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2015年10月

2015年10月31日 (土)

照明リハーサル。終わる。

会場の関係で、本日の通し稽古はフィナーレをはしょらざるを得なかった。が、まあ、何とか全体が見渡せるところまではやれたか。舞台監督と照明さんに見てもらうだけのところまでは不完全ながら出来たように思う。みんなも出来不出来はあっても、全員が同じ方向を向くことからくる、良い空気感の中に居たように思う。

それにしても楽団員さんたちの和やかさは素晴らしい。にわか作りとは思えないチームワークの良さに驚く。こうしたハイレベルな演奏家の方々にこれほどまでに助けて貰える私たちはナント幸せ者だろうと、つくずく思う。この贅沢を、みんな分かって居るのだろうか?

 

いよいよ月が変わる。本番の月に突入だ。

 

今日は日中母とランチがてら、小道具の借用に奔走した。目で見る部分は非常に大事だ。走ればそれだけ収穫がある。明日もやらなくては、、、。ああ原稿が、、、。ああ、手紙が、、、、ああ本業が、、、。悩ましき月末だ。

2015年10月29日 (木)

世の中は冷え込んできたが、、。

予報通り、空気は冷たいなあ~。丑三つ時は尚更だ。

が、わが胸は火がついてきた。今宵の練習で、ようやく手応えを感じた。ここに来て、みんなのやる気も、練習の流れの中に垣間見える。練習が終わって、駐車場に自然と集まった男3人と、寒さに震えながら話し合った。何とかしたいという思いは、みんなの共通の思いだ。どうやって輝くものにできるか、どこに問題があるのか、その問題は個人のものなのか、それとも、、、、話しは尽きない。が、とにかく寒くて、議論する場所ではなかったのが残念だった。

それでも、その時間は実りある時間だったのだ。指摘されて、自分が予想していた以上の問題が浮かび上がった人も居る。その中に、「客観的に自分を見る。」ということの大切さが特に指摘されたが、実はこれが出来ると殆ど完成と言っても良いのだ。今、自分が観客にどう見えているか、それが分かりさえすれば、どの様にすればよいかも自然と分かってくる。その意味で、「芝居」ほど、人を成長させるものは無いと言っても良いだろう。これが終わったら、どれほど彼らは成長するのか、、、楽しみなこと。

 

昨日は珍しくオフの日で、夜は9時にお風呂に入り、そのまま湯冷めしないようにとベッドイン。が、眠れたもんじゃない。ぐずぐずと眠れないままに結局ベッドの中での試行錯誤。ipadであれこれやってみたり、、、結局1時まで記憶があるからその辺で眠ったんだろうが、夜中に足がつって眠れない時間が出没。悪戦苦闘といった感じの睡眠にぼお~っと起きて、今日は陶芸に出かける日だったと気付く。何故か母が楽しみにしているので、予定通り高速を飛ばす。下りたところでいつものおうどん屋さんでお昼を済ませ、昼すぎに到着。全くの久しぶりだったので、積もる話しもありいので、畑の蜜柑や柿を頂いたりしながらあっという間に4時間ほども過ごす。勿論作品も出来たが、長時間座るとどうも腰が、、、。情けない。

いつもながらの師匠の羨ましい生活振り。畑には一人暮らしには充分すぎるほどのお野菜や果物があり、陶芸の合間には、ボランティアで海外の若者を支援し、先日も海岸を散歩中にアメリカ人のカップルを見かけ、かれらが寒いのにテントで寝ようとしているのを知り自宅へ招いたんだそうだ。それだけではなく、うどん屋へ連れて行き、一泊食事付きのお接待をやったんだそうな。その二人は、そこから八十八カ所巡りをするところだったとか。メチャクチャ良いスタートが切れた訳だ。別れてからもメールやFBでやりとりし、他の国の若者を紹介したりと素晴らしい国際親善。勿論語学力もそれが出来る大切な要素だろうが、それ以上にお人柄だなあ~。

いっぱいお喋りして、沢山作品も作り、母も大満足で、おまけに冬瓜やフルーツを頂いてご機嫌で帰宅。ホントに良い半日だった。帰ってから、夫が帰るまでに母と二人で焼き肉の食事を済ませ、やがて帰宅した夫に色々食事を指示してから夜の練習へと飛び出す。このバタバタのわが生活振りに今さらながら呆れる母。

 

くしくも、寒空の下の討論会の中である人が、「蓮井さんもいつもでも生きてないよ。今のうちにちゃんと立派な物を見せてあげようよ。」とよいセリフを吐いてくれた。全くその通り。冥土の土産にしたいよなあ~。一足お先に逝ってしまったI先生に、良い話しを聞かせたいもんねえ~。

2015年10月26日 (月)

もっと気軽に。。。

今日も夜の練習であった。結果、ますます不安になった、とも言えるし、少し前に進んだかにも思える。何とも言えない気分で帰宅してすぐにテレビをつけると丁度「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組の途中だった。これは、まさに今の自分の心境を後押ししてくれるものだった。

「不安や心配がある方が良い。臆病に仕事をする方が良いものが出来る。」

これだ、と思った。不安だから何度もやる。心配だから繰り返し思考を重ねる。臆病になって真剣に取り組む。。。そういうことだ。その結果良いものに巡り会うことが出来るんだ。

自信なんて無くて良い。

番組の最後に坂東玉三郎が言った。「もっと気楽に。。。」「明日の事を考えるだけで良い。」とも。

いやあ、流石に含蓄のある言葉だ。急に力が抜けて、明日に向かう元気が出て来た。

 

朝のシェイクスピアを観る会から、ランチタイムとなり、新しい瓦町Fに女5人で出かける。「忙しいアンタはたまにこういうことも必要よ。」とは恩師の言葉だったが、確かにこれは忙中閑ありで、非常にリフレッシュ出来た。レストラン街は長蛇の列で、お弁当を買って屋上で食べたが、これも良かった。好天気に恵まれ、思いがけず日光浴。文学好きの人達ならではの話題の豊富さ。それこそ気楽に源氏物語から映画の話しまで大いに盛り上がった。、、、こうした友人が居てホントに幸せ。

筆ペン一本の買い物をしただけで今日のところは退散。又母を連れてこようと思ったが、こりゃあ車椅子がないとねえ。

疲労極限。一歩手前。

本日12時からの練習に出かけて帰宅は10時半。2カ所に場所移動したのも疲れたが、夜の部は楽団との合わせで、重要な部分でもあり、集中が要求されるのもかなり。意識がもうろうとしてきて、おしまいには何を喋っているのか分からなくなるほどだった。

勿論やれば遣っただけのことはあるんだが、、、。とにかく練習に全員が揃わないのも進行を妨げている。現在までに一番出席率が良いのが、表舞台に立たない私だからなあ~。そりゃあこうなるのもあったりまえだのクラッカーてとこだ。

 

ドリンク剤と整体とのお世話になりつつ日々なんとかやってはいるが、、、、。

 

あかん、寝よ。

2015年10月21日 (水)

疲れ切った。。。。

どうも腰の調子が思わしくないので、仕事の合間に整体に行く。すると、アナ不思議!腰痛が嘘のように治った。しか~し、それと同時にメチャクチャ疲れが出て、夜の西讃までの練習に行くのが危うくなってきた。すると助け船が出て、車に乗せていって貰えることに。まあ、それでナントかカントカ行けたが、どど~っと出たこの疲労感。明日は収まるだろうか?

これほど疲れていても、皆さんが待ってくれていて、衣装を着けては満面の笑みで迎えてくれると、つい頑張ってしまう。

 

行き帰りに運転手の人生観など聞きながらのドライブもまあたまには良い。

 

それにしてももう寝よう。間もなく1時だ。

2015年10月20日 (火)

討ち死にしても良い覚悟でござる。

先週の土曜日に有志2人ととある合唱団を訪れ、今回の公演のあれこれを打ち合わせた。いつもは合唱を遣っている人達で、今回のように動いたり演技したりはあまり慣れていない人達だ。が、未知なる物への好奇心は彼女たちの顔を輝かせていた。懸命に理解しようとする姿にこちらもつい熱が入る。いわゆるお芝居の経験は無くとも、舞台経験は豊富だし、歌う事そのこと自体が演技に通じる物があるわけで、出来ないはずがない。これから何回かはお邪魔して、こちら側の意図するところを飲み込んで頂く必要はあるものの、大いに期待は出来る。

問題はその人にやる気があるかどうか、だけだと言っても良い。

出来るか出来ないかは最初からは誰にも分からない。そしてやる気によって人は変貌することが可能だ。

目の前の川を渡らなくてはならない時、渡れるかどうかを考えて居るだけではいつまで経っても渡れない。うしろから危険が迫ってきたとき、誰でも渡ろうとするだろう。後ろからライオンが迫って来たら?大型トラックがやって来たら?向こう岸に幼子が危険な状態だったら?、、、きっとみんな渡ってしまうだろう。

舞台に必要なのはそこだ。

そこに自分を追いやることが出来た人は、なんなくやってのけることが出来るだろう。今出来ない人は、そこまで行ってないということだ。簡単に言えば、緊張感が足りない。本気度がまだ完全でない、ということだ。

 

多分、あと3ヶ月あったとしても今とさして変わらない状況だろうと想像できる。人間、そうそう長期間にわたって緊張を持続することは不可能だから。今ここに来て、あと一月で一気に完成まで持って行かなくてはいけない。

 

今日の練習も、スタイリストの出現で少し緊張感が出たように思うが、、、、、1回の練習時間が足りないなあ。

 

しかし、アチクシのスケジュールはめまぐるしい。この合唱団の練習から今週の木曜日まで、毎日練習に参加しなくてはならない。昨日のソリストの練習、今日の定例練習、明日の合唱団までの出張練習、明後日の定例練習、次の日の合唱団への出張、と西へ東へと走り回ることに。、、、ホントに身が持つかどうか、、、、整体のお世話になりながら動いてはいるが、、、、間もなく古稀の人の動き方ではないなあ~。けど、遣る必要があるんだよなあ~これが。

 

今回はまじで討ち死にか?

2015年10月15日 (木)

刺激のお話。

今日はめまぐるしい一日だった。仕事と、公演関連の事で走り回った。とどのつまりは夜8時になって男二人の衣装ヘアーを専門家と打ち合わせるという作業が最後のお仕事となった。動けばそれだけ、物事が進んでは行くが、結構なエネルギーの消耗だ。ホントは、帰りにどっかのお風呂に行って心身共に休めてから帰宅しようと思って出かけたが、その元気が湧かないまま帰宅した。従って、これから自宅のお風呂に入って今日中には寝るという算段。さて、上手く行くだろうか。

 

昼間、とある元大学教師と久しぶりにお目に掛かりランチタイムを過した。チケットを買って下さるということだったが、今年初めにご主人を亡くされたと聞いていて、もしや凄く落ち込んでおられるかとビクビクものだった。が意外にもお元気そうで、お肌もテリテリ、むしろ以前よりも若々しくなられていて一安心。そう口にすると、「あら、主人のストレスが無くなったからかしら?」といたずらっぽく笑われる。しかし、このご夫婦はとても仲の良いご夫婦だったことを知っている。お二人で海外旅行にも行かれたり、本当に気の合うご夫婦だったのだ。

色々お話を聞いていると、最高の別れ方だったことが分かる。ご主人は癌の宣告を受けても酒、煙草を止めることもなく、「選択するのは自分だ。」と自分は迷惑かけるようなことはなく、とっととあの世に逝くから大丈夫と口癖のようにいってらしたそうな。そしてホントかしら?と思っていた奥さんに全く苦労をかけることなく、それこそとっととこの世を去ったという。ご子息の顔を見てにっこり笑って、それっきり目覚めることが無かったのだそうだ。

一人になった母親に、関東在住のご子息はこっちに来るか?と聞いたそうな。それをキッパリと断ったと朗らかに笑う。老後は老人向けマンションに移り住んで、一人で生きると決めてあるとか。あくまで子供の人生と自分は関係ないという思いらしい。聞けば一人息子にもかかわらず、放任主義を通して、結婚して家庭を持っているこんにちまで自由にやらせていたそうな。この親子の関係性にも舌を巻くエピソードが。

そしてご自分の人生の最終頁までを、しっかりと描けているこの方に、わたしは内心お見事!と感嘆していたのだった。なによりも、今もって素晴らしい向学心に燃えていることにも驚きだ。イギリスにたびたび行かれて、まだまだこれからも勉強に行かれるとか。宗教や国家の成り立ちに関する研究書を現在読み解いているようだが、その内容の一端を教えて貰い大いに刺激を受けた。年齢じゃない、なあ~。

本日のカンフル剤としての貴重な時間はこうして2時間ほどで終わったが、こうした刺激が自分自身を奮い立たせていることを大いに感じる。

他からの刺激は、ホントに必要だ。

2015年10月14日 (水)

気持ちの伝えかた。

人間関係の中で、最も難しいのがこれだ。えてして、自分はそんなつもりで言ってないのに、違ったとらえ方をされてしまう、ということが発生するものだ。

舞台に上がるということが、この問題を解決してくれる最上の解決策だ。舞台上で、あるシチュエーションの中に自分を置いて、こういう時、どういう風に言葉を発すれば、相手にどう伝えられるか、これを模索し続けるのが舞台上での演技の訓練だ。

普段はやらないオーバーアクションも、人間模様をハッキリと認識する絶好の機会だ。外国の人が身振り手振りで話すのは、日本人も少し見習った方が良いかも。言葉だけではなかなか伝わらないと分かってた方が良い。

その点、今の若い人達は「伝わりにくい」という点の認識は昔の人よりアルのかも知れない。まあ、それというのもこのネット社会だからだろうが。誤解を産まないための方策を彼らは相当気遣っているように見える。スマホなどの絵文字もそれだ。

 

それはさておき、ここまで練習が煮詰まってくると、それぞれの出来不出来や、キャラクターの完成度が際立ってくる。みんなが、自分が主役と思ってくれないとねえ~~。

 

主役クラスの個別レッスンが楽しみだ。何はともあれ、ここら辺がしっかり遣ってくれないとねえ。

2015年10月13日 (火)

良い一日。

思い立って、月一度の無呼吸症候群の治療の為病院に出かける。ところが、院内は見たことがないくらいの満杯で、とてもじゃないがこれは待っていられないと判断して、出直すことに。

兼ねてから依頼してあった衣装の仕上げの相談があると聞いていたので、スマホで連絡を入れてから車をそちらへと回す。途中、先日約束していた広告を頂きにとある場所へと立ち寄り、ついでにチケットも購入して頂く。どれもスマホがあればこその段取りだ。ホントに便利。

次の目的地に着いたら丁度お昼時。衣装の話しはばばっと仕上げて近くのおうどん屋さんへ行こうとなり、平日だから空いてることを期待して車で5分。着いてみるとこれ又もの凄い行列。見ると県外ナンバーの車がいっぱい。ほ~、平日でもねえ~。まあ、友人とお喋りしながら待つのは別に苦でもなく、近況報告にちょうど良かったくらいだ。食べたおうどんも確かに美味しかったし~。

そのアトも2カ所ほど広告の依頼に走り、再度朝訪れた病院へととって返す。、、、これが大正解。5時前とあって、お仕事帰りには早く、夕食の準備をする主婦はもう居ないので、思惑通り嘘のように空いている。

空いていたのを良い事に、かなり勇気を出して先生に広告の話しを持ち出してみる。ダメ元の気持ちだったので、やんわり断られても別に、、、という気持ちだったが、驚いたことにその先生はご自身も歌っていらっしゃるらしい。お嬢が最初に行ったときに、「もの凄い声の先生だったよ、ちぇちに欲しいんじゃない?」と言ってただけある。歌の話しをして笑って帰ったのだが、夫と夕食中にニャニャンとその先生からお電話が。口をもごもごさせながら出てみると、これ又驚いたことに少しですが、と広告のご協力が頂けるというお話。これには仰天した。余りに申し訳なくて電話口でぺこぺこペコッ!

いや~、世の中捨てたもんじゃないなあ~、なんちゃって。

 

その話しを別件で電話した友人にすると、彼女も色々頑張っているらしい。「ちょっと恥ずかしいけどね。」という彼女の正直な感想は殆どのメンバーが持っているものだろう。そこを乗り越えるのも、公演を成功に導く大切な要素だ。応援して頂くことへのお返しは舞台の成功しかない。全てをそのためのエネルギーに変えて頑張らなくては。

 

あと一ヶ月と1週間。ああ。

2015年10月12日 (月)

毎日少しずつ。

今日は朝、舞台の動きについてのレクチャーを年寄り組に伝授。その足でリサイクルショップを何軒か周り、あるところではちゃんとお目当てのものを発掘し、あるところでは色んなファッションを見学し、いくつか収穫もありいので、ついでに楽しくランチも食べ、数時間を過ごした。時間を無駄にしないアチクシは、先日来連絡を貰っていた「衣装をあげます」のお相手に電話し、早速頂きに参上する。素敵な物が又増えたなあ。

女4人で動き回ったから、みんな疲れただろうが、道中のお喋りはストレス解消にもなったか。おんなからお喋りを取ったら、病気がやってくる。

が、かなりお疲れ遊ばしたのも事実。

今日は早めに寝るとしよう。

 

チケットを買って下さるという大学の先生とのランチも手帳に書き込んで、、、、忘れないようにしないとねえ~~。

2015年10月11日 (日)

贅沢な練習日。

今宵の練習は、楽団がメインということで、歌の参加者は少なかったが、今日参加出来無かった人は残念なことだった。ヴァイオリンのソロが今回の公演の一つの目玉だが、それにダンサーがダンスを付けて下さるということで、試行錯誤が続いていた。今日、ようやく決定して、ダンサーもイメージがわき上がってきたらしい。

弦の奏でる音色は素晴らしく、まだほんの探りの状態にもかかわらず細かい技術をしっかり披露して下さった。これだけでも聴きに来て欲しいと思うくらいだが、実はそうばかりとも言えない。今回も楽団は冴えている。何名かの演奏家からは、「ワクワクします。」という有り難いお言葉まで頂戴している。

そして、演出上、楽団の方々にも演技して頂くことになっているが、それをお願いするのに気が引けて、恐る恐るの提案だったが、次々とアイデアを出して下さって、こちらの期待以上にやって頂けることになりそうだ。出来る人は、何をやっても様になる、というか、臆するところがない。音楽は表現。形は違ってもそこに共通項があると言うことだろう。

そして、ダンスも期待できる要素だ。バレーでもなく、ジャズダンスでもない、大人なダンスにお客様の反応が楽しみだ。

参加したメンバーも待ち時間の永い練習時間を良く頑張って耐えた。が、こういう練習は実はとても勉強になる。

 

さ、明日はジャズダンスの発表会に志度を回って宇多津まで出かける予定だ。これも勉強と思えばこそのお出かけだ。、、、ふ~っ。

2015年10月 9日 (金)

馬も肥える秋。

本日も秋晴れの中、とある会議に出かけた。駅近辺がこんなに混んでいるとは思わず、予定より早く着いたにもかかわらず駐車場探しに15分もかかってしまった。世は車社会んなだ。

1時間半で会議は終わり、公演の宣伝もしっかりやってから、そのまま母をピックアップ、ランチとあいなる。いつもながらの母の食欲におろろきながら、こちらもつい食べ過ぎた。

昨日パンフレットの広告を頂く為に立ち寄ったお店の人とは数ヶ月ぶりに会ったのだが、これがビックリするほど痩せている。てっきり何か病気をされたのかと、聞くに聞けない状態だったがご本人から、「私痩せたでしょう?」と口にしたのですぐさま、「どっかお悪いの?」と聞いてしまった。みんなにそう言われるが、実はそうではなくて、マクロビとかいう食事に変えて肉魚は一切食べず、お米も白米は全く食べない。朝起きてから1時間かけて玄米をかまどで炊くんだそうだ。そしてひたすら噛み噛みしてゆっくり食事をするんだとか。しかし、砂糖の代わりに蜂蜜とかメイプルシロップなどは使い、ケーキもしたがってチャンと食べるという。全く問題無いそうだ。「美味しいわよ~、玄米。」と言われるが、どうもねえ。1月から始め、現在10キロおやせ遊ばしたそうだが、、、。

その話しをしっかり聞いて帰ったはずだのに、その帰り道美味しいお肉専門店に立ち寄り、ステーキ肉や焼き肉用、その日の夕飯用に豚ロースまでしこんだアチクシ。あの会話はいったい、、、、、?

しかし帰宅して美味しく食事を食べながら、こりゃあ無理だなあ~と思う。夫に投げてみても、即座にそれは無理。との返事。玄米どころか、麦が少し入っただけで顔をしかめる夫。おまけにこうのたまう。「お母さんはそのままが良いから。間違って痩せたりしたらお母さんじゃなくなるから!」へいへいそうでしょうとも。このセリフのお陰でず~っとこの体型を維持し続けてきたんだ。いまさら、ねえ。

 

たった今、お嬢からの電話で、これ又食のお話。孫べえが本日5歳にしてお茶漬けデビュー。世の中にこんな美味しい物があったのかというう感じで、今ご飯3杯目のお代わりを要求してきて困っているという。卵焼きや野菜炒めも食べたのに~~と半べその母親。エンゲル係数があがる一方だ。成長期の子供を持つとねえ~。ん?成長する必要が無い年寄り達の家庭もかなり高いエンゲル係数だけどねえ~。

今回のオペレッタにも少しばかり盛り込んだが、世界中に飢えで苦しんでいる人が大勢居るというのにねえ。ムムム。

2015年10月 8日 (木)

秋晴れの続く日々。

舞台が固まってくると衣装を完全なものにしなくてはならない。そのために今日も動いた。こちらが出す無理難題を、気持ちよく引き受けてくれるお姉様に改めて感謝。

一仕事終えて、帰宅途中にフト思い出しとあるお店に立ち寄ってチケットのお願いを。そしてついでに広告まで、、、。永いお付きあいなればこその嬉しい対応に、疲れも吹っ飛ぶ。こういう風に応援してくれる人たちの為にも頑張らなくては。

昨日はあるリサイクルショップで買い物をして、領収書に名前を書いて貰うためにチラシを出し、「宣伝のために置かせて下さい。」と言うと、「落語ぺら、、あ、知ってます。有名ですよね?」と若い店員さんに言って貰えて、、、、まあ、こうした地道な活動がいずれは実を結ぶんだろう。

 

このところのノーベル賞報道を観ていると、「賞」ってなんだろう?って、考えてしまう。今日の文学賞に至っては、その発表を大勢で集まって待っていると日本の何カ所が映っていた。ご本人がどう思っているかが一切流れないが、何となく違和感を覚えるなあ。今日会った人が、「ノーベル賞を貰う人って、みんな控えめで謙虚で、人間が出来ている人ばっかりよねえ?」と言う。ホントにそうだ。身内の人達も、「信じられない。」とか、「ホントに研究してたんですね?」とか冗談でなく話されているのを見ると、この文学賞のお祭り騒ぎは一体?まあ、分かり易い分野であるということがこうした結果を生むのかも知れないが、賞なんか貰わなくても良い作品は良い作品だ。医学や物理学はその研究費となり、今後の人類に貢献してくれるんだろうが、、、。ま、アチクシには関係ないことでござんすが。

 

それにしても時間が飛ぶように過ぎていくなあ~。

靴が鳴る。

突然の舞台監督のお出ましのニュースに、俄にあせあせになった練習日だった。何しろ、まともに通したことがなかったので、今日はとにかく通し稽古をやってみた。ナントかカントカ、といったところだが、通さなければ分からなかった事が理解出来た時間ではあった。まあ、通してみると、陥没している部分が目に付く目に付く。みんなが自信が無い部分は声も演技もダウンしている。自分一人くらいは大丈夫だろうと思いながら適当に動き、適当に声を出しているのが、前から見るとクッキリハッキリ見えてしまう。本当は、そこで止めて、返し稽古にするところだが、まあ、今日の所は目をつぶった。

それでも、こうして他人が前に居ると思うだけで、良きにつけ悪しきにつけ人は緊張するもんだ。悪いばかりでもない。時にはこうした時間もカンフル剤として必要だ。

まあしかし、経験者とそうでない人は明らかに違う。、、、さて、このギャップをどう埋めていくか。キャリアがある人がそこんとこうま~く引っ張ってくれると嬉しいが、、、。

努力してもしても、上手く歌えないという人もいる。それは勿論その人の弱点には違いない。しかし、今現在、他のメンバーの誰がその人のことを笑えるか?五十歩百歩というところだ。他人のことをとやかく言っている暇に自分の事を完成へと持って行って欲しいものだ。、、、ま、こうして、何でも言えるのはファミリーの良いところでもある。お互い思いやりを持って、みんなでおててつないでガンバロウ!ってことだ。

♪ おててつないで 野道を行けば
みんな可愛い 小鳥になって
歌をうたえば 靴が鳴る ♪

2015年10月 6日 (火)

外は快晴。ひきこもり。

今日は外出の予定が一切無い珍しい日だった。あれもしようこれもしようと、朝起きたときは確かにそう思ったが、のろのろと起きだして、夫が作っていたスムージーをチビリチビリと飲みながらパンを食べ、さて、どれからやろうかと部屋を見回したのが間違いだった。ふと目についた小型冷蔵庫。夏の間は活躍してくれたが、これからの季節の二人暮らしには必要なさそうに思えた。で、これを一つ片付けることに。、、、以外と大変。中身を出して掃除をして、重たいこの物体を一人で寸法を測りながら移動する。大体いつもこのパターンで、タンスだろうとベッドだろうと全て一人でやってきた。が、疲労骨折やら、筋肉痛やらを考えると、慎重な上にも慎重に、だ。

ナントかカントカ片付いて、近所のメンバーの家まで衣装の打ち合わせに出かけ、夕飯の買い物に出かけたら、メチャクチャ疲れて、居眠り覚悟で休憩とばかりにテレビをつけると、ノーベル賞の発表があったとかで、大騒ぎしている。

矢張り偉業を成し遂げる人は人間の根幹が違うなあ~と感心しながらしばらくみていた。大村氏は、「人と同じ事をしていてはダメだ。」と言われていたが、昼のNKHKスタジオパークという番組では、子役時代から画面で見ていた何とか言う女優さんが良い事を言ってた。

「子役時代は、言われるがママ、その通りのことを遣っていれば褒められた。」が、「大人の女優になってからは、自分で考えなくてはならない点が大きく違った。」そうなんだよねえ。これが欲しいんだよねえ。ちぇちのみんなもここを理解して欲しいなあ。台本に書かれてあることは、塗り絵の外枠みたいなもんだ。そこに色を塗っていくのは役者自身であるということ。時にはその枠さえはみ出して、もっと良いものを作り上げようという気概が欲しい。

ま、言うは易く行うは難しってところだが。

 

冷蔵庫の中っていうのはうっかりなものが沢山入っていて、今日はそれの廃棄処分もやった。その中に餅米が出て来て、思いついて「おはぎ」を作ってみた。あんこがあり、きなこもあるし、、、てなことだったが多分生まれて初めて。全くの自己流で、妙にデカイのが出来てしまったが、味も食感も悪くない。意外と簡単。こんなんならもっと早くに作ってみれば良かった。70歳を前に初めておはぎを作るの図。短歌にはならないだろうなあ。

2015年10月 5日 (月)

不幸中の幸い。

今日は第41回目のCantiamo。記念すべきと言いたいところだが、思い出深いと行った方が良いかも知れない。メンバーの一人が救急車で運ばれるという騒ぎがあった。同窓の彼女の過去の病歴を思わず考えてしまって、一瞬最悪の事まで想像したが幸いにも大事にはならず、病院から程なく帰宅が赦され全てが終わって帰りにお宅に寄ってみると昏々と眠っているという。これでようやく心から安心した。、、、、私たち、まだまだ行けるよね、と先日話したばかりだったからなあ~。

今日は18人が歌う日で、プログラムもつみつみな状態。このハプニングがあった時、一瞬どうすべきか悩んだが、救急隊員の話から、そう大事ではなさそうというのもあり、付きそった人からの情報を刻々と受けながら、彼女の家族の勧めるままともかく演奏を続けることとした。

矢張りなんといっても、場の空気が始まったときとは全く違う。集中力において、なかなか厳しいものがある。しかし、ここできっちり歌う事が、今みんなに出来ることだという共通の思いがあったように思える。澱んだ空気を何とかしたいというみんなの気持ちが些細な事でも笑いを誘い、みんなが出来るだけ明るく過ごそうとしているのも分かる。

この顛末は、改めて、「みんなの絆」というものを感じる結果となった。いつの間にか出来ていた仲間意識。これは非常に貴重なことだ。もしかしたら歌の上達よりも価値があるのではないか。、、、と、内心一人感動していたのだ。

こういう時、メンバーに看護師がいるのは心強いことだった。救急隊員とも専門用語で話しているのが頼もしかった。

 

そういえば古い話を思い出したが、20年も前に交通事故に会った時、側に当時所属していたミュージカルメンバーが沢山いて、救急車の手配やら、警察やら、全てやってくれて、当人はボンヤリしている間に、あれやこれやすべてやって貰ったことがある。その時、彼らの存在がとても有り難かった。今回も似たようなことだが、どちらもこういう人間関係が出来ていたからのことだ。そういう意味でも矢張り人々に交わることは大切なことだ。

 

そして、我々年長組には、これから先何が起こるか分からないということも言える。「覚悟が全てだ」

2015年10月 3日 (土)

遠隔操作。

昨日データーのバックアップなる物を設定して貰い、安心して作業が出来ると思っていたら夜になってエラーが出る。早速パソコンの神様に電話して、リモートコントロールで修復して頂く。カーソルが画面上を動いているのをぼんやりと眺めながら、しかしまあ、時代は進歩したなあ~と考えている。こうして離れていてもこういうことが簡単にできてしまう。勿論そこには信頼関係があればこそだが。

そういえば、スマホの上級者は、我が家の中を遠隔操作でセキュリティのチェックはもとより、家電製品をを動かしたりも出来るらしい。凄いことになってきた。一体どこまで科学は進歩するんだろう?進歩していく時代の上澄みだけを享受して生きている我々古い人間は、これから先どうなっていくんだろうと、空恐ろしくさえある。

しかし考えれば人間て面白いもんだ。

こうした進歩の傍らで、ふる~いふる~い事を熱心に研究したり、継承したりしている。「歌」なんかもその最たるものだ。明日Cantiamoで歌おうと思っている、少し新しい感のある今度の公演の演目、「マリツア伯爵令嬢」でさえ、約一世紀前の作品。文学だって、絵画だって、時代の狭間に埋もれていた作品が次々と発掘されている。

かのシャイクスピアノに至っては、世界中で聖書と並んで毎年3千~数千冊の研究書物が世に出ているらしい。

 

ま、おみっちゃん的には、「世の中に答えはなく、完全もなく、ただ生かされているだけ。」てなことか。大いなる者の手によって、遠隔操作されているんだろう。

さ、明日は迷える子羊たち19人が歌うことになっている。プログラムは確か23番まであったかなあ~。疲れるぞおお~。良く寝ておこう。

2015年10月 2日 (金)

一つ肩から荷物を下ろした感のある今日。

朝からFMの収録。二本録りのあとはお嬢のためにお米を精米して送るというお仕事に翻弄された。いつも持って行く宅配やさんの近辺に、てっきりアルト思い込んでいた精米機が無く、友人に聞いてみるとなんと鬼無の農協まで無いと言う。「えええ~っ?我が家の近辺にはいっぱいあるのにねえ??」というと、電話の向こうで、「うちは都会ですから。」ときた。仕方なく雨の中車を飛ばして行ってみると成る程確かにそこにはある。お米だけでも寂しいかと、スーパーに立ち寄り野菜など買い込む。それらをそのまま宅配やさんに持ち込んで、その場で梱包して貰う、という、、、まあお得意様を決め込んでのこと。顔なじみのお兄さんが気持ちよくやってくれる。

こういうことやっていて、本日のお歌の練習をすっかり忘れて居て、義妹に叱られる。明日に変更して貰って事なきを得たが、、、手帳に書いていながらそれを見ないというお粗末。

荷物を送ってやれやれと近くの友人宅に寄って久しぶりのティータイム。お互い溜まっていた話しがありすぎて、時間が足りない状態で帰宅。そこにもしっかりチラシをお願いしておいた。きっと彼女は宣伝してくれるだろう。

帰宅後もお歌の練習ありいの、飛び入りの友人の訪問がありいので、バタバタバタ。が、なんとなくいつもと違う。台本が手元から離れて、ようやく独り立ちしてくれていることが、心を軽くしている。すると意外にも目が冴えて、シネマ番組など見てしまう。

大体映画のストーリーや、シーンは覚えている方だが、今日見た「ベンジャミン」は場面に覚えがあるにもかかわらずさっぱりストーリー展開が浮かばない。見たのが余りに前すぎたのか、俳優達の強烈な個性の方が印象に残って、ストーリーがぼやけたのか?はたまた我が身にボケが始まったのか?ちょっとショックだった。もしかしたら、宣伝用の紹介番組でも見たのか?見終わった後にもさっぱり分からない。新鮮といえばそうだが、、、、、グスン。

作品としては色んな意味で良く出来ていると思った。生まれたときが老人で、段々時が流れるほどに若返るという男性の悲話だが、もしそういうことが起こったらおそらくはそうなっていくだろうというストーリーに無理がない。今この感想を書いていると湯冷め思想なので今日は止めよう。

寝よ。

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