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2015年9月

2015年9月30日 (水)

ああ時間。

本日のちぇち練は男前のW先生のご到来で俄に活気づいた。風邪や仕事で不参加の人もままあったが、それを感じさせない時間の経過だった。いつもこうして、自分の為に、それだけに参加してくれると良いんだけど、あの人が来ない、どうしたのかしら?練習出来るのかしら?な~んてぼやいてないで、そこに来た者勝ち、というか、来た人はそれだけ前に進めるが、来ないとその分確実に遅れるのだ。それは誰のためでもない、自分の為にマイナスだ。ということを知って欲しい。

その点、W先生は容赦ない。全体レッスンでありながら個人レッスンのようだ。、、、そして出来上がって来ると、おや、ちぇちもまんざら捨てたもんじゃないぞ!という充足感に満たされる。一人が、ホンの少し前に出るだけで、全体が数段良くなるのだ。

ま、今日のこれをみんな忘れないようにしないとなあ~~、、、。

 

昼間は、昨夜仕上げた台本の最終稿を手分けしてコピーから製本までを主婦3人と一緒にやっつけた。こういう時、主婦達の力は凄い。お仕事の若い人達には出来ない部分をしっかり担ってくれる。、、、みんな団体にとって必要なメンバーだ。

昨夜と言えば、この日曜日のコンサートのプログラムが当たったMさんは翌日が出張だというのに深夜までかかって仕上げてくれた。よれよれになってる様子のMさんに、感謝と激励の言葉をメールして、まだそれから後にもアチクシの作業は終わらない。ワードソフトと格闘していたという訳だ。結局おふろにはいってベッドインしたのは深夜3時。早くも外には早朝のお仕事の人の動く気配が感じられる。今日こそは、早寝早起きしようと心に決めていたはずが、結局こういうことに。お陰で、秋の静寂の何ともいえない静謐な時を体感できている。これが春だとちょっと違うんだよねえ。

 

月曜日はシェイクスピアの会だったが、後のお喋り会でS氏が「詩情とは?」と参加者に投げかけたのは良い質問だったと思う。ともすればシェイクスピアが劇作家とのみ思いがちだが、実は詩人なんだから。原語で読むことが出来ればそこいらへんがよく分かるんだろうが、翻訳には限界がある。

それに触発されて、本棚からシェイクスピア関連の本を何冊か取り出してみる。全て評論だが、如何に多くの人が古今東西この人の作品について語ってきたんだろうと、改めて思ったことだ。作品も面白いが、こうした評論もホントに思白いものがある。個人的に好きなのは中野好夫の、「シェイクスピアの面白さ」だなあ。日本人として、立ち位置を明確に持っての評論は、著者の趣味の広さ深さも合わせ持っていてホントに面白い。、、、もっと時間が出来たら読みたい本が一杯あるなあ~。いつになったらそういう日が訪れるのか、、、、来たと思ったらあの世行きかもねえ。

2015年9月28日 (月)

満月に吠える元気もない。

朝の内に洗濯物をして、母とランチに出でかけようと表に出た途端いきなり強すぎる光線を浴びて一瞬目眩がした。車の中の温度計は34度を示している。信じられないこの温度差。体調を崩している人が多いのも頷ける。

日曜日はどこも満席で、名前を書いて待つことが多い。今日もそうまでしてランチを食べたが、母の食欲に又又驚いた。パスタとチキンのグリルがセットになったものを、さも美味しそうに平らげる。こりゃあだいじょうびだあ~。

しかし暑くて、家のかき氷が恋しくなり、わざわゆで小豆の缶詰まで購入して二人で舌鼓。かき氷機を片付けてなくて良かった!

 

夜になってお歌の勉強にやってきたNさん。声は身につくまではなかなか鳴らないもんだ。まあ若さで力で押せば少しは飛ぶが、それでは長続きしないし、体が入ってない声は魅力に欠ける。彼女はお初の大きな舞台。その緊張感もひしひしと押し寄せてきているようだ。しかし、社会的には立派な職業レディだから、そのキャリアが舞台でも発揮されることだろう。期待している。

 

今宵は色んな人から、「満月だよ~」とお知らせが入る。深夜になって見てみると、まるで、かき氷の中を浮遊している白玉のような月が、雲の間を見え隠れしながら進んでいるようだった。これも神秘的で良い眺めだ。空は確実に秋だなあ~。

2015年9月27日 (日)

ああ、結婚式。

突然の知らせに驚いたのは、とある劇団の女優さんの60代カップルの結婚式。どのような紆余曲折があったのか無かったのか、それさえも知らないが、とりあえず永いお付きあいだ。午前中の挙式と午後のパーティに夫と分け合って参加することとした。午前中は何とか行けそうだったので衣装選びから。が、絶対入ると思っていた洋服の背中のジッパーが自分の手では上がらず、悪戦苦闘の末諦めて、ぼわ~っとしたのを引っかけてギリギリ間に合う時間に到着。着いてみるとメチャクチャ大勢の参列者。教会の中はほぼ満席。あちこちに知ってる顔が、、。カメラを担当している人の中には吾が同窓生の姿もある。汗を拭いながら必死の様子に声もかけられない。とにかく凄い人だった。

教会のフルコースの挙式というものには、もしかしたら初めて参加したか?と思える程の長時間の式次第。次々と歌われる聖歌も耳になじみのないものが多い。明らかに信者とおぼしき人々は、きっちりお歌いあそばすが、こちらは楽譜があるもののみ。それでも沢山あった。沢山あったのはもう一つ。「愛」という言葉。まあ、神父さなまのお言葉の中に、100回くらいは出たかと思われるほどの愛の羅列。信者には有り難いお説教だったに違いないが、ただの参列者である以上にあまのじゃくなアチクシにとってはその内容に次々と疑問が湧いて、どうも馴染めない思いがつのる。新郎も新婦も洗礼を受けているそうで、本当に真面目な真剣な挙式だのに、こんなのが参列していて申し訳なかった。が、お二人への祝福の気持ちに嘘はなく、これからの幸福な人生を願っているのは間違いないのだ。「神は全てを赦したもう」ってことで。

で、あとのパーティ。ここで初めて顔を合わした人々も多く、まあ次から次へとご挨拶ばかり。舞台での素晴らしいお姿そのままに突然目の前に来られてご丁寧なご挨拶をして下さるS先生には恐縮した。中には一時期体調を崩された声楽家のT先生もいらして、快復されたことを聞かされ一安心。こうして声楽関係の方も多かったが、ダンスの人や、劇団の人も大勢が顔見知りだ。結局、新郎新婦が60代というのもあり、交友関係者が必然的に多いというわけだ。

1時半にはパソコンのメンテナンスにくることになっていて、どうしても帰宅しなくてはならない。ホントはその前にも二つばかり用事があったが、バトンタッチすべき夫の姿が見えず、仕方なくそれは後回しにして、乾杯から料理にも少し手を付けることに。前の方に白髪頭が見えて、ようやく来ていることが分かったので、先に帰ると言おうとするとこれ又見えなくなってしまう。それほど大勢の人でごった返していたのだ。ちぇちのメンバーに私は帰ると言っておいて、と頼んで会場を後に。帰り着くと同時にパソコンの神様がやってくる。壊れた部品を交換して貰い、今日の結婚式の話しをしたら、エライ乗ってきて、「それはいい話ですねえ。」としきりに感心。なんでも今の日本では男性が40歳過ぎての結婚はほんの1パーセントだそうだから。」と言う。へえ~~そうなんだ~と妙に感心。で、そのあと用事を片付けに飛び出す。

その間に何度もメールや電話が入り、心配していた高知の友人が、今日退院してこれから上京し、お嬢さんと湯治に出かけると言うのがあったり、頼んでいたコック帽が手に入ったと連絡があったり、別に、テーブルクロスを出しておいたから取りに来て、もあり、、、にゃんともかんとも、しっちゃかめっちゃかの一日だった。切れかけたガソリンの補給をしながら、思わず溜息が出る。

夫は帰宅が7時になるとの連絡があり、ばばっとすき焼きの下ごしらえをしたらちょいと一服。も~っやってられない。少し仮眠でもするか、とリラク椅子に腰かけた途端ご帰宅あそばす。

でもって、あの後スピーチが当たり大受けしたとの自慢話。これについてはちぇちのメンバーから、「結婚式にあるまじきスピーチ、面白かったです、、」と既に報告を貰っていて、心の準備が出来ていたが、聞いて呆れる!ま、しゃあない。これがこのお方だ。夫婦の顔して側にいなくて良かったあ!てなもんだ。ふ~~っ。

2015年9月25日 (金)

皮のお話しほか。

一体どうなってるの?の蒸し暑さ。朝h肌寒いかと、一枚余分に来てお歌の練習に出かけたら、暑くて暑くて、結局一枚脱いでしまう。ホントに変な天気に、故障者も多い。メンバーから二人目の入院患者が出た。どちらも大したことなく退院出来るタイプのもので一安心。意外にも年寄り組が持っているなあ。

まあしかし、ギリギリの所で踏ん張っている感がある。とにかく疲れて、夕食後には一瞬仮眠を取らなくては後片付けも出来ない有様。でもって、只今作表が完成し、体裁を整える係さんに転送したところ。こうして仕事を分けあってくれるのでホントに助かる。

こういう作業が済んだら、今度はチケットの販売や広告の依頼に本腰を入れなくてはならない。とにかく、沢山の人に来て貰わなければ1年かけてやって来たのが悲しいことに。発足から27年。延べにしてどれほどのお客様に来て頂いたことだろう。そして又、どれほど多くの人々が同じ舞台に上がってくれた事だろう。少しは高松の文化に貢献したかも。な~んてね。これぞ自己満足。実際そうでも思わないとやってられないこのハードさ。

 

余りにお疲れあそばして、夕食時に夫とたわいもない話しをしながら時を過ごしていたが、葡萄をお皿に入れて渡し、ついうっかり、「それ、かわなし葡萄よ」と口を滑らせてしまう。ちょうど手で皮を剥いていた夫が、「えっ?皮なし?」とこちらを見た時は間違いに気付きゲラゲラゲラと笑っているアチクシ。「同じ二文字だから、良いでしょ!」なんぞと訳わかめの言い訳をしている。直後にお嬢からの電話。さっそく告げ口をする夫。イヤハヤイヤハヤ、相当お疲れだ。頭と口が繋がってない。ふ~っ。

 

先日、チャリティコンサートでシャンソン歌手のKという人が歌った。還暦を過ぎたと言ってたが、近頃ではそういう年齢の人が舞台に立っているのは珍しい事ではない。このK氏は矢張り上手いと思った。思ったが、元々クラシック畑の人の為か、今回はクラシックの曲を何曲か入れていたのは、私的にはちと残念だった。あの人のシャンソンがもっと聴きたかったという感想を持つ。余りクラシックを聴くチャンスが無い人のためには良かったのかも知れないが、われわれは年中そういう曲の中にいるので、むしろシャンソンをたっぷり、その魅力を聴かせて欲しかった。その力がある人だと思うから、、、。

コンサートが終わって一番の感想は、「歌はPassionだということ。」情熱が無い歌はつまらない。「歌いたい」「聴かせたい」「伝えたい」「表現したい」というものが無いとつまらない。その点、この人は素晴らしい歌い手の一人だろうとは思った。

東北支援のチャリティコンサートが補助椅子を出すほどの盛況だったことに感動した。バザーで買ったものもとても重宝している。主宰者の努力に敬意を!

パソコン、むむむ。

最近ず~っとパソコン、プリンターに首っ引きのせいもあるが、どうもこれらは全て消耗品であるらしいことに今さらながら気付いた。今日は夫が早起きして出かけた後、テーブルに「ネットが繋がらない」とだけ書いてるメモを置いてある。これは即ち何とかしてくれというものだ。あれこれ遣ってみるもさっぱり出来ないで、結局いつもの我が家のお世話係に電話して、応急措置を。結局モデムがアウトになっていたということが判明。どうもそこいらへんが怪しいなあ~とは思っていたが、、、。こんな簡単なことさえ容易には分からない情けない消費者だ。日本全国こういう人が一杯居て、その救済というお仕事が繁盛するというわけだ。これぞ、現代の社会現象だ。

 

パソコンの出現によって、出来ることは格段に多くなったが、そのぶん煩雑なメンテナンスも必要になってくる。このパソコンというしろものが無い場合どうなるだろう?生活が一変するだろうなあ~。

 

夜になって整体に出かける。夫が帰りは9時過ぎるかも,と言ってふたたび出かけたのを良い機会に、体のメンテナンスだ。矢張り行けば行っただけのことはあるんだけど、なかなか時間が取れない。整体師の言葉。「ご主人とはなかなか会えないそうですねえ。」どうやら夫がここで愚痴っているらしい。「そうなんですよ~」と笑っておいたが、言われて見て再認識だ。朝は夫の方が早く起きてとっとと出かける。夜は夜で遅くまでやっていて、こっちが出かける頃に帰宅するのはまだ良い方だ。その代わりこっちが帰宅する頃には早くもご就寝あそばしている。

ま、お互いこれが出来ている間は一応動けている証拠。良しとしようか。

 

今日こそは早寝しようと思っていたが、結局台本その他手直しの書類や、申請書類の返事やら、あれやこれやで、結局は午前様。この時間にメールしてくるメンバーがいる。このお方も起きていらっしゃるなあ~。

 

さ、明日もお歌の練習だ。

2015年9月22日 (火)

秋のせいか?

朝夕の空気が冷たくなってきた。冬布団を出して、朝方はくるまって寝ているが、それがちょうど良い。昼間はそれでも相当暑くて、動いてはクーラーを入れている。いつものように我が家は、クーラー扇風機、間もなく暖房器具が同居を始めるだろう。

毎日毎日様々なことに追われていても、季節の移り変わりは肌で感じるもの。

今日など、先頃手術をして生還した友人の快気祝いを我が家でやったが、どうも料理を作っていても元気が出ない。漂う空気が妙に薄ら寒い。予定通り何品か作り、女4人と夫の小さな会食は終始笑いの中ではあったが、、、、いつまでこれが続くのか、などと考えて居る自分がいる。表面はみんな元気を振る舞ってはいるが、、、、。内一人は、会話の中で居眠っている。無理もない。仕事の途中でやってきた彼女は、明日も早朝から仕事だそうだ。ま、それが出来ている間は大丈夫だろうが。

 

そしてみんなが引き揚げた途端、どっと疲れが出て、すぐに端後片付けが出来ないのだった。リクライニング椅子に座って、仮眠をとることしばし。夫はとっくにお休み遊ばし、テーブルの上は惨憺たる有様。これを片付けなくては、、、、と思いつつ、シャインマスカットを食べながらパソコンだ。送迎の用事がなかったので、今宵は既にビール、ワインを飲んだあと。アルコールは控えたというわけだ。、、、このうす緑色の葡萄は、ホントに美味しい。友人が安く手に入れてくれたので、こういう贅沢が出来ている。アリガタヤアリガタヤ。

 

パソコンの用事の一つはしばらくご無沙汰の短歌だ。既に締め切りがヤバイ状態なので、明日投函できるように仕上げていたが、現在深夜2時過ぎだ。もうろうとした頭で考えても益はない。明日チェックするとしよう。

もう一つの用事は、台本の手直しだ。「何かが足りない」という思いから逃れられなくて、細部を日々チェックしている。勿論原作がある訳だが、舞台を日本に設定したため原作からは相当離れたものになっている。そのためインパクトに欠けるのは否めないが、そこをなんとかしたいと最後のあがきをやっているのだ。

明日は楽団中心の練習日だ。6時間に及ぶ練習時間を取っているが、果たして、、、、?勿論やればきりがないのがこういう舞台ものだ。どこまでもやるしかない。

 

明日は明日の風が吹く~てなもんだ。

2015年9月15日 (火)

おお疲れた!

今宵も打ち合わせのため、仕事の傍ら朝から準備をし、壊れかかったパソコンをなだめたり、叩いたりしながら、、、それでも限界で、メンバーにSOSしてみたり。。。

会場にたどり着いたときは、全くやる気が起きず、これは困ったどうしよう、と自己啓発に考えたこと。「ん、甘い物を食べてみよう!」でもって、あんみつを注文。予想外に小さいなあ~と内心文句を言いながら食べ終わると、丁度皆さんがお越しになる。あとは、ドリンクバーのお代わりをする間もなく議論白熱。

なんせ、この落語ペラの最初からお世話になっている人達。大概あきれ果てて、もうゴメンと言ってくれても良いくらいなものだのに、長い付き合い。いや腐れ縁か。今回も力を貸して下さるという。

この方達がいなかったら、落語ペラの実現は無かっただろう。全くの素人に分かり易くあれこれ教えて下さって、無謀とも言える要求に快く答えて下さった方達。本当に有り難くて有り難くて、、、。

で、この上、もう一人、犠牲者を増やそうとしているアチクシ。以前同じ舞台に立ってくれたTさんも、同席して下さったという次第。使える駒は全部使うね~と呆れられる,巻き込み型人生。、、、これだっていつまでやれるか,,,全てはいつか終わる。

Tさんのアイデアも色々面白く、為になる。矢張り経験が彼をひと周り大きくしたか。(体格の話しではない。)(デカイが)

「面白くなりそうですね!」の彼の一声に救われて、行く前のしんどかったことをすっかり忘れて居た。同席してくれた新人メンバーのOさんも、新しい世界を垣間見て、舞台への緊張が走ったようだ。,,,舞台。これほど多くの人々が、懸命になって作り上げてくれるものだ。中心にいる我々メンバーが、しっかり頑張らなくては申し訳ない。

 

いよいよ目の前に迫ってきた!

失敗の功罪。

昨夜深夜2時までかかって、メンバーに渡すための書類を作成した。ようやく完成したとホッとする間もなく、折角作ったものが全て消え去っていることに気付く。ほんのささいなミスが、ここまでになると、ちょっとやる気が起きなくなる。さんざん考えたあの時間は一体どこへ?

パソコンの中にどっかに残ってやしないかとさんざん探してみるも、これ以上探るとパソコン自体が駄目になる恐れアリとの警告が出る。朝になって専門家に訊くと、どうやらバーチャルな世界で作業をしていたようだ。だから、自動的に保存されないばかりか、保存作業そのものも夢の中だったというわけだ。

いやあ~、参った。なんてこと。苦手なエクセルをなんとか駆使して我ながら綿密なものが出来たと喜んだのもつかの間の夢だったというわけだ。

朝になって、ナントカ我と我が身を叱咤激励して、ふたたび同じ作業に取り組んだが、一晩寝たせいで、記憶が大分飛んでいる。ゆえに、新しい脳みそで、再度思考を巡らせる羽目に。

そして、これがこの落胆感を増幅させていたのだが、夕べ気が付くと手帳がない。頭の中の手帳は真っ白で、これは困ったことになったと大慌て。昨日の行動を思い出し、ホールにまで電話し、興業の主宰者にまで電話する。これはないとは思ったが、念のためランチを食べたお店にも。いずれも大変親切な対応だったが、出てこない。車の中から家の中まで、可能性のありそうな所は全部調べたが、無い。

そうこうしているうちに夕方になり、夫が「疲れた」を連発しながら帰宅。今にも死にそうな顔をして、「ちょっとヤバイ感じ。」とか言う始末。適当に相づちを打ちながらも頭は手帳のことで一杯。言うまいかと思ったが、「実はねえ、手帳が無くなってるのよ。」と告白してみる。すると案の定、俄然雄弁になり、「だいたいねお母さん。そういうものはど~ってないところに隠れているもんだから、その辺探してみたら?」等という。「勿論ありとあらゆる所を探したわよっ」、「どうせ人の不幸は楽しいものなんだから。。」などと返事しつつソファのクッションを持ち上げたところ、ニャニャント、「あった!」思わず絶叫したら、さっきまで元気が無かった夫が急にハツラツ!「ほら~~、言った通りだった。そうだろうと思った~~~だいたいねえ~~~etc」とどこまでも得意になる。

自分で無くした物を自分で見つけて、なんでここまで威張られなくちゃあいけないの?ってなもんだ。まあ何でも良い。結果オーライ。お陰で夫は食欲がでたようで、すっかりキレイにナイフとフォークで肉料理完食だ。てことは、アチクシの失敗が薬になったかも知れない。オホホホ。

 

この二つが同時に起きたことで、いよいよ限界を悟った。悔しいが、どうにもならない老化現象。そりゃあ若くてもミスはある。が、どうも若者のミスとは種類が違ってきてる様な気が、、、。

じわりと、限界が見えてきた。

 

にもかかわらず、本日も練習。昨日見た歌舞伎が早速役に立つ。舞台芸術。全て共通してるなあ。

「芝浜の革財布」という人情ものだったが、これぞ日本の芸術だなあ~と感心した。純文学に通じる心理描写は、非常に高度で、達者な役者さんによって、見事に演じられた。笑わせ方も今のお笑いからはほど遠い種類の物で、気持ちよく笑える。夫婦の寄り添って生きるさまが、地味ながらも丁寧に描かれ、あちこちで涙を拭う人の姿が。肩を振るわせて泣くほどではないが、自然に涙が流れる。

人は悲しくなくても泣けるんだ。

砂漠に清涼飲料水を飲んだような気分だった。なあ。

2015年9月12日 (土)

フツウが一番。

しばらく続けるようにと言われて、素直なアチクシは本日も整体へ。置かせて貰ったチラシはケッコウ少なくなっている。そして、その整体師の先生がチラシを見てくれていて、にゃんと、出演者とは古い知人だという。世間は狭いですねえ~となる。

不思議な感覚。施術後は体がだるく、夜は特に眠くて仕方がない。夕食後リラク椅子に座って夫の帰宅は遅いというメールに返事をスマホで打ちながら、気が付けばウトッとしていたらしく、画面が真っ暗。メールは勿論打ててない。ホントはここで寝たら良いのだろうが、そうも行かない哀しさよ。

昼すぎ整体を終えて印刷屋さんに廻って母をピックアップ。ランチを一緒にとパスタ屋さんに。そこに偶然来ていたメンバーのKさんのお相手が、以前うちのお嬢の一人芝居を観てくれたという話になって、話しが弾む。母もいつの間にか戦争時代の話しを夢中で喋っている。長居しすぎてお店がお茶のサービスをしてくれる程に。そんなこんなで、そのお方、早速チケット2枚購入して下さる。Kさんは言い出しにくかったようだが、そこは知らない者の強み。「是非いらして下さい。」が素直に言える。

そのお店に早速チラシも多めに置かせて貰い、次なる目的地へ。友人が農家の方から新米を玄米で買って下さるというので、取りに行ったというわけ。帰りは急に暑さがぶり返した為、通りかかったジェラートやさんに寄ってみる。小さなこのジェラート屋さんは優しい味の素朴なジェラートだが人気があるようだ。母も「梨のアイス」を味わいながら食べていたなあ。ランチスパゲッティを一人前食べて、尚かつこうしてデザートも食べられる。これが母のパワーの源だなあ~。

で母を送り届けて帰宅し、さあ、家事に精を出そうと思ったが、さっぱり体がだるくてやる気が起きない。すると次々と電話がかかり、家事以外のことをやる羽目に。

そうした時に今度チャリティコンサートをされるFさんの来訪を受け、チケットの精算ついでにチラシの挟み込みを依頼。まあ、お互い様というところだ。何を遣るにも集客が一番大変だ。ご主人を亡くされて2年目。「ようやく前を向いて歩けそうです。」と口にされながら涙が、、、。前を向いて、、、そうだ。人はいつも前を向いて歩く努力をしなくてはならない。そうでないと、つまづいたり、転んだり、、、碌な事はない。死ぬまで生きる。そのためには、ある種の努力もいるってことだ。

夫が帰ってこないので、やおら台本の手直しを始めた。ぼちぼち最終稿を上げなくてはいけない。上演時間が無制限ではないため、シンプルな筋運びの中で表現しなくてはならず、、、かなり難しい作業だ。幾つもやり方は思いつくが、あのメンバーでやるのに最も相応しいと思えるものを作らなくてはならない。それぞれの個性を大切に、本人も気付かない良いところを引き出す、、、そんな芸当がどこまで出来るか?う、時間が、、、。

 

しかし、水害にあえいでいる人々のニュースはホントに心が痛む。こういう時に歌っていられる幸せを噛みしめることだ。りっぱな家屋が自家用車が沢山水に浮かんでいる光景は、人間の小さな夢が打ち砕かれたという思いに駆られる。一応吾が息子も娘も関東にいながら難を逃れたようだが、、、。このご時世、いつ自分に災難が降りかかるか分かったもんじゃない。

 

ホントに、毎日フツウの暮らしが出来ることを喜ばなくっちゃ!

2015年9月11日 (金)

秋の空、美しいが、、、。

先日受けた整体のおかげかどうか、、、体がだるくてだるくて、ちょっと動いたら疲労感がヒドイ。夕食後椅子で眠ってしまい、目を醒ます為にお風呂に入ったが、余計眠くなってしまった。が、ナントカ、メンバーから送ってもらった曲毎の出演者表の添削をやっつけた。勿論これだけで終わりではないが、この一覧はおそらくみんなのお役に立つことだろう。この曲を歌うとき、自分が何を着て、何を持って舞台にたつのか、ということを全員が把握してくれるのにお役立ちだ。欠伸は百回出たが、一仕事終えてようやくベッドだ。

 

それにしても同じ日本で、かたや大雨被害が尋常じゃないというのに、こっちは晴れ。感謝して眠るとしよう。

2015年9月 9日 (水)

台風?ホント?ないつもの香川。

今日のちぇち練は全く久しぶりにW先生が指導に見えられた。女性らしいその容姿とは裏腹に、全く男らしいご指導ぶりは衰えていない。「それ~っ!そこっ!」と曲中に凄い声が飛び交う。、、、これだよねえ~~。これでみんなのお尻に火がつくんだ。

いつも思う事だが、結局最後は素直な人が勝つなあ~。指導者の指摘を100%聞けない人は上達が遅い。特に声というのは、自分には判断出来ない種類の物だ。自分ではやっているつもりだろうが、そんなことは全く関係ない。聴いてる人にどう聞こえているかが問題なんだから。逆に、今の自分の声はどうでしたか?と聞いて来るくらいでないとダメだなあ~。何を根拠に自信を持つことが出来るか?それは客観的な意見、感想しかない。良いものは良い。そうでないものはどこかに問題がアルということだ。

何かに取り組むとき、この自我との闘いがもっとも重要で、これに打ち勝つことこそが上達の早道だ。

 

昼間、お歌の練習に見えたTさん。久しぶりの時間だったが、やる内に乗ってきて、結局定期的にやるしかないという結論に。今年の夏は異常に暑くて、つい練習をサボってしまいましたと話す彼女。決めることで自分をそこに追い込むと言う手段しか、加齢と闘う術はないという結論に。全くその通り。サボり癖は一旦付いたらなかなかそこから脱却できないものだ。それは加齢と共に酷くなっていく。だからそうならない為には自分を追い込むしかない。、、、このお方にも少なめにチラシをお持ち帰り頂いて,,,10枚ほど。今日はチラシ配布の成績が悪いなあ~。

夕食は自宅で母と食べたしなあ~。ま、又明日だ。

2015年9月 8日 (火)

公演のチラシ。配布の日々。

月曜日という日は大概いつも大忙し。昨日も朝はシャンソン。終わったらその足で印刷屋へ。チラシの追加が出来上がったのだ。帰宅してからは夕方からの練習のために書類関係を準備。それを慌ただしく車に積んで、待ちかねている母を連れ出し夫の夕飯の材料を買いだしに行き、そのまま早めの夕食を近くの中華のお店で。

時間が無くて、内心ドキドキしながら、ゆっくりと喋りながらの母の食事に付き合う。しかし、ただ食事をしただけではない。毎日一カ所はチラシを置かせて貰おうという自分へのお約束を実行することに。出来たてのほやほやのチラシをお店に置いて貰えないかと恐る恐る言ってみると案外快く引き受けて下さる。「このチラシどっかで見たことがあるわ~」と女将さん。「あ、そや、石灯りロードや。」と話が弾む。出来れば私も行くようにします、と言ってもらえるだけで有り難い。この日のノルマは達成。

そのまま急いで店を出て帰宅。何時ものようにただお待ち遊ばしている夫に、あれとこれとそれを食べてねっ!と言い置いて飛び出し、サンポートに7時に滑り込む。そこからは濃密な練習。メインはソリスト。段々やるほどに良くなってきてはいるが、まだまだの感あり。狭い練習場で踊れないのが残念とシラッとのたまうA氏にみんなが爆笑。いやしかし、彼の踊りは見てみたい。メンバーの中で一番踊れる人、という私の期待を裏切らないで欲しいなあ~。コホン。

10時を過ぎて帰宅するとやっぱり空腹なんだなあ~これが。行く前はノンアルコールだったから、この時点でしっかり本物のビールを頂く。飲みながら、「今回の短歌のお題は飲み物だったなあ~~。。」とぼんやり考える。なんとかこのまま形にしなくては、、、とパソコンの前。しかし、その前に緊急のあれこれが入って来て、それどころではなくなる。結局深夜の長電話が1時前に終わって、そこからようやく推敲だ。ふ~、私間もなく古稀ですが、、、。

で、今朝は早くから本業。施術の合間に短歌一首をメールで送り、来店客にチラシをお渡しすることも忘れない。お見送りを済ませ、急いでシャワーを浴びて昼食を残り物で済ませ、2時のお約束のとある場所へと駆けつける。あるイベントの打ち合わせだったが、、、、どんなことでもそうだが、こうした裏方が最も大変。M氏は今回一手に引き受けてこの企画を成功させようとしておられる。一昨日台湾から帰国したばかりのお疲れのオカラダにもかかわらず、、、。瀬戸芸にも関わり、様々な事を立ち上げて来られた経験から、又ゾロこういうことになるんだろうが、まだお若いから出来るんだ。男性の年齢がよく分からないが、知り合っては永い。そういえば白い物も目立ち始めたし、、、オイクツ?いつか聞いてみよう。

ここでも、バサッとチラシをお渡しして、広く宣伝をお願いしてみる。なんせ、知って頂く事が大切だ。気持ちよく引き受けて下さるのも付き合いの長さゆえだ。,,本日のノルマ終了。

そこからほど近いところにある嫁りんの実家に立ち寄り、先頃退院して、ベッドに横たわる父上を見舞う。30分ほど介護疲れの見えるお母さんと話しをして、「又来ます。」と雨の中を外へ。車を回して玄関先を見ると、手をかざして雨を避けながらのお見送り。「頑張って下さい。」と窓から声にならない挨拶を。、、、退院の折「最後の最後まで自分の手で看ます。」と医師に告げたと聞いたが、なかなか出来ない事だ。吾が母の若い日と重なり、自然とエールを送りたくなる。

夕食まで少々時間があると思い、夫から進められた整骨院を訪ねる。近頃腰痛が出て困るときがあるからだ。大体のカンでここら辺かな?とゆっくり車を回していると目の前から夫が歩いてくる。かなり驚いている。自分が行けと言っておいてそれはないだろうに。受付でも大声で偶然を連発している。他人様はそれが偶然だろうがなんだろうが、別にってところだろうが、しきりにそういっては興奮している。ま、可愛いってことにしとこ。

確かに夫が言うように、かなりの技術を持った人のようだ。丁寧に話しを聞いてくれて、しっかりと説明もしてくれる。それほど凄いことをしてもらった気がしないが、夕食後リラックス椅子に座ったままぐっすりと寝込んでしまった。人間の体にとって一番大事な背骨を整えてくれるとか。しばし通院だなあこれは。

実は、ここでも帰る間際にチラシを出してみた。するとナント置かせて貰えたのだ。置き場所には健康関連のものが多々あって、全く異質なうちのチラシはかなり目立つ。「興味のアル方は持って帰られますから、、、。」と。

イヤハヤイヤハヤ。案ずるより産むが易し、とはこのことだ。

2015年9月 7日 (月)

今日の雨粒も大きかったなあ。

今日はちぇちの「衣装合わせ」という仕事をやっつけてから、かねてよりお誘いを頂いていたある邦楽の演奏会に出かけた。駐車場が満杯で探している内に時間が過ぎ、少し遅れて入る事に。すると、用意していたプログラムが無くなるほどに人が入って居たらしく、チラシのみ渡される。これは期待が高まるなあ、と会場に入ると案の定1階席が満杯で、ちょっと柄にもなくヒールを履いて出かけたので億劫ではあったが二階まで移動。めがけた席はなかったが、まあまあの席に着ける。、、、ところが予想に反してこれが合奏のみ。プログラムがないので、先の展開が分からず、いつかソロがあるんだろうと待っていたが、全て合奏。合奏が悪いと言うのではないが、全ての楽器の特徴が生かされないし、全部で70名の人々が舞台に上がっていて、全員でそ~れ、と演奏されても、遣る方は楽しいかも知れないが、ちょっとねえ。勿論これは全くの個人的趣味のお話しで、こんなこと誰も感じてなかったかも知れない。が、幼少のみぎりお琴を習っていたこともあり、琴は好きだし、尺八の音色も大好きといえる。三味線も日本の良い楽器だと認識しているが、、、、それらが全部一斉に音を奏でると、いわゆる邦楽の美しさから遠ざかっているような気が、、、。その上、弾き語りまでが加わり、大合唱の大合奏。久しぶりに日本古来の楽器の良さを堪能しようと出かけたが、ひたすら疲れた。多分、この会は目的が予想と違う会だったんだろう。うっかり思い込みで入ってしまった自分が悪い。

で、この上駐車場で待つのはゴメンとばかり早めに退場。駐車券を入れるところにお金を入れようとしたり、色々やりながら次なる目的地短歌の歌会へと移動。ナントカ1時間近くは参加出来た。何時ものようにお元気な師匠の言葉を聞きながら、ひたすら凄い、と感嘆符。一体どこからあのエネルギーが出てくるんだろうと、ぼ~っと考えて居たら評が当たってしまう。傘寿のお祝いをどうするか、なんてことちょいと話し合って結論が出ないまま解散したが、んん~~~。傘寿ねえ~。10年後、あの元気が自分にあるんだろうか?とチト不安になったなあ~。

そういえば、今日の舞台の人々も演奏はお元気だったが、見たところ平均年齢も高いかに見えた。矢張り何かに取り組んでいると若さを保てるのかも知れない。

 

そういえば夕べは高校の「異世代交流会」なるイベントに参加した。過去のこの会で知り合った人もいて、座ったテーブルは全員知らない若者ばかり。なにせ、全体の中でK氏と私が最高齢者という集まり。テーブルの半分は平成卒業の人達だ。「お若いですねえ~」と言われ悪くない気分に。しかし、彼らの話も色々と面白く聞かせて貰った。あの高校も時代と共に色々変わったようだ。当たり前だが。

会も終わり頃に、いきなり全員海辺の広場へと誘われ、にゃにゃ~んと、オクラホマミキサーと来た。真っ暗な海を背景に、街灯の明かりを頼りに全員で輪になる。意外とスムースに整列したなあ~。音楽が小さく聴き取りにくかったが、それでも間違いながらも全員で輪になって踊ったもんだ。いやあ~、参った。次々とお相手が変わって行く中で、「あら、蓮井さん。」と若き男性が声をかけてくる。二○会の歌い手だ。そうか、彼も後輩だったのか。ご夫妻で参加していたようだったが、いやはやいやはや、、、。とかありながら、愉快に時を過ごし、めでたくお開き。その前にちゃっかりチラシを持って各テーブルを周り宣伝にこれ勤めるのも忘れない。

、、、てな昨日を終えての今日だ。とにかく疲れているが、買い物にスーパーに寄ると主婦のサガ。あれこれ買って、いそいそとお料理だ。「お、良い臭いがしてるなあ~。」と良いながら帰宅する夫の言葉が、今日は自然に聞けた。ま、良しとしよう。これが、わたくしの生活だ。

2015年9月 5日 (土)

ネットで何もかも。

余りにネットでファッションを見ていて、目がくらくらし始めた。今度の公演の主要人物の為の衣装を探しているのだが、、、。

あるようで無い。

何万点という数がネット上に上がっていて、何時間もかけてチェックしている。最も悩ましいのは、生地がハッキリ分からないことだ。それを着るご本人とやりとりしていて、お互いに疲れ果てて、又にしよう、、ということに。現物を見ればすぐ分かる事が、矢張り大変だ。どこかへ観に行く時間もなかなか取れず、、、。ふ~っ。

しかし、頑張らねば。衣装は大切な要素だ。

 

今日は午後お歌の練習に出かけ、帰宅してからバタバタとお嬢に荷物を送りに宅配業者に。大した物を送らないのに、すぐ2千円というお金がかかる。朝も息子にゆうパック。ふ~っ。が、確かに運賃を考えると有り難いシステムではあるんだが、、、。上得意様。結局孫可愛さ故だなあ~。

 

ワインが回り出して眠い眠い。今日も充実し過ぎる一日だった。う。明日も衣装合わせだった!

2015年9月 3日 (木)

やるしかない。

能力以上のことをしようとすると、どっかにひずみが出てくる。最近のアチクシのこと。。。が、どれほどのミスをしようと、あのオリンピックの不手際に比べたらたいした事無い、と思えてくる。

ったく、にゃんとも恥ずかしい失態じゃん!?影響の範囲が広すぎる。あれは。

 

でもって、こっちの一番新しいミスは何かというと、チラシを大量にばらまいたが、「お問い合わせ他連絡場所、チケット販売場所」が一切抜けている。あれほどみんなで、原稿をチェックしたつもりが、まさかのミス。あれを見た人が、どうやってチケットを購入したら良いのか、どこに問い合わせたら良いのかがさっぱり分からない仕組み、わ~お。

 

こうなってくると、本日のFM収録後に立ち寄ったうどん屋さんに傘を置き忘れ、取りに戻ったことなんか、可愛いもんだ。ミキサーを遣ってくれたOさんに笑われた位のもんだ。

お嬢に頼まれてあれとこれとそれとを送って、と言われ、内一つはメーカーが違い、入れ忘れたものもありいのでお嬢に散々バカにされたことも、大したミスとは思えない。追加で送りゃあ良いんだから。取り返しがつく。

このところのバカが付くほどに忙しい日常で、数え切れない程のミスも、取り返しが付かないほどではないのだ。もうそんなことでストレスを感じたり、ストレス漬けになったりは止そうと決めた。

オリンピックの不祥事を思えば、少々のことは赦されるに違いない。たはっ!

今日のNHKのクローズアップ現代も、これをテーマに取り上げてはいたが、一体何の為にこの番組は存在したのか?さっぱり意味が分からない内容。これはこの番組にしては珍しい。あなた、何が言いたいの?と突っ込みを入れたくなるスピーチを長々とやる若き学者。うんざりした。

今回の選考委員の中に一人だけ、若い女性でS氏の作品が別物になって現れたとき、それを承認することに反対意見を述べた人が居たようだが、ここでも多数決の論理がせっかくの良識ある見解を打ち砕いた。そこも、問題。

ましてや選考委員をつんぼさじきにおいて、担当者と作家が直接やりとりしてことを進めていたとは、信じられない暴挙。何の為の選考委員か?それって、そう指示していた人が問題だろうに。そこは表に出ない。

出来上がってきた物は、ある作家の弁によると、4つの部品の内3つまでが別物に成っているのでは、それはやはり別物ではないか?ということだ。それを良しとするというのは、本当に信じがたい。

確かに、エンブレム、ロゴは大変だろうとは思う。丸△四角をつかって作成しようとすると似たような物が出て来ても仕方がないとも言える。しかし、だからこそこのようなものを作るときは、より多くの候補作品を時間をかけて精査する必要がアルのではないだろうか?初めから提出資格を厳しくしてハードルを上げて、そこを絞るというやり方はある特定の人々にのみチャンスを与えるという結果になるんだろう。国民的行事に、それは無いだろうと思う。もしかして小学生が作ったエンブレム、格好いいんじゃないかと思うが、、、。

 

自分自身の生活は毎日毎日変化に富んだ、モ~レツな日々。秘書がほしい~~~と切実に思う。公演一色に染まってきた自分の時間。体力知力が衰える中、どこまで頑張れるか?

やるしかない。

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