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2015年11月

2015年11月29日 (日)

さて。

今日も今日とてお借りしていた物の返却を兼ねて、そして母のお守りも兼ねてランチ。なんとなく昨日を引きずっている感じで、我ながらおかしいほどに体調チェ~ック。それでも店主に、「ご成功お目出度うございます。」と挨拶されて、おお、あれは成功だったのか?と急に元気が出る。

 

それにしても、家の中がメチャラクチャラだなあ~。一部屋ずつなんとかしないと、すぐに子供や孫達が帰ってくる。母は、孫にあれもこれもと施設で作った物を大事そうに用意している。物は全く大した物ではないけれど、その気持ちが嬉しい。有り難いことだ。って、自分だって、バカみたいにしょうもない文房具やなんかを、あの子達が帰ったら、、、と備え置いているもんねえ。どっかで待っているんだなあ~。

 

次回の作品は、少々コンパクトになる代わりに、内容を濃くしなくてはいけない。そのためのアイデアが、浮かんでは消えている状態だが、一つの結論が出た。それは、「愛」を全面に出すということだ。親子愛は勿論、兄弟愛、主従の愛、人間愛、そして男女の愛。。。。そのために、あの人を巻き込もうか、、、この人も良い味が出そう、、、、と人材に想いが行く。メンバーは歌う事に全力を注いで欲しいが、演出面は今のところこっちの責任だ。ホールに助けられることもなく、プロの照明が入るわけもなく、こけ枝さんも居ない。それでも、何とか充実したステージを繰り広げなくてはならない。お客様を飽きさせないで、原作の面白さを展開したいものだ。

 

どっか温泉で、おこもりしたいなあ~。

2015年11月28日 (土)

唸る私。

若さというのは、無くした今になって本当にその価値が理解出来る。老いるということにそれ程悲観しているつもりはない。少々皺が増えようが、背中が曲がろうが、物忘れが頻繁になってこようが、まあ、しゃあない。と思っている。がしかし、今回の公演後の若者達との違いは、これでもかと自分の老いについて目の前に突きつけられている。

今日など、朝衣装部屋の整理に行くと男性二人のみの参加。1時間ほどあれこれやって、借用していた小道具の返還を兼ねてとあるレストランへ移動。長々とお喋りしているときから、妙にだるい。あとで整体に行こうと決めて彼らと色々話す内、どうも雲行きが怪しくなって来て、唐突に帰り支度。、、、こうして、メンバーとゆっくり話す機会が殆ど無くて、これはこれで良い時間となったが、まあだるい。

予定通り駆け込み寺よろしく目的地に行くと、先生はじめ皆さんが、「お疲れでしょう!?」と声をかけてくれる。そうなんです~、と言いつつ施術中は,多分寝てたか。それも定かで無いほどあっというまに終わってしまった。こりゃあ帰って寝た方が良いなあ~と急ぎ帰宅すると、友人Kから電話。公演が終わるまで待ってたのよ、と言われいらっしゃいとなる。ところが、やってきた彼女のカラリングやカットをしているとき、恐ろしいほどの冷や汗。ヒートテックがびっしょり。顔色が真っ青。あっちゃ~、こりゃあなんだ?とばかり、血圧を測ってみるとやたら低い。吐き気もするし、、、、寝た方が良いわよ、とKに言われ、そうする!と答えたところにデイサービスから帰宅したと母からの電話。「今夜は夕食は要らないよ。」と言う。何も言ってないのに、以心伝心か。今日ばかりは母の面倒を見る余裕が無い。Kに食料を運んで貰う事を頼んで、寝ることに。

横になっているとFBやらメールやメッセンジャーが飛び交って、若者達の行動がつぶさに分かる。みんな元気じゃん!?風邪っぴきさんでさえ、寝てるわけじゃない。仕事は勿論旅行中のお方も居る。ほ~~。凄いなあ~。

ちょっと前までは、アチクシもこうだった!あの頃はもう戻らないのか。

一つには薬の副作用が原因かも知れない。何しろ薬漬けの毎日だった。

 

後片付けどころか、次の公演の準備すら、遅々として進まない。3月に同じ物を焼き直して演じることに成って居るが、、、、。その前に、コミセン祭りに出演。3月はミューズホール春の音楽祭もある。、、、、どうするの?ってかんじ。

 

何をやるにも体力だ。う~~む。

2015年11月26日 (木)

茶話会。って!

本来なら、反省会と名付けるべき公演後の初めての集まりを、茶話会としちゃった!確かに、お茶飲んで、お菓子食べて、感想を言い合うだけのものではあったが、、、。疲れが出ているのもあって、何とか次回の計画を話し合うのがやっとだったという次第。

今回ほど、アンケートやメールでお褒めの言葉を頂いたこともない。そのせいだろう、これは。

主役の男Aは完全に風邪っぴきで、マスクの奥からゲホゲホやってるし、その状態で会計係の職務を全うしている。誰もそれを手伝おうかと言う人もなく、、、みんなの眼前で孤独な作業を黙々と、いや時々ゴホンゴホン言いながらやっていた。いやだから、今どうしてもやらなくても、、、と言いたかったが、せっかく遣ってくれているんだから、そ~っとしとこ。の想い。、、、この真面目さが、時に災いする。昨日も言ったことだが、主役というのは、誰もが出来るものではない。勿論力量もさることながらそれ以上に必要なのは自己防衛本能ってやつだ。本番までに自分をどうキープするか、最高が望ましいが、なかなかそうも行かない事は多々ある。が、矢張り最高に近いところまで、自分を高め、それをキープし続けるというのが、主役に課せられた大きな使命だろう。

我々は裏も表も自分たちでやっている関係上、通常の歌手のようにただ歌っていれば良いということにはならない。だからこそ、極力一番優先すべきが自分の歌だという認識を持ってないと、健康や体調、声の調子が後回しになりかねない。そうなってから、舞台で100%力が発揮できなくて、悔しい思いをするのは自分自身だ。時にわがままでも良い。それをわがままだと思う人は誰もいない筈だ。時間切りでやるべき事はさておいて、そうでもないことは、誰かに手伝って貰うことも必要だろう。ここで、声を上げられないご本人も気の毒だったが、メイ アイ ヘルプ ミ~?と声をかけてあげる人が居なかったのも、残念なことだ。ま、他の人にもそれほど余裕が無かったということでもあるなあ~。

今回の主役の役所が、この真面目で誠実な人物として描かれていたから、それには全くぴったりだったが、、、。

が、今日になって段々彼の舞台上の事が感想として寄せられてくるのを見ると、なかなか迫真の演技をしていたようだ。声は迫力に於いて、最高ではなかったようだが、少なくとも観客に風邪を引いてるとは思われなかったようだし、声に心情が乗ってて好感が持てたと言われた。、、、ご本人は落ち込んでいるから、こういうのを少し伝える必要があるなあ~。

初めての主役。初めての長い台詞。初めてのラブシーン。何もかもが初めてだらけの彼にとって、そこまでの評価が貰えたのなら、バンザイ!だ。なんせ、いつだったかの公演で、こけ枝師匠の座布団を下げに行って間違って拍手を貰ったのが、この団体に入るきっかけになったというオヒトだからなあ~。

 

ある人からのメールに、「頑張ってる彼もステキだったが、その彼を優しく包んであげてるお相手のソプラノの気遣いもステキだった。」とあった。「愛」が見えたそうだ。

 

最高ジャン!?

2015年11月24日 (火)

演出家の一人言。

ある来場者から、涙あり、笑いありの楽しい舞台でした、と言われて、おっ?涙!とそこに反応してしまった。これが今回の一つの狙いではあったが、じ~んとしてくれた人がいたということは、誠にメデタイ!それは、とりもなおさず主役達の演技力が本番で初めて花開いたということだ。

笑わせるのはこけ枝師匠にお任せするとして、矢張りシリアスな部分は歌い手の縄張りでなくてはならなかった。が、ここに大いに手こずった。何しろ照れて照れて、ラブラブの雰囲気は全て吉本調に。軽くと言うと軽すぎるし、、、、手を握るのも出来ないところからだった。なかなかこちらの思うようにはならなかったが、やっぱり本番の力だなあ~。練習の最後は、「お互い本気で惚れてよ!公演が終わるまでは!」な~んぞという無理難題な檄を飛ばしたほどだが、、、。

しかし、遂に本番ではしっかりやってくれた。ゲネプロの時にそれを見て、既にウルウル来てたアチクシだったが、本番では袖で覗くことしかできなくて、ホントのところが分からなかった。二人が抱き合った時にお客様から、拍手が湧いたので、どうやら「本気」が出た様だと安堵したもんだ。見たよと言う人から色んな事を聞かされて、初めておおよそが分かったということだ。

 

ところが、笑いの部分で活躍してくれた人が居た。意見を聞いた人のほぼ100%がお屋敷の従業員のMH二人を褒めてくれた。特にMはあの人が出てくるとメチャクチャ可愛くて、面白かった。あれは大成功ね。。。どうよ!と私は内心勝利の雄叫びだ。それというのも、Mにああいうことをして欲しいとやんわり持ちかけると最初はかなりの抵抗に合う。まあ、確かに、それも分からなくはないが、舞台を全部見渡せる私の意見を通してよ、と無理矢理やってもらったもんだ。案の定全てかっさらっていった。お客様の記憶に最も色濃く残ったのではないか?あの帽子を赤くさせて貰えたら、もっと良かったと思うけどねえ。

結局、こういう発想は過去に沢山の舞台を観てきた事から来るもので、自分の中では自信があるが、自分が演じるわけではないからナットクして貰いつつというのがネックだ。それほどワンマンな演出家ではない。本人のやる気をキープしつつ遣って頂かなくてはならない。ま、こういうことを重ねつつちぇちぃりぁ劇場は続いてきたのだ。

ダンスの振り付けの方に御礼のメールをしたが、返事が面白い。「一時はどうなることかと思いましたが、、、、皆さんのお人柄の良さと真面目さ、一生懸命練習された事が舞台に出たのではないでしょうか。」全く。10歳の女の子が袖で全部躍って居たのには驚いたが、それほどみんなが覚えられなかったということだ。、、、要所要所にこうしてプロに入って頂く事の意味がここにある。

 

先ほど、薬漬けの生活からの脱却を願って思い切って温泉に入ってきた。ついでにそこで暇そうにしていたマッサージをやってもらう。若い人だったが、ケッコウ壺にはまった良い施術をしてくれる。おまけに自宅だやる体操まで教えてくれた。(それほど暇だったってことだ。)いやあ~、非常に体が軽い。これは正解だったかも。

 

一日中短歌を出そうか出すまいかと迷っていたが、どうもこれに集中する時間が無い。昼間は本業だったし、、、。すっぱりと諦めて、来月ちとましな歌を出すことにしたら、気持ちが軽くなった。

さ、本日は休ませて貰おう。

終わったけど終わらない。

確かに本番は終わった。若くないから、翌日ぶっ倒れることもなく、予想していた翌々日の今日も何とか動けている。昼間ちょいと仮眠したのが間違いで、そこからぼ~っとしてはいるが、まあこんなもんだろう。

何故本日生きて居るかと言えば、友人の変わった差し入れのお陰。一応「薬」らしいが、白い小さな玉を割り、その中の金箔を貼った練った薬を4つほどに切って、口の中でニチャニチャニチャ。すると朝鮮人参系の凄い臭いが口中一杯に拡がる。「効く~~~っ!」と走り回りたくなるような強烈な臭い。しかし、まあ、これで甦えれるならと、昨日と今日服用してみた。すると!どっか~んとした疲れが来ない。一番底まで沈まないうちに水中を浮遊している感じ。とりあえず、寝込むことからは救われている。かなり高級な薬らしいが、、、、世の中には色んな物があるんだなあ~。

 

色々頂き物をしてしまって、その方々に御礼の電話をず~っとしているが、皆さんお世辞にしても良かったとの大賛辞を頂く。舞台ももくろみ通り行った様だ。DVDを見るのが楽しみになって来た。

それというのも、背景に映画の要素を取り入れたことが成功したということだろう。この構想を初めて映画監督にした時、しばし唸っていたが、「それ、なんか面白いですね。」と答えが返ったことを思い出す。

同じ話を舞台のプロや照明のプロに話しをすると、これ又しばし沈黙。出て来た言葉が、「要するに舞台にお金をかけたくないということですね?」とシビアなご意見。いや、勿論それもあったが、こっちの考えてることはそれだけではない。ただ費用をかけないだけで、オペラ、オペレッタの面白さが表現できるとは思って無い。総合芸術こそが、このジャンルの特徴だ。お金の代わりに知惠を使う。お金の代わりにエネルギーを使う。ということに他ならないのだ。

長い時間をかけてようやく思いが通じた所からステージの構想がスタートした。思えば長い1年だった。

 

結局今回の公演が、予想外に成功したことの最も大きな要因は、「人脈」だ。ありとあらゆる方面の方々の応援が一カ所に集中して、その人々の熱意がステージを作ってくれたということだ。ステージだけではない。受付から、楽団、ダンサー、合唱団の人々。ヘアーメイクに衣装さん。小道具を作ってくれた人などなどほぼ全員がボランティア精神での参加だった。写真や印刷物もしかり、もしこれが、全てビジネスライクな交渉の末の実現だったら、とても我々のような弱小団体がお願い出来ることではなかった。第10回目の落語ぺら。ここに来て最も熱い応援の中での開催となった。

そして当然のことながらメンバーも頑張った。小道具類を完成させるのは器用な人が担当。中には奥様に裁縫までして貰った人も居る。別に衣装を揃えるためにあちこちのリサイクルショップを連日廻った人達。練習会場を探してはプランニングをするという作業で走ってくれた人達も居る。印刷物も殆どがメンバーの仕事だ。最後を仕上げてくれるのはプロでも、そこまで作るのはメンバーだ。各方面から色んな物を借用してきた。,,,現代劇に仕立ててホントに良かった。

 

長く生きてきて、ここ高松に長く住み、どういう才能を持った人達がいるかということをある程度は知っているということが、作品を作る上で非常に役立った。自分の描きたい物語の中にすいすいっと入ってくれるだけでなく、こういう人達には思いがけない物心両面を助けられた。有り難いことだ。私たちはなんと果報者か!?感謝の気持ちを表しきれない想いでお別れしたが、、、、。

昨日今日とそういう方々と電話でお話しさせてもらうと、驚くほど謙虚で、「楽しませて貰いました。」とおっしゃる。なんと有り難いお言葉。最初から最後まで、人、人、人、、、、であった。

 

さあ、これからこの作品の新バージョンを作らなくてはならない。3月の公演の為だ。全くホールとは違う空間で、どこまでやれるか、、、。

又してもチャレンジだ。

2015年11月21日 (土)

昇華して行く我が心、、、。

あまりの忙しさに、病気の方が、ここにいては為にならぬと逃げ出したか、喉は未だに真っ赤っかだが、気分は悪くない。とりあえず、心は軽い。遣るだけやったという感じ。泣いてもわめいてもここまで、と悟った瞬間に覚悟は決まった。

この最中、どうしてもお断りできないお客様の施術をさせてもらう。親戚から送ってきたと言って餅米や、ご自分が炊いて冷凍していたというあんこまでお持ち下さる。そしてわざわざ、珍しい大師餅とかいう麦の一種で炊いたおにぎりまで。余りに有り難くて最敬礼。、、、だから、ますます忙しいけど、こういう人の心に触れることで返ってって元気になれるんだ。元気さえあれば、人は動ける。元気とは元々ある本人の気力のことだろう。そこが力を吹き返すと、人はどこまでもやれるってことだ。

 

まあ、しかし。頭と体は繋がってないなあ~。

楽屋で捜し物、プラス、おとといから我が指定席の客席と楽屋を行ったり来たり。若い子達にそのたんびに、「ええ~っ?」と叫ばれてしまう。ま、しゃあない。とりあえず、あたしゃ古稀なんだ。と居直ってみる。

10時解散して、空腹のままで寝たくないと思い、ローソンへ。おでんを買い、豚まんを買い、帰宅したら独居老人宣告を受けた亭主殿が、ビールのあてにと、自分の食べ残した物を置いてくれている。当然買ってきたものだが、ほうれん草だけは有り難く頂く。そのローソンで、お会計まではキチンと出来たのだが、ナント、外まで買い物カゴを抱えて出てしまう。店員さんに呼び止められるという所までには気付いたから良かったが、、、。やれやれ。しかし、案外おでんが美味しい。

 

こういう事をやっていて、つくずく思うのが、人は客観的に自分を見ることが非常に苦手な動物である、ということだ。まあ、外から普段の自分を見ていつも良い気分で居られるのはナルシストくらいなもんだろう。だからこそ、こういう機会にその訓練をするんだ。自分というぬいぐるみの中からどうやって外に出るか。このテーマがクリア出来たとき、怖い物は無い。それぞれが演出家になるということだ。

そういう困難な作業をし続けてきた出演者たち。いよいよ明日という日が終わる。今頃、眠れているんだろうか、、、。

 

朝からずっとメールやパソコン、電話の応対などでてんてこまいまい。その中で、次なる予定の書類を作成したり、案内ハガキを出したりと、我ながら呆れるほどのツミツミな時間。、、、しかし、こういう忙しい時の方がものごとが捗るから不思議だ。

さ、よく寝て、明日は残った力を全力投球だ。

 

沢山来てくれるかなあ~。

2015年11月19日 (木)

ホール入り前夜。

明日はホールを借りての最終リハーサルだ。長い長い練習期間が、ようやく終わる。吾が体調も何とか持ちこたえてくれて、今日も耳鼻科に行き、追加の薬を最後と思って頂きに行く。少しは声も出るようになり、練習場では声変わりのカラスの様な声で歌ってみた。別に本番声を出す訳ではないが、歌の声を体に思い出させて喋り声を良くしようという試みだった。多少の効果はあったかも知れない。

昼間は受付を統括してくれるという友人にランチをご馳走しつつの打ち合わせ。永いことお世話になった感のあるこの友人Yが、今回が最後とばかり出張ってくれることに。このお方の能力は素晴らしいが、専業主婦になって久しい。もったいない、と私なんかは思ってしまう。せめてこういう事に力を発揮して貰おうじゃないの!てなことで巻き込んでる。

お次は屋島まで絵描きさんにキャンバスやら画材道具をお借りしに出かける。濡れてたらいけないでしょう?としっかり乾いた絵とパレットまで。そこに気が付くのは彼女も芝居好きだからだろう。有り難くお借りしたが、驚いたのはイーゼルの軽さ。「あら、今はみんなこれよ!?」と言われて、そうだ自分が絵を描いていたのは大昔だったと気付く。なるほど、これなら軽くて便利。時代は変わった。

お次は同窓生の印刷屋さん。パンフレットが完成したとの連絡が入ったため、車をぎゅい~んとそちらに回す。そこまでず~っとYに付き合って貰ったのは、車の道順を考えてのことだったが、Yの曰く。「あんたが居眠り運転しないか見張ってあげるから。」というものだった。いや確かに。。。ところが、そのYを家まで送ってからハタと気付く。あちゃ、耳鼻科に行かなくっちゃあ~。出又ま反対へと車を回す。なにやってんのかねえ~と一人言を連発しながら、、、。

道中今回も無理を言ってる美容師から電話が入る。今夜の練習時に頼んであった物を持って行くからと。

 

先日のラジオの生放送に出た時に言われたこと。「そのエネルギッシュにはみんな巻き込まれますよねえ。」まさにそうかも知れない。よくぞこれだけの人々が協力して下さるもんだ。ひたすら感謝。

 

この巻き込み型人生あればこその、これまでの公演だったと思う。勿論自分だけではなく、メンバーのそれぞれの交友範囲が全てその協力体制に入ってくれてのことだ。そう思えば、なんと贅沢なことをやって来たんだろうと思う。目の先人参のお馬さんよろしく、ひたすらやるべき事を前に突っ走ってきた。

明日は盛大に鳴くこととしよう!「ひひ~~~ん!」

2015年11月14日 (土)

光陰コンコルドのごとし。

恐ろしい事に、次のスケジュールのための原稿書きに入った。これは公に出す物だから、時間制限がある。例え体調不良でも出さない訳にはいかない。ここで一切寝られないのが、グズグズと病を引っ張っている。今日は一歩も外に出ず、メンバーにホールの打ち合わせに行ってもらったり、夫にお刺身を買ってきて貰ったり、ひたすらパソコンだ。

 

当日までのスケジュールや、本番の日の予定など、やるべき事が山のようにある。いつもこういうこと遣ってた人が引いて居る今、その能力のあるMさんはソリストの一人。滅多なことを頼むわけには行かない。、、と悪戦苦闘して、色々作っていたが、心配してこの作業に入ってきてくれた。やっぱりねえ。こういうのは若い人に限るなあ~。も~~無理。

 

レストランの椅子を運んでくれた人も居る。その人の都合に合わせて、舞台関係者にご足労願うことに。その辺の段取りも全て電話やメール。まあ、便利ではあるが、休めないなあ。

明日は12時~23時までの練習。まじで身が持つか?

 

気力あるのみ。さ。寝る。

2015年11月13日 (金)

ようやく光が見えてきた、、、。

本日はソリストのみの練習。なんといっても、ここがしっかりしてなくては話にならない。「恥」を捨て、「照れ」をどぶに投げ込み、なりふり構わず演技に没頭して欲しい。

みんな、分かってないと思うが、こうして段々出来てくると、揃って顔つきが良くなってきている。美男美女に、内容の濃い人物に、魅力ある人になって来て居るんだ。真剣にやれば遣るほどいい顔になってくる。少しでもそこに欺瞞や、上っ面の演技が混じると、観てる方はサブッ!てなことになる。不器用でも良いから、真剣に、自分の役を追求して欲しいなあ。

あと1週間。どこまで出来るか、、、。

 

 

どうも寝苦しいし、顔の調子が悪い、、、と思ったら、急性蓄膿症だと言われてしまった。疲労から来るんだそうだ。生まれて初めてついた病名。夫はこれの手術をしたし、子供達も慢性アレルギー性鼻炎だから、これでようやく病気も家族共通になっちゃった。ここんとこず~っと薬漬けで段々胃の調子も悪くなってきた。薬嫌いがここまで飲むようになるとは、、、。信じられない。

 

日曜日は全員が集合しての大きな練習日だ。さあ、明日は少し休養だ。

2015年11月12日 (木)

アア、七十歳!

本日シャンソン教室を終えてから、今回外部から協力して下さる方をご訪問。ボランティアでのご参加の上に、チケットまでご購入下さるという。何というご親切。涙が出る想い。

しかし、そこを出てからイマイチな体調を何とかしてからラジオ生放送に出演しなくてはならない。今日は完全予約の日にもかかわらず、通い付けの整体院に泣きついてみる。先生は唸りながら予約を入れて下さる。その時点でなんとかなりそうだと安心した。

昼を一人で食べてから急ぎ駆け込み声が出るところまで調整して貰って、いざ出陣。

この放送局は夫の昔の職場でもあり、知人も多いので矢張り緊張。皆さんにこやかに親切に迎えて下さるし、夫のことも自然と話題に。そんな和気藹々の中、いざスタジオに。、、、インタビューは慣れているが、どうもされるのは苦手。言いたいことが半分しか出てこない。まだ肩こりが充分取れてないのもある。思考力においてイマイチな状態だ。しかし、なんとか導いて貰って、所謂宣伝は出来たかも。

大きな溜息と共に駐車場に。スマホの電源を入れた途端、「聞いたわよ」の電話が入る。さすがマスコミは凄い。「声?ちゃんと出てたわよ。」と言って貰えて一安心。

そこから買い物に周り、急ぎ夕餉の支度をしたらもう練習時間だ。食べるのもそこそこに飛び出す。とりあえず漢方薬だけは忘れずに飲んで出かける。

 

練習は、完全通しをやるという予定通りの事をしたが、、、、時間だけは予想通りだということが分かって一安心。

 

全体が少し流れるようにはなってきたが、どうしてもささいな事で集中力が切れて、せりふが出てこない、歌の歌詞を間違える、、、などあり。むむむ、、、、こっちが焦ってきた。

 

疲れ切って外に出ると、差し入れに来ていた友人Kが自分の車の上に何やらバッグの中身を片っぱしから広げて捜し物。「どうしたの?」と声をかけると、どうやら車の中にキーを閉じ込めたらしい。ぎええ~~~っ?と叫ぶと、もう一台妙に満杯の車が停止している。近づいて、「どうしたの?」と聞くと、同じくキーを閉じ込めた人を乗せているという。あっちゃ~、若くてもそういうことやるんだあ!と言いながら、そっちはJAFを呼んでるというので、こっちは結局Kを一度送っていきスペアのキーを取ってくることに。

練習会場から20分の位置にある彼女の事務所。そこから店舗まで移動して大急ぎで鍵を開けようとしているK。しきりにガチャガチャやっている。

こっちは何という一日。とその間車中でしばし放心状態。しかし、妙に遅い。三度目「どうしたの?」と叫ぶと、「鍵が開かない。お姉ちゃん開けて!」と来る。「はあ~?」と答えながら焦ってるとまあそういうこともあるわな~と、おおらかなアチクシはやおら車を降りて、鍵の束を預かる。なるほどどれも開かない。しかし、入り口はもう一カ所あるというので、そちらをいじくっていたら、ナント開いた!その間彼女は従業員をたたき起こして鍵のありかを聞いて廻っていたが、開いたと知ると今度はお詫び電話だ。やれやれ。

先日このお方は70歳におなりになった。私よりも少々お早いが、まあ似たようなもんだ。なんせ同窓生だ。

いやあ~、七十はあなどれない。母に言わせるとこの大台を超えるとまた落ち着くんだそうだが、、、、どうもおかしい。自分を含めわが周辺の同窓生を眺めてみても、深刻ではないが、ちょいと怪しい。

毎日毎日自分を笑わない日が無い。外出先から家の夫に電話して、捜し物をして貰う、なんぞというこれまで遣ったこと無いことをし始めた。ヤバイ。

先日なんか、「皆さん、悲しいお知らせがあります。わたくし、認知症になりました!」と宣言している夢のような妄想のようなものが頭を巡ったこともある。ま、一種の不安症かも知れないが。

 

こんな泣き言を言うと、決まってある10歳年上のおあねえさまに鼻でせせら笑われるが、、、、、、。

 

ま、全てはなるようになる。

2015年11月 8日 (日)

雨音に混じる車の走る音、好きだなあ。

雨が降っている。久々のまとまった雨の様でもあり、すぐ止みそうな弱々しい雨のようでもある。それほど寒くもなく、、、、やるべき事を目の前に、お風呂に入ろうか入るまいかと悩んでいる。「入って死ぬ人は居ても、入らなくて死ぬ人は無い。」と言われたが、なんだかねえ~~。おもいっきりゆっくり温泉にでも浸かって、全身をゆるめたい気分だが、、、。この体調では,ガマンかなあ~。

 

明日はいくつか予定をキャンセルして、練習さえも行かない予定。音楽中心の練習日として頂くことに。

 

主役の男二人がようやくテレながらもヘアーを変えて変身してきた。抵抗しつつも仕上がってみると自分でも格好良くなったことに満足の体。だから、言わんこっちゃない。役作りに外見は欠かせないんだから。ま、これでようやく、ちぇちにしては珍しいシリアス系ラブコメディに近づけたか。、、、う、手間が掛かる。照れん坊の二人。

 

さ、寝よ。

2015年11月 6日 (金)

静から動へ。

生命とは不思議な物だ。風邪を引いて、何も出来ず、ボンヤリしていると、つくづく身体というものを考える。永い人間の歴史の中で病気がどんどん治るようになって来て、こうして吾が肉体も薬のお陰で徐々にフツウに戻りつつある。医学の事はさっぱり分からない素人からすると、ホントに不思議なことだ。自然治癒力なんてのもあるようだが、それでも薬の力は大きい。どうやってこんなことが出来る様になったんだろう。医学は凄いと思うと同時に、人間の長寿への願いも相当なものだと思う。

 

ベッドにばかり居て、眠るばかりも出来ず、電子図書を読み始めた。たまたま手が触ったのが、漱石の「草枕」。高校生時代に読んだ記憶があるが、今読んでもなんと難しい言い回し。漢字なんかはきっとすっ飛ばして読んだに違いない。

「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される、、、」この言葉に感動してから半世紀。今も新鮮な感動を覚える。

が、まあ、全体にもったいぶった言い回しの文章だ。一つの事象を述べるのにこれでもかと角度を変え、手を変え品を変えといった具合だ。面白いことに記憶にあるのは、まるで絵や映像を思わせる部分が殆ど。そこはしかし鮮明に甦る。主人公が温泉に浸かっているときに湯気の向こうから女体が現れる下りは、その言葉の隅々まで記憶にあるから不思議だ。

この電子図書は、字が大きいのが有り難い。校正もしっかりやっているらしく、所々漢字の修正箇所がある。余程の文学好きがボランティアでやっているんだろうか。、、、このぶんだと、将来寝たきりになっても楽しみは残るなあ~。

 

久しぶりに駆け込み寺のような耳鼻咽喉科に飛び込むと、院長が懐かしく迎えてくれる。丁寧に話しを聞いてくれて、体調を心配して下さる。先生のお顔をみたせいもあったのか、頂いた薬はとても良く効いたようだ。あれほどバリバリだった体が嘘のように和らぎ、喉の痛みも無くなっている。今夜一晩しっかり睡眠をとれば明日は完全復活か。

 

まだまだ、使わなくてはならないこの体。だもんねえ~。

2015年11月 4日 (水)

鬼の霍乱?

別に自分を鬼とは思わないが、遂に風邪を引いた。全体を見回して、ちょっと形が出来てきたと思った油断からかも知れない。殆ど渡すべき物は渡したと思ってはいるが、あとは自己責任で、覚えて欲しいし、自分なりの成長を願っている。

とはいえ、舞台芸術は終わりがない。これで百点満点、なんてあるはずがない。多分本番が終わっても、まだやり残した感がふつふつと湧いてくるに違いないのだ。

二日間練習をお休みして、今宵参加したが、やはりまだまだ体調がふるわない。ここで無理したら、後が怖い。静養することとしよう。早く寝ろと夫の声が飛んでくる前に動きたいところだ。只今11時。

葛根湯さまさまだ。

2015年11月 2日 (月)

日韓合同の映画に泣く。

今日は久しぶりに映画を観て大泣きした。「ザ・テノール」という事実を元に作られた話。予め、おおかたのストーリーは知っていたが、それでも大いに感動して泣きに泣いた。おそらくは、自分がまがりなりにも歌っているからかも知れない。同行した人も歌好きだ。隣で涙を拭っているのが分かる。

主人公の韓国人テノールが、天才の呼び声高く将来を嘱望されて世界中の舞台へと飛躍しようとする矢先、癌の摘出手術を受けて声帯が片方麻痺してしまい声を失う。厳しい努力をして技術を磨き、手に入れた物を失った時の彼の失望と落胆に、同情せずには居られなかった。一方で映画を観ながら、少なくとも現在歌が歌えている歓びを噛みしめた。有り難いし、大事にしなくてはならないと思った。「歌える幸せ。」仇や疎かには出来ない宝物だ。

宝物と言えば、この映画の中にはいっぱい宝のような言葉がちりばめられていた。「歌は何の為に歌うのか?」「テクニックを見せるために歌うのではない。」「心を伝えることが一番大切。」「人は伝えたい想いを真剣に歌う姿に感動する。」,,,現在、歌っている人全てに共通する言葉の数々。

この映画の全編を貫いているのは、ただ「愛」だけ。愛に始まり愛に終わる。、、このテーマが素晴らしいテノールの歌声によって見る人の心に激しく迫ってくる。それは、「あなたはホントに歌を愛していますか?」という問いかけと共に、「あなたは、本当の人生を生きていますか?」という問いかけにも取れる。、、、彼は真剣に歌を愛し、絶望から這い上がり、真剣に人生を取り戻した。家族や友人の助けに支えられて、、、。

アリアはトゥーランドットやオテッロ、イルトヴァトーレなど有名どころばかり。コッソットのアルトも凄かったし、完璧な歌唱で歌われる歌の数々に、あまりこの手の音楽に興味が無かった人も魅了されたことだろう。映画が終わった途端サンポートホールには拍手が自然に湧いた。

 

近年に無い感動で心が満たされて、昼ご飯も食べないでお腹いっぱいな二人。その足で今度はヴァイオリンとピアノの演奏会にと車を回す。

こちらは大学1年生というみずみずしいヴァイオリニスト。姉に当たるピアニストと和やかに演奏は続く。将来の大物を予感させる素晴らしいテクニックの持ち主だったが、これに人生経験や人間的成長が加わるときっと凄い演奏会になるに違いないよねえ、と友人と話し合ったことだ。「何を伝えるか。」全ての音楽に共通の課題だ。

 

そして遅いランチを夜ご飯兼用で食べたら、今度はちぇちの練習だ。5時から9時という時間を濃密に過ごし表に出ると,雨。

朝の映画のテンションが醒めやらず、雨も苦にならない。帰宅して溜まった家事をやっつけて熱い紅茶を飲みながらアガサクリスティーだ。

さ、いくらなんでも寝よう。明日も明後日もその次も、、、毎日練習だ。

2015年11月 1日 (日)

愛してる?

永く生きてきて、ますますこの世のことが分からなくなっている感のある昨今、テレビというものを余り見ないせいもあるが、知らない有名人の多い事。昔の俳優達の名前はことごとく忘れ行き、新人スターたちの名前は覚えず、、、、という自分自身の暮らし。そんな中で、今日はしょこたんとかいう女の子と江川という中年女性の対談番組を見て、意外に面白かった。江川某は、変身メイクアップアーティストらしく、元々知らないで不思議はない分野の人だが、しょこたんという女の子は、意外にも私でも顔を知っていた。長いつけまつげ、独特のはにかみ笑顔が妙に心に残っていた。特別好きでも嫌いでもなかったが、一人の女の子のサクセスストーリーの根っこが、特別なものでないことにある感動を覚えた。

彼女は言う。「とにかく好きなことだけやって来ました。気が付いたらこんなことになっていて、、、。」それを受けて、そのアーティストは返す。「好きでないことをやってる人を見て、誰も何も感じないでしょ。貴女が好きでたまらないことをやっているのを見て、多くの人が感動するんでしょう。」と。

いやあ、これは簡単そうで凄い言葉だ。好きは広義には愛するって事だ。

好きであれば、どんな苦労も耐えられる。逆に言えば好きになれば良い。今を楽しめば良い。楽しいことは人を輝かせる。

 

今日は本業の後やってきたメンバーMと衣装の購入に走る。上手い具合に良いのに巡り会って、意気揚々と引き揚げる道中、通りかかってしまったパン屋さん。なんでも知ってそうなMさんが知らないと言うのでついつい誘って入ってしまう。ご飯の代わりにしようと決めて、以前買って試食済みの野菜パンとお初の変わりクロワッサンを購入。勿論夕食時にお米代わりに美味しく完食。なんでも東京の某有名フランス料理店のシェフだった人がやってるらしい。夕飯のおかずは酢豚だったが、先日頂いた冬瓜を入れてみるとけっこう美味しかった。意外にも冬瓜て何にでも合う。

 

それはともかく、彼女が衣装部屋にいきたいというので鍵を探したら、これが無い。夕べ確かに他のメンバーから貰ったにもかかわらず、車中も、バッグを全部ひっくり返しても無い。諦めかかったところで、フト見るとタンスの上に!なんてこった。最近認知症かと思うなあ~。物が見えてないってこと。ふ~っ。

気を取り直して明日持って行くべき小道具の整理。一応整ったから、あしたはこれを積んで、まずは「ザ・テノール」という映画を見に行き、その足でヴァイオリンのコンサート。でもって、夕方の練習にと廻らなくてはいけない。さあ、夫の夕食が間に合うか?

ま、明日は明日の風が吹く。ってね。

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