« 忘備録。北海道で。 | トップページ | 転んでもただでは起きない私。 »

2015年4月25日 (土)

芸術、その深遠なるもの。

ようやく数時間のフリータイムが取れて、渋谷まで出かけた。婿殿の計らいでBUNKAMURAの
「ボッティチェリ」を見にいく約束が友人夫婦との間に成立。ドゥマゴでのランチ共々楽しめた。フィレンツェのウフィッツ美術館ではゆっくり見られなかったので、今日は期待も高まる。時間を計算してやや早めに出かけるとこれが大正解。我々が見終わった頃にはかなり混んできて、解説のビデオも明日のNHKで流れるとのことで、じゃあ、テレビで見ようと早々に引き上げた。
この人の作品は大胆な構図と人物の表情が素晴らしく、イタリアで見たときも感動したもので、あらためてじっくり鑑賞出来たのは嬉しかった。喜怒哀楽を単純に表すのではなく、皮肉や、ポーカーフェイス、下心といったものまで見事に描ききっている。人間観察の非常に優れた画家だったわけだ。
生涯についても詳しく展示されていたが、やはりこれ程の画家でも時代に翻弄され、作風を変えざるを得ない状況だったようだ。
音楽に置けるフルトヴェングラーしかり、いつの時代も芸術は時代の権力者によって歪められる、あるいはその実力が封印されるということが起きるようだ。

先日は郷里出身のバス歌手森田氏が出演するというので友人と二人で出かけてみた。歌曲のみの演奏会で、しかもドナウディのみとなると、かなりマニアックな感じがしたが1人の作家の全曲を 演奏するというのは意義のあることだったと思う。明暗、悲喜こもごもが表現されていて、美しいメロディともども楽しめた。森田氏の洗練された歌声は誇らしく聴かせてもらったが、中には恐らくは緊張からだろうが、お気の毒な人も、、、、。やっぱり歌は難しいなあ。あるメゾソプラノが非常に凄い歌い手で、この方のオペラを是非聴いてみたいと思った。最後に主催者の方がご自身の指導者の言葉を使い、出演者にアドバイスしていたが、これは非常に為になるお話だった。この女性も高齢になり、こうして後進を育てることに力を注いでいるようだ。その点において老いてますますいき盛んなお人だった。

渋谷の喧騒は嫌だが、こうした芸術は矢張り東京だなあ。

« 忘備録。北海道で。 | トップページ | 転んでもただでは起きない私。 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 芸術、その深遠なるもの。:

« 忘備録。北海道で。 | トップページ | 転んでもただでは起きない私。 »