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2016年5月

2016年5月29日 (日)

ドジバナ、久しぶり?

チビの運動会が昨日。吾が子の時は仕事で殆ど行けてなかった気がするこの手の行事。いまごろになってそのツケが廻ってきた感がある。朝も早よから幼稚園。「おじいちゃん、おばあちゃんいらっしゃい」なんぞというプログラムもあり、孫べえと一緒にダンスをしたり、カメラマンよろしくスマホ写真を撮り続けお陰でメモリ不足でメールが一切送受信できなくなったほど。一日中付き合ってへろへろになり、帰宅してから何も手に付かず爆睡。近頃スマホのデスクトップにスケジュールが出るようにしてあり、チラッとそれを見ると明日は朝シャンソン、とある。それに合わせて目覚ましをセット。あ~疲れた。

目覚ましに起こされることもなく目覚め、熟睡したのが良かったのか意外にも体がスイスイ動く。夫を送り出した後、10時といういつもの時間になっても一緒に行くことに成って居る友人Yが現れない。メールで、「来てる?」と打つと、「来てません」と返る。「え?じゃあ今日はシャンソンお休み?」と打つと、「シャンソンは明日です~」との返事。「あっちゃ~、すっかり行く気だった!」と打つと、「大丈夫?まだお友達でおれますか?」と来た。ハハハ。私より6歳年上のお姉様にこんなこと言われちゃあ~ねえ、立つ瀬がない。

でもって、このやりとりの前には、義妹に母を迎えに行く時間等を連絡、従姉妹にも朝は教室昼は母のお守り、夜はちぇち練で、ヘアーの用事は今日は無理と返事をしたり、、、、とにかく完全に明日の予定を遂行していたのだ。それぞれが、こちらからのメールを見て、「変だなあ~?」と思ったそうな。

何故こうなったかをよくよく考えてみると、スマホのスケジュールだった!表記が、予定のない今日は当然のことながら何も書いて無く、明日の予定がしっかり書かれてあるから、日付を見なければこれが今日の予定だと思ってしまう。自分で入れたスケジュールが自分をおとしめたというお粗末。

こういうドジがあると、余計疲れる。

 

しかし、近頃の運動会というのは進化しているなあ。先生方はこないだ生まれたような子供達を良く調教していると感心するばかり。特に鼓笛隊のマーチングやハダカになっての組み立て体操なんかには舌を巻いた。東京の幼稚園は何もしないのがウリだったため、ピアニカに触ったこともなかった我が孫べえは、先生のご指導よろしく練習から3回目には嬉々として自宅に帰り、「本番は,地球が燃え尽きるまで頑張る!」と言ってたという。この先生がくしくもちぇちの前ピアニストS嬢だった。道理で近頃車に乗せてもすぐ歌いたがるし、へえ~~?と目を見張る程音楽に興味を持ってきた。もともとチビ達にもてるS嬢とは聞いていたが、まさしく。子供が音楽嫌いにならないことをいつも優先させていると聞いてナットク。この偶然の出会いは有り難かった。この運動会の日も、ちゃんと鼓笛隊の時には会場に来て、子供達に声をかけている。「センセ、きてたん?」と言う子供達に、「くるわよ~。良くできてたよ~」と声をかける優しさ。そりゃあ持てないわけがない。

そして衣装にも驚いた。小さな子供達がモールの付いた制服で可愛らしいグリーン帽、女の子はチアガールの衣装の子たちも居る。普段の制服もベルサーチだったと思うが、いちいち、へえ!ほう!は~!と感心するばかりのオババではある。

プログラムの中に、卒園生も参加出来る徒競走や、マーチングの最後は子供たちのすぐ側で撮影が赦されるというのがあって、園が、この小さな幼稚園の枠の中だけでない、それを取り巻く環境にも配慮した全体としての教育に力を入れているのがよく分かった。偶然ではあったが、そしてたった1年のことだったが、良い所に入れたものだと改めて思った。

2016年5月27日 (金)

歴史的な一日。

今日はオバマ大統領が広島を訪問した。映像で見ると、私が歩いた道を歩き、私が胸打たれた記念碑を眺め、おそらくは、同じような畏怖を感じているように見えた。

何処までが公人としての言動なのかは計り知れないが、矢張りこの人の人間性には感動した。被爆者をハグする姿は、いままで見たどのハグよりも心がこもっているように見えた。

 

時は流れたのだと思う。

シャイな日本人。

日本人がシャイだということは、色んな機会によく言われること。実際にそれを目の当たりにすることも、現代に置いてさえ多々あると言って良いだろう。

その良い例が、本日の会議だった。会議と言っても、先日の観劇の運営委員会の担当者の反省会の意味合いが濃いものだったが、お茶とお茶菓子を前になかなか話しが進まない。こちらは帰りに寄るところもあるし、外は雨。どうやら時間制限は無いらしいが、となると、今日はうっかり財布にお金も入れて無くて、駐車料金が気になる。小銭入れにあるだけで間に合うかどうか?・・などなど、最初は上の空で居たが、いつまでもこの状態が続くのはとても耐えられないと、自分から積極的に話しを切り出し、それに乗っかってくれる人を巻き込んで、司会でも無いのにどんどん進行した。

そもそも自己紹介がないので、お顔は知っていても皆さん一体どういう人なのかさっぱり分かって無い状態。それなのにざっくばらんに、と言われても、、、、。で、観劇の後の交流会の話題などから話し始めたが、段々話す内にそれぞれ見た感想を言う人もいたり、その感想の中から発言者の考え方や感じ方が少し分かり、知識のある人はそれを披露するといった具合に上手く流れ始めた。しかし、油断すると沈黙が訪れる。そう言うとき、流石年長さんの知惠で場を和ませる発言があり、どっと笑いが出てそこから又話しが拡がっていく。「笑い」ここでも大活躍だ。

笑いのネタの一つに演歌歌手の福田某の話題があり、全くその人を知らない私は妙に感心されてしまった。モチロン私以外にも知らない人は居たのだが、なんでも今日はその人のコンサートがあったそうな。民謡の出身で、高音が綺麗な人らしい。三橋三智也の再来と言われているとか。「日本人なら全員知っていると思い込んで居ました。」と。逆に、オペラの話になって、先日のこんにゃく座のオペラはオペラなのか?という話題になっていく。でもって、オペラ、オペレッタ、ミュージカルの違いについてこちらが説明するという羽目に。ま、こうして情報交換できるのが、こういう集まりの目的の一つだろうと思う。

それがきっかけになって、かなり盛り上がったこの会議。6時半に始まってから約二時間、それこそ和気藹々と過ぎていった。すると面白いことに、その人となりが段々見えてくる。ある人はかなりの芝居通。国内外で芝居を観ているようだ。こういう人が少なくなったんだろうなあ~と思いつつ聞いている。ある人は初めての参加。オペラは見たことがあったが、全く違う物だったという若い女性も。最後には、ある男性、ご自身のエッセー集が製本になり、書店に並んでいますという人からその本を購入するという展開に。

「芝居を観る」というだけの共通項を持つある意味奇妙な会合は無事終了。もっと会員を増やしましょうと意識を確認し合っての解散となった。

終わってみても、矢張り日本人はシャイだという思いは払拭できなかった。ふ~っ。

2016年5月25日 (水)

春眠?

やたらと眠い今日一日。暇さえあればマッサージ機。といっても、その暇もそうそうはない。途切れ途切れにグリグリやって、うつらうつら。今にも泣きそうなお天気も災いしているんだろう。

読みたい本が何冊もここにあるが、ぱらぱらっとめくってパタンと閉じた。こういうのを読む為の余裕が欲しい。でも、絶対読むぞ~。先人の知恵に学ばねば。。。

書くべき文章も半分しか出来てない。ちょいと時間的猶予はあるが、、、。

 

宵っ張りのおみっちゃんが早寝している理由の一つは孫べえの通園バス。不思議と続いているもんねえ。

さ、もうお風呂だな~。

2016年5月24日 (火)

歌とケーキと忘れ物。ついでにソフトクリーム。トホ。

良く晴れた新緑の野山を走り抜けて、又又H先生宅でのお歌の練習。自分自身は風邪が完治してないせいで痰が絡まり歌える状態ではないが、客観的な意見は伝えられる。美味しいケーキ目当てにうかがったようなものだったが、、、、。

今取り組んでいるドイツ語の曲は、歌うほどに面白くはなってきたが、それでもイタリア物のように、どんどん歌いたいと思えない残念なワタクシ。何とか本番までに歌えれば良いかと思っている節がある。だめだなあ~、、、。

 

本日は朝も早くカラ表に出て、孫べえのバスがお通り遊ばすのを見送ろうと張り切って居たにもかかわらず、いくら待っても現れない。、、、あとで聞けば、ナント通ったと言うではないか!?えええ~っ?マジで?バスからみっちゃんとじいじが見えたの?と聞くと、「ん、みっちゃんはスマホをいじってた。じいじは、下を向いてた。」と言うではないか。あっちゃ~。そう言えば来ないからスマホで、「お坊ちゃまはバスに乗った?」と母親にメールした、その瞬間に通り過ぎたらしい。信じられない。二人とも気付かないなんて!バカみたい。誰かが見てたらおかしかっただろうなあ。やれやれ。ジジババ馬鹿丸出し。

 

夜9時過ぎというのに食パンを買いにコンビニまで。昼間の忘れ物をH村まで取りに行くというついでがあった為だが、その又ついでに、コンビニできなこ黒蜜ソフトクリーム、なんぞという物をついつい買ってしまった。疲れると碌な事はない。

 

早く今日という日を終わらせよう。

2016年5月23日 (月)

暑かった一日。

疲れ過ぎて、ふたたび声が出なくなった。今日のちぇち練習もその一因。なんせ楽譜が小さい。それようの眼鏡でもとっても見にくい。

T先生はお元気なお姿で今日も参加して下さった。ホントによく響くお声だなあ。オン年86歳の方に元気度でもすっかり負けている。

明日はこれ又お歌の練習にH先生宅までお出かけの予定。、、これも疲れるぞ~。

 

いやはやいやはや、、、。ダウン。

2016年5月22日 (日)

新緑の日の爽やかなコンサート。

又又岡山までお出かけ。今回はちぇちに浅からぬご縁のあるM女史のリサイタル。競演のテノールと作曲家の自演もあり色んな工夫の見られる楽しい演奏会だった。

M女史は何カ国語も駆使して歌い、ある時は花の様に、ある時は水に浮かんだ花びらのように、又あるときは風に舞う花吹雪のように、、、こうして歌っている様は、あの緑に囲まれたガラス張りのホールのステージであたかも温室の花、そのものであった。

大人の為の童謡として編曲されたいくつかの聞き慣れた童謡も、歌うには難しそうだったが聴くには楽しかった。、、、いや確かに今回のプログラムは難しい曲ばかりだったように思う。出口でご挨拶をされているご主人が、「うちの家内は頑張ってるでしょう!?」と満面の笑顔。ハイハイご馳走様!と内心で呟いて、「ホント、凄いですね。」と答える。実際そう思うからだが、あれ程の数の曲を暗譜するだけでも相当なことだと心底思っている。でもって、覚えるだけでは歌にならない。自分のものとして声に乗せるのは至難の業だ。特に今日はピアニッシモの美しさが客席を満たしていたが、訓練に相当苦労があったことだろう。

テノールの声も美しく、声を楽しんでいる様子から、相当のキャリアの方だろうと想像した。無駄な動きのない歌う姿勢からもそれは伺える。

歌は良いなあ。やっぱり。

 

実は、今日も友人Kさんと同行したが、彼女を待つ間に偶然今やメンバーの旦那様となったKOさんにバッタリ。楽器ケースを肩にかけこれからオーケストラの練習だという。しばしの四方山話の中で、今日は昼から7時までの練習ですと言われるので、6月の本番に向けて追い込みの様子を労うと、ちぇちの場合はもっと遅くまで遣ってましたからねえ~~と言われてしまう。アハハハ。その通り。今さらながら申し訳ない事だった。のど元過ぎれば熱さを忘れているなあ~。

 

行きは二人だったが、帰りは向こうで会ったMさんと一緒に帰路に付き、久しぶりに昔話に花を咲かせる。そういえば、このメンバーでイギリスイタリアを旅したことがあったわねえ~。あの時は傑作だったわねえ~。あんな面白い旅も無かったわねえ~、、、と話しは尽きないのだったが、Mさんがポツリと言う。「あれから、夢のように時間が経ってしまったわ~。」みんな同感して、お互いの顔の皺を見ることになる。、、、しばし沈黙。

体調がイマイチというMさんの為もあり、マリンのグリーン席にゆったり座って帰ったが、帰り道彼女を送り届け、買い物をして家に帰り着いた途端、猛烈な疲労感に襲われる。うわ~、これだ。これが以前は無かった事だ。

ま、今朝、短歌を出せただけでも良しとしよう。ふ~っ。

2016年5月21日 (土)

オペラシアター「こんにゃく座」を観る。

今日は観劇の後、ロビー交流会といって、出演の役者と観客が自由参加のミーティングをやる、その司会が当たっていた。従って、観劇中はモチロン寝てる場合じゃないのだが、昼食時に飲んだ風邪薬がメチャクチャ眠気を誘い、一幕はかなり悲惨。が、二幕からはしっかり復活出来たので、話しの進行にさしたる影響はなかったのはメデタイ。

ピアニストを含む女性三人とのフリートークは、矢張り面白いものだった。題目がオペラとあって、練習のことなど色々聞きたいことがあったが、本日は進行役のため余り口を挟むことは出来ない。それでも、何かと参考になることを話して貰った。毎日やるとはいえ、本番まで1ヶ月で仕上げるというのには驚く。歌とセリフ、その上ハードな動きとダンスだ。練習に入っても曲が出来てないことがあると言い、演出も段々変わってくると言うから凄い。舞台芸術とはそういうものだ。これで良いと言う完成は無いのだから。でもねえ~~~。

ピアニストは時々高松に別のオーケストラとの競演などで来ているという。宝塚出身かと思う程の美形で長身。今回は、舞台にずっと出ずっぱりで、役者の動きに合わせて弾いている。面白かったのは、役者の練習に毎回付き合うのですか?という問に、そうしないと変わってしまうので、、、、爆笑。

在日韓国人チョン・ウイシンの作演出になるこの作品。これは、もう一度見て、初めて深い内容までたどり着く様な気がする。この役者さん達の話しをいくらか聞いたから、何を一番大事にしているかが分かったが、分かった上で、再度見たいと思った事だ。肉親の死にどうやって向き合うか、どう受け入れて生きていけばよいのか、、、、この重たいテーマを取り巻く、戦争というもの。ネズミという小さな動物の世界に仕立てた真の意味は、一体なんだったのか。

ある時から、確かに、ネズミの世界をのぞき見しているような気分に陥ってはいたが、、、。

 

やっぱり芝居は面白いなあ。

 

2016年5月20日 (金)

参りました!

18日に観劇の為岡山に行ったが、そのお世話をして下さったMさんから、本日ご丁寧なお葉書が届いた。私よりかなり人生の先輩であり、とにかく生き方にもお身体にも全く贅肉というものが付いてないお方。この日も、終演と同時に、「夫が乗る電車に乗りたいので、お先に失礼します!」とご挨拶もそこそこにスルリとお別れしたが、このお葉書に寄れば、あのあと走ったお陰で無事お目当ての電車に乗ることが出来ました、と書かれてある。おお、ワンダフル!達筆にも、今時珍しい万年筆の筆跡にも驚くが、、、、そういえばいつもこの字だった!きっと大切にお使いの万年筆なんだろう。

同行されたKさんがしきりにお洋服を褒めるので、思わず不躾な視線を走らせたが、確かに白いおぐしに濃紺の麻のスーツが良くお似合いだ。Kさんの名言=「美しい人は生き方が素晴らしい。生き方が素晴らしい人は、ファッションもステキ。」なるほど。

いつも長い時間お話しすることもなくお別れするのだが、短い時間に交わす会話がいつも印象的。あの笑顔と共に、我が人生の大切な栄養素だ。

 

「長年の習性が抜けないで困った物だと思いますが、あと何年かの二人の生活をと頑張っています。」と書かれてあるのは、もう一人の同行者KKさんがご主人を亡くされて、見事に復活。今これほどの自由があるとは思わなかったと言われた事があるんだろう。どちらのこともよく分かるなあ~。

 

いやあ、何はさておき、この素早い対応が出来ること自体、健康な心と体の持ち主であることを証明している。筆無精のワタクシ目からすると、シンジラレナ~イ、お人ではある。こちらからお礼状を出すべきが、なんてこった!、、、、グスン。

2016年5月19日 (木)

ち、ちかれたび~~~。

シェイクスピアin岡山は今回「テンペスト」。学生の間から休憩時に、「難しい~」という声が上がっていたのも無理はない。演劇としての面白さという点で、他の作品と比較して面白みに欠ける。自分的にも好きな作品ではないが、シェクスピアの全作品に流れるテーマというようなものが、この作品に凝縮されているとは思う。

「我々はみな、夢と同じようなもので出来ている。そして、小さく、はかない一生は、眠りによって閉じられる。。。。」

確かにこう考えると、小さなことでくよくよしているのがばからしくなる。

 

今回初めて参加されたKさんは、不自由なおみ足をひきずって、我々よりも早く到着されていた。もっと色々お話ししたかったが、ケッコウ遅くに終わったため、混んでるマリンに乗り込んで、あまりお喋りも出来ずお別れしたのが心残りだった。1年ほど前にご主人を亡くされて、途方に暮れたのもつかの間、「何もかも自分で選択して、自分で決めて、こんなに自由が素敵なことだとは知らなかった。」とのたまう。「今まで行けないものと思い込んでいた場所にも率先して出かけられるようになった。夫がやりたいと残してしまった畑に取り組んで、これも非常に楽しい。etc」まさしく人生を謳歌し始めている方だ。大変なおしゃれさんで、シックなお洋服はグレーと黒をうまく配色したイッセーミヤケのもの。おしゃれな紫色のお帽子に両手に突くスティックも立っているだけならファッションの一部かと思う程に決まっている。最高だったのは、言われるまで気付かなかった地下足袋ファッション。なるほど、これは軽いわなあ~。その、辺りをはばかることなく堂々とした物言いはホントにすがすがしい。同行したKさんと、しきりに「もし自分がそうなったら、真似をしたいけど、出来るかしら?」と感嘆するばかり。

要するに、シェイクスピアを地で行ってる人なんだ。

 

我が周辺には、こうして色んな勉強をさせて下さる人がたくさん居てくれる。ホントに有り難い事だ。

 

寝ましょ。人生が終わりにならない保証は無いなあ~。

2016年5月15日 (日)

友人と音楽。

やることが行き詰まって、こうしてパソコンを開く。

本日もハードだった。なんせ、長尾から綾川まで移動したのだ。

最初はミニ同窓会。半年以上会ってない人たちと旧交を暖める。手打ちうどんと押し抜き寿司で約2時間のお喋り。、、、しかし、あの人もこの人もこの世の人ではないことを知らされる。いや、前回の同窓会でも聞かされていたはずが、既に忘れているのもあり、急に同窓生が大勢亡くなった感がある。こうしてこの人達は毎月のように集まっているようだが、段々寂しくなるんだろうなあ~。

幾分沈んだ気分でかんかん照りの外へ出る。頂いた破竹を届けるというおまけまで付いて、予定時間に少々遅れて綾川入り。既に声出しをしている人も居る。今日も今日とて美味しい手作りケーキが待ってくれている。ホントに毎度毎度有り難いやら申し訳ないやら、、、。まじで美味しかった!

声とは不思議な物だ。発声練習の時はケッコウ良い声が高く出ても、歌になると途端に変な声になる。しかも、それが自分には分かってない、という不思議。言語の違いもある。矢張りイタリア語はなめらかに出やすいようだ。が、英語ドイツ語は引っかかってしまう。慣れもアルだろう。それに何より余裕の問題だ。発声を考えて声を出すゆとりがないと、自己流になってしまう。ま、上達には絶対時間が必要だということだろう。

それにしても歌う事は楽しいなあ~。このようなチャンスを頂けるH先生ご夫妻にはホントに感謝だ。,,,そして今日は、偶然お二人の結婚記念日だそうで、お茶でお祝いの乾杯。まったく素敵なご夫婦。永く二人三脚を続けて頂きたいもの。

 

今日は帰るまで雨が降らなかったが、明日は降るのかなあ~。ちぇち練があるけどねえ。。。

2016年5月14日 (土)

ワインが廻ってきた。。。

良い音楽を聴いても癒やされない程の疲れ。体力以上の動きをしたらこうなる。

特に太陽がイケナイ。大した時間ではないのに炎天下、サンポートの広場で全く影のない場所で、スケボーを眺めたのが、一番こたえた。その前にたまたま行き会わせたハワイ・フェスティバルで喧噪の中を歩き、その前に一時間ばかり孫べえのロボット教室に付き合い、,,と言っても彼がロボットの組み立てを遣っている間、我々親子はスグ側で、自分が出ている映画の鑑賞だったのだ。これは思いがけない事だった。こんな風にじっくり見たことはなく、この映画を制作したTさんに申し訳ないとの思いだったのだが、これがなかなか良かった。自分の出ている場面はとてもじゃないが気恥ずかしくて、お嬢が隣で厳しくチャチャを入れるのを聞くには聞いたが、ムムムな感じ。まさかこんな風にいつでも誰でも見られるようになっているとは、知らなかった。

 

そしてサンポートを引き揚げて買い物をして一時帰宅。バババッと夕飯の支度をしてふたたび飛び出す。あまりの速さに娘も(!)な感じ。

この時点で相当疲れていたが、とにかく又サンポートに舞い戻って、5分遅れで座席に座った。寝てしまうかと思ったが、それはなく、楽しませてもらった。

 

ヴァイオリンの母子、とピアノの母子、この二組の親子競演がとても新鮮で、トークも面白かった。世代間ギャップ、がもろに出たトークも飾り気が無くとても好感度がアップ。,,,同じ楽器でも演奏家によってこうも違うかと再認識。若手も熟年も双方に良さがある。

聞いていて分かったのだが、こうした演奏家を育てるのは矢張り環境が大事だということ。特に母親の影響は強いようだ。「この子はピアノが嫌いだと言ってるけど、本当は好きなはず」だとの確信があり、無理矢理練習させたというピアニストの話も面白かった。実際そうだったと娘さんご本人があとでコメントしていた。

今日はソプラノのH先生の歌もあり、バラエティに富んだ素敵な演奏会だった。

 

こういう演奏会も良いなあ。

 

そう言えば、知人の顔もちらほら。席まで挨拶に来てくれた人は元ミュージカル劇団の仲間。彼女はかの蜷川幸雄氏の弟子だった人だ。そのことを言うと、すぐに涙ぐんで、「これほど辛いものかと驚くほど辛くて、激しく泣きました。」と言う。隅々まで影響を与えた人だったんだ。

チョット休もう。

朝からバタバタの今日は、何とか疲れを癒やしたいと夫の留守を幸いに、夕方になって娘親子と温泉に行く。が、これが独りで行くのと違って、ゆっくりは出来ない。まあ、多少の疲れは取れた感はあるが、、、。で、早々に引き揚げてとにかく横になってテレビをぼ~っと見ている。

ホントはやることはある。作りかけの短歌がチラチラと頭をかすめるし、覚えかけの歌が時々目の前を耳の中をす~っと通り過ぎる。テーブルには、昼間母と叔母と一緒に飲んだお茶の後片付けさえして無くて、それを横目で見ながら、それでも横になってだらだら。

ケーブルテレビがふる~い映画をやっていて、以前見たにもかかわらずぼ~っと見ている。

ふと、そういえば昨日ここに書かずに眠気に負けて寝てしまったと思いだし、コマーシャルの合間にパソコンに向かっている。

 

昨日は、シェイクスピアを観る会のお食事会だった。「12人の怒れる人々」、ではなく、「12人のいかした文学中年」の集まりだ。特に文学を論じる訳ではなくとも、根底にその共通の素地がある心地よさ。2時間ほどが美味しい食事と共に楽しく過ぎた。、、、こういう時、こうした仲間を持つというささやかな幸せを感じる。いや、もしかしたらささやかではないかも知れない。世の中には、こういう人間関係を持ちたくとも持てない人が多いのではないか。その意味では、おおいなる幸せと言えるかも知れない。それもこれも、元はと言えば、I先生のお陰だ。大学という場所に、一般の人々が集える場所を作ってくれた。そして、大元を言えば、シェイクスピアという偉大な人がこの世に存在したことだろう。

つい先頃亡くなった蜷川幸雄、この人も、シェイクスピアの恩恵を生涯に於いて受け続けた人だったと思う。演出家らしからぬ社会の取扱のこの人の死ではあるが、故人は棺の中で、「エライのはシェイクスピアですよ。」と言ってるかも知れない。I先生がそうだったように。

 

今観賞しているのは、「十二夜」だが、随分前、高畑敦子が演じたのを高松で見たのが思い出される。あれはホントに面白かった。記憶に残る演技だった。

 

さあ、寝よ。明日も忙しい。

2016年5月11日 (水)

○○とハサミは使いよう。。。

今日も今日とて西へ東へと走り回るという一日。もし運転が出来なければ到底どれ一つとして完遂出来なかっただろう。結局、年を取れば取る程車という物が有り難くなってくる。

まずは午前中に番町のカルチャースクールへ。午後はとある場所の花を生けるための買い出し。そして娘に付き合いランチ。それから孫べえの帰りに合わせ、西讃へとアレルギーの診療を受けに車を走らせる。この病院はどうやら有名らしくて、県内外からもの凄い数の患者がやってくるようだ。予約が出来ないまま出かけた結果、優に2時間待っての診察だった。終わったときには外は真っ暗。疲れ切った孫べえは車に乗った途端眠ってしまう。

しかし、寝る前に、「みっちゃん、たくさん待ったからお寿司ねっ!」と叫んでいたことから、仕方なく高速を飛ばして帰り、近くの回転寿司へ。このまま寝るんじゃないの?と話してたが敵もさるもの。着いたよの一言で起きて、しっかりお食べ遊ばす。すっかり機嫌を治した孫べえは明日最後の運動会の練習だとか。かなりこちらに慣れてきてイベントが楽しいようだ。運動会にはジジババの出番もあるそうだ。もしやパン食い競争???どうなることか、、、、。

まだ、使えると誤解されているようだが、、、。

こうして日々流れていき、今月は演奏会とシェイクスピアの観劇で2回岡山行き。6月7月は2回舞台で歌う機会がある。こちらはその準備が忙しい。こうして、なるべく遠慮していたハズが、いつの間にか「予定」というエイリアンに襲われている。さしあたってこの日曜日は中学のミニ同窓会に行き、そのアト綾歌まで歌の練習というスケジュール。その流れの中に、娘の都合が入ってくる。夫はそういう妻を見て、「お母さんの介護は出来んよ。」と有り難い宣告。確かに、何かと以前とは違うのを感じる。色々とバトンを渡したいところだ。

昨夜、FBに「劇場へ行こう」との書き込みをしたところ、オペラネットワークの顧問のS氏からコメントが入って来た。知らなかったが二度も心臓の手術をされたそうだ。ちぇちぃりぁの活動に何かと心を寄せて下さっている方だ。永くそのポジションをキープして頂きたいものだ。こうして、意外な方からの頼りが来るのもFBの面白いところ。

道具と同じで、なんでも使い方だなあ~。

あ~めが~、ふ~るふ~る、、、、。

おお疲れた。一日1個だけ予定をこなすというのはどうしても無理で、今日は次から次へと体と頭脳を酷使。昼間のお歌の練習は楽しい時間であっという間に過ぎたことだが、とどめは、慌てて夕餉の支度を整えて出かけたとある会議。空腹な上に、時間がどんどん経過するのがガマンできずに、誰も引き受けないお役目を引き受けてしまった。、、、こうして、またもやエネルギーを取られてしまうという結果に。後悔先に立たず。今さら悔やんでも仕方がない。なんとかこなすしかないのだ。

香川市民劇場というこの組織に初めて関わったのは半世紀前のこと。モチロン独身の時で、この時世の中には色んな表現方法があることを初めて知った。

以来何度か出はいりを繰り返して、それでも未だに会員として観劇を続けて居る。相当数の演劇を鑑賞してきたが、これは今の自分の栄養に成って居る。そこから派生してシェイクスピアにのめり込み、オペラの面白さにもとりつかれた訳だ。自分の原点と言っても良いだろう。

娘がその影響をもろに受けたのも面白い結果だ。小さい頃、膝の上で見せていたが最初から最後まで身じろぎもせずに見入っていたのは、確か夏目漱石の「こころ」だったと記憶する。加藤剛と、、、相手は忘れた。ラブシーンの直前に、我が耳元で、「お母さん、もうすぐ、あれよ」と囁いて近くの観客にクスクス笑われたのを覚えている。その時長男は廊下で走り回っていたが、娘はチャンと見るからと言う約束で中に入ったのだ。兄妹でも全く関心の対象が違ったのだ。が、まさか、この娘が将来演劇の道に入るとは全く想像もしなかった。幼い頃にその芽が現れていたのだろうか。

今日の会議は、主に今月21日に上演予定の作品に関するお手伝いの役割分担だったが、終始繰り返し話し合われたのは、如何に会員を増やすか、という点だった。多くの会員が居れば、それだけ上演回数も増やせるし、ギャラの高い作品も選べる。ピーク時は確か4000人も居た会員が諸事情で4分の一以下になっているらしい。それでもちぇちが集められる観客よりは多いのだが、現在は運営が大変らしい。劇場に足を運ぶ人が減ったというのが一番大きな理由のようだ。それは、音楽業界も同じ事。生の舞台から受ける感動が、忘れ去られようとしている。多くの人が、間に合わせの媒体で満足している。、、、、出来るだけ劇場で鑑賞して欲しいと思うけどねえ。全ての芸術は。

で、各自自分のグループの人数を独りでも増やしましょうと、散会となったのは8時半。

長い会議の後、外に出ると、雨がザンザン降っていた。婿殿は東京からこちらに移住してきて、高松は確か水不足の街だったように思うけど、この雨の多さは一体、、、、と娘にぼやいているそうな。それに寒い!道が暗い!、、、だろうねえ~。分かるよ~。慣れてねえ~。って、とこだ。でも、確かに雨が多いなあ~。

 

**

2016年5月10日 (火)

事始め、の日。

本日はちぇちの練習の再開の日であった。ほぼ1ヶ月ぶりにみんなの顔を見ることとなった。思わず懐かしい感に襲われたものだ。

大昔、発声練習を見て下さっていたT先生が、ご近所での練習ということもあって、ご指導して下さる事となり、それも今日が初めてとなった。オン年80歳半ば。カクシャクとは、この方のような人に似合う言葉だ。その道ん十年を真っ直ぐに研鑽を積まれたT先生のお言葉は、説得力に於いて少しも衰えを見せてない。そのオーラに全員が集中出来たと思う。有り難い事だ。

くしくも仕事で今日は不参加のM君が送ってきた記事は、105歳で亡くなられた音楽家、中川某氏のものであり、つくずく先達の教えというものに敬服したことだ。どちらの先生も、故I元会長が敬愛してやまないお二人だというのもナットクだ。

人間、幾つになってもやる気さえあれば、何でも出来るということだ。年のせいにしてはいけないのだ。きっと。

 

新しい曲ということで、会長の指導の元、音取りから始まり、和気藹々とした中にも緊張と集中が見られた。,,,練習はこういう空気感の中でこそ充実出来る。

さ、明日はお歌の練習に又はるばる出かける予定だ。楽譜を見てから寝るとしようか、、、、。ふ。

2016年5月 8日 (日)

孫は来て良し、帰って良し。

まあ、色んな人からこれに似た言葉を聞いていたし、自分自身も確かにそうだと実感する事が多かった。二人の子供達は皆関東に住み、たまに帰省して来るチビ達は、可愛いし、楽しいし、どうしてこうも子供と孫は違うのかと不思議な気持ちになることもしばしばだった。

ところがぎっちょん。

思いがけず孫を伴う娘家族が東京から移住して来た。娘に至ってはこの地を出てから実に25年振りのこと。「お母さん、私は帰ったんじゃなくて、夫同様私も移住してきたと思ってね。」とのたまう。いや確かに。25年前とはここ高松も随分違ってはいるだろう。ある意味そうだ。

が、しか~し。問題は、帰って良しどころか、しょっちゅう「居る」存在になったという点だ。体がイマイチ丈夫ではない娘のことが気がかりで、引っ越しから1ヶ月というもの、ほぼ毎日なんだかんだと接触している。お互いに依存しない生活を目指そうと、最初に語り合ったが、とにかくこちらでの生活が軌道に乗るまでは、ある程度の援助が必要だとの気持ち。

そして孫べえだ。新しい環境に加え、以前の幼稚園で築いた人間関係を断ち切っての淋しさを紛らわせるため、なんだかんだとお付きあい。毎日何らかの形で顔を見ないと落ち着かないババ様から見て、ようやく心の安定を取り戻したように見える。心から弾けるような笑い声を出す事が多くなった。

 

で、たださえ怪しい我が記憶装置が、突然の乱入者の出現でバラッバラになっちまった。やるべき事が目の前の珍事に心を奪われすっ飛んでしまい、約束はすっぽかすわ、やろうとしていたことは忘れるわ、、、、短歌の締め切りさえその三日前に友人と話したにもかかわらずすっかり忘れて居た。そのリベンジではないが、今日はとにかく歌会に顔を出し、多少なりとも頭を短歌モードに切り換えようとした。ま、友人Sさんの運転手を務めるというお仕事も引っかけてではあったが。司会者から、「おやつを食べに来たんだろう」と冷やかされながらも。。。こんな形でも行って良かった。思いがけず師匠の「芭蕉論」が聞け、俳句をやっている友人Mさんのことを思い浮かべたり、自由律の俳人たちのことも心に浮かんだり、、、、俳句は現代アートに通じるんじゃないか、と思ってみたり、、、。短い時間に我が妄想は大いに膨らんだ。

こうした思考回路の復元もやっておかなくては。

歌会に遅れていったのは、音楽の指導者T先生に今後のことをお願いするためお伺いしたためであった。限りなくおおらかなT先生。「とにかく、楽しまなくてはいけませんよ。」と素晴らしい笑顔で引き受けて下さる。いよいよ明日から、ちぇちが本格的に始動する。こうして快く応援して下さる先生方に、恥ずかしくない活動を続けて行かなくてはならない。

 

新しいステージがオープンだ。

 

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