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2015年12月

2015年12月30日 (水)

家族。その強力な味方。

先日友人夫婦の来訪を受け、奥様の体調不良に同調していたら、彼女はすっかり元気におなり遊ばしてお帰りになったが、こちらはやはりその人よりも年齢が高いためか、逆に頂いてしまったようだ。さっきも都会から帰省している友人Mからのメールに返事しながら途中でうたた寝してしまった。そのまま理由を書いて打つとその友人から、メール打ちながら寝る人なんか聞いたことがないわ!と呆れられる。

ここ一年の疲れがどどど~っとやってきて、どうやら帰りそうにない。ま、いたけりゃあ居て貰おうじゃないの。とやけっぱち。

そんな中、息子の家族が延々十数時間かけて車で帰省してきた。昨日はそれに付き合って、さっそく孫べえたちのお付きあい。といっても、こっちは母の車椅子を押しながらなので、以前のようには出来ない。が、その分チビ達も自立してきて手間は掛からなくなった。滅多に会えない孫べえ達とこうして交流できる貴重な時間だ。が、昨日はちぇちの最後の練習日でもあった。途中で親に引き渡しこっちは急ぎ母を送り、帰宅してバタバタと夫の夕食を作り自分は食べる間もなく飛び出す。

鬼無の練習会場まで行く間、メンバー達と「今日はみんな来るかしらねえ?」と言いながらではあったが、流石に殆ど休む人もなく、今年最後の練習は充実の時間だった。約一名酔っぱらいがいたけれど、酔っていても声が出ることを立派に?証明した。ふ。

今年一年、本当に大変な一年だった。余りその過程を思い出したくない程に大変だったが、最後はみんなの力を限界まで出し合って何とかなった。

来年はすぐに沢山の行事が控えている。これらを一つずつクリアしていかなくてはならない。願わくばその中心に若者達が立って欲しい。彼らも今に我らが年齢になるのだが、そうなる前にバトンを受け取ってもらわなくては。若い人には何でもないことが、高齢になると大変になるということを理解して欲しい。,,,モチロン、こんな泣き言は言いたくて言うのではないが、言わなくてはならないと思う。その意味の役割分担は早急にやらなくては手遅れになる恐れもある。

 

メンバーの中に最近見違えるように元気になってきた人が居る。私生活は少ししか知らないが、何かが彼女を変貌させるきっかけを作ったのだろう。まずは性格が明るくなった。すると声が変わった。理解力が深まった。思いやりのある言動が目立つようになり、団体の中での仕事を率先して遣ってくれるようになった。練習の時に必ず良い笑顔が見られる。、、、これは素晴らしい。これについては多くの人が影響を受けているように見える。

人は多面的である、というのが私の持論だが、多くの場合一方面からしか人を見ることが出来ない。そして本人もそう見られていることに慣れてしまって他人からの評価を多くは望まないようになる。ところが家族の中では多面的な物をさらけ出しても大丈夫なんだ。このちぇちぃりぁという団体もある意味家族だと、私は思っている。だから、そこでは色んな面をさらけ出した方が良い。そしてそれをみんなが受け入れるのが良い。良いところもそうでもないところも、弱点もみんなが認め合って、それで団体が成立すれば最高だ。

2015年12月22日 (火)

予期せぬ一日。

この好天気に、矢張り布団を干したり、洗濯をしたりと当たり前の主婦をやり、仕事やレッスンも終えて時間を見ると母がデイサービスから帰る時間。ちょいとショッピングでも連れ出そうかと迎えに行くと、施設の人が、こないだ映画に行き損なったんですか?何度も観たい映画が観られなかったっておっしゃってますが、、、、う。そうですか。今から連れて行きます。。。。

 

確かに一度チャレンジしようとしたが、体調が思わしくなく、映画さえ行けなかったのを思い出す。こりゃあ行くしか無いとうっかり時間を調べずに出かけると、わざわざ車椅子を回したにもかかわらず2時間以上の待ち時間がある。近頃映画の上映時間もめまぐるしく変わるようだ。急遽、高松東から出て、ドライブを兼ねて綾川まで。早めの夕食を済ませて、遂にお目当ての映画を観る。

 

「母と暮らせば」

 

悲しい、非常に悲しい映画だった。

山田洋次監督の作品らしい、穏やかでしみじみとした映画の作り。地味だが、登場人物の心理状態を克明に描く。ここまで悲しみを描ききるのは、監督に余程の思い入れがあったのか?と最後の最後までじっと画面を見ていると、一番最後に、「井上ひさしさんに感謝を込めて。」だったか、の文章が。帰宅してネットで見ると、やっぱり井上ひさし氏が書きたかったものを、その意志を継承して映画化したのだそうだ。

母親役の吉永小百合の演技に思わず、一瞬声が出るほどの悲しみを覚えた。過去に見たこの女優のどの作品よりも良かった様に思う。この映画のおそらくは最も大切な場面を、演じきった。その場面が無ければフツウのエレジーだったと思うが、その一点の演技によって、この作品全体が大きな意味を持った。

全編を通して美しい音楽。悲しみの表現としてはこれほど画面とマッチした音楽も無いだろうと思いつつ、最後の字幕を見てナットク。坂本龍一だった。

 

とにかく全く情報を知らず出かけたため、純粋に映画を観た、という感じ。母も食い入るように画面に見入っている。後ろからは男女のすすり泣きが聞こえる。

日本に、こういう映画を作り続ける監督が居て、こういう力のある俳優達がいることが誇らしい。

思いがけず、舞台俳優の加藤健一が出ていてそれも楽しめた。

いやあ~、映画っていいですねえ~。さよならさよならさよなら。

新指揮者登場の日。

薬のご厄介になるのはいい加減辞めたいところだが、なかなかそうもいかず、、、、生きるのはしんどいもんだ。

 

今日は音楽会の昔なじみとお茶をする機会があり、久々にお互いの近況を話し合った。が、まあとにかくこっちはその若さが無いことに、話しが行ってしまう。喋っていても、声が自分の声でないような感じ。どうもスッキリしないなあ~。

 

今宵のちぇちの練習に、初めて新指揮者が混じってくれた。M先生とのお付きあいも長くなった。旧指揮者のT先生も加わり丁寧な指導が添えられる。指揮というのもムツカシイものだろう。いわゆる音楽性をどこまで引き出せるか、それぞれの人によって解釈が違うだろうし。。。言えることは、客観的に聴いて一番状況が分かってくれて居る人であるということだ。自分ではやってるつもりが、そうはこちらに聴こえてないということが多々ある。そこを修正してもらうには、心が平らでなくてはならないだろう。ま、演技もそうだが。

今回から別バージョンで参加した歌い手二人はその実力をしっかり見せてくれた。3月の新メンバーによる公演の主要な部分を担ってくれる人達だ。なんといっても、照明はない。大きな舞台道具も幕さえもないところで、お客様の空想力に頼って演じようというのだから、これはかなり歌の力も必要だし、衣装一つも慎重でないとイケナイ。しかも、プロ並みの本番までの時間だ。

様々な困難な条件下で、どこまで出来るか、楽しみなような、、、。

 

それにしてもお嬢からの電話で指摘されたが、今日の朝食はパンとコーヒー、昼食はラーメン、夕食は冷凍のかき揚げうどん。以上。てな偏った食生活で、元気になるはずがない。しかし、なにも作る気力がないのだ。、、、どうすんべえ。食欲さえもない有様。痩せるじゃん!?、、、その前に栄養失調?

とりあえず寝よう。

2015年12月21日 (月)

やっぱり雨か。。。

結局は又ゾロ逆戻りの気配のある体調。何故私がやっているのかと疑問に思いながらここんところずっと会計の作業をしている。今宵は遂に本来の会計さんと二人で午前様だ。

しかしまあ、遣っただけのことはあり、公的機関のミステイクに気付くというおつりが出た。でもね。こういう作業って、偏りすぎてないかい?と思うのは私だけ?どっかおかしい。どうすればこの状態から抜け出せるのか、真剣に考えなくてはならない。行き当たりばったり。出来る人がやる。これで良いのか?それぞれに係というか担当が居て、それぞれに責任がある筈なんだが、、、、。

みんなが仕事を迂回してたらこの団体は無くなるだろう。誰かが危機感を持って、今やるべき事をやらなければ。う~む。

少し体力が戻ったと思って、こういうお手伝いをしたり、昼間はH先生宅での練習に付き合って声を出したり、、、、帰宅して又又この会計の仕事を数時間にわたってやって来た訳だ。夕方の来訪者を申し訳ないとお断りしてのことだったが、これも夫が留守で家のお仕事が減っているから出来ている。が、何となく又だるさが戻ってきた感があるな~。グスン。大丈夫かい?わたし。

 

まあそれにしても、H先生の歌好きには改めて敬意を払う。ここまでの人もそうは居ないだろう。M君が練習すると言うので聞いていたら、彼の声よりH先生の声の方が良く聞こえてくる。一体誰の練習?と思いつつ、、、そこまで歌いたいんだと今さらながらおろろく。

結局これが必要なんだなあ~。「好きこそものの上手なれ」って、あれだ。いや~、参った。お宅にお邪魔している間中、男女を問わずどのパートにも声を出される。数名が歌ったが、その人達の歌を全部歌えるというのも凄いことだ。いやはやいやはや。

 

そんな折、父親と同じく海外に居る息子から電話が入る。緊急の連絡先を知らせるというものだ。「お父さん大丈夫?」「ん、今のところ元気。」「へええ~~~」「いや、変な事口走った。やっぱりおかしい、お母さん愛してるよ、だと!?」「うわっ。それは絶対おかしいから、気を付けてね。」と締めくくって二人でゲラゲラゲラ。ま、今のところは平和だなあ~。

2015年12月14日 (月)

誕生日は碌な事が無い。アチクシのばやい。

ブログというのは便利なものだ。一体一年前の自分は何をしていたのだろうと、昨年の誕生日を出してみると、にゃにゃんと、すっかり忘れていたが、お嬢の救急車騒動に巻き込まれて上京していたのだった。あれほど大騒ぎしたことが今は全く思い出せない。日記に書かれてあることのみは鮮明に思い出すが、、、、。

てえことは、去年は吾が子の体調が崩れ、今年は我が身の体調が、、、。むむむ。

にしても、矢張り年齢故か、今回は体力の回復が異様に遅い。少し良くなりかけては又逆戻りを繰り返している。4件ほど病院を転々とし、最後にこれは全てを一度リセットして、一から一緒に考えて頂こう、と訪れた病院での待ち時間にナント運の悪いこと!救急車で老人が運ばれてきた。担当医は、そちらへと駆けつけ、予想よりも相当待つ羽目に。が、勿論そんな事を言ってはいけない。少なくとも自分よりは急を要する病人であることは間違いない様子だったから。

やおら「お待たせしました。」と呼ばれて面談になったが、矢張り途中でも色々と先生はお忙しい。結果、出しますと仰ってくれた薬の処方箋が出ていない。点滴を1時間して会計に行ったときにはその先生はもうお出かけ。結局翌日出直すことに。てなことがありながら、都合3日間の点滴。そのせいかどうか、夜はよく眠れる。

行けるかどうかギリギリまで考えて結局今宵の楽団の打ち上げというものには涙を呑んで不参加。大体3人以上集まる場所には私が居るという方程式が崩れて、夜も更けてからのみんなからのメールには怪しげな言葉が並ぶ。、、、やっぱりその場に居ないということは、何が何やらなんとも考えられない。本当は、少し体調が戻ったようなので、今度の演奏曲の一覧表を作成して、現場にお届けする予定が、エクセルにとっつかまって、やたら時間が罹ってしまい、皆さん解散されたころに出来上がるというお粗末。まあ、このリベンジは絶対やるぞ~。と心に叫ぶ。

実は来週末から夫が海外へ出かけると言う今になって、夫の兄が入院したからお見舞いに、という事件も入ってくる。マスクをして気兼ねしながら病室に行くと、意外と元気な様子。処置が早く助かったと90歳ながら良く笑い良く喋る。暮れからお正月に欠けて恒例の、関東在住の娘の嫁ぎ先へ矢張り行くと仰る。これなら大丈夫だねえと、言いながら帰宅。そういう夫は兄は入院、妻は体調が悪い、自分自身もなんとなく元気が出ない,この時に出かける本人も気が気でないようだ。一定の覚悟をして行くんだそうだが、、、。

 

しかし、この頭痛というのはイヤな病気の症状だ。イヤでない症状なんてものも無いかも知れないが、余り経験がないもので、これは応える。結局今は免疫力を高める漢方薬なる物を熱心に飲んでイルが、さて。

 

公演に来て下さったという85歳と56歳の親子さんが来られて、口々に良かったと褒めて下さる。ず~っと来て下さっている方々で、細かいところまで観ていて下さって、何かと参考になる。今回は衣装を褒めて下さる方が多く、ま、苦労した甲斐があったかも知れない。実験的な、と思っていたが、背景も期待以上に好評だ。この背景を担当して下さった気の良い彼とは奥様を交えてお食事会をと約束しているが、、、はてさて。いつになることやら。

なんせ、はやく治さなくては!なんにも出来ない。どころか、ポカばかりやっている。

2015年12月 8日 (火)

今日はほろ酔い。

友人が小金がはいったからと、お疲れさん会を開きビストロでのお食事会を提供してくれた。女6人。よく喋りよく食べた、、、と思ったら、にゃにゃんと、隣の隣のお席の方が、にこやかに近寄ってこられ、「先日はお疲れ様でした!」となる。あっちゃ~楽団のNさんではないか。こちらこそ、有り難うございました。ホントにお世話になりました!と中腰のご挨拶。

思わず,胸の中を駆け巡ったのは、「なんか不味いこと言ってない?」というものだったが、思い返しても特には思い当たらない。「ま、いっか。」となるのが、オバタリアン。何を喋ろうと、本人達はそれが本音だからと居直れる。少なくともこの方に関することで、不味いことを言うはずがない。それほどに お世話になったとの思いが強い。

今宵のメンバーは舞台に立った人間だけでなく、受付を手伝ってくれた人や、外回りで随分活躍してくれた人も居て、彼女たちに御礼を言う会でもあったのだ。

あっという間に時間が過ぎて、お料理終わりが懇親会の終わり。となる。これが主婦連の集まりだなあ~。

まだ疲れが取れずにいるアチクシは、送ってくれる車の中で眠り姫。今ようやく眠りから少し覚めて、斯うしてパソコン前だが、メールや、メッセンジャーで会話が続く。

静かな池に小石を投げ込んだような、ちぇちの公演が、こうしていつまでも長く波紋を広げてくれる。しばらくはこのさざ波に身をゆだねよう。

2015年12月 7日 (月)

ああ、反省猿のこころ。

夕方からDVDの編集会議。収録をして下さったM氏のスタジオに背景の映像を担って下さったT氏とともに訪れる。バイパス沿いの大きなリサイクルショップの奥にそのスタジオはあった。M氏は主に結婚式や、七五三などの記念写真やイベントの記録写真を撮っている。独立してからもう随分経つようだ。所謂自分の城が出来て落ち着いたようだが、なかなか大変だろうとは思う。何事も仕事と名が付けば、苦労もついて回る。

内のメンバーバリトンのMY君とは幼なじみで、そのよしみで我々の公演を応援してくれているお一人だ。色々、仕事の苦労話もお聞きしたりしながら、編集上の骨子は決まった。

 

問題のDVDだが、そのまんまの記録を見ると、当日どうだったかが手に取るように分かる。えっ?というミステイク。これは主に私の責任だ。舞台監督や照明さんにこちら側の意図するところが充分に伝わってなかったということが、いやというほど分かった。この肝心な部分の詰めが非常に甘かった。「あちらはプロ」という意識がつい甘えを生んだ。

あの本番の日、あれもこれもに気と手と口を取られ、肝心のその人達との充分な話し合いが持てなかったのが今頃悔やまれる。確かにそれをやる時間はあったはず。その時の自分に、危機感があれば、絶対やれた筈なのに、、、、、長いお付きあいでもあり、きっと分かってくれて居る、という甘えが、詰めをさせなかった。ああ、その結果。少なくとも4カ所ほど、幕、照明、暗転のきっかけにミスがあった。

勿論余程舞台を分かった人で無ければ、「ん?少し変?」としか分からなかっただろうが、分かる人には完全に分かったはず。これは痛い。

そして今回の一つの実験であった背景の映像。これも、流してくれたT氏曰く、予め入手していた録音のテンポと本番の演奏が30秒もずれていて、予定が大幅に狂い、途中で映像を止めるなどして対応した,と言われる。ナント、そのようなことが、水面下で進んでいたとは!

彼にとっても本番が、相当緊張をしいられる時間になったようだ。

 

最後にお二人が口を揃えて言われたのは、「もう一回やったら、完璧なのが出来ます!」だった。いや~、参った。

 

まあ、お二人のお力で大体においては良くできた画面になるだろうが、、、なんだかねえ。言いたくないけどやっぱり言ってしまうが、あたしゃ、やっぱり年だねえ。

溜息しか出ない。ふ~っ。反省猿の気持ち。

 

それにしても、気になってる出演者の出来は想像より良かった様な気がする。映像のテクニックで、画像はとてもキレイ。衣装も映えているし、みんなの表情もとても良い。全部見たわけではないが、ケッコウ観賞に堪えるものになっているようだ。

お二人によると、心配していた主役の風邪っぴき男は、演技力に於いてとても良かったそうだ。言われて見れば、声に不安はあったが、それを充分カバーしていたと。やれやれ。そう言って貰えて一安心。、、、にしても、舞台は体力勝負だなあ~。表も裏も。

出来た!

夕飯後仮眠して、台本を頑張った。急性蓄膿症のせいか、頭痛が治まらず憂鬱な気分のままだったが、兎にも角にもこれが出来ないと何も始まらない。楽団のメンバーも決まり、チラシの送稿も終わり、次回からの練習日程も決まり、新キャストの心づもりも出来た訳で、これ以上引き延ばす訳にはいかなかったのだが、どうにも体調が優れず、思考がまとまらない状況が続いていた。寝ても覚めても台本の事が頭から離れず、かといって、目がさめるような名案も浮かばないままグズグズと時を送っていた。

これは自分を追い込むしかないと観念して、「花燃ゆ」を見てからそのまま一瞬爆睡。1時間の仮眠は功を奏して意外にもすいすいとキーボードが打てる。

打ちながらこないだの舞台を思い出しては、一人ニヤニヤしている。明日のDVDの編集会議に行くまでは、ハッキリしたことは分からないが、舞台袖で観ていたある場面が思い出された。

それは大フィナーレの中の主役の二人の重唱で、お互いの誤解が解けて、本心が解り合えたときにそれぞれが、自分の過去の過ちを歌で言い合う場面。この音楽の解釈は非常に難しく、練習中にはサッパリ出来なかったのが、ナント本番ではこの二人がバッチリ決めた。テノールが一言置きに歌った後に来る音楽のブレイクが、全く表現出来なかったのが、ソプラノpさんの完璧な解釈で非常に説得力を持った。あれは見事だった。それを本人に伝えるのを忘れて居たことに思いが至った。伊達に練習を重ねてきた訳でないことが証明された。

こういうことが面白い。作曲家が表現したいことを歌い手が理解して、それをステージで具現化することが出来る。これが完成したときの歓びは歌い手自身のものだ。きっと彼女も手応えを感じた場面ではなかったのか。素晴らしい。拍手~~~。

 

それはさておき、今回これから参加することが決まった楽団のメンバーにこの台本や演奏プランを急ぎ資料として渡さなくてはならない。

 

事ほど左様に快復する間がない、憐れなアチクシではある。

2015年12月 5日 (土)

好天が続くも、肌寒し。

今日は午前中に仕事をして、午後はダンスの公演に行く。先日我が団体の指導をして下さったKさんの復活を見るためだ。彼女はなんせ膝の手術をしたばかりでうちの準備に通ってくれていた。もう踊れないかも、、、と呟いていたのがまるで嘘のような凄いダンスだった。あとで伺うと、「やあ、振り付けがよく考えてくれたお陰です。」とどこまでも謙虚。とてもとてもそうは見えなかったし、とっても格好良かった。、、、好きな事をやっている人の独特のオーラが彼女の姿を取り巻いていた。

しかし高松は狭い。ホールに入るや否や、「あら~~~」と何人もと顔を合わせる。どうぞどうぞと一団の真ん中に招き入れられ、先日フラメンコをやって下さったNさんのお隣に座る。右は以前うちに深く関わってくれた演出家のYさん。後ろの席にはこないだの公演で随分とお世話になった舞台の方も。

で、ただでは座ってないアチクシ。早速次回の公演の出演依頼を左のNさんに囁く。「ああ、空いてますね,その日。」とすぐさま決定。右にはその公演の鑑賞に来て貰うという約束を取り付ける。「行きますよ!」と笑顔で言って貰えて、、、、。なんか、充実の時間。

舞台には、もっと驚くことがあった。チラシを頂いた段階で気付くべきが、舞台を観て初めて分かったというお粗末ではあったが、Hさんといって、香川のみならずあちこちで一人芝居を続けておられた香川を代表する女優。私より多分相当年上の方だが、少しも衰えを見せない声量と美しい響きのある声で、よどみなくセリフを繰り広げたのには感動した。素晴らしい。ここにも好きな事を一直線にやって来た人がいた。

テーマは原爆。ダンスの公演にしては珍しい。Hさんの語るセリフの中に、広島弁で語る男性の声があったが、「戦争はいかん。ただ命のやりとりをしとるだけじゃけん。」というのは本当に真に迫って説得力を持った。

 

皆さんと再会を約しお別れして、年内の練習会場を電話で探ったりなんかしつつ、車を温泉に向ける。どうも肩こりが取れない。ゆっくりとお湯に浸かれば少々変わるかと思ってのことだったが、そこを出るときは既に日が落ちかかり最早ゆったりした気分でいることは叶わず、急ぎ行きつけのお肉屋さんに行ってから帰宅。案の定まだ風邪っぴきの夫は寝ている。メニューは焼き肉だったが、敢えて柔らかいのを選んだためか、病人にしてはよく召し上がる。ま、これで病気も良くなるに違いない。

矢張りあそこのお肉は美味しいねと、しっかり食べてビールを飲んだ後、A夫人からメッセージ。「今から夫とご近所の赤○○に行きますけど、ご一緒に如何ですか?」ってねえ~、もう少し早く言ってくれる?と返信。流石の私もな~んにも入りませんとも。きっとおもろい夕食になっただろうに、残念無念。

このご夫婦、一時期はしっかりちぇちのメンバーとして活躍してくれていたが、最近では奥様が楽団員で貢献してくれる以外はとんとご無沙汰の旦那様だった。それが、今回の作品の自分がやるであろう役の内容を知った途端に諸手諸足を上げて参加してきた。まあその結果、彼の予想は的中。誰よりもノリノリで、楽屋の時からノリノリで、あたしゃ、ゲネの時、彼のお尻しか見てなかったという出来映え?我が友人も、「あの人最高だった!今度一緒にご飯しましょう~」と言うほど。はまり役というのはああいうことを言うんだろう。いやはやいやはや。「旦那様、道を間違えてない?」とメールを打った程だ。誰が本業を当てられる?フフフ。

今日夕食時にケーブルテレビの放映があるのを思い出して見てみた。録画したから後から見られると思うので、丁寧には見てないが、ケッコウ要所要所を映してくれている。Fさんの占い師は下からのアップでどんだけ~?というほどに迫力だ。Mちゃんのかわいらしさも充分出てたし、風邪のせいかやたら赤い顔のT君も良い顔をしていた。舞台を縦横に駆け巡るA君の姿は記者の目にもしっかり印象づけられたんだろう。HM姉妹も自由な演技が映し出されたし、、、。こりゃあ、DVDが楽しみだ。

 

 

明日は、昼前に尺八の会に出かけ、午後からの歌会に参加の予定。毎日毎日、、、、あるなあ~~~。

思いやりについて。

今日は好天にもかかわらず、家の中に引きこもり、長時間掃除や整理に追われた。それでも母をランチに連れ出し、某布団屋さんの大バーゲンに行き帰省してくる子供たち用に布団を新調したり、、、、。全くなんでこう遣ることが多いんだろう、やんなるなあ~と思わず伸びない腰を撫で撫で。結局こういう事が大変になって来たのが、年齢のせいだ。以前は20人前後の来客にも嬉々として料理に精だし、部屋の模様替えもそういうときは楽しかった。あのエネルギーは一体どこから湧いていたんだろう?そしてどこへ飛び去ってしまったんだろう?

今回の公演で舞台をやってくれたY氏からのメール。その後体調は如何ですか?とあり、僕はもうダメです。次の舞台で唇が腫れてきました。と寂しい内容。いや、分かるんだなあ~、これが。目の前にやるべき仕事があると、そりゃあ、遣るんだけれども、後がイケナイ。きっと体にくる。

 

世の中にこうして年寄りが居て、若者もいるのがフツウの社会だ。ちぇちぃりぁもそのフツウの社会の縮図のようなものだ。やっぱり若者だけでも、ましてや年寄りだけでもよろしくない。それぞれの弱点を補い合いながらなんとか動いているのが健全な社会だ。

実際、ちぇちで年寄りが居ないと昼間の会場とりや、各種支払いや、印刷物のコピーなどなど、仕事を持っている人達だけでは大変になる。その点H村の人々は毎回の事ながら良くやってくれている。彼女たちはパソコンもそれほどは仕えず、若者のように種々の書類の作成などは苦手な分、それらを印刷したり配布したりを丁寧に嫌がらずにやってくれている。今回の公演に関する印刷物も半端無い数だったし、台本も手作りだった分、彼女たちの負担も大きかったのだ。

そして外部の方々への手紙類はもっぱら彼女たちの担当だった。手書きが必要な物は手書きで、こちらが気が付かないところを担ってくれている。長くやってきて、全体が見渡せるように成っているのも彼女たちの存在感を高めている。

それより何より、私的には彼女たちが練習会場のムードメーカーだという点に感謝したい。この姉妹がいて、練習会場がいつも笑いに包まれるのがどれほどみんなを和ませているか。この私から言いたい放題言われても、ニコニコニコと笑顔で返してくれることで、場が深刻になるのを回避できている。この朗らかさは宝物だ。

こうした人の好いH/M姉妹のお陰でちぇちの練習はいつもほっかほか。有り難いこと。

今回の公演でも、この二人が舞台に立っていなければ、全くイメージが違っていただろうと思う。人生経験を積んだ分、彼女たちの舞台での堂々たる姿は記憶に残る。

最近覚えられなくなったと口癖のように言う二人。実際舞台でもいくらか迷う場面があったようだが、チャンとそれをカバーしてくれる人達がいて、、、、それで良いのだと私は思っている。

私を含めて高齢になり、自然に弱っていく人がいて、それを優しくカバーする人が居る。新人がいて、経験者がそれをフォローする。高度な技術を持った人が、そうでない人を導く場面がある。思いやりが全体を包んだとき、市民オペラちぇちぃりぁは初めて団体として完成するのではないか。

 

弱点の無い人は、一人もいない。

2015年12月 4日 (金)

晴れたり曇ったり。雨が降ったり。

夫が超超多忙で遂にダウン。週末一泊で出かける予定をキャンセルしている。まあ、それが良いだろう。お互い笑えない状況だ。、、、にしても、寝る前にこんな言葉を吐く人が居るのかしら?「さ、景気づけに養命酒でも飲んで、元気で寝よう!」なんて、傑作な言葉を吐きつつご就寝遊ばした夫。余りに変で、ゲラゲラゲラ。それって、出かける人のセリフジャン!?

 

 

水曜日、定例の練習から帰宅すると、とある関係者からのメール。今帰宅したばかりと返事すると、「凄い。もう練習してるんですか?」と来る。いや、これでも間に合うかどうか心配な程だ。

ソロのキャストが3人変更になる。これで実験的に初めて声を出して貰ったが、新鮮でありつつも間に合うのか?という不安も過ぎる。まあ、きっとやり通してくれると信じてはいるが、追い込みが大変かも。

今度は、あんなホールではないから、あらもすぐに分かってしまう。勿論良い点もあるにはあるが、とにかく練習のし直しが必要だろう。

ただ、全ての出演者が一回り大きくなっていることに内心はほくそ笑んでいた。あれほどの過酷な練習の成果が確実に実っている。多分各人に自覚は無いかも知れないが、客観的に観て居るとそれがよく分かる。

今回の公演で、改めてメンバー一人一人の必要性を認識したが、それはともすればソリストや重要な目立つ役割が当たった人と思われがち。だが、実際は舞台上の全ての人が輝く様にと作品を作ったし、何より、裏方は誰一人欠けてもうまくいかなかった程に大変だった。それがフツウのことではあるが、その裏の仕事に想いを馳せることが出来なければ、何の為の活動か?ということになる。この団体は、誰かが誰かを雇って遣っているわけではない。みんなが持てる力を出し合って、一つの物を作り上げているのだ。そこに、「滅私奉公」という古い言葉を使いたがるのが、年寄りだが、、、。

その裏の仕事をしっかり支えてくれた人がいる。T氏の存在だ。訳詞という大変な分野をSさんとともに分け合ってやってくれたが、全曲を覚えるほどにエネルギーのいる作業だったのだ。彼の仕事はそれでは終わらなかった。パソコンをいじれるばっかりに、乱暴に投げ出される私からの原稿を形にする困難な作業に取り組んでくれた。何度も修正を加えたために最後の仕上げにM嬢が相当手こずったらしいアクシデントはあったにせよ。いち早くみんなの目に台本が見えたのは彼のお陰だ。そして彼の行動力にも驚いた。公演の前も後も、招集をかけると一番に来てくれるのが、このT氏とO氏だった。衣装決めのあとには奥様まで参加してくれて、立派な衣装を作ってくれたりご夫婦で参加して下さったようなものだ。衣装部屋で大きな舞台用のハンガーを組み立てて貰ったのは、つい先日。何を依頼しても気軽に、「いいですよ。」と返事をくれる。なんとも頼もしいお方!ああ、私がもっと若かったら!どっかで聞いたセリフだ。ハハハ。

 

さ、週末の歌会の為の作詠に取りかからねば。新しい台本作りにかまけていて、締め切りを過ぎてしまったが、、、、。笑って赦していただこう!

2015年12月 1日 (火)

ちぇちの屋台骨、一本増。

夕べ、温泉効果でさぞかしぐっすり良い睡眠が取れるだろうと気分良く床に就いたが、1時、2時、3時になっても全く眠れない。仕方なく本を読んでみたり、音楽を聴いたり、今頃どうかと思ったが睡眠導入剤まで飲んで、、、、あれこれやってみたが全く効果なし。遂には5時の時計の針を見てぞっとした。こりゃあ、今朝のFMは声が出ないだろうなあ~、、、、

予感通り、声を出すのが苦しい。そこは常連さんのよしみで、「スイマセン、私、只今声をやられてまして、思う存分お喋り下さい。」とお願いする有様。こういうのに対応して下さる方で、ホントに良かった。2本分、1時間半ほどスタジオに居て、ミキサーのO氏と外へ。今日も暑いくらいの良いお天気。

O氏が初めてというので、うえはらのうどんを食べに。讃岐人らしく、ここの何が美味しいとか、しなくても良い宣伝をして、美味しく頂く。因みにここは出汁が美味しいのとこんにゃくの天ぷら。大揚げ、そして香りの良い七味。

O氏も今回は本当に裏のお仕事をよくやってくれた。「こんなのが欲しいなあ~。」とつぶやくと、「やってみましょうか?」との軽いお返事。次の日にはもうそれが形になって表れる。小道具関連で悩んでいるとき、必ず助けてくれる。それだけではない。様々な一覧表を、簡単に説明するだけで、すぐに思ったような表にしてくれる。音源の準備もかなりの作業量だと思うが、練習用や、記録用をすぐさま作ってくれる。何より、毎回の練習時に、重たいキーボードを何処までも運んでくれた。イヤな顔一つせずに。、、、このお方私と同年齢。リタイアして、時間がありますから、、、と言ってくれるが、時間があってもやらない人はやらない。3K、きたない、きつい、危険な作業は全て率先して名乗りを上げてくれた。きっとポケットマネーも大分使っちゃったんじゃないか?本当に有り難い。

大学時代は合唱部だったとか。音程もしっかりしているし、今回初舞台だったIさんも随分助けて貰ったようだ。素晴らしい。

70歳前後。みんな若い頃こういう教育を受けてきたんだ。自分が出来ることは率先してやる。リスクを考える前に行動する。今やるべき事は、誰よりも先に手を挙げる。自分が誰かの役に立つ人間でいること。決して恩着せがましくもなく、淡々とひょうひょうと。。。。今回、この方の笑顔にどれほど助けられたことか!

Oさん有り難う!

今年も終わる。

家の中はそうでも無いが、外に出た途端、「暑い?」と上着を脱いでしまう。最近珍しくないことだったが、今日は特別それを感じた。午前中のシェイクスピアを観る会の予定をクリアして、続く忘年会ランチも一応滞りなく終え、帰り際にKと交わした約束を忘れ帰宅するというハプニングもアリながら、おお、予定がこなせた!という歓びに浸る。ぽかぽか陽気は人を狂わせる。

ついつい母に電話して、「今日は思い切ってレオマまで温泉に行こうか?」と電話してみる。すると案の定退屈していたらしい母がすぐさま乗ってくる。、、、しかし、それから10分、暑いほどの車中に居ると、段々気分が悪くなってきて、このまま遠方まで出かける自信が無くなってきた。どうやって母に変更を伝えようかと内心グズグズと悩んでいると、流石母親。以心伝心。「遠くまで行っても、この時間からじゃあ折角の秋景色が見えないから、次にしよう。」と言ってくれる。あっという間に解決して、一宮のきららまで。とても空いていて、こりゃあ正解だったなあ~とゆっくり入る。誘ってもなかなか温泉には行きたがらなかったが、今日は素直に喜んで入ってくれる母。久しぶりに背中を流し、洗髪をし、手を引いて露天風呂までも。最近に無くこれはヒットだった。いちいち喜ぶ母に、又来ようと何度も言ったことだ。湯上がりに夕食もとり、ノンアルコールで乾杯。。。おっと、今日は二度目のノンアルコール乾杯だった。

自分自身も肩こりが少しほぐれた感じ。これで明日のFMはましな声が出るかなあ~。ちょいと長引かせすぎているからなあ~。

 

今日は別なイベントにも行きたかったが、タイミングが合わず残念。12月に入ると、メチャクチャ行事が多くなる。全てに行くのはムツカシイが、ある程度は行かないと、という想いもあり、多分いくつか行くだろう。

それまでに体力を調整しとかなくては。

みんな頑張ってる。

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