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2016年3月

2016年3月28日 (月)

旅の前夜。

今日も疲れた。春の音楽祭にたったの8分しか出演しないのに、目一杯手抜きなしのオペレッタをやったのだ。「短いのにきっちり遣るんですねえ。」とアル方から言われたが、まあ、確かに異色だろうなあ。しかし一昔前のこの音楽祭は、決まり切った合唱や重唱が殆どで、最初から最後までそこで聴くのも退屈だったが、今日は全く違った。色々工夫が見られて、「音楽を楽しむ」やり方に相当心を砕いているのが分かった。自己満足ではない、観客を意識しての舞台は演じる人も見る人もホントに楽しいものだ。

 

こお音楽祭に18年も出演させて頂いているということで、今日は表彰された。、、、そんなになるんだと感慨深いものがある。3月に第56回の公演を終えたばかりだが、この団体、果たしていつまで続くのか。懇親会の最後に、くしくもT先生が言われた。「皆さん次々と後継者を作って、自分がくたばっても続けなくてはいかん。」だよねえ~~~~。ホント、若い人たちに頑張って継続して欲しいものだ。

 

今宵は近頃体調を崩している友人が夫妻でやって来て、おそろしく体重も減り、顔色も冴えなくなってしまった奥さんの話を詳しく聞いた。何が原因かは全く分からないが、病院について色々治療を試みているという。最近こういう人多い様な気がする。気圧の変化に対応出来ないとか、、、おそらくは健常者とは紙一重の所に居るんだろうが、不安でたまらないようだ。さりとてどこが不安なのかは本人が分かってない。これはやっかいだ。原因が分かればそれを取り除けばよいが、分からなければ手の施しようがない。3時間近く居て帰って行ったが、早く元気になって欲しいものだ。

 

明日は上京する予定だが、何時ものように疲れ切って搭乗するんだろうなあ。そしてあっという間に目的地。ま、それも良いか。

全く旅の準備が出来てないが、、、。

2016年3月22日 (火)

老々介護、まさしく。

70歳という自分の年齢を考える時、どうしても昔の同年の女性を思い浮かべる。確かにその頃の女性たちよりは元気なように思う。運転もするし、スマホも使う。ある程度の好奇心で自分を動かすことも出来る。が、近頃の自分の情けなさを想う時、矢張り、肉体の衰え、知力の衰えは如何ともしがたいものがあり、歳は歳だとつくずく思わせられる。

そういう自分が、今日も今日とて母を伴って買い物やランチに出かけ、あたかも母を介護しているかのように振る舞ってはいるが、どうもなす事全てが怪しくなって来ている。母が杖を何処に忘れたのかを思い出せないし、気付いてもない。殆ど車椅子だったから、杖を忘れるはずがないのに、、、、いつの間に。ふたたび買い物をした店に引き返すも無いと言われる。結局日を改めて再度問い合わせることに。そして、我が家で休憩中に母がツルンと滑って尻餅をついたが、咄嗟にそれを止めることも出来ない。軽く後頭部を打ったようだが、本人は大丈夫と言い張る。どこも痛くもない、あたしゃそんなヤワじゃないと、、、。しかしねえ。。。このお方は転倒して大腿骨骨折をやった前科者だ。本人はそれすら覚えてないが、、、。

 

そして74歳の夫は、9時前に眠くなったとご就寝遊ばす。こっちは、さすがに只今シンデレラタイムを過ぎても眠くはない。これは習慣だろうが。

お嬢が只今猛烈な断捨離をやっているらしく、日中スカイプすると殆ど顔が見えないくらいのマスクで完全防御。それに影響を受けて、我が家もやろうとは思うが、どこから手をつけるべきか悩むところだ。多分一日でも早くこういうことは取りかかる方が良いのだろう。明日がお天気なら、捗りそうだが、、、。

 

おっと、短歌の締め切りだったか。少なくとも脳の老化はこれで少しは軽減出来るか?な~んてね。

2016年3月21日 (月)

東北について考えた日。

そりゃあ、いつもテレビ新聞雑誌で見てるし、それを観た人々と話題に出して、、、、と、ことある毎に心にとめてはいるが、真っ正面からどんと向き合うのはなかなか無いことだ。今日は、とあるこっぽりした会場で肩のこらない「東北についての」トークに浸った。

聞く人も喋る人もこれ以上ない位真剣で真面目だが、絶えず笑いが起こる。これはモチロン話す人の努力の賜だろうが、どうしても重苦しい話題の中で、笑いたいという気持ちにもなる。

重苦しいという気持ちの中には、5年経っても当然のように現地の人々は癒やされてないし、復興もそれほど顕著ではないという事実に、じれったさや怒りの気持ちがあるからだ。おそらくは日本中の沢山の人々が、同じ思いではないか?怒り、というのも簡単ではない。誰かが何かをした、あるいはしないという単純な怒りではない。人間というものの愚かさや、力の無さ、のようなどうしようもない根源的な部分への怒りだ。そして、それは今後どこか、この自分たちの住む場所にも起こるかも知れない災害、天災人災というものへのある種の畏怖もあるだろう。

このお二人のトークを聞きながら思った事。それは、今回の災害によって全国至る所で多くの人が考え、学んでいるということだ。おそらくこういう事件が無ければ、知り得なかったほどの多くの想いを抱いていることだろう。決して必要悪とは言わないが、この試練によって人は成長しているだろうと思われる。他人を思いやる力。人の心の奥を知ると言うことの大切さ。謙虚でアリ続けることの大切さ。。。。

実はお一人は声楽家だ。「今日は歌いません。」という最初の言葉に一瞬会場は「えっ?」という声がそこかしこ。しかし、どんどん話しが進むうちに、矢張り今日は歌わないで話して頂くので大正解。確かに、彼の体験を通して東北の現状を知る事が、今日は有り難かった。若干41歳。情熱もあり、バランス感覚の優れた青年と見た。声楽家である前に人間だ。そして舞台人であるが故のパフォーマンスが素晴らしい。笑顔の下に見え隠れする黒い固まりが、やむにやまれぬ彼の言動に繋がっているのだろう。

会が始まってすぐに、この日会場で売られていた気仙沼産のホッケをちぇちのメンバーに勧めると即答で、「協力したい。」と返事が来る。が、既に殆どが売り切れ。、、、みんな、何かしたいし、協力したいんだ。何が出来るか分からない人が多いのだ。

そういう中で、こうしたことを企画、実行しているYさん。時には青の洞門を掘り進めた人のような気分になるかも知れないが、是非続けて言って欲しいものだ。いつか、トンネルの先に明かりが見えることを、私も願って、、、。

2016年3月18日 (金)

「Be My Baby」面白かった。

先日、市民劇場の観劇を、これだけは絶対観ると周囲にも宣伝してから出かけたもんだ。加藤健一事務所。だ~い好きな劇団。よくシェイクスピアを取り上げるが、和物も非常に面白い。東京の本多劇場という小さなホールで観た「お葬式」は最高だった。お腹のそこから笑ったし、考えさせられた。

今回もとても一口では言い表せないほど面白い作品だったが、何が良いって、やっぱり「笑い」だなあ。非常に速いテンポでストーリーが展開するし、一人の人物がどんどん変化していく様子が巧みで面白い。そ、人間は変わる。

義妹と行く前に大きなホットドッグを食べて居たので、今日は間違いなく寝るわねえ、と言いながら座ったが、全く寝る暇はなかった。隣の友人はテレビを観ているようにゲラゲラゲラ。いや、それで良いのだが。フフフ。

芝居の後、役者を囲んでの懇談会があり、モチロン参加した。一人が8役やった若い女性と9役やった若者がみんなの喝采を浴びて喜色満面。参加者が色々質問やら感想が述べられる中、勇気を出して、私も手を挙げた。「あちこちでお芝居を拝見して、必ずそこに笑いがありますが、演劇と笑いをどう位置づけていらっしゃいますか?」というようなことだった。それまでゆるんだ表情で気軽に答えておられたカトケンだったが、急に真顔になって、「笑いがまずあると、人は心を開きます。開かれた心には、色んなメッセージが入りやすくなってるんです。」と明確に答えられた。おおおお、素晴らしい。これはちぇちの「落語ぺら」と共通するものがある。まさしく同感だ。海外の作品をよく演じる人だから、海外の笑いのエッセンスを充分に理解して取り入れているのだろう。ユーモア、ウイット、まだまだ日本では軽んじられているが、人間には絶対必要なものだ。

逆に言えば、それだけ伝えたいものが彼にはあるということだ。ただただ面白いではない、何かが常に。。。。いやあ、日本を代表する役者の一人だ。

2016年3月17日 (木)

麗しい人たち。

快晴の今日、朝からよく働いた。とにかく動けるときに動かなくては、どよよん病になる。休みを入れながら、にしてもだ。

夕方、親戚の女性に頼まれて8時まで本業。こういうことが最近余り無いため非常に疲れて、夫が飲み会をさいわいに、一人外食を決めこんで、颯爽とお出かけ。車がまだ治ってこないので、乗り慣れない軽自動車を運転して近くのレストランまで。お一人ですか?と聞かれて勢いよく「ハイ、一人です。」と答えた瞬間、「れれれれ、、、?一人?」と声をかけてくる人が居る。ナント、友人の長男M君だ。側にはその奥さんもいて、「ご一緒にどうぞ!」と言われ、「お邪魔じゃないの?」と言いつつテーブルに案内されると、そこには彼の母親Kも一番奥に鎮座ましましている。お互いに、「えええええ??」となる。なんという偶然。

こうして始まった思いがけない会食は、しかし、非常に盛り上がった。わが友人からすると孫に当たるI君は130キロの巨体を揺さぶりながらよく食べ、良く笑い良く喋る。その弟T君も兄に負けず劣らずの体格で、持っているスマホがやたら小さく見える。いや、今宵はみんながそれぞれ良く笑った。誰も病院にいるお婆ちゃんのことは話さないが、モチロン忘れて居るわけではない。わが友人Kからすればその母親の最悪の状況だ。こうしたわずかの時間を子供と孫に囲まれて、ほんのひととき辛いことから離れるのも良いだろう。

そのテーブルの全員の気持ちが一致して、楽しくありたいと思いつつ時は流れ、2時間ほどでお開きとなる。別れ際、初めて長男が、「お婆ちゃんが呼んだに違いない。」ということを口にする。,,,誰の胸にも、お婆ちゃんがそこに居た。

Kは幸せ者だ。こうして子や孫が慰める会をさりげなく持ってくれる。大家族なればこそ。

色々寒い日。

昨日よりも肌寒い朝、シャンソン教室へと急ぐ。いつものように楽しく練習して、先日の老人ホーム慰問の反省会なども、、。そしてそのあと所要を済ませて、帰宅しようとすると友人から電話が。ちょっと話しがあるというその口調は明らかに暗く不吉な雰囲気を漂わせている。どういう内容かと聞かないまま帰宅すると彼女は既に玄関先に車を停めて待っている。すぐさま中に招き入れて辛い話しを聞くこととなる。彼女の母親が突然のアクシデントに見舞われて今集中治療室に入っているという。しかも、話すことも出来ず、反応も殆どないという。高齢のため、これ以上のきつい治療は勧めませんと医師から告げられ、いわゆる延命処置をどうするか、返答を迫られているという。「すぐにはお返事出来かねます。」と言い捨ててその場を離れたというがそうだろう。当たり前だ。長く煩い寝たきりとかではない。急な事だ。年齢に関係はない。

慰める言葉も無く、ただただ話しを聞いて、相づちを打つほか無い。いつかは訪れるこういう時ではあるが、何と言っても母親だ。覚悟なんてあってもなくても悲しいことに変わりはない。もちろん乗り越えなくてはならない試練だし、彼女も乗り越えるだろう。が、こういう時自分ならどうするんだろうと、矢張り自分のことに置き換えてしまう。

なんとかたっぷり彼女の話を聞いて少し涙も乾いた頃、「頑張る」と言って帰っていった彼女の背中に咄嗟に「体、気を付けて!」と叫ぶ。我々も充分高齢者だ。自分の健康にも気を付けなくてはならない。

奇跡が起きてくれることを祈るほか無い。

 

夜は、春の音楽祭に向けての練習。見学者も来られるというので、新しいコミセンに急ぎ駆けつけると、その見学者も、メンバーたちも何人もが迷子になって困っている。グーグルマップにも空き地で出ているらしい。こっちは迷子達を救済に走る。そんなこんなでバタバタと始まった練習だったが、トントンと段取りが進み、あと一回の練習で本番となる。たった8分の出番のためにも、絶対手抜きをしないのがちぇちの信条だ。なんでも今回は表彰してくださるらしい。「ちぇちの前に道は無く、ちぇちの後ろに道は出来た。」ってことだ。有り難く頂くとしよう。

 

イマイチ、心が晴れないが、明日はわが愛車を病院に入れる日だ。早めに寝ようか。

2016年3月16日 (水)

母の誕生日。

今日は母の96回目の誕生日。友人からでっかいデコレーションケーキがど~~んと送られてくる。「長生きしてね」のメッセージカードを添えて。母はその中に沢山のローソクが入っていることにゲラゲラゲラと反応した。が、自分の歳は何回聞いても思い出せないのだ。いっぱいイチゴの乗ったこのケーキ。その美しさに似合ってホントに美味しい。

我が夫が上京中ということもあり、二人きりのお誕生会をすることにして、Yタウンへ。90歳の頃は拒否していた車椅子も、近頃ではすんなり喜んでくれる。イコールわが行動半径も拡がる。

しかし、どうしてこんなに疲れているのかと思いを巡らせると、昼間は義妹とカトケン事務所のお芝居を観たのだ。

一日一善、じゃなく、一日ひとつのことしか出来なくなってきたのだ。やれやれ。

2016年3月15日 (火)

施設訪問。

かねてからの要請を受けて、今日はS荘という老人ホームでシャンソン教室の仲間達が歌わせて頂いた。総勢8名ほどで演歌が殆ど。シャンソンはフランスの歌謡曲で、ここは日本ですから日本の歌謡曲を歌います、と言うと拍手が湧いた。矢張り、施設の司会者もシャンソンと言うとき噛んでいたくらいで、馴染みがない言葉なんだろう。自分的には人前で演歌を歌うということが余りに少ないので、内心どうなることかとヒヤヒヤモノだったが、暖かい拍手に助けられた。「津軽海峡冬景色」。体調不良はまだ引きずっていてずっと司会をしているとどんどん声が出なくなっていたがその点マイクというのは有り難い。ナントかカントカ歌えたか。

参加者の中には芸達者がいて、「矢切の渡し」を歌う傍ら、ショールを手ぬぐい代わりにしてしなを作り、踊るような、うごめくような面白い振りをしてはみんなを笑わせた。、、、みんなが一生懸命舞台を務める姿勢も好感を持たれたのではないか。

ここS荘という施設は非常に清潔感のある、立派な所で、ホールもちゃんと舞台がありピアノなんかも置いてある。職員も他と比べると多いのではないか?今日は大勢の利用者が観客として整然と椅子に座り、車椅子に座る人もしっかり前を向いてとても興味を示してくれ、非常にやりやすい所だった。特に歌好きな人達は前列に陣取っていて、しっかり拍手をくれたり声をかけてくれる。最後は「ふるさと」を3番まで歌ったが、一番はモチロン全員で歌い、2,3番になってマイクを回すとちゃんと歌詞を覚えていて唱和してくれたのには驚いた。こっちの面々はうろ覚えの歌詞をカラオケボックスの画面に助けられながらだというのに、、、、。全員で頭を下げたその頭上に、「有り難う、又きてな~」というかけ声が降り注いだのには感動した。帰りに出会った人からも、「楽しかった~、涙がでたわ~」と言われたのにはこちらの方が胸が熱くなった。

実は自分たちと余り年齢が変わらなさそうな人達を前に、健常者然として舞台に上がる自体、何とも落ち着かないものがある。が、そこを切り替えて、予めみんなの意識統一をしておいた。「とにかく何とか精一杯、楽しんで頂く事のみを目的に、、、」

朝から降っていた雨も上がり、車を出した時には疲れがピーク。同乗の二人を誘ってとりあえずお茶をしようとなる。ホットケーキにソフトクリームの乗ったなんたらいうのが、殊の外美味しく感じられた。一人は「あんこ、あんこ」と連発して、たっぷりのあんこトーストを食べる。みんな、疲れたんだ。

 

その後、石民に借りていた鏡を返すことを思いつき、ついでにTさんをその近くまで送ることにしたが、道中月曜休館日じゃないかと思いだし、、、、でももうここまで来たから何とかしようと現地まで行く。案の定、上はチェーンで仕切られているし、下の駐車場に行ってもポストすらない。仕方なくあの階段を上がって置けるところを探して又必死で息が上がるのを感じながら下りて行くと、Tさんがあまりの速さに驚いたと言ってくれる。ま、少々運動しなくっちゃと思っていた所だったから、良かったかも知れない。

 

なんだかねえ。後始末がまだ出来てないんだけどねえ。

今日はここまで。これ以上は無理。さっき舌を噛んだしねえ~。寝ることにしよう。

2016年3月13日 (日)

ある愛のかたち。

昨夜お風呂から出て床に就くまではナントもなかったのに、枕元の電気を切った途端、お腹の辺りがぐるぐるし始めた。おんや?おかしいぞ?と思う間もなくトイレ!変だなあ~???と再度布団に潜り込んでも睡魔より腹痛が勝ってしまう。結果、朝方まで何度トイレに駆け込んだことか!、、、殆ど朝までまんじりともせず夜を明かし、仕方なく起きる。これはもしや何かの食中毒か?と全員にメールして見るも、何人かから異常なしの返信が来る。ということはアチクシの大当たり。何が悪かったのか、たんなる疲れか?

不思議なことに、今日起きてからは比較的元気。少し家事も出来て、持ち帰ったメイク道具の後片付けや衣装なども、、、衣装部屋に持って行く物は残してあるが、、、、朝早くにメンバーのOさんが早くも衣装部屋に何かを持って行ったらしい。道具を返しにも行ってくれるという。ありがたや、、と思うが、その元気さにおろろく。私と同じ年だのに~。

元気と言えば、こっちがまだベッドでグズグズしてたら、Nさんからラインが入ってくる。今日は結婚式に行きます、とあり、しばらくすると結婚式で、昨日主役を歌ったPさんが歌ってます!とFBで知らされる。ぎょへ~っ。もう一人も徳島の聖歌隊だって言ってたし、若いって素晴らしい!

ま、こっちは明日のボランティアのために中一日があって、ホントに良かった。やれやれ。。。。

 

昨日、全ての演奏が終わり、指揮者が深々と頭を下げているとき、ちぇちのメンバーと楽団のみ知っている仕掛けが始まった。この日が誕生日の指揮者のために全員でイタリア語によるはっぴぃーバースディの歌を歌ったのだ。きっかけは、あらかじめセリフを用意していたOさんの完璧なセリフによって、スムーズに始まり、予想通り指揮のM先生は大いに喜ばれていた。

実は、これは早くからの計画で、ご本人に知られず、イタリア語の歌を練習するのをどうするかというのがネックだった。イタリア語で歌うのみならず、楽団用の楽譜を調達する必要もある。。。しかし、これは思いがけず、準主役のTさんが5日前に誕生日であることが判明して、一気に解決した。その日、あたかも彼女のためであるかの如く彼女にのみ知らせず、歌と楽団の合わせを遣っておいたのだ。何も知らないTさんはサプライズのお祝いの歌と言葉に明らかに嬉しそうだった。しかも、その上塗りに、「私なんか、な~にもしてもらってないわ~」と叫ぶ御仁が出て来て、ますます効果を上げる。それを聞いたM先生はゲラゲラゲラと笑われて、、、、。他の楽団員は別の意味で笑って、、、。いやはや、面白い一時があったのだ。

で、本番の次なるハプニングは、開演前に、言おうか言うまいかと躊躇しながら、「実は、今日は父親の誕生日なんです。これをみんなの前で渡したいんですが、でも、M先生には用意してないんですよね、、。」とワインのプレゼントを持っているM君。「分かった。是非渡してあげて。。」と答えたときは段取りまでは頭になかったが、彼の思い詰めたような表情から、何とか素敵な想い出を作ってあげたいとの強い思いが湧いた。

結局、指揮者のM先生の後、彼の思いを会場に発表して、お客様をも巻き込んでの英語バージョンの大合唱となった。いつまでも渡しに行かない彼の背中を押して、「早くお渡しして!」と促すと慌ててワインを手にしてお父上に手渡す。恐らくは息子を抱きしめたかったのであろうか、お父上がその腕を伸ばし、彼の手を取り握手をする。会場は時ならぬ拍手と歓声に包まれた。この親子の日頃の生き方に関する確執を少しばかり聞きかじっていることもあり、こちらは思わず涙!

こちらも感動を頂いたと締めようとすると、メンバーの一人が耳打ちをする。「まさかとは思いますが、会場にも居ないかきいてみたらどうでしょう?」と。そうだった、とすぐさまマイクで声をかけると、な、なんと、最前列のある女性がおずおずと手を挙げる。まあ、こういうことって、あるんですねえ~~とばかり、下のお名前を聞いて早速もう一度お祝いの歌を全員で合唱となる。ディア、ちえこさ~ん!ハッピーバースディ!!

 

素敵な夜だったハズなのに、、、。又又、ちょいと頑張りすぎたか。こりゃあ、死ぬまで治らないってか?

終わった。

愛しのマリーちゃん。よくぞ今日までの長丁場、生き抜いてくれたものだ。この一つの出し物で、何度も何度も舞台に立ったのも初めての経験だ。部分部分を切り取っては、様々な舞台で発表してきたが、昨年の大きな舞台で全てのエネルギーを出し切って、もう何も残ってないと思われる中での公演。まあ、いくらかのミスは無くはないが、全体としては、昨年のリベンジとも言えるものが出来たと思う。

完全裏方に徹して、それこそエネルギー切れ。腰痛に悩まされながらの司会だった。多くの人が今日が一番良かったのではないか?

思いがけない方々が見に来て下さって、いつもながら感謝感謝。お客様あっての舞台だ。本当に有り難い。夜だし、へんぴな場所だし、もしや出演者の方が多いのか?と言うことになるやもしれぬ、と危惧しながらの開場だったが、予想以上に集まって下さったと思う。

 

とりあえず、眠い。目眩がするくらい疲れている。お風呂に入ってバタンキューだなあ、これは。明日こそ、朝寝に決めた。

2016年3月11日 (金)

祈る、の、こころ。。。

昨夜が土曜日の公演に向けての最後の練習日だった。しかし、この期に及んで不参加者がいるという、恐ろしい練習だ。仕事が一番。それは仕方がないことだ。初めからそれはある程度分かって始めているが、いつも最後までそこがネックになってくる。ここがなんとかならないと、ホントに良い結果は得られないだろう。現状では個人プレーのコンサートしか出来ないということだ。そこを、よくぞ今までくぐり抜けてやってきたと、振り返ってそう思う。

しかし、このみんなで作り上げることに大きな意義があるわけで、そこから離れてしまうとどうなるのか。。。大きな曲がり角に来ていると言わざるを得ない。

ただ、こうした中で補い合うというある意味の結束力だけは相当身についたと言える。ま、良い面とそうでない面があるのは何事に於いてもそうなんだ。とりあえず、上演できることに感謝だ。

 

今日はボンヤリとタケシのテレビ番組の一部を見た。歌手になりたいという夢を抱き続けながら、自信が無く8年もガマンして、ようやく祖母に背中を押されて例の有名なオーディションに出演し成功を収めるというサクセスストーリー。これには思わず涙した。遣りたいが出来ないのは、殆どの場合この人のように自分自身に問題がある。一歩が踏み出せないというのはそういうことだ。おそらく多くの人が、この番組を見て大いなる共感を得たのではないか?中には、自分にもこういうおばあさんのような存在があればなあ~、と思っている人も居るかも知れない。そうなんだが、この孫とおばあさんには大きな信頼と愛情がある。これも一歩を踏み出す決定的な条件だろう。、、、愛はまったく偉大だ。

 

今回のちぇちは、昨年と同じ演目、「愛しのマリー」だが、いつもの公演と違って、落語ぺらではない。落語家も居ないし、大舞台ではないから、照明もなく、客席もエントランスホールに並べるというもので、実際こういう場所でオペレッタを遣った人も居ないという、かなり実験的な公演となる。本番当日は、舞台を創るところから自分たちでやらなくてはならない。前回の公演で、大変盛り上がって下さった楽団の皆さんの位置さえハッキリとはしてないという状態で迎える。さて、どういうことになるか、、、。今はひたすら天候が気になる。集客が難しい場所でもあり、何とかお客様に来てもらいたいと祈るばかりだ。

しかし、W先生がお褒め下さったように、流石に一度大舞台に上げただけあって、全体のレベルは上がっているし、落ち着きもある。迫力も出て来たし、何と言っても音楽がステキだ。来てさえ頂ければ、かなり楽しんで貰えるのではないかと思っている。

 

長く公演をしてきて思う事は、結局自分たちだけで上演出来るわけではない、ということだ。自分たちが頑張るのは当然のこととして、限界までやらなくてはいけない。しかし、それでもでこぼこな私たちだ。多くの人達の支えが無ければ、ここまでは歩めなかった。延べにすれば、何百人の人々が応援して下さったか。観客の方々を入れると、どれほど多くの人々を巻き込んできたことか。あだやおそろそかには出来ないということだ。

第56回。気を引き締めてかからなくては!

2016年3月 7日 (月)

歌会。

これでもケッコウ長く席を置かせて貰っている短歌の世界。ただただ長いだけで、自分でナットクできる歌はさっぱり歌えないという点では、声楽も同じかも知れない。どちらも奥行きが深く、行けども行けども届かない竜宮城か。亀の背中に乗って、なんとなく大海の中を浮遊しているが、しわせ~な気分まではなかなか到達しないなあ~。

が、この浮遊感も捨てた物ではない。

特に今日の歌会のように、参加者の中には既に到達点におられる方もいる中で、その素晴らしい感性に触れ、ちょっぴり文学に触れた感じがしたり、別の詠み人の心の奥底までが推し量れて感心させられたり、、、、ある時は突拍子もない憶測で会場が笑いの渦と化したり、終始和やかに、しかし真面目に、真剣に、時の過ぎるのに身を任せていると、ある種の浮遊感に心地よさを覚えるのだ。

 

唐突に、いつかの誰かの言葉を思い出す。「本の中には全ての人生相談の答えが書かれてある。」とは真実のような気がする。悩める若者よ、本を読め、と私も言いたい。近頃の所謂ノウハウ本ではなく、文学に触れる事だろう。ノウハウ本にはこうしなさい、ああしなさいと具体的な事が書かれてあっても、その通り実行するのはなかなかに難しい。が、文学はそのノウハウを見つける力を付けてくれる。答えではなく、導き出す力を付けてくれると思うのだ。

そして、一人で読んで一人で完結するのも良いが、歌会のような場所で、感動した物を発表すると、他人に一度渡したものが反響として帰ってくるわけで、まあ言わば反芻している様なもので、意味があるんだと思う。以前は、友人とよく人生観を話し合ったものだが、最近はあまりそういう機会が無い。その意味でも、こういう集まりは有意義なものだ。

わが同窓生にこの歌会のメンバーがいて、非常な読書家でもある。これほど読む人もあまり居ないだろう。必然的に、らしい生き方をしているように見える。これほどに潔く生きられたら、、、、と憧れる。

 

いつか、自分でも良い歌だと、自認できる歌が詠める日が来るんだろうか。。。。一生勉強だなあ。

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