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2015年6月

2015年6月30日 (火)

愛について、考えた日。

しばらく留守にするので、今日は母に大サービス。その中の一つに「映画鑑賞」がある。というのも別の用事でちょいと立ち寄った映画館前。しばらく見てないね、と話しつつスケジュールを見るとたまたま今まさしく始まろうとしている映画が、、、。大急ぎでトイレを済ませ、車椅子を押して真っ暗な場内へ。少し目が慣れて見ると相変わらずぱらぱらの人。丁度腰かけた途端にタイトルが出ると言う素晴らしさ。「愛を積む人」というのがその題名。

見終わって、どちらからともなく「良い映画だったね。」としみじみ感想を言うことが出来たのは、邦画で非常に分かり易い内容だったこともあるが、役者が上手い人ばかりで、説得力があったことが一番だろう。原作が外国人というのを見て、な~んだ、という部分もあったが、それにしてはよく日本の物語にしているなあ~とも思った。

この映画の中には色んな愛のお話しが出てくる。夫婦愛、親子愛、義理の親子愛、恋人達の愛、、、、。そして北海道の素敵な風景の中におそらくはセットだろうか、こじんまりした家があり、その家の主婦が外国のような石塀を家の周りに作って欲しいと、倒産して仕事のない夫にせがむ。あまりの熱心さにバイトの男の子と少しずつ始めるが、その子はなかなか心を閉ざして打ち解けない。夫婦はそれでもその子に何くれとなく親切にする。にもかかわらず、その子はある時悪友にそそのかされてその家に泥棒に入る手助けをしてしまう。留守の予定が突然帰宅した主婦は弾みで転倒し失神、入院したり、、、。その主婦良子は重い心臓病を患っていた。詳しいことを夫にも言わず、突然この世を去るが、愛妻の突然の死を乗り越えられず苦しむ夫に宛てた妻の手紙が至るところから出てくる。

この夫婦愛を軸に、様々な人間関係のもつれがほどけていく。それはまるで、愛が石に姿を変え、段々整っていくようなものだった。やがて、どうしようもないと思われた人々の確執は雪解けと共に新しい光を浴びて浄化され、石塀も完成する。

原作は「石を積む人」らしいが、愛の方が分かり安かっただろう。題名を決める苦労をその担当者が話しているのをテレビで見たことがあるが、確かにそうだろうなあ。

 

特に我が母は、父が存命の頃は鴛鴦夫婦で名高かった人だから、この手の映画には弱いはずだ。帰る道々車の中は父との思い出話ばかり。ま、こういう日があっても良いか。

2015年6月29日 (月)

快挙?フツウ?

今日の午後、全くの出来心で、アルファあなぶきホールからサティまで歩いた。

朝は母を連れてサンメッセの手作り展に出かけたが、予想外に混雑していて、車を置くにも身障者用さえ一杯。仕方なく路上に他の人の真似をして乗り上げて停めたが、車椅子を持参していて大正解。場内は車椅子さえ通りにくいほど人がいっぱい。ナントカお目当てのキルティングのブースを探して先生にご挨拶して、無理を言って展示してある素敵な小袋を購入。,,,食べ物コーナーもあるというので、ここでお昼を食べることに。相変わらず何でも美味しいとカレーどんぶりを食べる母の横で、こちらはイチ氷なるものを。砕いたイチゴがかき氷の中にふんだんに入っているというちょいと変わったかき氷。それというのも、この後、中国から来ている舞踊団のショーを観に行く予定だったので、B級グルメの臭いはチト遠慮したというわけ。

慌ただしくそこを出て、母を送り届けて、一度我が家にとって返し洗濯物を干してからホールまで。この10分が祟って開演時間にまだサティ辺りという羽目になり、多分駐車場が困ると思いここに車を置いたままタクシーに。チケットを頂いたからという気楽さもあった。久しぶりにタクシーに乗ったが、ホールの玄関に入った途端カチッとメーターが上がるというあの悔しさを体験した。

舞台は、昨年東京で見た孔雀の舞踊とは内容もダンスのレベルも少し違ったかも。音楽とダンスと物語が舞台で一体となっているが、そこに言葉は存在せず、バレーよりも音楽が単調で、その分観客に想像力が求められる。「朱鷺」に纏わるお話しだったが、日中友好の願いが込められているそうな。、、、日中友好、ホントにねえ~。しかしこの団体主催コンサートはほぼ全員がスタンディングオーベーションという熱狂振りがいつもながら違和感があるなあ。

 

で、お昼を食べていないという思いから近くの行きつけのバーガー屋さんに立ち寄る。マスターが昨日Mさんが来てましたよ、と教えてくれる。少しばかり四方山話をして注文したのは「6月いっぱい」という表示に釣られてデカチーズバーガー。ここは美味しいのが分かってはいるが、やっぱり完食。でもって、その分歩こうと、つい出来心。

北浜アリーを抜けて、珍しい若者ファッションを眺めながら、中央病院近くまで来ると太陽がかんかん照りになってきた。汗が拭き出てくる。既に背中はびっしょり。ギブアップしてバスにでも乗ろうかと時刻表を見るとたまたまそこが10分待ち。それならばとなおも歩き、やがてイオンの大きな看板が見えてきたのに勢いを得て前進。

あと少しの所で、腰痛が出てきて手で摩りながらという憐れな格好に。どっかから、「全く情けないわねえ。それくらいで。」という十歳年上のお方からの叱責が聞こえてくる。、、、、ほとんどたどり着く格好で建物に入りカートを探す。しばしカートに身を預けてのお買い物。

いやあ~、疲れた。

2015年6月28日 (日)

なんてこった、の夜。

全く予期せぬ時間の過ごし方をしているアチクシ。

夕べは「寝損なった」ので、睡眠時間は4時間。朝から仕事して、昼はインスタントのおそばをかきこみ、高速を飛ばして羽床までお歌の練習に。

夕方お約束の時間に帰宅して夕飯。今日はとんでもなく疲れていて、夜はおそらく使いものにならない筈だった。

ところが、眠い目をこすりながらキーボードを打ち、ある程度まで仕上げた台本を閉じ、テレビを消そうとした時、(こういう時消すのが良いのは分かって居るが、、、)なにげにBSにチャンネルを回してみると、「忌野清志郎」を絡めたドラマが流れ始めた。

この歌手は、だみ声で、叫び歌で、言葉不明瞭なのに、妙に引っかかっていた一人で、時々ずしんと来る歌詞と、これでもかと訴える叫びに惹かれていた。58歳で突然のように亡くなり、もったいない、と思った記憶がある。完全な歌を聴いたことがないような気もするが、このドラマで使われていたライブの模様と歌だけでも、充分伝わる物があり、結局最後まで観てしまった。

これが又、とても真面目なドラマで、悩める高校生達が主人公。清志郎の出身高校の美術部の先生が口にする台詞が嫌み無く良かった。「どんなに苦しいことがあっても、夢を持ち続けろ。」こんなくさい台詞でも、このドラマの中にしっくりと収まっていて、好感が持てた。

これを見たアチクシは、そこに転がっていた大量のキューリを見て、深夜にもかかわらず「わさび漬け」を作り始めた。およそ1キロのキューリを只今つけ込んで、時間まち。あと少々で容器に取り分けて冷蔵庫に入れてから寝るつもり。

ナント感化されやすい人。

しばらく家を空けるから、ま、良かったんだけど、、、。

2015年6月26日 (金)

はっぱをかける作戦その一。

早速メンバーを呼んで、楽譜の作成に協力して貰う。みんなで集中してようやく完成。作戦見事成功。これで明日はいよいよ製本だ。

女ばかりの集まりは、例えこのような作業であっても、スイーツが付く。黒蜜のかかった美味なるアイスクリームを頬張って、元気を出してからの作業だ。

とんとんと進み、良い感じ。一つのお仕事が終わったと喜び合って解散。その流れで、夕食後も台本の製作に取りかかる。こちらはそう簡単にはいかない。出演者の顔を思い浮かべながら、この台詞言えるかなあ?照れないかなあ?と色々想いながらの作成だ。絶対時間というものがどうしてもかかる。結局本日も午前様。斯うした日常を義妹に呆れられたが、誰がしてくれる?太めの老体にむち打って頑張るしかない。

上京前にには仕上げて置きたいものだが、、、。さて。

2015年6月25日 (木)

ねじりはちまきの必要ありか。

なんだか今回の公演の準備がもたもたしている。どっかで自分自身にもハッパをかける必要がアル。一応少しずつは前に進んでいるんだけど、このペースではおぼつかない。なんとか士気を鼓舞することで乗り切るしかないなあ。

 

今日は一日楽譜に振り回された。昨日はパソコンに振り回され、日々お疲れモード。はてさて、本番までもつのかしら?

 

なるべくストレスを持たないように、余計な物はスルーして過ごしているつもりだが、じわじわと澱のように溜まっていく物がある。決して脂肪ではない。いや、両方かも。ふひょ~っ。

 

こうした中で、今日は友人や叔母からお野菜を頂き心楽しい。先日料理本を全て捨てて、もっぱらネットで調理法を検索するが、これもけっこう良い感じ。、、、時代だなあ~。

 

さ、午前様だが、少し歌詞をやっつけよう。

2015年6月23日 (火)

成長のお話し。

又しても只今午前3時。遅い練習から帰宅して、あまりの疲労感にちょっと横になったらほぼ1時間は寝たかも。でもって目覚ましのつもりでかけたテレビで噂に聞いたことがある、記憶喪失になってしまった元エリート敏腕弁護士の映画をやってて、途中からだったが見てしまう。初めから見られなかったフラストレーションから、日本映画にチャンネルを切り替えると「青春の門」という古い映画をやっていて、まあ、出演者の若いこと。しばらく見たが、最後まで観る気が無くなって途中から再び洋画専門チャンネルに切り替えると、こちらはこれ又ストーリーのみ知っている「メール」で恋するラブロマンスの放映中。結局これも途中でつまらなくなって元の日本映画に戻す。で、こちらを先に見終えて再び洋画に切り替えるとまだやっている。、、、こんな映画の見方するのも久しぶりだ。まったくよろしくない。ただの時間つぶし。映画館だとこれは絶対あり得ないことだが、家の中のテレビって、こういう危険性があるよなあ~。

 

今日のもの凄いハードなスケジュールのつけがこうして夜に襲ってくるのだ。昼間3時半の予約に病院へ行くと異常な混雑。,,,待つ間、知らないうちに深く居眠りしていた様で、知り合いの看護師さんに肩を叩かれ起こされる。申し訳ないが、相当待って貰うと言うので、一度外で用事を済ませてきますと出直すことに。まあ、お陰であれもこれも片付いて結果的には良かった。

 

夜になってお嬢から真剣な声で電話があり、何事かと思ったら今日の感動した事件を報告してきただけ。内心ホッとする。

お嬢が近くの公園で息子を連れて遊びに行っていた時、そこに以前我が子に怪我をさせた悪ガキが遊びに来た。イヤな予感がして、他のママ友に気を付けようね、と言った矢先その子が大きな石をそこにいた子にぶつけたらしい。とっさにお嬢は駆けよって今日こそは黙っていられないとばかり、大声でその子を叱責したようだ。するとやられた子の母親で、日頃優しいオーラ満載の上品なAさんが飛び出してきて、お嬢の声を上回る大声でドスの利いた言葉をぽんぽん投げつけ、その迫力にお嬢もタジタジとなったと言う。で、怒りの収まらないお嬢がその子に「お母さんは?」「お父さんは?」「どうしていつも一緒に来ないの?」と矢継ぎ早にたずねたらしい。するとその子が、「お母さんもお父さんもテレビ見てる。」と言ったあと、「5歳なんだから一人で生きられるって、言われたから。。。」この言葉に一気に怒りが消え、涙をボロボロ流すその子のことが愛おしくてならなかったと言う。5歳で、こういう言葉を使う子を今日まで知らないし、その子の家庭を思い遣って胸が痛かった、と。

まあ、大事には至らなかったらしいが、自宅に帰ってから、食事の用意をしているお嬢の所に息子がやってきて、二つのことを言ったという。一つは、「A君のママ、凄かったねえ~。でも格好良かったね。」もう一つは、「あの子にはねえ、優しくしてあげれば良いんだよ。」、、、これには我が子の言葉ながらグッときたようで、報告せずにはいられなかったようだ。もしかしたら、子供は大人以上に大事なところを見ているのかも知れない。

 

こうしてみんなが成長していく。

2015年6月21日 (日)

谷川俊太郎からスイカ大福まで。

オンデマンドで別の項目を探していて、見損なったアサイチに行き当たる。いつだったか谷川俊太郎がゲストに出ていて、生の詩人の姿が見られると思ったとき来客で見逃したものだった。

改めて見てみると矢張り面白い。「言葉は嫌いだ」を連発。「真実は言葉では語れない」とも。確かに聞いていると言葉は面白い選択をする人ではあるが、言葉を越えたところで喋っているという感覚がぬぐえない。86歳のようだが、流石にしっかりしているし、相手の言葉に正確に反応する。こういう風に年取りたいなあ~と思った。

21歳で文壇デビュー。しかもそのタイトルが「二十億光年の孤独」という素晴らしさ。それを書いた頃の自分を冷静に分析するあたり、年齢と共に進化し続けて居る人なんだと思った。日本にも凄い人が一杯居るなあ。

 

FBに「イチゴ大福」ならぬ、「スイカ大福」が非常に美味、と出ていたので母を連れて出かけてみた。長い待ち時間を想像して出かけたが、要領が良くなっていてすいすいと買うことが出来た。残りはあと1パックだったが、何故かパッケージに「父の日のために」と書いてある。4個入っていたので、ランチの後、母と1個ずつ食べてみる。確かにミスマッチのようでマッチしている不思議な食べ物。母も美味しいと言いながら、ゆっくり完食。我が家には現在同じ大栄スイカが冷蔵庫を占拠しているにもかかわらず、期間限定に弱いアチクシなんだ。

で、夜になって残った2個を何とか夫に食べさせようとしたが、夕食を完食して、こちらがお嬢と電話中にアイスクリームまで食べてしまった夫は、完全拒否。「父の日じゃなく、乳の日にしたら!?」なんぞと怪しい台詞を吐いて逃亡。、、、ムムム。もったいない。こりゃあ、食べるしかない。。。。が、やっぱり1個しか入らない。残る1個は、明日の朝だ。、、、って、良いのかしら?賞味期限。(そっち!)

 

さあ、明日は忙しいぞ~。アサイチでお芝居の座席指定を取りに行き、不在票の入って居たものを郵便局に取りに行き、その足でシェイクスピア。そのあとダッシュでとあるところにランチ。引き続きシャンソン教室、終了後は10分の間に病院の検査結果を貰いに行く予定。そして叔母がくれるというダンスショーのチケットを頂きに行き、急ぎ帰宅して夕餉の支度。7時にはちぇちの練習会場だ。終わったら、楽譜の最終打ち合わせ。、、、、、、一日一個のつもりが、、、。は~っ。

2015年6月20日 (土)

が~んば~ろう~~。

熱心な先導者のお陰で、次なる歌の課題曲が出て来た。イル・トロヴァトーレ、カヴァレリア・ルスティカーナに続く重い重唱で、今度も手強いオペラだ。が、こういうことがないとこれから死ぬまで、おそらくこの手の物は何も歌わないで人生終わるんだろう。有り難いことだ。やる気は、殆どの場合外からの働きかけに寄ることが多い。一人で孤独にやっていても、じり貧になってしまうのがオチだ。グループの存在自体に意義がある。

 

このところ毎日のようにテレビでネット通信の危険性が報じられている。便利は不便。全く。、、、といいつつ、今度の小旅行の全ての交通手段と宿泊はネットで押さえたところ。こういうことしてないときはどうやっていたんだろう?もう思い出せないくらいだ。

 

台本を根を詰めてやっていて、脳を休めるためにと回したチャンネルが、中国の有名スターのアメリカ映画で喜劇。一人でゲラゲラ笑いながらだったが、あのテンポはなかなか出せないものだろう。テンポはホントに大事だ。、、、と、すぐ作成中の台本に気持ちが行く。

 

おっと、短歌の締め切りも間近だ。がんばるべ。

2015年6月19日 (金)

変な気候だなあ。

ここを覗きに来てくれているとあるお方からコンサートのお誘いメールが届く。そこには、ブログを見てお元気でご活躍のご様子、、、と書かれてあって、フムフム、世間ではそう見えているのかと再認識。これは有り難いことだ。同情票が集まり始めるとかなりヤバイかも知れない。お世辞も言えないということだから。

勿論お元気な人は吾が周辺にも沢山いて、まあいわばそういう人達のオーラを頂きながらやる気を出しているようなもんだ。

舞台というのはそのやる気の結晶みたいなもんだから、本番まで皆様のオーラを吸い尽くしつつやっていくことにしよう。くっ。

 

しかし、寒い。通常アイスクリームを頬張りながらパソコンだが、流石に今日はホット焼酎にした。なかなか美味しい。、、、でも、あのCOOPから届いたでっかいスイカはいつ食べようか?不思議と暑くないと食指が動かないもんねえ。

 

ていうか、あんさん、どこまでふくれるつもり?という天の声が聞こえるような気が、、、、。

2015年6月18日 (木)

雨音を聴きながら、、、。

天気予報も当たるときは当たるなあ~。「夜遅くには雨。」がぴったしカンカン。寒いのやら暑いのやら、さっぱり分からない。なんか変。浅間山も噴火始めたと言うし、日本列島、大丈夫?って感じだ。夫が、備えあれば憂いなしだと、毎日のように「食料」「水」の備蓄を聞いてくる。何日分か?とか、全て1階にあるというと、1階がつぶれたらどうする?とまで言うが、答えはなし。質問もそこまで、というのが、この地域に住んでいる人間のいい加減さだ。ま、その時が来たら、来たときのことかも。。。

 

本日ご来店の方は、どうも芳しくない病気のようだ。どうして、人間病気にナンカなるのか?と話したことだが、全く昨日見た映画みたいに、健康なままで、バチッと神の斧が天井から振り下ろされる方がましかも知れない。じわじわと首を絞められるようなのはゴメンだなあ~。けど、これも抗えないからねえ。。。。

 

シャンソン教室に病気平癒の人がやってきて、これ又、今を大切に生きよう、今できることを真剣に楽しもう、という結論になる。今は殆どが内視鏡による手術で、とある臓器を全摘しても翌日から普通食。トイレも翌日には自分でだったそうな。凄い時代だなあ~。

おかしかったのは、シャンソンの歌詞が男女間の好いたはれた、やれ別れがどうの、未練がどうの、っていうのが多くて、自分たちはもうそういう時代は終わったと思うが、平均年齢がぐ~んと延びたりしたら、ちょいとやばいかも、、、なんぞと言っては高笑いしたこと。まあ、永遠のテーマかも知れない、、、、今度のオペレッタだって、そういう内容だからねえ。

 

さ、寝ましょ。

2015年6月17日 (水)

一応進んではいる。

一つ終わった途端に公演に関する案件が次々と浮上してきた。

まずは楽団の顔合わせ、日程、会場などなど。

今日はチラシその他のイラスト関係と、当日の舞台関連打ち合わせ。こちらの方は、その昔ミュージカル劇団で同じ舞台に立ったことのあるAさん。変わらぬ美貌の上に、二人の男の子の母親として、たくましくなっている彼女を眩しく眺めながらの何時間かではあった。確かに彼女が言うように、ミュージカルを遣ってた頃のアチクシの年齢に、彼女もなったということだ。時は激しく流れているなあ~。

でもって、帰ってから少し休憩しようとDVDの「エクソダス・神と王」というものを見始めたが、パソコンの前でいつの間にか居眠ってしまう。記憶が途切れ途切れになる理由の一つが、やっぱり余りに有名なキリスト教のストーリーが主筋で、緊張感に欠けるということだ。物語の展開が分かりすぎる。所謂「モーゼの十戒」がそのテーマ。こないだからこの手の物を立て続けに見ているが、どうしてもこの宗派の残酷さがナットクできない。あれほどに大量の「死」がこの物語に必要だということが理解出来ない。即ち現代の宗教戦争となんら変わらないのだ。まあ、現代の宗教戦争を理解させるために映画化してるとも言えるかも知れないが、、、、リンダ、わかんな~い。

 

で、例によって疲れたのオンパレードで帰宅した夫の為に夕食を整え、出来心で、ある部屋の棚の整理を始めた。というのも、今日の打ち合わせに持って行くべき資料を探し、ゴチャゴチャになっていたせいだ。このコーナーから、出るは出るは、ちぇちの古い資料も、不使用の紙類も、絶対に中身を見ないぞと、心に決めて捨てる物を捨てようとしたが、遂には古い手帳なんかが出て来て、やっぱりぱらぱらとめくってしまう。、、、これを遣ると途端に進まなくなる。黙々と汗びっしょりになってやっているアチクシを尻目に、「ちょっと 散歩に行ってくる」とお出かけ遊ばした夫は、1時間も帰宅せず、よくもまあ、あれ程疲れたと言いながら歩けるもんだと呆れながら非常用荷物までチェックして、掃除機でようやくおしまい。ふ~っ。

 

シャワーを浴びて一段落したら、パソコンに台本の手直し修正版が届いた。てえことは、又これからが~~っと忙しくなる。

 

しかし、きっと何時ものように、色んな人が助けてくれるのではないか。と、期待感の高まる一日でもあった。

2015年6月15日 (月)

第40回Cantiamo、終わる。

今日の演奏会は3時間にも及んだ。が、それほど長いとは感じなかったのは何故だろう?矢張りそれぞれの成長ぶりが感じられて、そこが楽しかったのもあり、課題曲以外にバラエティに富んだ内容は飽きさせなかったといえるだろう。

まだまだ発展途上という人も、(いやみんなある意味そうだが)今日までの勉強の成果がハッキリと感じられた。創設者の故I先生もあの世で目を細めていらしたにちがいない。本日間もなく先生の3回忌を迎えるのを意識して、メンバーのHさんがチャンと自宅の庭のお花を飾っていたのは流石。

終演後に打ち上げ会場に移動して、和気藹々の反省会?、、、じゃないなあ、あれは。

ま、いっか。

 

さあ、一つ終わった。ようやく明日は陶芸に行ける。生きたくてうずうずしていたが、どうにも時間が取れなかった。全く久しぶりで、フツウの師匠ならとっくにお払い箱だろうが、事情を分かってくれて居るのでこうして甘えさせて貰っている。有り難いことだ。

2015年6月13日 (土)

決して後のビール目当てじゃない。

来月は又しても上京することになったが、今回はようやく芸術的な旅になりそうだ。が、一日でオペレッタを観て、そのあとすぐにN響コンサートというのは、果たしてどうなのか?同行予定のM嬢から、耳がいっぱいになりそうですね、と言って来たけど、確かに。吉と出るか、凶と出るか、、、。ま、美味しい物好きの吾等のことだから、こっちも目的の一つ。どんな旅になることやら。

 

で、明日はCantiamoってことで、まずやったことは拡大コピー。しかし、拡大してみて愕然とした。べっちゃりだったオタマジャクシをよく見ると全く勘違いしていたことが判明。こりゃあ、ピアニストも大変だあ!ていうか、明日の今日になってやること?と心の臓から声が聞こえる。かなり目が悪くなっているということだ。これまでは、拡大するのは眼鏡をかけたくなかったからだが、これからは、拡大した物をさらに 眼鏡で見なくてはならない。、、、加齢って、ホント元気が無くなるわい。

しかし、元気が無くなるなんて、碌な事を引き起こしかねない。先ほどのテレビ番組で、言葉は違うが、「何もしたくない症候群」のもたらす怖い結果について報道していた。確かにナットクの内容だったが、これが原因で寝たきりにまでなる人がいるというのは放っておく訳にはいかないなあ。となると、ちぇちの活動は健康のためにも良い事なんだ。あらためて、、。

 

ま、とりあえず明日はお歌、ガンバロウ!

車内温度計が32度の今日。

ありったけの力を振り絞って、本日も一日を終えようとしている。恩師がご自分の事を、「無理してます」と書いてこられたが、いやあ、この師にしてこの弟子あり、というところか。

11月の公演の為にホールを見学させてもらった。限られた予算で、どんな面白いことが出来るか、、、、多分具体的に動き始めれば面白くなるんだろうが、今の段階では暗中模索。それでも結構な時間、ホールの担当者にお付きあい願って、様々なことを教えて貰った。少し創造力が膨らんでは来た。

観客が入ってないこのホールは、溜息までもがハッキリと最上階まで聞こえるという設計だ。満席になると、少々変わっては来るが、それでも素晴らしい音響効果だ。

、、、こうして、公演まで休みなく動かなくてはならない。若者に助けられて最後まで頑張るしかない。

 

帰りにマスコミ訪問。この会社は過去にたびたび訪れているが、社員の中に担当者がまだ健在だったのは有り難かった。とんとんと話が進み、問題無い。

 

ホール見学の前に母とランチ。一応正常な食欲を見せたが、この暑さで大分参っているようなのが気になる。この夏を乗り越えて欲しいものだが、、、。

2015年6月11日 (木)

パソコンさまさま。

目が廻る忙しさの中、地元出身のソプラノKさんの8月コンサートが舞い込んできた。永年のお付きあいから、各マスコミを廻ったり、動けるところは動かなくてはならないが、さて、どこまで出来るか。

7月に我々の公演と同じ演目を遣る団体があり、メンバーと楽団員のとある方も一緒に7月初めには上京の予定。何かしらの収穫を期待している。

今週末はCantiamo.自分を含めようやくみんなお尻に火がついてきて、その準備も忙しい。今日はその上にFMの収録までやっつけた。素晴らしい音楽家を招いて、チャリティコンサートを企画したり、25年間も頑張って来ている女性R女史だ。さすがに引き出しが多く、お話しが尽きない。Rさん曰く、クラシックの鑑賞に、お茶とケーキはとても良く合うそうな。確かに。、、、しかし、こうした考えは、25年前は異色で異端だった。近頃になって大分受け入れられてきたが、最初は、ケーキを食べるのにも緊張されて困ったそうな。日本人のサガだろうか。

それにしても本日のミキサーはお気の毒だった。デッキが読み込めないタイプのCDを持ち込まれたため、パソコンに出張って貰い、何とかしてもらったが、ホントやっかいなことだ。

楽しく収録を終えて帰宅してからは、お昼ご飯もとれないままお歌の練習に突入。それは夕方まで続いたことだ。このところ毎日のようにこうした練習を続けているが、まあ、やればやっただけのことはあるのが救いだ。

、、、このような中で、我と我が身を追い詰めるパソコン作業。遣り慣れないことを無謀にもやっている内におかしなことになり、結局いつまでもこれにかかわっていては、何も進行しないと諦めて、遂に昨日、バサッとやりかけの原稿をTさんに預け、それをひとまず整えて貰うように添付書類まで送りつけて、只今そちらは小休止。これが仕上がってきたら、台本の完成に向けて必死にならなくてはならない。ふ~っ。

2015年6月 9日 (火)

部屋の菖蒲の花は満開だが、、、、。

今夜もちぇちの練習だ。臨時ではあるが、こうした時間を取らないとソリスト達は大変だ。今回はかつての吾が団体のスターの一人、A氏が加わり、懐かしくも愉快な時間となった。彼ほど外観と内面が一致している人も珍しい。って言うと、本人は怒るかなあ?フフフ。プレイボウイ的な風情は彼以上に出せる人はざらには居ないだろう。

 

今日も一日中バタバタしてたが、それぞれの時間が全て、真面目な内容なのも、考えてみると面白い。別に歌手になるわけでもないのに、真剣に勉強に勤しむ連中だ。これを可愛いと言わずしてなんと言おう。

 

雨が土砂降りになって来た。と同時に寒い。どうなってるの?花の持ちは良いけどねえ。。。。

2015年6月 8日 (月)

歌と芝居とフラワーと。

今日も今日とて、、、。

いつ降るか分からない天候を考えて洗濯物など家事にいそしみ、ランチは母と。午後はお歌の勉強会にはるか遠くまで高速を駆る。およそ3時間のみっちり勉強会(美味しいケーキ付き)は週末の発表会を前に熱心に進められた。

で又高速を飛ばして、帰宅したら夫が待っていてすぐに一緒にサンポートまで出かける。今日は朝も早くカラ出かけていた夫は助手席で伸びていたが、このところ二人でこうしたものに出かけるのが続いている。きょうは戦争をテーマにしたお芝居だったが、静かな池の中に小石を投げ込む感のある、それでも今の時代に是非とも必要な上演だったと思う。とにかく、考える機会を提供するのも演劇の使命の一つだ。

この劇団の公演はけっこう見て来ているが、今日は全くの新人という人達が何人もいて、中には将来有望な若者もいたりして好演していたのが印象的だった。一つの舞台に、こうして古い人と、新しい人が混在し、落ち着いた空気感とみずみずしい新鮮な空気とが醸し出す空気感には好感が持てた。まあ、どんな舞台にもプラスマイナスあるわけで、出演者の滑舌にちと問題があったように思った。おそらくは相当な練習を積んで臨んだ舞台だっただろうが、本番となるとその力全部出すのは至難の業だ。新人となるとそれが顕著に出てくる。やたら早口になり、自分にしか分からない台詞運びになっていたり、、、。焦りは禁物だが、どうしてもそうなってしまう。

役者の台詞の中に、「爺さん婆さんに分からないような,演劇っちゅうものばっかりだ。」というのがあったが、確かに。まあ、絵画や彫刻同様、芸術は分かる事だけが値打ちではない。がそれにしても、人間が出て、人間が喋り、人間の話をするのに、それが理解不能というのは、どうなんだろうと正直疑問に思うのも事実だ。

これは決して他人事ではない。ちぇちだって、目指すところはそういうことだ。

二人とも疲れていて、下で担々麺を食べる。芝居を観た後の感想を話し合うのも良いもんだ。結婚前は同じ映画を観ては色々意見交換したことを思い出す。あれから45年。,,,人生はあっという間だ。

 

今日も友人から白い綺麗な紫陽花など頂いた。夫に言ったもんだ。こう毎日お花が届くのは、もしやあの世に近づいているのかしら?

花に囲まれていると幸せな気分になるから不思議だ。

2015年6月 7日 (日)

さぶっ。

寒い。この場所は24度と表示が出ているが、20度くらいに感じるなあ。昼間はクーラーをかけて歌の練習をしたというのに、、、、全く不規則で付いて行けない。

 

音沙汰がない三婆も気になるが、一応大丈夫なんだろう。むしろこっちの方が疲れが取れず、家事をするにも馬力が出なくて困った。この丑三つ時になって、ようやく気力が快復してきたが、、、。ま、もう寝なくては。明日のお歌の練習に響くからねえ。

 

今日は不登校の中学生に声の出し方をインスタントレッスンしたが、歌とはつくずく心理的な要素が強いと改めて思った。蚊の鳴くような声だったが、しばらくやっている内に少しずつ声が前に出るようになって来た。こうしたことがきっかけで何か自信が出れば彼女も変わって行くんだろう。悩み多き若者が多いということだ。それでも人は生きていかなくてはいけない。

 

このところ毎日のようにお花を頂くが、今日は「花菖蒲」を沢山頂き、早速ボンと活けてみた。気温が低いため、蕾が固くなかなか開く気配がないが、これからが楽しみだ。

お花も嬉しいが、なんといってもフルーツのお届け物には感激だ。今日は枇杷とイチゴが届き、早速いただく。新鮮な果物に勝る食べ物は無いように思う。まったく幸せ~。果糖?、、、ん?ま、いっか。

2015年6月 5日 (金)

ばばさま達は行く。

昨夜から一泊で、豪華ホテルに女四人で逗留したが、運転手を務めたアチクシは殊の外お疲れモードで、帰宅して夫のために夕食を整えたが自分は全く食欲が無い。かろうじてビール一杯を干しぶどうをつまみに飲んだだけ。矢張り思わぬ所で気を遣っていたのだろう。同世代と行くのとは訳が違った。

がしかし、お嬢に電話で報告したら、「三婆じゃなくて、四婆でしょ?」と言われてしまう。まあ、そう思えば疲れて当然だが、お風呂一つでも怪我されないようにと相当気を遣った。みんなが今回のこの旅を、「冥土の土産」と大いに感動してくれたのがせめてもの救いだが。

帰路、びんび屋に立ち寄り、定食二人分とでっかいカレイの唐揚げを四人で食べる。刺身一切れが大きすぎると仰る、おばあさま達。それでもケッコウお食べ遊ばしたなあ。つくずく、食は健康のバロメーターだと思う。朝食にバイキングでしっかり食べ、別腹のおぜんざいもきっちし胃袋に納めて、4時間後だけどねえ~~。

食といえば前の晩は、和食のフルコースで、出る物全てを、「珍しい」「美味しい」を連発。「梅酒」と「生ビール」もお飲み遊ばし、皆さん完食。こっちも冷酒を一合、久しぶりだったから酔うかと思ったが、矢張り緊張のせいか酔えなかったなあ。

帰りに母達のいとこが老人施設に入っているというので、曖昧な情報を元に訪ねてみた。どれほど曖昧か。一人は、「寂しそうな場所にポツンと立っていた。」と言い、もう一人は、「Sという地名は間違いない。どこかは分からないけど、この国道からチョット入ったところ。」とのたまい、最後のお方に至っては「確か、施設の名前にハかパが付いていた。」、、、、ナビに入れられる情報はゼロ。仕方なく、その全ての情報?を元に、みっちゃんナビを働かせて、,,,遂に見つけた!「○○○パ○○○」というその施設の名前には確かにパが付いていたわなあ~。コホ。

その部屋の主が丁度入浴した直後にバッタリ面会。多分自分も幼児期に会ってはいるんだろうが、記憶になく、「初めまして。」のご挨拶。この段階でメチャクチャ疲れが出始めたアチクシ。案内されるままお部屋に入って、目に飛びこんできたマッサージ機に突進。みんながワイワイ昔話をお喋りしている間、3クールもマッサージしてしまった。でも、あれがあったお陰で比較的元気にその後の運転も出来たに違いない。ああ、助かった。

 

しかしまあ、あんなに喜んでくれるなら、次もあるかなあ?あまり遠くないところで、この疲れを忘れた頃行ってみるか。ふ~っ。

2015年6月 4日 (木)

恩返し?

一日の贅沢。熟しすぎた熟女四人組。とあるホテルを満喫中。至る所の彫刻や絵画に溜め息。たっぷりの和食コースに舌鼓。ゆっくりと素敵なお風呂に貸切状態で入り、只今間もなく午前様になろうという時間に、まるで若者のように部屋でおしゃべりに花を咲かせる。95歳のわが母親を筆頭に三姉妹を誘い、冥土の土産と言いながら山のホテルにやってきた。いや実際、いつ又こうした時間が持てるだろうか、、四人のうち誰か一人でも欠けると恐らくはジ。エンドになるだろう。
自然の応援を受けて本日は晴れ。油を流したような瀬戸内海を見ながら山間の町の灯りが少しずつ点いていくのを眺めながらの夕食。生ビールの後は、勧められるままに久しぶりに冷酒を飲む。確かに何くれとなくお世話させてはもらうが、人生の先輩たちに囲まれ、昔昔にそうされたような、守られている感じもある。気分的には甘えているんだ。
さあ、明日はどんなことになるやら、、、、。

頑張ろう。

公演。

本日はちぇちの練習日ながら、そちらは若者達にお任せしてこちらはとある演劇の公演にはせ参じた。というのも、11月の公演のヒントになる物が欲しかったからだが、結果は惨敗。マイクを使いながらの台詞にもかかわらず滑舌が悪いため聞き取りにくく、やたら甲高い笑い声に寒気がした。笑い声を作るのはホント、難しい。心がこもってないと空々しいばかりだ。いくら無料の公演だとて、あれ程の集客をするならもう少し訓練した役者が出てくるべきではないか?、、、と色々思ったが、この公演の意味はある教えにあって、上手い芝居を見せるのが目的ではないということが最後に分かった。その教えとは、エライ人がコメントしていたが、「昨今の日本人の中に希薄になった兄弟、姉妹愛を、再度考えよう」というのがその趣旨だったようだ。所謂道徳劇としての役割をしっかり担っているというわけだ。その点山本周五郎の作品はうってつけといえよう。だから、目的は果たしていたのだ。

目的ねえ~。我々は何をどう伝えようとするのか。道徳観をたれるような人の集まりでもなく、ただひたすら音楽好きの集まり。使命感をもって遣っている人は殆ど居ないと断言できる。ただ、漠然とした意義のようなものは感じながらの日々の練習だ。真剣に遊ぶ中で、何かが生まれるだろうとはかない希望を持ってはいる。が、さりとてそれもこれも自己満足かも知れないと、「確信」と「疑惑」の中を行ったり来たり。それでも「やらなくては」との思いは強い。

その証拠に、芝居の後、思ったより早く終わったため、かなりの遅刻だったが練習会場まで出かけてみた。みんなの顔を見るとホッとする。

11/21は夢ではなく、ホントにやってくるんだ。わお。

2015年6月 3日 (水)

もう6月3日だ。

半月前の短歌の特別歌会の打ち上げを10名ほどでイタリアン。、、、花火を打ち上げた人はほぼTさんだけだったかも~なんてね。ま、それでもみんな大いに楽しんだ。年齢差も若干ありいの男女も居ての小宴会は、こういう場所ならではの盛り上がり方をして、始終笑いが絶えない状態だった。こういう会を重ねることで、段々人間関係が深まっていくのを感じる。人と人との絆は「食」と深い関わりがあることを再認識だ。

同じ高校に通った経験のある人ばかりというのも、「異世代同窓会」的な面白さがある。もう半世紀も前の話が、昨日のことのように出てくるというのも面白い。もっとも大半は忘れて居たが、、、アハ。

 

昼間は暑くなってきて、仕事はクーラーなしでは出来なくなってきた。毎日お花を沢山頂いて、全部活けて楽しんでいるが、これらも間もなく終わるんだろうなあ、、、。この部屋には白い紫陽花と、真っ赤なバラが。キッチンにはピンクのバラ、お店には色とりどりの名前も知らない花が咲き乱れている。友人から貰った柏葉紫陽花も、見事な大きさで見る人を元気づけてくれている。花は良いなあ~。

 

白い紫陽花の花言葉は、「寛容」だって。確かにそういう色だなあ~。

2015年6月 1日 (月)

シャンソン発表会、終わる。

本日は心配されたお天気も、ほど良いくらいに晴れてコンサート日和となった。お陰で、あちこちで行われたさまざまなコンサートも賑わったようだ。私自身が3カ所ほど行きたいのがあったが勿論行けずFBでその情報を知ることとなった。

「歌う」という行為はホントに難しい。練習時の力の8割方出せれば良い方で、ある人は1割しか出せない人も出てくる。観客に飲まれる、というか、本来の自分がどっかに行ってしまうのだ。だから本番まで持って行く行き方が大事になってくる。いわゆるハッパをかけるという行為も、ある時は必要だ。結局は練習時間の量、練習に使ったエネルギーが結果を生む。自分を含めて、本日はその点がイマイチだったようだ。

しかし、年齢が高くなってくると、恥を恥とも思わなくなり、その点の度胸だけは立派になってくる。「笑って~ゆる~して~」てなことだ。まあ、それでも良いのかも知れないが、「自分との闘い」を経験することは、人生のさまざまな場面で有効だと思う。今から歌手に成ろうという人はいないんだから、「歌」を通して、人生をどう生きるかということだろう。

それにしても改めてシャンソンは面白いと思うなあ。

 

疲れたが、一応終わった。

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