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2016年4月

2016年4月28日 (木)

つづき。

人間の営みというものには、区切りというものは無い。何もしていなくとも、時間は切れ間無く動いているし、人もそれにしたがって刻々と少なくとも息をしている。だから、我が身を嘆くのも終わるということは無い。

昨夜ブログを書いてから、ハタと思い出したのが先日の運営会議のことだった。確かにそこにいるメンバーとすけじゅーるをつき合わせて合意の上で決めた日程だったハズだ。が、その日、つい他のことに気を取られていて、夜の6時半集合の会議のことをすっかり忘れていた。この日は鍋料理とて、最後の食材を入れた途端会長から電話が。「今日はたしか、、、」と聞いた途端思い出した!「ぎゃ~っ、忘れてました!どうしましょう?」「もうみんな中華料理やさんに入りましたよ。」「分かりました。すぐ追っかけます。」と電話に叫んで慌てて車を出す。夫の、「事故に気を付けて!」を背中に聞きながら。。。。途中スマホがチカチカしてるので、こっちにも電話が掛かったのかとメッセンジャーを確認すると、「応答せよ。」との会長からのメールが!思わず笑ってしまう。このユーモアには脱帽だ。

いやいや、笑い事ではない。まじでヤバイじゃないの!?

 

で、案の定、昨夜のここの記事を覗いた10歳年上の先輩からメールが入る。

「(先日104歳で亡くなられた)Tさんが私の手本だから、年は関係ないからね。
70そこそこで、ジタバタしなさんな。
私だって探し物ばかり毎日していて、その時間のロスと見つからぬストレスで
人間いやになってるんだから、叱咤激励はお角違いというもの。安心してください。
まあ、一人暮らしでないから、何とかなるでしょうよ。少し休みなさいな、、、」というありがた~い内容。

ま、なんとかなるか。

 

先ほどいきものがたりとかいう歌手の特集がテレビで組まれていて、思わず見てしまったが、この3人は瑞々しい感性を持っていると思った。自分たちで作曲も作詞もやり、多くの人たちの共感を得ているらしいが、素晴らしいことだ。歌詞をよく読んでみると非常に真面目で、道徳的と言っても良いくらいのものだ。最初は路上で歌うところから始めたらしいが、この歌いたくてたまらないという「やむにやまれぬ気持ち」が今の彼らを押し上げたのだろう。芸術はすべからくそうあるべきだ。

 

明日は又H先生宅でのお歌の練習だ。が、さっきから幾ら探しても楽譜が出てこない。ふ~っ。やれやれ。

恐るべし70歳。のわたし。

まさかここまで急に健忘症が襲ってくるとは思わなかった。人間ドッグの予定日は1週間前に通過。短歌の締め切りも数日前に飛ばした。運転用の眼鏡がどうしても出てこない。これもここ1週間ほどだ。買ってあった大根がいつのまにかしなびているし、牛乳が開封せずに賞味期限を迎えている。、、、こうなってくると、他にも何かあるんじゃないかと不安にもなる。「椿姫」のCDもかなり探したが出てこないところをみると、誰かにお貸しあそばしたのか?

まじでショック、なんですけど。

これじゃあ、母のことをなんにも言えない。が、つい言ってみると、「それはチト早いわ。」と笑われる始末。「おばあちゃんに言われたんじゃ世話無いわ!」と返して二人でゲラゲラゲラの今日の昼下がり。ふ~っ。

 

だから、やっぱり色々無理なんです~。と声を大にして言いたい。目の前にすることを抱えていると、他のことが全く飛んでしまうこの状況。わずかに残ったエネルギーを一番大事なことに使うしかない、という状況を、周辺に理解して貰うしかないのかも。

 

こんな泣き言を書くと、必ず10歳年上のあのお方から叱咤激励の檄が飛ぶ。まるで逆転しているからなあ~。やっぱ、個人差があるんじゃないのかなあ~?、、、急に弱気なおみっちゃんではあ~る。

2016年4月22日 (金)

言語の不思議。

今日はH先生宅でのドイツ語によるお歌の練習日だった。長らくドイツ語に触れてこなかったので、発音に違和感があり、母音を美しく響かせるという技にまでなかなか到達しない。むしろ破裂音のような部分を強調しすぎないように、しかし発音しなくてはならない点が気になってしまう。いや~、幾つになっても新しい事にチャレンジさせてもらって有り難い事だ。

奥様手作りの美味しいイチゴケーキに舌鼓を打ちながら至福の時間を過ごした。

 

考えてみるとこうしていつまで歌えることだろう?熊本の震災のようなことが近々に起きないとも限らない。それを待たずして病に倒れる可能性もある。自分で無くとも、家族がそういうことになった場合、今と同じように続けられるかどうか甚だ心許ない。、、、そう考えると、如何に今を大切に過ごすかが重要になってくる。先はない、と思って暮らすことだなあ~。

 

4月の総会を終えて、ちぇち号は再出発の意思統一が出来、指導者のW先生も快く出張って下さることとなり、もう少しガンバロウか、と思う昨今。新しい人が増えてくれることを真剣に考えなくてはならないとの思いで一杯だ。どうすればこの活動に賛同者が現れるのか。過去にも色々やって来たがなかなかに難しいのが現状だ。

市民オペラちぇちぃりぁ。基本的にアマチュアの団体だ。それなのに2年に一回とは言え、大舞台を遣るようになって、見学者が来てもとてもそんなことは出来そうにないですと尻込みされてしまうことが多い。それというのもほぼ完成した時期に来てくれるので、実は最初はこんなんじゃないんです、と言っても信じて貰えないのだ。一年もかけて仕上げていくのだが、その最初を見て貰いたいものだ。その意味では今が一番良い時だ。みんな初めての楽譜を来月渡されて、音取りから入るというのが今の段階だ。

このゆ~び、た~かれ!ってなもんだが、さて。

 

年齢も問わず、職業国籍も問わない自由な団体。まあ誰でも良いが、歌好きでないと困る。経験は無くても、経験していけばよい。確かにオペラ、オペレッタをやる団体なので、敷居が高いだろうが、むしろ現代に於いては歌舞伎や狂言、お能や長唄端唄よりは入り易いのではないだろうか?知ってみると、歌って楽しいし、美しいメロディに酔うこともある。

歌う事は絵を描くような物。絵はキャンバスに、歌は空気中に、又は心の中に描く物だ。きっと、遣って良かったと思う日が来る。

誰か来ないかなあ~~。。。。

2016年4月17日 (日)

素人のカン。

最初に熊本で地震、と聞いたときに、一番に思った事はこれで済むの?というものだった。次の大きな地震まで、なんだかとらえ方が軽いような気がしていた。311で経験した、あの不安の増幅が、今回もあるのではないか?という漠然とした不安だった。が、報道は、最初の地震以後は全て余震という名前でしばらく報道されていて、だんだん不安が募っていったものだ。でもこれは何の根拠もない漠然とした不安で、矢張り自分の中にあの東北のテレビの映像が甦り、大丈夫なのか?という、ただそれだけの気持ちだった。専門家が言うんだから,余震なんだろうと。

しかし、この素人のカンが的中することがあるんだ。どんどん被害が拡大していくのを見るに付け、歯がゆい想いをどうすることも出来ない。インタビューを受けたある男性が、最初の地震のあと、屋内に避難せよと言われたが、なんだか分からないがそうしない方が良いような予感がして、車にいたら突然どっか~んとでかいのが来ました。と言う人が居た。、、、こういうことがあるんだろうと思う。動物的本能というようなもので、助かる人もいるんだろう。あの若者達が助かる術はなかったのだろうか?

この今回の二種類の地震が、実は四国を真っ二つにする中央構造線に直結していると言うことが、どういう理由からか、テレビでは報道されてない。ネット上にはハッキリとラインが描かれていて、恐ろしい状況だというのに、、、。大した知識のない私でも、このラインの真上に伊方原発があり、和歌山を通り、、、、という位は分かる。もしこのままそこまで発展したら、伊勢志摩サミットどころではなくなる。

こうなると、どうかこのまま終息に向かって欲しいと願うしかない。

 

この災害に少なからず影響を受けている自分を感じる。今日は3つの美術展に行ったが、最初の開催場所で迷子になり、友人に電話やらメールやらと大騒動。その友人達とは偶然一足違いで出かけたらしい。初めての場所でないにもかかわらず、ちょっと違う場所から行くと早速こうだ。ま、なんとかたどり着き、知人の出している暖かい絵を拝見する。他の人たちのも、絵画の他に写真もあり面白い作品が並び、楽しませて貰った。

で、用があって一時停車していた場所からバックで移動しょうとして、二本あったポールの一本しか目に入らず、思いっきり後ろをぶつけてしまった。ショック!バンパーの中身がのぞくほどやられている。やれやれ。

続いては市の美術館。市民ギャラリーには友人が出していて、こちらはさすが~の力作。このKさんのはいつも斬新だが段々絵に迫力が出て来ている。

ついでに、美術館の特別展にも入る。現代アートが楽しい展示で沢山出ていた。非常に分かり易い作品が多く、子供でも楽しめる。速見さんの「おばけ」なんてのもまさしくそれ用かと思わせるほどコミカル。

 

人が何に興味を持って、どこに心を動かし、それをどう表現するか、、、、森羅万象の世界を遊んだ。そうしている間だけ、何もかも忘れて、、、。

しか~し、車の修理は忘れるわけにはいかない。帰路、いつもの修理工場に持って行き代車を借りて修理と相成る。ふ~っ。

平穏な場所にいるとはこういうことだ。

2016年4月14日 (木)

ハイ、婆さんは私です。

又しても風邪を引いている。大した症状ではないが、思いっきり寝て、やるべき事は全てほったらかし。このところの無理が少々祟ったのだろう。

無理の一つに先日母を含む四婆のお相手をしたことがある。自分を入れると五婆で車の中の年齢は、合計426歳。「芝桜を見たい」というご要望にお応えして、迷子になりながらも目的の三木町までたどり着き、綺麗な空気の中でお弁当に舌鼓を打ち、大いに笑い、せっかくだからと西植田の芝桜まで足を伸ばし、久しぶりだからもっと喋りたいというこの4人を一旦叔母の家におろし、こっちは小休憩のため帰宅。ふたたび夕方、今度は落語寄席にとお連れする。内一人は耳が遠くなったとかでパス。残る母達三姉妹は嬉々として会場へ。聞きながらも前のお三方が気になって仕方がない。が、当人達は案外元気で、終演まで何事も無く過ごし「良かった」を連発しながら帰路に付く。しかも夢タウンに立ち寄って、9時半オーダーストップのお店で晩ご飯。「鶏の黒酢あん定食」しっかりお食べ遊ばして、ちゃんとそれぞれ元気でお家まで送り届けることが出来たのはめでたかった。

このパワー。いつもながら驚く。母を始め、色々怪しくなって来ている者同士、許し合いながら、いたわり合いながら良い時間を過ごして居るこの人たちを見ていると、これからもなるべくこういいう時間を持ちたいと思う事だ。そうはいってもそれほど長い間のことではないだろう。一人欠け二人欠けするのは目に見えている。、、、そういう自分自身もお先に失礼するかも知れぬ。

今はすぐ過去になる。

 

こういう無理は、それを遣っているときは別段無理と思っているわけではない。全てが終わったときにどど~っと疲れが出て、初めてああチョイと頑張りすぎたかなあ?と思う訳だ。余り、学習能力が無いのかも知れない。きっと又、どっか行こうよ、と言われるとホイホイと出かけていくのだろう。ま、いっか。

 

ところで、今回の柳家さん喬師匠の落語には泣けた。語り口もあるのだが、内容が親子、夫婦の人情の機微だったせいで、特に万人の胸を打った感がある。そこかしこからすすり泣きの声が聞こえていた。これこそ話芸だなあ。笑わせるだけが落語じゃない、というこけ枝師匠の言葉を思い出す。

この会はいつも中入りで音楽を生演奏するのだが、今回とてもよくその効果が分かった。全く異質な物を挟むと気分が変わり、さん喬師匠の泣かせる落語を聞く心の準備が整った感がある。オペラの中入りがオペレッタになったように、矢張りそこに工夫があるということだ。そういえば、こんぴら歌舞伎が来ているらしいなあ。愛さまが出ているとラジオが喋っていた。行きたい気もするが、座ることを考えると無理の気持ちが勝ってしまう。

色々出来ない事が増えてくるなあ~。

2016年4月11日 (月)

春の疲れ。

訳あって、今年の春はプライベートがメチャクチャ忙しい。そのお陰で、ちぇちの今後の活動についての考察が必ずしも濃厚ではない。結局は土壇場になって、、「みんな、どうする?」と振ることになるだろう。しかし、漠然とし過ぎてもいけない。なんらかの提示がないと、とんでもない方向に船が出てしまう恐れもある。「総会」。どういったことになるんだろう。

脳裏には、何をやっていても重奏低音のようにこのことがあるんだけど、、、、結局は堂々めぐりの日々。市民オペラちぇちぃりぁという団体。「こうあらねばならない」ということはほぼ無いに等しい活動だったと思うが、たった一つ。「音楽を全ての人と共に」という点は貫いてきたと思う。それは、お客様も、演じる側も、どちらにも適用されるコンセプトだ。独りよがりではなく、自己満足でもない舞台。難しいことだが、方向性は確立できたと思う。

非常に楽観的に考えると、土壌はあるから、どんな種を蒔いても大丈夫とも思う。いろんな違った花が咲くだろうし、そうあることこそが楽しい。しかし、その種まきをサボると途端に豊穣な土地は疲弊し枯渇し、きれいな花を咲かせることが出来なくなるだろう。

 

先日、はるばる茨城の水戸市まで出かけて、子供ミュージカルなるものを3回も見てきた。単純に孫べえとの約束を果たしに出かけただけだが、結果的には非常に良い勉強になった。以前同じ物をやっていて、それの再演だったというのもあり、しっかりした脚本だったし、キャストの組み方もシンプルでいながら説得力があり、歌もダンスもセリフも無駄が無く、大人の観賞に充分耐える内容だった。ダンスもさることながら、ステージングがとてもよく計算されていて舞台が美しかった。何より、子供達の精一杯の演技には、思わず涙する人が多かったようだ。

最後に市長が校長ということで、一人一人卒業証書を受け取り握手を交わすという念の入れよう。その市長の言葉の中に、「こうした活動が、素晴らしい市民を育てる上で必要不可欠な取り組みです。」と断言されていたのが印象的だった。確かに、そうだろうと心底ナットクした。1年かけて練習をやったらしいが、その期間で得た物は計り知れないだろう。うちの孫べえは、母親の話によると、練習は絶対見せて貰えなかったそうだ。部屋に閉じこもって、一人で長時間やっていたとか。なので、本番まで誰も彼女が何をどうやるのかさっぱり知らなかったそうだ。本番の前日になって初めて台本に赤で書き込みをしたものを見せられて驚いたという。若干10歳の真剣な取り組みがそこにあった。

自分自身祖母として、全て終わったとき、「なっちゃん、幸せ?」と聞いたら即答で、「ん、幸せ!」と明快な答えが返ってきたことに感動した。

中学3年生まで参加出来るというこのスクール。本人は再度参加したいらしいが、、、、どうするんだろう?親の価値観は?楽しみなことだ、、、。

蛇足だが、ちぇちのみんなが同じ物をやったとして、あれ程のことは出来なかっただろうと、舞台を観ながら考えて居たことだ。いや~、参った。

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