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2016年3月21日 (月)

東北について考えた日。

そりゃあ、いつもテレビ新聞雑誌で見てるし、それを観た人々と話題に出して、、、、と、ことある毎に心にとめてはいるが、真っ正面からどんと向き合うのはなかなか無いことだ。今日は、とあるこっぽりした会場で肩のこらない「東北についての」トークに浸った。

聞く人も喋る人もこれ以上ない位真剣で真面目だが、絶えず笑いが起こる。これはモチロン話す人の努力の賜だろうが、どうしても重苦しい話題の中で、笑いたいという気持ちにもなる。

重苦しいという気持ちの中には、5年経っても当然のように現地の人々は癒やされてないし、復興もそれほど顕著ではないという事実に、じれったさや怒りの気持ちがあるからだ。おそらくは日本中の沢山の人々が、同じ思いではないか?怒り、というのも簡単ではない。誰かが何かをした、あるいはしないという単純な怒りではない。人間というものの愚かさや、力の無さ、のようなどうしようもない根源的な部分への怒りだ。そして、それは今後どこか、この自分たちの住む場所にも起こるかも知れない災害、天災人災というものへのある種の畏怖もあるだろう。

このお二人のトークを聞きながら思った事。それは、今回の災害によって全国至る所で多くの人が考え、学んでいるということだ。おそらくこういう事件が無ければ、知り得なかったほどの多くの想いを抱いていることだろう。決して必要悪とは言わないが、この試練によって人は成長しているだろうと思われる。他人を思いやる力。人の心の奥を知ると言うことの大切さ。謙虚でアリ続けることの大切さ。。。。

実はお一人は声楽家だ。「今日は歌いません。」という最初の言葉に一瞬会場は「えっ?」という声がそこかしこ。しかし、どんどん話しが進むうちに、矢張り今日は歌わないで話して頂くので大正解。確かに、彼の体験を通して東北の現状を知る事が、今日は有り難かった。若干41歳。情熱もあり、バランス感覚の優れた青年と見た。声楽家である前に人間だ。そして舞台人であるが故のパフォーマンスが素晴らしい。笑顔の下に見え隠れする黒い固まりが、やむにやまれぬ彼の言動に繋がっているのだろう。

会が始まってすぐに、この日会場で売られていた気仙沼産のホッケをちぇちのメンバーに勧めると即答で、「協力したい。」と返事が来る。が、既に殆どが売り切れ。、、、みんな、何かしたいし、協力したいんだ。何が出来るか分からない人が多いのだ。

そういう中で、こうしたことを企画、実行しているYさん。時には青の洞門を掘り進めた人のような気分になるかも知れないが、是非続けて言って欲しいものだ。いつか、トンネルの先に明かりが見えることを、私も願って、、、。

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