家族。その強力な味方。
先日友人夫婦の来訪を受け、奥様の体調不良に同調していたら、彼女はすっかり元気におなり遊ばしてお帰りになったが、こちらはやはりその人よりも年齢が高いためか、逆に頂いてしまったようだ。さっきも都会から帰省している友人Mからのメールに返事しながら途中でうたた寝してしまった。そのまま理由を書いて打つとその友人から、メール打ちながら寝る人なんか聞いたことがないわ!と呆れられる。
ここ一年の疲れがどどど~っとやってきて、どうやら帰りそうにない。ま、いたけりゃあ居て貰おうじゃないの。とやけっぱち。
そんな中、息子の家族が延々十数時間かけて車で帰省してきた。昨日はそれに付き合って、さっそく孫べえたちのお付きあい。といっても、こっちは母の車椅子を押しながらなので、以前のようには出来ない。が、その分チビ達も自立してきて手間は掛からなくなった。滅多に会えない孫べえ達とこうして交流できる貴重な時間だ。が、昨日はちぇちの最後の練習日でもあった。途中で親に引き渡しこっちは急ぎ母を送り、帰宅してバタバタと夫の夕食を作り自分は食べる間もなく飛び出す。
鬼無の練習会場まで行く間、メンバー達と「今日はみんな来るかしらねえ?」と言いながらではあったが、流石に殆ど休む人もなく、今年最後の練習は充実の時間だった。約一名酔っぱらいがいたけれど、酔っていても声が出ることを立派に?証明した。ふ。
今年一年、本当に大変な一年だった。余りその過程を思い出したくない程に大変だったが、最後はみんなの力を限界まで出し合って何とかなった。
来年はすぐに沢山の行事が控えている。これらを一つずつクリアしていかなくてはならない。願わくばその中心に若者達が立って欲しい。彼らも今に我らが年齢になるのだが、そうなる前にバトンを受け取ってもらわなくては。若い人には何でもないことが、高齢になると大変になるということを理解して欲しい。,,,モチロン、こんな泣き言は言いたくて言うのではないが、言わなくてはならないと思う。その意味の役割分担は早急にやらなくては手遅れになる恐れもある。
メンバーの中に最近見違えるように元気になってきた人が居る。私生活は少ししか知らないが、何かが彼女を変貌させるきっかけを作ったのだろう。まずは性格が明るくなった。すると声が変わった。理解力が深まった。思いやりのある言動が目立つようになり、団体の中での仕事を率先して遣ってくれるようになった。練習の時に必ず良い笑顔が見られる。、、、これは素晴らしい。これについては多くの人が影響を受けているように見える。
人は多面的である、というのが私の持論だが、多くの場合一方面からしか人を見ることが出来ない。そして本人もそう見られていることに慣れてしまって他人からの評価を多くは望まないようになる。ところが家族の中では多面的な物をさらけ出しても大丈夫なんだ。このちぇちぃりぁという団体もある意味家族だと、私は思っている。だから、そこでは色んな面をさらけ出した方が良い。そしてそれをみんなが受け入れるのが良い。良いところもそうでもないところも、弱点もみんなが認め合って、それで団体が成立すれば最高だ。