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2015年5月

2015年5月30日 (土)

ビックリしたなあ~もう~!

又大きな地震だ。お嬢からの電話で知る事となった程にこちらは大丈夫だったが、それにしても噴火だ地震だと、毎日大変だ。たまたま地震前ののニュースキャスターが、今国会でもめている自衛隊法の改正なんぞをやってる内に、足下の災害についての対策をどうするかにもっとエネルギーを割くべきだ、というメッセージには思わず拍手。その後に来たこの地震だ。お嬢は近くの中学の町内アナウンスが初めて大音量で警戒警報を発するのを聞いて、ホントにびびったらしい。

今後日本列島はどうなっていくのか?今回の地震で地下のマグマが刺激されて、南海トラフが動き出す可能性もあるとか。やだなあ~。水の点検もしておこうとは思うが、、、。

明日はシャンソンの発表会だが、雨はそれ程心配いらないようだ。むしろ心配は自分の体調だ。今日も連チャンのマッサージに出かけ、少し声も出るようになった感じ。やれやれ。

 

自分の歌としては明日は初めての反戦歌を歌う予定。こんな事しかできないが、来て頂いた方共々、考えたいテーマではある。メッセージ性のある歌を歌うのは難しいが、、、。

 

スマホの情報の一つみんなの電話、メルアドは少しずつ集まりつつある。口コミ?で教えてくれる人もいる。ここを覗いた人も電話くれたり、、、。それにしてもスマホに入ってるアチクシの個人情報は取り出せないまま送り返さないと行けないのかしら?何となくイヤだけどねえ。これだから銀行なんかに使わなくて良かったんだ。

しかしまあ、捨てる神あれば拾う神ありで、本日来店の若者がWi-Fiは設定してくれるわ、アプリのダウンロードもチャチャットやってくれるわ、大助かり。お陰でかなり仕える状態になっては来た。

やっぱりパソコンと同期出来る様にバックアップ取っておくべきなんだなあ~。ふ~っ。

2015年5月29日 (金)

参った!

ぼ~っとしいていた結果とはいえ、余りに悲惨なこの状況。スマホが新しくなって良かったと思いきや、前のデータが全滅。さあ困った。昔なら、殆どの友人の家の電話番号を覚えていたが、近頃はそもそも固定電話にかけることもなくなっている。携帯なんかの長い番号を覚えられるはずもなく、全くお手上げ。帰宅した夫が困り切っているのを見かねて、じぶんのと共通の知人たちの電話番号を口頭で教えてくれるのを全部入れてみた。言う方も疲れる、聞いて打つ方も疲れる作業。ふ~~~っ。

それだけではない。ダウンロードしていた全てのアプリが消えている。何を入れていたかさえ思い出せないが、とりあえず頻繁に使う物を、と思ったらWi-Fiなるものを設定しなくてはならず、もう~っだめ。めんどくさくて、やる気になれず、息子に電話しても捕まらず、、、とりあえず投げた。

 

たださえけんびき風邪で、声が出ないほどに疲れている。明後日ホントに歌うのか?司会するの?ってなところ。

 

とりあえず寝る。

2015年5月28日 (木)

今度はスマホ。

夕べ、練習から帰宅して深夜3時までパソコンをごそごそやっていたら、案の定朝は声がガラガラ。未だに首がごりごり。日曜日のシャンソン発表会では歌えるかどうか、,,。

疲れ過ぎると碌な事はない、っていうのは、イヤというほど知っているはずが、、、やっちまった。今度はスマホを洗濯しちゃった。そして20分後に気が付いて、引っ張り上げるも,,,無念。乾かしてスイッチを入れてみたが画面が右往左往するばかり。やっぱり壊れた。

しかし便利なシステムがあり、明日は吾が手元に新品が届くはず。

多少の不便はあるが、一日無いだけで随分とストレスから解放された感がある。いくつかメールが届いてきている気配があるが、仕方がない。諦めて頂こう。

2015年5月24日 (日)

女子会、このメンバーでは多分1年ぶり?

我が家に久しぶりに4人の女が集まり飲んで食べて大笑い。夫が出張で今夜は帰らないし、気を遣う人が居ない気楽さもあって大盛り上がり。尽きることない話題に、なんとかピリオドを打ったのはお行儀の良い10時。それはひとえに明日の朝、登山するかも知れないMの為に早めの解散となったのだ。一応誘われているけど、もはやその気は90%無くなったアチクシ。あ~め~よ~ふ~れ~ふ~れ~。。。と心密かに祈っている。

 

さあ、どうなんだろう。

 

寝よ。

2015年5月22日 (金)

一万歩歩いた日。そして車の今日。

水曜日の観劇を見終えた際、同行して下さった岡山在住のMさんが、「私、夫が乗っている電車に乗りますので一足お先に!」と言い捨てて小走りに人混みから消えた後、友人Kと、「どうしますか?走りますか?別に遅れても構わないけどねえ、、、」等と言いながらそれでも急ぎ足で駅に向かっていると、早くも駅に着いたMさんが手を振っている。それを見て顔を見合わせた二人。尚も走らないのも年下の我々としては面目ない、との思いが湧いてきて、どちらからともなく走るような急ぎ足のような感じで数分。何とか駅にたどり着いたが、最後の最後で階段になっていて、上に付いたときはあえぎあえぎで言葉も出ないくらい。Mさんに拍手で迎えられたのには参った!しかもすぐに来た電車に乗るや否やMさんは、いきなりごそごそと時刻表を出してこられて懸命にマリンライナーの時刻を見て下さる。「いや、良いですよ。間に合う物に乗りますから、、、。」と段々語尾が小さくなるアチクシを尻目に、「ああ、大丈夫です。4分の乗り換え時間で次のに乗れますよ。」とこともなげに仰る。Kさんが横から、「どうする?」と聞いてくるのに、「まあ、例え間に合っても座れないけどね。」と答えながら、こりゃあ、それに乗るしかないなあ~と諦めた。岡山駅に着いたときにはようやく息も整っていて、再びご挨拶もそこそこに走ることに!わあ~お、信じられない。と内心思いながらもどどど~っと走って教えてくれた電車には間に合った。乗り込んでから二人で大笑い。「まあ、確かにこれだと随分早く帰れるわねえ。」とナットクしつつ、「それにしてもMさんは全く贅肉が付いてないわよねえ。あれだから走るのが何ともないのよねえ。凄いわねえ。一体おいくつかしら?、、、」等とMさんについてひとしきりうわさ話。Kさん曰く、「あんなにお上品で、しなやかで、キョウヨウがあって、優しげな物言いをされる方はあんまり近辺にいないわよねえ。」,,,全く。吾が周辺は自分を含めガチャガチャが多い。

そのMさんから今日、早くもハガキが来たのにも驚いた。ホンの少しばかりの御礼のお菓子に対する礼状だ。いやあ、素晴らしい。こういう所が真似できない。いや、見習って、こちらからも早速書こうと思っては居るが、、、。はあ~っ。

 

本日はH先生宅で恒例の歌の練習会。それぞれ、オペラの大曲ばかりを歌っているが、見事な美味しいケーキを頂いて元気を出して歌ってきた。女ばかり4人が吾が車に同乗して行きも帰りもお喋りに花が咲く。ただのお喋りでなく、矢張り歌などの話題が多いのもこうして遣っているお陰だ。いつまでやれるのか、、、、。

こちらは明日我が家にご宿泊の二人の女性の為に、いつものお肉やさんに立ち寄って美味しいお肉を買ってきた。これで明日の夜の宴会は大丈夫。

問題は、その次の日に早起きして山登りしてからの同窓会、というあれだ。こちらはその日の気分で、登る気分になったらね、と言い置いてあるが、さあ、どうなることやら。雨よ降れ降れ~~。

ベニスの商人。う~む。

一年に一度、岡山の大学に招かれて、ロンドンからシェイクスピア劇団がやってくる。一般の観劇も人数限定で赦されているが、主に学生達の為の公演だ。過去数回恩恵にあずかってきたが、今回ほど考えさせられるテーマの作品にはお目に掛かったことがない。

舞台装置と言えば、大学の講堂にどこにでもあるついたてを何枚か使用して、それに布をかけるだけの代物。唯一、特別な作られたらしいベニヤ板に小窓が付いた物がセンターに鎮座ましまし、時々それが役者の手によって裏返る、といった最小限度の道具のみ。従って、観客の目はおのずと役者の動き、演技、表情、声に集中することとなる。逆にいえば、それに耐えうるだけの技量のある役者ばかりが演じていたと言える。

一人が何役もしているが、全く別人に見えるほどの変身ぶり。仕草や声色にも勿論変化を付けていて、うっかり見ていると、同じ人がやっているとは全く気付かないほどの見事さだ。

気付かないもう一つの要因は、芝居のテンポが良すぎるせいもある。ストーリー展開の速さで、芝居の中に引き込まれ、他のことが考えられなくなるのだ。それほどの転換の素晴らしさではあった。休憩前にバチッと見事にポーズを決めた役者達に、一瞬息を呑まれ観客の拍手が遅れた位完璧な動きだった。

今回最も感動したのは「演出」であった。シャイロックについては勿論古今東西色んな見方があり、ず~っと以前に大学の英語劇を指導させてもらったときも、原作に忠実に作りながらもシャイロックをどう描くかが大きな問題点だった。それを思い出しながらの観劇だったが、今回はシャイロック登場から演出家の目が感じられる非常に面白いもので、あのクライマックスは特筆すべきものがあった。「肉は証文通り取って良し。しかし、一滴の血も流してはならぬ。」というポーシャの名裁判の場面。ここは原作を最大限生き生きと表現したものとなっており、息もつかせぬテンポの良さで観客を引きずり込んだ。が、逆転シャイロックが負けを認めて全財産を没収され、ユダヤ教からキリスト教に改宗させられるという段になって、急にシャイロックが憐れに思えてきて、「そこまでやるキリスト教って、一体???」とむしろ観客の心理はキリスト教の残虐さへと導かれた。これはシャイロック役の役者のあまりの名演技に寄るところが大きいが、しかし、最後の最後に原作には無い台詞をもって現れたシャイロックとアントーニオは明らかに演出だ。原作では喜劇よろしくポーシャが実は裁判官に化けて夫とその友人を助けたことと、ポーシャの侍女も書記官に化けていたことが面白おかしく表現されて終わる。

が、今回の公演では、シャイロックが絶望的な様子で登場し、「全てを取られた上に、ユダヤ教まで改宗させられるなら、生きて居ても意味がない、、。」と言い、命が助かったアントーニオの、「どうしてだろう、心が晴れない。」という言葉で終わっているのだ。

これは凄い。シャイクスピアの原作では、全作品にありがちな、もやっとした表現で終わっていることが、ここではハッキリとした批判の目で描かれている。キリスト教信者の方には不快だったかも知れないなあ。

 

とにかくあのシャイロックには想わず涙が出た。

2015年5月19日 (火)

近づくもの。

まだ何も決まってないからここに書くことは出来ないが、遠くから面白いことが押し寄せてきている感じはあるなあ。芸術はもの凄いエネルギーを持っている。その渦の中に入って火傷する場合もあるだろうが、その情熱の中で自らも昇華していく場合もあるだろう。いずれにしても、関わらないでは何も変わらない。

 

今日は晴天のお陰で、溜まりに溜まった家事を少し片付けて、お歌も少々お勉強。気分良く動けた一日だったと思うが、何故か夕食後には見ていたはずの健康番組の途中までしか覚えていない。あれが見たかっただけで面白くもない番組を見ていたはずなのに~~ぐやじ~。ま、いずれ誰かに聞けば良い。

 

流石に今日は飲まなかったが、今猛烈に飲みたい気分。どうしようかなあ~~?

明日はロンドンから来る英語劇「ベニスの商人」にお誘いを受け、友人と二人で岡山まで出かける。夜のちぇち練までには帰れるかどうかの瀬戸際だ。あのシンプルな舞台と、濃厚な演技に期待しているが、さあ、どんな一日になりますことか。どうも晴れるらしいから嬉しいなあ。

2015年5月18日 (月)

帰って来たパソコン。

不思議と機械でも懐かしい手触りに心がうきうき。キーボードを打ちたくてたまらないのに、やっぱりここに座れないくらいの多忙。よって、4日目にしてようやくこうして色々やってはいる。が、眠い。疲れた。昨日今日とチョイと飲み過ぎ?我ながら弱くなったと思うが、昨日、10歳年上の師匠が同じ台詞を言ってたから、大きな声で言うのははばかられる。「あんた、10歳も若くて何いってんのよ!」と来るのが目に見えている。まあ、あのお方は怪物だから。一般ピープルと同じには行かない。

 

大きな短歌の「特別歌会」なるものがようやく終わった。初めての経験で何が何だか分からないうちに終わった感がある。県外の方が多く、二日目の歌会の後は、うどん屋から栗林公園など観光ご案内。いわゆるお接待、おもてなしだった。

その夜は、もう一泊される方々をご案内して某イタリアンのお店に。けっこうな量を食べて飲んだが、割合リーズナブルなお値段で、全てが美味で全員が満足して下さったようなのにはホッとした。

確かにこうしたお付きあいにはエネルギーを伴うし、時間もたっぷり必要になる。が役得、というものもある。こうして近しくお話しする機会は、フツウではまずない方達。その方々の人となりに触れ、何事につけてもお考えの一端が伺えるのは今後のその方々の短歌を読む上でも参考になる。歌の向こうにお顔が見えるというのは、恐らくは全く違った感想が持てるようになるってことだろう。ま、有り難いことだった。

 

連チャンの飲み会が本日の夜で、今宵は多国籍料理と相成った。またまた生ビールで喉を潤し、美味しいお料理にお腹をさする羽目に。プラス女子会特有の賑やかなお喋りに花が咲く。おばちゃんばかりでも女子会は女子会だ。今日はくじ引きでのお土産まで付いてラッキー!、、、、まあ、なんでこういう機会が多いんだろう!?お誘いにノーと言わない人間の結末だろうが、、、。

朝は間近に迫った発表会のためのシャンソン練習日で朝からピアノ合わせ。昼は母を連れ出してランチ。でもってそのままシャンプーして差し上げ、1時間ほどこちらは夫の夕食の準備をしながら母にはテレビ。送り届けたあとはマッサージ店に。帰宅したら友人が迎えに来る時間。全く無駄のないスケジュール。ふ~っ。

 

こんな状況の中、ちぇちのメンバーMさんにとある申請書の書き込みをお願いした。まじで時間がなさ過ぎるためだ。快く受けてくれて助かった。なんといっても、パソコンは若い人に限る。しかも、彼女のような凄腕の技術者はこっちがやる何分の一かの時間でやってくれるだろうから、、、。

さ、寝よう。

2015年5月11日 (月)

パソコンの威力。

突然動かなくなったパソコンはただいま入院中だが、このiPadのお陰でここに書くことは出来る。最低限度の事は出来ているが、まあ、やりにくい事。何でも無くなって初めてわかるありがたさ、ってところだ。

今回の公演の楽譜の作製が一歩前進。一応ほとんどの曲に歌詞がつき、演奏範囲も決定した。一部が100枚以上の半端ない数を、H姉妹がコピーしてくれて、その一部を国分寺までお届け。ようやくホッとした。が、渡された方はこれからが地獄だ。このボーカルスコアから楽団用を起こすわけだ。なんでそんな事が出来るのか、ど素人のアチクシにはさっぱり分からないが、もの凄い能力だ。そちらをお任せしたから、こちらはこれでいよいよ台本の完成に持っていける。が、只今2軒分の家事のお仕事できりきり舞い。今もテレビを見ている母を隣の部屋に感じながら打っている。
その上に今週末は大きな短歌の歌会が控えている。2日間に渡り、偉い先生方とお勉強会というわけだ。いやが上にも緊張する。事前準備も必要だ。ムムム。
次の週は同窓会。その次の週はシャンソンの発表会。マジ?ってなもんだ。
そんな訳でFMのことをスッカリ忘れていた。明日は台風だっていうのに、あれこれ連絡して段取りをしなくては。
とにかく、パソコンが退院して来なくては、何も進まない。ヤバイなあ。

2015年5月 3日 (日)

雨とパスタとレディファースト。

雨がぱらつく中、例によって三婆を車でランチにお連れする。傑作だったのは、とある行きつけのパスタ屋さんで、「サイズは如何しましょうか?」と聞かれ、迷ったあげく、「フツウ」を頼む。すると、全員完食!最高齢95歳、合計すると343歳、平均85.7歳にしては快挙!おまけにそのアト四国村近くの喫茶店で、アイスクリームなんぞも美味しいと連発しながらお召し上がり~。いやはや、こりゃあ、皆さん100歳まで行くかもねえ。

 

気圧のせいか、気疲れのせいか、どど~っと疲れが出て、帰宅と同時に久しぶりにマッサージ機に突進。2クール始めた頃に、岡山の美術館に行っていた夫がご帰還。これ又「疲れた」のオンパレード。まるで競争のように同じ台詞を投げ合いながらも、こちらはそれをしおに買い物へと出かける。久しぶりの買い物で、思わず沢山の野菜を買いつつ、「ああ、今月の短歌のお題は野菜だったなあ~」とぼんやりと思ったりして、,,。

選別に大根の茎をばそっと折るすじ無く安堵しカートに入れる

、、、てなのはすぐに出来るんだけど、それがどうしたの?ってことだもんねえ。いやあ、むちゅかしい~。もそっと考えなくては、、、。ふ~っ。

 

夕食時に夫に先日のレディファーストの体験談を話してみた。するといきなりゲラゲラゲラと笑い出した。どういうこと?と聞くと、「それはお母さんの勘違い。レディじゃなくて、おばあさんファーストだったに違いない!」と言い切る。そんなばかなと思いつつ一緒になってつい笑ってしまった。アチクシの反論。「それはお父さんが日本の男だからそう思うのよっ!」

真実はどこに?

2015年5月 2日 (土)

今日は夏日。

夕べよく寝たせいか今日は朝から身体が良く動き、腰痛もそれほどでもなかったので、家事に仕事にとはかどった。その上晴天ときたから、洗濯物も良く乾き、何かと気分も良い。

でもって、まだ午後12時前というこの時間に眠くて仕方がない。いつもならこれに抗って目をこすりこすりでもなんか遣るんだけれど、今日は止めとこう。明日も色々あるからねえ。うま~く体力をコントロールしておかなくては。

孫べえが、みっちゃんを思い出しては泣いておるそうで、、、、ういやつじゃ、てなもんだ。大きくなって、髭でも生えてきたらそんなことがあったかと、覚えてもないって時が来るんだけどねえ。ま、今のうち楽しませて貰おうか。

 

ニュースによると小豆島で殺人事件だとか。「老夫婦が、、、」って、アチクシよりお若いみたいなんだけど、、、ただの夫婦じゃイケナイの?記者さんたち。

こういう事件が田舎でも起きるようになっちゃった。いやだなあ。

さ、寝よ。

留守のあと。

金魚は濁りきった水槽の中でなんとか生きて居る。店内の植木も自らの力で枯葉を少々蓄えながらも無事生きて居る。応接間のクリスマスローズは既にドライフラワー化してしまったが、、、、。

まあ、自分がいなくても何かが大きく変わることはないということだ。にしても、遣ることが多すぎる。従って、本日のH先生宅でのお歌の練習は、運転も出来ず、友人に送ってもらう羽目に。

しかし、始めるとすっかり体調のことなど忘れ去り、夢中になって遣っている自分に気付く。結局好きなことは出来るんだ。

 

歌はホントに難しい。自分が気持ちよければそれで良いと言うことにはならない。守るべき物があり、自由な部分もアル。声だけでもダメで、リズム感や音程だけでも歌にはならない。そういう諸々を全て吾がモノに出来るのは訓練しかない。地味で、飽きるほど単調な繰り返しを遣らなくては習得できない部分もアル。

先日東京で聞いたある声楽家の先生の言葉が今も耳に残っている。「私の先生はね、良い声が出るまで大変辛抱強くいつまでも待ってくれました。」「人間の身体を流れる血液はその流れを途絶えることが無くず~っと流れている。声も同じこと。」、、、これらの言葉は出演者に向けられたモノだが、会場にいた多くの人が共感していたようだった。

「自然」なんという難しいこと。

2015年5月 1日 (金)

転んでもただでは起きない私。

長く家を離れていると、当然のことながら山のような仕事が待ち受けていて、一昨日の成田ショートステイが嘘のように思えてくる。

12日に高松を発ち、本当は一昨日の28日に帰宅予定だった。が、あまりの疲労からバカな間違いをしてしまって、まさかの成田一泊。思いがけず全く自由なホテル滞在となった。結果からいうと、これは神様からのプレゼント。ゆっくりお風呂に入って、たっぷりの睡眠。素晴らしいガーデンを眺めながら快適なモーニングを静かに一人で食べ、やって来たM夫人の車で近くの老舗カレー屋さんに。二人の可愛い子供達とだんだん距離が縮まっていくのを感じながら、成田空港の発着場が目の前に見える高台へと誘われ、晴天の空の下まったりとした時間を過ごす。

突然の「近くにオススメのお店無いですか?」のメールに、それならご一緒にお昼を、と気持ちよく出て来てくれた、これが元スチュワーデスのMさん。思いがけず空港まで付き合ってくれて、チェックインまで遣ってくれる。なんだか急にご厄介になった感のある私に、「いえいえ、しばらく職場を離れて少し恋しい気分でしたから、嬉しいです。」なんぞと優しいお言葉。実際、周辺の外国人が交わす会話に耳を傾けてる様子があって、成る程ねえ~。お仕事では毎日がこういう雰囲気だった訳で、育児に追われている現在、そういうことあるかもねえと妙に感心。ほんの数時間の付き合いだったが、なんとなく別れがたいチビちゃん達とも大きく手を振って機上の人となる。おまけの時間にしては予想外に充実。

で、何故飛行機に乗り遅れたか。

東京の孫べえが、すっかりなついてしまって、帰り支度もままならない有様。必死で振り払ってマンションを後にした時点で疲労困憊。なんか頭がもうろうとしてスマホの路線図が頭に入らない。娘からの忠告、「成田は難しいから慎重にね。」は後から思い出すも、この時点ではまあ何とかなるだろうと高をくくっていた。ところが、途中下車した駅で、スマホには降りた次の次の電車に乗るよう指示が出ている。念のため駅員さんに確認までしたにもかかわらず、ホンの少しスマホを見ているときに入って来た電車に何も考えず乗ってしまった。間違いに気付くタイミングも悪かった。あっと思って下りたところに停まる特急は30分もあとだった。これはもう絶対に乗り遅れると観念して、お嬢の怒りの顔を思い浮かべながらスマホメールで遠隔操作。「すぐに下記の状況を電話でチェックインカウンターに連絡して!」「でもって、あと15分で制限時間。」「明日の便が取れるかどうかも調べて。」と矢継ぎ早。当然のことながらお嬢からのメールには、「ぎょっ」てな言葉が。それでも大急ぎで遣ってはくれたがどうにもならず、結局はサービスカウンターまでたどり着く。勿論飛行機は30分前に出た後。

息子は翌日朝早くから家族で出かける予定だし、お嬢から再び戻れと言われてもその気分にはなれず、ええい、いっそ大阪にでも飛んでみるか、と友人Kに電話すると、「おいでおいで、絶対おいでよ!」と言ってくれる。が、これはザンネンながら満席で取れず、結局は翌日の同時刻の便に相成った次第。Kは新幹線で、と言ってくれたが、ジェットスターは便が変更になっても追加料金は必要ないので、ま、今回は成田初体験するわ、となる。

これがよく考えると素晴らしい疲労回復材。いくつかの予定をキャンセルして、一日旅と子守の疲れを癒やすこととしたのは大正解。この一日が無かったら今日のアチクシは使いものにならなかったに違いない。

大きな荷物が4個も届いていて、それぞれ荷ほどきをしておくべきところへ納めたり、洗濯したり、すっかり様変わりしている台所を整えたり、東京で受けた予約客を受け入れたり、デイサービスから帰った母を早速ケア、帰りが遅いという夫の帰宅までに二人で外食して旅の報告だ。そして半月の間にどろどろになった吾が愛車の洗車にガソリンスタンドへ。ここでも母と話しが尽きない。随分と帰りを待ってくれていたらしい母は、終始にこやかで、ついにはスカイプで孫べえと話すという。その様子を珍しそうに見ていた店員さんが、「テレビ電話ですか?」と我々に驚いている。驚かれる年齢だということだ。

 

成田のホテルで面白いことがあった。

エレベーターに乗り込むと、二人の白人の若者が同乗していた。続いて別の階でもう一人別の国の人らしき白人の青年が乗ってきた。やがて1階に着いたとおぼしきとき、誰も動かないので、えっ?まだ1階じゃないの?と一人言を言って後ろを見ると一人の若者が目配せをしてどうぞという感じ。あっ、と小さく「サンキュー」と言いつつ一番に外へ出たが、いやあ~、参った。アノヒトタチは当たり前なんだ。絶対レディファーストなんだ。と改めて国民性を思ったことだ。

 

旅は面白いことが沢山あるなあ。

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