ああ時間。
本日のちぇち練は男前のW先生のご到来で俄に活気づいた。風邪や仕事で不参加の人もままあったが、それを感じさせない時間の経過だった。いつもこうして、自分の為に、それだけに参加してくれると良いんだけど、あの人が来ない、どうしたのかしら?練習出来るのかしら?な~んてぼやいてないで、そこに来た者勝ち、というか、来た人はそれだけ前に進めるが、来ないとその分確実に遅れるのだ。それは誰のためでもない、自分の為にマイナスだ。ということを知って欲しい。
その点、W先生は容赦ない。全体レッスンでありながら個人レッスンのようだ。、、、そして出来上がって来ると、おや、ちぇちもまんざら捨てたもんじゃないぞ!という充足感に満たされる。一人が、ホンの少し前に出るだけで、全体が数段良くなるのだ。
ま、今日のこれをみんな忘れないようにしないとなあ~~、、、。
昼間は、昨夜仕上げた台本の最終稿を手分けしてコピーから製本までを主婦3人と一緒にやっつけた。こういう時、主婦達の力は凄い。お仕事の若い人達には出来ない部分をしっかり担ってくれる。、、、みんな団体にとって必要なメンバーだ。
昨夜と言えば、この日曜日のコンサートのプログラムが当たったMさんは翌日が出張だというのに深夜までかかって仕上げてくれた。よれよれになってる様子のMさんに、感謝と激励の言葉をメールして、まだそれから後にもアチクシの作業は終わらない。ワードソフトと格闘していたという訳だ。結局おふろにはいってベッドインしたのは深夜3時。早くも外には早朝のお仕事の人の動く気配が感じられる。今日こそは、早寝早起きしようと心に決めていたはずが、結局こういうことに。お陰で、秋の静寂の何ともいえない静謐な時を体感できている。これが春だとちょっと違うんだよねえ。
月曜日はシェイクスピアの会だったが、後のお喋り会でS氏が「詩情とは?」と参加者に投げかけたのは良い質問だったと思う。ともすればシェイクスピアが劇作家とのみ思いがちだが、実は詩人なんだから。原語で読むことが出来ればそこいらへんがよく分かるんだろうが、翻訳には限界がある。
それに触発されて、本棚からシェイクスピア関連の本を何冊か取り出してみる。全て評論だが、如何に多くの人が古今東西この人の作品について語ってきたんだろうと、改めて思ったことだ。作品も面白いが、こうした評論もホントに思白いものがある。個人的に好きなのは中野好夫の、「シェイクスピアの面白さ」だなあ。日本人として、立ち位置を明確に持っての評論は、著者の趣味の広さ深さも合わせ持っていてホントに面白い。、、、もっと時間が出来たら読みたい本が一杯あるなあ~。いつになったらそういう日が訪れるのか、、、、来たと思ったらあの世行きかもねえ。