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2016年1月

2016年1月30日 (土)

一歩前進二歩後退。。。

どうもハッキリしない。今時の天気のような体調。何か一つ集中してやると後がサッパリだめ。こんな筈ではなかったというジレンマに襲われる日々。昼間のたった一時間のお歌の練習で、ものすご~く疲れた。ま、好きな事とて心地よい疲れと言えなくもない。

こうした中で少しずつ楽しい予定も入ってくる。近々昨年のリベンジ的な宴会があるようだ。彼らの若さを点滴代わりにいただくとしようか。しかし、このスケジュールのやりとりのチャットの中身が意味不明。会った時に解決しよう。と思いつつ時代のギャップを感じている。

水戸の10歳の孫べえが初めてのミュージカルに出ると言い、お正月の約束で結局観に行くこととした。3回出演するというので3回見ることにしたが、まあ婆バカギッチョンだ。ネットで飛行機とホテルを予約したが、それまでには完治しなくては。

 

あ~した天気にな~~れ。

2016年1月29日 (金)

叩けばホコリが出るねえ。。。

夕べは10時間も寝てしまった。多分今宵もそれに近いことになるかも知れない。昼間友人が次々とやってきて、同年とあって話題はお互いの健康のこと。そして母親の事。高齢になって頭か、体のどちらかがおかしくなっていく親たちのことを、他人事とはとうてい思えない今日この頃。何れ我が身とばかり、その予兆について告白タイムと相成る。

ま、それも仕方がない、と言いつつ若かりし頃を偲んでみたり、、、。CMの「7の倍数がヤバイ」がここでも話題になる。確かにねえ。。。思い当たるもんねえ。。。

 

テレビでは甘い大臣の辞任のニュースでもちきり。殆どの人がそうなるんじゃないの?と思っていたように思うが、、、こういうの見てると、体質というのはなかなか変わらないんだなあと思う。便宜を図る=お金が動く。この構図は簡単には無くならないのだろう。もし、あの週刊誌報道が無ければ、人々は何も知らず関係者に全く違った評価していたということになる。

その昔、父が現役の刑事だった頃、父の留守によくなにがしかの品物を持って来て、恩赦に口利きを求めていた人が居た。余りにしつこくて根負けした母が預かろうものなら、父の雷が母の頭上に落ちてきて、涙ながらに母が返しに行ったこともあった。まだそれが本当に正しい事かどうかが分かりかねる年頃ではあったが、母親を激しく叱責する父親を見て、ああ、これは間違ってるんだと理解したということだ。父の、そういう清廉潔白さを今も誇りに思っている。

甘い大臣はどういう親の元で育った人なのか?それともどこかで道を間違えたのか。。。

2016年1月28日 (木)

不完全。

今日の練習は非常に疲れた。疲れ過ぎて、帰宅してから前後不覚に眠ってしまった。ついつい現場に居ると我が身を省みず頑張ってしまう。少しでもみんながよく見えるように、という欲が出てしまうのだ。

まあ、しかし、ホントは何とかなると踏んでいる。みんなの底力を信じてはいる。一つ舞台を踏んだ後だ。みんなの雰囲気も力強いものがあり、気持ちさえまとまれば絶対出来る。と思ってはいる。けれど目の前にスキが見えるとついやってしまう。

まだ声は戻ってないにもかかわらずついつい声も出してしまう。やっぱり、行って何もしないのは無理。

しばらく休憩して又エネルギーを蓄えようとは思っているが、、。

さ、とにかく寝よう。

2016年1月27日 (水)

スポーツ。

それほどフアンでもない自分としては珍しく熱心にサッカーの試合を見た。結果はオリンピック出場権を得た快勝だったが、勝ち方も大変劇的なもので、最後まで諦めないことが如何に尊いことかを身を持って証明してくれた。

この試合を観て居てつくずく思ったのは、「一丸となる」ということだ。点数を今回は2点入れたが、今回でもたったの2名がその役を担ったわけで、そのほかの人達は全員サポートしたわけだ。しかし、直接点数に関わらなかった人達の気持ちが揃っていなければこの勝利は無かっただろう。

これはちぇちの団体を考えても通じるものがあるなあ。ソリストと呼ばれる人はそれは数が少ないが、その人達だけで舞台がやれるものでは、絶対無い。様々な役割の人がいて、全員が一丸となって初めてお客様に感動して貰えるのだ。その意味では我々の活動はスポーツと非常によく似ているといえる。歌う事自体が体を使わなくてはならないし、体だけではダメで、頭脳プレイだという点も似ている。

 

今日はすがすがしいものを見せて貰った。大相撲の琴奨菊といい、今、日本のスポーツはとても面白い。

2016年1月26日 (火)

復帰。

なが~いトンネルから間もなく出ようとしているが、まだ完全には出られない。すぐそこに健康な風景が見えてはいるが、、、。

朝はシェイクスピアの集まりに行き、それこそ旧交を温めた。その中のお一人、順風満帆な人生の中で確か数人はいらしたお子さんを全て送り出し、1年前にはご主人が早くも他界され、現在完全な一人暮らしをされているKさん。この方との出会いは今もクッキリと思い出す。おそらくは30年以上も前。I会長が開講されていたシェイクスピア教室に、その方はいた。いつも最後尾に席を取り、常識的でないロングヘアーを華やかなカーリーに、服装も洋画の中から現れたキャリアウーマンのようなステキにファッショナブルな女性。誰とも話さず、いつも静かに知的で穏やかな表情は同性が惹かれずには居られない。その後もっと親しくなっても口にしたことはないが、憧れの女性だった。いくらか言葉を交わすようになっても最初の印象は変わらず、現在ある病気の後遺症ももっておられて、不自由な手足なのだが、そんなことは全く意に介さない堂々たる生き様にも感心している。相変わらずおしゃれで、そのセンスは今も輝いているし、シェイクスピアの作品のテーマ、「受容」ということを体で実践しているようだ。長いお付きあいの中で、フランス語に堪能だとか、音楽にも通じておられるとか、少しずつ分かったことはあるが、恐らくは9割方知らない人なんだ。でも、今日の様な集まりで会うと、「旧交を温める」という言葉で形容するに相応しいと思えるから不思議だ。シェイクスピア繋がりは摩訶不思議だ。

今日の作品は「尺には尺を」だったが、以前見ている筈の内容がオボロ。I先生のレジュメから引用されていたプリントに、所謂「原罪」について書かれていて、そうだったと思い出したが、ホントはこうして何回観ても読んでも奥が深いのがシェイクスピアだ。

それにしても、「人は生まれながらにして皆罪人である。」というこの原罪。確かにそうだとは思うなあ。それは間違いないところだ。

 

流石に少し疲れたので母を連れ出すのに最良の好天気だったが、夜はちぇちの予定があるのでそれまで少し休むこととした。そして早めに夕食を済ませて出かけようとすると、夫がい~っぱい色んな事をご忠告してくれる。まあ確かに、ここでしっかり治さないと不味いんだろうとは思うが、まるで幼児にお説教するが如く。、、、有り難いと思う事とする。

 

練習会場は久々のW先生ご登場とあってみんなの熱気が感じられる充実した時間。指揮のM先生もおりしも降り出した雪の中をナント自転車でお越し下さった!まるで浦島太郎のような気分のまま、それでも段々思い出してくる。イコールつい夢中に。。。。危険だ。とは思うが、やっぱり集中することとなった。

メンバーを送り届けて帰宅すると、妙に頭が冴えて全く眠れそうにない。多分心身共に興奮状態。やれやれ。

寝よ。

2016年1月24日 (日)

雪、まだ降らず。深夜ですが。

何年かぶりの大雪という情報に怯えながらの一日。午前さまの只今まだ気配もない。明日降るのか?

 

午前中に新に「良く効く」お薬を頂きに行き、午後は観劇。120分という短さが今の自分には有り難かった。「真夜中の太陽」というこの芝居は変わった切り口で戦争の悲惨さを描いていた。

空襲警報で防空壕に逃げ込んだ女学生達が全て死亡したが、その同級生が一人楽譜を取りに戻った為、壕には行かず助かる。戦後から70年間仕事をし、結婚をし、子供にも孫にも恵まれ、平和な人生の中で常に思い出すのがこの学生時代のこと。

もう一度時間が引き戻せたら、あの日に帰り、「ダメ、防空壕には行かないで!入ったらみんな死ぬよ!」と叫びたいと願い、何度も夢の中でチャレンジするが、起きたことは取り返しが付かない空しさの中で、うつうつと年を取り老人になっていく有様を描いていた。何よりその学生時代の若者達の、現代と全く変わらない青春像を明るく描いていて、その子達の死が先日のバス転落事故で亡くなった人達と重なり、涙が止まらない。突然に人生を奪われるという悲劇。同じ命の重さだ。

タイトルの歌がなかなかに良かった。もう一度聴いたら歌えるかと思うが、やさしいメロディーに瑞々しい言葉が綴られていて、心にしみた。ある意味音楽劇と言えるかも知れない。

今日のお芝居では、「過去を見ないで生きることは、未来に対しても盲目になるということ。」というドイツの大統領の言葉が語られたのが印象的だった。確かに。未来はすぐに過去になる。

2016年1月23日 (土)

出てこい出てこい池の鯉。。。。

ボチボチ出て行こうかと考え中にあちこちから出て来てコールが相次ぎ、モチロンそれに応えようとしてはいるが、そう思った矢先怪しげな天候のニュースが飛び込んでくる。何年かぶりの大雪になるかもしれないそうだ。先日の東京の騒ぎのようなことは無いにしても、高松という土地柄は矢張り雪などあまり経験が無いから、どんなことがおきるやら。

体はかなり良くなったと思うが、咳が止まらない。今日も血液検査の結果など主治医と電話で話すと、まだ薬は必要だろうということに。なんせ、11月から3ヶ月もこうして薬漬け。肝臓の数値が少し悪いそうだ。薬の副作用かもねえ。イヤな感じ。こっち良ければあっちが悪い、なんてことじゃあ、解決にならないわなあ~。どうすりゃいいのか?

 

こうしてパソコンを打っているとかけっぱなしのテレビから例の神戸の泣き叫ぶお役人の裁判のことが聞こえてくる。恥ずかしくて見てられないオヒトだが、こういう人を選ぶ人がいるのにおろろく。結局、人は仮面を付けて歩いているから、仮面の下は分からないことが多いってこと。特に利害関係や、利権政治がからむと人はどんな役者よりも役者になれるんだ。柔和なまなざし、信頼出来そうな笑顔、穏やかな口調、真剣な口ぶりなんかは、こういう人達にとってはお手の物だろう。その顔の下に、怪しい危険なまなざしが隠れていることに、善良なる、あるいは愚鈍なる人々は騙される。、、、これまで、何度こうした政治家にガッカリさせられてきたことか。ホント、イヤになる。

 

雪は、全てを真っ白に覆い隠すだろうなあ。

2016年1月21日 (木)

花を生ける。

昨日道の駅で少しばかり花を買ってきた。その素朴な束の中に菜の花があり、水仙があり、、、、パチンパチンと茎を切りながら、何となく春の声が聞こえる感じ。実は大寒の今日、まだまだこれからが寒いとテレビはさかんに言ってるが、今日などまだ暖かい高松の気候の不思議。今さらながら有り難い事ではある。

花を生ける気分になったということは、相当体調が良くなってきた証拠だ。お正月の花が枯れるに任せていたが、側を通っても何とも感じなかったのは、矢張りそれどころではなかったんだ。活け花とかは、矢張り心身共に健全で、安定している時に出来ることだ。

今日は用事があって、メンバーのA君の会社に行ったが彼は顔半分が隠れる大きなマスクをして仕事をしている。大丈夫?と聞くと、用心の為という。まあ、それは確かに必要な時期だ。で、その彼が言うには昨日の練習に行きましたが、メチャクチャ人数が少なくて、、、、と心配そう。思わず、「来週からは行くからね。」と言ってから、内心、こうして決めなきゃ動けなくなるんだから、と我と我が身に言い聞かせる。しかし、無理は出来ない事は肝に銘じた。幸い来週はW先生もお越し下さるというから、目一杯やる必要が無いから、大丈夫だろう。

いよいよ仕切り直しだ。

太陽とフルーツ。本日のお恵み。

雪かも知れないと脅された今日は、思いもかけない晴天の上暖かく、そのせいもあろうか、少々体調が戻った感がありこの分だと復帰も近いと感じられる。

少々事情があって、ある人物と昼間動いたが少々疲れたものの、ダウンするほどの疲れ方ではない。その人物をとある温泉まで連れて行きその間久しぶりにマッサージをしたが、その技術者が非常にうまい人で、こちらの事情を話すと丁寧に柔らかにマッサージしてくれて、お陰で温泉に入るより血流が良くなった感がある。

このまま、快復出来ますように。

 

2,3日前に買った蜜柑がもう旬も過ぎてはいるんだろうが、高いばかりで全く美味しくなかったので、今日はある道の駅で思い切って多めに購入してみた。するとこれが大正解。これぞ蜜柑、という蜜柑本来の味がした!とにかくフルーツが今の自分には良いらしい。道の駅の近くに住みたいと思うが、実はある友人はJAの産直でそういう物は買っているようだ。彼女は、所謂主婦らしい主婦で、より美味しいものを、寄り新鮮な物を日々求めて暮らして居る。そういうまめな生活をしてみようか。ぼちぼち。

生活の立て直しだ。

2016年1月19日 (火)

明暗。

寝室の換気をと思い、朝窓を開けたままにしていたことに夜になって、しかもお風呂上がりに気付いた!しばらく寝るわけにも行かず、こうしてパソコンの前。しかし、日々ドジが増えている。次の予定が頭に残ってないということだ。やれやれ。

ドジと言えば、夕べはあわやというドジを遣ってしまった。眠れないまま大きなクッションをベッドの上であっちこっちと移動していた記憶はあるが、ついipadに見入っていた。変な臭いがするなあと思いつつその臭いの原因を調べることもせずに10分?20分?ふと脇を見ると、あわわわ、そのクッションが電気ストーブで焦げている。ぎゃっとばかり持ち上げると2割方消えている。火が出たり、燃えたりという感じではなく、消えたというのがぴったりな燃え方。お気に入りだったけど仕方がない。今朝になってそっとゴミ袋に入れて他のゴミと一緒にゴミ置き場へ。換気とはこういう事だった。ふ~っ。。。内緒の話。

チョイと意気消沈な気分のところへ、友人が次々と現れる。一人は京都のおまんじゅうを、もう一人は取れたてのイチゴ。先日も菓子パンの差し入れを頂いたり、、、ま、こういうのが美味しいと思えるようになってホント幸せだ。今日の二人とも元気な娑婆の空気を運んでくれる。が、まだそちらには行けない感じ。リハビリが必要だ。

やっぱり夕食後はダウン。横になって見たくもないテレビをぼ~っと見ている。

この頃のニュースはまったくもってドウしようもないのが多くて、見るだけで疲れる。大型バスの転落事故なんか、あの尾木ママが言った言葉を借りると、「近頃の日本はどうかしている。」に尽きる。妙なところが薄くなっている。日本人はこんな筈じゃあなかったんじゃ?と言いたくなる。

そんな暗いニュースの中に、2歳の子供が小川に転落したのをリレーで近隣の男性が助けたという話しには心からホッとした。が一方でこういう明るいニュースを見ると余計、大学生達の死が悲惨なものに、、、。言葉がない。

動いている。

「ちぇちぃりぁ」というおうちは、ただ今母親がお留守中。普通の家庭なら、母親不在をバンザイするのかも知れないが、ちぇちはどうなのか?と思いつつ療養中だが、どうやらそれぞれがそれぞれの持ち場で動き始めているようだ。それも無理もない。次々と予定があって、遊んでいるわけにはいかない状況なんだ。各人がこの恐ろしい状況に危機感を持ってくれているようなのは、全くめでたい。

日ごろから思っていることだが、メンバーは、それぞれ自分たちが思っている以上に力がある。早い話が団長にしても、自身も体調不良を押して練習に出て行き、やるべきことをきっちりやったということだ。その際アチクシと同年代の最古参Sさんが全体を回してくれたらしい。空いた穴を埋めようと、みんなが協力し合ってくれている。

next position にいる人たちがその都度ちゃんとリーダーを務めてくれている。今日の担当はKさんだったようだ。細かいところに気が付きつつも、物事を大局的に処理できる能力もある。責任感の強い彼女、練習中にも次々とメールで指示を仰いでくる。

そして指導を受ける側にいる人たちの彼らリーダーへの添い方も、真剣かつ熱心なようだ。些末な、したがって面倒な作業も自ら積極的に協力を申し出てくれているようなのはほんとに嬉しい。

そういう彼らに前副会長が背中を押してくれている。リタイアしたとはいえ、やはりちぇちの大切な相談役だ。そもそもちぇちは、こういうものすごい歌好き、音楽好きの集まりなわけで、そのもっとも大切な部分を担ってくれる人として、これからも大いに我々を助けてくれることだろう。

 

練習会場に訳あって参加できてない人々も、みんなが居てのちぇちだということに気付いてほしい。決して自分を過小評価することなく、そこにいるだけでみんなの力になっていることを信じてほしい。。。。私自身も、自分のことをそう信じよう。と思う。家族なんて、何もしなくても、家族だ。存在自体が大切だ。

 

あまりに長い体調不良に、今日は医師に訴えて結核の検査までしてもらった。無事白とわかったが、いろいろ使えない薬が多いこの体のために、今日は新しい「良く効くおくすり」が処方された。「感染症」をこじらせたというのが結論のようだった。これで、いよいよ薬漬けの日々から解放されるかもしれない。は~っ。

2016年1月18日 (月)

すき焼きには卵でしょう!

頑張って夕食の買い物に出かけて、卵を買うのを忘れて帰宅。すき焼きを作り終えてから気が付くというお粗末。夫に訴えても、買いに行くとは言わず、予想通りあるものですまそうと言う。仕方なくそうしたが、うま味半減だった。残念。しかも、そのゐ連の作業で疲れ切って、食後はそこに横たわって爆睡1時間。ああ、情けない。

目覚めれば相変わらずつまらないテレビ番組が大音量でかかっている。最近頓に夫はテレビの音量を上げるようになった。

しかしそのまま起きる気にもならず、チャンネルを次々と送りながらぼ~っとテレビ。。。。いつもよりはテレビというものを観て居る気がする。それは番組名が余りに早く現れるのに気付くからで、NHKのダウントンアービーを今夜も見た。この作品はホントに良くできている。役者も揃っていて、悪役もチャンと存在し、バランス感覚の優れた人やそうでない人が同じ屋敷に住んで様々な事が起きる。一つの社会を構成している点が、飽きさせない要因だろう。唯一番組名で放映を待っている。

それを観た後、これからお風呂だが、当然ご就寝は丑三つ時になろうか。又夫に叱られそうだ。「早く寝ろ」しか言えない人だ。

しかしつらつら考えるに、こうして一人でも家族が居るから何とか食事も取ろうとするし、最低限ながらも何か遣らなくてはと思う訳で、これが全く一人だったらどこまで堕落(?)するか知れた物ではない。多分食事も作るはおろか、食べることさえやめる日があるかも知れない。

昨日は昼間ある夫婦にバイトに来て貰って、本来暮れの大掃除をやるべき事をやってもらった。大きなガラス窓などすっかりキレイにしてくれたが、再度来て貰わないと終わらない事。でもこれで少しは気分が良くなった。やっぱり穴蔵のような所に住んでいると気分が滅入るというもの。、、、とはいえ、この時少し一緒に動いたら早速夜になって咳き込んで今日は朝からダウン。月曜日から開始の予定を全部キャンセルした。やっぱりまだまだ正常ではないのか。

でも、あまり自分を放置していると、このまま何も出来ない人になってしまいそうで怖い。少しずつリハビリをしつつ社会復帰を目指すべきなんだろう。老人性鬱って、怖い物らしいからなあ。

明日から天候が悪くなると言うし、心して過ごさなくては、、、。

2016年1月17日 (日)

大海に網。

肺炎を宣告されてはや半月。入院にならなかったとはいえ安静を言い渡され、相当脅されて薬漬けの日々。およそらしくない日々を続けている。

何もしない、、、自宅に居てはなかなかにムツカシイこと。が、出来るだけ何もかにもに目をつぶり、ひたすら息をひそめて無為の日々。その間、ジッと我が身を観察するに、人間の生命力とは面白いものだ。熱が下がれば自然に物の味も分かり、何かを口にせねばという気持ちが湧く。咳がひどいときはこまめに水を飲むという技も覚えた。入院よりましと思えば、寝ていても別段焦りも無い。あれ程の多忙が嘘のように、我が身から離れ、ただただ潜んでいるという感覚も嫌いじゃない。まずは人と会うことがない。声すらも殆ど聞かない。メールを見ることはあっても、それも数は少ない。もしやこのまま自分が姿を消しても、初めから存在してないように時間が過ぎるのかも知れない、、、なんぞとフッと思ったり。この感覚も嫌いじゃない。

その間、世間はまるで春のような暖冬。最低限の洗濯はこの陽気に助けられて病気の身でも何とかやれる。この陽気の中で、ある情報を得て、ものの20分で済んだ運転免許の書き換えも、締め切り限度の12日になんとかやっつけられた。これはまったく有り難かった。

そして昨日は、これ又久しぶりに母を連れ出しランチ。電話すれば待ってましたとばかり、「なんか美味しい物食べよう」と母が言う。大きなテーブルのある和食の店で二人向き合って定食を完食。このところの栄養不足を一気に補った感がある。そう、物の味が分かってきたのだ。

 

こうしてパソコンに向かう気分にもなれなかったが、今日は短歌の機関誌が送られて来て、安否を気遣う師匠のメッセージが添えられていて、それに促されてこうしてベッドに入る前に座ってみている。有り難いことだ。

短歌と言えば、天皇皇后の歌がテレビで流れたが、皇后様の歌は雄大な情景描写と共に、ご自身の来し方を端的に表現されて秀逸だった。天皇も、背景に平和を謳っておられて、お人柄が偲ばれた。、、、こうした感想は、自分がこの世界に片足を突っ込んだ今だから思う事で、これはホントに有り難い。

 

ま、現在の自分を客観的に見ると、大海原に網を投げて、少しずつ引き揚げているようなものか。殆どは水と共に編み目をくぐって逃げているが少しずつ引っかかるものが増えてきているのを感じる。

 

用心しつつゆっくり娑婆へ。。。。

2016年1月 3日 (日)

多くの人が風邪だとは聞くが、、、、。

暮れからお正月にかけて、アクシデントに次ぐアクシデントで、日記はおろか年賀状さえ一枚もかけずに今日明けて三日という日を終わろうとしている。余りにらしくない日々に流石にこうしてパソコンの前。

自分自身の体調が思わしくないまま大晦日を終えようとしていた時、突然の母の高熱騒ぎ。実家に泊まり込んでの看病と相成った。元旦に頂いた賀状をひっさげて実家に行き、表書きを久しぶりに手で書いたが、その後の様々な出来事に流されてそれ以来ペンも持てない有様。紅白どころか当然毎年恒例の初詣もパス。

遂に昨夜は自分が八度五分の高熱にうなされる始末。深夜にごそごそと起きだして、古い頓服を出して服用し、息子がワインを冷やしていたワインクーラーに氷とタオル。考え得る限りの手当をして4時くらいには眠ったか。起きたら昼前。何とか熱は下がり、軽く食事も取れたが、ここ3ヶ月あまりの体調の悪さに暗澹となる。いっそどっかに入院して、体を総点検して貰いたい気分。

頂いた賀状には、殆どの人が「健康」という文字を書き連ね、まあ、友人知人も年齢を重ねてきたのがわかろうというもの。確かにそうだと頷きながら拝見する。なんとか明日辺りは少なくともお返事型の賀状は出さなくてはと思っているが、、、。

 

まあ、時は流れる。

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