもお子さんの家族二組とお庭でバーベキューとて、是非仲間に入ってと誘われ、、、、確か満腹で出かけたはずが、いくらか肉や野菜やデザートのケーキを詰め込む羽目に。でもって二人を送り届け帰宅したら夫は、「お先に!」と言いつつ寝所へと向かう。

食事のあとの散乱している食器を食洗機にセットするとどうにもこうにも目が開かない。午前様にならないうちにと急ぎベッドに、爆睡。

今朝もはよから幼稚園バスに手を振り、やがて友人Yが、頼んであったドレスの仕上げにやってくる。そのままシャンソン教室、ピアノ合わせ。昼すぎに終えて速攻母を迎えに行き、おうどんやさんへと誘う。そのまま連れ帰って清潔ケアをしてから送り届ける。次は我が家で二重唱の合わせを遣るというお二人を迎えてあれこれアドバイス。彼らを見送ったらすぐに夕飯の支度だ。手早いだけが取り柄のわが料理を美味しいと言いながら完食した夫に、どこに行くかと聞かれて、「いい加減おぼえてよ。今日はちぇちです!」と叫んでメンバー3人をピックアップして鬼無のコミセンまで。、、、なんか、バッグがすーすーするなあ、と思ったら、スマホを忘れてきてることに気が付く。充電したまま置いてきた。

手元にあれが無いと、多少不便だけど、心が軽い。

 

さ、今日も丑三つ時だ。

2016年6月 5日 (日)

嬉しい来訪者。

熊本地震をきっかけに、旧交を温めだした友人Yの奥様が、福岡のご自宅からこちらの方に観光で来られるというので心待ちにしていた。が、今日はあいにくの雨模様。「一時間も早く着いちゃいましたあ!」と明るい声で電話があり、丁度お嬢を病院の送り迎えから解放されて帰宅したところで、良いタイミング。見計らって表に出てみると、遠くから傘をゆらゆらさせながら優雅に歩いてこられるのが見える。思わず手を振って待ってますの合図。

「お久しぶりです~!」と招き入れてから3時間というもの、とにかく喋りっぱなし。内心、「この方、こんなにお喋りな方だったかしら?」と思いつつ、機関銃のような速さで次々と告げられる情報に大忙し。その殆どが、遠い夢のような出来事に関連したもので、中には、わが短歌のペンネームのもととなった方を取り巻く人々の話題などもあり、一気に40年前にタイムスリップの感。どれもこれも、「へええ~、は~~、そうですか!」と返すのが精一杯。ただ、それらは全て、知りたかったことで、おそらくはこの方が知らせてくれなければ、この先一生知らずに終えたかも知れない事ばかり。感謝の気持ちがふつふつと湧いてくるのを覚えた。

友人Yは齢60歳でこの世を去った。癌だった。葬儀直後の遺作展会場に九州まで独り出かけた日のことも思い出す。その時はお取り込み中のことで、彼の描いた絵画の何点かを拝見して帰ったが、今日改めてその最後の様子を聞くことも出来た。夫婦で、最後はホスピスで静かに逝くことを決め、実際その通りに亡くなったと、10年前のことをまるで昨日の出来事のように話してくれるのを聞いていると、淋しさがこみ上げた。

彼は一時期とある会社の高松支店勤務で、お互い20代前半の友人として海に山に大いに青春を楽しんだ仲間だった。仕事の傍らしきりに絵を描いていたが、九州に転勤し結婚、一女に恵まれ、早期退職後はとにかく絵を描いてばかりいた。10年前、突然一枚の絵はがきを受け取る。「軋む」というタイトルのその絵には、荒海に翻弄される小舟が描かれ片隅に十字架に見える木の柵が描かれていて、何とも言えない彼の孤独感と覚悟のようなものが見えて、不吉な予感がしたものだ。予感は的中。それが遺作となった。

「亡くなった人のことを話している間は、その人は死んでない。誰も話さなくなったとき、始めて本当に死ぬんだ。」という言葉を知って、彼女は安心してどんどん喋るんだそうだ。、、、、そうかも知れないなあ。確かに。

現在彼女はオカリナにはまっていて、時にはグループでコンサートもしていると言い、何種類もの楽器共々あちこちを闊歩しているという。そしてフラダンスも始め、お嬢さんご夫婦と海外旅行にも長期に出かけることもあるという。これが出来る様になるまで3年掛かりました!とカラカラと笑う。

そんな彼女と夕飯を婿殿のお店に誘い、飲んだり食べたり喋ったり喋ったり。こちらはマリンの時刻を気にしながら、相変わらず喋り続ける彼女を、「食べましょう!」と何度もせかしながらナントかカントカ間に合うように駅まで送っていく。

帰る道々、ああ、Yは幸せだったんだなあ~、とつくづく思った。こんなにも愛されて、好きな絵をたっぷり描いて、お嬢さんにも愛情を注ぎ、良い人生だったんだ、と。。。窓を打つ雨をワイパーで消しながら若き日の思い出に浸ったことだ。

彼の一粒種のお嬢さんはかなりユニークな人生を送っているようだ。一年の内半分は山小屋の管理人。あとの半分はネパールなどの海外。子供は持たないと決めて、夫婦で自由に生きているようだ。われらが二世達。ホントにさまざまだなあ~。

2016年6月 3日 (金)

お茶会。

今日はとある高台にある病院内での菖蒲茶会にお招き頂き、総勢7名のグループで参加した。天候に恵まれて緑深き中を海を見ながら上り、目的地に着く。その立地のせいもあり、異空間に身を置く感じ。ポーチに立つと、今にも頭上に落ちてきそうな真っ白い大きな雲が浮かんでいて、その静かな空気の清浄なこと。

お部屋には既に沢山のお茶席が準備されていて、部屋一杯に菖蒲の花が美しく飾られている。わがお茶碗は夏仕様でガラスに蛍が飛んでいる。ああ、ニッポン。

この茶会に呼んで頂いたのも参加したのもみんな短歌の仲間達。輝く海を眺めたり、見覚えのある山を見ては吟行の思い出話しに花が咲く。それぞれの健康状態なんかも話題に出て、昼食に揃って行く事になったのも自然の成り行き。親密度が増してきたということだろう。短歌で繋がってきた人間関係だ。

みんな帰りに美しい字の色紙を頂いたが、わが選択は漱石の、「すみれほどの 小さきものに 生まれたし」というもの。妙に感じ入って選んだが、なかなか良い言葉だと思う。モチロン漱石だから、というのもあるが、、、。

 

明日はクーラーの設置に業者が来るなあ。又忙しいなあ。寝よ。

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